京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

縁に咲く華もある

2025年03月04日 | こんな本も読んでみた
昨年の大河ドラマは(ああ、ドラマだなあ)と思いつつ、途中パスする回もでてきたが、今年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 」は、はるかに興味を持って観ている。江戸の出版文化が作られていく過程が、蔦屋重三郎を通してどう描かれるかに関心がある。


山東京伝のもとに書塾を営む沢田東里が訪れ、越後の鈴木儀三治(俳号・牧之ぼくし)が書き集めた北國の奇談の草稿に目を通してもらえないかと相談をもちかけた。

その絵の巧みさに目を奪われた京伝。
聞けば儀三治は19歳のとき行商で江戸に出た折、沢田東里の父のもとで書の手ほどきを受け、越後にあっては狩野派の門人に絵を学び、俳諧も村人たちと楽しむ男だった。
耕書堂を営む蔦屋重三郎と京伝とは17年にも及ぶ付き合いがあったが、この5月に死んでしまった。どの板元に…。
「承知の助だ。まずは預かってみる」と京伝だったが、さてここからが長い。

京伝、馬琴、玉山、芙蓉、様々な戯作者の手に渡りながらも頓挫が続く。『北越雪譜』刊行まで40年のときを要した。
実に多くの板元や戯作者(その作品名もだが)が登場し、交錯する人間関係、思惑が展開するが、何を機に、どうあって実を結ぶに至るのかと興味を引っぱられる形で読み終えた。

松岡正剛氏によると、鈴木牧之が交流した人士は、交わした往復書簡を貼りつけて綴じた『筆かがみ』というものに丁寧に残しているため、大体がわかるのだという。
また氏は「原画は牧之が描いたが、仕上げは京伝の息子の京山の手が入った」と書いているが、作品中では京山は弟であった。京伝に実子はいなかった。史実の脚色はさほど簡単ではないというが、どうなのだろうか。
それにしても越後と江戸の遠さよ。



夫・吉村昭の死から3年あまり
〈生き残った者のかなしみを描く小説集〉、5作が収められた『遍路みち』(津村節子)。
「私の身辺のことを綴ったものばかりを選び、ほとんど事実に近い」とあとがきにあった。


「楽しいことも 嬉しいことも あったはずなのに…、
 悔いのみ抱いて 生きてゆく遍路みち」

夫の死にまつわる騒動のいきさつなど語られ、自らの軽率を省みている。
十分な介護ができなかった悔い。
作家夫婦の暮らしぶりも垣間見え、情愛など染み入るが、どうあっても苦はなくならないという生きることの事実を深く強く思い知らされ、胸を突いてくる作品だった。一気に読んだ。
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梅が、満開ですよ / 梅の蕾

2025年02月16日 | こんな本も読んでみた

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」

諦めていた診療所の医師・堂前が戻って来た。
歓声をあげたいような村長・村瀬の心の内は、夫人から分けてもらった梅の木が今満開を迎えているという歓びの声掛けとなって表われ、しみじみとするラストだった。
この梅の木は、三陸海岸に近い漁村の診療所に家族で赴任してきた堂前医師の妻が宅配便で苗木を取り寄せ、多くの村の人たちに贈ったものだった。
子どもは学校に馴染み、夫人は村人たちと山野を歩き回り、生活にも十分満足して暮らしていた。けれど夫人は白血病だった。

葬儀は湘南にある妻の実家で営まれた。
葬儀には岩手ナンバーのマイクロバス6台に分乗した200人を超える村人たちが駆けつけた。夜を徹してやって来たのだ。
わずか2年の日々に築かれた縁の深さに、思わず熱い気持ちがこみあげる感動の場面だった。


ブログを通じご紹介いただいた「梅の蕾」は、『遠い幻影』(吉村昭)に収められた12の短編の一つだった。
さほど多くは読んでいないが、そのなかでも短編集は初めてだった。

一篇一篇違うテーマで様々な人生を見せながら、それでいて描かれた世界は人間への慈しみが通底している。
短編だからこそだろう、どの作品もラストの切り上げ方がなんとも巧みだ。いいなあ!と思えて余韻に浸る。氏の優しさに触れるせいでもあろう。
文章も滑らかで、どことなく品?があるのをここであらためて感じていた。

表題作の「遠い幻影」では、印象深い記述に多く触れた。
「死はいつ訪れるかわからないが、漠とした記憶を記憶のままにしておきたくない気持ちがある。この世に生きていた間の事柄は、出来得るかぎりはっきりとさせ、死を迎えたい」


母親の壮絶な死を題材にした著者の私小説「夜の道」が収録されていると知って、同時に買い求めておいた『見えない橋』。今夜はこれを…。

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」
早くこう言いたいものだが老木の蕾はまだまだ小さくてかたい。

