京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

  やよいつごもりに…

2010年03月31日 | 日々の暮らしの中で
「やよいつごもり」
三月尽(さんがつじん)。旧暦三月の晦日。惜春の情が深いことばだと説明される。ただ、新暦、実際では春が尽きる感慨などにはひと月ほどは早いようだ。新暦三月の終わりの意でも使われる三月尽。俳句歳時記をめくってみると子規の句があった。
   桜日記三月尽と書き納む

少々の感傷に浸り新たなスタートへと気持ちをつなぐ春先の別れと出会いと。ずっとそんな生活パターンを繰り返し、楽しんでもきた。ところが、わが子のこととなるとからっきしわけが違う。娘を出し翌年には息子もあとに続いた10年ほど前。もともと大学の入学式に親が同伴する意思はなかったので、引越しを済ませ当人の準備を整えて帰宅。子供の姿が消えた、もぬけの殻となった我が家は空虚だった。廃墟と化すほどではなかったにしても…。

    うらうらに照れる春日にひばりあがり
           心かなしもひとりしおもへば
 
これ、うつろで、ひとり寂しさの中にどっぷりと漬かって夜は自然と涙だったなあ。あの寂しさは忘れられない。とまあ少しだけ感傷に浸って、私も明日から“初舞台”。いつも初舞台だけど、4月のスタートを切るのだ。この見事なまでの切り替えはどういうものだろう。

そこで3月末日、しばらくご無沙汰だった4歳児に絵葉書でメッセージを送ることにした。
幼稚園の前もきれいに桜が咲いているよ。美味しそうなお刺身、食べたいね~。そうだ、お寿司を食べに行こうよね。
絵に描いた刺身、やっぱり日本でなくては食べられない。いつ来るかな?誘ってるわけじゃあないのよ・・・。
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 「花のあと」

2010年03月31日 | 映画・観劇
                        

藤沢周平に同名小説の『花のあと』がある。

冒頭から、満開の桜の花を眺めながら…「終わっていくのですね」…と以登。

日本人には、桜に対してまだ咲いているときから散っていくときを念頭に置く自然観があるようだ。ただ、散って新たな命のみずみずしさを感じさせてくれる新緑の葉桜があり、錦に燃える姿も見せる。そして厳しい寒さを耐える時間を持って再び花をつけるのだ…。
人にも苦節を耐えて示される美しさはあるだろう。

大飯ぐらいか 笑うと目じりと口角がくっつきそうなほどに相形を崩す、人の良さを前面に出したような許婚。だが、物語が進行するに連れ、以登は彼と幸せになれるのではないかと予感できる嬉しさもある。

武士として生まれたところで、生きる術はそれぞれの選択肢が異なる。己を殺してでも生きる道を求めることも。女性ははそういう点ではより従属的だったろうか。
突然の自刃という形で最後を遂げた忍ぶ恋の相手。「はめられた…」。その真相を解明することで展開していく回想記だが、以登は秘めた思いを自らの意思で終わらせる。自らの手で。

一青窈が歌う主題歌は結んでいた・・・   
「また生まれた 花のあと」

その彼女に力を貸し、そっと見守る許婚の片岡才助。
二人の間は7人の子に恵まれ、才助は昼行灯などとなぶられながらも家老職につく人物だった。この物語を回想している以登自身の言葉で最後に語られるのだった。
「花のあと…」、幸せに暮らしたお以登さんだった。

潔くもさわやかな後味だった。


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 年年歳歳、花も人も・・・

2010年03月28日 | 日々の暮らしの中で
光あふれる春というには少々縁遠い日が続く今年。肌寒く夕刻からのまたもやの雨降り。日差しのあるうちにと、徘徊するように家々の花を覗き込みながら植物園へ。

