京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

いつも突然に

2008年11月30日 | 日々の暮らしの中で
十一月三十日初日を迎えた南座での『吉例顔見世興行』。歌舞伎の舞台。その時代、役者さんは、十一月から翌年十月までの一年契約で芝居小屋に出演していたのだという。
― これよりこの一年はこの顔ぶれで芸を皆皆様にご覧いただきます ―
役者さんの面(つら)見せが行われたことで、十一月は「芝居の世界のお正月」と呼ばれるという。

客を招き入れる招き看板・マネキ。50枚を2段組みで。十一月二十四日深夜から朝にかけて掲げられた。
「マネキがあがりましたえ、もうすぐ師走どすな」

娘からの突然の電話。
「17日帰るからよろしくお願いしますね~~~」
なに~~?ふ~~ん……そう、わかったよ~…(今ちょっとね…それどこじゃ…)
このトーン、伝わってしまっただろうか。

聞いたことのないほどの鳥のさえずり。開放的な、明るく眩しい朝を迎える国から一変、どんよりした冬の日本へ帰って来るわけだ。3か月ほどの滞在になるのだろう。
3歳の子供の体調の変化やインフルエンザなど心配の種は尽きない。
関空まで出迎えに行くことになる。帰宅すれば夜も11時になる。寒いのだ…
それでも、私をめがけ一目散に駆け寄ってきたあの笑顔に会うために。

お正月を迎えてしまえば落ち着ける。
明るい、かわいい笑い声が上がる。素敵なことだ。ゆっくりしたいものだ。

南座の前売り券、12月18日午前の部で購入できた!
そのあとの電話。お留守番たのむわね。楽しみは譲れない。
1月に入っては、「エリザベート」(大阪梅田で)が待っているのよねー。
楽しいことを考えて今を乗り切ろう。

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京都タワーは“おろうそく”

2008年11月29日 | 日々の暮らしの中で
駅前にそびえる京都タワー。当初はやはり相当な物議をかもしたらしい。多くの市民を納得させた言葉が、「京都タワーは本願寺さんの“おろうそく”」だそうだ。

報恩講の際、本堂の瓦の葺き替えを終えたことで落慶法要を合わせ勤める。
仏具やさんに依頼しておいたものを受け取りに出向いたのだが、珍しくちょっと周辺をぶらぶらしてみようか、そんな気にもなった。

烏丸通りをはさんで西に本願寺さん。対面する東側一帯には法衣店、仏具店・仏教書専門店が多く、一筋裏へはいると、○○詰所、○○旅館、○○インと、本願寺参拝に見えた門徒の方々が泊まられる宿も目につく。
こうした裏筋を歩くことはここ何年もなかった。
数珠選びの人も多い。店員さんがにこやかに応対し説明しているのを聞いていると、「素人の店番」ではさすがに無理だろうなあなんてことを思ったり。

自分はといえば、ある目的をかなえようとする店を探していた。
どこでもよかったのだが、五木寛之氏が立ち寄られた「寺島念珠老舗」店。当時で17代目、創業400年だという。東本願寺ができたときから続いているわけだ。今は、お年を召した方と、お若いご夫婦らしいお二人が主に応対されていた。

先日仏壇に向かい手を合わせたとき、糸が切れた。あまりこだわらないたちなので気にはしていない。直したいのだ。

真宗の正式な2連の数珠(葬儀などで用いる)と、法事や寺詣りなど普段使いにしているものとセットで、はるか昔の結婚式の際に授かった物。
「切れたからと言って何も気にすることありません。守ってくれはるといわはりますよ。買い換えるか直したらよろしいです」と。
買い換えるのは気が進まない。「この際、房の色を変えたら」と勧めてくださったこともあり、従うことにする。どちらもが白であったために紫に。
白無垢の花嫁には、やはり「白」の房?だったのだろうか。

まさか京都タワーに手を合わすわけにもいかない。多くの人に交じって私も初めて写真を撮ってみた。
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息子もおとしごろ

2008年11月26日 | 日々の暮らしの中で
書店で息子と会う。
「見といてや」と言われたのを思い出し、立ち読みに出かけた。
「編集後記」的枠内に、数名が個のスペースをもらっている。

