京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 小さなのぞき窓

2014年03月31日 | 日々の暮らしの中で

「股のぞき」と言えばすぐに天橋立が思い浮かぶ。24歳のときに訪れて体験したことがあるが、覗き見た風景に記憶はない。もうこんなことをしてみることもなくなってしまった。

広いグランドで股のぞきをしているのは孫娘Jessieではなく、その母親、つまり我が娘で、1歳2カ月を過ぎた頃だった。よちよち歩きの子を真ん中に、今は亡き母と3人で手をつなぎ遊びに出たときのこと。実家に戻っていた時で、この3カ月ほどのちに第二子・長男が誕生した。その息子にも孫たちにもこのしぐさを見たことがなかったことを思えば、非常に珍しいスナップが手元に残ったことだと、クスクス喜んでいる。

「股のぞき」のしぐさには、「次の子供が生まれる前兆であるという伝承」を見てとれるらしい。そして、子供には「妊娠を予知する能力がある」とかで、その体験談らしき声がネット上に寄せられていた。初耳だったので興味を持ったが、1歳2カ月の娘も、間もなくお姉ちゃんになることを本能的に「予知」していたのだろうか。

「平生のなにげないしぐさにも、調べていけば新しい発見があり、関心の輪はつぎつぎに広がっていく」「しぐさの背後には民族的な意味や伝承の論理が横たわる」と、『しぐさの民俗学』(常光徹著)に詳しいことを知った。

世の中を逆さまにしてみるほどでなくていい。いつもと違ったのぞき窓から、ほんの少し日常と異なる世界、目線が広がれば新たな出会いもあるやしれない。
明日から4月。始業式やら入学式のあるこの時期に、桜の開花はやはり実にいいものだ。年齢を重ねた今でも、事始めに向けては力がわいてくる気がするくらいだ。錯覚だったなんてことにならないといいのだけれど。
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 そろばん勘定

2014年03月26日 | 日々の暮らしの中で

地下鉄の中づり広告にあった【 5 day special 】の文字が目に留まりました。消費税が引き上げられる日が近づいてきていますが、そろばんをはじいて悩むほどのこともなく今に至りました。

江戸時代の寺子屋教育の水準の高さが電卓を生んだという認識になるのか…。「電卓の発売が発表されたのが50年前のきょうのこと」と、3月18日の新聞コラムにありました。発売価格は53万円。レジほどの大きさがあって重さが25キロ。小型自動車1台の値段と同じだったとか。
昭和39年、東京オリンピックが開催された年だといいますから、思い出すのは、図書室の掃除当番をさぼりながら、ついたままになっていたテレビで五輪中継を見ていたあの日です。

私は小学生時代にそろばんで「× ÷」のやり方を教わっていません。それで不便を感じたこともありませんが、いまだに知らずじまい。おそらく風邪でもひいて欠席していたのだと思うのです。「+ -」でさえ、頭で考えて珠をはじくのですから、なんてことはありません。総じて計算に弱いのは、ここに端を発しているのかも。それでも、「いらないものは買わない」。このくらいの判断はつきます。

私が初めて購入したのがこの電卓でした。テストを採点後、教科の学級別、学年別の平均点を出したり、担任したクラスの個人別総合点を出したりするのに、必要に迫られて求めたものでした。指先がそれぞれのキーのくぼみに収まリ、しかも、しっかり打ちこみますから、隣のキーを触ってしまうことからくるミスはほとんど生じません。ただ、数字を打ち間違えた場合、その数字だけをクリアできないのがちょっと…。全部打ち直しという手間は要ります。電源を入れて、いまだに使用可能ではありますが、この「K」はなにするものだったやら、忘れてしまいました。

さてさて、唯一、「増税前に!」と決断をしたことがあります。日程も決まり、新幹線の切符購入に明日は駆け込みます。
ちょっとのお得感を味わうだけで幸せ気分ですから、幸せなことです。買えたら、の話で、喜ぶのは早いのかもしれませんが…。

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 「…水によろこぶ」

2014年03月24日 | こんなところ訪ねて
琵琶湖の水を京都市に供給する琵琶湖疎水。
その第一疎水が完成して124年です。琵琶湖から京都への水運構想は江戸時代からあったようです。東京遷都があって衰退した京都に活力を呼び戻そうと推進された一大事業は、当時の最先端の土木技術を駆使して3年半をかけて貫通。説明板には、当時のお金で60万円ほどだった当初の予算は2倍以上に膨れ上がったと書かれてありました。その後、第二疎水も完成。水力発電で路面電車を走らせることにも貢献してきました。

