京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 入賞

2015年03月31日 | HALL家の話
昨夜はトンカツディナーで縁起をかつぎ、今日のクロスカントリー大会に臨んだJessieでした。

 
                                    (2009年、賀茂川土手を上ったり下りたり)
オーストラリアの現地校で、すでに4年生に進級しているJessieは2005年生まれです。
レースは3キロ。もちろん男女別ですが、学年単位ではなく年令分けになっているというのですが…?
2005年生まれと2004年生まれの子がいっしょに走るというレースでした。学年で括ると、遅生まれ・早生まれの差が大きいからということらしいのですが…。そうはいっても実質、4年生と5年生が一緒ということで、4年生にすれば大きなハンディがありそうです。不利だと思わされます。ところが、レースを終えてみれば4年生、2005年生まれは大健闘だったようです。

1、2位は5年生  3位は「いつもJessieより速い」4年生  4位は「なぜか今日はがむしゃらに根性で走り抜いて名乗りを上げた」4年生  5位にJessieで4年生  6位にも4年生

この6位までの入賞者には、地区大会への出場資格が与えられたのだそうです。ここをパスできたら、次はブリスベン大会。その次は…。とまあ、レースタイムは個人的には更新、今一度のチャンスを得ました。Jessieからは「頑張って練習する」と力強いことばが聞けましたが、「無理しないで頑張って」と添えました。


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 花時

2015年03月30日 | 日々の暮らしの中で


「サクラ前線」ということば。気象庁が使い始めたのではないのだという。発表された開花予想日をマスコミがサクラ前線と翻訳して一般に伝えているらしいと外山滋比古さんの著書で知った。今頃!だけど。いつの間にか市民権を得たことばということになる。

気付けば、サクラの開花が始まっていて慌ただしくなった。気持ちが、だ。ブルーシートを敷いての花見はしないが、そこかしこ、辻々をまがったところにある公園にも、植物園の塀越しにもサクラサクラ。住宅街の後方に山を望めば山桜が染めているし、賀茂川沿いに歩いてもサクラ。特にどこかへ行きたいと考えることがないこの季節だけれど、今日も花見の人出で賑わっていた。そうなると、どこかへ出かけなくては? 見なきゃ損とも思えてきて、落ち着かない。




義母の一周忌も勤め終わって、午前中は家の片づけに追われていたが、花時の賀茂川沿いを歩いた。上賀茂神社もまだこれから。
今夕、電話で「雪が降ってる?」と聞いてくるTylerだった。冬の日本しか知らず、いつまでも寒いと思っているのか。雪の代わりに花吹雪を見せてやりたいものだ。花を摘んだり川の飛び石を渡ってみたり、楽しむことだろうに。一方、Jessieは夕食にトンカツを食べて明日に備えたという。「今年こそ!」、母親の鼻息に背を押され、クロスカントリー大会に臨む前夜。
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 花の盛りに

2015年03月26日 | 日々の暮らしの中で


古木も、少し遅めに今や花ざかり。
昨日までの厳しい寒さとはうって変わった今日の陽気の中、姪の結婚式の案内を受け取った。

弟が倒れたのは、彼女が大学受験を前にした12月だった。意識不明になった父親を涙をこらえて見舞い、こっそり涙をぬぐう姿を私はそっと傍で見ていた。弟が残した三人娘はそれぞれに道を選んでいるが、正式な招待状はこの子が初めてのこと。
学生時代からのおつき合いだいう。しばらく前に電話で話をしたが、思いがけなかったのは新生活の拠点が兵庫県だということと、お腹に新しい命を授かっているということ。夏にはベイビー誕生。これまでは何事かがなければ会う機会もなかったが、同じ関西圏に住んで、お付き合いも増えるのかしら。わかりません…、ね。
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 あら不思議~

2015年03月25日 | 日々の暮らしの中で

「密教」「密教の言語観」「曼荼羅」とは…。追いつけず、途中からは切り抜くだけで重ねるままだった新聞記事。
神仏習合、この世の極楽浄土、何でもありのようなこの高野山の姿はなんなんだろう、など余りに素朴な?思いを今回の高野山行きで改めて抱いたのがきっかけになったか。玄侑氏と五木寛之氏の対談の書の中で「宗派の垣根は消えつつある」「自力の限界に他力の風が吹く」「禅と念仏の融合」といったことばに触れてもいたのだったが…。高野山から帰ってから、高村薫さんの連載記事「21世紀の空海」を興味深く読み進めている。

