京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

名作・大笑

2024年09月05日 | こんな本も読んでみた



徳島県南部の霊峰剣山から、みちのくの蔵王へ。
手にした物語の舞台は移った。

養護施設愛光園で育ち、剣山に鎮座する剣神社の、二人とも60歳を超えた宮司夫妻の養女となった珠子の二十歳までの人生が描かれ、ラストは豊かな余韻を残して終わった『天涯の花』。
そして新しく『錦繍』(宮本輝)のページを開くと、そこは(先ずは)蔵王だった。

 

「蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すらできないことでした。」
手紙の冒頭はこの一文から始まっている。

この作品を知ったのは、乙川勇三郎氏の『二十五年後の読書』の中でで、
作品中、編集者響子が旅先にもっていった本を読む箇所があり、アメリカ文学の「体の贈り物」から「忍ぶ川」「冬の梅」と読んでゆき、「死の島」の語感と長さにためらって、手にしたのが「錦繍」だった。

響子に託し、- 書簡体小説は苦手だが、これは例外で、今や原始的な通信手段となった手紙だからこそ伝えられるもののあることを再認識できてよかったーと書き添えてある。
未読でもあり、“乙川氏の言われる作品だから!”という理由で昨年3月に購入したのだった。

10年ぶりに再会した元夫との往復書簡。
もうしょっぱなから無理心中の巻き添え、離婚、変貌の激しさ…、となんだか暗い、重っ苦しい言葉ばかりが続く。
「地獄」?
でも、“愛と再生のロマン”らしいのよ。せっかく買ったんだし、宮本作品だし、読みつつあるところ。


こちらは、「父のじごく」
って、何を見た? 何があったの? (受けるなあ)と笑いも漏れたが、この発想はどこから…?? 


「父のじごく」「姉のぼう力」だなんて。書こうとした心というのか頭のうちは如何に? 何が潜んでいるのかしら。笑っていればいいのかな。

            9/7 「『父のじごく』??」 を 「名作・大笑」と改題します

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繊細な心と情熱があれば

2024年08月24日 | こんな本も読んでみた

紅蜀葵咲く地の影に暑を残し   石原八束

赤い花でも涼しさを感じさせるモミジアオイ。この猛暑日はいつまで続くのだろうか。
台風への備えも気にかかりだした。

幕末の世(政)情の変化激しい時代に、
十代で南画に出会い、世間という拒み切れない魔物に振り回され回り道をしたが、煩わしい日常と馴れ合わずにきた女の強情。
「強情と強靭な精神は紙一重」としながら、画家になりたいという夢を枯らさない、己を貫く強さを持った一人の女性を描いてみせてくれた。
人はさまざまに心に不自由を抱えているものだが、「繊細な心と情熱があれば、人は丁寧に生きてゆくはずである」。タイトル『冬の標(しるべ)』には、そんな思いを読んだ。

一人の女性の情熱と心の揺れを通して、生きる意味を読んだ。さまざまな両極端を身にからみつかせつつも生きる、人の自由さ。これも文学かな。
派手さはないがじっくりと読ませてくれた。

 

書店で『序の舞』が平積みされたのを目にし、どなたかのブログでキレンゲショウマを見たことが偶然重なったことで、2022年1月に買い求めたままになっていた宮尾登美子さんの『天涯の花』のページを開くきっかけができました。

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クニオ・バンプルーセン

2024年07月26日 | こんな本も読んでみた
クニオは父のジョン・バンㇷ゚ルーセンと母の真知子と3人で、横田基地の家族住宅で暮らしていた。日本で生まれたが学校も基地内だったから外の世界を知らない。
クニオが小学生のときベトナム戦争は終結した。

父は、ニッケルと呼ばれた複座式戦闘機のパイロットだった。その任務は、アメリカ軍の攻撃を自在にするために北側の地対空ミサイルの囮(おとり)になることで、一つ間違えば撃墜される運命にあった。だからジョンの生還は奇跡に等しいものだった。
ニッケルは5セント硬貨のことで、安い命を意味した。
(初めて知ることだった)


