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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 人から学ぶこと

2013年06月29日 | 日々の暮らしの中で
土曜の朝は、「サワコの朝」が私は好きです。
毎週午前7時半から楽しみにしているテレビ番組です。NHkの朝の連続ドラマも見ていないというのに、なぜか忘れることなくテレビの前に座っています。

ゲストの生物学者・長沼毅さんは、若い頃宇宙飛行士の採用試験に応募し落選、夢破れた体験をお持ちだと。
人生に疲れた、生きるのが辛い、うつ的な気分に襲われる等々、それは脳で考えることであって、自分を動かしている「生命力」は逞しいな、と思っていると言われます。生命は「はびこりたい」と思っている。つまり、常に、生きたい!と思っているのだと思う、と。
語り口が丁寧です。サワコさんの言葉に耳を傾ける、その表情の誠実さも好感が持てます。

以前、五木寛之さんがこの番組で、「対談は表現の王道だ」と言われていました。「事前に考える事はあっても、結果は即興」で、飾ってみても、その人間以上に見てもらうことはできない、と。「無差別が大事。何でも試してみる。直感は毎日磨いていくことが大事」など、印象に残った言葉でした。来週は、小泉孝太郎さんとの対談です。
自分ばかりが滔々としゃべろうとする人、聞く耳を持つ人、人はいろいろだなあと、自戒を込めて思ってみています。


「絵本で英会話」でご指導いただいてきたヘレン・レベッカ・テイ―ル先生は、日本在住40年になるそうで、その間ずっと金剛流の能楽を学ばれています。師の宇高先生から紋付きをいただき、今や“師範以上”だそう。金剛能楽堂において「能楽大会」が開催され、初日の今日は、各国からの国際部会員の方々の舞台(発表)があり、初めて拝見してきました。

先生(小鴨梨辺華さん)は、仕舞で「藤」を演じられました。
会場の雰囲気が変わったような気がしました。禁止のはずのカメラのシャッター音があちこちでします。舞台上の凛としたたたずまいが、目に焼きつきました。

学ぼうと思えば「師」の存在は自分のほん近くに、身の回りにたくさんいてくれます…。よき出会いに感謝です。

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 土壌改良

2013年06月28日 | こんな本も読んでみた

 「たのしみはほしかりし物銭ぶくろうちかたむけてかひえたるとき」、橘曙覧がいう。
銭ぶくろから小銭をたったの二つ、100円硬貨1つと5円玉をレジで払って、手元に置きたいと願っていた『群青の海』(1993年12月15日第1刷発行)を思いがけずに手に入れることになった。欲しいものを手に入れる、やったね!! ぞくぞくっと、愉快だ~!!

草むらに埋もれたブロックを移動させようと思い、ついていた泥を落としかけたら、突然にくねっ!と動くものが現れた。にょろにょろと出てきたミミズが2匹。ぶるぶるっとしてからシャベルですくいとって遠くへポイッ! 
ミミズは土を食べ、そこに含まれる有機物や微生物を消化吸収し排泄するという。ということは、土がミミズの腸を通過することで田畑の、我が家の庭の土も、肥えた土に生まれ変わていくことになる。
土壌改良のためにもミミズが利用されるとは、あの気色悪い外観でエライ優れた働きをしているものだ。一瞬の悲鳴のあとにシャベルの先で思いっきり跳ね飛ばすことなど、まったくもって無礼千万なのかもしれないけれど、でも、やっぱり…。

生態系の要にある土壌、人の営みにおいても同じことだ。良い環境を整えて、と思う。 いいことづくめでは終わらなかった。



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 奥琵琶湖を訪ねて‐②

2013年06月25日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて

湖北沿岸の素晴らしい光景を見てみたくて、「ぐるり琵琶湖ウォーク」ツアーに途中参加したのが5月20日。昨日6月24日、前回のゴール地・塩津浜を出発地として-月出集落- 月出展望所‐ つつじ平展望所と葛籠尾崎の半島を南下しながら - 菅浦まで、約11kmの行程をクリアーしました。
月出集落までは湖岸沿いを歩いておよそ1時間。ここからです、民家の脇から入っていって菅浦まではアップダウンを繰り返す山道が続きます。昼食後からしとしとと雨が降り出しましたが、しばらくは樹林帯がやさしい傘を広げてくれていました。

