京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

長閑さに

2022年03月30日 | 日々の暮らしの中で
 〈長閑さに無沙汰の神社回りけり〉   大祇 
上賀茂神社にも名を負った幾種類もの桜があるけれど、まだ咲き始めたところ。


賀茂川の方へと出てみると、7分咲きだろうか。平素は歩いている人も少ない道に、桜が咲くと不思議や気持ちも高揚するのか、みな誘い出されるように人が集まる。


「白いだけの染井吉野は日本の桜でもいちばん堕落した品種」「本当の日本の桜というものは、花だけのものではなくて、朱のさした淡みどりの葉とともに咲く山桜、里桜が最高だった」「花ばっかりで気品に欠けますわ」「山桜が正絹やとすると染井吉野はスフいうところです」(『櫻守』水上勉)。いろいろ言われても心待ちにし、国民が一つになるほどの時季かもしれない。

新年度の寺子屋サロンが楽しく充実したひとときになるように、やがて咲くだろう花をいたわり育てる気持ちで中・高を卒業した仲間の門出を祝おう。どうぞやさしい言葉を。どんな言葉が披露されるか、楽しみだ。
努力は報われる(最近聞いたな)。磨けば光る。と言うけれど、実際は人の能力には差異があり等しくない。齢を重ねると自分の身の丈もわかってくる。けれど、若いうちはのびやかに夢を追いかけてほしい。

 私たちの前で、後ろで、いっしょに阿弥陀さまも聞いておいでだ。
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山中に花ひらく

2022年03月28日 | 日々の暮らしの中で

山路来て出会った桜。道路わきから降りる道があり、降りた先の前には川が流れる。遠く見上げる位置だが歩いていないと目に入らない場所だから、おそらく多くの人目には触れないで咲いている。長閑さ、自然の限りないやさしさのようなものを感じながら飽くことなく眺めて過ごした。背側にも小さいが満開の木があった。

近くにはトラクターだかが置いてある。古くからヤマザクラが咲くと農作業を始めると言われてきたし、開花は今でもそんな合図になるのだろうか。
観光名所とは異なる趣がなんともいい。小さなことに心動かして日々を暮らすことを忘れたくないものだと思う。 
    
     あれを見よ深山の桜咲きにけり まごころ尽くせ人知らずとも

箱根の関所にあった歌碑だと松原泰道師に教えられた。

手元にあるものだから思いついて永井荷風の日記『断腸亭日乗』を開いてみた。大正7年3月26日が亡き父の誕生日にあたり、この時季、東と西と住む場所は異なるが興味本位で探ってみると、

大正7年3月28日。「水仙瑞香連翹尽く花ひらく。春蘭の花香ばしく桃花灼然たり。芍薬の芽地を抜くこと二、三寸なり」と美しい描写もあれば、
大正8年3月25日。「市中処処の桜花既に開くといふ」

こんな記述もある。
大正10年4月9日。「昨日当たりより花満開となれり。近隣の児童群れ集りて、あるいは石を投げ、あるいは竹竿にて枝を折り取らむとす。日本の子供は犬を見れば撲ち、花を見れば折らざれば已まず。獰悪山猿の如し」
春先、荷風はよく風邪を引き、「臥病」とか「病床」にあることが知れる。



賀茂川べりにソメイヨシノがつくるトンネルに花見に訪れる頃は、あっちでもこっちでも饗宴の春爛漫かな。

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夜の紅茶

2022年03月26日 | 日々の暮らしの中で

昨晩の食事後、無性に紅茶が飲みたくなってしまった。一抹の不安通り、本を閉じても一向に眠気がやってこない。右に左に寝返りを打てど…、ああ「夜の紅茶」だ、と思い浮かんだ。