やわらかな若葉が四方八方に枝を垂らし、煙るように淡い緑であたりを染めている枝垂れ柳。桜の便りを耳にしながらなぜか重い腰も上がらず、世の流れに遅れを取ってきた。気持ちが追いつかない。
激しく咳き込んで体力消耗、エネルギーをなくしたのだろう。寝てしまえ?いやいやもう充分に寝て暮らした。きっと内面から湧き上がるものを待つしかないということだ。体力気力の充実を待つ。いつまで?「そのとき」まで。

「休眠打破」の遅れ。夏についた桜のつぼみは一定期間の寒さのあと休眠状態から目覚め、開花の準備に入るのだと言う。冬場の冷え込み不足は休眠打破を遅らせ、開花の遅れへとつながるということだ。つい3・4日前が鹿児島での桜の開花宣言だったはず。緯度が北にある福岡などよりも遅れる現象は、やはり温暖化の危機の表れの一つとなる。

年年歳歳、花も同じからずの昨今、自分にも変化は生じてることは認めたくないのか無頓着だったのか。「体」と「心」の躍動はつながっているんだと今更ながらの実感。
「雲珠」(うず:馬の鞍に付ける飾り)と形容される山桜が咲きそろうという鞍馬山。桜色に染まる山を見てみたいと思う。少しの意欲に問題は“人、花を埋める”…。

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 知る面白さ…

2010年03月26日 | 日々の暮らしの中で
言葉の「語源」に関心を持たれ本業の傍らに執筆されているというエッセイスト黒田正子さん。
どこに源を発するのか、その起源について限定することは実は難しいとされながら、ことば・ことわざ・俗諺・食べ物を通し『京都起源“ことのは”数々』と題した講演を聞く機会があった。

京を目指してようやく滋賀県草津まで来た旅人が、この先を、矢倉から湖上を船で行くか、そのまま瀬田から大津・山科・京へと陸路で入るかは思案のしどころであったという。船に乗ればその間体を休めることができ8キロの短縮になる。
ところが、比良の山から吹き降りる春先の突風、比良おろし(八荒)という風が災いを起こす。水運利用は古くから盛んであったに関わらず、破船、水難は続いていたらしい。

湖上の船旅は危険と判断し、遠回りにはなるが安全な陸路で京へ入る旅人が多かったそうな。「急がば回れ」これはこんな状況の中、滋賀県で、京へ向かう途中で生まれたことわざであったと。

例年3月36日に営まれる湖国に春を告げる法要「比良八講」、この前後に吹く風が比良おろしと呼ばれる。
昭和16年4月16日、第4高等学校(現金沢大学)のボート部が練習中にこの突風のために転覆し、11人の命が失われるという事故があった。それを悼んで作られた「琵琶湖哀歌」が心に悲しく刻まれていると言う投稿文をちょうど目にした今朝。

   遠くかすむは 彦根城
   波に暮れ行く 竹生島
   三井の晩鐘  音絶えて
   なにすすり泣く 浜千鳥

     比良の白雪 溶けるとも
     風まだ寒き 志賀の浦
     オールそろえて さらばぞと
     しぶきに消えし 若人よ   ……
 
京の天気、祭り・職人の世界・舞楽などを出所とすることばの数々。それを知ってことばを使えることの面白さを語りながら、自分は学者でもない、あまり大声でしゃべらないようにネ~という感じで笑っておられた。

                     (暗く寒い中、木瓜の花。)

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 春先のミステリーとはオーバーな・・・ 

2010年03月25日 | 日々の暮らしの中で
三日続きの雨。なんとも寒い。

府立植物園の西側、賀茂川に沿った半木(なからぎ)の道の枝垂桜や、加茂街道沿いの桜並木が色づいていた。最近は山全体の明るさも増している。
夕刻の雨の止み間。ここの桜はまだこれから、3日見ぬ間に…ということもあるまい、花は待っていてくれるだろうなと、勝手な期待を込めて車で走り抜けた。桜の名所も数々あるが、この季節の加茂街道は好きなのだ。

