京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

買い物の楽しみ

2018年08月29日 | こんな本も読んでみた

さくらももこさんの「日常の中のちょっとしたできごと」を、ひとコマ漫画とともに描いた『のほほん絵日記』が手元にある。
どんな理由で買ったのかは覚えていない。爆笑するほどではないが、ある、あるの思いで読んだり、こういうことあったなあと面白い。
わずかな日記の文章だが、そこに潜んでいるのが普遍性なのだろうか。そして、語り尽さないところに、言葉になっていない部分をすくって広がる読み手の世界もある。「謂いおおせて何かある」。京都での文章の師にもさんざん言われたことだ。もしかすると、こんなことを思い出して買ったのだったかも…。


     息子のお金
  息子がすぐに買い物に行きたがるので
  「もう、買い物にばっかり行ってたからお金がなくなっちゃったよ」と言ったら
  息子はハッとし、急いで自分の
  ちょきん箱を持ってきて
  「コレ、全部やるから。おつりはいいから」
  と言って去っていった。430円入っていた。

こんな一日が描かれていたのですが、孫のTylerがディズニー柄のあき缶に小銭をため込んでいるのを思い出しました。学校から帰ったある日。缶をあけてジャラジャラしている音に気付いた母親が「あかんよー!」と一喝。そして「一週間お菓子なしやろ」。夕飯を食べ残したからです。「そうだった」と、本人はやけに素直でした。

小学校に入学後、仲良くなったMちゃんの家に遊びに出かけ、一緒に駄菓子屋さんで好きなお菓子を買うことを覚えたのです。「おばあちゃんが中にいるとこ」だそうです。歩いて坂を上って、バス通りに出た角地にある古い造りの店でした。箱詰めがバラ売りしてくれているのか、10円、30円と言った値段でこまごまと買っているのです。全部食べずに持ち帰り、強引にねだる姉におすそ分けの場面も。ほんの100円、200円でも、自分でお金を出して好きなものを買う行為が楽しいのです。
この頃、「お財布を買って」と言います。「小銭入れのほうがいいんじゃないの?」って言ったら「千円札もある」って言い返してきました。

「…お金がなくなっちゃったよ」に、テレビから流れるまる子の声が重なります。

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大いなる八月だった

2018年08月27日 | 日々の暮らしの中で
中学生と小学生と異なるが、孫二人は今日からそれぞれに新学期が始まった。
3人目のLukasもまもなく1歳9か月に。歌を歌い、発する片言の数も増えてきた。発音は(むろん音程も)まだ明確ではないが、そうした中で、唯一「タ~イラーッ」と兄の名だけははっきりと呼ぶ。

ただ、その呼び方だが…。「タイラ~! いつまで寝てるの!? 急がないと遅れるよー」と、やきもきしている母親の気分をなぞるかのような口調で1歳児は兄を呼ぶ。呼ばれる本人さんはニヤニヤしている。相手の年齢を忘れたか、遊び相手にしてかまい、喧嘩をし、大事にする兄。父母、姉を差し置いて、まず自分の名が高らかに呼ばれるなど、嬉しいことなのだろう。夏バテもなく、三者三様にひと夏を過ごせたことはありがたいことと振り返っている。

無用の外出を控えた猛暑続きだった。なすすべなし。窓を開けて風の通りを良くしてエアコンの使用を控えてみるが、30度を超えるのは早い。外界は室外機から放散される熱風でますます息苦しさを増す。そんな市中を思うと外出もしたくなくなる。

障子や襖をはずし、変わりに簾を吊るし蔎(よし)戸を立てる。嫁いできた頃、「網戸など暑くてたまらない」と言う義母とひと悶着あったことを思い出した。確かに網戸を開けた方が風は入る。しかし、だ。義母が折れた。夜になって電気をつけると、通りから蔎戸越しに団扇片手の家族の団欒が透けて見えた家もある。