「言語宇宙支える身体体験」 「密教は何より儀礼の宗教である。金色に輝く法具を駆使し、不可思議な真言を唱え」「荘厳の極み」
「高僧、かつ社会事業家」 「東寺を根本道場に、高野を往復」 「念仏持ち込み、荒廃救う」 「密教道場が変貌、安寧の霊場に」 
「四国霊場巡礼、つつむ高揚と多幸感」 「山は漠とした祈りの対象」 「大師も信心の一隅の存在に」 「時代に追い越された密教」

「歴代の高野山座主は浄土信仰を持っており、山岳霊場の高野浄土は次第に『阿弥陀の極楽浄土』あるいは『弥勒の浄土』になっていった」「中世の祈り」
高野聖が念仏を持ち込んだことで浄土信仰が根を下ろし、その浄土を、「弘法大師は高野の御山にまだおはします」と言う信仰がありがたいものにしていった。高野山開創以来初の最高権力者、藤原道長の高野山登拝。道長が臨んだ法要が天台僧による法華会、法華経によるものだったことは「浄土信仰の霊場と化した姿」で「天台宗と真言宗の格の違いが垣間見える」

最終回、「比類のない密教の体系を築き上げ、一人でそれを体現したうえに、入定後は弘法大師に姿を変えて1200年生き続けているのは、間違いなく人間離れした存在だと断言したい」とある。
難しい漢語や法語、教義にあふれる中で、掬い上げることができた部分を追うしかない理解だけれど、今だけは気持ちが向かっているからあら不思議~。
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 わずか1%、だけれど

2015年03月23日 | 講座・講演

(「お受戒」のあった大師教会の堂内。開始までは写真撮影が許可されました)

ほんの少し日常を離れ、高野山開創1200年を記念した春季特別講座に参加してきました。
講師は倍賞千恵子、鎌田實、五木寛之の三氏。静かに語りかける鎌田さん。これまで著書を読んだこともお話を聞いたこともありませんでしたが、自分が両親に捨てられたことから話は始まりました。拾ってくれた人は、心臓の悪い母親と、治療費を稼ぐために夜中まで働く父親でした。母を見ていて、医師を目指そうとするのですが「高校を出たら働け。勉強などしなくていい」と父親には受け入れてもらえません。「勉強がしたい」、思わず父親の首に手をまわしていたそうです。父の涙を見てようやく手を離した、と。「人の心には獣が棲んでいるんですね」「人は心を持っているんですね」。父親からは「好きに、自由に生きろ」と言うことばが出ました。
医師で作家の鎌田さん。長野県では地域住民とともに「健康づくり運動」を実践し、長寿日本一の県に。畑仕事やボランティア、生きがいを持つことが健康で暮らす秘訣のようです。「99%は自分のために生きても、1%はだれかのために生きませんか」とお話でした。

五木さんは「慈悲」ということばの「悲」に触れて「笑うことと同様、悲しむ・イタム気持ちを育てることが必要だ」と。「悲」の感情、「涙する」という感情が大切で、鬱から抜け出せるヒントになることをお話でした。人々の鬱、不安を取り除くのに宗教や寺の果たす役割は大きいと思うとも。


(リハーサル中です。)

21日夜、声明公演がありました。高野山に伝わるのは「南山進流声明」と呼ばれるそうです。通路の後方から二手に分けて登場。節をつけて歌い上げる仏教声楽。内容などわかるはずありませんが、素晴らしい声量、微妙な節の美しさ、ただ聞きほれた幸せな時間でした。

お彼岸の夕日が大門に当たる光景を見たいと願っていたのですが、午後の講演が16時30分に終わって17時からの夕食に間に合うように会場から離れた宿坊に帰らねばなりません。昼から日差しが出て、西日が壇上伽藍に差し込んでいるのを見ながらの帰路でした。大門へは宿坊を通り越してもう少し歩かなくてはならず諦めましたが、少々心残り…。
二日目は気温も上がって、コートなしで歩ける温かさに。日程は詰まっていましたが、宿坊での出会いにも驚きがあり、心安らぐ楽しい2日間を過ごしました。


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 「耳を澄ませるように…」

2015年03月20日 | 日々の暮らしの中で


子供の頃、車酔いをしていた。小学校の遠足に、酔うのがいやで参加しないこともあった。母がクラスの役員を受けていた年、私の遠足に同行したことがあったが母のほうが気分を悪くしてしまって、子供心に「かわいそだな」と感じたのを記憶している。車酔いって遺伝性の何かがあるのだろうか。そんなことを昨日、大阪の友人らとしゃべっていたら、「前方を見ているのがよく、次は右に曲がるかな、今度は左かな?と考えているとバスに酔うこともないらしいよ」と教えてくれた。

長じてはめったと酔うこともないが、熊野古道のウォーキングツアーに参加した初回、クッションの悪いマイクロバスでムカムカし出した不快感が忘れられず、以後酔い止めを持ち歩くことになってしまった。このつまずきが今に続き、飲まないこともあるが、縁が切れない。明日は往きだけでも飲んでおこうか…。9時集合、新大阪駅に着いてからの判断になるのかな。