= 28歳を前にしてやっとご報告できます =
うっすらと美しいエンゲージリングの写真が添えられている。

「最近、結婚ラッシュだったのよねー」帰りの電車での会話が浮かぶ。
まさかでしょ。親に言う前に、誌上プロポーズってことはないでしょう…。
いやいや、やりそうなことかもしれない(結果は、まあ、安堵。?)。

周囲の状況に少し感化されてきている口調だ。
前向きに考えようかと、リングを紹介していた。
120年間、ダイヤモンドの業界を牽引してきた○○社の……
そういう、あとのことは、どうでもいいのだった。

一つ気付いたことがあった。
息子はまだ27歳だったのだ。
「姉の歳マイナス1」の単純計算が成立しない時期があるのだ。来月末で28歳に。
少し得したのだろうか、こんなに迫ってから気づいて。

「父さん母さん、期待させてごめん…」なんて文句があったけど、こちらこそ、歳を勘違いしててごめんね~。
息子も“おとしごろ”だわ。

 (写真は、梅の木に松を育て、石竹を移植・松竹梅)
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さて真の軍配は

2008年11月25日 | 日々の暮らしの中で
二日ほどの留守をした。たった二日…。この散らかりようは何だ?!
性分なのか獲得形質なのか、ようわからんが。
片付けるとは、物を右から左へ移動すること?

部屋中に置かれたものをあるべき場所に戻し、やっとの思いで掃除を終え、さあちょっと一休み。と、
「うん?」「何?!」「もお~~~っ!!」
ちゃ~~んと何やら食べた包み紙を落としてある。
「誰だ?!」決まっているではないか。他にはいない。
「もおーっ」「まったく!」“近ごろ”の婆さまときたら、である。

が、実のところは、“近ごろ”始まったことではない。
子供達が幼かった頃。出しっぱなしの物を片付けていると、はたで声がする。
「賽の河原やな」「賽の河原やな」(何度も言うな~~)無駄な努力とあざ笑う?
この足袋はだれのですか~? この帯は?靴下? なんでこんなところにバラバラに? はおりものが部屋の入り口に挟まったままになっている!
誰だ?決まっている。

「散らかし魔 対 片付け魔」のバトルは続いた。
勝ち名乗りは―、「片付け魔」に挙がる。すっきり、スイスイに。
勝利にほくそ笑む。
が、これまた、これまた、ところが!!なのだ。
「どこへしまいましょうか~?」、この結果が、何もないはずの部屋に物が“移動”しているだけなのにほどなく気づくこととなる。
果たして、真の軍配はどちらに挙がったことになるのだろうか。

「習性」やな~。もうあかんなあ~。バトルも下火だ。
婆さまの口癖の一つ、「散らかってるほうがあったかい」。
ムッムッムッ…
笑って過ごさなあかん、笑って過ごさなあかんな~…  ??

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さかい目を越える

2008年11月24日 | 日々の暮らしの中で
近しい人を見送り喪に服し一年。これからは少しづつめでたいことにも目を向けていこう、そんなさかい目としての一周忌を勤めた。
両親、そして昨年急逝した弟と、いずれも早すぎる年齢だ。うわついた心で過ごす私に課せられた試練、そう思えてならなかった。

「東京」。人・人・人。雑踏、活気…。東京駅ホームに降り立つやゾクッとし、自分が一変する瞬間を味わう。日常まとっているものをはぎ棄て、素の自分に戻るかのような嬉しさ気楽さを感じる。まるで二重人格者のようだ。
この街の空気を吸い、蘇る力をもらう。東京が好きだ…。たまにこうして東京の地を踏ませてくれるのも亡き者たちの計らいか。

ここに暮らす息子と、今回欠かせぬ話題もあった。そして弟の残した美しい3人娘のその後、新婚の甥っ子達、若い彼らとの再会・交歓は大きな幸せであり喜びの機会となった。

友人は弟を「歩く誠意」とからかったというが、丁寧な仕事をこなしてきたようだ。
「ジャーナリストには書いたものがある。物書きには書きものが残る。立派な作品を残した。」
結城氏からの追悼のことばだった。
一人ぐらい…の思いを末娘に「文香」の名で残した。ジャンルは異なるが同業界で編集に携わりながら、息子もかなり精力的に叔父の歩んだ道を追っている。
いくつもの若い命は希望を持って踏み出しているのだ。育っている。

