京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「三毒」を吐き出して

2012年12月30日 | 日々の暮らしの中で

比叡山延暦寺長 小林隆彰氏によると、
12月31日から1月4日までの5日間、比叡山では、旧年1年間に作った身、口、意(こころ)の罪過をみ仏に詫び、今年こそはしっかり修行し、他の幸せのために生きます、と精進を誓う正月行事、迎春の法要があるのだという。

正月とは単に年を重ねることではない。初詣は前年の悪事を神仏に詫びて、今年こそ世のため人のため、と決意する儀式だ、といつだったか読んだことがある。しかし、その割にはいつも、健康で… 福が授かりますようにと、己の願望が先に立つ。これからの目標や夢など描いて、心ときめく事を持っているということの楽しさが、気分良くさせることもある。先をみることはひとまず置いて、きちんと今年一年を締めくくることに心しなくては。

新年早々、よいスタートを切る弾みにもなろうかと返信を待っていたが、その期待は外れた!「すでに定員を超えたために締め切りました」と無情なはがきが届いた27日。
12月15日から始まった「八瀬童子展」。興味を抱いて1月6日のフォーラム参加を申し込んだのが20日頃。遅すぎた。先着150名という枠には入れなかった。勝手に予定に組み込んでの先走りだが、残~念。

落ちた後は上がるのみ。とすれば、上昇気運の新年が迎えられそうと思うわけだが、やはり安易に過ぎる発想だ…。
 

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 「年暮るる」

2012年12月29日 | 日々の暮らしの中で
青空が広がった。久しぶりの暖かさで動きやすく、仕事もはかどる一日だった。

明日、明後日、新しい年の幕開けも迫ってきたのを実感している。新年を迎える準備で、ゆっくり今年を振り返る余裕もなく追われているようでいて、頭のどこかでは常にあれもしたいこれもしたいと、新たな夢だけは描いてみている。

ぜひ体験したいこともある。今はまだ手探りだけれど、腰を据えて学び直したいことも…。日々の生活の中から生まれてきた、新たな好奇心とでもいおうか。やってみるさ~、この気楽な感覚は私の持ち味の一部かもしれない。
長い年月を積み上げ充電してきたのだ。そのうえで、今この年齢での目標を考え、気負わずに前を向けたらそれでいい。行動を起こそうっと。そのためにすべきことも見えてきそうだ。
       心の灯 消さじと抱き 年暮るる        新城香所

 

海の向こうではJessieも今月半ばから来月下旬までの長い休暇に入っている。日本で過ごさせてやりたいと思っていたが、迎えに行って連れ帰り、また送って一人戻ってくるだけの体力にも自信が持てず、肝心な資金繰りも問題。Jessieが一人でひと月近くを日本で過ごせるものか。不安要素も重なって見送ることになった。明ければJessieも2年生。
           
             
歩きだしたTylerのこの笑顔、会いたいなあ~。

   酔い少し回りてからが年忘   三村純也               よい年を迎えたいものです。
  

  

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 「ジャンバルジャン」

2012年12月27日 | 映画・観劇

明日からは年末のお仕事に精を出さなくちゃ~、などと口々に、年の瀬も押し迫った昨日26日、女三人が「ロミオとジュリエット」以来の再会で映画鑑賞。そして、この一年のお付き合いに感謝の一杯を味わいながら、新年初鑑賞の日取りまで決めて歓談、年納めの一日とした。

「一切れのパンを盗んだジャンバルジャン」、幼かった私たち三姉弟に父が毎晩語って聞かせてくれていたジャンバルジャンの物語。ジャン・バルジャンではない。「ジャンバルジャン」の響きが父の記憶につながっていく。「レ・ミゼラブル」、このタイトルさえ「ああ無情」だった。