日本文学の繊細さに目覚めたクニオ。日本の大学への編入学を希望し、将来の夢を語るなど家族団欒を過ごした夜遅く、父のジョンは拳銃で自殺した。

「生きるか死ぬかの最中には生きようとした男が、命を賭ける必要もないときにあっさり死を選んでしまった。愛妻がそばにいたというのに人はわからない」


クニオは母と二人で日本へ帰って、学んだ。父の死をめぐっては小説にして考えたいと思ったが、執筆の夢はいったん置いて出版社に仕事を得た。
文学から文学へ、本から本へ、編集者として生きた歳月に、予期せぬ病魔が襲う。
病を得た晩年、小説の冒頭の一行を「なけなしの命の滴り」で生んで、ようやく文章が流れ始めるのだった。

〈書き出しの苦悩は、一編の主題を見いだすための苦心でもある。書き出しの文章に苦心するのと、作品の主題をつかむ難しさは同じであり…、どう出発するかという作者の態度に関している〉
佐伯一麦氏が書かれていたことばが重なる(『月を見あげて』)。

あとの推敲、手直し、書き継ぎ、すべてを任せられる人がいた。彼女には「アニー・バンㇷ゚ルーセン」と名乗ってほしいと望んだ。
最期を迎える静かな描写が胸に沁み、深い余韻の中に引き留められる。何度も読み返していた。


作者の文章論、文学論、作家論が随所に読めるのはいつものことで好みではあるのだけれど、
なぜかな、今回ちょっと鼻についた。
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12の人生

2024年07月17日 | こんな本も読んでみた
芥川の作品集や『掌の小説』(川端康成)の中から時おりランダムに読み返すことはあるけれど、どちらかと言えば好まないということもあって、進んで短編小説を読むことは本当にまれだと思っている。
そんな中で、ずいぶんかかったけれど澤田ふじ子さんの『花暦 - 花にかかわる十二の短編』を大満足の中で読み終えた。


一編ごとに、ヒロインの日々の営みの中で花が深い関わりを持ち、運命さえも変えていく展開を見せる。

限られた紙面(原稿用紙13枚だとか)の中で、歴史や風土、文化、人情にも触れた12の人生を見せられながら、澤田ふじ子が描く世界のつながりの色濃さが、読後の満足感となったようだ。
もちろん構成の巧みさも大きい。
ひとつ読み終えるたびに、(おぉー!)(いい!)(巧いなー!!)と唸った。
久々に短編の妙味を味わった気がしている。

無駄を省いた端正な文章。語り過ぎない中で、繊細な思いが込められている。
とりわけ結末部分については、語られない行間に感動が生まれる。

〈いいたいことすべて書く必要はありません。
 短い文章で書き尽くせば(言い尽くせば)よいのです〉
乙川勇三郎氏の作品にあった一節だが、改めて心に刻みなおしたい。


空が暗くなって一雨あったりしたが、そろそろ梅雨明けになるのだろうか。
花茎を伸ばしハゼランの花が咲きだして、葉陰にはこんな茶っぽい小さな蛙が2匹姿を見せるようになった。

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絵に魂を込めるなら

2024年06月26日 | こんな本も読んでみた

浅井長政の家臣・海北善右衛門綱親の3男として1533年、近江国坂田郡に生まれた友松。
家督を継いだ長兄は、友松13歳のときに東福寺に入れた。

中国の毛利氏の外交僧として活躍する安国寺恵瓊、生涯の友となる明智光秀重臣の斎藤内蔵助利三との出会い。
光秀、信長。永徳。

「武士は美しくなければならない」- 生き方がいかにすぐれているか。
「美しいだけの絵が何になろう。絵はおのれの魂を磨くために描くものではないのか」
群雄割拠する時代。いつか還俗して武士として生きたい。そう思いながらできぬまま「人がこの世に生を享けるのは何ごとかをなすため」、自分のすることは何だろうと問い続け生きてきた。