私にもまだまだできることはたくさんある。日常出くわす困難や挫折で倒れたとて恥ではあるまい。
立て直しつつ、そんなに強がらないでも済むように生きていきたいものだ。ぼちぼちながら、極力地道に、平凡に、楽しんで。

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なにげない…

2008年11月20日 | 日々の暮らしの中で
「だ―っ、だ―っ、だ―っ…」
目の前を、わめくように大声をあげて歩いている小さな男の子がいる。

「大きな声を出せばいいもんやないんやで」と真ん中のお母さん。
右に手をつないでいるのは弟クンのお姉ちゃんらしい、小学生だ。
この一言で、一瞬ピタ―ッと静まり返る。
(歌を歌っていたのか、と後ろを歩きながら納得したのだが)

「きれいな声で歌わなな」
「やさしくな」
 ……
♪ と~もだち~ と~もだち~

この早変わり。二人声をそろえて。かわいらしいことだ。
お母さんもすかさず「あー、じょうず、じょうずやなあ~」

こんな微笑ましい光景に自然と笑いがこみあげる。
追い越しざまに子供達の顔を見たくて仕方なくなってしまった。
言葉をかわすでもない、が、そのお母さんと一緒に笑い声を上げることができた。

学校帰り、お迎えだったのか、お母さんと手をつないで…。

バスで席を譲り、逆にお説教されるかのような理不尽なことも多い世の中だけれど、実はこんななにげない幸せも、身の回りにいっぱい転がっているのだ。
明日は何の歌を歌って歩くのだろう。


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井戸端会議から…

2008年11月19日 | 日々の暮らしの中で
木枯らし1号が吹いた翌日、シンシンと冷え込む本堂の一角でおしゃべりの声も弾んだ。

お内陣の仏具を報恩講に向けて磨き上げる“みがきもの”の日。みがき粉・クレンザーに水を使い、わらを束ねたもので磨き上げる。手がまっ黒になり、冷たい作業である。背中に少しでも暖をと、ご婦人方を囲んで石油ストーブを置く。席を移し簡単にお昼を取っていただいて半日の予定は終了。おかげさまでピッカピカに。

井戸端会議。話題は最近の新聞投稿記事。

女子高生がバスの中で女性に席を譲ってあげた、その時の光景を見ていた女子大生の投稿。

…お礼を言うどころではなく、降りしなに女子高生に向けて、『言葉づかいが間違っている、「変わりましょうかではなく、どうぞお掛け下さいでしょ」』と説教した。「もってのほかだ」。「近頃の大人ときたら」と結ぶ。

その後の紙上での反響も大きい。「恥を知れと言いたい気分だ」と大人の身勝手さを怒る男子高校生の声も目を引いた。

ここ本堂からも…
なさけないな~
ありがとーって感謝した方がしあわせやな~
「変わりましょうか」は京都の言葉としては汚い…(そっかな…)
あたり前におもてはるんやろ…

なぜ言葉づかいに及んで捨てぜりふのように浴びせかけたのだろう。お疲れだったかな…。
やさしい心で、相手の気持ちに合わせることはできなかったのか。
その場を共有し、譲ってもらったことを喜び、感謝に変えた方が、この女子高生とも幸せな気分を分かち合えただろうに。
こうした日常に出会う些細なことの中で、人への関わりを持とうとすることの方がよほど大きな意味があるはずだ。
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いつの間にか…ではなく

2008年11月18日 | 日々の暮らしの中で
Everyone! Good Monday!で始まった昨日の結城氏のブログ。
実弟とのご縁をいただき拝見するようになったのだが、久しぶりに…。

ウォルマートのサンダウン・ルール(Sun Down Rule)
「太陽が沈むまでに、今日の問題を、解決しよう。」
類似のことわざが浮かぶが。
夏が過ぎたら昼の時間が短くなる。冬至(今年は12月21日)に向かうこの最後の1か月にこそこのルールを適用したら、一日がとても有効に使える…が、いかが?と。

昨日は朝、時間に迫られて家を飛び出した。そして、一日一日先送りし、消化できない物事がたまるばかりの我が身のふがいなさを嘆くことで、読んだままになっていたこのルールの事を思い出した。
せめて「今日という日が終わるまでに」とさせてほしいけれど。反省!