家に戻ると、玄関出の間に、薄い紫色の包装紙にくるんだ菓子折りよりは大き目の包みが置いてあった。

「御用でお越しの方はお名前を・・・」
訪問者がわかるようにと、メモを添え用紙と筆ペンを箱に入れて上がり框の脇に置いておくことにしている。婆様の発案であった。
一人でいると来客の声に気づかない、ピンポンも家中には行き届かず場所によっては聞き落とす。大声の威力も半減した。返事はすれど出て行くのに時間もかかる…、もろもろの負の事情が婆様に重なってきたからだ。

来客には、とにもかくにもまずは返事!婆様によく言われたものだ。奥からでも大声で!声だけでも顔を出せ?実家ではこれとはまた逆、そんなところから大声出すなとよく父に言われたものである。ただやはり血は濃いのか、私は大声を出すエネルギーをためらうぶん、全速力のつもりで駆けつけているが。

で、この包みの置き主様がわからない。「開けてみれば」「待て待て明日まで待て」
ま、これだけのこと。
春先のミステリーなんてほどのことでもないか。どなたさん? メモさえあれば…。
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 春の京都に“足跡や叫び”・・・  

2010年03月23日 | 日々の暮らしの中で
朝からしとしと雨が降り続く。ちょこっとお尻に根が生えて座っている間に日は暮れた。時間の経過もわからない、いつ夕暮れが訪れたのかもわからないほど薄ぐらい一日だった。

そんななか、先日の文化フォーラム参加を共にした友人から絵手紙が届いた。

水仙の花に添えて
   “春の京都は 龍馬色ね 
         また会おうぜよ”      だって。

「恥ずかしいけど・・・」 始めたばかりだと言う。
書のほうも習うのかいな??
ミミズがはう、柔らかな字を書く彼女が、慣れない墨書にはやけにリキが入っている。
いいのよ、いいいのよ、味だから。心あふれた一枚、ありがとう。

京都が幕末に政局の舞台となって以来、政変で何度も焼けているが、
昔は…、隣の家は…と、ああだったこうだったと生活の足跡を大切に、記録しながら復興してきたという。なんとしても祖先の土地を守りたい。自分のところにお金はあるが、隣近所を気にして自分だけ復興してよいものか? 連れもって復興しよう…。
そんな意中でもあったらしい。これは京の誇りになっているという話があった。

今年は、とりわけこんな歴史の興亡の中に消えていったいくつもの足跡や叫び…が、春の賑わいの中で聞こえてきそうかな。

春の京都は「龍馬色」なのか・・・


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 あいまいさの功…  

2010年03月22日 | 日々の暮らしの中で

    “一つとや ひとりで早起き身を清め 日の出を拝んで庭はいて水まいて”
                       (「初等科音楽」昭和17年)

「数え歌」はもとは俗謡、次第に教訓的な替え歌が作られるようになって言ったそうだ。

昨日の朝は東の空に白い太陽がかすんでいた。黄砂のせいだ。別に数え歌との関連は薄い朝の太陽なのだが、早起きは三文の徳。強風で散乱した裏庭の片付けが待っていた。誰かが使っては置きっ放しの山積み状態、それを見かねて軒下に押し込み返すその場しのぎが災いしたか…。
    人の非は非とぞ憎みて非とすれど我が非は非とぞ知れど非とせず
何?何?何? もう少しゆっくりもう一度…
そりゃあそうだと頭を下げているうちにはこの声も通過していく、ってわけでこれも知恵。
どちらが悪いのかを突き詰めると、これはもう勝ち負けになる。そんな思考は一文の得にもならず!