    むか~し、買ったまま読まずに処分したためか、『夜の紅茶』は江藤淳さんの作品なのだが最近まで開高健さんのものだと思い込んでいた。
ところで、開高健さんの未完に終わった小説『花終える闇』の冒頭の書き出が「漂えども沈まず」だと知ったのも、むか~しのこと。日常からどこかへ逃げ込みたいようなとき、よくこの言葉を思い出してきた。この夜なら、漂いながら夢の中へ…だったが。
考えるから眠れないのか、眠れないからあれこれ考えが巡るのか。結局浅い睡眠のまま今日を迎えた。

この春、中・高を卒業したエッセイ仲間に、お祝いの品とともに贈る言葉を考えていた。
私には山本兼一さんの言葉で、若い子たちのために胸にあたためている言葉がある。
「人は生きるためにお手本がいる。いい物語を多く読んで、生き方を模索していくのです」「自分探しより他人探しをしよう。あんな風に生きてみたいと思える人生の師に出会えたら真似してみるのです。そのうちに自分が見えてくるでしょう」
書くことは読むこと。これからも仲間であり続けられることがとても嬉しい。

「漂えども沈まず」はもう少し人生を知ってからでいい。どんな人生も決して楽ではない。
たまわった命。「生まれてきたことが花なんだ」から、心はいつも「漂えど沈まず」とありたいものですね。

(写真は哲学の道沿いにある大豊神社。梅と桜の揃い咲きとはいかず。
 哲学の道の桜は色づき、つぼみを膨らませていた 。25日)
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兵戈無用

2022年03月25日 | 日々の暮らしの中で

お寺の掲示板に「兵戈無用」とあった。「ひょうが むよう」。傍らにNO WAR」とあるので意味は想像がつく。

「兵戈」という言葉に出会ったのは初めてだった。「戈」は「が」と読むのかと思ったとき、自然と「我」という文字が浮かんだ。
辞典によれば「戈(か)」には①ホコ 片方に枝が出たほこ ②いくさ、戦争 ③武器、兵器、戈兵などの意味が取れた。「兵戈無用」の言葉を掲げたことには、武器を持ってのたたかいは無用だ!と強い抗議の意思とともに平和を願う心があふれている。

ちょうど昨日付け新聞で中国の兵馬俑に関した解説があったので読んでいたところ、馬上の敵を引き倒す青銅製の武器を「戈(か)」というとあり、「青銅戟(げき)」の写真があった。


この「戈」は、時代とともに刃先が長くなり強力さを増していったようだ。

自己の理念を絶対的に正しいと確信すると、その理念に合致しないものはすべて否定すべきものとなり、その確信が強ければ強いほど、破壊するということがそこに起こってくる。ところがこの理念は残念ながら自分の不満の裏側でしかないということがしばしばある。などといった出雲路暢良氏の文章を読んだことがあった。
こうした主観的な立場は無数に可能だ。
この先どれほどの我が増幅するのだろう。いま現実に起きていることに大きな危惧を抱きながら、私もNO WARの声をあげている。




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クロスカントリー大会

2022年03月24日 | HALL家の話
クロスカントリー大会があったようで写真が送られてきた。

  

ペース配分などあるはずもなく、「途中まで1位だったのよ。ゴール前で抜かれちゃって」

 

「なんか知らないうちに6年生が1位だって。タイラーは3位」
何を聞いてもあやふやで、距離すらはっきりせずに800メートルと3~4キロなどと返ってくる。

娘家族が大阪に住まいしていた折、留守を預かった日にはLukasと公園を3つ、4つとはしごして、歩いて走って脚力を鍛え、日ごと逞しさを増した幼子だった。なんとなく疲れた。なんとなくPCひらいて一日過ごした。私には公園はしごの後遺症が残ったものだ。体つきが大きくなったように見える。

やる気があるから走る? いや、走ることにがむしゃらになるから、心が動き始める。似ているようで、ちょっと違う。つまり、楽しいから笑うのではなく、笑っているうちに楽しくなる、というあれだ。ややこしい。長距離走が苦手だった者からすれば、どう気持ちを集中したとしても持久力はアップアップ、到底楽しくなどは走れない。
取り柄。なんであっても個の目立つ表現の一つであれば長所とか特技とか言い換えてもよいのだろう。