今、周囲の山々は赤や黄で彩られ、「いつのまにか」“錦秋”の盛りに向かっている。真っ黄色に照り映えていた街路樹。美しさを毎日のように楽しんで、幸せを感じるほどだった。
いっせいに刈り込みが始まった。すっきり、寒々!
「いつのまにか」忍び寄る冷気。「いつのまにか」日も暮れてしまう。

刻々日常は変化して異なった姿を見せるのに、うっかり・ぼんやり・いつの間にか…では、本当にもったいないことだ。

秋を彩るもみじやいちょうの葉も、この世に精いっぱいの命の輝きを披露し、はらはらと舞い散る。枯れ葉はやがて養分となって木や花や小さな命を支える。次の世代への最高のプレゼントだろう。人間とて同じ。強い生命力は、感謝の思いで受け止められる。命は受け継がれ、続いていくものだと感じる。

あたり前に過ぎる日々ではなく、いつの間にかにやり過ごしてしまう日々でもなく、自分が生きている基盤であることを意識して“人間界”に目を向けよう。
人間の持つ多様性、自分との違いを楽しめるようになりたいと、最近はよく思うのだ。

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懲りずに、ばかなことの繰り返し

2008年11月18日 | 日々の暮らしの中で
またばかなことをやっている。

報恩講準備を進める中、今週末は上京の予定が入っている。
その週末までに、2軒分の店のメニューを点訳し、さらにワードから拡大文字版にせねばならない。計4種を作成しなくてはならんのだー。
今日ではなく17日、なんと滋賀県の彦根まで、高速を飛ばしに飛ばし?講習会に参加。
完璧に「お疲れモード」に入り、イライラしてくる。

胃が痛む。誰か半分引き取って!!
まさに胃が叫ぶ?
あー、しかし弱音を吐いてもぶつけるところがない。
こんなことしているうちに時間が過ぎる。もうすぐ3時だ!
明日3時間余計に寝せてくれるならいいんだけどなあ。 

「できるだろう」「なんとかなる」の甘さがこうした繰り返しを生んでいる。
悪い癖!なんで直らんのだろうなあ。

結局睡眠時間を削るしかない。そして日中ボーッとして夜うとうと、遅い時間からとりかかり、悪循環の極み。抜け出せない。

週末は息子に会える。
なんとかしなくちゃなあ。
せめて3時間は寝なくては…だ。寝よう!

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北のめぐみ

2008年11月16日 | 日々の暮らしの中で
「北のめぐみ 北の大地が育てた季節のめぐみをそのままでお届けします」とある。北海道産野菜詰め合わせセットを新米入りで受け取った。
Oさん、お心遣いに感謝します。嬉しく皆で分け合いました。

札幌のあるNPO団体からの依頼を受けて、京都とを結んだ活動が続いている。
まるまるミットに収めた形での受け手となっての協力態勢。

セブン‐イレブンのお食事配達サービス、「セブンミール」(月刊)を視覚障害のある方がたにお届けするために点訳をしている。いくつもの工程を経て、いわば時間勝負、短期間で一斉に仕上げてしまわなければならない。申し込み開始日に間に合うよう、全国からの希望者に配送する時間も必要だ。

製作に関しては、労力さえいとわなければ容易だ。
これは、使われることで、利用者によって初めて生命が与えられるものだ。
様々な受け取り方が反映され、本当に必要なものか、もっと便利な形で提供できないか、利用者数の拡大につなげるには…。

作ることばかりに目が行けば、「受け手」不在に。コミュニケーションは一方通行、独りよがりに陥り、キャッチボールにはならない。課題である。社会性を持つ活動にしていくためにも。ここ京都で取り組む点字メニュー作りにもいえる。

こうした活動は、対視覚障害者だけのものではない。こうしたものの存在に目を向け、心をとめていただく、社会への啓蒙でもあるのだ。
少しでも住みよい社会に、知ることは理解への一歩なのだ。

