田辺聖子さんの母校、大阪樟蔭女子大学図書館内にある田辺聖子文学館を訪ねた。
芥川賞受賞作品『感傷旅行センチメンタルジャーニー』の直筆原稿が展示されているというから、と友人に誘われてのこと。私自身はまともに作品を読んでいなくて、特別な思い入れもない田辺聖子さんだった。それでも、多くの作品が文庫化されているのも知っているし、なんといっても古典への深い理解がおありのこと、「田辺源氏」の存在も認識している。
『文車(ふぐるま)日記ー私の古典散歩ー』は大好き。『上機嫌な言葉366日』にも素敵な言葉がちりばめられていた。これは、娘が欲しがったので譲った。『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』、こちらは課題図書として提示された一冊だったが、拾い読みさえ中途で挫折。面白くないと思っても、最後まで読んでなぜ面白くないのかを考えよと言われた、その指示にも従わず?のまま残っている。ここでは一つ、「文学散歩」ということばが野田宇太郎さんの草案であることを教わった。この程度の読者に過ぎない。
館内は二人だけで監視人もいない。のびのびと二人で年譜を追いながら、ひとしきり盛り上がった。「やっぱり古典やなあ!」「書くためには読むことやなあ」、何冊も田辺作品を読んでいる友人が言う。古事記を始め日本の古典文学、文芸の素養。「やっぱり古典やなあ」、彼女はこの日何度こう口にしたことか。
一緒にガラスケースをのぞき込み、「私も4Bやねん」と友人。うーん、これも今までに何回か聞いてる。ケースの中には聖子さんのちびた鉛筆。芯が長くなるようにナイフで削った4Bの鉛筆を何本も用意して、原稿用紙に向かうそうだ。3センチ位になるまで使った戦友を捨てることはできずに、小箱にしまっているのだと。「私も4Bやねん」何べんも言わんでもわかったっていうのに、嬉しそうな友人。
『少女の友』の熱心な読者であり、女学校3年生ころには歌や、短文の投稿者でもあったようだ。ノートにびっしり書き綴られた、樟蔭女子専門学校時代の未発表作品『十七のころ』の習作が公開されていた。
自宅の書斎の再現。窓の向こうも自宅の中庭を撮影したものだそうで、大きなスヌーピーが左手にはお座りしている。
友人に、読むといいと何冊かを紹介されて、その気になった私。「やっぱり古典やなあ」に刺激をもらい、幅広い文学の話がつきない彼女の深さに驚嘆! ただ、心配していた通り、「スマホがあるから安心して」の言葉は何の役にも立たなかった。
出発の京都駅から、ホームを間違えて降りるその後を、少しの疑念を抱きつつも素直に付き従って、…。大阪行くにはお隣だわ、とまた上がり直す。
しょっぱなを検索しておいてほしかったです。何度間違え行ったり来たりしたことやら。緊張感のない珍道中に涙をこぼして笑いあった。彼女曰く、笑えるのは「気が合う証拠や」って。