京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

珍事

2020年08月30日 | 日々の暮らしの中で

午後3時過ぎ、カンカン照りの空から大粒の雨が落ちはじめた。地をたたきつけるその勢いの良さ、激しさ。20分ほど降り続いた。不意を突かれ、悲鳴が聞こえてきた。あの明るい悲鳴(?)は、家も近いTクンのお母さんじゃなかったかな。家路を走って帰るか、どこぞでの雨宿りをしたのか。

先日訪れた店で改装前の売り尽くしをしていた。子供服の売り場をのぞき、孫二人に色、サイズ違いで見繕ったズボン。

兄の方は気に入らないと見向きもしないほど拘りが強いので決めるのは慎重になる。手に取って、二人に重ねて見ながらもろもろチェック。会計時には軽くたたんで袋に入れてくれたが、気づけなかった。左右の長さが違うズボンなど見たこともない。どういう作業過程で作られ、どこでミスが入って、このような商品ができ、流通したか。

昨日、浴衣地の反物が手つかずで残っており、Lukasのズボン(ステテコ)を2着作った。
先ず、裁った布の右(側)パンツ、左パンツそれぞれの股下を縫う。次に、右パンツを表に返して左パンツの中に入れる。そして、前中心と後ろ中心を合わせ、ぐるっと縫い合わせると左右がついて一つになる。という具合で、簡単にできる。
生地は3歳児にとって地味ぃだが、まあ、おそらく頓着しないだろう。「いろはにほへとちりぬるを・・・」なんて、ちょっとおかしいが。ズボンの長短はあっても同じ手順で作ることができる。

交換したが、前代未聞の製品を見せられて半分可笑しさが残った。いろいろな唐突や予想外のことが訪れるものだ。
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そろそろ夏を締めくくる?

2020年08月27日 | 日々の暮らしの中で

直径3センチほどの(4センチに満たない)花だが日を追うごとに数を増し、こんな時期になっても今朝には15輪も咲いていた。引いてしまうのも惜しまれて、フウセンカズラと一緒こたにで気ままにさせているといったところだ。もう来年は種は蒔かないと思ってみるが、ひと夏これほどがんばっているのを見るとちょっとだけ蒔こうかという気にさせられる。今年も8粒の発芽から育っていった。本当に短命で、朝日が当たり出すと萎れしまう。


米のとぎ汁や洗い物で出た水を裏の木の下にまいてやっているが、散歩途中に根っこから頂戴してきた白い花の咲くスミレを集めた一画から茶っぽい生き物が飛び跳ねた。思わずぎょっとしたが、カエルだった。暑かろうに。草陰に身を移して、汗をぬぐっているんかしら。ちょっと余分にまいてやった。

今日は35度に届かず猛暑日から解放された。
子供たちの学校も始まっている。そろそろ私も夏を締めくくるべく?身辺整理など必要かしら…。
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出歩けば出会いが

2020年08月24日 | 日々の暮らしの中で
右手は緩やかな崖になっているが、カサコソと枯葉を踏むような音に1頭の鹿が私の様子を伺いながら距離をとっているのに気づいた。カメラを出そうとすると、出したカメラを向けると、そのたびごとに逃げるように遠ざかり、また近づいてくる




何もしないことがわかったのかな、柵を飛び越えて出てきたが反対側の山に駆け入ってしまった。人を見ても逃げたりしない鹿が多いのだけれど。


孫たちもお盆期間中に公園内で5頭の鹿と遭遇した。3頭の小鹿は茂みに姿を消した。彼らにとっては珍しく、遠目で見つめていた。ここには「イノシシ注意」の張り紙もあるが、鹿でよかったこと。

先月の末に亡くなられた外山滋比古さんは、ウォーキングは楽しいと言われていた。外に出るということは心を外に開くということで、外界と接点を持つことで「心の血栓」が溶けるので、身は軽く、気分も清々しくなると。(『人生二毛作のすすめ』)
一日一度でも外に出るのがいい。
それに何より、出歩けば何かしらの発見があり出会いがあるというものだ。

「オイ オース」「オイ オース」「オイ オース」
おーっす、おーっす、と挨拶を返しながら、ウォ―キング。
油蝉が腹を上に短い一生を終えていた。
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思いのかけ橋