数台前方の車が反対車線側の店舗に入りたいらしい。ようやくできた渋滞気味の車列の切れ目に車のお鼻を突っ込んで右折。そのままいくと見ていた矢先のこと。左端を走ってきたらしいバイク「が」体当たり。顔をゆがめ足を引きずり、若者は起き上がった。
事故の目撃は、いやーな気分に襲われる。

何で突っ込んだのか?双方の不注意ではあるけど、あーあ、流れが止まっているのに。必要以上にせかせか先を急ぐ、ありがちなことだし気をつけなくっちゃ。
悪いのはどちらか、明確になるのだろうか。

「ちらほら」咲き、おおかたは「つぼみ」の桜だよりだけれど、“明日ありと思う心のあだ桜”。やはり機会は逃さず無駄にせず…かな。
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 “棚ぼた”の「とく」

2010年03月19日 | 日々の暮らしの中で
単に都合のいい人なのかしら…
よほど暇だと思われているのか…
それとも、「出番がきた」と考えようか…

ほんとにこの半月体調悪く籠もり続けた日々だったんだからね・・・
風邪気味だったなんて、そんな他人のことなどどうでもいいみたいに言ってくれる…。
いつまで家にいるのかと誘い出してくれるHさん。

自分ではおそらく足を運ばないだろう。
そうなるとこれは“棚ぼた”、幸運が舞い込んだのだと考えて意欲を出すのが「得」いや「徳」なのかも知れない。

京阪・文化フォーラム「坂本龍馬と幕末の京都」明日午後1時~。
またまたお誘いただいた…。しかし、正直なところは…、ここまでの興味はいまひとつ。まっ、ベンキョーしてこようかね。人中は疲れるけれど居眠りしながら?あくびの一つも出るくらいの気軽さで…。
運気が上昇するチャンスかもしれない。

    (写真は貝にボンドで付着させたもの。これだけで育つそうだ。)
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 “覚めつつありて・・・”

2010年03月17日 | 日々の暮らしの中で
  
              

「春眠」 …を、むさぼっているわけじゃあない。けれど“どじょっこさんやふなっこさん”よりもこの季節に乗り遅れている気がしてならない…。

“あと4日”で回復はとっても無理だと思った。ゴボゴボ咳き込んだりしても申し訳ない。あきらめた。娘さんが無料招待券をもらったからと南座「三月花形歌舞伎」今日昼の部に誘われていつもなら即答のところ、さすがに自信がなかった。
3階の桟敷席から「宙吊りではけていく亀次郎さんに手を振りました」とメールが。

この娘さん、かの有名な音楽学校こそ受験に失敗したが、今は大阪の劇団に所属し夢を追っている。小道具さんとの協力で舞台の裏を知ることが続いたあとにやっと付いた短い台詞。母親の演劇好きをそのまま受け継いでいる。

劇作家志望の若者相手に戯曲講座を開いたと言う土田英生氏の文章を今夕目にした。
講座後、どうすれば食べられるようになるのか・どうしたら売れるのか・コネを作るには…という質問が集中したそうだ。ノウハウ・方法を会得する以前にもっと大切なことがあると氏は言う、結果を求めるのではなく何かに熱中すること、その気持ちの中にこそ生の充実があるはずだ。本来の姿を見失ってしまっては悲しい。「好きこそ物の…」と。
                              

夢見る夢子ちゃんは学生時代だけにして、と娘に頼むのだとか。研究生2年目、根性あり。信じませんぞ~、果たして本音かいな?? 

そんな友が再びメールをくれた。5月13日千秋楽13列目という席でチケットが送られてきたと。劇団☆新感線30周年興行『薔薇とサムライ』。
その特集を演劇雑誌の『レ・プリーク』が扱っている、また今週号のAERAでも触れているとのことだ。立ち読みしてこよう!