法華宗を〈安土宗論〉で裏切った信長。「法華の蜘蛛の巣に捕らわれることになりましょう」
歴史の展開を知っているだけに、信長の正室・帰蝶が言い放った言葉は私に先を読みせかした。
〈本能寺の変〉の後、友松は建仁寺の下間三の間に、八面の襖の中に対峙する阿吽二形の双龍を描いて、この世を救った正義の武人、明智光秀と斎藤内蔵助の魂を留め置いた。

墨一色で描きながらも華やかな色彩を感じさせる(如兼五彩- 墨は五彩を兼ねる)〈松に孔雀図〉など、すさまじいまでの気迫が込められた画風の世界を繰り広げていった。

「絵とはひとの魂をこめるものでもあると思い至りました。この世は力のあるものが勝ちますが、たとえどれほどの力があろうとも、ひとの魂を変えることはできません。絵に魂を込めるなら、力あるものが滅びた後も魂は生き続けます。たとえ、どのような大きな力でも変えることができなかった魂を、後の世のひとは見ることになりましょう」

「人としてのよき香を残す」。恵瓊は言い残して去った。
「ひとはなさねばならぬ生き甲斐を持っておれば、齢のことなど忘れてよいのではありますまいか」
60を過ぎて20代の清月と出会い、子をなした友松。これは清月の言葉。
晩年は風雅の交わりを好むようになったそうで、悠々自適の暮らしの中で絵を描き続けたという。

巻末の澤田瞳子さんによる解説で、この作品が上梓されて10カ月後に葉室氏は急逝されたことを知る。読了したばかりで、まだ様々な言葉が自分の内に収まっていないのだが、葉室さんは、小説の中で生き方の模索を主人公たちに託して描いてみせてくれた。

龍の絵を観て心安らぐような私ではないが、いつだったか海北友松の展覧会をやり過ごしたのを残念に思い出しながら、それもしかたないこと、何ごとも個々に合った時期があるのだと思う。
                             ※  /27 少し加筆しました
      
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怠らずに咲いて

2024年06月18日 | こんな本も読んでみた
マッシュルームとプチトマトとをオリーブオイルで炒め、希釈していない麵つゆで味付けする。
茹でて冷水でしめたうどんの上にそれをのせ、ルッコラやサラダ用ほうれん草など緑の葉を周りに散らす。上から黒コショウをがりがりっとかけ、最後に、リンゴ酢を回しかけていただく。
ー 彬子さまの食欲がないときのオリジナル料理〈サラダうどん〉のできあがり。


試してみたいと気持ちはそそられるのですが彬子さま、丼ご飯に野菜炒めをのせて、さらにそこに納豆まで乗せて食べていたという。
「意外に美味しい」と言われるお方のオリジナル…、お味はいかに?

楽しい話は相手を楽しませることができる。辛かった話はいたずらに相手を心配させる。だから苦労話はしないで来たという。でもこの留学記ではどちらの体験も綴られ、生まれて初めて猛抗議したという話も知れる。

出会われた人たちが魅力的だ。人は人との出会いが自分を成長させるものだとつくづく思ったし、多事多難、何をやってもうまくいかない日はあるものだ。
それでも苦労を重ねても己の道を進もうと学問を続ける。「一念通天」、固い決意を抱いて一心に取り組めば、誠意は天に届き、物事を成し遂げることができる。
そんなお姿を拝見させていただいた。

X(旧ツイッター)で「プリンセスの日常が面白すぎる」と投稿した人がいて、反響をよんでいると。きっかけを作ってくれた読者に彬子さま直筆のメッセージ入りの本が届けられたそうな。そんな書評の一面にも誘われて手に取った。とても面白く気持ちよく読み終えた。


怠らで咲いて上りしあふいかな   才麿


下から一つ一つ咲きあがっていくタチアオイの花に重ねてみる…。
雨風に横倒れしたけれど、華やかに美しい花を咲かせている
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「とわの庭」

