京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

孫娘、一人オーストラリアへ

2018年06月28日 | HALL家の話

この週末、6月30日から2週間ほどの予定で孫娘Jessieは一人オーストラリアに発ちます。
メインは親しい友人宅で厄介になり、叔母さんの家でのお泊りを削ってまで、声をかけてくれた別のお宅にも招かれて過ごします。

本人は明日で期末テストが終了。この話を娘から伝えられた時は、まだ学期中でしょう!?との思いがまず沸き上がったものです。しかし、すでにチケットも取ったとのことで今さら何を言っても。で、余計なこと言わんとこと口にチャックでした。あちらではちょうどスクールホリデーに入ることが、この機を選んだ理由です。

教室では得られない、教科書には書かれていないことを、体験から学ぶのでしょう。一人ででも発つ、このたくましさに価値を見出してもやりたい。自分の中に埋もれている何かが引き出される体験になるかもしれない。遊び惚けてきても、何かを見、何かを考え、何かを残す旅にするでしょう。
「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心」で「ひろく、ひろく、もっとひろく」世の中の多様性を知ってほしいものとだ、彼女の将来に及んで思いをかけています。

「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心 ひろく、ひろく、もっとひろく これが般若心経 空の心なり」
こう高田好胤さんが唱導されました。よいとこどりはいけないことと知りつつ、若く、やわらかな心を持つ孫娘へ、旅の安全を願いながら贈らせてもらいたい。

              (写真 昨年は実の付きが悪かったピラカンサス。今年は期待できそう…。)
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怠らで咲いて

2018年06月26日 | 日々の暮らしの中で

「はーい、ようお参り」。
帰り際、若いご住職からこう言葉をかけられた。奥から、言葉だけが届いた。
婦人会で寄った散会時のことで、十数人の中の一人に過ぎない私(たち)だが、何かとてもぞんざいに扱われた気分が残った。別に、なに様でもないのだからいいようなものだが、一日を共に学びに過ごした座を思えば、顔ぐらい出されても良さそうだと思ってしまった。

日常は会釈、時に少し深々とした形での挨拶が多いが、改まって出向いたり、客人を迎えるときの挨拶には心している。送るときも然りで、義母を真似ることから身につけたものだろうか。
伺った先の座敷で、相手が頭を上げるタイミングなど見計らいつつも、丁寧に頭を下げ挨拶を交わすことは、その日その場での自分を立ち上げるためのちょっとした「間」になる気がする。帰り際には、共にした時間に区切りをつける思いがある。出迎え、見送る。心の一区切り、けじめをつけるのに役に立っているのだろうか。まっ、心していこうっと。心は形になって表れるもの…。

    怠らで咲いて上がりしあふひかな   才麿

タチアオイが咲くのを見ると、いつもこの句を思い浮かべる。まっすぐに伸びた茎に、花は下から順番に咲いていく。
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蝶の触れ合う音

2018年06月25日 | 日々の暮らしの中で


郵便局まで歩いて往復したが暑かったこと。アサガオさんはいかに!?と日に何度もプランターをのぞき込んでみるが相変わらずで、一切なんの変化も見られない。「どうしちゃったのかしらねえ」とつぶやくのが日課になってしまったようだ。
気付くと、庭の隅に揚羽蝶がきていた。寄って来る。こちらが身をかわさなくてはならないほどに、ぐるりを舞っては翅を休め、ゆっくり過ごしておいでだった。

    日盛りに蝶の触れ合ふ音すなり   松瀬青々

蝶の翅が触れ合う音が聞こえるような日盛りの静寂さ。互いに魅かれあう蝶か…、それがいい。

昨夕は西の空が染まっていた。遠望はきかない。カーテンを閉めていると友人から「もの凄く空が焼けています」と、ひと言が入った。
今日は今季一番の暑さに。
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交番

2018年06月23日 | 日々の暮らしの中で

お昼前、孫娘Jessieから電話がかかってきました。
「庭にネコがいるんだけど」と言います。
「ネコ? 小さいの?」「うん」「生まれたばかりぐらい?」「…でもないと思う」
「なんでそんなところにいるんやろか。どこから入ってきたのかしらね。誰かが置いていったのかなあ」
「どうしたらいい?」

って聞きます。そんなことを何で私に聞くのかしら。
母親がいないのか聞きますと、いるといます。
どうしたらいいかって聞かれましてもね、どうしたいのかしら。
私は物知り博士ではありませんから、どうしたらいいかなどわかりません。
飼うのだけはやめておきなよ、と言えるくらいです。

「そうだねえ…、段ボールに入れて?」と言いかけますと、
「交番ならいいかな」って!