 


走ってばかりじゃ身が持たぬ、と始めたバスケット。大きなボールを抱え、…4、5、6歩はみごとなキャリング。形は様になっているけど、リングまでボールが上がらない。両手を握りしめ吠えてみせても、やっぱりまだ幼い。

来週はイースターで休暇らしい。休みばっかりと母親は小さな悲鳴をあげるが、子供と過ごす時間は短いのだから楽しむことだろう。
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寒かったから

2022年03月22日 | 日々の暮らしの中で
寒い一日だった。早朝、雨音で目が覚めたようでいて二度寝がいささか過ぎてしまった。
雨が上がっても風が出て、心身の凝りをほぐしに歩いてこようか?という気にすらならない。寒暖差が応える。

菜の花が手に入ったので煮びたしにしよう。そう思って他の青菜やブロッコリーなど順次茹ではじめるうちに、子供の頃、外から帰ると冷たくなった手をうすみどり色に染まった、まだ熱いゆで汁で手を洗うよう母がよく言ったことを思いだしていた。ひねればお湯が出る時代ではなかったし、子供の帰宅時間に合わせるような母の心遣いと無駄なく使いきる姿とが二重写しになる。

湯のみは伊万里、急須は弄山万古、茶葉は京からの下りもの。
「美味えな」。喉を鳴らし、「ほんと美味ぇや」
「おぬしの淹れた茶は何故、こうも美味いのか。どうにもけったいな心持ちがするぜ」
小間物問屋「遠野屋」に気まぐれに立ち寄る同心と岡っ引きに、遠野屋の主人・清之助が〈丁重と邪見の間のほどほどのあしらいで淹れるお茶〉を、二人はたまらなく喜ぶ。「世辞じゃなく、生き返る心地がしますねえ」


三様の人間像が魅力で購入済みのシリーズ。9巻中の5巻目を読み終えた。

こんな寒い日、清さんのお茶で温まりたいわ。

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門の主は不在のまま

2022年03月21日 | こんなところ訪ねて
存在すべき?仁王像がない、とは知っていたような気がする。空っぽなのが普通でほとんど意識することがないままいたのだろう。
『荒仏師 運慶』(梓澤要)を読んでから、今一度しっかり確かめようと、無いものはないのだけれど、気になり始めた。今日は21日で弘法さんの日。たくさんの露店が出て市が立つので賑わいもあって、ちょうどよいかなと東寺に向かった。
いったん南大門の前を通り過ぎ羅城門跡に立ち、戻ることにした。日差しが戻り始め、人でも多そうだ。

 


南大門の外から見て。右のブルーのテントの奥、その反対、左側とに本来なら阿形像と吽形像とが正面に向かっておられると思うのだけれど。

 
                   ↑ 右に阿形像。
                 「左腕を高々と振り上げ、侵入せんとする魔や仏敵を
                  威嚇するために大きく口を開いて吠えたてている」
  ↑左に吽形像。
 「左腕の肘を曲げて腰に置き、
 口をへし曲げて力を蓄えている」 

「朱の色も鮮やかな真新しい門」に、「われらが造った仁王像」を納めた。「配置も造形も奇をてらわず伝統にのっとっ」て、「6人の息子全員を制作に携わらせた、最初の大仕事」。一門の披露目にもなるような仕事に、霊験仏師運慶と噂になったことが描写されている。

寺の歴史によると、1486年の文明の土一機で南大門を含めて大きく焼失してしまった。その以前にも焼失、再建を繰り返しているが、
仁王像は不在のままに。なんでかな? 想像の楽しみはあるとはいえ、どうして?


