京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

寄り合うことを楽しむ

2024年07月19日 | 日々の暮らしの中で
明日は尼講さんが寄り合って、住職の読経とお話のあと、一緒に昼のお膳を囲んでひとときを過ごします。
基本的に月に一度。ただ8月の盆月はお休みとしているので、予定通りお汁を炊くことになりました。

お花も立て替えたし、先ほど本堂に座卓のテーブルを4つ、阿弥陀さまに向かって正面に2つ、両サイドに一つずつ、コの字の形で並べてきた。
外へ出てみると、左下が幾分欠けてはいるが大きなお月さんが上がっていた。


当番の組が大勢で寄るよりも、高齢者メンバーの中でも“若め”代表の選ばれし2人と私を含めた3人で、なんとか手際よく進めてしまおうと決めたのは、とにかく暑いからです。

「仏さんに」と持ち寄ってくださった野菜もそろい、明日は生き仏の口に入ります。
お汁の具を切りさえすれば、おくどさんに火を入れて炊くだけ。
それぞれに味自慢のお漬け物を小鉢に盛り分けるくらいのことは、きっとどなたかがしてくれるので、おまかせです。
いつものように、お汁と漬け物と、…?で。白米は持参です。が、万が一のために我が家で炊いておきます。

こうしたお膳を囲むにも、当番さんの働きはもちろんのこと、野菜を提供くださる方々の日ごろの丹精などがあってのことを思います。

私の父も祖母に連れられてお講さんでお汁をよばれたことがあった、と何度か聞かされていたことがふと思い出されました。
この本堂のどこかに、子供だった父が座っていたのです。

何十年と、100年のようにもなるのか、代々のご門徒の女人たちによって営まれてきたお講さん。さほど濃い宗教色はなく、〈寄り合うことを楽しむ〉といった色合いが強い。
人と人がつながる、関わり合える場になればよいと私は思っています。


とは言っても、ともに大きな船に乗り合わせたもの同士…の信仰の原点はひそんでいるのでしょう。
互いに生かし生かされて…。
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「またね」と

2024年07月15日 | 日々の暮らしの中で
今夜21時45分の便で日本を離れ、ブリスベン空港へと直行です。
今年に入って直行便が再開されました。

昨日、名古屋のお身内のところで過ごしていたK*Rさんと合流。今日は大阪に住む親友2人が関空まで見送りに来てくれているとのこと。

 

帰りを待つ弟たちや両親へのお土産を用意して、スーツケースも手荷物もパンパン! 
無事に少しでも早く親元へと思うとき、直行便があることは本当にありがたい。

姿が無くなり家の中にぽっかりとした空間が生まれ、寂しさを感じている。
別れたあと、もう一度も二度も名残を惜しむのだろう。

どんな話をしたんだったっけ?
なにに笑い転げたのだったかな?
どういうことを喜んでいたんだったか…。
そういえば、大学の来期の選択科目を登録していた。
難しそうだね…、でも面白そうだと(よくわからないままに)応援。
そうやって一歩一歩、自身の人生の方向づけをしていくんだよね、と話したっけ。

こうしてJessieとの思い出を心に深くとどめつつ、一区切りつけよう。
日々担う自分の務めを果たし、できるだけいそいそと、まめやかに生きていくとしよう。

   一日をゆっくり見つめ
   ゆっくり書いて
   ゆっくり生きて                高木護



「またね」と送信した。
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韓国3日目の夜

2024年06月22日 | 日々の暮らしの中で

梅雨入りのなか、咲き始めた色の鮮やかさは気持ちを晴らすような活力にあふれる。


オーストラリアで暮らす孫たち、男組二人は今日から2週間の冬休みに入ったという。
長女のJessieはすでに休暇中で、お隣の韓国で3日目の夜を迎えている。
友人と二人で20日の朝発って、夜には無事韓国入りした。