高野山行きの準備も整って、今夜は早寝をしようと決めている。
「多忙のために見失ったり、聞き落としていたものが、見え聞こえてまいります。物事に耳をすませるように時を過ごしましょう」、松原泰道さんのこの言葉を胸にしまって…。 「春彼岸さとりの種子(たね)をいただかん」(三木照国)

「高野山開創1200年記念 春季特別講座」、1泊2日のミニ版ながら豊かな時間を過ごしたい。

(昨夏は、女人堂を訪ねたあと戻って写真の奥の院の入り口まで歩いた。明後日、奥の院を案内いただくコースに申し込んである)
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 3冊516円でも

2015年03月15日 | 日々の暮らしの中で
“濃いお茶、目の毒・気の薬”とか。
いつもは平気なことが多いのに、夜遅くに飲んだほんの少しの一杯で目が冴えて困ってしまった。そのわりには今朝の目覚めは良し。



ここしばらく家にへばりついていた。抜けられない用事などがあったのだが、そうなるとムズムズと、電車に乗って人なかへ出たくなる。琳派400年記念の催し物もあるが、結局行き着いたところは本屋さんだった。新刊の書店で立ち読みし、中古本の店で何かないかと背表紙に目を凝らし、文庫本3冊を516円で購入。ここを訪れるのは3回目だが、意外に掘り出し物的一冊に出会える楽しみがある。

昭和13年発表の作品。新潮文庫から昭和29年発行(75刷)。「蘇峰が激賞し、荷風が褒め、カミュが絶賛し、与謝野晶子をして感嘆せしめた」この『○の○○』は、英、仏、独、中国語など6カ国語に翻訳されていると。さ~て、なにかな~? 読んだ方は多いだろう。

中古本の系列店では、バーコードの部分に値札シールが貼られている。新旧の値段が2枚重ねだったりもして、これがきれいにはがれないことがある。ベタベタが取りきれず、こすった揚句がこんなふう。たとえ中古本とはいっても、思い入れあって手に入れたものは大事にするのに本当に嫌。

書棚を見ていると2‐3歳ぐらいの女の子がやって来て、本をつまみ出そうと遊んで傍を離れない。母親が名前を呼びながらやって来て急いで連れ去ったが、勘違いされそうな勢いだった。危険も潜んでいるのだな、街歩きには。
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 容易ならぬ語

2015年03月13日 | 日々の暮らしの中で


ブログを更新するために費やす時間を他のことに向けて過ごしていました。
この間には、Tylerがリンゴ病と診断されたという便りが届きました。発熱もなく痒みもなく、食欲があると聞いて一安心。
彼が生後1カ月を過ぎた2011年10月末にはJessieがリンゴ病と診断されて、Tylerには「よるなさわるな」と大慌てしたことを思い出します。ちょうど彼らの家に滞在中でした。発疹が出た段階ではすでに感染力はないのだとか。それを知っていたら…。

オーストラリアに帰国して1か月半ほど。寝る前の「楽しかったねえ、今日。おやすみー」の言葉が思い出されます。駄々をこねて泣きべそをかきながら寝床に着く日もありましたが、翌朝にはJessieより母親よりも早起き。「おはよう」に続くことばは「ヨーグルトちょうだい」でしたっけ。
「日日是好日」の言葉と重ね合わせ、こんなふうに一日一日をくくっていけたらいいのになあと教えられた思いでした。

「好日」は中国では物事をするのに日柄がいい吉日で、日本で言うなら「大安」。けれど「日日是好日」を毎日が大安吉日、などと捉えては甘すぎるというわけです。幸運の日があれば、落ち目の日も大凶に通じるような日もあって一年、一生。苦境を苦しみながら、〈好ましい日には得られない価値と意味を見つけたら、生きる喜びが得られる〉のだと。
「日日是好日」を「容易ならぬ一語」と説かれることを改めて考えさせられて、今頃頑張って書いているだろうかと、一人の友が思い浮かぶのでした。

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 真如堂で涅槃図公開

2015年03月06日 | 催しごと
高野山春季特別講座の聴講証はすでに届いていて、宿坊の案内も同時にありました。あとは、新大阪駅から直行バス利用を申し込んでおいたので、この案内を待っていたのですが、それも今日届いたことで全てがそろいました。
昨夏の講座参加の折には、金剛峯寺にほど近い宿坊でした。お隣は「滝口入道と横笛」ゆかりの大円院。午後の部開始の前にそっと門をくぐらせていただくと境内には、柳原白蓮の歌碑が。―― 鶯は大円院で今日も鳴く一切煩悩皆空なりと
今回は西の大門に近い宿坊でお世話になります。会場までは少しありますが、歩く時間がこれまたよいのであって朝の散歩なども楽しみの一つです。三月中旬の高野山はまだまだ冷え込むようです。


