京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

帰国準備中

2021年05月30日 | HALL家の話
27日に娘と孫二人のオーストラリアへの帰国が決まりました。
6月5日、シンガポール経由で発ちます。
別れて暮らす経済的負担、父と娘の暮らしも疲れ気味。オーストラリアにいる夫は家族3人の日本からの帰国を申請していたのですが、ようやくその許可がおりました。ただ、出発までに日数がありません。様々な準備に追われる日が続いています。

家具の処分。船便での発送。持ち帰るものの荷造り。家の引き払い。もろもろの手続き。PCR検査と英文での証明書など整えなくてはならないものもあります。さらに、家族5人がそろう前に入国後はホテルでの2週間の隔離生活が待っています。

体調管理を気遣いながら順調に事が進みますよう段取りをしているつもりですが、実際はあれもこれもなかなか大変です。
まる4年間に大阪で築いた友人関係。多くの方々との別れも惜しまれるようですが、最後の一日は私どもと…。
4日には予定通り京都へやってこれますよう、今少し頑張らねば。
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生き物の気配を?

2021年05月26日 | 日々の暮らしの中で
ついでがあって園芸店をのぞいた。
何かあるかな…?
ぺブルプランツ「リトープス」。きれいでもないし、面白くもかわいくもない。見たところ、なんの愛想もない。


「リトープス」を知らなかったので商品札の裏を読むべく、一鉢を取り上げた。〈南アフリカ原産のメセン科の多肉植物。外敵から身を隠すためにみずからが小石に似せた姿になっている。そこで小石(ぺブル)のような植物とも呼ばれている。脱皮をするので有名〉などとある。
ちょうどこれから6月~9月は夏季休眠期間で、水遣りを控えるように。花は秋から冬にかけて「咲くことがある」、と。「咲く」ではないのか。まあいいか。「花も咲くよ」と記されたひと言を決め手に、買ってみることにした。

ところで、脱皮って!? 帰宅後調べてみたら、冬から春にかけて、外側の古い葉が萎れていく中から新しい葉が形成され、まるで脱皮するように展開していくとあった。角度を変えて見てみたが、これは「脱皮」後の成長した姿なのか?? 徐々に、をぜひ見てみたいものだ。



切り花はちょっとだし…。部屋にいて、生き物の気配を感じるってことを期待できるかしら?? 猫も犬も鳥も、蛇なんてもちろんいないし亀もいない。動物じゃないから、どうかしらねえ…。
「昼間は明るい日陰で」。でも夜は身近で、感じてみるか。
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美度呂池

2021年05月24日 | こんなところ訪ねて
嵐山で信者を集め、妖しげな祈祷をしている美男の僧都。山の中にあるその寺近くの小屋には、白骨化した死骸の山。『王朝小遊記』で展開する、〈似非僧都と人喰い鬼退治〉活劇の舞台にもなった美度呂池を、梅雨の晴れ間に訪ねてみることにした。


〈糺の森を抜け、下鴨神社の先を半里ほど北へ、貴船や鞍馬へつづく丹波街道を進んだ先にある美度呂池(みどろいけ)〉

仕丁に姿を変えた似非僧都は、その畔にある山荘へナツメを案内していく道すがら、
「美度呂池というのは、太古の昔、地下水が湧き出してできた深い泥の池。あやまって足を滑らせようものなら、二度とあがってはこない。いくつかある浮島も、うっかり足を踏み込めばずるずると沈んでしまう。浮いているのがまやかし、似非の島」と話して聞かせた。


山荘は、随身、僧兵、山伏のような者たち大勢が警固していた。戦いの大混乱の中、人喰い鬼ならぬ元海賊の毛むくじゃら大男と一緒にニシタカも崖下の池に落ち、コオニは投げ飛ばされ、ナツメは自ら身を投げ、と3人みな池の中に沈んだ。かに見えた3人だったが…。


この池、「深泥池」と書いて「みどろがいけ」「みぞろがいけ」と呼ぶ。
『小右記』には美度呂池と記され、平安前期の菅原道真の編纂による『類聚国史』では泥濘(ぬかる)池と名前が出ているとか。

氷河期以来の動植物が今も生きている、と知られている。
どのあたりに山荘だろうか。三方を山に囲まれた池、とあったが、今はかなり明るく開けている。季節により浮島は上下に変動し、夏には浮かび上がり、冬は沈んで冠水するという浮島。日本に200種ほどいるトンボのうち60種ほど生息しているらしい。少し前なら、西側の道を車で走りすぎる時に白いカキツバタが目に入った。
       
     氷河期の風も水面も憶えゐる深泥池に添ひゆつくり歩く   河野裕子
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家族づくり