 

月出の集落を抱えて静まりかえった琵琶湖、霧に煙った琵琶湖、いずれもまことに神秘な景観です。


イノシシが一目散に逃げていきました。根っこを大きく掘り起こしたあとがそこかしこに。「熊に注意」と注意板が立てられています。落ち葉の積もった段差のある上がり降り、枯れて荒れ放題の竹林、木々が倒れ、崩れた岩がごろごえろとした歩きにくい道が続きました。いよいよ菅浦集落まであと一つの下り道を残すだけとなった頃には、雨も上がり空にも明るさが増してきていました。
初めて目にした菅浦集落の光景は…

道なき道をくぐり抜け、ひょいっと出た所が灯篭が立ち並ぶ菅浦神社の参道だったのは、驚きでもあり大感激でした。


葛籠尾崎の半島が、断層運動によって押し上げられた山地だと知ったのは犬養孝さんの著書『万葉の旅』ででした。湖北には、大崎と葛籠尾崎の二つの半島が北から南に突出しています。そして、そこに奥深く入りこんだ小さな湾をいくつも抱えているのです。
菅浦は葛籠尾崎の西側の湾入りにあり、奥びわこパークウエイが開通するまでは、道とも言えない道が1本あっただけ、人の来ない陸の孤島状態でもあったようです。惣という自治組織を形成し、集落の入り口に立つ四足門より中へ他郷の者が移り住むのを許さなかったような集落でした。

理由はあるようです。菅浦という集落は、「淳仁天皇に仕えた人の子孫と信じられており、その誇りと警戒心が他人を寄せつけなかった。外部の人とも付き合わない極端に排他的な」だった、と白洲正子さんです(『かくれ里』)。



「岸辺に打ち寄せられたように小さな集落があった、風光の清らかな、寂とした流離の里である。… どこからか侵入者を監視する目を感じる」。 芝木好子さんの『群青の湖』をきっかけに強く関心を抱いた菅浦の地。主人公瑞子が自ら命を断とうと向かった先が菅浦でした。
参道をしばらく登ると急な石段の上に白木の神社が現れて来るようです。せっかくここまで来て、行ってみたかったのですが、…。「ここは死者の眠る奥津城なの。さざ波は人が死んで還ってゆく黄泉路でしょう」瑞子が言います。
今はすっかり門戸開放、民宿数軒、国民宿舎もあるようです。ですが、流離の天皇を祀った由緒ありげなかくれ里、私たちはそっと、静粛な気分に包まれて?入らせていただき、後にしました。


青さが深まる湖に葛籠尾崎の影が落ち、竹生島がすぐそこでした。波も立たない湖中に吸い込まれていくような静けさです。なにか心残りがあるのか、何度も何度も菅浦の集落を振り返らずにはいられませんでした。
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 梅雨

2013年06月22日 | 日々の暮らしの中で
二日ほど降り続いた雨の中で、木立は鮮やかに緑の深さを増していた。空気が湿っているのも肌にはよいとかだが、立て掛けた葦簀を伝わり落ちる雨の滴を見ながら、なにやらほっとしていた。肌寒い気温だったせいもある。神経痛で腰が痛いと言う友の声がないわけではないが、今のところは、じめじめとして身体にカビが生えそうだと嘆くほどの梅雨ではない。
梅雨空のうっとうしさの合間にでる陽射しは蒸し暑さを増すことになって、閉口するのだけれど…。
暗い雲がきれてお日様がのぞいた。



