京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 ちょっといっぷく

2014年10月29日 | 日々の暮らしの中で

素晴らしいお天気に恵まれました。寝具類を干して、置いて帰った孫たちの小さな衣類なども日に当て風を通し、迎え入れの準備に片づけものに追われて過ごしています。寒くなる季節、寝具も衣類もかさばりますし、暖房も気を使うしで、なかなか大変です。夏なら簡単なんですけどね。


秋の日がまぶしい午後、ウォーキングに出ることにしました。もう十分に体を動かしていますから準備運動なども不要。気候も良くなって、歩く人の姿も随分多くなった気がします。
街中では、街路樹の剪定が始まっていました。ゆっくりゆっくり染め上げていく京の紅葉、心温くねぎらってくれます。本当に良い時季、忙しく終わってしまう一日に“ちょっと一服”。
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 「言葉と出会う、文学と出会う」

2014年10月25日 | 講座・講演

芥川賞作家玄月氏と俳句グループ「船団」代表の坪内稔典氏とが対談。小説の言葉と俳句の言葉について考えるフォーラムがありました。

前半の講演で玄月氏は、「ストーリーを越えるものとして文体があり、オリジナルティに富む言葉の組み合わせの強度が小説を支える」と、語り口へのこだわりを披露されました。
坪内氏も玄月氏の著書『蔭の棲みか』より表現を取り出し、「言葉の組み合わせの破格の妙が言葉の強度になる」とお話でした。
俳句では、五七五のうち、七五を詠んだ後に頭の五文字にどんな言葉を置くか、句会で読者の意見を聞きながら決める作業も楽しいとお話。玄月氏は、そうした句作りに驚かれましたが、ひとり作業とは異なる俳句の世界のお話は興味深いことでした。

会場には頭にバンダナの同じ芥川賞作家、吉村萬壱氏がおいででした。とは言ってもまったく存知あげず、玄月氏のことも今回初めて知ったくらいですから、作品を読んだこともありません。吉村氏は玄月氏の「文章がいい」と…。
玄月氏は、「一日3、4枚書いては読み直し、推敲する。その先のエピソードなど念頭にはあってもストーリーをせっかちに展開してしまわないように自制して書き継ぐ」スタイルなのだそうです。「大阪人のせっかちな性格をしているのに、小説の書き方は違う、、どうしてだろうと言われます。
文章の書き方、句作りのいろいろなスタイル。言葉、文体、語り口の強度といったことは印象に残りましたが、対談の中で玄月氏が言われたことでは、よくわからない部分も多々あって…。
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 田辺聖子文学館

2014年10月23日 | こんなところ訪ねて

田辺聖子さんの母校、大阪樟蔭女子大学図書館内にある田辺聖子文学館を訪ねた。
芥川賞受賞作品『感傷旅行センチメンタルジャーニー』の直筆原稿が展示されているというから、と友人に誘われてのこと。私自身はまともに作品を読んでいなくて、特別な思い入れもない田辺聖子さんだった。それでも、多くの作品が文庫化されているのも知っているし、なんといっても古典への深い理解がおありのこと、「田辺源氏」の存在も認識している。

『文車(ふぐるま)日記ー私の古典散歩ー』は大好き。『上機嫌な言葉366日』にも素敵な言葉がちりばめられていた。これは、娘が欲しがったので譲った。『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』、こちらは課題図書として提示された一冊だったが、拾い読みさえ中途で挫折。面白くないと思っても、最後まで読んでなぜ面白くないのかを考えよと言われた、その指示にも従わず?のまま残っている。ここでは一つ、「文学散歩」ということばが野田宇太郎さんの草案であることを教わった。この程度の読者に過ぎない。

館内は二人だけで監視人もいない。のびのびと二人で年譜を追いながら、ひとしきり盛り上がった。「やっぱり古典やなあ!」「書くためには読むことやなあ」、何冊も田辺作品を読んでいる友人が言う。古事記を始め日本の古典文学、文芸の素養。「やっぱり古典やなあ」、彼女はこの日何度こう口にしたことか。


一緒にガラスケースをのぞき込み、「私も4Bやねん」と友人。うーん、これも今までに何回か聞いてる。ケースの中には聖子さんのちびた鉛筆。芯が長くなるようにナイフで削った4Bの鉛筆を何本も用意して、原稿用紙に向かうそうだ。3センチ位になるまで使った戦友を捨てることはできずに、小箱にしまっているのだと。「私も4Bやねん」何べんも言わんでもわかったっていうのに、嬉しそうな友人。
『少女の友』の熱心な読者であり、女学校3年生ころには歌や、短文の投稿者でもあったようだ。ノートにびっしり書き綴られた、樟蔭女子専門学校時代の未発表作品『十七のころ』の習作が公開されていた。


