京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 地区大会21位

2015年04月29日 | HALL家の話
                 ブルーのシャツを着た右から二人目の男性の近くに

3月、校内のクロスカントリー大会で6位までに入賞することができた孫娘Jessieでした。4年生と5年生が一緒に走る、という娘の説明を、少し私が勘違いして受け止めてしまったようです。確かに一緒なのですが、「2005年生まれの」4・5年生が一緒に走るというのが正しいところでした。
でなければ…、あまりに1年の体力差は大きく不公平だと内心感じていたのでしたが、私の理解力不足でした。

この27日にノースサイドの地区大会がありました。
で、70人ほど(「ほど」というのは娘の話でして…)が出場し、「ジェシーは21番目に入ってきた」と。ここだけは娘もしっかり数えていたのでしょう。結果は70人中21位。ジョーデキ~~!!です。よね!? 「はやいこはめっちゃはやいわ~」と娘は言いますが、さて、どの程度の差があったのか。
    [ALBANY HILLS  STATE  SCHOOL  JESSICA HALL   2/10/05] 胸にはこうあります。 ゴール後。


ゴール後、こんなかき氷が待っていました。頑張れたわけはこれかしら…。
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 「余呉湖行楽」

2015年04月27日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて

琵琶湖の北にある賎ヶ岳を一つ隔てた裏側に余呉湖はある。若狭に生まれ、この付近の西山という村の養蚕家に15歳で奉公に出て、糸とりをしている間に桐谷紋左衛門に見初められ、京都で女中をして暮らした「さく」。再び西山に帰って、姿を消してしまう短い生涯が『湖の琴』(水上勉著)に描かれている。


【自分でよった琴糸で首をくくって死んださく。その観音様のような美しい死に顔を誰にも触らせたくないと思った宇吉は、さくを糸箱に収めて、余呉の湖の深い淵へ沈めて葬ってやろうとう考える。(糸を入れて湿気の来ないように密閉してふたを閉め、遠方に送るための箱は、この辺りの農家には必ずあった)
「角のまるく温かそうな石を選って詰め終った頃だった。今まで、風が吹いて騒いでいた淵の水が、突然ぴたっと動きを止めた。とみるまに、空にたれこめていた黒雲が割れ、ふたたび月光がさした。…月はさくの冥府への旅立ちに、明りを添えてくれようと、わざわざ、ひろい余呉の湖の龍神の岸にだけ、ぽっかりと明りの輪をくれたようだった」
さくのいなくなった淋しさ、いっそのこと一緒にと、宇吉も湖底に向かって沈んでいく】

                             「天女の衣掛柳」


こんな舞台となった余呉湖を今日訪れてみた。「賤ヶ岳の戦で死んだ侍が、鎧を着けたまま眠っておると言う人もいる」(『湖の琴』)余呉湖。さほど高くはない山々が周囲を取り巻いているが、なかでも険しく切り立って落ち込んでいる賤ヶ岳方向を見やりながら、一周6キロほどのところ(南のほうは周辺の道路工事と重なって通行止めという事情もあって)歩いたのは半分ほどだったろうか。周囲の山々の緑の美しさ。水田風景の爽快さ。寄せるさざ波の音、ウグイスにトンビにカエルが鳴いて、鴨が飛び立つ。ヒメオドリコソウの群生、目も耳も心も奪われながら湖のすぐはたをゆっくり歩を進めた。琴の音を湖畔に聴くには、晩秋の夕暮れ時のほうがふさわしそう。
『ガラスの壁』(芝木好子著)では、瑤子と萩生が菅浦から余呉湖を訪れ、神々しい残雪の山に囲まれた暮れゆく湖を眺めている…。


今日は私たちも、「余呉湖行楽の帰り、高月の渡岸寺に詣で、十一面観音の艶やかな姿を見た」水上氏の行程をなぞった。1時間に1本の電車に合わせ、余呉から木之本、高月と2駅戻って、渡岸寺に立ち寄った。
と驚いたことに、つい先日22日に「観音めぐり」バスツアーでガイドして下さった方と観音様の前でお会いし、今日はここで説明を受けることになった。なんてご縁!! 氏は今年77歳に。
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 「観音の里めぐり」1