2021年05月22日 | こんな本も読んでみた

昨夜は何かもやもやと頭の中で考えることがあって、とても眠れそうにない感じだった。ずっと本でも読んでいようと最初から決めて横になった。

『王朝小遊記』(諸田玲子)を読み終えた。
藤原実資(『小右記』を著す)は有職故実に精通した当代一の博学と呼ばれ、藤原道長が権勢をふるう時代にあって筋を通した人物だった。
その実資の娘・千古(ちふる)姫をめぐる悪党どもの企てを阻止するため、ある貴族の依頼を受けた5人(物売りのナツメ、物乞いのナマス爺さん、女房づとめをしていたシコン、貴族の子息コオニ、大宰府帰りの勇将ニシタカ)は似非家族を作り、〈似非法師と人喰い鬼退治〉に立ち向かう「一大活劇」。
 
 一灯の温かさとともに読み終えたのは午前4時半ごろだった。

「家族ってあたたかいものなんだよ」と、いつだったか孫のTylerが口にしたことがあった。
そういう彼も、父と姉がオーストラリアにいるという離れ離れの暮らしになって1年が過ぎた。ひょっとすると、帰国の道が開けるかもしれない…。が、だめかもしれない。まだ未定だ。
どうなるかは今わからないのだが、決まれば発つまでに十分な日数はないかもしれないという。大丈夫か、せねばならないことは山ほど…などと考えだしたものだから、寝付けないに決まっている。考えないために本を読んでいた。朝方少し眠れたようだ。

家族は寄り添って一緒に暮らせることが一番。寂しさはちょっと横に置いといて、っと。
でも、横でじっとしていなくって…。
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「熱」と聞いて

2021年05月19日 | 日々の暮らしの中で
4歳の孫が熱を出して幼稚園を休んだと連絡をもらった昨夜。仕事もあるし、二日ほど見てもらえる?と打診される。が、熱!?と微妙に引っ掛かる。4歳児とは言え、風邪だろうとは思っても…。今、自分自身の体調管理が大事な時で云々と、快く引き受けられないでいた。
明日には病院へ! その様子を見て、と返事。日曜日に、雨の中公園で遊んでいたからかも?というではないの。
10日には兄の方が前日の川遊びで風邪を引いたらしく、小学校を一日だけ欠席していた。

今は高齢者だけでなく、健康管理にはもうちょっと気を配ってやらないと???とヒトコト言うことにした。
気候も変わり目なうえに、今の世の中の状況をよく見てよ、と言いたいねー。


ようやく新生姜を手に入れたので、教えて頂いたように細かく刻んだ新生姜を黒酢と蜂蜜でつけてみた。味がなじむまで一週間ほど冷蔵庫で寝せてやるのがいいと。

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いつでもちょいと役に立つ

2021年05月17日 | 日々の暮らしの中で

昨年覚えた〈実山椒の甘だれ〉を作り、続いて今年新たに「万能ニラだれ」を作った。こちらは5月の連休前に作ったので2回目となる。

■材料(作りやすい分量)
 ニラ    1/2束(50g)
 ショウガ 20g
 白ネギ 20g
 ニンニク 10g
■調味料
 しょうゆ 100ml
 酢 50ml
 砂糖 大さじ 2 1/2
 トウバンジャン 小さじ 1
 ごま油 小さじ 1
 ラー油(お好みで)
■作り方
①ニラ、ショウガ、白ネギはみじん切り。ニンニクはすりおろす。
②容器に①を入れ、調味料を入れる。
③すべてよく混ぜて冷蔵庫で保存する。

ニラ100gを使って、分量はすべて倍にしたものの、いとも簡単。
冷ややっこ、豚しゃぶ、チキンでもトンカツにでも、まさに万能。孫でもおいしいと口にしていた。山椒はあまり…、と乗り気ではない娘だが、一度〈実山椒の甘だれ〉を味見をしてもらおうと作り置いた。送ることにしよう。
常備菜とはいいがたいにしても、「いつでもちょいと役に立つ」。


日中の雨はさほどでもはなかったが、しけっぽさを肌で感じる一日だった。
ニラ、ニンニク、山椒など香物の臭いが身に沁みついたような午後。大木の山法師の白さが目にクスリ。
白いのは花弁ではなく、総苞片といって蕾を包んでいた葉の一部なのだという。白い4枚の総苞片の中心に、花が咲く。

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季節のもの

2021年05月15日 | 日々の暮らしの中で
飛び石伝いに対岸に渡り切ろうとした足元に、腹部がみどり色をしたトンボが飛来。飛び去ることもなく、すいーっと回ってまた止まった。


今年も賀茂川の河川敷に銀色になびく茅花(つばな)を見つけた。この名を知ったのはここ数年前のこと。


昨日買い物に出た折に、実山椒が売られているのに気づいた。ちょっとお高いなあ…という思いで迷いが生じたのも正直なところだったが,今年は絶対に手に入れたかった。なので、気合を入れて!
帰宅後すぐに下茹でをし、小枝を取り除いて小分けし、冷凍保存した。毎年欠かさずあった実山椒だったが、この1年はその姿が消えていた。それというのも…。