弘法市が開かれた境内を散策しながら、御影堂近くに咲く桜を眺めて、京都駅まで歩いた。
やはり門に主はなくて、空っぽだった、とだけははっきりした。       
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哀れだが弱くなんかない

2022年03月20日 | こんな本も読んでみた
インドの菩提樹という木は蔓性で、他の植物に絡みついて、栄養を奪いながら芯の木を締め付けて殺してしまう。だから菩提樹はシメゴロシノキと呼ばれる。お釈迦様はそんな菩提樹の木の下に座っていて悟りを開いたと言われる。

強靭で真っすぐな木には、安心して蔦が絡み付く。人の世でも、優しく強くあろうとした者が、他人に寄りかかられ重荷を背負わされることは起こりうる。罵倒され疵つけられ踏みつけられても、泣くことも歩みを止めることもできず、栄養を吸いつくされる。絞め殺されていく。枯れて腐って、朽ちていく。

第ニ部の主人公・雄介の母ミサエはそういう人だった。
根室で生まれ4歳で母が死に、6年間新潟で暮らしたあと再び根室の農家・吉岡家に引き取られ、朝から晩までこき使われる。15歳で札幌の薬問屋で働く道が開けたが、24歳で「開拓保健婦」の資格をもって戦後の根室に戻る道を選んだ。人のために働き、養分を与え続け、気づけば、もう立っていることも億劫になっていた。だが気づかされた。自分の不幸に寄りかからず、最後までちゃんと生きなければ、と。

雄介は実母(ミサエ)も実姉も知らず、生後かつて母が下働きをしていた家に引き取られ育った。そして彼も大学卒業後は札幌から根室に戻り、家業を継ぐ決心をする。
根室の狭い集落の中でつながる糸。切れない糸がある。
「根をおろした場所で定められたような生き方をして、枯れていく。生まれたからには仕方ない。死にゆくからには仕方ない」

けれど、彼は思った。からからに乾いた根室の荒野に根を張り、風に耐えながら懸命に育ってきた木、実母も実姉も、自分と関わりを持った人たちみな、哀れな木だが弱くなどない、と。
「何にも脅かされることのない、静かで、暖かで、光差す場所を作るのだ」
雄介が宿した思いに、読んでいて心がいくらか緩んだ。

私は根室の地を知らないが、開拓農民の苦労、狭い社会のしがらみの中で、根を張り生きた人々が浮かぶ。スケールの大きな作品だ。




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天平仏

2022年03月19日 | 展覧会
特別展の会期終了までの日数がなくなってきた。
コロナ感染拡大のさ中ではあったが、例によって日延べしているうちに「まあ、もういいか…」って気持ちにもなってくる。
けれど…。週末は避けたい。雨なら人も少ないかもしれない。京都駅乗り換えでうろうろせず、10分ほど余計にかっかっても電車1本で行けば空いている。今日がラストチャンス。 それもこれも、とにかく弾みをつけなくっちゃで思いを巡らせる。まだ腰を上げる力は残っていた(18日)。


「聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけたち」
規模は小さな特別展だった。
天平時代の名作の国宝十一面観音像は桜井市の三輪神社の神宮寺に祀られていたが、明治の神仏分離令で廃仏毀釈の折に縁の下に捨てられた。それを発見したのはフェノロサだったという。そして聖林寺に移されたらしい。

 天平仏の乾漆像は、「生身の人間の血肉を思わせるやわらかさがある」と(『荒仏師 運慶』)。
帰宅後、細かなことは白洲さんの『十一面観音巡礼』などで補っているが、あるべきお堂に帰還された姿を拝観に訪れてたいと思った。知識じゃなくて、まず、あるべき場所でちゃんと向き合うこと。そう思わせる美しさは8世紀から秘められてきているもの。
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珠玉の日々に倣う

2022年03月17日 | 日々の暮らしの中で
ハクモクレンの花がほころび始めた。
確かにモクレンとコブシとは異なる風情だけれど、花はそれぞれというに尽き、このコブシは嫌いじゃない。
一茶は、〈青みたる中ににこぶしの花盛〉と越後の春をたたえた。