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豆粒みたいな本屋でも

2025年02月10日 | こんな本も読んでみた
風は冷たいが、久しぶりの青空が嬉しい。


若い人が読んでいて、「よかった!」と言った。どうよかったのかな。読んでみることにした『あの日、小林書店で。』。

主人公は、出版社と書店の間をつなぐ「出版取次会社」の新人営業ウーマン・大森里香。
東京生まれの東京育ちが大阪支社に配属が決まり、戸惑う日々に小林書店の由美子さんと出会うことで成長していく物語といえようか。小説とノンフィクション(由美子さんのエピソード)を融合させた作品になっている。

店の前を誰も歩いてないような場所でも、商売は立地だけではないと思って頑張ってきた由美子さん。しかし、そうでないとわかっても移転するわけにはいかない。店の大きさ、売り上げの実績などで入荷する本や冊数には差別があり、個人商店の経営は難しい。
小さな町の本屋を続けるために、どうやって本を売るか、どう伝えたら欲しいと思ってもらえるか。お客さんの顔を思い浮かべながら行動してきた由美子さんの様々な挑戦は里香の心に届き、支えとなっていく。


本をほとんど読んでこなかった里香は、由美子さんに薦められて『百年文庫』(ポプラ社 全100巻)を読み始めていた。
読んだ本が圧倒的に少ない。そういう自分みたいな人には、誰が薦めてくれたらその本を読みたいと思うだろう。
お客さんからお客さんに薦めてもらう。お客さん100人に選者になってもらって、それぞれに1冊の推薦文を書いてもらおう。
里香が初めて立てた企画「百人文庫」は、書店でのフェアとして採用された。
どうやって100人を確保するか。店の売り上げにもつなげたい。準備は進んでいく。

私にはどちらの体験もないが、楽しそうなフェアがかつて実際にあったのを知った。
ほんのまくらフェア」が紀伊国屋書店で、「帯Ⅰグランプリ」がさわや書店フェザン店で開催されている。
本の中身を隠したカバーに「書き出し=まくら」の一文を載せて、それだけを手掛かりに本を選んでもらう。同様に中身を隠し、本のタイトルもだが、帯のキャッチコピーだけを頼りに選んでもらう、という試みだった。

文庫本に挟まれていた栞には、こんな言葉が書かれていた。
「なすべきことをなす
 という勇気と、人の声に私心なく
 耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
 知恵はこんこんとわき出て
 くるのである。」            (松下幸之助『大切なこと』)

自分は何を大切にして生きているのか。
泣いて笑ってを積み重ねる日々にも、考え続けて取り組めばきっと道は開けるだろうし、自分ならではの価値あるものを生み出していける。そんなことを考えさせてくれた一冊だった。


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本人のカイショ(甲斐性)

2025年01月19日 | こんな本も読んでみた

大学入学共通テストを迎え、また高校受験を控えて中・高生は欠席となるので本堂脇の玄関座敷に場所を移し、いつも通りに寺子屋エッセイサロンは開かれた。お隣さんがすぐ近くという近距離で、何かいつもより真剣な?深い合評会になり得た気がする。
今朝新聞に掲載された問題に目を通してみたが、問題文を読むにも根気が要る。解答してみようという気にもならない。それでもいくつか解いてみた。
努力を重ねてきたことを心の軸にして、がんばったことだろう。

入試に通ろうと落ちようが(大学進学に限らずだが)、与えられた環境をどう生かすかは、数学者・森毅さんの言葉を借りるなら「すべては本人のカイショの問題」ということになる。
一生懸命に〈ゆとり〉をもって、と森さん、何かに書かれていた。



西鶴の盲目の娘の視点から描く西鶴一代記。
「大阪では、氏素性も手蔓もない者が知恵と胆力だけでのしていける時代が始まっていた。道頓堀に芝居小屋が立ち並び、新町に廓ができた。分限者となった町人は暇に飽かせて俳諧に近づいた」

西鶴は早くから貞門派に学び、西山宗因に入門して談林俳諧の世界に身を置き、やがて浮世草子作家として名を成していく。
9つで母を亡くした娘おあいが生きるこの世の〈音と匂いと手触り〉の優れた描写。心の動きに、おあいならではの感覚が丁寧に紡ぎ出され、西鶴の人間像に迫る。
出版文化の隆盛に乗っかって制作は相次ぎ、版元との駆け引きも面白いし、同時代を生きた芭蕉、近松門左衛門、歌舞伎役者も絡んでいる。

嫁ぐことなく、おあいは25歳になった。
胃の腑がひどく疼く。「やせてきたなあ」と娘を気遣う父。
「おおきに。さようなら。」最後はこう言ったのかな、言えたのかな…。