2007年。この年は最初の新居を建築中で、そのため3月30日から3カ月半ほど日本に滞在した。彼女には2度目の日本だが、1歳8か月になっていた6月に一緒に韓国に行ったのだった。覚えてはいない、ってのも仕方ないか。
雨のソウルだった。


「どうしてる?」「お天気はどう?雨?」
 ひと言ことばを聞きたいけれど、楽しんでいるところにお邪魔するのは控えた。

たとえわずかな日数であれ、どのような目的での旅行であっても、初めて親元を離れた異国での体験は、一粒の宝物となっていくことだろう。
25日には東京に入るので、早く、早く(日本へ)と待ちわびる思い、無きにしも非ず。
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早いが取柄手抜き風

2024年06月16日 | 日々の暮らしの中で
昨夕、大門を閉めようと外に出たとき、「あーっ、あめ、あめだ」という声が聞こえました。
「あめがふってきたぁ」
近所の小学生です。はずんで聞こえたのは子供心にも一雨の有難さを欲していたのか、ただ単にこちら側の思いだったのか。
しばらくの間、乾いた大地に沁み込む雨の匂いが屋内まで届いていましたが、やがて本降りに。
夜は久しぶりの雨音のなかで本を読んだりしていた。


店頭に新らっきょうが並び出した頃、何年か前に向田邦子流のらっきょうの生醤油漬けを真似たことを思いだしていた。
洗って水けをきったものを漬け込むだけで、2日もすると食べごろになるというものだった。

「早いが取柄手抜き風」の酒の肴だったり料理?が多く記されているが(『夜中の薔薇』)、ただしそれらは決まったように〈いい皿に〉〈九谷の四角い皿に〉〈とっておきの双魚の青磁の皿に〉〈魯山人の俎板皿に〉と、好きで集めている瀬戸物のあれこれを使い、見栄えも盛る。
らっきょうを盛る小皿は、毎年お気に入りの〈「くらわんか」の天塩皿〉と決まっているのだった。
こういう心の持ち方こそ日常うんと真似たいところ。

例のらっきょう漬けはあの年だけのこと。
今夏は、向田流「枝豆の醬油煮」を試してみようかと思いついた。
枝からサヤを手で千切ったものを塩磨きして、うぶげを取り除き、さっと茹でて、酒、醬油、味醂にほんの少し水を足して煮る。出汁も使わず、水だけで。「このほうが自然の味でおいしい」と言われる。大鉢に、山と盛ってみよう。
最初はそこそこで。
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まるまるとまるめまるめよ

2024年06月13日 | 日々の暮らしの中で

        紫陽花の藍きはまると見る日かな     中村汀女

このところ連日30度を超える暑さが続いて、葉っぱは雨が欲しいとしおれて見える。近所から聞こえる幼稚園児の声にも、うつむき加減。
ただ、花はまさに手鞠のような花。

〈まるまるとまるめまるめよわが心 まん丸丸く丸くまんまる〉木喰上人。


2013年でした。滋賀県立美術館で開催された「柳宗悦展」で木喰仏の「地蔵菩薩像」を拝見した折、あの笑みが何とも言えず心に残ったのだった。
その流れで「まるまると」の歌を知り、
「なにごとも笑ふて暮らせふふふふふふふ」の心の持ち方に通じはしないかと知ることになった。・・のだったと思っている。
どちらも、呪文を唱えるかのように何度も口にしてみて。気持ちが動くでしょう。自ずと心もまあるくまあるく、に。

人のちょっと重たい話などを聞かされた日。
どんと胸に落ちた重苦しさを、私はどこに捨てましょう。誰かにに話すわけにもいきません。
人さんの話はよそへはもらさない。もらせない。
そんなときこそ、思いついた方を、「笑ふて暮らそふふふふふ」などと唱えてみるのです。
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空色は