2024年06月06日 | こんな本も読んでみた
とわは目の見えない女の子、そんな前知識だけで読み始めた『とわの庭』でした。
全てが過去形で語られることに、不穏な展開を予感しつつ…。


目が見えないとわのために、母が作ってくれた“とわの庭”。予想がつきます。香り、匂いです。
ジンチョウゲが春の到来を告げ、モクレン、カラタネオガタマ、タイサンボクと夏に移行していく。数えきれない四季の移り変わりを経て、とわは自らの意思で外への扉を開けた。
髪は膝の後ろまで伸びていた。


目が見えないぶん、鋭敏なもろもろの感覚。
とわは美術館のカフェの雰囲気が好き。
【天井が高く、開放的。人々が話す声のざわめきも、オーケストラの演奏のように心地よく響く】
人にもあるそれぞれの匂い。それを【人の存在は花束のようなもの】と表現する。
一人の人の匂いにも、いくつもの匂いが紛れていて、それが一つに合わさって、その人独自の花束を作っている、と。


変えられない過去の足あと。わが身の不幸を嘆いてまわっていては、せっかく扉を開けた人生がつまらないもので終わる。
今の足あとは拙劣であっても、出会いや体験を繋ぎ合わせることで世界を広げるとわ。

これは、互いに響き合い、通い合って生きることに深い喜びを感じる身に、とわさんもお育てていただいてゆくのですな。如来は限りない大悲をもって迷えるものを哀れみたもう。
などとは、ちょっと飛躍し過ぎ?


ほんの少し心をひらけばいいのに、いつの間にか心に育った偏見や思考停止が、さまざまに境界線を引いてしまうことって誰しもあるのではないだろうか。
隣は何をする人ぞ。ご近所さんへの無関心。それでいいのだろうか。
人の痛みや苦しみに無関心ではいられない、慈愛の心。
忘れちゃいませんかと胸に問い直したい。



※読後私感(追記 6/9)
 帯にある「生きているってすごいことなんだねぇ」ということばに、確かに、と思う。
 ただ、不満に思うのは、とわと言う人間像の厚みのなさ。
 もっともまだ30歳になったあたりのとわ。人なかに出てわずか10年余だけれど、その10年の「切り拓く新たな人生」にしても事は都合よく進み、物語に深みが感じられない。
 ここまで順調に来た、逆境を乗り越えてよかったね、の物語なのだろうか。
 
著者が描くとわの感覚の豊かさ、白杖と盲導犬と歩く場合の違いなど、読んで知ることから「よかったね」を一歩進んで、他者への思いやりを育むこともできる。知ることが始まりの一歩なのだと、かつて嫌と言うほど耳にした言葉が思い出された。 
                ・・・ことなど、やっぱり書き残しておきたい  


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この世を喜ぶ術

2024年05月28日 | こんな本も読んでみた
画鬼とも呼ばれ、茶会を催す髑髏、妖しいほどに美しい地獄太夫、美女の前にやに下がる閻魔さま、麒麟、白澤(はくたく)、土蜘蛛、狐火などと奇矯かつ独創的な画風で人の目を喜ばせた絵師・川鍋暁斎。
錦絵を得意とする歌川国芳を最初の師とし、その後写生を重んじる狩野家で修業を積んだ。
その娘として生まれ、明治大正を生き抜いたとよ(曉翆)の葛藤の生涯が年代記ふうに描かれていた。

並の人間は、暁斎の絵の一端を真似るのが精いっぱい。父に少しでも近づこうと足掻き続けた異母兄の周三郎(画号・曉雲)とて越えることはできぬまま死んでいった。とよ(曉翆)も遠く及ばない引け目を抱え込む。師であり父親への、さらには兄妹間の、反目、「憎悪と愛着」。