孫Lが通っていた保育所までの道にコブシの大木があった。迎えに出た折、花盛りに指をさすと、「知ってるぅ。朝ママが言ってた」てなことを口にしたのだった。見上げれば、純白の無数の鳥のよう。もう一度一緒に見上げてみたい風景の一つ、かな。

2008年に82歳で亡くなった歌人前登志夫さんの随筆集を読んでいると、同じ白い花でも朴の花がしばしば登場する。氏の吉野の山家の庭には、朴の花や泰山木、大山蓮華が咲く。谷間に咲くとホトトギスが鳴く。そして、山中の若葉の木々の風を和讃として聴かれた。
〈朴若葉ひるがへし吹く若葉風弥陀来迎の和讃称ふる〉
山人として人生を貫かれた。転んだり、草崖から転落。その後遺症で頭蓋内部の血腫。血を吐く…。病院の窓から桜を眺め、「〇〇たい。〇〇たい」と望みを綴る。そんな晩年の素顔や絶筆に触れると、雲の上のお方でありながら親しみさえ感じてしみじみとする。

幾度となく開き、読み返す。 
私の心のやすめどころ、仏教書以上の教典となる。
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絵木法然

2022年03月16日 | 日々の暮らしの中で

通りすがりのお宅の玄関先にコブシの花が、高々とざっと数えて5輪咲いていた。木蓮と比べて品位のない粗野な花と、どなたかが綴っている。
興膳宏氏が『漢語日暦』の中で植物学者・牧野富太郎の言葉を引いていた。「コブシは日本の特産で、中国にはない落葉喬木である」
コブシの白い花々に「辛夷」の漢名を当てるのは誤用だそうで、中国で「辛夷」は、木蓮の花をいう。

『荒仏師 運慶』を読んだとき、「絵木法然(えもくほうねん)」という言葉に出会った。
「絵木法然。絵に描かれたものであれ、木で造られたものであれ、仏の姿は仏そのもの。真実の仏だ」「仏師の生命そのものだから」
「法然」は (のり)ニ然(しか)リ、ル  ?
規範 普遍的な規範として そうあるべきもの、相当なもの

ようわからんけどなんとなく…。
これは著者の造語なのだろうと思ったのだが、わからない。教えてほしいわ。ずっと考えている。

            (辰巳明子さんの絵)
                       
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和の固有花って

2022年03月14日 | 日々の暮らしの中で
賀茂川の堤を歩いていてよく見かけるようになった白いタンポポ。
シロバナタンポポといって、古くから日本にあるものだとテレビから聞こえてきた。身辺で親しむ花には洋名があふれているし…。和花ならあえて「たんぽぽ」とひらがなで記してみたいが、古くからあっても、万葉集で歌われていても、日本個有のものとは限らない。


“今や日本の花”となった花ではなく、固有種、在来種、自生を区別するとどうなるのだろうかと、植物オンチは頭をひねる。


そんな中で、桜の描かれたマメシバ君のカードを選んでメッセージを認め投函した。第3弾。あちらは秋に向かうのだけど。
Lukasと水たまりに桜の花びらを浮かべて遊んだことが懐かしい。

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梅花力

2022年03月12日 | 日々の暮らしの中で
京の街には多くのお地蔵さんが祀られている。


ここは道路際にあってダンプカーが猛スピードで行き交うが、いつもきれいに整えられている。
山を背景に、天に向かって伸びる杉が目に入る。祠は白梅と椿に荘厳されて陽を受けていた。

「梅花力」という言葉があるそうだ。
まず天地に先駆けてウメの花が咲き、そして次々に諸花たちが時をたがわず咲き続けていく。
この秩序を統一するのが「梅花力」であると、道元の『正法眼蔵』に書かれているという。
自然と融合しながら情を育んだ日本人の宗教心。


