京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 文字になったことば…

2010年05月31日 | 日々の暮らしの中で
30年余り経ったノートの山。ダンボールから出して半月、新しい風に当てておいた。

2E/3Eと持ち上がった2年間、中学生の毎日の思いがグループ内で輪番に綴られている。
6班で6冊、一日6人の日記と対して、授業のないあき時間に彼らの文章の何倍ものコメントを返した。かなり鍛えられたはず? それを読むのも楽しいと言ってくれたことを思い出している…。

さらっと、こんなにも無造作に投げ出してしまってよいのかと思える家庭の事情、悩みが書き記されることもあった。家であったことの事実だけを伝えようとした日。気持ちだけの羅列の日。こちらへ思いを向けてくる日。 … 駆け出しの人間が、そうした言葉に向かって努力をしていく日々だった。

本音は単純ではない。だが、声に出さずにいられない、文字に記してくれている心のうちを思うと、オブラートに包んでしまうだけではすまない。
「グループノート」、回覧されるノートである、そこを踏まえながら私のメッセージは発したつもりだった。彼らの成長の跡さえうかがえる記録になっている。

それぞれの人生を歩んできたはずだ。5人の孫がいる子がいる!!?さすがに驚かされたが誰のことか、これは会ってからのお楽しみ、聞かずにおくことにした。
特に親しく付き合った「二十代」の先輩・仲間がみな相応の年を重ねて、はてさて、どう変貌しているのか、…これは、お互い様でした。

かつての書き手たちがどんな価値をそこに見出してくれるのかわからないが、再び箱詰めにして本日手放した。同窓会の幹事を務めてくれているA生宛に発送。
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 あの日から一年 

2010年05月30日 | 日々の暮らしの中で
                    近影

一年前、日本滞在中だったJessieは5ヶ月ぶりに父親との対面がかなった。ちょうど今日は、保津川下りを楽しんだ日…。トロッコ列車を降りて、川下りのための乗船場まで30分はかかった満員バスを立ちっぱなし。さしてひどくぐずることもなく、案外な我慢強さも見せる一幕もあった。Jessieには4回目の日本となっていた。

最近は、クラッシックバレーやテニスのスクールを見学、混じってトライアルをしているらしい。

息子の生誕記念、亡き庭師・花万さんが選択した一位の木。雌株ではないので赤い実はつかないが、現在の庭師さんがなぜかこうして船形を模して刈り込んでいるのだ。婆様と、なぜだろうと首をひねるが、わからん~と落ち着いてしまう。西方浄土への旅立ちの船…??
この一年で大きく広がりを見せた。
        
                   

そして今、大門の瓦を葺き替える作業も進んでいる。脇にある泰山木も葉が密生しすぎ、花が咲いて果たして気付くだろうか。

日曜で工事もお休み。特別な用事もない。音楽のボリュームを上げて高速をちょいと飛ばして…。スッとしたような疲れたような、一日は終わってしまった。
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 テッペンカケタカの朝…

2010年05月29日 | 日々の暮らしの中で
  …カケタカ …カケタカ

寝ぼけた頭で聞き止めた。珍しい鳴き声がしていた。
テッペン/カケタカ テッペン/カケタカ テッペン/カケタカ
ほんのわずかに、「テッペン」「カケタカ」の間にまがある。
そして、「テッペンカケタカ〇テッペンカケタカ…」の間で3回繰り返しては、一息ついているようだ。

松岡正剛さんが言われる「鳥は声でみなさい、言葉で覚えるなよ」と教わったという少年の日の思い出。…だが、あの声は、あの鳥は、テッペンカケタカなのだ。

「テッペンカケタカ」と聞きなしたのは京都の人で、京都のアクセントでならそう聞こえても無理はないらしい。金田一春彦さんの『ことばの歳時記』によれば、それも関西での話であって、愛知県三河のほととぎすは「特許許可局」と鳴いているそうな。
ほんとうだろうか。