2020年08月22日 | 日々の暮らしの中で
ひと雨に期待したがパラパラしただけで、ゴロゴロさんだけがしばらく鳴り響いていた。1時間ほど経って7時前には窓が夕日で朱く染まった。


上手にディスタンスを保ったまま動こうともしないカモ一家。家族だとしたら、もうちょっと「密」でもいいと思うけれど、家族だから程よい距離も必要になる。「一つ屋根の下なんやから。。。」、この言葉を耳にするのが苦手だったものだと思い出す。
暑かったから、昼寝の最中だったかも。

少しだけ風が吹き出した散歩帰りの道、玄関前の掃除をしていたらしい高齢の男性と顔を合わせた。思わず「あっついですねー」と独り言つように言葉にしてしまったら、「もう少しやね」と良い笑顔を返してくれた。距離はあっても小さな橋が架かったように思えた瞬間。
参りかけていた足が動き出しました。
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一生過ぎやすし

2020年08月21日 | 日々の暮らしの中で

WANDS、 T-BOLAN、 B'Zはお気に入りだったと見える。 DEEN、宇都宮隆とか もろもろ30枚ほど、娘が買ったシングルCDがずっとスポーツバッグに入れたままに残されていた。先日、懐かしいと言って手に取っていたが、それ以上の執着もなさそうでまた元に戻した。どう処分してもいいのだろう。だが処分も一つ何かを失う思いがしないでもない。


             
このままただ廃棄するには惜しく、何度かGAOの「サヨナラ」を聞いた。テレビドラマの主題歌として用いられたのは1992年のこととあるので、娘はまだ中学生。歌詞、メロディ、声と、私にも聞き覚えがあって、おそらくいっしょに歌番組のテレビ画面を見つめていた夜もあっただろうと、いくらかの感慨があった。

  流れる季節に 君だけ足りない
  はぐれた心の 足跡を探す
  カバンにつめた 悲しい幸せ
  遠くへ行くほど 君を思い出す
  ……

人の一生過ぎやすし・・・。
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「身にこたへたる残暑かな」

2020年08月19日 | こんな本も読んでみた
窓をあけ、鳥のさえずりに耳を傾けながら朝陽が隣家の壁をオレンジ色に染めだしたのをぼんやり見ていた。今朝の空気はとりわけ涼しく感じられた。

盆前に娘宅へ孫守りに出向いたのに続き、お盆期間中は里帰りの子供たちを迎えてと、賑やかに密密の一週間余りを過ごた。「身にこたへたる残暑かな」。もろもろ片付けもすんで、読みかけだった本をとり出した。
今年の五山の送り火は異例の形で行われたが、出羽三山の霊峰月山では、旧盆の十三夜に山頂から麓にかけて点々と祖霊迎えの明かりが焚かれるという。ただ、十三日にちょうど十三夜の月が空に懸かる年は19年に1度のこと。朝日村の役場に勤める土屋正志は、その年にあたる今年の盆にかつての形で迎え火の祭りを復活させたいと企画した。

          が、「麤乱鬼(そらんき)」と言う名の鬼が引き連れる巨大な白猿が現れたり、振り返ると人の姿が消えていたり、注連縄が切られていたㇼ、本番まであと5日となって護摩壇の櫓が壊されたり…と、不穏な出来事が続く。この暑いさなかに読むにはほどよいのか、熊谷達也著『迎え火の山』。氏の作品は『邂逅の森』を読んで以来だが、舞台とタイトルに魅かれ7月末に中古書店で購入した。まさか伝奇ホラー小説だとはこれっぽちも知らずに。かなりの長編で、まだほんの序の口だが今のところ興味深く読み進めている。

こちらは街角にあった〈小さな図書館〉。


絵本や児童書に限られての提供本のようで、〈だれでもじゆうにかりれます。よみおえたらここにかえしてください〉と記されていた。夏休みで新着本があるらしく、〈…本を読もう〉って。


素敵なアイディアだこと。


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「ことばは衣装」

2020年08月06日 | 日々の暮らしの中で

青柿3きょうだい。根が得る滋養を育んで輝いて見えます。ほほえましい。
連日の猛暑に、門先で交わす挨拶は決まって「ああ暑う」、「あついなあ」。あつし、あつしと、ご近所さんとの夕涼みのひと時。それなりの距離を保って本堂前の階段に横並びです。今年はヤカンに冷やしたお茶も出したり控えたり…。