教えられながら、友と過ごす楽しみも捨てがたい。うん??ちょっと元気出たかなあ…。




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 映すもの… 

2010年03月16日 | 日々の暮らしの中で

春に三日の天気なし、だそうで笑ったり泣いたり…。

少しいいかと体を動かせば調子を崩すこの頃、必要以上に外出しない。ということは、鏡をあまり見ないということだ。昨日、朝晩2回は見た、後は?? 髪をとかしたっけ?そりゃそうだ。
ムムムッ、これではぎょっとする事態になりかねない。他人の視線を浴びるだけでなく、自らのビーム光線をバシバシ当ててせめて笑顔を作っていなきゃ、と思うもののやっぱりその気力さえ萎えることはあるものだ。

『潤んだ瞳に輝く目ヤニ。化粧はしているのに「化粧しろ」と言われ、ハンドバックで重心を取り、あっちへ出掛けこっちへ出掛け。バッグの中に財産はなく、いざというときの保険証』って綾小路様の“愛言葉”。実際、思い切って外出すれば自分の靴先がなぜか引っかかって、前へつんのめりそうなんて笑えないことだってあるわけで…。

ふっと垣間見る他人のさりげない表情や姿に、見え見えの傲慢さを感じたり、不満さが漂うのを見つけたり、口元に幸せが滲むのを見たり、体調の悪さや険しそうな人生を想像したりもできる。毎日の感情や心の積み重ねが顔や表情を作るとしたら、街にはいたるところで自分の心も映し出されているということかしらん。

HALL家は部屋の一面には鏡がはめ込まれたつくりになっていた。あの4歳児でも髪に手をやりヘアーチェック、日に何度か衣装替えをしては“うっとりきれいに変身”。
こうしておしゃれのセンスの土台ができ磨かれていくのかもしれない。

もはや「こんなもんでいいんじゃな~い」とありものに満足だけれど、心がどっちに向いているか、その質さえ映し出す目の輝き心の弾み。目ヤニなどつけてしょぼくれていたくはないよ。早く外へ出たい。

雨にぬれて重たげに頭をたれていた椿。咲いて日数も経てば白い花弁には茶色の筋が入り薄汚れ、まるまるの落花。にしても葉の艶やかさはどういうわけだ。

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 ひとつ知って…

2010年03月15日 | HALL家の話
       

BBQやフリーマーケットを楽しんだサンシャインコーストにあるレッドクリフ。桟橋を進んでいくと、季節限定でここからホエール・ウォッチングの船が出ている。
「日本人は乗れない」とJayのきっつーい冗談。

アメリカの環境保護団体「シー・シェパード」の反捕鯨活動船の「アディ・ギル号」と、日本の調査捕鯨船団の監視船第2昭南丸との衝突事件(1月)はHALl家滞在中Jayたちとの話題の一つだった。

無謀な体当たり・火炎瓶投げ入れなどエスカレートしていく過激な妨害行動としか映らないシー・シェパードの活動だが、Jayは「日本側の領海侵犯」を口にする。でも…、それは耳にしていないけどなあ。

「環境保護団体や反捕鯨国は、クジラを死なせる調査捕鯨に国際社会の合意がないと反発している。」と言う新聞記事内容に触れた。
Jayの話から、日本の捕鯨での“きわめて長時間をかけて死に至らしめる苦しめ方”をオーストラリアでは“むごい”と厳しく批判しているということも知った。

その頃ネットで見た“カンガルーを300万頭殺す国が反捕鯨を訴える”のはいかがなものかと言う話題。それにはあっさりしている。
こちらではカンガルーはペスト・「ねずみ」並みの扱い…だそうで、  
増えすぎて困ると言って意にも介さない。

危険行為、不法行為ともなればその黙認は許されるものではない。と同時に「捕鯨」のあり方も別次元のところで存在しているような。知らないことはありそうだ。

クジラ肉を食べたことあるかと、これまでにもJayは何度も聞いてくる。そのたびに答えは「あるよ~」。今度はマグロ漁の妨害に向かうと語るシー・シェパード活動家の言葉が残った。危険な妨害行為で解決できる問題ではあるまいに…。