家のしつらえにしても食べ物、着るものにしろ、「涼しそうだ」は「涼しい」ということだと考えるのが京都人の夏涼の法だとか。もっとも、こうした暮らしの知恵も感覚も、信じなければ意味はない。これでもかと迫りくる油照りに余裕はなくなり、「夏は暑がっているのが文化いうもんや」など悠長なことを言ってはおれないひと夏だった。
エアコンの効いた部屋で読書などし、小文の下書きなどに取り組んでみたが、どれも中途半端で放ったまま。

枯れたエノコログサが風に揺れる。夜空の月が煌々と地上を照らしている。

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誘い水も…

2018年08月20日 | 日々の暮らしの中で
 「映画『カメラを止めるな!』、これ話題作ですよ。当日券は完売で3日後のチケットを買って出直しました」
しばし無沙汰の挨拶もなく、いきなりこの調子で始まるメールを受け取ったのは今月初旬。いつものことだけど、いきなりなんやの!?と一瞬思ったりしてしまう。そして、
 「三谷喜劇を映像化したみたいな傑作でした。京都の劇団「ヨーロッパ企画」の作風に感じが似ています。お薦めです」と。

そうなのね。でも全く知らない話でした。どんな内容なのか気にかかることもなく日が過ぎて…。「観ましたか?」って。観てない。どこで上映されてるのかも知らない。「面白そうだから行ってみない?」と誘われても関心が持てなくて引くことはあるが、幅広く私を舞台や映画にと案内してくれる友人である。久しぶりに落ち合った。忙しくて映画に気持ちを向ける機会もなかったということにしてしまった。


紅のサルスベリと白のサルスベリの花房を剪り、槇花に添えて仏前に供えた、と前登志夫さんが書いていた。それを読んだとき、サルスベリを仏前に供えることはなかったので、何か新鮮さを感じたものだ。
通りがかりのお寺の門前で、ふとそんなことを思い出した。








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人為を棄てて?

2018年08月18日 | 日々の暮らしの中で
線香の煙(送り火)にお精霊さんもUターンされて…。
ようやく猛暑から解放された。清澄な朝、初秋のような爽やかな風が吹き抜ける。

この、あまりの心地よさに、動き回ることは放棄した。恵まれたこの自然をそっくり受け入れ、今日は一日ゆっくりして過ごそうと決めた。
「わがはからざるを、自然(じねん)とまうすなり。これすなはち他力にてまします」
と『歎異抄』にある。

洋裁をしたいと思っていたが、読書に切り替えた。高校野球の試合を見るともなく見ているうちに、次第に眠気に打ち負かされていく。「午睡」を決めた。全くなんの障りもなく気持ちが促すままに横になれるって、なんて心地よいことか。

「気持ちの底に一抹の後ろめたさも潜んでいて、それが『昼寝』に欠くことのできない醍醐味になる」と六郎さんは書いていた。後ろめたさのひとかけらも無いとは、あまり褒められたことではないのかしら。


        正面から低空飛行でやってきた蝉が脚にとまりました。
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五山の送り火に

2018年08月16日 | 日々の暮らしの中で

五山の送り火の点火を待つ多くの人で、橋の上や京都御所の平地なども人で埋まったことだろう。

…と想像しながらテレビでの中継を見ていた。
ちょっと足を延ばせばいくつかの鑑賞地点があることは頭に置いている。平素、住宅街を歩いていても、家並みのスキマに「大」の文字を遠望する場所を発見することがある。こちらは思わぬ発見で喜んだが、駆け付けてみれば点火を待つ人たちがたむろし、浮かび上がる東山の「大」の文字とを結ぶスポット一点に頭がひしめき合うということがあった。

玄関で待機し、時間に家の前に出て東の如意ケ嶽に「大文字」を、北方向に松ヶ崎の西山に点る「妙」の送り火を見ていたのは伯父宅で過ごした夏の夜のこと。周囲に家がなかった、もう半世紀も前のことになる。