自宅の書斎の再現。窓の向こうも自宅の中庭を撮影したものだそうで、大きなスヌーピーが左手にはお座りしている。

友人に、読むといいと何冊かを紹介されて、その気になった私。「やっぱり古典やなあ」に刺激をもらい、幅広い文学の話がつきない彼女の深さに驚嘆! ただ、心配していた通り、「スマホがあるから安心して」の言葉は何の役にも立たなかった。
出発の京都駅から、ホームを間違えて降りるその後を、少しの疑念を抱きつつも素直に付き従って、…。大阪行くにはお隣だわ、とまた上がり直す。
しょっぱなを検索しておいてほしかったです。何度間違え行ったり来たりしたことやら。緊張感のない珍道中に涙をこぼして笑いあった。彼女曰く、笑えるのは「気が合う証拠や」って。

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 静かさ溜めて

2014年10月21日 | 日々の暮らしの中で

山ことごとく紅葉…。この先ひと月ほどかけて静かに木々の色づきは進んでいく。なんともゆったりとした時間の営みを日々眺めて過ごせるこの時季に、自然のそのおおらかさの分け前をいただきたい。

「心こそ心迷わす心なれ、…」って、心のありようが大切ということ。今、自分に大事なのは、「気力」だ!っと思った今日。「気力」ということばに目が覚めた思いがする。なんかようわからんけれどね…。「気力」ということばが、いい感じで心に響いた。

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 ニ十五菩薩お練り供養

2014年10月19日 | 催しごと


東山区にある皇室の菩提寺、通称御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺の塔頭の一つ即成院(そくじょういん)で、ニ十五菩薩お練り供養法会が営まれました。昨年9月、龍谷ミュージアムで特別展「極楽へのいざないー練供養をめぐる美術ー」を拝観。千年の祈りの姿をぜひ間近で見てみたいという思いをかなえました。
導師と呼んでいいのでしょうか、この方の白衣はまっしろ!でした。紫の色衣の地模様が美しい。

人がこの世を去る時、極楽浄土から阿弥陀如来とその一行が“来迎”すなわちお迎えに来て、亡くなる人を救って浄土へと導く様子を表現するのが練り供養の行事だと言われています。人々の浄土へのあこがれが背景にあり、平安時代から行われるようになったと。
本堂を極楽浄土、地蔵堂を現世に見たて、その間に高さ2m、長さ50mの橋を架けます。来迎和讃が響く中、阿弥陀如来の化身・大地蔵菩薩がニ十五菩薩を先導して、一旦、地蔵堂に入ります。面をかぶり、金襴の衣装をまとって菩薩に扮した人々が練り歩くのです。午後の陽射しが菩薩の顔を輝かせていました。



地蔵堂で、この世の往生者を四人が担ぐ輿に乗せて、再び一行は本堂に戻っていきます。


楽人が雅楽を奏で、修験者のほら貝が響きます。泉涌寺一山僧侶の行道と散華が舞います。「ちょうだい」とお稚児さんに手を伸ばしたら、散華を一枚手渡してくれました。持ち帰った先も浄化されると言う散華です。お鈴を鳴らしながら進む女性10人ほどの御詠歌のもの悲しさが雰囲気を高めていたような。

橋の脇の五色の紐を持って手を合わす若い男性がいました。私も真似して…。

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 遊亀と靫彦

2014年10月17日 | 展覧会

滋賀県大津市出身の日本画家小倉遊亀さんとその師、安田靫彦さんの歩みをたどる特別展ということで、「遊亀と靫彦 -師からのたまもの・受け継がれた美ー」が滋賀県立近代美術館で開催されている。
1927年の院展入選作で、出品後、長く所在不明になっていた「挿花少女之図」が87年ぶりに、また、1934年に「溝上遊亀」の名で院展に出品した後、やはり所在不明になっていた「花 其二」も80年ぶりに公開されると知り、私としてはまことに珍しいことだが、絵を見たくなって出かけてみた。


奈良女高専に進んだ小倉遊亀。奈良に国内留学していた安田靫彦との出会い。二人の恩師となる、大和の生き字引きと言われた日本史の水木要太郎。絵画だけではなく愛蔵品、コレクションした旧贓品、自筆の原稿、手紙、3人の交友をかいま見る資料などもあって、なんの深い知識もないが自分の目で見て、読んで、気になっては後戻りなどして自由に見て歩いた。水木要太郎がどこへ行くにも持ち歩いた大福帳が興味深かった。 
ほとんど人がいなくて、館内は閑散としていた。 …と今日の日記に書いておこう~。
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 教室から

2014年10月15日 | 日々の暮らしの中で

娘家族が来月初旬に帰国してきます。夫のJayも一緒で、10日ほどは家族そろって日本の秋を楽しんでもらえます。その間はJessieもダディと思い出作りが優先。学校は父親を見送ってからということになりました。

今年もJessieを聴講生として受け入れていただきたく、小学校へ改めてのお願いにあがっての帰り。午後2時頃でした。運動場の脇を歩いていると、教室から歌声が聞こえてきました。

  ♪秋の夕日に~ 照る山 もみじ~ 

歩きながら思わずいっしょに口ずさんで…。
Jessie早くおいで! 