♪ 忍び音もらす 夏は来ぬ
    … 胡蝶の夢から覚めた朝だった。

何とはなしに肌寒さのある日が続いている。

    地味な花だが形が美しい、じゃがいもの花。
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 胡蝶の夢でも・・・

2010年05月28日 | 日々の暮らしの中で
とうに盛りは過ぎた。芳香などあるはずもない。みずみずしさももう終わり。花のふちも茶っぽく汚れ始めている。程なく散っていく。
「梔子・くちなし」といえば秋の季語、実のことを言う。果実が熟しても口を開かないためにその名が付くようだ。「くちなしの花」といわなければならない。

花の盛りは短い。
この身の口はすっかり緩んで…、だが、人のうわさばなしは極力流すにしても、手前味噌ながらこんな話を一つ。なんやの!?自慢話か。いけすかない!!…… って?
そこは一つ許されて。どーしたもんか、自分にしたって未知の世界の化粧品。

「母の日の贈り物を送り損ねました。早目に送りますから楽しみにしていて」
5月10日午前0時を回って息子からのメール。どこを遠足してきたのか、やっと今日届いた。はて、今日は…、28日、まっ、こんなものかもしれない。ありがとう。
                           
一年に二度色付く菊ほど愛でられるものではないが、一花咲かせてもう一花。
お肌の手入れにいそしんで、透かし加減が美しいスカーフで季節を楽しみましょうかね。
つい緩んだ口から漏れる「効果はどのくらい…?」。いけないいけない、禁句禁句としよう。

万物はすべて移り変わる。誰しも年々齢を重ねるわけだ。アンチエイジングもほどほど、楽しんで生きていけたらいいってことだ。
「くちなしの花」、花言葉を覗いてみれば「私は幸せ者」「とても幸せ」「喜びを運ぶ」「優雅」「洗練」…と続いていた。
早速に夜用クリームをたっぷりと!、そこに息子の思いも完璧に塗りかさねるとしようか。

今宵ぐらいは胡蝶の夢でも…。楽しげに飛ぶ胡蝶に。

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 心に慈雨・・・

2010年05月24日 | 日々の暮らしの中で
雨に濡れた椿の葉。艶やかな緑の実がいくつも付いているのだけれど、栄養失調か、なかなか大きくならない。
やがて赤みを帯び、秋には成熟し褐色になっていく。熟すと割れて硬い暗褐色の粒が2・3個見られるようだ。

激しい雨の降りようだったここ2日ほど。
窓を激しく打ち、軒に流れ樹木に注ぐ、その雨の響きが人の心を動かすことといったら、高い木をきしませる風の叫び声より、渓谷での風のむせび泣きよりも勝っている…。
荷風がそんなことを言うが、雨の日はなぜか人の気持ちを落ち着かせるものがある。

雨の中、歩いていると、甘酸っぱいイチゴの香りが漂ってくる。摘み取ったイチゴが入った木箱をハウスから軽トラの荷台へとせわしく積み込んでいた。あのたくさんのイチゴ、どうするんだろう…。
イチゴを買って帰ることにした。“甘酸っぱい“記憶の一つ…、など出てきそうにもないな。

種を撒いて10日、頭に土をつけて朝顔の芽が伸びてきた。今年ももやしっ子???

五感をもって今の季節を楽しむ暮らしぶりには、まさに慈雨となった。



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 「花の宰相」はなまめかし

2010年05月21日 | 日々の暮らしの中で
初夏の木の花には白い花が多いと言うが、植物でもなぜか白い花が好きだ。

やわらかで清楚な趣がある。庭の奥で忘れられたような状態で、なまめかしげに倒れ掛かるところを支えられて(ひっぱられ?)、優しい花を咲かせてくれた。
こんな隅っこで特別主張もせず、いつの間にやらなんともまあきれいに咲いてくれたこと!! 私と芍薬さんとのコミュニケーションを図る。咲いてみれば充分な存在感あり。来年はもっと大事にしてあげるからね~。(およそひとり生えなのだ…)
その深い心遣いで、大きくてきれいな蝶を招いたらいい。