叔父はすでに亡く、94歳で介護付きの施設に急遽入ることになって、かかりつけの医師の診断書をいただくために伯母に付き添った。医師は「(そんなところにいれたら)死にますよ」と小さな声で口にした。伯母はそれを聞いていて、「死にますよ、いわはったなあ」と私の顔を見てひと言…。
毎朝隅々まで新聞に目を通し、時折赤い線が引かれたものを見ることがあった。足腰は弱ったが杖や家具を頼りに伝い歩き、住み慣れた家で一人暮らしを続けていた。もう限界と、息子の一方的判断で入居の運びとなり、納得させたのだ。
することなくベッドに腰を下ろし、悲しげな眼で私を見ていたなあ…。風邪をこじらせたとかで病院に入院、施設に帰ることはなく入居から3か月後に亡くなってしまった。

その知らせを受けたのは2007年12月8日、弟の葬儀の朝だった。叔母の通夜にも葬儀にも参列できなかった。
生前、京都の福知山市にある伯父の墓参りに連れて行ってほしいという願いを聞き入れたことがなかった。ちょっとそれが心苦しい。伯母を偲び、母親代わりによくしてもらったことを感謝しながら詫びておこう。


伝統を守り受け継ぐ人たち。「鳥居形」の火床で点火に走る炎。ここだけは一人一人が火をつけた松明を持って走り、受け皿に立てて燃やしている。

今日は朝から雨が降ったり止んだりの一日だった。鎮魂の祈りを。

                                (小林良正さんの「ほほ笑み地蔵」)

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迷っているのは先祖ではなく「私」

2018年08月13日 | 日々の暮らしの中で
「お墓は亡骸。お内仏に参ったらいいのや」
こういった意味のことを義母が口にしたことがあった。
お内仏には(仏壇には)ご本尊の阿弥陀如来が安置されている。その前で手を合わせよ、とか…。

亡き人の霊が迷わないように迎え火を炊くという風習がある。
が、迷っているのは先祖ではなく、この「私」自身。
先祖のことを考えるなら、まず自分自身の「迷い」を解決させることだ、というわけです。

先祖を偲ぶことを通して仏法に出会い、今一度私自身の姿を振り返る。それがお盆だということでしょう。
浄土真宗では、先祖を迎え供養する日ではないということ。

お墓参りを済ませ、立ち寄られるご門徒とご挨拶を。一年に一度の顔あわっせもあるわけだからこれはこれで嬉しいもの。
言葉は心を持っている。義母の言葉が持つ深い意味に心を寄せるまでになるには時間がかかった。
お内仏で、ひとえに阿弥陀さまのご恩に感謝の合掌を…。

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母を敬い、父を敬い

2018年08月11日 | 日々の暮らしの中で

母親の誕生日プレゼントを買いたいから付き合ってほしい、と孫娘からのメールを受け取った。「お願い!」と強力な一言が添えられている。

「つきあって」というのもクセモノで、場合によっては彼女自身のオネダリが加わるかもしれない。彼女の財布のひもはカタイ。となると「付き合う」には、スポンサーとして一部負担金がありそうだ。求められても求められなくても…。

母親からはプレゼントのリクエスト品を聞いてきていた。一方で、父親にはまだ何も用意していないと言う。
「ダディは絶対こういう本、好きや。けど、トランプ大統領がいい、いい言うてるなあ」と書店で。「珈琲好きやから、これはどう」と洒落た角度で持ち手の付いたマグカップを手に取ってもみている。
目的の品とは別に、普段の母親を思い遣りながら、「ルーチイ(Lukas)を抱っこしてたからいい服が着られなかったけど、もう着られるやろ」とワンピースの品定め。「マミちゃんはいつも肩凝ってるねん」。書店に立ち寄れば「マミちゃん、いつも運が悪いから」と笑って、開運のエッセイ本などをめくっている。幼いころからこうした面には長けていた気がする。いつの間にか、よく見聞きしていたものだった。やっぱり家族だな、根っこのところでよくつながっている。

