京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「お愛嬌」が一番

2018年01月30日 | 日々の暮らしの中で
東京が“大雪”に見舞われた23日遅く、「なんとか帰りました」と息子からメールが入り、「昨日スイスから帰国しました。お土産を送ります」とも添えられてました。時計のブランドの新作発表会があり、出版社が何社か招待されるプレスツアーでスイスに行く機会がここ数年続いています。帰ってくると、「お土産送るよ」という言葉を聞かせてもらうのですが、待てど暮らせどでしたからお正月に、「もう1年近く待ってるけど、まだ届いてないよ」と伝えてみましたら、「そうなん?」って笑い飛ばされて終わってしまいました。忙しいから小包を出す間もないのだろうと推し量りながらも、正直なところでは楽しみに待っていたりするわけです。

今日、言葉どおり送られてきました。「カップはお愛嬌だよ」と。満杯にして400ccの容量ですが、牛のお尻下までで250ccほど。こちらは、おまけ? かわいいカップで、嬉しいことですが、メインは“スイスで一番おいしいチョコレート”2箱のようでした。おたかいんやろなあ…。そうらしいわ。もったいないというか畏れ多くって、今夜は眺めて楽しんで、明日いただこうということに。娘に一つおすそ分けです。我が家には“かわいい~”と言われるものがほとんどありませんから楽しんで使わせてもらいましょう。


今日は良い日でした。
上着を1枚ひっかけて外へ。顔を思いっきり真上に向けて、中天に冴えるお月様を見上げました。おやすみなさい。
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「ひそと笑み給ふらむ」

2018年01月25日 | 日々の暮らしの中で
昨夜は小雪舞う中、天空には冴えた月が出ていました。寒いせいか、お月さまもいつもより早いめに西へとお移りに?? 一夜明け、今朝はうっすらと雪化粧でした。思ったほどの積雪はありませんでした。

昼のニュースによると滋賀県北部の長浜・余呉では67㎝の積雪があるとのこと。行ってみたいなあ。こんな日に、今季2度ほど渡岸寺を訪れてみたいと気持ちが動きました。が、電車に遅れが出たり不通になることも多くて見合わせてきました。
明日は孫娘Jessieが4月から通うことになる中学校の説明会が午後からあり、孫クン二人を預かり留守番です。午前中には小学校最後の音楽会。幼稚園も小学校も卒園・卒業を前にして集大成の行事が続きます。娘宅にまたやってきました。で、今回も渡岸寺行きは見合わせです。行ってみたい…。

    湖北路の十一面観音
       雪なかにこもりてひそと笑み給ふらむ      小西久二郎

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ビタミン「I」も「U」も

2018年01月23日 | 日々の暮らしの中で
ビタミン「I」にビタミン「U」も、愛も愛しさも、優しさも持ち合わせているつもり。そして、ときどき幼子と戯れることは充分な身心の休養になる。孫たち、とりわけ間もなく1歳2か月になるLukasの無心の上の妙用に心和まされるのは言うまでもない。にもかかわらず、留守を預かり、子守や炊事、家事の手助けをしながら過ごすほんの数日のうちに、胸の奥底にじわじわと頭をもたげる不可解なものがあるのだ。なんだろなー、どうしてかしら。
飽禍・満福は隣す、って感。この思い、振分け荷物のように前になったり後ろになったりで、身を去ることがなさそうだ。

脳の中で作り出されるさまざまなホルモンは、体全体の器官に影響する。脳を働かせることは全身の健康と密接な関係にある、などと聞けば「なんで、どうして」の思いは胸に落ちるものがある。そろそろ頭の使いどき。脳内のビタミン「K]が、解放されたいなあとつぶやき始める。それは封じていた私の勝手気ままの虫がざわつき出すときなのだ。
「気は長く心はまるく…己を小さく」、大徳寺大仙院の和尚さんの言葉が思いだされました。


「こらこらルー君、おくつはいたままではあかんやろ~」。家の中に入ってはまた出る、その繰り返し。もういいか~、となるのです。
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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

2018年01月16日 | 映画・観劇

「出町柳に小さいけど映画館ができたみたいですね。行ってみたいです。keiさん、行かない!?」と友人から打診され、「行きたくないわ」とは返事できなくって、今日という日を選んで出町座に初デビューと相成りました。京阪電車の、また叡山電鉄の始発駅となる出町柳駅から歩いて10分もかからない、商店街の一角にある2スクリーンで100席余の映画館です。結果は、断らなくてよかった。

          

「行かない?」と言われてもなにを上映しているのかから調べて、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見ることにしました。「見損なったからぜひ見たい」という友人ですが、私は全く知らずにいた作品です。「去年、『ラ・ラ・ランド』とアカデミー賞を競った作品で、主役の〇〇〇が主演男優賞を獲得していて、実生活でも…」云々、と次々繰り出される長い説明を半分は聞いていて、「あら、そうなん」とそっけない返事をしていた私だったのですが…。

