京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

初オーディション

2016年11月27日 | HALL家の話

小学生向けのファッション雑誌のモデルとして活躍する小学生が新聞紙上で紹介されたのを読んで、その雑誌を孫娘Jessieに紹介したのが7月頃でした。ファッションへの関心も高くて、モデルのローラさんのファンだという彼女、早速に本屋さんで手に入れました。

「新人発掘オーディション」に応募。書類審査をパスし、今日はグループでの集団面接の日でした。一度目は歌を歌うのが嫌だとかで面接を降りてしまい、今回は二度目の挑戦になります。会場の面接官(複数)だけでなく、審査会場以外にいるすべての審査委員が見るために、その様子はビデオ撮影されると。
パフォーマンスとしてモデルのウォークを練習していたたようですし、加えて、ちょっとしたポーズを練って備えたみたいでした。
初めてですし、そこは11歳? 恥ずかしさも手伝って思ったほどにはアピールできなかったと本人の感想でした。それが普通で、むしろそうした感覚が健全であると思うのですが、どうしてもパスしたい!という熱心さの不足と捉えられるのか、わかりません。

オーディション会場までJessieを連れて行ってほしいと母親からの依頼でした。雨で弟のフットボールの練習は中止、父親が梅田駅まで送ってきてくれて時間どうりに落ち合えました。と、「一緒に行ってもいいか」とお父さんです。いいに決まってますでしょうに。
不慣れな大阪を3人の目を働かせて、案内表示を見ながら結果はなんともスムーズに、見計らった時間に到着でした。
             
              

中高生から大人まで、男女たくさんの中で小学生はたったの一人だったようで、緊張もしただろうと想像します。結果は後日の通知になるのですが、場数を踏んでこれも一つの経験でしょうか。意外とシャイなんですよね…。
せっかく3人での外出、雨が残念でした。お天気さえ良ければ大阪城とか足を延ばしたかったのに。
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東本願寺報恩講

2016年11月25日 | 催しごと

東本願寺では21日~28日まで報恩講が勤められています。
親鸞聖人は1162年11月28日、90年の生涯を終えられました。御祥月命日に勤められる法要を報恩講というのです。

阿弥陀堂、御影堂、そして御影堂門と、2003年から12年間にわたっての修復が終わって、再建(1895 明治28年)当時の姿を取り戻したとされます。
なんとも壮大な甍。午後のお勤めのお逮夜の準備が進んでいましたが、その間に御影堂の親鸞聖人の御真影に、この一年を物語りしていました。娘家族が日本に住むことになったこと、孫たちの健やかな成長の様子、そしてもう間もなくに第三子が誕生予定であることなど…。日本にやってきた当初の複雑だった心境も、祖父母としての役回りが与えられて行き来を繰り返すうちに、すべては賜りもの、授かったこの機会を大切にしようと思うようになっていったのです。家族であっても、生き方の違いなどは認めなくてはなりません。

                                    御影堂から御影堂門を

そして今日25日は母の祥月命日でした。母の命の先を生かさせてもらっていることを思うと、何やら深い思いに満たされてきて…。
60人を超えると思われる僧侶による正信偈、念仏讃、和讃、回向。ありがたい、心やすらぐひと時になりました。
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『隠れ蓑』 カクレミノ

2016年11月24日 | 日々の暮らしの中で
カクレミノの小果が黒紫色に色づいているのに気づいた。



「天狗の隠れ蓑」の話、おおよそのところでは思い起こせるが、ほかに、何か頭の片隅に巣くう「カクレミノ」…だった。
少し前、昭和文学全集に収められた中里恒子の短編『隠れ蓑』を読んでいた。表題の「隠れ蓑」という言葉が後半末近くで記されている。「荒れた家をどうにか手直しして、隠れ蓑のように住みこなしているが、やっぱりなんとかしないと大事になると、鳥羽は気づいていた」