春の陽気に誘われて、山科疎水べりを下流に向かって歩いてみました。
地下鉄東西線を利用して山科駅で下車。毘沙門堂へ向かう道を安朱橋を渡らずに左に折れて散策道へ。蛇行して流れる幅は広く水量も豊かで流れも速い。途中、日蓮宗本國寺と栄興寺に立ち寄りながらの二時間あまり、もってこいの散策になりました。新緑の季節もさぞや美しいことでしょう。

 疏水はここから第二トンネルに入って蹴上のインクラインへと続くのです。花見でごった返す南禅寺から哲学の道へと、北に向かって流れるのです。


トンネル入り口上部にある扁額「仁以山悦智為水歡」は、時の明治の元勲・井上馨によって書かれた文字で、「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」の意だと説明されてます。
さてまたこの意はどんな意?と頭をひねってみていたら、論語「蕹也第六」にある孔子の言葉に出会いました。
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむとあり。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし」
吉川幸次郎氏曰く、「有名な条であり、含蓄に富む条である。安易な解釈を加えることを、さしひかえる」(『論語 上』朝日新聞社)

わかるはずもなく、それでもなんとなく考えていました。浮かびました!「水は高きより低きに流れ」「上善如水」ってことばが。ところが、「たまって淀めば腐る」などと言う人があって、前に進まないこの堂々巡りのような頭の体操は、もうちっとも面白くなくなってしまいました。費やした時間はなんだったのか。

余談になりますが、明治になってこの疎水に年間百人を超す身投げ者があったそうです。そうした五十人以上の人々を救った主人公・老婆の物語が『身投げ救助業』(菊池寛)です。玄侑宗久氏の著書で教えられ青空文庫で読んだことがあります。





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 ひと味加えて

2014年03月22日 | 日々の暮らしの中で
大きなふたつきの椀が目の前に置かれました。カウンター越しにそのふたがあけられましたが、雲海の底に沈んだがごとく、ドライアイスのけむにまかれてさっぱりお料理は見えません。ふーっと、そっと息をはいてみると…。
大きさといい、この仕掛け?と言い、「わぁ、すごい~」とだけの間の抜けた一言しか出なくって、意表を突かれました。1日20食限定という「大椀盛」です。

 
友人が予約してくれていて、待ち合わせ場所からミステリーツアーよろしく行き先も知らずに向かった先は、路地裏の一軒家。京割烹料理屋さんでした。
春の永代経勤行も間近です。昨日、尼講さんも終え、気分は心地よく解放されました。


風の冷たい一日でした。思ったほどには気温が上がらず、上に羽織るコートをどうするか、悩ましい時季です。
食事後は御所へ。寒さが厳しかったこともあって、梅の満開もまだ少し先。桃も桜も、そろって咲きそろいそうな気配です。

〇〇の手習いなどと言いますが、何歳であろうと何かに興味を持って学んでみようと思う気持ちは聞いていても刺激になります。かりに長続きしなくても、外との接点を持って、ちょっぴり新しい味を加えた日々が、人生が待っている気がします。そんなことを語り合える友がいることを嬉しく思うのでした。

「極楽は西にあらず東にも。北道さがせ、南にぞある」(一休宗純)― なるほど我が身にある、と都合よく解釈してしまっています。
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 「お彼岸」

2014年03月19日 | こんな本も読んでみた
 
道ばたを彩る。花盛りです。


東本願寺に参拝。

玄侑宋久氏の『釈迦に説法』を読み返してみると、『一人でもできる「お彼岸」』の中に、
「ふだん忙しく動く日々であればこそ、「静慮(じょうりょ)」、わだかまりをなくす、心身内外を空にするといった精神衛生上のバランスをとることが求められる。自らの心身の理想状態を実現する期間がお彼岸の第一義だと思う」という一節がありました。陰と陽の根本は静と動。禅僧としての立場から中国の「日想観」を据えてのお話です。

そういえば、東本願寺で掲示されていた言葉の中に、「嘆異抄」からのことばとして「わがはからざるを 自然と申すなり」がありました。
「則天去私」、この境地も「自然」に近いのでしょうか。人は自分の思いを通そうとする、ってどなたかが言ってましたが、ホントにそうだと反省ハンセイ? ちょっと反省するところも…。