2024年06月11日 | 日々の暮らしの中で
弟の忌明け法要の日、彼の家の庭に残っていたアサガオの種をもらい受け、そのまま1年3ヵ月ほど引き出しの奥で眠らせてしまった。
命を繋いで10代目となった種を蒔いた年、待てど暮らせど一粒の発芽もなく終わってしまった。

その後は2歳4カ月になる孫のLukasと公園で遊んでいて見つけたタネを、毎年取り敢えずの感じで蒔いてきたが、やわらかに青い花びらを広げるアサガオとはまるっきり違って、かっちりとしたラッパのような小さな花を開く。
ただ、わずか4センチほどとはいえ、清楚な青みがかった空色に、白い筋が入って、花芯はまっ白。物足りなさはあるが、咲けば咲いたで愛おしい。
そうは言ってもやっぱり優雅さとは程遠くって…、今年は蒔くのをやめていたのに一人ばえが育った。

  

7日の夕べ、きれいに巻かれてほんのり色を染めた初めての蕾がついた。翌朝、例年とは異なる大きさ、柔らかさで開いた。そして一日はさんで10日に新たな1輪が咲いた。
葉っぱが丸いし、花は小さいし、マルバアサガオってところなのかしら…と思っている。

空色は大いなる自然から授かった穏やかな色。五月晴れの空のような明るい青を、空色と名づけたのであろう。平安の人々は緑味の淡青色に、水色の名と清涼さを同時に与えた。水色は、古来、夏の衣装に欠かせない色である ―と。

眠りが浅く、ちょっと気力が今一つというところでグズグズする日が挟まる。
今年の田植えはどうなったのかしらと訪ねてみたら、小さな苗が育っていた。何やらとても嬉しくて爽快だった。空が青いと水面も輝きを増す。


30度を超える日になった。小さな女の子二人の学校帰りの姿があるだけの路傍に、昼顔が咲いていた。


朝刊で俳人の鷹羽狩行さんの訃報を知った。5月27日老衰のため亡くなられたとある。93歳。

    風光りすなはちものみな光る
                    好きな一句です。
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すべてこれわが師

2024年06月09日 | 日々の暮らしの中で
梅雨入りを前に、大門をくぐった左手にあるタイサンボクが枝葉を整えられてまことにスッキリサッパリと変貌しました。


この高さ。視力もこの世の明るさも回復したとはいえ、見あげた先に白い花弁をみるのがせいぜいのところ。それでなくても〈泰山木樹頭の花を日に捧ぐ〉の感で、甘い匂いとされる香りを風が運んでくれることもない。
阿弥陀さまへの供花です。

5日水曜日に眼科を受診。白内障手術の経過はおかげさまで問題なく順調で、次は3週間後にとなりました。
視力の検査を済ませたあとは廊下でぼーっと座り続け、いつになるのかもわからぬまま長時間の順番待ちでした。真向かいに座った方が文庫本を取り出した。目ぇがよくなって、それが『車輪の下』であることがわかった。
眼科の順番待ちに読書。べつにー、おかしなことではないけれど、なぜかちょっとしたおかしみを感じ、自分は手持無沙汰で困っていました。

昨日、寺子屋エッセイサロンで仲間が集ったとき話してみますと、高校生が話を引き取ってくれました。彼の言うように、私も感想文を書かされた記憶がある。周囲の重圧に負けた主人公ハンスの悲劇的な終末、といった程度の記憶だけれど、絶望の中から新たな人生を見いだせたなら、絶望にも意味がある ーそんな言葉に、とわ(『とわの庭』)の日々が重なった。

2001年9月から1年間、2004年9月から5年間、2回にわたって英国のオックスフォード大学マートン・コレッジで留学生活を送られた彬子女王の『赤と青のガウン オックスフォード留学記』を読んでいる。


コレッジでの、朝起きてからの平均的な一日の様子(「日常坐臥」)、人と人との結びつき(「合縁奇縁」)。中途半端だった英語力、苦労を重ね学問した日々(苦学力行)。どういうきっかけ、経過があって研究テーマを日本美術に鞍替えしたかなどもありのままに綴っておられる。皇族ならではのエピソードもうかがえる。