友人は「あ~、かんどうしたね~」って何度も…。私は「うーん…」あまり言葉が続かない。「よかった!」と湧きあがる興奮がないのはどうしてだろうか。

年が明けたらもう一度観よう… かな。
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 贈り物

2012年12月24日 | 催しごと


雪が舞う午後だった。凍てるような夜気に月明かりがさしている。

10数年前には、夜に車で走っていて個人宅の華やかなクリスマスの電飾に目を奪われていたのを記憶しているが、最近はほとんど見かけることもなくなり、街自体も落ち着いた雰囲気になっている気がする。四条通のビルによじ登るサンタさん数体も今はない。

子供たちにクリスマスプレゼントを用意したりして、子供のためにとささやかな楽しみもつくったが、巣立ってからはプレゼント係としての出番だけが残った。新しい顔ぶれが加わって今に至っても、それは変わらなく続いている。

娘から孫からクリスマスカードを貰うのも、なんかホンの少し、不思議なことだが違和感さえあるにはあるのだ。嬉しくないわけはないのに、長年の縁遠さ、環境がそう感じさせるのだろうか。日本では多くの場合は「クリスマス」は単なるイベントだ。時勢にのっておけばよいというものを。 

 Marry Christmas
  Happy New Year
       じぇしかより  

「Marry」って、これもお愛興ということに~。Jessieの写真が添えられて届いたカードが、ご無沙汰の距離を縮めてくれる。
彼らのこの心こそが一番の贈り物。「サンタさん、チケットプリーズ」などは厚かまし過ぎた。

今年、新美南吉の絵本3冊も入れてみた。育つ環境の違いは、人の感性にどんな作用をするだろう。何度も読んでやってほしい。何度も読んでくれたら嬉しい。新美南吉の世界、私の気持ちの中ではメインとなるJessieへの贈り物なんだけど…。
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 あれこれ年末事情

2012年12月21日 | 日々の暮らしの中で

南座で興行中の顔見世(夜の部)に出かけるのでその前に…

時間が作れない?と、なんと朝7時に電話で声をかけていただいた。突然のことで、そんなに暇ではないけどなあ…?と思いつつも、やっぱり暇なのか。昼過ぎくらいまでならと自らに言い訳して、いそいそと~。顔見世に行くのは私ではない。大阪からやってきたお二人さん。
勘九郎襲名披露の口上が聞きたいからという。「あの日」、テレビで涙ながらの言葉を聞いたから…、いいなあと感じることもなかった。

実は、今夕はもう一人、友人のT子さんが顔見世に行かれているはずだ。こちらはクリスマスプレゼントだそうで、娘さんとお楽しみ。ちょっとだけ羨ましいかなあ~。

「サンタさん、チケットプリーズ!」の願いはどうも届かずじまいで終わりそう。それに引き換え、Jessieたちへのプレゼントだけは正味4日で届くという早業だった。一方、何やら“小さなもの”はかれこれ2週間になるがいっこうに…。あちらの国内をさまよってから日本に向かう、不可思議な郵便物に化すことがあるので厄介だ。

あいにく陽射しのない、次第に冷え込みのます一日だった。たくさんの莟がついていた白い山茶花、凍てついたかのように息をひそめたままくすっとも変化は見られない。おそらく今年は咲かずに終わるのではないか。

そんな中、始まりました。ようやくの上映開始。待ちました!!「レ・ミゼラブル」
そして、やはりありました、演劇好きの友人からメールが。「素晴らしいよ~。生で歌う撮影方法、素晴らしいリアリティ…」 ふ~ん…。        
       心の灯消さじと抱き年暮るる       新城香所

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 「八瀬童子」

2012年12月19日 | 展覧会
                              (写真:明治天皇の大喪儀で輿丁として供奉)
京都左京区洛北の比叡山麓に八瀬(やせ)という地区ある。比叡山の西麓の高野川の渓谷に臨み、若狭街道に沿っている。地域を流れる八瀬川は急流で、たくさんの瀬があることから「八瀬」と名付けられたのだとか。
ここに、平安時代から1000年以上も居住している人々が「八瀬童子」と呼ばれる、とあった。特異な歩みを伝える資料が展示公開されたので足を運んでみた。「重要文化財指定記念  八瀬童子 -天皇と里人- 」 天皇側近の里人たち 秘められた千年に迫る、とある。