図書館から借りてきた『光の山』(新潮社)を読んでいます。
「あなたの影をひきずりながら」から始まる6篇の短編小説が収まっています。
   

  
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 持仏のように

2014年03月16日 | 日々の暮らしの中で

高さ14.5cm、私がこの木製の観音像(こけし)と出会ったのは昭和46年8月。
当時宮城県の古川市に住んでいた叔父を訪ねて過ごした夏休みの一日、平泉を訪れたおみやげにこれを求めていた。旅行ガイドブックで紹介されていたのを覚えている。

阿修羅像のように神秘な表情を浮かべているわけではないから、みる人の感覚でその面立ちを様々に受け入れるといったものでもない。それがまたいい。極めてシンプルな造形に、細く、やわらかにカーブした木目が見える。つやつやとした光沢があるが、少しづつ「中尊寺」と書かれた一部が薄れかかってきた。底の部分に、「高長作」と記されてある。

43年間ずっと私の身近にあって沈黙はしているが、見守っていてくれる。言葉にはしない思いも、きっと静かに聴きとられていることだろう。時には手のひらに収めてみている。

叔父はすでに亡く、仙台で娘家族と一緒に暮らしていた叔母が亡くなった。
そのせい、ではないだろうが、突然の悪寒に襲われだした午前10時過ぎ。外は春の陽気だというに、体の震えが止まらず熱も上がる。日が暮れる頃まで体調悪く臥した一日になった。

今また、語りかけたいことが一つ…。

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 「花は咲く」

2014年03月11日 | HALL家の話
孫娘が通うブリスベンの日本語補習校で、先月2月15日に東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」の収録がありました。
そして、NHKの国際放送と、国内ではBS1でその様子が放映されることになったようです。

http://www.nhk.or.jp/ashita/tomorrow/
 【 2014年3月18日(火)午後5時00分~
  世界に広がる“花は咲く”
 <スペイン、フランス、オーストラリア、他>
NHKの復興支援ソング「花は咲く」。リリース以来静かに広がり、今も人々の関心を喚起しつづけている。 今回のTOMORROWでは、スペイン、   フランス、オーストラリア各地をたずね、「花は咲く」世界発信プロジェクトである「100万人の花は咲く」イベントの様子と、参加者の日本  へ の思いなどを紹介。歌が結ぶ国境を越えた人々の絆と復興への思いに迫る。】

と、放送予定が紹介されています。
   *「番組内容」とある右下にある囲みのTOMORROWをクリックしていただければ、下記のNHK World(国際放送)へ移れます。

これに先立って
http://www.nhk.or.jp/japan311/tomorrow/
NHK World(国際放送)では、3月14日(金) 1:30/ 5:30/ 9:30/ 13:30/ 17:30/ 21:30
この時間に、左下の画面で見られるのでしょう。

なにぶんにも勝手がよくわからず不安ですが、もしご都合がつくお時間がありましたらご覧になってみてください。
ブリスベンでは2011年1月に洪水による大きな被害が出ました。ちょうどTylerが生まれた年です。私が娘家族の下に滞在していた9月での段階でも、まだ水がついたまま小さな池になったような個所が残っていました。そんなこともあってブリスベンに??などと聞いたりはしましたが…。



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 『沈黙のひと』

2014年03月09日 | こんな本も読んでみた

 
幼い頃に母と自分を捨てて、再婚していた父。残してきた娘可愛さで度々訪ねてくる身勝手な父は、晩年は病にかかり、語るにも語れない、意思表示さえままならなずに多くを「沈黙」するしかなかった。その父の中に横たわる寂しさ、無念の思い、後悔の気持ちを感じることができた娘の衿子。けれど家族として、父娘として、二人の間には巻き戻すことのできない失われた多くの時間があり、衿子の知らないできた父の姿がある。

父の死後、今頃になって詮なきこととわかっていながら、父が残したワープロ内の「覚書」や、二人の異母妹とその母親、父の愛人、父の和歌友(女性)との交流の書簡、…などをてがかりに心を寄り添わせていく衿子の姿。描かれる父の人間像。

父の「長かった沈黙は終わりを告げ」た。けれど、衿子は問いかけている。
「何一ついいことがない、救いも希望もないまま死んでいかなくちゃいけなくなったら、どうする?」 