「この世で母を敬うことは楽しく、父を敬うこともまた楽しい」(法句経)。
何気ない贈り物に込められた思いを、二人は優しい心で受け止めてくれることだろう。

財布も軽くなったが気も軽く、じゃあまたね、と別れた。阪急京都線と阪急宝塚線とが十三の駅まで並行するように走る個所がある。そしてそれぞれの方向に…。たくさんの紙袋を提げて帰って行った。
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「鐘はひがし山」

2018年08月09日 | 日々の暮らしの中で
心なしか立秋とともに冷んやりとした心地よい風を感じさせてもらっている。


お盆に先祖の霊を迎えるとして「六道まいり」が東山区の六道珍皇寺で始まっている。この寺のある一帯は古くから鳥辺野と呼ばれる葬送の地で、門前は冥界と現世の分かれ道「六道の辻」と呼ばれる。
境内で迎え鐘を撞き、精霊が宿るとされるコウヤマキの葉に精霊を乗せて帰るのだという参拝者の様子が新聞やテレビで報じられていた。
  
   盆の月なりけり鐘はひがし山   完来

小野篁が寺にある井戸から冥途に通ったという話が伝わっている。
夢枕獏さんの「篁物語」、作り話と思うこともなく物語の世界に入り込んだ(『おにのさうし』収)。

真宗である我が家では、先祖の霊を迎えるためにという準備はなく、打敷を敷き、花を立て替え、お供え物を用意して…、などと内陣や本堂内を整えることが待っている。
そこに月半ば、二人の誕生日が続く。娘の夫、その5日後に娘、と。心ばかりのお祝いを贈ろうと思って見立てているが、なかなか思うように決められなくて…。
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教えに学ぶ

2018年08月07日 | 講座・講演
夢枕獏さんの『おにのさうし』を読んで臨んだものの、お話は玄奘三蔵の旅をメインにしたものでした。玄奘がどの道を利用したかは未だに特定されていないとか。ご自身が最有力と考える氷河古道コースを歩いたときの写真を示されながら、旅の話を。そして、人はなぜ物語を必要とするかに及ぶのですが、…。肝心なところはどういうわけか記憶に残らずじまい。夜、宿坊で4人の相部屋の人に、今日のお話はどういうことだったのかと尋ねましたところ、「玄奘三蔵の後を追って旅をした、という話やない?」と一人が。単調な話しぶり、眠気との闘いでした。

日本の妖怪文化を研究される小松和彦さん。「本来は見えないはずの妖怪を、絵にしようとした努力から日本の妖怪文化の豊かさが生まれた」と説かれます。『おにのさうし』を読んだ私には多少なりとも関心が持てましたが、「人間の想像力が生み出した文化の中で、最も優れた傑作」も、何かしっくりこない妖怪文化と文学ではありました。『化け物の進化』という寺田虎彦のエッセイ(岩波文庫)を知る。


人と違う独自の考えを持つことが周囲と相容れなくて、人には自分を語らない、見せないで過ごした、引きこもった日々があったことを語り出された宮本亜門さん。交通事故で大怪我を負ったこと、母親の死、そうした体験がやがて人生観を変えた。あらゆるいのちを受け入れ、和の文化を好むようになっていく中で、世界に向けて「ニッポンを演出する」ことに工夫を凝らし活動する今を、お話に。生きよう! と声は弾み、さすがに人を引き付け飽きさせない時間でした。
大地真央さんは、今までの女優生活での出会いや経験、これからの更なる挑戦など。問われたことに応じる形での講演形式に期待は裏切られた。せめて一曲? ほんのさわりだけでも歌声を聞かせてほしかった。