             黒く又赤し桑の実なつかしき  高野素十

熟れた実が黒光りしている。








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 「カキ」に習う

2013年06月20日 | 日々の暮らしの中で

今年こそと思っていて、またしても見損なった柿の花。もっとも、渋柿も富有柿も枝の剪定などはしたことがありません。手をかけてもらえない木は花芽をつけないのでしょうか。いつ咲くのかと気にかけていましたが、ご覧のように青く小さな実が生っていました。

「柿の木には自己管理能力があるらしい」といわれるのは坪内稔典さんです。柿の木の下、草に隠れて実がごろごろ落ちている時があります。ジューンドロップ(六月の落果)といい、成り過ぎを防ぎ樹勢を保つ柿の木の知恵なのだそうです。過剰にため込んだなにやかやを見直しながら、我が身に良質の実を成したい。柿の木に習いたいと思った私です。

ドキドキして封書をあけますと、大きく太い文字で記された「御礼」の文字が目に飛び込みました。
「日中戦争や第2次世界大戦時に4度中止になったものの、…脈々と受け継がれて、今年89回目を迎える毎日新聞社最古の文化事業となりました」とあります。高野山夏季大学参加申し込みの件でした。
「緑豊かな環境の中で旧交を温める人々や、新たな「一期一会」を求めて、約800人の皆さまが高野山にお越しになられます。今夏の高野山夏季大学が皆様にとって有意義なひと時となりますよう祈念いたしますと共に、皆様のご来場を心よりお待ち申しております」と続いています。

宿坊も決まりました。「○○院」、先ずは思いをかなえさせていただけて○○? いえ、一歩踏み出せただけのこと、真の意味で○○にはなりません。青い実が熟すのは先の先の… そのまたずーっと先の話です。が、希望のある嬉しい名の宿坊です。

わずかな文面に不思議と温かみを感じ、気持ちが高揚してくるのでした。何度も読み返しました。
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 「吉」ならず

2013年06月18日 | 日々の暮らしの中で
江戸時代の暦には日付けに干支、雑節などをはじめとして様々なことがぎっしりと書き込まれていたと岡田芳郎さんが書かれている。おこないはじめ吉(何かを始めるのに吉)という暦註もあり、その日の吉凶を知り、行動の指針を得ていたということだ。

この季節、少しでも暑さや陽差しを避けた時間帯に歩いたほうがよさそうだ…、と考える。だが、これまできまぐれでそういう日もあったという程度で、朝から歩く身体づくりはしてきていない。時間もない。何より一日のリズムが狂うこともあって敬遠気味できた。

 

ウォーキングも気持ちがはいらず、回数も激減のこの頃。いつまでもおさぼり状態ではいられず、雨になるという予報に一念発起の朝だった。快調にスタートしたはずだったのに、結果は無残なことに…。案の定、眠気に襲われ、一日中ぼんやりと過ごしてしまった。ゴロンとしてはうとうと…、今何時!?朝? 一日穴倉で暮らしたような気分。体力が落ちているかもしれないと感じるのは、気のせいだろうか。
今日は「吉」ならず、ということに。
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 「八重を育てた故郷」

2013年06月15日 | 展覧会
「会津と八重  八重を育てた故郷」 この企画展の一環として、講演会「八重を育てた故郷を語る」に参加してきました。
会津歴史考房を主宰される野口信一さんが「会津若松城下 その歴史と文化」、同志社大学の露口卓也教授が「八重と兄・覚馬に見る会津」と題して講演された後、対談されました。


6歳から9歳までの男子のグループが、遊びの内に人の道を習い、日新館には10歳からの1000人以上の入学者が学び、藩内には100か所に及ぶ私塾があったとのこと。「什の掟」に示される「ならぬことはならぬ」に触れられ、愚直で、融通がきかないといった会津の精神性をお話です。会津の誠意、忠義、誠実さを丁寧に描いてくれてあると、NHK大河ドラマ「八重の桜」の感想も述べられました。資料提供をされているのです。