美術骨董の名品珍品を追って血眼になって道具屋まわりをしていた鳥羽。妻と分かれ、女に去られ、一文無しになって、親の代からの土地に建てた二階家に、今は自分より三十も年の若いやすと暮らして7年になる。やすが傍にいてくれることで命の終わり場所をつかんだ気がしているが、鳥羽もやすも、その胸底には心のあり場の対象を失う恐怖を沈めている。などといった心情が語られていく。


愛蔵品をかつての好敵手・曽我に譲ろうと考える。明日が雨でもきっと鳥羽はいそいそ出かけていく。見栄も恥もなく、昔を知る人間に無心する屈辱にも、そわそわと心が騒ぐ。「細い糸が一本、世間のなかに、このような形でつながっている」ことで、「束の間、孤独から逃れられる」からだ。
周囲との関わりを絶つことなく、外にコミュニケーションを求める。猛烈な葛藤はあっても、それが自分の生き方、生きてる楽しみ、か。

現実主義者で、行動が必要な時には果断な生活者でもあったという中里恒子の作品。久しぶりにページを繰ってみた。
話は飛ぶが、いっときでも無事に姿を隠せるカクレミノがあるのもいいな、と思う。
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みたらい渓谷ハイキング

2016年11月16日 | こんなところ訪ねて
朝からの好天気に恵まれた先週末の12日(土)、奈良県吉野の山奥にある天川村みたらい渓谷のハイキングを楽しんできた。
こうしたツアーに参加するのは2013年7月以来で、しかも今回は、孫娘Jessieと連れだっての一日だった。


天川川合バス停付近で下車。実はここから3.2キロの位置に天河大辨財天社はあるらしい。だが、渓谷ハイキングが目的の今日は、村内唯一だという信号を渡って、車道を南下するコースでスタートとなる。ようやく訪れた天川村行きの機会、行ってみたい思いが強かっただけにここまで来て、と残念。

この社、2011年9月の紀伊半島を襲った豪雨によって周辺が土石流に埋まるという甚大な被害を受けていた。(当時は、熊野古道を歩くツアーに参加していたときで、9月の回は中止となり、また、孫のTyler誕生の年でもあって、記憶は様々に重なってくる)
この災害の直後、 - 【天河大辨財天社の宝物館で600年間、再び甦る日を待ちながら眠り続けた能面の「阿古父尉」に復活の機会が訪れた。2年後の2013年に創立30周年を迎える東京の国立能楽堂が、その記念行事として梅原猛氏に新作能の捜索を依頼し、梅原氏はその主題として世阿弥と元雅の悲話を選んだ。その際、舞台で「阿古父尉」を使いたいと天河神社の宮司に申し入れた】、と。
そして、当代随一の能面打見市泰男によって面の復活が始まる。モノを作るのではない。神事とともにその過程が記録された映画、「地球交響曲 第八番」を見たのが昨年の事だった。



戦後間もない頃、白洲正子さんは古い能面を探してあてどもなくこの付近をうろついていた。近くの天川村役場も訪れていて、古びた弁天様の社で、ミカン箱様のものに押し込められていた能面や装束の中から「尉」を発見したときは「涙もこぼれんばかりに感動した」、と書いている。(『夕顔』収)



Jessieの後方を歩きながら、「石ころの上に乗ると危ないからね」「落ち葉の上は滑るから気を付けてよ!」「ちょっと休もう」などとたえず声をかけ、7.4キロの行程を完歩。ゴールは洞川温泉。


大人と同じペースで歩きとおした11歳。水分補給も上手にしていたし、初めてのトレッキングシューズの感覚も良かったようで、「また行きたい」の言葉が聞けた。楽しんでくれたんだ。誘ってみてよかった。私自身もこの子を誘うことで3年ぶりに新たな一歩を踏み出した。