有名無名を問わず〈いくつものの星が、あるいは志半ばに、あるいは自らの生涯を生き尽くして落ちていった。それぞれの星は消えたとて、彼らの生きた事実は空の高みに輝き続けている。〉けれど、眩しかった輝きを指し示す案内人がいなければ、やがてすべては忘れ去られる。
その役を務めたとよさん。父について語ること、それは亡き星々への敬愛であり鎮魂でもあるだろう。


読みかけだった『星落ちて、なお』を読み終えた。評伝のような小説だった。少々説明的だったかな。地味だなって感じたけれど、おかげで私はここに知ることを楽しめ、足元を照らしてもらえた。

作中に登場した横山大観、菱田春草、下村観山の名。これら聞き知った名前が26日付の朝刊に「菱田春草と画壇の挑戦者たち」となって反映された。
春草生誕150年展は美術館「えき」KYOTOで7/7まで開催とある。
無事に右目の手術を終えられたら機を見て足を運んでみよう。
また、美人画に関しても「君があまりにも綺麗すぎて」展が開催中(~7/1)。
もひとつ付け加えれば、「墨にも五彩あり」、堂本印象の墨の世界の展覧会にも魅力を感じている(堂本印象美術館 6/5~9/8)。

自分のため、人のため、「この世をよろこぶ術をたった一つでも知っていれば、どんな苦しみも哀しみも帳消しにできる。生きるってのはきっと、そんなものなんじゃないでしょうか」

わずかに道を照らす灯があれば、これからの日々にもためらわずにいられる気がしたとよさんだったけど、灯りはいっぱいあった方が周囲はよく見えるし、けつまずかなくていいわね。
と、欲深いことを気にしいしい思う。


カタバミの葉っぱを少しちぎって古い10円玉をこするとピッカピカになるという。葉から出る液のなかのシュウ酸という成分の働きで錆が落ちるからなのだそうな。
何ごとも真新しくすればいいものでもないけれど、無事に明るさを取り戻せることを思って清兵衛さんの言葉を反芻している。
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三様の絵巻

2024年05月08日 | こんな本も読んでみた

狩野永徳と長谷川等伯二人の絵師にまつわる作品『等伯』『花鳥の夢』に次いで『闇の絵巻』(澤田ふじ子)を読むようになって、作品が世に出た年月にふと思いがいった。
『闇の絵巻』が1936年、『花鳥の夢』と『等伯』の連載が始まった時期は前後するが、連載終了は2012年の8月と5月でそれほどの違いはない。
ただ澤田作品から実に26年余を経ての2作品の登場になる。


同じ時代を生きた二人の絵師の半生が、三者視点は異なるが三様のロマン、物語で構築された。

画風も違えば地位も名誉も異なる。
【絵師は求道者や。この世の名利に目がくらんだらあかん】(『等伯』-近衛前久のことば)
【「心だにまことの前にかなひなばいのらずとても神やまもらむ」】(『闇の絵巻』-さきの内大臣九条稙道)
我が道を行くのが肝要と励まされるが、今を時めく永徳と肩を並べたいと苛烈な競争心に燃える。そして焦り、嫉妬。


【画技がいくらすぐれていても、それを十分発揮するには実力者の引きが要った。権力者に寵愛されれば実力が十全に発揮できる。権門冨家へのつけとどけ、ご機嫌うかがい。】
一門の繫栄のための狩野派の政治力、処世の巧みさが描きだされた。
等伯殺害を企て、長男久蔵の命を奪う。これも組織の中で、一門のため…。

いつの世も、新しい力が興ろうとするときには必ず古いものの力がこぞってそれを誹謗する。新しい力を感じて不安に駆られるのだ。


一族の繁栄のために、権力者の意向にそうような大画ばかりを描かねばならなかった永徳。
5年余の歳月をかけて永徳とその一門が安土城で描き上げた数千枚にも及ぶ障屏絵(へだてえ)は、灰燼に帰してしまう。
この安土城での日々にはさまざまに筆が費やされ、興味深かった。
あらかた失われた永徳の絵に比べ、等伯の絵は多く残っており、美術史は永徳より等伯の作品に重きを置いている、と書き添えてあった。