一年前、新聞で「実山椒の甘だれ」のつくり方を知り、前年の残り分150g分で試すことにしたのが6月も半ばにかかる頃だった。万能ダレとなってひと月たたずに使い尽くしたところで、さあ大慌て。何をぼんやりしていたのか。こんな時期になってどこを探したってあるはずもない。けれど近隣のスーパーや大型店舗にも足を運んだ。当然ながら遅かった。口惜し、口惜し!と、ただただもう落胆。
あの頃は買い物に出る回数も控えていたし、手早く買いそろえては店を出る日々だったから、何かが欠如していたのだ。季節に乗り遅れたのはコロナのせいだ、ということにしていた。決して考える力の減退などではない…、と。

今年こそはという思いは実ったことだし、甘だれづくりに取りかかろう。
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やってみましょ

2021年05月12日 | 日々の暮らしの中で
ぽつぽつ雨が降り出した中を、車で滋賀県大津市に向かった。
逢坂山を越える時、感染拡大地域との往来を控えるよう促す電光掲示板が目に入るが、“行くも帰るも”1号線での行き来となる。
文庫本点訳の協力を打診されていたのだが…、一冊を3人での分業となるので依頼を受けることにした。


図書点訳をしてみたい、古典文学の作品なども手掛けられたらいいなという思い(これはかなり独りよがりな思い込みだと後日知るようになった)も心の隅にあって、熱心にボランティア養成講習会に参加。一年間の課程を修了した。
何冊かに関わるうちに、じっとパソコンと向き合っているだけでなく、人とのつながりの中で、覚えた点字が活かせないものかと考えるようにもなって、新たな活動に、市内の飲食店の点字メニュー作りの活動にも参加するようになった。私の視野を広げてくれた貴重な体験だった。

そんなとき、話をいただいて2冊のSF小説を点訳したことがあった。男性からの依頼だった。SFが苦手な私は、打ちながら作品を読むなどというゆとりもなく、とにかく正確にと意識するばかりだった。が、どんなにか校正者の手を煩わせたことだろう。フロッピーディスクにデータを保存してやりとりしていた、もうずいぶん昔のことになった。

担当個所を割り振り、表記法に基づいて共通のルールを確認、共有した。私たちの作業のその先には、ベテランの校正者が控えていて、その後、依頼者の手に渡る。少しは経験を積んできた。寄り合って、人とのつながりが見えることがやはり楽しいと思える。

                            (オレンジの木に花が)
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楽しみは心入れて書を読むとき

2021年05月10日 | 日々の暮らしの中で
5年ほど前になったが、中世後期から近世初期を専門とされる歴史学者・田畑泰子さんが、歴史学、歴史小説について語られた地元紙のコラム「天眼」の切り抜きを手元に残している。

その中で、田畑さんの歴史小説との最初の出会いが堀田善衛氏の『海なりの底から』(1961年初版)だったと知り、かなりの親近感を一方的に抱いたのだった。なぜなら少しく年代は違うが、実は私もそうで、高校時代の恩師から読んでおくようにと勧められていた一冊だった。手にしたのは昭和45年発刊・昭和49年8刷となる文庫本。読後は、遠藤周作文学へと誘われていくことになる作品だった。

大作を次々に上梓された歴史小説家の司馬遼太郎さんのことを書かれている。氏はテーマが決まると関連史料や日記、既刊書等々、自費で100万円以上も拠出して古書店などから買い込み、著作に没頭されたという。このことは私も関西文学関係者からお聞きしたことがあった。不要になった書物、資料はトラック何台分も処分されていたと。図書館に通いつめて探し出した点が自分と異なるが、先行研究を読み込んだ上で熟考するという研究姿勢は同じだと言われていた。


そして、最近(5年程前)新鮮さを感じた作品として、諸田玲子さんの『王朝小遊記』を挙げられていた。それを今、私はずいぶんな後追いだが、読もうとしている。学生時代に藤原実資の「小右記」のほんの一端をかじったことがあったが、知らないも同然。ただ、作品はそのものではないから、実資の小右記がどのように下地としてあるのかなど、わからないことと思う。

誰でも知っていそうでよく知らない時代を背景に、歴史上の空白、未解明な部分を新しい発想に基づいて埋める。作家の腕の見せどころであり、読み手の醍醐味と言えるのだろう。史実との絡みなどわからずにいて作品世界に、「虚」に、酔えるだけの作品なら、それもまた素晴らしい。

『熱源』を書かれた川越宗一さんも直木賞受賞後に語られていた。ー 歴史上の人物を描くに際しては、ひるまず踏み込んでいくのが作家の仕事。それが、その人の人生に対する小説家なりの敬意だと思う、と。このところ続いていた澤田瞳子さんの作品群からちょっと離れて、楽しみたい。