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照葉

2016年11月10日 | 日々の暮らしの中で

明日の分をウォ―キングに出ておくことにした。「食いだめしておこう」なんて言うけれど、「歩きだめ」、…ってできる??
明日は歩いている時間がないから代わりに今日。おまけに天気も回復してきたし。


ツイ—、ツイ―って短く鳴く鳥の声に姿を探すと、左右の木を盛んに移動しながらたくさんの姿が丸見えだ。葉がすっかり落ちてしまった木は塒なのか。
スズメよりもひと回りは小さくてスッキリ、スマートだ。名前はわからない。ふくら雀のようにふくれて見えているが。


「紅葉は昼間の光の中で鑑賞されてきたのではないか。だから照葉(てりは)のような美しい言葉が残った」
「夜の紅葉は闇に深く沈んでいる方が好ましい。露や霜に濡れて紅葉は朝の光を待つ」
坪内稔典さんが『季語集』の中で言われている。

貴船ではすでにライトアップが始まっている。
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真似る

2016年11月09日 | 日々の暮らしの中で

                     残る葉も残らず散れや梅もどき    凡兆
ウメモドキ(梅擬き)
モドキ-「擬き(もどき)」には「真似、模倣」という意味がある。 他の語のうしろに付けば、「。。。まがい」と意味を添える。
だが、動詞で「擬く(もどく)」と使えば、「抗う、批評する、非難する」といった意味も持ち合わせる。

本居宣長は本歌取りで多くの歌を作った。オリジナリティを捨ててひたすら真似ることで、やがて精神は記紀に近づき、最終的に発見したのが「もののあはれ」だった。
 —と昨年、山折哲夫氏の講演で聞いたことを思い出した。禅僧・仙崖和尚の「もどき」の手法に発展していく中でのお話だった。

「もどき」の手法は、決して批判されるだけのものではない。
真似から入る。それは「型」を知るにも通じるか。
「型」を知らない限り、独自の面白いものはなかなか生み出しにくいと思う、と三浦しをんさんが語られていた。
古典をしっかり身に付けた上で、新たな創作歌舞伎も生まれていく。先日の勘九郎さんのお話にもあった。
真似て真似て、真似て、一代真似し通したら自分のものになる、とはどなたかがお話だったな…。

似て非なるもの、これがなんとも難しい。

秋から冬に、真っ赤に色づくウメモドキの赤い実が目に留まる。ふと、「がんもどき」を思い出したことで、こんな流れになってしまった…。
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秋、靴と父

2016年11月06日 | 日々の暮らしの中で

黒と茶色のブーツを出してクリームを塗ってブラッシング、磨きをかけた。
高校生の頃、日曜日には通学用の靴をやはりこうして手入れしていたことを思い出す。たいていは父の革靴もいっしょに、きれいに磨いておいてあげた。そんなことを思っていたら、向田邦子の『父の詫び状』の一節が浮かびクックック、クスッ。

向田さんのお父さんは当時、保険会社の地方支店長をしていたらしく、ある雪の晩、宴会帰りらしい客を連れて帰ってきた。いつも客の靴を揃えるのが小学生の頃からの役目だったようで、その日も湿った靴の中に新聞紙を丸めて詰めていたのだが、つい客の人数を父親にたずねた。すると、いきなり「馬鹿」と怒鳴られ、「お前は何のために靴を揃えているんだ。片足のお客様がいると思っているのか」と。それで、「あ、なるほどと思った」。

思い出したのは、こんな文章が出てくるからだった。読んだとき、この父親の言葉に思わず噴いた。
父と靴と娘。私にもこんな名セリフ?の一つでも父にあればエッセイにするのに、父は「ありがとう」と言うだけだった。

          

トレッキングシューズの履き心地を確かめようと、1時間ほど歩いてみた。時雨れるかと思えば薄日が差す。川べりの電光表示板は11度、風で帽子が吹き飛ばされそうで冷たいけれど、さすが体はぽかぽかしてきて、足元もまずまずと言えそう。
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高麗仏画 - 香り立つ装飾美 -