相手をやり込めることに力を注ぐ。エゴを満たすことに終始し、凶行で秩序を壊す。受け入れかねる理不尽さ。人間の心に目覚めよ。…って言いたいわ。
身辺にあって一番身近に感じる仏さんに祈ろう。
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生まれてきたことが花なんだ

2022年03月10日 | 日々の暮らしの中で
よい小説には必ず幸福感がある、と辻原登氏が言われたことを思いだしている。物語は楽しくなければならないという思いと通じるのだろうか。

『残月記』(小田雅久仁)読後感が胸元に重くつかえたままで、どうにもはけない。
月昂という感染症を発症し隔離施設に拘束された27歳の宇野冬芽。救国党の一党独裁政権下。
党首主催の秘密裏のイベント、感染者同士の格闘技大会で冬芽は剣闘士として試合を重ねる。
政権内部の当主暗殺計画。混乱の中、生き延びた残りの人生は身を潜め、鎮魂の思いを込めた行為をし続ける。
一人、どのような最期を迎えたか。患者としては長生きだった。…すべて虚構だが。凝った虚構は強度だ。

友人とこの話をして、「悲劇だけど冬芽の悲しみをkeiさんは十分に楽しんだってことになるのではない?」「悲しみを受け止め過ぎ。それだけ感情移入できたわけでしょ」などの言葉が返ってきた。


仏教では死に方に善悪はなく、一つの「死」があるだけ。冬芽が精一杯高潔に生きたところに花が咲いた。
友人が手渡してくれた小さな冊子。そこにアントニオ猪木さんの言葉が紹介されていた。
  人生に花が咲こうと咲くまいと、
  生きていることが花なんだ。
  生まれてきたことが花なんだ。

虚構の中のつらい真実を読むことで、これはこれで自分の深まりにつながったのかしらん。



2014.3.18 「花は咲く」を歌う補習校の子供たち  
右から6人目あたりの黄緑のシャツを着た男児の後ろに、赤いリボンで目立とうとした孫Jessie(8歳)の顔

 
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小さな財産 ひな型

2022年03月08日 | 展覧会
東大寺南大門の仁王像(阿形と吽形像)を造るために、まず雛型(縮小の模型)を制作する。そのうえでそれを分解して、実際の像の各部材の大きさに引き延ばし、墨付けする ―
といった工程の描写が『荒仏師 運慶』にあった。

「分解」「各部材」。これは技法が一木造りから寄木造りに変わったためで、最後は部材を一つにまとめあげるわけだが、仁王像の巨大さを思い浮かべながら、ミニチュアからどう拡大したのだろうかと興味がわいていた。


龍谷ミュージアムでは、江戸時代から平成まで15代続いた京都仏師・畑治良衛門が伝えてきた雛型の特集展示「仏像ひな型の世界Ⅲ」が開催中だった。先月末、この拡大法にも触れる講演会があったが参加できなかったので、知りたいことは知り得ないまま。
もういいか。見なくても困らない。とは一応気になる証拠。今日は素晴らしい陽気だ。もう見ることはないだろうからと思い直した。
一つ。親鸞と墨字で記された10センチもない彫像に“墨付け”を見た。といってもマス目ではなく1、2筋の“線”が目についた。拡大からの工程のビデオ作りなどしてくれてあればいいのに。


行けば行ったでこってり見てしまう気の入れよう。大方見なくてもよかったなと思ったが…、そんなこと言わんとこ。

【雛型とは建築でいえば設計図面に当たる存在です。大きな仏像をどのようにして効率的に制作するかを考えるための縮小模型として、または施主や発願者に見せる完成予想図としての役割などを果たしたのでしょう。完成品は手元を離れてしまうため、仏師や工房にとっては木組みを記録する手控えとしても役に立ち、まさに財産に値します】
って。
雛型は工房の外に持ち出されることはなく、その存在は一般に知られていなかったという。
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