「巧みな嘘の中にこそ、真実があるのや」
読み応えある作品でした。
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歓よ。父は今、35歳の冬を…

2025年01月10日 | こんな本も読んでみた

早朝に雪はなかったが、8時頃からか1時間もしないあいだにうっすらと雪がおりていた。
これといって外出の用もなく、寒さに体を丸めて家ごもり。

図書館への返却日まで残り少なになって、『かもめ来るころ』(松下竜一)を、特にⅡ章の〈かもめ来るころ〉に収められた作品の数々が好きで、読み返していた。未刊行の著作集ということだが、〈かもめ来るころ〉は熊本日日新聞に1972年11月14日から1カ月間連載されたという30篇になる。

氏が書く随筆を「貧乏くさくしみったれている」と評してきた人がいたそうだ。
氏は決して声高なもの言いをしない。「その評や、まさに正鵠を射て、私はしょんぼりするのである」
ある晩のことを書いた後、「貧乏くさくしみったれた我が家の愚にもつかぬ一夜の景だけれど、このような一夜一夜のなつかしさを塗りこめてこそ、なにやら人生というものが見えてくる気がするのである」と終っている。

仁保事件無罪判決要請という支援活動に関わり、家にやって来た友とその話をしていたとき、下の息子の歓クンが突然〈オトウサン、カンハ、ヨーセイシッテルヨ」といって、本棚に駆け寄り絵本を一冊抱えてきた。小さな指が指すのは、樫木の妖精だった。
「要請」と「妖精」。2歳の幼子のたわいない勘違い。
このことは「ヨ―セイ」と題して書かれていて、その文中、何にだかわからないけれど愛おしさで胸いっぱいにさせてくれる、こんな箇所があった。

 「歓よ。父は今日のお前のこんな愛らしい勘違いをしっかり書きとめておこう。ほんとうにたわいない些事なのだが、しかしこんな些事をもこまやかに記録していくことで、父である私の今の生き方を、のちの日のお前や健一にいきいきとなつかしく伝えうるだろうと信ずるのだ。

 そして歓よ。私が日々のこんな些事まで記録してお前たちに伝えたいのは、父としての自信なのだ。今の私の行動が、十五年後、二十年後の成人したお前たちの視点から裁かれても、なお父として恥じないものと信ずればこそ、どんな切り口を見せてもいいほどに、日々の些事をすら大切に記録し伝えたいのだ。とうてい財産など築けぬ父であってみれば、伝えうるのはそれだけしかない。父の〈生き方〉を丸ごと伝えて、しかもその中に、きらきらとお前たちの想い出をちりばめておいてやるつもりだ。

 歓よ。お前が二歳の日、要請と妖精を勘違いした小さな出来事は、しかし二十年もの時を経て読む日、それこそきらきらと光を放つ思い出となるのだ。そして、その思い出の核に、仁保事件という人権裁判支援に行動した父の姿をも見るだろう。お前たちが、必ず何かを受け継いでくれるのだと、私は信じる。
 歓よ。父は今、三十五歳の冬を溢れる情熱で生きている。
(そうだ、はさみを使えるようになったお前が、切り裂いてしまわないうちに、その妖精の絵本を仕舞い込んで、遠い先の日の思い出の証に保存しておいてあげようかねえ)


なんかですねえ…、人生についての見方をすごく豊かにしてくれる、深めてくれる、そんな気がするのです。

 

この写真は1968年、31歳のときに生まれた長男健一君が映る(『豆腐屋の四季』収)。この2年後、次男の歓君が誕生。1970年に豆腐屋を廃業されている。
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満ち足りる

2025年01月06日 | こんな本も読んでみた


   初凪やものゝこほらぬ国に住み     鈴木眞砂女
千葉県鴨川に育った眞砂女。
冬も物が凍らない温暖な安房の国への讃歌だと評される句がある。

そんな房総半島の海が見える街を舞台に13篇が紡がれた乙川優優三郎作品『トワイライト・シャッフル』が買い置いてあったので読むことにした。
思うようにならない人生、〈それでも人には一瞬の輝きが訪れる〉。好き度の差はあったが、文章と共に味わう。

私を作った書物として、乙川優三郎氏が様々な年代で出会った4冊について語る記事を読んだことがあった(本よみうり堂)。
20代の頃に出会ったのが山本周五郎の作品で、「そこから人間を学んだ」と言われている。
『赤ひげ診療譚』が一冊挙げられていた。映画にもなって知られているが、原作を読んでいなかった。
小石川養生所の医師、通称・赤髭と、患者たちを巡る人間模様を、見習い医師として働く登の視点から描いている。
〈様々な出来事の根っこには、貧しさがある。貧苦のどん底とはこういうことだと教えてくれる。市井の 汚穢(おわい) まで描ききり、それでいて美を忘れない。長屋暮らしの人々の、善と悪を併せ持った人間を描きながら、その筆は彼らを突き放さない〉