外山滋比古さんは『人生二毛作のすすめ』で、聞き上手、褒め上手な聞き手の善意にのって、いい気分でお口も軽やかなおしゃべりができるのは〈若返りの秘薬だ〉と記されていた。寺の境内は人が出会い、話し、結び付く場になる。ただ、人の話を否定しない、揚げ足をとらない。多少無責任な話にもうなづき、へ理屈にも耳を傾ける。大言壮語にも目を輝かせ、話が脱線しようが、咎めたりしない。常にこうした善意で、聞き上手に人のお喋りが聴けるかしら…。〈「聡明」とは、「耳ヘン」と「目」〉とも。

今日、氏が亡くなられたことを知った。96歳だった。
息子のところを訪ねた折、書棚にあった『思考の整理学』を読みながら彼の帰りを待ったことを思い出す。後日私も手に入れて再読した。

「名著を読んだら著者に会うな」ということわざを引き、文章には文章の顔がある。心の目で見ている文章の顔は肉眼の見る素顔とはまずたいていは食い違っている、と読者の微妙な心に触れていたのも氏だった。これは昨年末、澤田瞳子さんの講演会に参加しようとしていた少し前に読んだ『ことばの教養』に綴られていた。
氏はNHKに日本語講座を開設してほしいと願う人だった。また、社会に生きて行くかぎり、言葉の衣装は五通り、少なくとも、上、中、下の三通りは持っていなくてはまずい、とも説かれる方だった。
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夏の夜空

2020年08月03日 | 日々の暮らしの中で

今日は午前中からエアコンのお世話になってしまった。雲が多かったが、早くから気温だけは上がった気がする。じっとしていたせいだろうか。
金曜日の例会は中止すると連絡が入った。「我々高齢者集団、危険だから」が理由とある。想定内だった。

今夜遅く、日付が変わって以後、満月を迎えるらしい。〈スタージェンムーン〉と呼ぶのだとか。
明けても暮れてもコロナ関連のニュースに触れて、気重いことだけど、まあるいお月さんを見てしばし心を休めよう。
まだ低く、東の山の上にある月を眺めながら、息子にメールした。「今日は満月よ」。(正確には違うのか)
1時間ほど経って「あ、そうなのね。見ておくよーー!」っと返信が来た。
「めちゃくちゃ感染防止には気を使ってるよ。今日はこれからこの月を見ながらランニングしてきますわ」と続く。午後10時。
夜間は物騒だし、コロナ以外にも気をつけなくっちゃならないことがある。気をつけて、と思ったけど言わずにおいて、「おお~、いいねえ」と返した。
今夜、東京では月が出ているのだろうか。




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味が染み合う

2020年08月01日 | 日々の暮らしの中で

             ひと歩き臭木の花の下に来る    大島英昭

朝、郵便局へ急いだ時は折りたたみの雨傘を持ったが、帰り道には日傘が欲しいと思ったくらいで、時間とともに美しい夏雲が空を飾り、太陽が照り付け、ようやく近畿地方も梅雨が明けた。昨日のこと。

コロナ感染の拡大が続く中、友人たちと軽い食事をご一緒し、ゆっくりおしゃべりして過ごせる適当な場所が見つからない。「防止対策を徹底している店です」とステッカーが貼ってあっても、安心して心からくつろげるものではない。
で、二人を我が家へお招きすることにした。

3月以降、「密」を避けて尼講さんが寄り合うお講さんも開くことはなく、人を招くのも久しぶり。かつての文章仲間で、同じ趣味を持つことで時々会っては交流を図っている。気が合う、呼吸が合う? そんな友人とのお喋りは滞っていた気分も一新させ、小さくとも意欲を沸かせる場になってきた。
このところ何かを機にひと休みしては意欲も先細り…。頼まれても書く気になれず、気持ちが向かうのを待つしかないために〈小休止〉と思ったいっぷくが長引くことになる。でも、なんだかまたやる気がでてきたみたい。人と交わって得る力というものがある。地味にいくとしよう。

帰りは京都駅まで車で送り、またの機会を約した。
All happy in the end. すべては愉しく幸せに収まった、そんな余韻を楽しんでいる。


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