人はそれぞれに重荷を背負い、心に闇を抱えながら、その先に光を求めて必死に生きている。
その人の生きる姿、何をなしたかが問われるのだろう。どんな地位や名誉を手に入れたかではなく。
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老い木に花を

2024年03月28日 | こんな本も読んでみた

世阿弥の生涯 ― といっても、足利義教によって佐渡へ遠流となって、赦免(帰洛の赦し)の報せが届くまで、8年余りの暮らしを題材にしている。

八十路に達しようという年齢になった。
佐渡で出会った縁は、思いもよらなかった恵まれた環境だった。6つ7つだった童のたつ丸をはじめとして、世阿弥を慕う人びとがいて、あたたかな心を結んできた。
そして能一筋、一途な人生を生きる佇まいは、老いても美しかった。

己れ(世阿弥)、亡くなった息子の元雅、武士を捨て出家した了隠、3人の視点から物語は語られ、世阿弥像が膨らむ。
72歳の身で「まったく咎なく、勘気を蒙って」遠流となった佐渡での暮らしだが、読み進めるにつれて幸福感をもたらすものだった。


配流先が伊豆でも隠岐でも土佐でも対馬でもなく、日蓮、順徳院、京極為兼、日野資朝といった先人が流された佐渡であったこと。
著者は、この地で亡くなり沈んだ霊の数々に手向ける花になろうとする世阿弥を描いた。とりわけ〈順徳院の悶死するほどの悲しみを謡にして弔い、せめてもの供養としたい〉と能「黒木」を描かせ、寺の法楽とした。

「世阿弥殿はよろずにおいての師、また良き翁であるゆえ、離れがたき想いは重ね重ね強」くなる。けれども、「世阿弥殿の帰洛をかなえてやるのが、我らが佐渡人のつとめ」
一方で世阿弥は、
「何から何までお世話になり申した佐渡のひと人への礼」として、「西行桜」演能を決める。

世阿弥の舞の所作や謡の箇所の描写は、簡潔に美しく、引き込まれた。
読後、著者藤沢氏は謡、仕舞を観世流の師に師事中であることを知る。なるほど!の描写だった。

「花なる美は、十方世界を変えましょう」
「佐渡の四季折々の美しい景色とともにあった童が、言葉を覚え、詞章を覚え、調べを覚えて、より法界の真如を探す時期に来ているのであろう。十方世界の美にもっとも近しいものは、たつ丸かも知れぬ」

能に詳しくなくても、暖かなものがこみ上げる作品だった。
心がぬくとうなった。


よい小説には幸福感があると、辻原登氏が言われていたのを思い出す。
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親子の関係

2024年02月25日 | こんな本も読んでみた

自分で自分の人生を選ぶことができない。
選択肢のない人生の辛さを知る父親二人は、子供には苦労させたくない、自由に生きてほしいと一方的に思いを架ける。
家族とはいっても、人はいろいろな価値観や感情で生きているのに。

子供の意思を奪うことになったり、双方が思いを言葉にしないために、情に薄く冷たい人間だと父への理解も進まず、親子関係はこじれてしまっている。
とは言っても、親が子を思う、それぞれの事実の中には普遍性があって、真実と思えるものがある。



家族の解体や再生への希望が表から裏から、丁寧にすくい上げられる。
人間同士の関係はほんと厄介だ。人間関係がなければ、なんの苦労もないのだろうが・・・。それじゃあ人生は空白だ、という思いに納得する。
人と人との関係も、南部鉄器のように多くの工程をたどり、繊細な、シンプルで強い模様がデザインされていけたらいい。

「辛い思いをしたあなただからこそ、誰かのためにできることがきっとある」
補導委託を受けたことで、人間関係が浮き彫りになって、糸がほぐれていくラストは心地よく、あたたかだった。