根が得た滋養のおかげで花が咲き、花の美しさが賞賛される。誰もその根っこを問わないけれど、その根あってこそ、薬草なのだった。

歳時記によれば、古く中国では牡丹を「花の王」、芍薬はそれに次いだ「花の宰相」と呼んだとある。宰相とは、古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官と説明される。
重厚感のある牡丹の花が終わる頃咲きだす芍薬の花。何事も天子を越えず控えめに。
この奥ゆかしさがいいではないの。

手で触れてみた。柔らかで、しっとりしている。
木蓮の木の下、牡丹の花と納まった母の笑顔が残った。芍薬相手に長生きすればよかったのに。
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 命の豊かさ 

2010年05月20日 | 日々の暮らしの中で
                          カメラお嬢参上!

もう35年以上にもなる昔のことだが、中学校の国語教科書にヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』が載っていた。昆虫の世界に心奪われた体験もない私が、当時この作品とどこまで真に向き合えたのか…。

たった一人の理系の友人、彼は上着の胸に一冊、両ポケットにもそれぞれ一冊づつ、常に三冊の文庫本を持ち歩く読書家だったのだが、その彼から示されたのが、昨秋亡くなった日高敏隆著『春の数え方』。自分には貴重な一冊だった。

そして今、「身近な小さな命の名前を知ることは、日々の生活を豊にすると思う」とおっしゃる言葉に触発されているようだ。身近な草花のスケッチをしてみる、五感で自然と触れあう、そうした体験が自然への関心の入り口となる…と。

ハッとさせられるほどに美しい写真。昆虫や植物に向けた楽しげに弾む気持ちの動きに心を傾け、目線の先の、私には未知に近い小さな命の営みの世界へと小旅行を楽しんでいる。

昆虫が好きになるか、それはまた別問題。まず、相手の声を聞き取る楽しさがある。それに加えて知識や世界の広がり、人とのつながり、これがまた楽しい。
心をつなぐのは言葉。言葉が心をつないでいくようだ。

スケッチブックでも買おうかな。カメラを持って…。図鑑も必要?
まずは自分に身近なところから。そういえばJessieも赤いセロファンの虫眼鏡で、見えない向こうを覗いていたっけなあ。
“ろくじゅうーのてならい!”なあんてJessieの声が飛んできそうだ。

嬉々として網をふるう少年の姿をイメージしながら… 
  『エッセイ 麗しの磐梯』 http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/
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 体験、販売会へ??

2010年05月18日 | HALL家の話
                    

キッチン用品の売り込み。そのために、まずは子どもを楽しませる???
Jessieのいとこの家に20人が集まっての“パーティー”だったと言う。
まずは子ども相手にお菓子作り。最後までやり通した4人のうちの1人にJessieが残ったと言うではないの、あっぱれ~~。

カタログを見ながら、商品説明。「値段の高さにちょいとビックリよ」
賢いマミィちゃん「結局は何も買わなかった」と、あっぱれ~~。

疑り深いのか、用心深いと言うべきか、どうもこういう類のものには顔をしかめる私“オカアサン”だ。私の遺伝子はどこへやら、愛想よく案外簡単に乗ってしまいそうな娘だが、判断ミスなしで済んだといっていいのかしら。

 ― 無料体験会がいつの間にか販売会に鞍替えする。一つでも商品を買ったものには、後日直接接触し、別の商品の紹介を行う。そこで一つでも買えば、後日また接触を図り…、その繰り返しで際限なく商品を売りつける。無限連鎖にはまっていく。
 客集めはポストへの投げ込みチラシ。健康食品の無料体験会として、布団やマッサージ器、食品の写真をちりばめる。だが、価格は出ていない。チラシ持参の方にはアルカリイオン水2リットルを漏れなく進呈~~。
そんな悪徳会社「蓬莱倶楽部」を、保険金殺人が絡み内偵を進める……。

これは昨年読んだ『葉桜の季節にきみを想うということ』の世界だけど。

                 

「おいしい?」
Jessieの返事は、「うん…、でもこげてるなあ」
クッキーを焼いて、チョコでデコレーション。マシュマロも取り分けて…。クッキーはどこ?
 