そうだ~、迷子だから交番はいいかもしれません。交番では迷惑なのでしょうか。
「財布届けたことがあるから知ってる」と言葉も弾んだようでした。

さあて、交番にネコを届け出たのでしょうか。明日にでも聞いてみようと思います。
期末テスト直前でオベンキョー中のはず。



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「心は汲める」

2018年06月21日 | 日々の暮らしの中で

街路樹に垣根状にクチナシの花が植えられているのに気づいた。運転席からは少し離れるが、あちこちで白い花が咲いているのが見える。おそらく八重の花。八重はちょっと大味?

神棚が落ちてきた、という知人宅。家具がみな少しだけ前にずれ動いていた。食器棚の中のものを後方に押しやって戻した。落ちて破損、ひびが入った食器。等々、食器棚が前後にぐらぐらと揺れるなんて初めて見たと言った人がいたが、それは私も同じ体験だった。
西京区に住む人が多かったせいで、先日の地震の話題があいさつ代わり。「怖かったー」。受けた被害に差異はあっても、充分に思いやることはできる。心は汲むことができるのだ。つかめなくても。

家にいて、いつ来るかもわからない余震のことを考えていたら気が滅入りそうだった。そうかといって映画を観たい気分にはなれなかった。延期しない?と言いたくもあったが、連絡待ちを決めた。音沙汰なし、は予定通りということ…。

     で昨日、「空飛ぶタイヤ」(原作は池井戸潤の同名小説)を観てきた。
トレーラーの脱輪事故で死者が出る。整備不良が問題ではなく、大企業のリコール隠しが潜んでいることを突き止めていく。大企業を相手に一個人が立ち向かう。そこに、それぞれの立場で不正に向き合う人物たちが絡んだ「大逆転劇」。

現実に戻れば、やっぱり「余震」が頭を離れない。不気味だ…。

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大阪北部震度6弱

2018年06月18日 | 日々の暮らしの中で

昨日は孫娘とこの写真の阪急梅田駅で待ち合わせて、映画を観て過ごした一日でした。梅田ー烏丸間は阪急京都線を利用しますが、今日は運転見合わせ状態が続きました。帰るに帰れずと思ったものですが、よく考えれば行くこともできなかったわけでした。

7時58分、「大阪で震度6弱」
大きな音を立てて揺れ始め、緊急地震速報も不快な音をたて始めるし、なにかいつもと違う怖さを感じながら揺れが収まるのを待ちました。
私どもでは幸い大きな被害はなく、小さな物が倒れたり落ちたりという程度のことですみました。

登校し始めているはずの孫たちのことが念頭に浮かび、心配しました。
揺れが来たとき、Tylerはよりによって歩道橋の上を歩いていたそうです。一緒だった友達のおかあさんが駆けつけてくれて、学校まで送ってくれたと。「地面が沈んでいくのかと思った」。
姉のJessieもまた登校途中。同行の友達がいて、前後には先輩たちの姿も。皆でかたまって学校まで歩いたそうです。結局は親が迎えに出て、二人とも9時半ごろには帰宅しました。大変な朝でした。Lukasは大泣き、震えながら泣いていたと。

「更に大きな揺れがくることもある」「地震の起きる場所が変わることもある」。そんな見解に不安は掻き立てられます。
そう思うなら日頃から心がけておけばいいものを、これだけ各地で大きな地震があるにもかかわらず、緊急時の持ち出し品準備に身が入らず甘く見てきた私です。思うこと、言うことととすることが一致してない。もっと緊張感がない娘? いうなら似たもの母娘です。
この程度の一日で、気分的には疲れを感じるのですから、情けなや。
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アサガオの種に奉るの辞?

2018年06月14日 | 日々の暮らしの中で

アサガオの種に奉るの辞、なんておかしいのかな?  

待てど暮らせど芽を出さないアサガオの種。もうこうなったらと、まずはプランターの土の表面を鎌の先で軽くカイカイっと土を混ぜ返しまして、先日はもう少し大きく、そっとですが土を掘り起こすようにまぜまぜ。あああ、どう気持ちの整理をつけよう。駄目なものはダメ、なんですがね。

17歳のとき、塊打無鉄のペンネームで弟は「無限地獄」というタイトルで詩を書いた。友人と二人で作ったガリ版刷りの同人誌を神田のU書房に置かせてもらい、百部すべて売れたとか。鮎川信夫と吉本隆明の詩集ばかりを好んで読む、老成した、おかしな十七歳だった、とは、この友人の談。そして、高校生でありながら学生運動に加わりだして大学にも出入りします。