  

暮れに借りてきた図書館本、松下竜一の『かもめ来るころ』。
『豆腐屋の四季』を読んでいたが、その後の人生をほとんど知らなかった。

唐突に豆腐屋を廃業し、ペン1本の作家生活に転身を宣言。
転身を迫った衝撃は、石牟礼道子の『苦海浄土 - わが水俣病』を読んだことで、自分があまりに他人の苦しみに無関心であったこと、ただ自分の家庭を守り、はらからのことを思うだけで精いっぱいだったことを思い知ったからだと書いている。
『追われゆく坑夫たち』の上野英信との交流も読める。
読者との交流話、まだ幼い我が子のと会話、思い出、抗議活動の様子、自らしたためた議決文…。

「松下竜一を目の前にすると、まるで壊れてしまいそうなほどひ弱で、とても竜どころか、むしろタツノオトシゴという感じです」と上野英信が話す。
か細く、体重42キロは、機動隊員に腕をとられ引きずりおろされる時など腕は折れそうに痛かった。痛いと低く声を漏らすと彼らは力を弱めてくれた、と。

周防灘総合開発計画という途方もない巨大開発計画は自然破壊計画であった。自らが旗を振り、反対運動の先頭に立つ。良い幻想で計画に期待する人が圧倒的だったので、たちまち自分は憎まれ者になってしまった。
「あなたは道を誤ってしまった。もういちどあの優しかった(『豆腐屋の四季』の)世界にもどりなさい」
それに対して「私は少しも誤ってはいませんよ。…その優しさの延長に私はいるつもりです」

反対運動に髪振り乱したお母さんたち。反対運動せずに家庭を守ったお母さんたち。
優しさの世界を守ろうとするとき、戦うことこそ優しさであることが現実にはあるのだと言っている。5年後10年後、子供にとって孫にとってという視点で見ると…。
居心地のいい小さな世界から抜け出た勇気に感じることは大きかった。

家に居たことで、小刻みであっても本を開く時間に恵まれた年末年始でした。
自ら満ち足りているという心境は最大の富だという。おかげさまで財産がふえました。
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わがまま者が今日も許されて

2024年12月15日 | こんな本も読んでみた
もうあと半月…。あれこれの算段で頭の中がぐるぐる回ってしまうこの頃なのだけど、反面(もうしばし!)とその思いを押しやっている。
この時期は私に中途半端なゆとりを持たせてくれていて、ましてや今日は日曜日。
いつだって時間は持ち合わせているようでいて、それでも「今日はほんとうの日曜日」なのだ、特別感ありの。だから一日家に居て、何かをしようというのでもなく過ごした。

一年の終りも近くなって思う。わがままものが今日も許されて生きている、と。


読んだ本の記録をノートに残した。
ここには「こんな本も読んでみた」と残しておこう。

 

吉村昭の『雪の花』を原作とした映画が公開されるのを知った。
日本に初めて天然痘が入ったのは聖武天皇の天平7年(735)だと言われている。治療法がなく、死病として恐れられていた。
4年前の夏、息も詰まる思いで『火定』(澤田瞳子)を読んだことを思い出す。そのあと『雪の花』を知ったのだが、漢方を学んだ福井藩の町医・笠原良作の天然痘との闘いの生涯が描かれている。再読し終えたところで、「種痘伝来記」が収められた同氏の『歴史の影絵』を手に入れたのだった。三条にあるブで。

 

立花隆さん。「ひたすらよりよく知ることだけを求めて人生の大半を過ごしてきた」と訃報後の記事に書かれていた。
「知の巨人」の膨大な蔵書をどうされたのだろうと、NHKのドキュメンタリー番組をみていたのだけれど、どうやら後半居眠りしてしまったようで、気づいたら終わっていた。

若いときは本当に面白いと思って文学書に熱中していたが、今は文学書を読んでも面白いと感じることがほとんどない、と書いている。
出版界では読者離れをおこしているが、読者が離れていったというよりは、むしろ今の人たちをとらえるような作品を現代文学が生んでいないということが一番根本的な原因であると思います、と。(そうかしらねぇ、文学を読まないなんて人は…と言いたくもなるが)
あちこちのページを拾って未だ読みつつあるところ。

「老人」という言葉をタイトルに付けるのが気に入らないけれど、妻・音羽信子さんを亡くされて一人になった夜、書棚から手当たり次第に本を抜き出す。
88歳を襲うすさまじい孤独から救い出してくれるのが、一冊の本だったそうだ。新しい本もいい。古い本には生きた時代がよみがえる、と。
それぞれにそれぞれの文学があるのだ。そして、読み浸った時間がそこにある。