5‐7代の藩主に仕えた家老・田中玄宰(はるなか)による庶民生活向上のために、良質の手工業品での殖産興業。改革とその功績を「会津名物類聚」を示されてお話でした。人参役場、ニシン鉢と山椒漬け、会津彼岸獅子、唐人凧、会津蝋燭、絵蝋燭、会津塗物、本郷瀬戸、下坂槍、長道刀…。廃藩置県で「藩」のタガが外れたことで生き残る道ができ、名を成した多くの会津人。
これまで『エッセイ 麗しの磐梯』(会津マッチャンさんのブログ)で拝読してきたことが時折思い出される中、野口さんのお話に耳を傾けておりました。

鳥羽伏見の戦い以後、朝敵、賊軍とされてしまった会津。恭順を示しているのになぜ徹底的に会津を攻撃したのか。難しい問題だとしながら、残された人たちがどんな思いで明治以後を生きてきたのかをテーマに露口教授はお話でした。「亡国」とか、感情の複雑さを私にはすべては理解しきれないですが、関心を持って拝聴しました。

会津戦争後70年を経ても「言語に絶する狼藉を被りたること、脳裏に刻まれて消えず」(会津人柴五郎の遺書)、「ひどく悲しいことが重なって…お話するのも嫌になる」(日向ユキ「万年青」)…と、理不尽の情、遺恨の情を訴えながら生きた人たち。
一方で、そういった思いがない筈はないが、八重も覚馬も恨みつらみを内に抱えて生きたとは思えない。薩長批判をしたものを読んだことがないと言われます。
囚われた薩摩人救済のために東京に赴き助力した覚馬という人間。敵を敵として認めるが、敗北感は認めない奮闘精神の八重さんの視点が大事だということ、印象に残りました。いっぱい不幸や困難がありまして…、とは語らない八重さんだったようです。

山本家の不幸は、会津のみなの場合と共通するはずだが、この不幸をどう克服しようか、克服する道を示しているのがこの兄妹。恨みつらみから立ち直る観点が、「国家」。彼らの立ち位置は国家であって、そこから見て会津を考えたと思われると。
文明開化の近代化をよく見て、そして会津をよく見よ、それが会津を生かす道だと、若いものには語ってきたことだろうとお話でした。
全国に先駆けて京都に小学校中学校を開校し、殖産興業、文化施設、病院等々、京都の文明開化に尽くされた覚馬、八重の功績にも触れて。

ドラマはドラマですが、今後のドラマを通して何かを感じていけることを自分に期待したいところです。









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 猛暑日に

2013年06月13日 | 日々の暮らしの中で
睡眠不足で朝から頭が重いまま一日を終えようとしている。
午後1時過ぎ、冷房の効いた教室を出て四条通りに面して立った。両側はビルが立ち並び、通行車両が多く排気ガスも半端ではない。アスファルトの路面からの照り返しが加わり、ものすごい熱気だった。この時刻、36度を突破していたという。まだ6月だというのに「猛暑日」、午前中にはゆらゆらと街並みが揺れて見えるかげろうも出現したらしい。

あたしの頭もかげろうのごとくゆ~らゆ~ら、うすぼんやりしたまま考える力もわかないけれど、「絵本で英会話」のベッキー先生と楽しいひと時を過ごした。『聞く力』、「力」などとは程遠い。何とか聞いて理解したつもりになっても話す力はとんとダメ。どうしたら!?と『悩む力』もそうはないので、うまくいっているのだろうが進歩がない。なのにとても楽しいという妙なおベンキョーだ。一歩踏み出す積極的な『始める力』は確実に働いたのだが、『続ける力』はどうだろう…。こんなタイトルの新書もある。
「眠る力」などあるのだろうか… 目が閉じてきそう… 今夜はぐっすり眠れそうだ。