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おひとり様… 

2014年10月13日 | 講座・講演

『お一人様の老後』『ひとりの午後に』などを読んだことがあるが、上野千鶴子さんのお話をじかにうかがうことはなかった。で、興味を感じて、京都YWCAで企画された講演会に参加。土曜日のこと、「自分らしい“老い”を生きるために」と題したお話だった。

「女性が老後をどのように暮らすか。選択肢が増えて、自分の生き方を取ることができるようになった」と。
充実した介護や看護、得られる安心との引き替え、様々なタイプの施設やハウス、在宅のまま…。DVDで、それぞれの選択をして老後を生きる女性たちが紹介された。
上野さんは、どうして老人ばかりで暮さなくてはならないのか、それは嫌だ!っておっしゃる。いろいろな世代が関わり合って暮らせる社会をお望みのようだ。「トータル ライフ(エンディング改め) マネージメント」を提唱。

お話を聞きながら、胸の奥底に何かひっかかるものがある。いつだったか、NHK番組で「老人漂流社会」を見たときの記憶だった。暮らし方など選択の余地もなく、その日一日をどうにかして命をつないでいるかのような厳しい現実。決して人事ではないと思えたからか、上野さんの活動やお話を立派なことだと思うものの、今ひとつ我が身のこととして考えることができなかった。両方の現実になんと大きなギャップがあることか…。友人を誘っての参加だったが、どう思われただろう。終了後は、じゃあ25日にと約束して別れた。
ちょっと寝不足気味で参加したこともあって、意識が飛びそうになるのをこらえ、頭の芯が疲れた。

その、寝不足になった原因の課題は何とか仕上げて終了。ホッとひと息…、人心地ついた。けれど、本当に人としての心を取り戻したといえるのかな?? ついのめり込んで、集中といえば聞こえはいいが、オミットしたことも多くあったような。ちょっとハンセイ…。 
とはいっても、やはりひとまず気分を解放~~!
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 「柘榴坂の仇討」

2014年10月07日 | 映画・観劇

「柘榴坂の仇討」、見たかった! ようやく思いかなって嬉しい~。
江戸城の桜田門外で井伊直弼が水戸浪士18人に襲われ、殺害された「桜田門外の変」。
井伊直弼が乗った駕篭に直訴状を持って近づく浪士がいました。このとき井伊直弼は、「かりそめにも、命を賭けたる者の訴えをおろそかにしてはならない」と訴状を受け取るよう言ったのです。

警護役だった彦根藩士、志村金吾は「命をかけてお守りする」と誓った約束を果たせず、事件から13年。
ようやく、という緊張の相まみえる場面で、金吾の脳裡には井伊直弼の言葉が蘇ります。
「かりそめにも、命を賭けたる者の訴えをおろそかにしてはならない」


亡くなった井伊直弼の言葉、魂を引き受けた志村金吾。直弼の「直」の一字をもらって名を変え、人力車車夫としてひそかに生きてきた生き残り、水戸浪士十兵衛の13年の日々と胸の内…。両者の葛藤は悲しくもあり、印象深いシーンでした。二人の姿には、この夏の高野山で姜尚中氏がお話の「相続」の意味がふと重なりました。
時代が変わり、形が変わっても、変わらないものがある、のでした。いくつものセリフが心にしみました。

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 花占い

2014年10月03日 | 日々の暮らしの中で
現代の秋の七草を選ぶとしたら?
多くの人が先ずコスモスの花を挙げるそうです。去年から買い手のつかないとみえる売り地に咲いていました。

子供たちが着ていた半纏です。息子が3歳の時、母の友だちがプレゼントしてくれた手作りのもので、合わせて上の娘にも。子供の衣類は汚れやすいものです。しまうときにはきれいに手入れはしたものの、あまりに年月が経ち過ぎました。防虫剤を入れ替える時に風にも当てて、と捨てられずにしまいこみました。気になるシミもなく、日に当て風を通しましたが、やっぱり古い。このまま二人の孫に袖を通させるには気がすすみません。


家の中にいても暖房がなければ厳寒の場所が多くて、子供たちには重宝しました。今の子は、寒いからもう一枚はおるよう促してもイヤイヤをします。
クリーニングなどに出せるのでしょうか。へたに手洗いして、中の綿がおかしなことになっては元もこもないわけです。今はこうしたものを着ないのでしょうか。あまり見かけませんね…。ですが、着せてみたくもあります。 もっとも、彼らが着ない!と言い張ったらそれまで。さて、どうでしょう、着るかな? 着ないかな?

一番の寒がりは彼らの母親でした。
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