面白いですよ、とちょっとお披露目。書評で、大きな反響を呼んでいると知って手に取ってみた。
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あれから3年

2024年06月05日 | 日々の暮らしの中で
娘家族がすっかり大阪の地を離れたのがちょうど3年前、2021年の6月5日でした。
この前年の3月に長女が、ひと足早く戻っていた父親の元に帰国しました。そこに下の男組2人と母親が合流して、家族がそろいました。
人気のない関西空港で見送ったときは、もう今生の別れかと思ったほどです。

日本に住まいを移したのが2016年5月。
このときLulasはまだ母親のおなかの中でした。


4年、5年と暮らすうちに、良い人間関係も築けて名残を惜しみましたが、やっぱり家族一緒が一番。


父親がラグビーをしていたこともあり、子供たちはみなラグビー好き。長女は名入りのユニホームを作り、むろん母親も一緒に観戦です。

  

彼らが大阪にいたときワールドカップが開催されました。
ボールは前にすすめればいいのに、どうして後ろへパスを出すのか。不思議でなりませんでしたし、すぐに団子状態…。どうも面白みがわからない。それを変えてくれたのが、Tylerのルール解説でした。老いては孫に教えられです。

今日はクイーンズランドとニューサウスウェ―ルズの試合が3試合あるのだとかで、家族テレビの前に揃い、キックオフを待っていると知らせてきました。ダディはビールとチップスを抱えて姿勢を正し…。ダディさんにはクリスマス以上のビッグイベントらしいです。
喉に詰まってせき込む父親の背を、Lukasがトントン。

たのしみは家内五人五たりがラグビーゲームに声上げるとき

3年!? 3年か…。3年ね…。3年って…。
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右手のポーズは

2024年06月03日 | 日々の暮らしの中で

クチナシの花が咲きました。まだ木は小さく、たった一輪。鼻を近づけると甘い?濃い香りがします。雨が降ったりやんだりのような天気の日にはいっそう匂うのかもしれない。

最近、奈良時代の僧行基に関心が行くことがあって、井上満郎氏が地元紙で毎日連載されたコラム「渡りくるひとびと」(2021.4~2022.3)のスクラップを取り出してみた。
行基は和泉(大阪府南部)に居住した古志氏という渡来人の出身であること。
仏教の救済から取り残されていた民衆の救済にほとんど一生をささげ、架橋や救済施設の建設などに取り組んだ。行基のこうした事業の背景には、渡来人に特徴的な技術伝統があったのかもしれない ―ことを記している。

飛鳥寺の学僧だった行基は寺を飛び出し、数々の社会事業を始めた。
澤田瞳子さんの『与楽の飯』では、大仏造立にあたる庶民とともに汗する行基が描かれ、彼の蒔く仏法の種が一役を担って人物に影を落としている。81歳になった行基の呆けた姿も描写される。これはあくまでも物語。

では西山厚さんは何か書いてなかっただろうかと『語りだす奈良』のページを繰っていたら、東大寺の大仏さまの写真が現れた。


東大寺にはさまざまな障害を持つ子供たちのための施設・整肢園がある。彼らのために話をしてほしいと頼まれた西山さん。
両足をあげた状態で車椅子に固定された男の子が、大仏さまの右手の形の意味をたずねた。
右手の形は施無畏印(せむいいん)といい、畏れを取り除くポーズである。

「あれはね、だいじょうぶ、心配しなくていい、だいじょうぶ、っていっているんだよ」

西山さんはそう語りかけながら形を真似た右手を男の子の胸にそっと当ててみた。
彼はとても嬉しそうにしていたという。

何度か読み返している本なのに、どうしてこの言葉が心にとどまらなかったのだろう。
西山さんの優しさとともに、あらためて今、とてもしみじみと良い話だと心に留めおく。忘れないように、なくさないように。
行基のことは後回しになったけれど。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、心配いらないよ だいじょうぶ」
手当ですね、まさに。
何か不安に駆られる人がいたら、そっと胸に手を当てて、こうささやいてあげたいね…。