人間再生への容易ならぬプロセスが描かれているのか。心の深いところを揺すぶられながら、自分のこれまでを顧みたり、近しい人の姿に重ねてみたりして考えさせられました。つらい過去の体験、傷つき傷つけあってきた心、人間関係。一切を内に抱え込み、なかなか乗り越えることができない主人公リーは手が早く、暴力的です。静かに、じーっとリーの心に寄り添うように見入って、ただ沈潜、の感でした。

変身、再生するにはそれぞれにプロセスがあって、一朝一夕にはいかない。そこに悲しさを覚えましたが、やはり相応の時間を要するものなのだろうと思いました。リーの再生までの過程には、それをじっと見守る根気が必要なのだと今更のように思った映画でした。
「コミュニケーション」とは本来「分け合う」という意味を持つ、と。以前、「シェア」ということを少し考えた時期があって、知ったことだったのですが、心が他者に向かって開かれて初めて共有するものが生まれてくるのでしょう。


私は私だけの興味や関心の世界を持っていて、それによって多分に情報を選別しています。その枠を超えたところからの働きかけを受けとめた時、思いがけずも個人の世界など狭いもんだなと気付かせてくれます。そんな刺激を与えてくれるこの友には、ーちょっと解説が多いんだけどーなどといった思いは内に秘めて、ありがたく感謝するのです。
 うらうらかな、という言葉がぴったりの陽気でした。賀茂川沿いの半木(なからぎ)の道を歩いて。

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コマを探して

2018年01月15日 | 日々の暮らしの中で

年末年始にかけて、孫のTylerはリュックに独楽をいれてやってきました。幼稚園の音楽会の日、園長先生からのプレゼントだったと言っていたような…。白木に、自分で色を付けて、直径5、6?センチほどの大きさだったでしょうか。

「オレ、めっちゃうまいんやからな。いっぱつで回せたんやぞ」、と。なるほど、上手に回します。「でもな、中村君が一番」、が付け足されます。
「どーれ、一度やらせて」。久しぶりです。久しぶりというより、いつ以来だろうか。息子と一緒に独楽を回して遊んだことがあったかどうか。
「おばあちゃん、めっちゃすごいやろ~」。にっこり笑って「うん」、が返事でした。「でもな、中村君がいちばんじょーず。オレたちのクラスではだけどな」、なんだそうです。高速回転を見せる私の回しようにもです。友達第一だから、よしとしましょうか。

弟たちが近所の男の子たちとベーゴマで遊んでいた記憶が、不確かな中でたどり返されて、大きさや質、遊び方を話してやるのですが、わかってはもらえません。カネのバケツをサカサマにした底の部分で回しあい、ぶつかり合って、はじき出されるコマがある、面白そうな遊びでした。
見つけたら買ってあげよう、とゆるい約束をしてしまいました。確か民芸店で見たことがあった、はず。売られているのは確かに見たことがあるのに、記憶は生き返りません。
今日、街中に出る用事があって2軒を覗いて来ましたが、ベーゴマはありませんでした。さて、どうしよう。本人はもう忘れてしまってるかもしれないし…。

♪お正月にはタコあげてコマをまわしてあそびましょ。はやくこいこいお正月
「た―クン、それお正月が来る前に歌う歌だよ」
大きな声で気持ちよく歌っているTylerに水を差してしまったのでした。家にあったお相撲さんの独楽を回して、和気あいあいのお正月でした。
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ゆっくりだけど

2018年01月11日 | 日々の暮らしの中で

不器用なのか、二兎はなかなか追いきれない。同じような趣味の延長で春先から新しい試みへの参加を決めた今、心身の負担を軽くしたいと思い始めていた。一方をやめようか、と。一旦すき間風が入ると、どんどん身を縮こめがちなのが私の性向でもあるようだ。ただ、折角頑張って続けてきて、自分を試されているような気持ちにもとらわれる。けれど、そんなに強く踏ん張るところでもないという気もある。

「いったん休んでみるのもいい」と友人のNさんに言われた。長く続けていると、飽きるというか行き詰まる時があるものだ、と。悩みを肯定してくれて、やめてしまわずに少し距離を置くことを薦めてくれた。そして、自分の作品でもっと挑戦してみろ、と。私を大切に思ってくれての提言。その気になってくる。そして、何だかやる気が出てきたのだ。単純だ。不思議、なんとげんきんなこと。

さほど意識して行っていたわけではないが、先般の資料整理などは、自分の心と向き合っていたのかもしれない。不要なものは捨て、残すものは残した。
次へのステップを暗に描いていたのだろうか。アドバイスを受け入れてみることに決めた。のろい手間のかかる人間が背を押されて一歩前へ、といった感。「良き友は心の花の添え木かな」(高田好胤)。私も添え木になれてるかしら…。
気分転換したいけど、どこ行こ。                       
                                               (西日の当たるガラガラ電車)