折に触れての岩木岩手山の描写。チャグチャグ馬コの行列に少年春斗が見せる笑顔。印象深いシーンだった。



固かった紫陽花の冬芽がほころび始めた。

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赤色浄土

2024年02月16日 | こんな本も読んでみた
赤地にこの「絵師金蔵赤色浄土」の文字。「赤色浄土」の文字は、かなりのインパクトをもって飛び込んできた。
棚から引き抜いて、この装幀に目を見張った。
なんの情報も持たない初めて読む作家だが、これは出会いだった。


【幕末の動乱は土佐国も大きなうねりで吞み込んだ。様々な思想と身分の差から生じる軋轢は、人々の命を奪っていった。金蔵はそんな時代に貧しい髪結いの家に生まれた。類まれなる絵の才能を認められ、江戸で狩野派に学び「林洞意美高」の名を授かり凱旋。国元絵師となる。
しかし、時代は金蔵を翻弄する。人々に「絵金」と親しまれながらも、冤罪による投獄、弟子の武市半平太の切腹、そして、土佐を襲う大地震…。
金蔵は絵師として人々の幸せをいかに描くかに懊悩する。やがて、絵金が辿り着いた平和を願う究極の表現とは…。】 (帯裏に)


「知で血を洗う出来事は、血をもって浄化するしかない。死んでいった者、今生きて不安を抱えている者たちの魂をおさめたい」

人間の喜怒哀楽の感情を文章によって丁寧に紡ぐ。その描写が人間を立ち上げるのだろう。
絵画では、苦悩、怒り、喜び、哀しみをどう描けば訴える力を持つか。金蔵の「仰天するような構図、強烈な色彩」は、すさまじさあふれるものだった。



江戸では、浮世絵師、川鍋暁斎が人気を得ていた。彼の名が2回ほど作品中に出てきた。暁斎の娘とよ(暁翠)を主人公にした『星落ちて、なお』(澤田瞳子)がある。ここへ流れようかと迷ったけれど、今日の書店行きには目的があった。

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春立つ日を前にして

2024年02月03日 | こんな本も読んでみた

梅は春一番に咲く花ですが、まだ春ではないのに「年の内の雲間」に「春待たでほほ笑む」白梅を今日、よそさんの玄関先にながめました。
「年のうち」というも「今宵ばかり」の今年。年が明ければ春です。(…と、冷泉貴美子さんの「四季の言の葉」を参考に)


母親の婚約者に家から閉め出されて、夜の公園で本を読んでいた8歳の律。姉の理佐は高校を卒業し短大に合格したのに、入学のための費用を婚約者のために母親は使ってしまっていた。理佐は妹を連れて独立を考えた。


蕎麦屋さんで働くことになり、そば粉を挽く水車小屋にはネネという名の鳥・ヨウムがいた。
「仕事をして、ネネの世話をして、周りの人や知り合った人々に親切にして」、二人は暮らしてきた。
姉は18歳から、28、38、48、58と齢を重ね、妹の律も8歳、18歳、38、…と齢を重ねていく。極めて長編の物語は新聞に連載されたものを加筆修正したとあった。

「自分は…これまで出会ったあらゆる人々の良心で出来上がっている」

「二人の生活が心配でたまらないけれど、なんとか暮らしを立ち行かせようとしているのを見て、自分がその手助けをできるんだと思った時に、私なんかの助けは誰もいらないだろうと思うことをやめたんですよ」
8歳だった律を受け持った藤沢先生は62歳になっていて、48の律に話した。

自分が生きることが他人が生きることと結び合っているから生きることが楽しくなる、と言われたのは、むのたけじさんだったと思う。
そうそう!と、〈パドマの誓い〉とされていた好きな言葉が浮かぶ。
   原石のごとく
   比べようのない輝きを有す あらゆるいのち。
   それらのいのちは相互に照らし合って 
   自己を知り、 
   より深い輝きを放つ。

『水車小屋のネネ』。さまざまな感情を体験させられて、何度も鼻の奥がじーんと詰まって、涙になるのだった。
人が人の〈善意〉という部分をわかり合っている。だから、あたたかくもしみじみとした読後感なのだろう。