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 いたいのとんでいけ~

2010年05月17日 | 日々の暮らしの中で

何かにつまずいたみたいだった。動かないが、やがて顔を上げたときには口元がゆがみ、もうまさに泣き出す寸前。母親が近づくが、ものすごい悲鳴ともつかない泣き声が上がった。

「どこうったん?」と母親。子どもの足をさすりながら、「いたいのいたいのとんでいけ~」「ほうら、もういたあないやろう。いたいのいたいのとんでいけ~」さすられて安心したのか、治った気になり泣き声もやんでいる。
いつの世にも共通する、おまじないのようだ。わが子の年代でも使っていた。
たいしたことなさそうなら、「ちちんぷいぷい!!」と唱えて、即座に治す場面も思い出す。

古来、言葉には神秘的な力の宿りが信じられてきた。
今も大きな変化はなさそうだ。実際は、こぶができたり血が出たりと何かはあったとしても、唱え言葉が、とりあえずはその場の願いを受け止めてくれる特効薬にもなる。そんなありがたい力を実感したこともたびたびだ。

日本語にはひらがな・漢字・カタカナの3種類の表記がある。語彙も豊かで、どんな他言語での専門用語でもおそらく日本語に訳せないものは無いだろうと聞く。誇るべき日本語。

楽しい言葉遊びの一つなのだろうか。いずれも日本語の持つ魅力だとは思うけれど。

娘の中高生ぐらいのときは、ポケベル時代だった。言葉を数字に置き換えて暗号化するというものか。秘密のやり取りは使うもの同士、結束を固めるのかな。
昭和30年の映画「月は上りぬ」では、恋人同士が電報で万葉集の歌〇〇を打ち合ってラブレター代わりにしていたそうな

   Q: 〇〇の中にはどんな漢字が入るでしょう~


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 夏の色に染まっていく・・・ 

2010年05月16日 | 日々の暮らしの中で
       堺町御門付近、

キッキッキッキッキッと鳴く声がする。
なんという鳥だろうか…、悲しいかなわからない。
どうもこれは「キョッキョッキョキョキョキョ」と鳴いていることになるらしい。
卯の花が夏を告げる花なら、夏を告げる鳥は時鳥だといわれる。ほととぎすの声だったのだろう。

松岡正剛さんの回想に、小学校5年生のとき、「鳥は声で見なさい」「言葉でおぼえるなよ」と教えてくれたというセンセーが登場していた。日本野鳥の会の創始者、鳥博士だったとわかったのはずっと後のことだったと。

木々を揺らし、やわらかなやさしい若葉をそよがせて風の音がしている。高いこずえの中で、いくつもの違った鳴き声がしているのはわかるのだ。だが、残念なのは名前すらわからないこと。

         

総勢511人、1キロに及ぶというみやびな行列が、ここ京都御苑堺町御門から都大路へと繰り出していった昨日。葵祭りは8万7000人人の見物人で賑わったと発表された。

一転、のんびりとした日常に戻った今日は、たくさんの子どもたちが小川で水遊びに興じている。お弁当を広げる家族連れ。横向きに寝転んで老夫婦が話し合っている姿に、思わず笑いを誘われ聞き耳を立ってしまった。思い思いの穏やかな休日だ。
こんな光景が好き。
こうして京も夏の色に染まっていく。    

「焼酎一杯グイーッ」、これは家に帰ってから!??
 … センダイムシクイはこういって鳴いているのだそうな。
 
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 人招き・金招き

2010年05月14日 | 日々の暮らしの中で
娘が私を「お母さん」と呼ぶ。孫のJessieは私を固有名詞で“おかあさん“だと思ってしまったのか、いまだにその呼び方が抜けないでいる。自分の母親は「マミィ(ちゃん)」なのでなんら支障はない。
「母の日」を前にJessieが“おかあさん”に描いてくれた絵だそうで、娘からの小さなプレゼントが添えられて届いた。 