衿子は、
 「もう一度、生まれてきたい、って思うかもしれない」
 「百回生き直しても、…やっぱり自分の人生を生き抜いてみたいって思うかもしれない」
 「人間の本能って、そういうもんじゃないのかな」、と。

「声にならない。言葉にならない。気持ちがまとまらない。沈黙するしかない」
読後、何か心にたまり込むものがありました…。
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 バランスよく

2014年03月06日 | 日々の暮らしの中で

なんでもありの掲示板のようですが、ここは上賀茂神社境内にある神馬舎の北の側面にあたります。
九月九日の重陽の節句では毎年烏相撲が奉納されています。三枚のポスターは、程よい距離で関係しあっていることに気づきました。それでもパッと見たところでは、なんとはなしのおかしみを感じてしまいます。

三人三色でいながら不思議と絶妙なバランスで?関係が続く女三人組。秋のウォーキング予定が思わぬ理由で中止となったときには、シメシメと喜んだ私でした。季節は移り、今年もお花見の計画をしなくてはならなくなりました。どこなっと行くところはあるのですが、3人の都合を合わせるのが大変です。
年に何度か、映画や観劇をはじめとして共に集える楽しさをありがたく素直に受け入れています。

 「一つとせ 人と生まれて学ばねば 人の人たるかひぞなき」
 「…人は見かけによらぬもの」、興味関心の先も人それぞれです。
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 幸せを感じる

2014年03月05日 | 日々の暮らしの中で

羽生結弦クンのメガネをかけた顔が素敵だとマスコミで取り上げられていますが、Tylerクンのこのメガネもなかなかでしょう?

 昨夕、Tylerは飛行機を見上げて手を振り、大声で叫んでいたそうです。
「おばあちゃ~~~ん、ターくんいるよー ここよー」

飛行機に乗ってやってきたことを覚えているのでしょうか。帰国後ようやく一カ月が過ぎたばかりだというのに、えらい長いことご無沙汰の感があります。無邪気な幼子のしぐさ、言葉とは言え、いっきに気持ちをあの子に向かわせるものとなりました。
言葉にはそうした力があり、元気づけてくれることが多々あります。
色も温度もある言葉。出会えたことが喜びとなって、少し前を向いて生きていける力も得ます。

これと言って大きな変化も少ない日々の暮らしの中で、相手の言葉(言われたこと書かれたこと)に共感し、心を近づけ合える喜びは、本当にありがたいことです。ふとしたことでよみがえる思い出に、幸せを感じる言葉が伴われるとしたら、それは人生の大きな大きな喜び、ではないでしょうか。

人と人、書物、映画、舞台…、感動の出会いはそこかしこに。
「さむっ」と言われないように、冷たさを振りかけないように、心しなくては…。

「これ有るが故に彼あり」
「つながり」は「縁起」とも言い換えられて、「縁(よ)って起こる」ことをいい、「これ起こるが故に彼起こる」と説明される。

これは、先日〈龍法さんと読む経典の言葉〉といったコラムに書かれていたことです。
「縁からこそ新しい未来は起こりうる。…」と結んでありました。

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 目に入るもの

2014年03月03日 | 日々の暮らしの中で
今日はとにかく歩きさえすればいい。と、歩くことに意味を持たせて、歩くことにしました。午後の北風を真正面に受けながら、マスクとネックウォーマーで防寒。中はさすがに真冬に比べて薄着になりましたが、ダウンのジャケットが離せません。


梅のつぼみがわずかに膨らんできていたとはいえ、あたりはまだまだ彩色の少ない川べりです。親の粗末な衣服を引きかぶせられたまま、木の枝にぶら下がっているミノムシを発見です。「ちちよ ちちよ」と、自分を置き去りにしたままの親を思って鳴いているのでしょうか。待っていろと言われた秋までは随分と間があります。

        蓑虫の蓑あまりにもありあはせ   波多野青畝
        蓑虫にうすうす目鼻ありにけり   飯島晴子

「うすうす」といえばこちら。風に吹かれた加減で陽が射すと、白く薄い膜で覆われた内側に、かすかにですが何か透けて見えます。ちょっと大きめ…。


脚力を確かめながら2時間ほどかけて歩きました。汗もかかない散歩道でしたが、珍しい蓑虫との遭遇がありました。
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