プロ野球中日に入団後、初ヒットは3年後、初ホームランは5年後とか。本能のまま、人の言うことには一切耳を貸さずに来て、挫折も自暴自棄も味わうという山あり谷ありの野球人生。星野、野村監督との出会いなど振り返って、「三度のクビから現役27年間」の演題で山崎武司さん。面白く、聞き入った。
3歳年長の山本昌投手に一緒に野球をやめようと持ち掛けたとき、「自分にはまだ伸びしろがある」という言葉が返ってきたという。自分にはその思いがなかったと明かされた。それはそれとして、この昌投手の言葉が、私には今回のすべてを通して最も印象深く心に残った気がする。

「宗派を問わず、仏教の根幹は縁起による」と高野山真言宗教学部長さんのお話にもあった。無量無数の因縁によって私が成り立っている。人との出会いも、ひとつの出逢いが他の出逢いを呼び、また他の出逢いが追ってくる。巡り合い響き合い、重なり合う、ちょうど寂聴さんが聴かれたあの風鐸の連鎖する「妙音」のようか…。また、遺言を残そうとする人は多いが、この世に残していけるのは心だけです、ともお話に。

毎夜、同室の人と高野の空に火星と金星を見上げて一日を終えていた。
学んでときにこれを習う、という。聴きっぱなしで終わるのか、血肉としていけるのか。「まだ伸びしろはある」に励まされる思いがします。
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「見えないモノのエネルギー」

2018年08月07日 | 講座・講演
高野山の入り口にそびえ、一山の総門である大門を訪れた二日目(4日)の朝の気温は20.1度。肌寒かったが、いつ以来かとその感覚を楽しんだ。
五時半、前方に見えだした大門の二階部分南はしに朝陽が当たっているのがわかる。


自然と足は速くなる。後方、東の奥の院の方向から上がる太陽を、こうして西側に立って見たくってやってきた。


「高野山は見えないモノのエネルギーを感じやすい場所。風の音、水の音、木の音。月の力や日の力…」。宿泊した先の副住職さんは言われる。

京都府立大学で学ばれたという。娘さんも京都の大学に在籍中とか。若い素敵な梵妻さんからは「前にも一度お泊りでしたね」と声を掛けられ、3年前の春のことを覚えていて下さるという嬉しさを味わう。勿論、私も楽しみにしていたことをお伝えした。これが縁というものであり、人生の出逢いというものなのだろう。

日中は30度にも達し、強い日差しを浴びる。が、むっとした不快感はない。同室者と二人で女人堂まで、心地よい風の通り道を歩いた昼下がり。


以前うっかり素通りした蓮華定院。「六文銭」を見ながら、その玄関先をそっとのぞかせていただいた。真田家の菩提寺。九度山で過ごす真田信繁(幸村)がNHKの大河ドラマでも描かれた。



15時40分からの講演まで、今回こうして二人で山内見学を楽しんだ。霊宝館で観た、彫り物の涅槃図が興味深かった。動物もいるはずと目を凝らし、「あっ、猿がいる」「イノシシも」「蛇だわ」「カタツムリよ、これ」「猫はいる?」
猫が涅槃図を描く明朝さんのお手伝いをよくしたとかで、「お前も書いておいてやろう」と書き添えたという逸話を話してみた。

夢枕獏さんの陰陽師シリーズの中から一冊を読んできたというこの方。文学散歩の興味も重なり、やけに盛り上がった時間を過ごした。



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「天来の妙音」

2018年08月06日 | 講座・講演

高野山、東の奥の院に対する西の聖域「壇上」の根本大塔は、コンクリート製でどっしりとした安定感がある。
一階の屋根の上に白塗りの亀腹をのせ、その上に円い欄干を巡らせて、二階の屋根をのせ、更に九輪の宝珠が天上に聳えている。朱色に白い亀腹が目立つせいか、けばけばしさで何度見ても馴染めず違和感を覚える。それでも内陣は好きで、2泊3日の滞在中に毎日一回は拝観した。