札幌に向けて、ありがと~~。
「あ(A)りが(GA)とう」、のども口も大きく開ける「あ母音」が、弾んだ明るい気分を届けてくれることだと信じ。
京野菜のはがきにお礼の気持ちをのせて~



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おかあさん・かあさん・はは

2008年11月13日 | 日々の暮らしの中で
 しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
 人静まりて後、長き夜のすさびに、なにとなき具足とりしたため、残しおかじと思ふ反古(ほうご)など破(や)りすつる中に、亡き人の手ならひ、絵かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折りの心地すれ。この此(ごろ)ある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、哀(あはれ)なるぞかし。手なれし具足なども、心もなくて変らず久しき、いと悲し。
 =徒然草 第二十九段=

亡き人が常に用い慣れていた道具なども、無心で、いつまでも変わらないであるのを見ると、悲しく心打たれることだ。残されたものを通じて人を偲ぶ。

私はといへば、朝夕、親が仏壇に手を合わす環境に育ったが、無宗教に近い日々であった。
今、世の常ならぬことを目の当たりにして過ごすことも多い環境にあって、少しづつではあるが、いつとはなしに、生活の根深いところで、心のありようを支配してきているのを感じる無常観。
宗教心としての実感ではない。ただ、心の中にしみていく、体の中を血のように流れている…、そんな溶け込みようとして。

今月末、母の命日を迎える。
愛する大切なお母様を見送られたばかりの方もいらっしゃるだろう。
「おかあさん」、子どもたちが私を呼ぶ声はいつも懐かしくときに新鮮だ。
そして、「おかあさん」「かあさん」「母」、どのような言い方にしろ、いつまでも口にして呼びかけていたい言葉の一つでもある。

「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて」…
人生の終わり、死は避けようもない。
その死と結びついて無常感は私たちの心を揺すり続けていくのだろう。

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袖うち振りし心…

2008年11月12日 | 日々の暮らしの中で


「内裏 いづれの御時にか…」
京都御所、秋の一般公開の企画テーマ。秋晴れに恵まれて足を運んだ。

普段は閉ざされているだけに異空間のような気がする。
朱の鮮やかな柱と牛車の配置に少しづついにしえの宮中文化へと心がいざなわれる。
建礼門を背に、承明門の向こうに紫宸殿を見る。即位礼などが行われる。右近の橘・左近の桜が。そして、清涼殿へ。

「神無月の十日あまり」、齢五十を迎える朱雀院の誕生日の式典に先立って、桐壷帝は藤壺のために試楽(リハーサル)を清涼殿の前庭で催した。藤壺は源氏との密通で懐妊しているのだ。
源氏は頭中将とともに思いを寄せる藤壺の前で「青海波」を舞う。
頭中将も人並み以上、だが源氏と並べば「花のかたはらの深山木なり」。
見事な美しい舞に、帝(父)は「涙をぬぐいたまひ」、「みな泣きたまひぬ」とある。

源氏は藤壺に和歌を贈る。
ものおもふに立ち舞うべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや
  あなたのことを思って舞うこともできないほどなのに
  あなたはわたしのこうした心がおわかりでしたか

から人の袖振ることは遠けれど 立ち居につけてあはれとは見き
  ……素晴らしかったです

夫、桐壷帝に気づかれては大変!

源氏物語第七帖「紅葉賀」、清涼殿前庭が舞台となっている。
しかしなんという人間模様か。

イロハモミジの色づきはもう少し先だ。真っ赤に色づく。七つに裂けた小さな愛くるしい葉だ。

   

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…あなたにGood-Night...Good-Bye

2008年11月11日 | 日々の暮らしの中で
『筑紫さんが遺したもの』(TV番組)

“TVで「コラム」”という考えられない発想からスタートしたという「多事総論」。森羅万象、花鳥風月なんでもありのテーマ。その各分野にのめり込むような愛情を持ち、造詣も深い識者であったという筑紫哲也さん。

「コメントするなら30秒」、このルールを違反し90秒枠に。
「原稿なしで自らの言葉で言いきる“すごみ”」「神業だ」
出演者たちは語るが、それでもご本人は語りつくせない欲求不満が続いてきたのだという。
「単純なこと、簡単そうに見えることでも思いを述べるには時間がいるんだ」
“最後”の90秒枠で、はみ出しながらもそうおっしゃる。