         (大仏さまの写真は2019年、娘家族と奈良を訪れたときのもの)
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閑でしてね、そして忙しい

2024年05月31日 | 日々の暮らしの中で
昨日と今日と術後の診察を受け、おかげさまで経過は順調だという診断を得ました。
ただ、左目の目尻にわずかな異物感(ゴミが入ったかのような)があるのですが、「キズもなくきれいですよ。問題になるようなことは認められません」と。無事に終えられたことを有難く受け止めています。

娘が「もうあとしばらくは無理せんと引きこもっててや」としきりに言ってきます。
家でじっとしていろと言われてもねぇ。本を読もうとページを開いては、立ち上がる。腰をおろした端から、またすぐ用事を思い出す。すこしばかり夢中になって本を読めば、目がかゆくなって、うっかりまぶたの上をこすって大慌てなんてことも。手術したことを失念する始末。
そんな繰り返しでたちまち夕飯の支度どきを迎え、一日が終わっていく。案外、毎日同じことを繰り返しているに過ぎない気がします。
落ち着くまでは娘の言葉も心に留めおいて、「気ぜわしさ」こそしばし放念したいもの。

古井由吉氏が書いておられた。「この年齢に至って、忙しいですかなどと人にたずねられるのも、よっぽどゆとりのない顔をしているようで、年の取り甲斐のない気がする」と。
ひとつクスリとした覚えがある。


    あぢさゐやひるも蚯蚓のくもり声  暁台

江戸後期と少し時代は古いが、紫陽花の句としてこれを見逃すわけにはいかない。
梅雨どきの物の色、物の匂い、物の音を、神経質な十七文字が、みごとにとらえている、
とは杉本秀太郎。
読みは読み手に委ねられる。
今後せっかくよく見えるようになった目で何を見ましょう・・・。
もっともっと心を凝らした、見る目の深さが求められるということなのですかねぇ。

ほんの5mmの小さな花をつけていた道端の植物。


種も生っていたので何本か手折って帰り、水に挿した。素朴で、ちっちゃなちっちゃな眼前の自然に、心が和む。

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目に青葉は

2024年05月25日 | 日々の暮らしの中で
目に映る青葉はほんの数日前よりより鮮明に、柔らかくかがいています。

おかげさまで術中術後とも痛みはなく、ただ緊張疲れで当夜はよく眠ったようです。
眩しい光、色つきの不規則な模様、「蛙さんみたいの」(医師)を見ながら、父、母のことがほんの一瞬頭をよぎりました。
健康体を授けてもらって、しかし経年劣化はいかんともしがたいと、思いを告げるが如き一瞬がありました。

手術翌日の受診で左目の眼帯ははずれ、何度か点眼を受けながら廊下で診察の順番待ち。
その間、左右の目を交互に手で覆って見え方の違いを確かめてみると、格段の差があることに気づきました。手元の用紙から目を上げ、今度は周囲に目を向けて交互に…。
世界が明るくなるとはこういうことかと実感。

帰宅後、文庫本を開いて見ました。
大袈裟に言えば、紙質の悪いわら半紙の上で文字を追い、読書を楽しんでいたのです。
それが紙も白く、文字はよりくっきり鮮明に見えます。
夜、電気をつければ蛍光灯を取り換えたのかと思うほどの明るさ。