 
川辺で、足元の草の茂みをごそごそ動くものがいたので正体を見届けようと後をつけ、トノサマガエルを発見した。
初夏の訪れを告げるというトノサマガエルだが、京都地方気象台では「5年連続で欠測」と数年前に新聞に掲載された事がある。実際は姿を見ているのにだ。定点観測の難しさからくる発表だったようだが、ちっともカエルの歌が聞こえてこない。大合唱は懐かしい思い出になってしまった。
子守唄がなくても眠れそうな今、・・・おやすみなさい。
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 折り返し点 

2013年06月10日 | 日々の暮らしの中で
外出時に歩いてるからとかこつけて、ウォーキングに出る日がほとんどありませんでした。昨日、2週間ぶりにウォーキングシューズを履いて4キロほど歩いたところ、夜は居眠りばかり。わずかでも日々積み重ねる以外にこの時季の自信につながる体力は保てないかもしれません。疲れを感じた昨日に発奮、これではいかんと、時間を延長してしっかり歩いてみました。台風の上陸が予想されていますが、その影響なのか、ひんやりとした強めの風が帽子を吹き飛ばしてくれて、一瞬にして汗も引く思いをしました。


上賀茂神社境内に茅(ち)の輪が設けられていました。「夏越(なご))しの祓い」です。
旧暦の6月は夏の終わりに当たります。1年の折り返し点になる6月の晦日(夏越し)に、「この茅の輪をくぐる事によって今年半年の罪穢を祓い去り無病息災に過ごすことが出来る」と言われてきたことが記されてありました。

  水無月の夏越の祓(はらへ)する人は 千歳の命のぶといふなり

1000年ほど前の『拾遺和歌集』に収められた詠み人しらずの和歌だといわれます。
晦日には早いのですが、私も「8」の字を書くようにして茅の輪をくぐらせてもらうことにしました。気のせいか、今夜は疲れを感じません。

人それぞれ、生き方があります。
今夜、三浦雄一郎さん(80歳)の若さの秘密に迫ろうとしたNHKのTV番組「クローズアップ現代」をみていました。
年齢を重ねても積極的な人生を送るためには、意欲や好奇心、生きがいといったものが心身によい影響を与えるというお話でした。今何がやりたいのか、自分に問いかけながら目標を掲げ、自分の世界を広げる努力(狭くしないこと)が大事だと…。タイミング良く、ポン!と背中を押して貰えたような気分です。小さな1歩でも、歩きださなくては始まりませんから。
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 思いに従って

2013年06月07日 | 日々の暮らしの中で

「先のことなどわかるもんか!」ということばを聞き流して、1年間ずっと秘めてきた思いがありました。ですから、今日、自分の意思に従うことにしました。

一年を経てもなお強い好奇心のまま保てている。としたら、緊張や不安を伴うのは当然のこととして、面倒がらずに行動を起こすしかありません。今年は実現しそうだと直感できます。捉えてよいチャンスなのだと思うのです。申し込みを終えたことで、自分の気持ちが一歩前に踏み出せて安堵しています。

なくて困っているモノも、殊更欲しいと思うモノもなくて暮らしています。たとえそれが上っ面の自己満足に過ぎないと言われようと、充実感を得た気分になってみるのも悪くはありません。周囲に物があふれるわけではありませんし。どの道、人が何に興味・関心を抱くかなど千差万別なのです。ひとり参加を決めました。お盆の前に2泊3日、山上での生活は快適でしょうか。ほどよい緊張感の中でどんな出会いがあるでしょう。

今、一番不安に感じていることは、【JR新大阪駅1階南側の「駅レンタカー」前】という指定場所に間違えずに行けるかどうかということ。これには事前学習が要りそうな私です。降りたこともない駅ですから…。
           
                                        (小林良正さんの「ほほ笑み地蔵」)
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 「生まれてバンザイ」

2013年06月05日 | 日々の暮らしの中で
ちょっとでも読み進めようと横になってからの読書は30分もすると意識はもうろう、慌ててスタンドを消します。日付が変わって零時半ごろでした。