 Jessica画伯の作品    
比べることはよくありません。“おかあさん”はこのくらいの年齢の差などまったく意に介しません(笑)。

お返しに私も絵葉書を出すことにした。
マグロが食べたいなあ~、と言ったという前回は寿司の絵葉書で、今回はこれ、勢ぞろいのネコに決めた。

達磨、福助と並ぶ日本独特の縁起物の一つ招き猫は、江戸の街で誕生したという。
焼き物の町愛知県瀬戸市の招き猫ミュージアムの案内によれば、右手が「金招き」、左手が「人招き」をしているらしい。浅草の仲見世で見た貼り紙にも、確かそう書かれていたと記憶している。人気が高いのは小判を抱えたものだそうだ。

ではこの写真はどうなるの。
まったく節操のない、欲丸出しのおネコさんたち。
首輪に福はかわいいとしても、右も左も関係なく、いただけるものはすべて招きこもうという当今の事情の反映か。さした根拠はない、というだけのことかも知れないが。

招き猫は機会を与えてくれるが、結果まで付いているものではなく、機会を生かせるかは本人次第、そんな真面目なお説を説く寺もある。だから小判を持たぬ猫もいるのだと。
良き友多きは人徳ゆえ、お金で友は買えませぬ。が、無くても困るもの。
Jessieの金庫は葉っぱでいっぱいね。

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 《お馬鹿でRockで熱くてお茶目な》千秋楽 

2010年05月13日 | 映画・観劇
                    

座長いのうえひでのり氏の言葉を借りれば、
「《お馬鹿》で《Rock》で、《熱く》て、《お茶目》な」新感線の音楽活劇『薔薇とサムライ』。劇団☆新感線30周年興行。3月18日東京で始まり、今日が大阪梅田芸術劇場で千秋楽。「2ヶ月もやったんですよ~」と舞台終了後の古田新太さん。

エメラルド色の地中海を駆け抜ける女海賊アンヌ・ザトルネード。地中海の海賊たちに混じって登場する、七つの海を股にかける大泥棒石川五右衛門。その設定の不思議さ?だが、
それも、前回の『五右衛門ロック』の主人公がヨーロッパへ飛び出す、いうならパラレルストーリーということだからで…。よくできたでたらめな設定、ストーリー。
どうということない場面でクスクスと笑いを誘われ、台詞だかアドリブなのだかわからないけど大爆笑。生演奏、ロックの大音響。筋書きはどうあれ、お祭り騒ぎの土派手さ。

♪ 「薔薇とサムライ」
 境界線 突破して/ 夢に飛び込め/ かすり傷は 御愛嬌さ/ 自由が欲しけりゃ//
 次の舞台は何処に/ 七つの海 旅すりゃどうせ/ イイ女の周りは/ 冒険とスリル//
 古今東西 恋に落ちたら/ 女は薔薇 男はサムライ//
  ……  

文句なし!天海祐希が華麗だ。とにかくきれいだ!!カッコイイ。
ただただもう、食い入るように見つめてきた。舞台の彼女を見るのが、私の今日の最大の目的だったのだから。きれいだったなあ~。感激した!
舞台に向かって13列目、左側に席が取れた、というか、当たったと言うべきか。座席の右横・真後ろには通路がある。これが真逆の右側だったら、私の後ろ・横を天海祐希が立ち、歌いながら歩いた…、残念!
千秋楽恒例の、煎餅まきで一枚ゲット。 

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 トゲ・とげ

2010年05月11日 | 日々の暮らしの中で

今日は朝から雨だ。雨にぬれた柊の葉が艶やかで美しい。若い葉の意外なほどの柔らかさに驚いた。ギザギザの硬いトゲが、年輪を重ねるとまるみを帯びていくという。なにやら人間の長い営みを重ね合わせて思うこととなった。冬の寒さの中、このトゲを隠すようにして咲く花が、これまた美しいのだ。