「底惚れ」(青山文平)も読み終えている。


葉のぎざぎざも年数が経って丸くなると読んだことがあったが、真偽のほどは知らない。
これは冬の木、「柊」の花だろう。
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生きる甲斐になっている

2024年11月22日 | こんな本も読んでみた

「喫茶シトロン」を会場にして、高齢者6人が月に一度集う読書会〈坂の途中で本を読む会〉は、課題図書を決めて、順番に朗読し、その読み方についても語り合い、物語の解釈に独自の感想を披露する。
それは〈感想という名の想い出語り〉で、わが身に重ねての記憶なのだが不思議と作中人物の眼差しと結びついていて、共感が生まれる。

前店長の叔母のあとを引き継いだ28歳の店長・安田松生。彼は小説で新人賞を受賞したが、送られてきた手紙が心の奥でうずき、書けなくなって久しい。
 
  ほんとうに、あなただけのお話ですか?
  あなたひとりでつくりましたか?
  モン

何かと引きずりがちな安田の、想い出の中の記憶が浮き上がる。
読書会の活動を軸に、周辺の物語がふくらむ。実はそこに仕掛けがあった。それが明かされるのは物語の終わり近くだった。
手紙の差出人も明らかになった。
物語の佳境はどこだった?? まったく伏線に気づかぬまま読み終え、ページをめくりかえした。

「死んでいくには生きがいがほしい」。それは「ここでみんなで本を読むこと」だった。
それぞれに過去を屈託を抱えながら、孤立せずに仲間を見つけ、どの人も自分の人生を生きていることの尊さを思った。生きる喜びは、生き抜く力になる。


そして物語の終りに、谷川俊太郎さんと出会うという驚きが潜んでいた。
訃報を知ったのが読了の二日前。
「この若者は意外に遠くからやってきた、してその遠いどこやらから彼は昨日発ってきた、十年よりさらにながい、一日を彼は旅をしてきた・・・」
会長が谷川俊太郎の第一詩集『二十億年の孤独』の序を誦んじる場面が描かれていたのだった。

ちょっと疲れる読書だったけれど、「生きる甲斐になっている」という93歳のまちゃえさんの言葉は、いつか私も思い返す日がくるかもしれないと思って胸にしまっておこう。
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坂の途中で本を読む会

2024年11月07日 | こんな本も読んでみた
中古書店(ブ)を探し回って買い集めたぶんの『屋烏』まで、乙川勇三郎作品(時代小説)を読み終えたので、現代ものの『立秋』へ。これも読了。
これほど一人の作家に傾いて読み続けたのはいつ以来のことか。数冊ならあるが、これだけの数となるのは初めてかもしれない。

 

ブで見つけて、手に取ってみて、の作品だけではあるけれど、文庫本で買うと読後に読む「解説」が視野を広げてくれることもある。
ただ、知らなくてもよかったなと思う作家のプロフィールを細々と記されるのは、いいような迷惑のような…。

(ああ、終わるな)と思い始めると、どんな文章で最後が綴られるのだろうか、どう終わるのだろうかと期待が先走ってしまう。余韻がまた深い。
次から次と、結果、タイトルから作品の内容がすぐには思い出せない状態でいるけど、氏の文章を味わい、心に残った言葉も数多くある

ちょっと一服、のつもりで買ってしまった『よむよむかたる』(朝倉かすみ)


帯に
【小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉のためだった。
この会は最年長92歳、最年少78歳の超高齢読書会サークル。それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡が一度だけで伝わることもない。この会は発足20年を迎え、記念誌を作ろうとするが、すんなりと事が進むはずもなく…】
とある。

実は先週末に地元紙で読んだ書評がきっかけになった。

コロナ禍で休止していた活動が3年ぶりに再開することになり、メンバーの6人が奇跡の全員集合を果たす場面から幕を開ける。
読書会の在り方がとても素敵に思えた。
課題図書を決めて本を読む読書会ではあるものの、本の感想だけでなく、順番に朗読し、読み方についても語り合う。声色を褒め、抑揚を讃え、物語から受けた印象を話し、独自の解釈も披露する、のだという。

20周年記念誌に86歳の会員女性がこう記したらしいわ。
「誘われるうれしさが、独り者の生活を、いきいきさせます」

どんな物語が待っていてくれるのか、楽しみ楽しみ。さっそく今夜からページを開きたい。

 
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こぶしをあけてみろ、中は空っぽだ

2024年10月07日 | こんな本も読んでみた
9歳で自転車を、14歳で豚、ピーナツ一袋(このときは鞭打ち20回に)などと盗みを繰り返し、19歳では服役していたルイス・ミショー。
彼の生年は諸記録あってはっきりせず、作者は1895年8月4日と設定された。