八瀬と聞いて思い浮かぶもののひとつに銘菓「かま風呂」がある。天智天皇の死後、大友皇子に対して起こした壬申の乱(672年)で、大海人皇子は背中に矢傷を受けた。それを治すために里人は風呂小屋を立てたという伝説から、菓子の由来も耳にする。比叡山を越えれば近江京。
八瀬の里人と朝廷との関わりは、この頃に遡れるようだ。

後醍醐天皇が都落ちで比叡山の向こう坂本へと逃れる際、天皇が載った鳳輦(ほうれん)を担ぎあげて無事に山を越えたことを機に、以後、天皇に仕え、輿丁(よちょう:輿を担ぐ)役で奉仕したとされる。「天皇に仕える里人」が住む八瀬は、山での薪の伐採にも洛中での商売にも、諸税は昭和20年まで免除されてきた「特権の村」であった。

江戸時代には延暦寺との結界争論の結果、租税は一切免除のうえ、八瀬村すべてが禁裏御料に。その感謝の念が「赦免地踊り」として村に300年伝承されているのだそうで、祭りで使用される灯篭は、細工、絵柄といい赤の色合いなどどれもとても美しい。祭り前後の様子を紹介したビデオが流され、独特の風俗を興味深く思った。

 
           ('11.6.25 比叡山ガーデンミュージアムめざして~、 叡山ケーブル八瀬駅へと)

年が明けて八瀬童子のフォーラムが開催される。「八瀬童子の秘密」と題してどのようななお話が聞けるのだろう。『八瀬童子 歴史と文化』の著書がある宇野日出生氏の基調講演が予定されている。市内からも近い八瀬の地だが、よく知らないことばかりだ。
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 「郵便局の木」

2012年12月17日 | 日々の暮らしの中で
いくつもの回り道、寄り道をしながら、その時々に道案内をしていただけた師と仰ぐ人との出会いには恵まれたと振り返ることができる。
禅寺の僧であったが、中学校校長職を退いて市長を務められた恩師の訃報を受け取っていた。いま一度と懐かしい方だったが、長くお会いすることのないままに終わってしまった。かつての教え子でもあったご子息に宛て弔意を認めて…。母が、父が、と喪中葉書きの悲しみが届くことも増えてきた。


赤い実が団子になって、丸く群がった見事な木があった。その根元付近に「郵便局の木 タラヨウ」と書かれて札が立ててある。それによると、
【タラヨウは郵便局のシンボルツリーです。葉の裏に先のとがったもので字を書くとその跡が黒く残るので、古代インドで手紙や文書を書くのに用いた多羅樹の葉になぞらえてその名がつけられました。一説に「葉書きの木」ともいわれています】とあった。

 
よく利用する郵便局だが見過ごしていたらしい。
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 500円の使い道

2012年12月14日 | 日々の暮らしの中で

かなり頻繁に通る道筋にあるというのに気付いた時は「閉店」の張り紙、すでに店内改装工事が始まっていました。その飲食店は、店のメニューを点字で作成することに理解を示してくれて、協力的でした。「点字メニューあります」と記したステッカーもドアなど目につく場所に積極的に貼ってくれる店長さんでした。前を通るたびにそれが目に入ったものです。

ですが、市内多くの店で、実際にはその「点字メニュー」が使われることは少なく、レジ横に立てかけてでもあれば幸い、次第にレジの下にもぐり込み、やがてはどこか奥へとしまわれて、更新の話には「探しておきます」と…。そんな運命をたどることが多いのでした。

そんな感じのよかった店も閉店し、道路を隔てた先にあったコンビニエンスストアーが移転して、昨日新規オープンしました。昨日も今日も、その前を通りました。500円以上買うとボックスティッシュ1個進呈の案内、オープン記念100円割引券がついたチラシが新聞に折り込まれていました。