こんな下書きを書いていた昼前、昨日アマゾンを通して注文した『プリズン・ブック・クラブ  コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(アン・ウォ―ムズリー・向井和美訳)が届いた。


『王朝小遊記』を読んで、頭を冷ましてからになる。でも早く読んでみたい。
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心の健康食品

2021年05月07日 | 日々の暮らしの中で

歩いていた少し前方を、3歳くらいと思われる男の子がストライダー(キックバイク)で左右に振れて進んでいた。
車はこないし、くつろいだふうに見える。
別に迷惑にもならないから避けて、端を通れば済むことだった。

「。。ちゃ~ん、じゃまだから止まってぇ」
後方、少し離れたところからお母さんが子供にかける声がした。
更に年少の女児の手を引いて歩いていたのだ。

「すみませーん」
すでに追い越していた私の後ろで、男の子が言う。
振り返って、「だいじょうぶよ~」と応じると、
ふたたび「すみませーん」というものだから、お母さんとの間に笑いが生まれた。
間をおいて「ありがとう」と添えたら、
またまた、「どういたしまして」と返ってきた。

5月の緑が少しずつ濃くなりゆく散歩道。
何かを分かち合ったような…。
それが思い込みだったとしても、この一瞬の和やかさは、どんなサプリメントを摂るよりも、心の健康食品となった。
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雨なれば、大田の沢のかきつばた

2021年05月05日 | こんなところ訪ねて
五月五日、静かに雨が降り続いた。

『枕草子』【10】では、「五月五日は、くもりくらしたる。」とあって、五節句の節目を中心に、その季節美を「…をかし」と描いている。(岩波の日本古典文学大系による)
菖蒲の節句とも言われるこの日、サトイモ科の根の長い菖蒲を軒の瓦に葺いて(挿して)、その香りを楽しんだ。曇って湿度があるほうが、香りはより引き立つものだ。そこで、この日は曇っている方が好ましい、趣深い、ととらえていたのだろう。


雨なので「大田の沢のかきつばた」を見に、大田神社に行ってみることにした。大田神社の参道東側に、カキツバタの群落があるのだ。



ここのカキツバタは古代から咲き続けた花と言われており、2万5千株が自生しているという。京都がまだ湖だった頃の面影を残す泥炭地であることから、昭和14年に国の天然記念物に指定されたことが解説板に記されていた。


    神山や大田の沢のかきつばた深きたのみは色にみゆらむ

神山(上賀茂神社のご降臨山)の近くにある大田神社のカキツバタに(人々が)よくよくお願いする恋事(いろ)は、この花の色のようになんと一途(一色)で美しく可憐なのだろうか。
平安時代の歌人・藤原俊成の歌を引用し、今に多くの人を誘ってきた。平安時代からこの地がカキツバタが咲き乱れる名勝地であったと知れる。
ここ大田神社の湧水でしか生きていけないというタゴガエルが生息しているのを知った。足元から、すぐ脇の溝の流れの中から、くぐもった鳴き声だけがしきりに聞こえてくる。

雨には雨の風情があり、いとをかし。
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明日への種まき

2021年05月03日 | 日々の暮らしの中で
娘の仕事の都合で孫の守りを頼まれた日に、行く先は公園と決まっている。この緊急事態宣言下でも、公園は子供たちの姿でいっぱいだった。わざわざ観光地に行かなくても近隣の公園巡りで十分に満足して体を動かしている。愛車をこいで、公園までの“ドライブ”も楽しみなのが4歳児。

公園に行くのかと思ってついていったら、子供の支援センターへと案内された。駐輪場に自転車を止め、入り口正面へと走る。母親と来たことがあるらしい。「エレベーターの前におもしろいものがあるよ」と、ドアの前に立って正面を見つめるが、どのドアも開くことはなかった。休館なのだ。
4歳児の心を動かす、何かしらの興味があったのだろう。自ら先頭に立ってやって来た、この気持ちを受け止めてやりたかった。「残念だったね。また来よう」。今日のザンネンは明日への種まき。無駄は一つもない、ということか。
並んで、あるいは自転車の後方を私は歩く。一日に2、3回、いい運動をさせてもらう。

両手に孫。雨に閉じ込められた日を含め、4日ほど娘宅で過ごして帰宅した。いつもの静かな生活に戻った。気分転換を図りたかったが、どこへといって飛び立ちかねる。結局私も近場で気持ちの癒しを求めるしかない。


楓の花が咲き、種子ができて、やがて、少しでも遠くに種を飛ばそうと、くるくる回って地に落ちる。その様を「プロペラもみじ」と言うのだと庭師さんから教わったのは何年前のことだったか。
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