ところで先日、真如堂(正式には鈴聲山 真正極楽寺)で3月1日から涅槃図が公開されているのを知り拝観してきました。
釈迦入滅は旧暦の2月15日。その日は釈迦の遺徳を偲んで、涅槃図を掛けたりして涅槃会が開かれます。東福寺や泉涌寺の涅槃図が有名ですが、公開は14日~16日。比叡山の延暦寺を本山とする真如堂では3月1日からの公開でした。

頭北面西で横たわるお釈迦さま。その回りには嘆き悲しむ弟子や動物が描かれて、その数60人余り、127種だそうな。手前に見えるガンジス川には、魚だけでなく海にいるはずのタコ、クジラも一緒。動物の中には花を口にはさんでいるのも見て取れます。イノシシの首の下あたりには、丸くなった猫の姿がありました。涅槃図に魔性が嫌われたようですが、東福寺の明兆作による涅槃図にも猫がいるのです。猫はよく明兆のお手伝いをしたらしく、そのお礼に「お前も書いてやろうか…」って。いつぞや、そんなお話をうかがったことがありましたが、さて、それってホント?


黒谷、真如堂界隈は散歩のお決まりコースに入っていたと記しているのは、40代、50代の頃にここからほど近い聖護院の地に住んでいた五木寛之氏。黒々とした三重塔を右に見ながら緩やかな昇り坂になった石畳みの参道をあがっていくと、青空をバックにした本堂がゆったりとその全容をみせてくる――、「この風景が大好きだ」と。
「黒谷さん」と呼ぶ光戒光明寺は真如堂の南側で、法然上人が草庵を結んだところです。

写真の右はパンフレットにあった涅槃図公開の様子。写真左、皿の上にあるのは「花供曽」です。正月にご本尊に供えた鏡餅のお下がりを小さく刻んで軽く焼き、黒砂糖をからめた菓子だそうです。「花供御(はなくご)」に由来するお供物の意で「はなくそ」です。無病息災にあずかれるのだそうで、先ずはこの先2週間余りを順調に送らせてもらえることを願って、甘いのですが沢山いただかなくては。

境内のもみじが色づき始める頃、毎年11月5日から15日までの10日間の年中行事の一つで「お十夜法要」があり、その最終日15日に「うなずきの弥陀」が開帳されるのだそうです。衆生の、特に女性の救済を願うとされるらしい。
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 「雨くさ」

2015年03月03日 | 日々の暮らしの中で
                                       
地下鉄を降りて地上への階段を上がっていたとき、少し前を行く女性二人の会話の中から聞こえてきました。
「むっちゃ雨くさ」

「くさ」って!? 階段の上にはもう空が見えていて、車が往来する音が耳に届きます。路面が雨で濡れていそうなことを察することはできました。まあ、<むっちゃ>と言うほどでもありませんでしたが。それにしても、「くさ」ってなんや!?って腑に落ちずにいたのでしたが、…まずはこう思い当たったわけです。

ひと月ほど前、魚の煮汁を煮詰めすぎて、鍋はこげこげに…。焦げ臭いにおいが漂い始めてようやく気付く出来事がありました。
「こげくさい」。ひと言で「クサーッ」ともなりそうな勢いなのですが、この「こげくさい」と「雨くさ」は同じかと。あー、でもちょっと違う。これでは、明らかににおいが漂います。
雨の匂いを言っているのではなく、「雨降ってるっぽい」ってことなんでしょう。となると、よく言われる「年寄りくさいこと言わないで」っていうのと同じでしょうか。あれこれ難しい日本語。「むっちゃ雨くさ」ってありなんでしょうかね。

鍋の焦げ付きも完全には取れず、ただ今使用不可能。ぼちぼちこすってみていますが、まったく辛気くさ!!  
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 春を召しませ

2015年03月01日 | 日々の暮らしの中で


冷たい雨の一日。尼講さんが本堂に寄りました。ご門徒の、高齢女性がたの講です。雨で参加が減るかと思いきや…。一応、組み分けしてあって若い方のお手伝いがいただけます。いつものように朝からおくどさんで味噌汁を炊き、持ち寄られた漬け物を並べ、お豆さんでもあれば上等。メインはばら寿司という「姫御膳」を囲みました。
この時季だけは雛壇の後方に3分の2が隠れてしまう仏壇ですが、義母の指定席にお供え。そんなところにじっとしてもいないのでしょうけれど。
どうぞゆっくりと、春を召しませ~。


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