さあて、私はこのボックスティッシュを貰ったでしょうか?? 100円割引券を利用したでしょうか?
500円も何を買おうか、考えます。欲しいものもないのにあえて500円を使うという気持ちにもなれません。その前に、この「1箱」を目的に買い物をするのには、どうも恥ずかしさを伴う性質です。こういうときは積極的にこうした機会を利用すべきなのでしょうか。オープンの朝、欲しいわけではないのに山積みの箱をちらっと横目にして、その前を足早に通り過ぎたのでした。

無駄な買い物を控え、500円以内でその日これ(↑)を買いました。竹製で、節がきれいに取り入れられて加工してあります。隣の耳かきと一緒にJayに贈るのです。もちろん一家で重宝するでしょう。
な~んだ(笑)Jessieの手の代わりをしてくれそうです。どちらも半リクエスト品。Jayにはメインをちゃんと用意してあります。発送です。



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 一寸先

2012年12月12日 | 日々の暮らしの中で
「決心したらやる やると言ったらやる」

自称“人工衛星”? 事実上は長距離弾道ミサイルだとか…。地球資源の活用に活かしたいと話す人がいた。どこをめがけて、どうやって…。威勢が良いだけなのか、物騒な響きもあるこの言葉。鼓舞するがごときの自画自讃に権力の集中の危うさを感じてみたり。
はたまた、一国の舵取りをどなたに託したらよいのかと、投票日を控えて悩ましい昨今。

「いろはにほへとちりぬるを…す」の47文字に、結びの「京」を加えて48文字。それら文字札と絵札を合わせた96枚がひと組になって「いろはカルタ」がある。ただ、用いられたことわざは、江戸と京都とで違いをみせている。
  「い」  江戸-犬も歩けば棒に当たる  京都-一寸先は闇   
  「京」  江戸-京の夢大阪の夢      京都-京に田舎あり

そもそも「京」という文字は、小高い丘で地盤の固い地に建てられた重層の建物を現わす象形文字から生まれたそうだ。そして、そこには高く明るく大きく強いという意味があるという。
「京」を「ケイ」と読めば、億の一億倍、兆の一万倍のこと、つまりは限りなく大きな、無限に近い数字になる。岩上力さんは、「京」という字には「閉塞感漂う現代社会を切り開く力」が秘められていると感じる、と書かれている。

今年の世相を一字で表す漢字に「金」が選ばれました。明るい未来に向けて、弾みをつけたくなる一字ではないかと感じます。

                                                       出ました~                                      
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 絵本点訳

2012年12月09日 | 日々の暮らしの中で

今年31冊の絵本を点訳することができたようです。すでに活動団体のある地元の図書館に10冊を納めていただいてあるとのこと。そして、今日、社会福祉法人ライトハウス内にある「あいあい教室」に21冊を寄贈することになりました。
視覚に障害のある子供さんたちとその親ごさんの支援を目的に1976年に開設されたこの教室。今年で36年、就学前の子供たち50人余りが利用している様子です。

点字が打たれた透明シールの下には、絵本の本文を読みとることができます。ということは? 視覚に障害のある子どもさんと、点字が読めない晴眼者のお母さんであっても、一緒に一冊の本の世界に入れるということになります。お母さんが読んであげることも可能なわけです。
活動日は月2回とあって、どうしても家での作業が多くなりますが、目下、私は「ちびまる子ちゃん」のシリーズ6冊を仕上げることを楽しみに、三冊目を細心の注意を払いながら取り組んでいるところです。

図書館では、小学校4年生の国語の授業で活用したいと申し込まれ、貸し出しされているようでした。単元<「伝え合う」ということ>では、大島健甫著「手と心で読む」が教材とされていました。知ることが始まり。点字を「知る」ことを通して深まる理解もあるでしょう。とっかかりは小さくとも、その先に広がる世界は未知数です。

ボランティアの仲間と教室の先生とでお昼をともにした日曜日でした。今年春先、私をこの活動へと誘ってくださった友人は欠席。が、実は昨日、レンガ造りが美しい同志社大学寒梅館の7階にあるレストランで歓談しながらお昼を過ごさせてもらっていました。体調を整えられて、新春からの活動再開を心待ちにしています。ぜひまたご一緒に。