Noosaの展望台付近から見た海   
この沖合いにはクジラも姿を見せるという説明があったが、この日、イルカの姿が見え隠れするのを肉眼で見て取れた。ずっと身近にこうした大型の生き物が存在しているオーストリア。日本人にとって資源の保護と利用の課題は残る…。

   先週捕獲されたワニ。体長6.325m、重さ18.55kg だとJayが送ってくれた写真。
        ビックリ仰天~
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 時が来れば… 

2010年03月13日 | 日々の暮らしの中で
                  

時節が来ればこうして優しい花をつける。ろくに手も加えないままに上へと高く伸ばした山茱萸の木。赤い実を落とし、葉よりも早くに小さな黄色い花をつける。春黄金花(はるこがねばな)ともいうらしい。遠目ではかたまってみえるものも、一つひとつを覗いてみれば細やかな花だ。お隣さんと触れ合うこともない。

冬の蠟梅と並んで親しい生花店に“出荷”できるほどの、我が家に在ってはちょいと珍しく自慢の木。何せほったらかしが普段のことで、せめて根を張る自由を与え、“養分”と称して台所から出た生ごみなどを地中深くに埋めてやるだけ。たっぷりの滋養で春に、夏に秋にとそれらは姿を変える。ワサワサと葉音を立てる夏も涼しげだし冬の丸裸の梢も好ましい。

帰国直前からの風邪気味が長引いてけだるい毎日が続く。
ぽかぽか陽気を知らぬまま一日を過ごし、どうあっても今日は、と穴倉から抜け出してみれば、ちょっと寒いがやはり世は春。外の空気を吸いながら歩いて病院へ。遅まきながら道路沿いの紅梅を楽しんで満たされた思い。

     美しき眉をひそめて朝寝かな       虚子

こんな艶っぽさもなく、咳で、熱で「寝るよりほかに私の夜はなかった」(「シジミ」石垣りん)わけだが、停まっていた所が少し動き出そうとするかの今日の気配…。


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 しみじみしじみのはなし

2010年03月10日 | 日々の暮らしの中で
                   

新聞広告欄、『今昔健康記』で取り上げられていたシジミ。日本人にとって最も愛されている貝の一つで、昔から大事な栄養源・滋養食として知られている。

滋賀県粟津湖底遺跡にある貝塚の分析によれば、縄文時代の成人摂取カロリーのうち、シジミが約17%占めていたとかで、身が厚く美味しい滋賀県瀬田のシジミは江戸時代の『本朝食鑑』に取り上げられているともいう。季節のはしりや旬にこだわった江戸庶民は土用シジミや寒シジミを珍重・堪能したことだろう……

我が家のばあさまからも、小川にシジミ取りに行った話を耳にしたこともある。そこらへんの、暮らしに身近なきれいな小川で普通に生息していたのだろう。

ほとんど広告内容を鵜呑みにしての“シジミ”の話で申し訳ないが、あのJessieは実はシジミを初めとする貝類を好んで口にする。HALL家で好評だったわかめとシジミのスープの素・乾燥品を今回トランクに3袋詰めた。さらにはシジミのむきみの佃煮4パックも前日に購入。大量の食品類をあれやこれや詰め込んだ挙句、トランクは結局5キロオーバー、7500円を支払った。

尋ねられた時すぐわかるよう書き出して備えた。ご丁寧に!そこまでするなら「はいどーぞ」を目論んだが、開けて見せよと。出口を目の前にしての足止め。まっ、やましいものは無い、いくらでも覗いてくれていいのだけれど、やはり「なんやの~、いっぱい人がいるところでかっこ悪い!!」ではないの。

彼らが最も気にしたには、袋内の「乾燥したシジミ」だった。開けようとしたが開かず、つまんでみたりつぶそうとして見たり。おまけにもう一人来た。つまもうとしてるが…結局OK!  なんやのさ、もう、最初から貝だと言ってるじゃないの。何を疑っているのやら、白い粉にもなりません!