いったいいつから、何年、わたしはうす暗い世界で生きていたんでっしゃろなあ。
次は右目を・・・。



孫のLukasと公園で遊んでいたとき、周囲のフェンスに絡みついた枯れたツルに残されていたのを頂戴して帰った“アサガオの種”。


しかし1.5センチあるかないかの蕾が開いた花は、いわゆる“アサガオ”ではなかった。今年は種をまかずにおいたら、こぼれ種から一人ばえ。
双葉がそろい本葉も出ていたのを鉢に拾い上げた。
「ちっちゃいなあ。かぁーいい(かわいい)、かぁーいい」。
やっぱりまいておけばよかったかな、るーちいクンとの思い出の花。




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いよいよそのときが

2024年05月20日 | 日々の暮らしの中で
みずみずしい、爽やかな緑色をした葉を茂らせたクスノキの大木は花ざかりでした。



初夏の日差しをうけて、緑濃く万物の英気が満ちあふれるような風情で、青葉は目の薬。

しかし薬や眼鏡でこれ以上の視力回復は望めず、決断を迫られる時がやってきました。
白内障の手術を二日後に控えています。

前回、車の運転免許更新時に眼鏡を作って、0.7の視力でぎりぎりパス。
それが特にこの1年、症状が進んでるという実感があり、検査を受け、手術を“決意”したわけです。
もし、免許更新がなければ…。(とは言っても、平素運転している以上は視力低下があっては大問題なのですが)
読書(新聞)に眼鏡は不要ですので、視力の衰えを実感しながら先延ばしをしたかもしれません。

一抹の不安。
歯科の定期的な検診を受けることをのぞけば、風邪で発熱して受診することが一年に1回あるかないかで、「お薬手帖お持ちですか」と聞かれては、自慢げに?「持っていません」と答えるほど病院に縁なく過ごしています。
意を決して受診したのが3月。手術予定日が5月下旬となって、ちょっと肩透かし気味でした。


なるべく人込みは避けるように努め、体調維持を図ろうとすれば逆に緊張。
いつも通りを心がけ…。
いよいよとなりました。

遠い昔、義母が2週間の入院で手術を受け、車で連れ帰ってきたとき、本堂の屋根を見あげて「瓦がきれいに見える」と感動気味でした。
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色なしの内側に朱(あか)色が

2024年05月17日 | 日々の暮らしの中で
楓に花が咲いて

やがて種をつけた赤い2枚の羽は、くるくる回転しながら地に落ちる。
“プロペラもみじ”というのだと庭師さんから教わったことがあった。


かつて、と言ってももうひと昔も前になるが、金剛能楽堂で金剛家の能面と能装束が虫干し兼ねて展示されたことがあり、その折、展示品にまつわる宗家のお話を伺う機会があった。

ー 能装束の刺繡や織りには色糸が使われている。その色が鮮やかなうちは、それぞれが「立ちすぎる」。その個色が年月とともに退色し、自然の色合いで一つに馴染んだものを、よい装束と呼んでいます。
あざやかさを競い合い、主張し合ううちは調和が生まれにくい。長い年月が色を落とすことで、深い味わいが醸し出されていくということ、人の一生に似ているだろうか。

とりわけ印象に残ったのは、これに続く言葉だった。
「表面は朱味(あかみ)が抜けて色なしとなっても、少し糸をほぐすと内側には朱色が残っているのです」
人もかくありたいとイメージしている。


いろいろな縁に導かれて、〈私〉はできている。
人や読書から多くの影響を受け、種がまかれ、育ててきたし、学んできた。幾色にも塗り重ねられて形成された〈私〉。
父や母から受け継いで、変わらない性分はある。
また、ずいぶん齢を重ねたなあと思いつつも、ここまでの間に少しづつ対象を広げ、耕してきた私のあらゆる興味関心。それをずっと下支えする源泉が、華美さもなく、淀みそうな流れであっても、いまだ枯渇はしていないことに自分自身で気づいている。

石垣りんさんの『焔に手をかざして』を読んだとき、こんな一文があった。
「自分にとって大切なもの、心に残ることが、ほかのひとにはなんの感動も呼ばないということは珍しくない」
いいのだ、それで!と思っている。自分の感受性に気づいて大切にしたらいいのだと、ずっと思ってきた。