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「一輪の花の声」

2018年01月09日 | 日々の暮らしの中で
年が改まり、「一年の計は元旦にあり」のことばが頭にちらつくが、ようやくこの数日で身辺を整えながら、さあて…、と何かを考えているのか、練っているのか、はっきりしない〈時〉をやり過ごしている。したいことはあるのだ。ゆっくりエンジンをかければいいと思っているから、焦りはない。


そう言えば、弟は手紙の中で私を「暇そうだね。うらやましいよ」と笑い、「若き日に戻って学徒の真似事でもいかがですか」とせっついてきていた。もっとも、最近読んだ小説で知ったんですがと前置きし、「学徒というのは読んで字の如く〈徒に学ぶ〉と言って―」、中国の科挙の試験合格を目指し、老年になるまで勉強を続けた人のことを指す言葉だというらしい、などと注釈をつけていた。

余談はさておき、毎年の事ながら私は正月も明けてからの、こうした〈時〉を大切に思っている。何を考えるでもなく、それこそいたずらに? いえ、無駄ばかりでもないが、今日も思いを巡らせていた。そして、時間を作って本を読み、自分の時間を取り戻していく。そしてまた、思いつくままに…。ま、いつもマイペースというに過ぎないのですが。

午後から趣味を同じくする仲間4人で落ち合い、またあれこれ思いを述べ合って、耳を傾け合った。こんなことしながら方向も見えてくる私。口福に耳施をいただいたひと時、ってところ。


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思わぬものが

2018年01月08日 | 日々の暮らしの中で
一日中降り続いた雨。来客もなく、外出する気もなくて、時間はたっぷりの一日でした。
ため込んでいた資料から(中には10年ほど前のものもあって)取り置くものとそうでないものとを選別し、処分しておこうと始めました。何度かのふるいにかけてあるので、今回は少し思い切りました。身がスリムになった気がするほどです。


弟26歳のときの手紙が出てきました。もちろん選別対象のものとは別で。
A4用紙に5枚。「誕生日のプレゼントありがとう」と書き出されていて、「考えてみれば、姉さんに手紙を出すというのは初めての試みだよね」とある。「『専門は経済です』と言えるほどのキャリアはなく、軟派の取材記事でもやらざるを得なくて困りもんですよ」「自分は極めて健全で健康的な考え方と生き方をしているつもりなんだが、世の人に言わせると、僕のような人種を『怠け者』と呼ぶらしい」と。

「どうせ時節を踏み迷って咲くならば、我ら遊狂の花たらん」と友人Mが賀状に認めてきた言葉を引いて、「徒花でも咲かせてみようか」、などともある。学生運動に走り、ゲバ棒をペンに持ち替えた弟の思いが滲む。26歳にしてこんなことを考えていたのか…。封は開いているのに、内容の記憶は消えていました。

「姉さんも暇なようですね」「親鸞という人は素晴らしい人ですよ」「ここに唯一の悲しみを提げた人間がいるということはわかる。そして、何故、彼が仏家たらんと生きてしまったのか、その人生的苦悶ー壮絶なまでの悲しみの極みを感じることはできる」。なんてあって、ギョッとした。
そして、「歎異抄」でも読めば、と勧め、いい手引きがあるよと紹介しているのが『最後の親鸞』(吉本隆明著 春秋社刊)だった。
私と3つ違いの弟の言うこと。姉弟、まあ何という違いだったろう。驚くやら感心するやら。

以後、一度もこうした内容で話をすることはなかった。3人の娘を遺し55歳で逝った。



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いつもの私だけれど…

2018年01月05日 | こんな本も読んでみた

新年も、はや5日が過ぎる。賑やかだった孫たちの声も消え、息子も帰京した。正直なところ「ああ、疲れた」、という思いが残った。
暮れからこまごまと良く動かせてもらった。気の張りだけで保ってきたけれど、昨夜はさすがに疲れを感じた。それなら早く横になって休めばいいのにテレビの前でへたり込み、居眠りをし続ける。あ~ら、はずかしや。
気が緩んだところに、手抜きの誘惑が忍び寄る。したがって今日は完全休養日。この休養こそが復活への近道になるのだから、引け目も遠慮も感じることなく。

        

そして、買っておいた『土の記 上』(高村薫著)を読み始めた。
【舞台は奈良の大宇陀。妻に先立たれた70代の男性が、農作業に生きる日々を描く。大きな事件が起きるわけでもない。しかし自然に左右されながら、土と共にある男の営みは驚くほど豊かで、内面は起伏に富む。】野間文芸賞受賞。その後、大仏次郎賞にも決まった作品。

楽しい毎日は自分でつくる。この一年も、そう心掛けよう。そして、「いつもの私だけどなぜか新鮮」と感じられる日が一日でも多くあるように。
                                           (小林良正さんの「ほほえみ地蔵」)


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