「これはうめぼしですか」って! うん?日本語通じたの?

シジミの「健康パワー」「活力の素」、宣伝文句を証明してみせるJessie~
 
今だからシミジミ話せることだけど…




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 ピッチピッチちゃっぷちゃっぷ

2010年03月09日 | 日々の暮らしの中で
               ゴールドコ-スト雨の夜 

去る2月8日に立松和平氏が亡くなったことはオーストラリアで知って驚いたことの一つだった。親鸞賞を受賞された作品『道元禅師』には関心はあっても手が出ない。連合赤軍を題材にした作品が盗作問題で話題になったことが思い出される。

氏は『象に乗って』に書いている。
「春になれば水もゆるみ、ぬかるみができる。泥はやっかいな存在であるが、春を告げる喜びのしるしでもあったのだ。春泥と文字に書くと、なまめかしいような気分が伝わってくる。春はやはりなまめかしいものなのだ。」
路面は季節の移り変わりの鏡でもあったのに、道路にぬかるみがなくなったことで風景を大きく変えている。道を譲りゆずられして生まれる人との共感もあった…と。

坂の街ブリスベン。  家の前、  
晴れた日には白く長い筒状の物が側溝と平行に口をふさいでいたが、いつの間に誰が… 流れてくる水の方向に45度ほど開いた状態で大量の雨水を側溝へと誘いこんでいる。これって、写真左から右へと下ってくる雨水のなせる仕組み??はて…。

雨上がりの雲を映す水たまりもない。ここも舗装道路がJessieの楽しみを奪っているかのようだった。わざとぴちゃぴちゃ水を跳ね上げる楽しみは子供の特権でもあったような…。
家の周りでは、そもそも雨水を跳ね上げないようにと気遣うべき行き交う相手さえいないわけだったが。

暮らし方の工夫や生活の知恵から生まれてくるような文化は、当然大きく異なる。
練炭やおくどさんから出た大量の灰を庭の地面の凹みに捨てている。筵など引いて雪解けのぬかるみをカバーしたこともあった。こんなことをJessieあたりに体験させてやりたくもなる。二つの言語を介して異なる文化を学んでいくという経験を積めるJessie。ついついあれもこれもとお世話が過ぎることだ…。

今日も雨。春寒し。
季節を待つ時間が楽しいのかも知れない。

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 せいても・・・

2010年03月06日 | 日々の暮らしの中で
ここに30日に及ぶブリスベン滞在があったことを残してきた。
そのためにひとつでも多くの思いを書き込んだ。一日一日を更新させるために…。

4日帰国して、尽きない思いを切り替えようとしてはいるけれど、あとちょっとだけ触れさせてもらってと…

周囲から聞こえる声、声・声に、4歳のJessieが「日本語やなあ」と口にする。
雨のブリスベンからゴールドコースト・サーファーズパラダイスへと移動して帰国前に一泊。白くかすむロングビーチの美しさ。リゾート地の開放感に浸らせてもらった。

            


今日は啓蟄。日常を離れた特別休暇を終えて、ここで虫出しの雷でも鳴れば自分の気持ちもシャンとするのかもしれないと思いながらも、雨がそぼ降る寒さにはまだ虫も待機中だろうか。

夜中に目が覚めて自分がどこにいるのかを意識する。疲れを感じる朝の目覚め。
車の運転中、ウインカーとワイパーを左右間違えた。古紙回収を呼びかける録音テープの声が騒音に聞こえる。新聞を読みTVを楽しむ中に、いっきにあふれる情報を追う気ぜわしさの同居。三七日を迎える親戚にお参りに出かけた。

不在だったひと月分の空白をどこから埋めていこうか。なにやら知らない怠け心もむくむくと湧く。
まあ今、別段あわてることもなし、気を取り直しながらゆっくりやろう。あるべき姿を心得て、ぼちぼちやればいいさ~~。といって結局は怠けつつ・・・
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