やがてゲバ棒はペンに持ち替えて仕事をするようになるのですが…。
「26歳で心朽ちたりの実感が似つかわしい」けど、「今年は時節を踏み迷った徒花でも咲かせてみようか」などと繰り言めいたことを綴った手紙が私の手元に残されている。挫折、断念といった体験もしただろうし、語り切れないものを抱えて生きていただろうとも思う。
亡くなった日の10日後のカレンダーの欄に、2件の原稿締め切りがメモされていました。麦藁帽子を背に、涼し気なシャツを着て、ちょっと照れたような笑みを浮かべた遺影でした。もっとキチンとしたものを、という人たちの声を押し切って、義妹が選んだ写真でした。穏やかな、よい笑顔を私に残してくれました。家族の中では言葉を荒げた姿を一度も見たことのない弟でした。
そんな弟の忌明け法要の日に、庭からもらい受けたアサガオの種でした。10代目になっていましたのに。

「花や何、人それぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり 花や何やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸の想いあり」
とは、石牟礼道子さんが熊本無量山真宗寺御遠忌のために述べられた辞の一部。

気持ちを入れ過ぎぬようできるだけ抑えて、淡々と、2000字ほどの文章にしてみました。


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後の祭り

2018年06月12日 | こんなところ訪ねて

真如堂の本堂前にある菩提樹の花が盛りだと知って訪れてみたが、一日延ばしにしたことで雨にも遭って、花はほとんど散っていた。寺伝では樹齢約250年だとか。


どんなにかよい香りが漂っていたか、小さな花が下向きに、鈴なりの満開どきは見事だったろう。
「後の祭り」。

昨日、映画「終わった人」を観た。ロビーは高齢者でいっぱい!! 友人と、「みんな終わった人かも?」「そうかもね」なんて笑い合っていたら、ほとんどの人は「万引き家族」でした。

 エリートでありながら関連会社に出向させられ定年を迎えた主人公。見栄があって故郷には戻れなかったと打ち明ける彼を、故郷の仲間は温かく迎えた。
過去の栄光を引きずって、「思い出と戦ったって勝てねえんだよ」「行き着く先は大差ない」と言って…。
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極楽の余り風

2018年06月09日 | 日々の暮らしの中で

上賀茂神社境内を流れる明神川。石のブロックに腰かけていっぷくが、極楽極楽です。


御都合がつけばいかがですか、遠い、遠すぎますか…。 

一日ぐらいは覗いてみたいと思っています。
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尊い

2018年06月07日 | 日々の暮らしの中で




それぞれにいのちを尽くす
  それぞれに己の分を尽くす

「赤色赤光 白色白光」


大して主張する意見もないのに、「私はこう思う」「私はこうだ」と、ただそれだけのことを囀る。それは、無内容な自己主張。
…だそうだ。
…となると、こんなことを綴っているブログが気恥ずかしくなってきた。


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のり物賃不用

2018年06月06日 | 日々の暮らしの中で

仏の願いの船に乗る
  大きな船に乗り合わせ ゆうらゆうらと……。


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待てど暮らせど

2018年06月04日 | 日々の暮らしの中で

出ません。芽が出ないのです。

弟の忌明け法要の日。凍てつく厳しい寒さが続く一月下旬でしたが、彼の家の庭に朝顔の種が残っているのを見つけ、もらい受けました。ところが、フィルムの入っていた透明の容器に保存したまま蒔くのを忘れてしまいました。取り出したのは、1年数ヵ月後でした。2009年の夏からずっと、毎年新しい種を採っては翌年へ思いをつないできました。

10粒蒔いたのに一つも発芽しません。ひと月弱にもなるというのに、これでは全滅です。もっと種を採っておけばよかった…。毎朝まだかまだかとのぞき込んでは「お~~い、早く芽をだしてちょうだいな~」なんて声をかけているのに。あ~~あ、もう駄目? 今日はプランターの端っこを持ち上げて、地にかるくコンコンと当ててみました。
眠ってる目が覚めてくれればいいのですがね…。まだ期待を棄てずに、じっと我慢の子。
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更衣

2018年06月01日 | 日々の暮らしの中で
6月1日。雨は上がって、爽やかな良い天気に回復した。


松の木の上のほうにだけはさみが入って、雨のために衣替えはお預けだった。今日は作業も順次進むことと手はずを整えておいて、私は予定があって朝早くからの外出となった。

   更衣(ころもがえ)見ん三条の人通り    只丸

「貴賤の行人、常に多く、都の繁華はこの橋上に見えたり」。江戸時代も、季節の変わり目のファッションチェックは橋の上を行き交う人の姿に、ということのよう。
かつては、街の風景が一変するほど鮮やかな様変わりだったが、今では夏服への移行も気温と相談してが一般的だ。そんな中、折り目正しいお方もおいでだろう。

東の山の上に黄色くまあるいお月さまが出ている。


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