第94回目となる高野山夏季大学の日程のすべてが終了後、新大阪行きの直行バスが出るまでの時間を利用してやってきた。日中は30度にもなったが、この日は心地よい風が感じられた。

木立が影をつくるベンチに腰を下ろし、大塔を前に仰いでいたとき。思わず耳を澄ませた。そう、あの風鐸が鳴ったのだ。鳴った気がした。そうに違いない。明らかに金属音で、金蔵音にして軽やかな重みのある音色をひとつ、耳にした。空耳か。思いこみ、幻聴か。
聴きたい聴きたいと、ここに来る目的の一つにもなっていたものだから、空耳かもしれない。ところが、一つどころか、二たび、三たび、その響きを耳にした。風鐸が鳴ったのだ(と思いたい)。歩いていては聞き逃していたことだろう。

風鐸は屋根の四隅に、そして、宝珠から屋根の四隅にかけて張られた鉄線にも幾つかの風鐸が下がっている。地上で感じるよりは幾分か強めの風が、風鐸を揺らしてくれたのだろう。

雪が30㎝を超えて積もった高野山の壇上を訪れた寂聴さんは、「信じられないような清らな音を振りこぼしている」鐘の音を耳にし、著書で「天来の妙音」と表現されていた。いくつもの音が重なり合って爽やかな節をつくって、虚空にこだましながら広がり散ってゆく、と。聴きたい。私の一念、通じたか…。聞こえた! 聞こえた! 確かに聞こえた!と耳をそばだてていた私とは大違いだが、「天来の妙音」を耳に残して帰途についたのだった。
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楽しみのタネ

2018年08月02日 | 日々の暮らしの中で

自分の心に楽しみのタネをたくさん持てば、豊かな人生を生きられる。
どう楽しむか。それは人それぞれなのだろう。日常の生活は誰しもさほど大きく変わるものではない。でも、人生は人によって大きく変わる。自分らしい楽しみ方を見つけ、自分で満足できる状態にして生きていきたい。ほんのちょっと、心の贅沢を求めて…。

明日から2泊3日で高野山夏季大学に参加します。
充実の講師陣、お顔を見るのも楽しみの一つ、というお方も中には。
今年はこうして参加する方向で日常に少しの変化をもたらす展開となった。
ここにいただいたご縁を精一杯楽しんできたいと思っています。
                       
                                    (小林良正さんの「ほほ笑み地蔵」)
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虫刺されに蛇頂石

2018年08月01日 | 日々の暮らしの中で
陽がささないうちに少しだけでもしておこうかと思いついて、鎌を持ち出した。カイカイカイッと鎌を動かし草を刈った。ところにより根っこからきれいにしたし、見た目は綺麗になった。余り疲れたくないのでほどほどにして、あとは水やりで終わる朝の始まりだった。

なにに刺されたのか、足首周辺が痛痒い。4カ所、ツベルクリン反応の注射をした後のように赤く広がり、4つの赤みが一体化して熱を持っているような感覚だ。張りも感じる。


「蛇頂石」の“家宝”があることを思い出したのは、ずいぶん時間が経ってからだったが、いつまでも熱っぽいので4カ所、順に繰り返して当ててみた。500円硬貨の直径寸の縦長の石だが、半分に割れているので、この際半分サイズで利用した。

どうやって使うのだったか。石を水で濡らしてから当てると、まあ、ピタッと吸い付いた。この感触に覚えがあった。それほどの毒性はないだろうから、使用後は短時間で水から取りだし、また別の患部へ半分サイズで。


水につけると泡が出る。大きな泡になって、ようやくのことぷくっと離れる。一か所、サイダーのように極小の泡が連続で立ち上がってもいる。
ヘンな黒いものを足にくっつけて、そっとだけど歩いても落ちない、面白い石。

夜、赤い広がりは小さく薄くなってきた。素足を出せないのも困りもの…。明日一日かけて引いてくれるといいのだけれど。



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