時代や人々の悪意が自分たち黒人にどんな仕打ちをするかを見てきたミショー。その状況を変えたい。彼はマーカス・ガーヴィーの「黒人は自分たちのことを知らなきゃならない」という言葉に出会い、わが人種は本を読まなければならないと考えるようになった。


黒人のために、黒人が書いた、アメリカだけでなく世界中の黒人について書かれている本を、世の黒人男女が発する声を聞き、学ぶ必要がある。知識が必要だ。自分で学んで、事実を知る。それができる場所が必要だ。
44歳のミショーは、ハーレムに〈ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアー〉を蔵書わずか5冊で開店した。
1939年、人々はまだまだ大恐慌から立ち上がろうともがいている時期だった。


ハーレムで暮らす人たちは本や雑誌を買い求めるためだけではなく、話をするために店を訪れた。店は様々な思想や意見であふれ、店の前の歩道は公民権、教育、政治などについての演説の拠点にもなっていく。
ミショーはあらゆることに自分の意見を持ち、語った。「黒人の手に本を渡すこと」を使命に。書店にやって来る人たちに知識の一部を受け渡していった。


本が買えない少年には店の奥の部屋を提供し、読書を薦め、これも、これも、これもと読むよう周囲に積み上げた。
こぶしを高く掲げ、ブラックパワーのポーズをとる客がいると、「こぶしをあけてみろ、中は空っぽだ」と言って本を持たせ、言った。「いいか、それがパワーだ。黒は美しい、でも、知識こそが力だ」。
髪の縮れを伸ばして黒く染め、撫でつけた客に、「レイ、頭のまわりにつけているものは、寝たらこすれて落ちてしまうだろう。君を死ぬまで支えてくれるのは頭の中に入れたものだぞ」 知識こそが今の若者に必要なものだ。知らなければ身を守れない。「なるほどな」とレイ。

知識を求める多くの黒人たちが、ミショーの店の敷居をまたぎ、この店を図書館代わりにして、教育の不足や欠落を補ってきた。


「私は、誰の話にも耳を傾けるが、誰の言い分でも聞き入れるわけじゃない。話しを聞くのはかまわないが、それをすべて認めちゃいけない。そんなことしたら、自分らしさはなくなり、相手と似たような人間になってしまうだろう。勢い込んで話してくる人を喜ばせ、それでも、決して自分を見失わずにいるには、けっこう頭を使うものだ」

ハーレムに州政府の合同庁舎が建設されるにあたって、立ち退き指示を受け入れた。息子は19歳の大学生。本を売るのは私の生きがいであって、息子の生きがいじゃない。閉店を決めたミショーは80歳になろうとしていた。
5冊から始まった店は、在庫数22万5千冊となった。それに加え、植民地からの独立を果たしたアフリカ諸国の指導者に関する写真や絵画、記念品などがあった。

大量の蔵書をどうさばいたのだろう。閉店前の〈特別セールのお知らせ〉がいい。

通常価格3.00ドルから10.00ドルの書籍2万冊の本を1冊99セントで販売。5万冊の書籍を半額で。子供向けの本も多数ある。
「ハーレムにお住いのお子さんをお持ちの皆さんに、アフリカの子供たちの生活史を描いた2万冊を用意しました。この絵本は、その他の本を購入してくださらなくても保護者の方と来店してくださったお子さんのすべてにさしあげます」

「他書店のみなさん、蒐集家のみなさん、図書館関係者、教員、子育て中の方、大学関係者、どなたでも大歓迎!
そろそろ店をたたもうと思います。私は遠くへ行きます」と呼びかけていた。


ミショーのインタビュー記事や録音、親族が保管していた記録、実在の人物から聞き取った話などを拠りどころに、情報不足の部分は調査に基づく推測で埋められているので、この作品はフィクションになる。
行きつ戻りつ、ざっくりとルイス・ミショー―の生涯を追いなおしたが、作品は年代を追って読みやすく語られていた『ハーレムの闘う本屋』。


本の実物を見て驚いたのは、絵本によくあるA4サイズ大だったこと。

    
 図書館で借りた本で返却し、今手元にありません。
記録しておこうと長文になりました。悪しからず。

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名作・大笑

2024年09月05日 | こんな本も読んでみた



徳島県南部の霊峰剣山から、みちのくの蔵王へ。
手にした物語の舞台は移った。

養護施設愛光園で育ち、剣山に鎮座する剣神社の、二人とも60歳を超えた宮司夫妻の養女となった珠子の二十歳までの人生が描かれ、ラストは豊かな余韻を残して終わった『天涯の花』。
そして新しく『錦繍』(宮本輝)のページを開くと、そこは(先ずは)蔵王だった。