何やら気分よく見ていた夢はぬか喜び、「夢と知りせば醒めざらましを…」と、まことにつかの間のことでした。少しづつ意識がはっきりしてくる自分がいて、そしてその時、自分がバンザイの姿勢で寝ているたことに気付くのでした。肘を90度に曲げてどころか、肩より上に諸手を挙げて、それももう伸ばした状態でのバンザーイでした。時々そのような格好で寝ていることがあります。横向きにまるくなって眠るはずなのに、気付けば赤ちゃんと同じ? それ以上の大胆なバンザイポーズです。単なる寝相、無意識のうちにとる癖なのでしょうか。

時計を見れば午前3時半過ぎでした。寝てからまだ3時間しか経っていないというのに、その日はその後、眠った記憶がありません。

「バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ」という一節があります(『生まれてバンザイ』俵 万智著)。
歳を重ねた私がバンバンザイしていてよいものでしょうか。

こんなにも愛しい子の命、親の都合で好き勝手にしてよい理由などなに一つありません。
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 裸足は…

2013年06月03日 | HALL家の話
靴下をはかずに素足で過ごすのも気持ちのよい季節です。
こちらは、靴を履かずに裸足のまま戸外で遊ぶTylerの足元です。
  


「跣(はだし)」「跣足(はだし)」、「裸足」とも書くようですが、日本では戸外でそうした子供たちを見かけることはめったにありません。母親も、姉のJessieの時ほどには気にしないのでしょうか。

風に聞けば、運動能力の基礎能力は10歳までにどのような動きをしたかでほとんど決まるのだとか。足の裏にある神経を刺激することが脳を刺激し、運動能力を高める。ですから、裸足で過ごすことはよいことなのだそうです。

また聞けば、体温の上昇や血行促進を促すということで、病気になりにくい身体づくりをサポートするのだそうです。
そういえば、娘の友人に、冬でも素足で過ごす保育所に通っていた子がいました。遊びに来た時のその脚は、紫色がかってひどく冷たそうでしたが、それでも心配無用だったとは…。確かに健康で、気も腕力も強い女の子でした。大の仲良しでしたが。

またさらに聞けば、日本には敵がいないために正座やお辞儀の文化が育ったのだとか。敵が来たらすぐに立ち上がらなくてはならない諸外国では、椅子の生活になり、握手をすることで武器を持っていませんと示していたのだとかです。

では、Tylerが家の内でも外でも裸足でいる理由は…。父親の方針で、ラガーマン育成の早期教育の一つでしょうか。単に面倒だからか。ようわかりません、一度聞いてみなくてはと思っています。

いずれにしましても、靴がないわけではなかったのがわかって、ほっとしています。
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 「きれいな風」が

2013年06月01日 | 日々の暮らしの中で

5月初め、寝坊により友人との約束時間に間に合わないという失態を演じてしまった。続く長命寺参拝では思いのほか重症の後遺症に悩まされ、そのあとウォーキングツアーに月2回参加するという初の体験までした。

この間には突如の変調で、その体調の回復に気を揉んだ5日間がはさまった。突然の変化に見えても、風向きなどはしょっちゅう変わるものだから、おそらく前兆はあったのだろう。「琵琶湖はどこへも行かないのだから、機会はまたある」と諭されて、おっしゃる通り!と納得。

ただ、不安のなかでもどこか楽観視の悪い癖。なるようになると案外ゆっくりと回復を待っていたかもしれない。倍の10日もかけて過ごした感覚で今は振り返っている。そうした意味では、実にたっぷりとした時間が与えられた5月だった。時はゆったりと流れた。
「5月の(朝の)新緑と薫風が」私の気持ちを支え、力を注いでくれてもいた。

6月、7月、四方山の話をしながら、風を感じながら、梅雨明けの向こうに夏本番を迎えたい。成り行きを楽しめたらきっとご褒美が…。

 「六月をきれいな風の吹くことよ」 (正岡子規)
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