この種が欲しいか否か、ふと思ったのだ。
こんな新鮮な種はもういらないとも思う。その代わり内なるもの、自分にとって大切なものに心ゆくまで関わっていたい。
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楽しんで100円儲けたら

2024年05月14日 | 日々の暮らしの中で

柿若葉に目を細めていたのは束の間、緑の色は深まって、そよぐ風にざわざわと葉音を立てる。この緑の重なりの下にはびっしりと、うつむき加減で柿の花が咲き出した。

オニグルミの木にも爽やかな緑色の葉が茂り、赤い花穂が出て、こうして形を成してきた。



「若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」
ほんとですねえ、兼好さん。
こんな季節に母の日がやってきて、子供たちから「お母さん」と呼びかけられるが、わたしも「おかあさん」って呼んでみたくなる。

連休中、20冊ほどの文庫本を中心にブックオフ行きとして取り出し、紙袋に入れておいた。
しばらく置いておくと手放すのが惜しくなり、元に戻す。そして別候補が袋に入る。そんなこんなを繰り返していると、
「読んでいない本を残して、読んだ本を売るのは間違いで、読んだ本こそ残すべきだ」と言われる出久根達郎氏の言葉を目にした。

〈ブ〉では「書名は基本的に見ていません」そうだ。まず見た目がきれいであること。新しいものであること。そして店の在庫の状態で、買い取り価格が決まる。店舗での販売価格が買い取りの基準になるというから、この網から洩れてしまえば、売っても10円、5円なんて結構あることだ。


【売る方には買った時の思い入れがあるんですよ。でも、買う側とは必ずしも一致しない。客に買い取り価格が安いと言われたら、「でも、この本読んで楽しんだでしょう? それで100円儲けたらいいじゃない」】

と言うことにしていると出久根氏の談話が引用されていた。(岡崎武志『読書の腕前』)。この本も河原町通りに面した〈ブ〉で買ったもの。

おっしゃる通りですな。
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精神安定剤

2024年05月11日 | 日々の暮らしの中で
抹茶の中にいるみたい・・・ ?


ホトトギスの声を耳にしながら、いっせいに芽吹いた美しい新緑の中を歩いた。
葵祭が近いことが思いだされた。


そして東本願寺にお参りした。数珠を手にのお参りは精神安定剤、こころの休めどころとなる。
このところまた夜の眠りが浅い。12時頃まで横になって本を読んでいて、いつしか眠ったと思うと目が覚める。時計を見れば夜中の1時半、2時半。ついさっき寝たところじゃないの。
眠れなくて、また本を開く。いつのまにかに眠って、目覚ましに起こされる。睡眠が極めて小刻みになっている。
まあ、ちょっと気になることを抱えているせいかなと思うが、ときおりこういう日々がやって来る。眠れる日はあるのだからと、余り気にしないようにしている、が…。

本願寺を後にして書店へ向かった。『月ぞ流るる』(澤田瞳子)の購入を予定していたが、乙川勇三郎氏の『クニオ・ヴァンブルーセン』を見つけ、変更した。
言葉に導かれる、端正で無駄のない文章が好きで、迷わず決めた。文庫化を待っていた『星落ちて、なお』と一緒に手に入れて、気持ちうっきうっき、家路を急いだわ。…昨日のこと。




今日は昼から文章仲間が集った。気温が上がり外の日差しは強いが、堂内は快適。

『この地上において私たちを満足させるもの』の中に、乙川氏は〈読書の意義は共感することよりも自分とは違う人間を見つめることにあると思う〉という一文を残してくれた。
仲間の作品を読み味わう時にも、この視点は意識したい。
〈わかりやすいことは薄っぺらでもある。何も考えさせない小説に良質な読後感は生まれない〉ともある。
読むに値するものであること…、こりゃキビシイ。
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