 

「蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すらできないことでした。」
手紙の冒頭はこの一文から始まっている。

この作品を知ったのは、乙川勇三郎氏の『二十五年後の読書』の中でで、
作品中、編集者響子が旅先にもっていった本を読む箇所があり、アメリカ文学の「体の贈り物」から「忍ぶ川」「冬の梅」と読んでゆき、「死の島」の語感と長さにためらって、手にしたのが「錦繍」だった。

響子に託し、- 書簡体小説は苦手だが、これは例外で、今や原始的な通信手段となった手紙だからこそ伝えられるもののあることを再認識できてよかったーと書き添えてある。
未読でもあり、“乙川氏の言われる作品だから!”という理由で昨年3月に購入したのだった。

10年ぶりに再会した元夫との往復書簡。
もうしょっぱなから無理心中の巻き添え、離婚、変貌の激しさ…、となんだか暗い、重っ苦しい言葉ばかりが続く。
「地獄」?
でも、“愛と再生のロマン”らしいのよ。せっかく買ったんだし、宮本作品だし、読みつつあるところ。


こちらは、「父のじごく」
って、何を見た? 何があったの? (受けるなあ)と笑いも漏れたが、この発想はどこから…?? 


「父のじごく」「姉のぼう力」だなんて。書こうとした心というのか頭のうちは如何に? 何が潜んでいるのかしら。笑っていればいいのかな。

            9/7 「『父のじごく』??」 を 「名作・大笑」と改題します

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繊細な心と情熱があれば

2024年08月24日 | こんな本も読んでみた

紅蜀葵咲く地の影に暑を残し   石原八束

赤い花でも涼しさを感じさせるモミジアオイ。この猛暑日はいつまで続くのだろうか。
台風への備えも気にかかりだした。

幕末の世(政)情の変化激しい時代に、
十代で南画に出会い、世間という拒み切れない魔物に振り回され回り道をしたが、煩わしい日常と馴れ合わずにきた女の強情。
「強情と強靭な精神は紙一重」としながら、画家になりたいという夢を枯らさない、己を貫く強さを持った一人の女性を描いてみせてくれた。
人はさまざまに心に不自由を抱えているものだが、「繊細な心と情熱があれば、人は丁寧に生きてゆくはずである」。タイトル『冬の標(しるべ)』には、そんな思いを読んだ。

一人の女性の情熱と心の揺れを通して、生きる意味を読んだ。さまざまな両極端を身にからみつかせつつも生きる、人の自由さ。これも文学かな。
派手さはないがじっくりと読ませてくれた。

 

書店で『序の舞』が平積みされたのを目にし、どなたかのブログでキレンゲショウマを見たことが偶然重なったことで、2022年1月に買い求めたままになっていた宮尾登美子さんの『天涯の花』のページを開くきっかけができました。

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クニオ・バンプルーセン

2024年07月26日 | こんな本も読んでみた
クニオは父のジョン・バンㇷ゚ルーセンと母の真知子と3人で、横田基地の家族住宅で暮らしていた。日本で生まれたが学校も基地内だったから外の世界を知らない。
クニオが小学生のときベトナム戦争は終結した。

父は、ニッケルと呼ばれた複座式戦闘機のパイロットだった。その任務は、アメリカ軍の攻撃を自在にするために北側の地対空ミサイルの囮(おとり)になることで、一つ間違えば撃墜される運命にあった。だからジョンの生還は奇跡に等しいものだった。
ニッケルは5セント硬貨のことで、安い命を意味した。
(初めて知ることだった)


日本文学の繊細さに目覚めたクニオ。日本の大学への編入学を希望し、将来の夢を語るなど家族団欒を過ごした夜遅く、父のジョンは拳銃で自殺した。

「生きるか死ぬかの最中には生きようとした男が、命を賭ける必要もないときにあっさり死を選んでしまった。愛妻がそばにいたというのに人はわからない」


クニオは母と二人で日本へ帰って、学んだ。父の死をめぐっては小説にして考えたいと思ったが、執筆の夢はいったん置いて出版社に仕事を得た。
文学から文学へ、本から本へ、編集者として生きた歳月に、予期せぬ病魔が襲う。
病を得た晩年、小説の冒頭の一行を「なけなしの命の滴り」で生んで、ようやく文章が流れ始めるのだった。

〈書き出しの苦悩は、一編の主題を見いだすための苦心でもある。書き出しの文章に苦心するのと、作品の主題をつかむ難しさは同じであり…、どう出発するかという作者の態度に関している〉
佐伯一麦氏が書かれていたことばが重なる(『月を見あげて』)。