すさまじい痛み、なのにそのつらさを顔にださない。仏様のような笑顔。
笑顔は人を温かく包み勇気づけるが、何よりも自分を元気づけるみなもと。
筑紫さんは「太陽の温かさ」で対象者へ迫り、一枚一枚はいでいく、自分が「北風」で真っ向から相手に迫るのとは対照的だったと評した田原総一郎氏。

筑紫さんが遺した『後日録』(残された日々の記録)のページを繰ってくれた。
「これからは、やっていくことが一期一会になると思ったほうがいい」
こう記し生きてこられた日々。

いつ死んでも悔いがないような生き方、実は一番むずかしい生き方に思えてくる。

自分の信念、自分の大切なもの、自分の人生を支える価値観…
向き合うことの大切さをさらにさらに感じる。

 今 あなたにGood-Night
 ただ あなたにGood-Bye 
     
    …井上陽水が歌っている
  
      
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腹巻の女

2008年11月09日 | 日々の暮らしの中で
「腹巻きする女の人は嫌いですか~?」
FM 京都αステーション、“京都の顔”谷口キヨコの転がるような滑らかなおしゃべりが聞こえてきた。
レースが付いたかわいい“腹巻き”があるのだという。“腹キャミ”、腹巻き+キャミソールなるものも。家用なら、ズバリ「腹巻き」でいい。
腹を温め、心を温め、腹のうちは見せないように…??

悪口でも、関東なら「あのバカ」程度でさらっと終わるが、これが千年の都、京都となると、陰口にも磨きがかかって粘りがある。嫌みな隠し味がある。
奥深い京都にあっては、陰口を含め、人の会話や議論に独特なものがある。

悪口をテーマにしたコラム一編より。

表向きの言葉を真に受けてはいけない、本心ではない…、そんな言葉は耳にもしてきた。
薄いオブラートに包んだもの言いはソフトだ。それも腹の内のさぐり合いになるのだろうか。腹で笑われ、けなされて…それもカナンなあ。
腹を割って話すなんて無理なこと、だろうか。

寒さ嫌いのくせにだての薄着派の私、今年の冬対策、腹巻きをして過ごそうか。
着ぶくれしないで済みそうだ。イロケのないこと。
大きな声で言うべきにあらずだったかな。
お腹を温め、こころも優しく、人との御縁は大事にしよう。粘り強く…

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人生事情

2008年11月08日 | 日々の暮らしの中で
人生事情。
「不惑」の年を前にしてすっきりとシャープな顔立ちになっていた。
久し振りだ。思わず声をかけると、彼女は立ち上がり、私の顔に手を当てながら、記憶を確かめてくれているようだ。
「Keiさん、実は自分は……だったんですよ~。名前を変えました」と断言する。私の承認も得たかったのだろう。
突然与えられた彼女からの承認欲求。だが、以外にもすんなり心の中を通過してしまい採択された。

8年ほど前の出会いになる。もっと正面から素直に物事を受け止めたらいいのにと感じていた。とがった神経に触れることも多かった。東京の話題を共有できた数少ない知人。

自分の性別にずっと違和感を持ち続けて生きて来られた方だったのだ。
思うように生きたい、なりたい自分になりたい、社会的にも認めてほしい。
学びの場を得て、自己肯定の生き方を確信し、決断された。
そして実行、自分の名前を男性としての名前に変えた。

誰もがそれぞれの運命の中で生きているのなら、彼女(彼)の心も晴れ晴れと、ゆったり素直に過ごせるものであって欲しい。
私が道徳感や倫理観から、眉をひそめることもない。他人に迷惑もかけず、自分の幸せを求めた結果だろう。むずかしく考えず、彼女(彼)の心の持ち方を理解していこう。私にとってSさんはSさんであることに変わリはないのだと思う。

「何という名前にしたと思いますか」
その問いかけに、一部正解を得た。
親からのプレゼントの一字をそのまま最後に置いて、それへの感謝、奉公の思いを一字添えていた。

きれいな顔に柔らかな表情が浮かんでいる。
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