冬の終りに、心温めた。
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能登の海は

2024年01月09日 | こんな本も読んでみた
「能登の海は目が覚めるほどの群青色で、底まで澄み渡っていた。この地に生まれた桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539~1610)もこの海を見ただろうか」

こう書き始まるのは2019年5月19日付の地元紙コラムで、
「今年生誕480年。石川県七尾市の武家に生まれ、染物屋の養子となった等伯は、後ろ盾もなく30代で京に上り、名門狩野永徳と肩を並べ渡り合った」と続く。
能登と京都の人々は琵琶湖の水運で今以上に緊密に行き交っていただろうとも書かれている。

古いスクラップをめくっていたのは、就寝前のわずかな時間に読み継いで、『花鳥の夢』(山本兼一)を読み終えたからだった。


安土桃山時代、足利義輝、織田信長、豊臣秀吉など、時の権力者たちの要望に応えて多くの襖絵や障壁画を描いた永徳。長谷川等伯との出会い、確執。一門を率いる棟梁としての苦悩。乱世に翻弄されながらも天下一の絵師を志す生涯が描かれていた。
今一度ざっと全体を振り返るつもりでいる。

ライバル、『等伯』(安部龍太郎)を先に読んでいた。

そのせいか読後は、大徳寺三門の楼上の天井に描いた龍の絵のことなどが思い出され、公開されるんだったかな??などと思いがいったのだった。
スクラップには忘れていた古い記事が現れた。

書き出しの一文は、まさに現在の能登の姿が暗く覆い尽くしてしまう。
もうはるかに昔のこととなり海の青さも薄れているが、輪島を訪れ、七尾の温泉旅館に泊まったことがあって、なんとも切ない思いでコラムの書き出しを読み返す。
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親しみ

2023年12月15日 | こんな本も読んでみた
小学校5、6年次を担任していただいた先生に会いに出かけていった孫娘。彼女の卒業に続いて入学した弟のTylerも、2年間受け持っていただいたこともあり、さらには末のLukasと先生の最初の子供さんが同年という生まれになって、家族中で親しみを覚えるという出会いになった。
お土産と幾枚かの写真を袋に入れて、ちょっとおめかしの18歳。

個人別懇談の最中だったとか。
「えっ! えーーっ、ジェシイ? ジェシイ!?」先生のこの驚きようがいかにも嬉しかったのか、帰宅後何度か再現してみせる。
弟の話、自分の今後の進路など短い時間ではあったが言葉を交わし、12歳の夏祭りに出あって以来という再会を果たした。

そしてもう一つ。弟たちから預かった手紙やカード、写真を「おっちゃんち」に届ける。
おばちゃんに歓待され、「まあ上がってあがって」と。びっくりされたようで、孫娘を前にLukasと母親と、ラインでのオシャベリが始まったとか。

宝塚線を下りて、道順はすぐに思い出したという。歩いて、自転車で、よく利用した道はまだまだ記憶にあるようだ。


掃除だけは済ませて、帰ってくるまでの時間は完全休養にあてることにした。

  中古書店で偶然に見つけた『おひとりさま日和』。
6人の作家による短編集だが、最後の1作品を読み終えた。
年齢も育歴も職歴も現在の環境も様々な6人の女の生きる日々の陰影や明暗が6編の情緒となって味わえる。「つながり」の現れ方が6様で、興味深く読んだ。個々が人と、どこで、どんなふうにつながりを持つか。それは生き方となって、面白くもあった。


北村作品も、このところの就寝前の時間を利用して読み継いだ。シリーズはもう4までで打ち止めとする。
文章の静かな味わいを通じて作品世界に引き込まれていく。人間模様がなんとも言えぬ温かさ。文学部の女子大生の語り、噺家春桜亭円紫が探偵役で、謎が解かれていく。出会えてよかった作家、そして作品。
主人公が取り上げていた『奉教人の死』を再読してみたくなっている。

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