2016年11月04日 | 展覧会

「荘厳華麗 あふれる気品」
13-14世紀に朝鮮半島の高麗国で花開いた仏画の企画展が泉屋博古館(せんおくはくこかん)で始まった。

  
          (新聞で)

「高句麗」なら日本史の中で多少は思い浮かぶが、「高麗」と聞いてもその関わりには知識もない。けれどそういうことは度外視して、新聞紙上に掲載された高麗仏画を代表するという「水月観音像」のなんともいえない柔和さ、絵図の細微な装飾、色合いに目を見張った。右手の先には赤い糸で連ねた白い水晶の数珠が垂れている。大円相に包まれ、身に薄もののベールをまとう。華麗な荘厳(しょうごん)、なんという色づかい。妙に、妙に心惹かれて、「行こうか!?」「行こう!」と即決だった。

この「水月観音像」は、ここ2年をかけての全面修理が終わったところで、1978年の大和文華館の展示以来の公開となるのだそうな。いつもは端から順番に見て回るが、今日ばかりは変更。
阿弥陀如来に「国の安寧、今生の福寿と死後の往生に願いを託」し、「観音の浄土補陀落で瞑想する観音に教えを乞う様を描いた」高麗の宮廷画家。これらの仏画は朝鮮半島にはほとんど残ってなくて、海を渡り日本の寺院で保存されているのが大半だという。
そういえば…だが、日本での仏画盗難事件がニュースになることがあった。韓国内で転売されるというから、やはり「盗難」なのだろう。高麗王朝のものだそうだ。

とても気持ちも和んで、帰り道にある岡崎神社に立ち寄った。孫のTylerが生まれるときに参拝したあのウサギの神社で、ひと月後に迫った第三子の無事な誕生を祈った。

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11月1日「古典の日」

2016年11月01日 | 講座・講演

【世界に誇る古典文学である「源氏物語」の存在が記録上確認できるもっとも古い日付が寛弘5年(1008年)11月1日であることから、一千年目にあたる、平成20年(2008年)11月1日に「源氏物語千年紀記念式典」が開催されました。その式典において、古典に親しみ、古典を日本の誇りとして後世に伝えていくため、11月1日を「古典の日」とする宣言がなされました。】(広報より)

 「古典の日に関する法律」が公布・施行されて今年で5年。今年は原点に戻って『源氏物語』をテーマとした内容で古典の日フォーラムが開催された。
瀬戸内寂聴さんの「源氏物語と嵯峨」と題した記念講演から始まったが、時間を大きくオーバーしてようやく終わるというお元気ぶり。「今日のために、昨日、自分が書いた『源氏物語』を読み始めたら、自分が書いた『源氏物語』がですね、おもしろくておもしろくて、おおかた徹夜して読んでいました。皆さんもぜひ読んでみてください」…と。脇に女性が付き添って、93歳の足取りはとてもスムーズで、足早だった。

三笠宮様が亡くなられ、予定されていたプログラムは一部変更が生じた。彬子女王殿下と中村勘九郎さんによる記念対談「私と古典~江戸の華・歌舞伎と浮世絵」は中止。代わって、井上あさひさん(NHK京都放送局アナウンサー)との対談となった。映画や舞台の裏話など多く、父親としての一面ものぞかせてもらったが、訊ねられたことに答える形で話しにふくらみはなく、仕方ないけれど少しがっかり。

基調講演は林望氏による「『源氏物語』その様々な味わい」。わかった気になれる、わかりやすさ…。
女々しく、はかなきことのみ多き物語。「揺れ動く心の矛盾を描く、それが文学です」と耳にしては、そうそう、な~んてまたわかったような気にさせられる。


「いい一日だったわ」。帰り道、フォーラムに誘った友のひと言もあって、私にとっても良い一日となりました。
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