烏丸今出川の交差点で、プラカードを掲げ信号待ちする一人の男性と隣り合わせた。「一人デモ」の文字が目に入った。ああ、この方が…。

「共に21世紀を生き、創る高校生です。朝鮮高(級)生にも授業料免除を!」とある。

8日付で報道された記事によれば、
京都や兵庫、沖縄の詩人ら24人が、朝鮮学校を無償化の対象とするよう求める意見集を作った。文章を寄せた在日一世の詩人金里博さんが、「一人無声デモ」を行うとある。
昨日からそれが始められたのだった。「言葉の圧力」に屈せず、在日としての心情を行動で示したいと語っている。

スポーツ面でも「除外」されてきた経緯を思い出す。どれだけの時間、労力がかけられ、心理的なエネルギーも費やされてきているのだろうと想像する。怒り、やりきれなさ…。
善意や賛同だけで動くものではないと思うが、これからの国家や社会、世界に貢献する子供たち、豊な教育が施されること事態に差別があってはならないのだろう。
どのような細かい検討事項があるのかつぶさに理解していない。

文部科学省は第三者機関での検討を経て夏ごろまでに朝鮮学校を無償化の対象に含むか決定する方針だ、と記事は伝えている。
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 母の日なのに

2010年05月09日 | 催しごと

「いかがお過ごしでしょう。アタシャ、今日も仕事でしたよ…」
息子から携帯電話にメールが入ったけれど、何か一言足りないんじゃない?

いっぽう、オーストラリアからの発注で娘たちからカーネーションの花が届いた。
「おかあさん いつもありがとう」と。 こちらの息子からは、
   Okaasan
    Happy Mother's day!!
     Hope you have a lovely day and nice weekend…
     Jay
とあるではないの~。

  いっぽんは姑のためカーネーション       櫂 未知子

「孟母三遷」、孟子の母が、子供の教育環境を整えようと、最初は墓所、次は市場、そして学校の近くにと三度住居を遷したという故事もある。
が、およそ現実はおかれた環境の中でいかによりよい環境づくりができるかで、親にとってはさほど多くの選択肢があるとも思えない。
誰が言ったのだろう、子供は育てたように育つ…と。
聞いた言葉も耳を離れない。イタイイタイ。
そうなると、息子の足りない一言は何に起因するのだろうか。

母親に不平不満をこぼすと、母は口癖のように「困ったわねー」とだけで、一笑に付すことも多かったのを思い出す。考えさせようとしてくれたのかもしれない。
あなたの言うことは正しいのかな? 間違っているかもしれないよ?
これは自分を見つめることへの、自己懐疑への道しるべとなっていった。

どう言ったら、今日が母の日だったことをもう一人の息子に気づかせることができるだろう…。
 こまったわね~~
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 はつなつのかぜに

2010年05月06日 | 日々の暮らしの中で

    かぜとなりたや
    はつなつのかぜとなりたや
    かのひとのまえにはだかり
    かのひとのうしろよりふく
    はつなつの はつなつの
    かぜとなりたや
          (「初夏の風」 川上 澄生)

寝姿が、人間の最も生来のままで飾り気のない姿だとすれば、うたた寝で見せる緊張から解き放たれた表情も、またナイーブな一瞬かもしれない。

開け放った窓から入る風がさわやかで気持ちがよい。手を休め一息ついているうちに、うとうとっと…。どんな顔して覚めたくない夢にしがみついていたのかどうか、人の気配、呼んでいる声がする。なんと言うことはない、婆様だった。親指の先のトゲを抜いてくれへんか、って。 

夏日を記録した風景の中で、比叡山もなにやら少しもわっとして見える。
「風景」、風は「かぜ」、景は「ひかり」を意味するという。毎年のようにこの好季節には両親がそろって遊びに来ていたのを思い出す。もう20年も前のこと、二人が揃って出かけたお山の根本中堂を最後に、翌年母が、まもなく父もこの世を去った。

ヒエ(韓国語で太陽のことだそうだ)の山。お山を西に見れば落日の美しい山。東に仰げば日の昇る山。太陽の山ということになる。
吹き降ろすはつなつの風にのせて、母の気配を運んでくれないものかなあ。
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