あとの推敲、手直し、書き継ぎ、すべてを任せられる人がいた。彼女には「アニー・バンㇷ゚ルーセン」と名乗ってほしいと望んだ。
最期を迎える静かな描写が胸に沁み、深い余韻の中に引き留められる。何度も読み返していた。


作者の文章論、文学論、作家論が随所に読めるのはいつものことで好みではあるのだけれど、
なぜかな、今回ちょっと鼻についた。
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12の人生

2024年07月17日 | こんな本も読んでみた
芥川の作品集や『掌の小説』(川端康成)の中から時おりランダムに読み返すことはあるけれど、どちらかと言えば好まないということもあって、進んで短編小説を読むことは本当にまれだと思っている。
そんな中で、ずいぶんかかったけれど澤田ふじ子さんの『花暦 - 花にかかわる十二の短編』を大満足の中で読み終えた。


一編ごとに、ヒロインの日々の営みの中で花が深い関わりを持ち、運命さえも変えていく展開を見せる。

限られた紙面(原稿用紙13枚だとか)の中で、歴史や風土、文化、人情にも触れた12の人生を見せられながら、澤田ふじ子が描く世界のつながりの色濃さが、読後の満足感となったようだ。
もちろん構成の巧みさも大きい。
ひとつ読み終えるたびに、(おぉー!)(いい!)(巧いなー!!)と唸った。
久々に短編の妙味を味わった気がしている。

無駄を省いた端正な文章。語り過ぎない中で、繊細な思いが込められている。
とりわけ結末部分については、語られない行間に感動が生まれる。

〈いいたいことすべて書く必要はありません。
 短い文章で書き尽くせば(言い尽くせば)よいのです〉
乙川勇三郎氏の作品にあった一節だが、改めて心に刻みなおしたい。


空が暗くなって一雨あったりしたが、そろそろ梅雨明けになるのだろうか。
花茎を伸ばしハゼランの花が咲きだして、葉陰にはこんな茶っぽい小さな蛙が2匹姿を見せるようになった。

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絵に魂を込めるなら

2024年06月26日 | こんな本も読んでみた

浅井長政の家臣・海北善右衛門綱親の3男として1533年、近江国坂田郡に生まれた友松。
家督を継いだ長兄は、友松13歳のときに東福寺に入れた。

中国の毛利氏の外交僧として活躍する安国寺恵瓊、生涯の友となる明智光秀重臣の斎藤内蔵助利三との出会い。
光秀、信長。永徳。

「武士は美しくなければならない」- 生き方がいかにすぐれているか。
「美しいだけの絵が何になろう。絵はおのれの魂を磨くために描くものではないのか」
群雄割拠する時代。いつか還俗して武士として生きたい。そう思いながらできぬまま「人がこの世に生を享けるのは何ごとかをなすため」、自分のすることは何だろうと問い続け生きてきた。

法華宗を〈安土宗論〉で裏切った信長。「法華の蜘蛛の巣に捕らわれることになりましょう」
歴史の展開を知っているだけに、信長の正室・帰蝶が言い放った言葉は私に先を読みせかした。
〈本能寺の変〉の後、友松は建仁寺の下間三の間に、八面の襖の中に対峙する阿吽二形の双龍を描いて、この世を救った正義の武人、明智光秀と斎藤内蔵助の魂を留め置いた。

墨一色で描きながらも華やかな色彩を感じさせる(如兼五彩- 墨は五彩を兼ねる)〈松に孔雀図〉など、すさまじいまでの気迫が込められた画風の世界を繰り広げていった。

「絵とはひとの魂をこめるものでもあると思い至りました。この世は力のあるものが勝ちますが、たとえどれほどの力があろうとも、ひとの魂を変えることはできません。絵に魂を込めるなら、力あるものが滅びた後も魂は生き続けます。たとえ、どのような大きな力でも変えることができなかった魂を、後の世のひとは見ることになりましょう」

「人としてのよき香を残す」。恵瓊は言い残して去った。
「ひとはなさねばならぬ生き甲斐を持っておれば、齢のことなど忘れてよいのではありますまいか」
60を過ぎて20代の清月と出会い、子をなした友松。これは清月の言葉。
晩年は風雅の交わりを好むようになったそうで、悠々自適の暮らしの中で絵を描き続けたという。

巻末の澤田瞳子さんによる解説で、この作品が上梓されて10カ月後に葉室氏は急逝されたことを知る。読了したばかりで、まだ様々な言葉が自分の内に収まっていないのだが、葉室さんは、小説の中で生き方の模索を主人公たちに託して描いてみせてくれた。

龍の絵を観て心安らぐような私ではないが、いつだったか海北友松の展覧会をやり過ごしたのを残念に思い出しながら、それもしかたないこと、何ごとも個々に合った時期があるのだと思う。
                             ※  /27 少し加筆しました
      
コメント (6)
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