 

同志社ビール「寒梅館」などいかがですか。ここは学外の一般人も利用できます。東山連峰の山並みに囲まれて、眼下には相国寺の大屋根が目に入りました。
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 勘三郎さん逝く

2012年12月06日 | 日々の暮らしの中で

5日朝、中村勘三郎さんの訃報を耳にした。息を詰めてテレビ画面からの声に聞き入っていた。
折しも、南座では息子の勘九郎さん、七之助さんが襲名披露の舞台の真っ最中。悲しみを抑え、父に思いを馳せた勘九郎さんの口上もすぐそこから聞こえてくるようだった。
私には「勘三郎」より「勘九郎さん」の呼び方が未だに親しみを感じる。それほど、彼がその名を負った年月は長かったのだ。

ここ何年と、歌舞伎を映画館で見ると言う機会をたくさん利用してきた。南座での公演には何度か足を運んだだけで、もっぱら「シネマ歌舞伎」派と言えそうだ。
スクリーンならではで、迫真の演技を間近にし、コミカルな演技の表情一つ一つに笑い、身のこなし足の運び、台詞のこっけいさ含め、迫ってくる舞台であった。吹き出る汗、激しい息遣い、体に染み込み、計算しつくしていながら、その枠さえ外して観客に飛びこまれる姿。細部をアップで楽しませていただけるのだった。

生の舞台には劣る、とは言えまい。そうではなく、違った良さの中での楽しみがあると思ってきた。ただ、最も「旬」の時から上映までにはいささか時間がかかることだけは惜しい。あいにく、歌舞伎について論じるほどのものは持ち合わせていないけれど、歌舞伎の世界へ、気持ちをより向けてもらえたのは勘三郎さんの舞台のお力も大きい。

「歌舞伎座新開場こけら落とし記念」ということで、来春から毎月、シネマ歌舞伎の上映が企画、案内されていた。
今では追悼公演のようになってしまったではないか…。ならば尚更のこと、勘三郎さんに会いに行かなくては。

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 何をするでもない

2012年12月04日 | 日々の暮らしの中で
午前中は少し書き物などして過ごしていました。じっと定位置に座っていられることで気持ちは落ち着き、時間もゆっくり流れるようです。気付けば12時を回りかけていました。北風の強い一日。青空が広がるのですが、油断していると雨も落ちてくるので洗濯物を出したり入れたり、面倒になって取り込んでしまいました。


北風の掃き掃除も賽の河原、一方では、はらはらと舞い落ちる葉がまだまだ後を絶ちません。歩きに出てみて手が凍え、耳が痛いと感じる午後でした。比叡山の冠雪もみられ、日に日に風は冷たくなっていきますが、満天星が日を浴びて色を凝らしているのが鮮やかでした。「冬紅葉」と言えるのでしょうか。

来年1月12日からの上映が決まった劇団新感線の「髑髏城の七人」、その前売り券が手に入るから行きませんかと誘われて、ではではと軽く乗り合わすのでした。ガンガンロックの音響も意外と不快ではなく、それに小栗旬、森山未来。早乙女太一… この顔ぶれと劇団新感線の組み合わせに、断る理由も見当たりません。「よろしくおねがいします~」とお願いしておいて、…

今年最後の一作600字、課題があります。何を書こう… 頭イタッ! 
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 報恩講

2012年12月02日 | 日々の暮らしの中で

 くらい夜みちをお寺へつけば、
 とても大きな蝋燭と、
 とても大きな火鉢で、
 明るい、明るい、あたたかい。

金子みすゞに「報恩講」という詩があるのを知りました。その一節です。

親鸞聖人の命日である11月28日を中心に、聖人の遺徳を偲ぶ法要が行われます。
一年を通じ最も大切な行事であります報恩講を12月1日・2日と勤めました。
たくさんのお参りがありました。
また、早朝から夜遅くまで、裏方さんとして当番の組みの方々にはとりわけ大きな協力をいただきました。
おかげさまで無事終了です。
  

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