2015年04月23日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて
琵琶湖の北の地にある高月、木之本地域には国宝や重要文化財に指定されている仏像が特に多くあり(地元ガイド氏によれば300体はあると)、「観音の里」と呼ばれている。

京都御所の北に比叡山、その北方に位置する己高山(こだかみやま)は近江国の鬼門として古代から崇められ、古くは北陸十一面観音信仰、さらに比叡山天台勢力の影響を強く受けながら独自の仏教文化を構築してきたとされる。
「近江を制するものは…、」と言われたように交通の要所でもあった湖北地方は、姉川の合戦、小谷城の戦い、賎ヶ岳合戦など幾度も戦乱の舞台となり、社寺はことごとく焼かれてしまったという。川に沈め、土に埋め、さらには焼け傷んだ像の鞘仏まで造ってその胎内仏として納めるなどして護られた多くの仏さまたちが、静かに立たれたりお座りになっている“観音の里”。
「土地の習俗、信仰として秘仏を守っていくのではなくて、公開し観音さまが本来のお役目を果たされるようにすべきだ」と説かれたのが井上靖氏だった。

昨日、JR木ノ本駅10時30分集合で「観音の里めぐり」バスツアーに参加した。12名、夫婦が一組あっただけで、女性9名・男性1名が一人参加。東京からの日帰り参加者もいれば、神奈川や埼玉からは3泊の計画で高野山などを歩いてきたという人もいた。
現地のボランティアガイドさんのわかりやすい説明を得ながら、小型バスで各寺のすぐ近くまで運んでもらって、私にとっては有難迷惑とも言える楽さでの参拝だった。周囲の風景に目を馳せながら、風を感じ土地の空気を吸うといった大切な行程が完璧に省かれてしまったのは残念至極。車窓から眺める新緑の濃淡の美しさ、水を張った田んぼが初夏の装いだ。「風趣」、こんな言葉を使ってみたくもなるこの季節、そうした面での味気なさは残ったものの、参拝者があれば年中無休で村民が交代で鍵を開け応対して下さり、無住の寺を力を合わせ守り継ぐ姿の尊さには改めて心打たれた。




【赤後寺(しゃくごじ)】の千手観音立像と菩薩立像をぜひお厨子の中に拝観したいという思いがかなった。美術館でむき出しのまま観賞、拝観した時とは異なり、立派な安土桃山風のお厨子においでの2体は小さく見えた。渡岸寺の十一面観音像より50年ほど古いとされる。毎年3月2日の夜、堂内に幕を張り巡らせたあと、集まった一人一人の顔を確かめ、見慣れぬ顔があるとどこの誰かを確認。村外であれば親類縁者でさえ退出いただいたうえで初めてお厨子の扉は開けられてきたのだそうな。傷ましい姿を外部には隠したかったのだろうと。
【石道寺(しゃくどうじ)】の十一面観音立像はうすく紅をさし、右足の親指を立てた可愛い姿が印象深い。

【大円寺】の千手観音立像は手前の台にお顔が映る 
【冷水寺】の十一面観音像は胎内仏を納めた坐像。
【大井観音堂】の十一面観音像が今回特別公開。珍しい坐像の観音さまだった。

そして最後に【神照寺】を拝観し、長浜駅で解散。
4時前の播州赤穂行きに乗って、米原までは東京へ帰るという高齢の方と同行だった。菅浦神社を参拝した折の感動を聞いた。各人各様の関心で湖北周辺を回っているのを昼食時の会話から知ったが、それぞれに在るべきものを愛で、賞賛する心を持たれてることに魅かれた。だからこそ一木一草、一石にも仏心の宿り、そんなことを趣深く語れる人たちなのだろう。よい出会いもあった。
『星と祭』の再読もいいだろうな。そのためにちゃんと文庫本で購入してある。
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 朱印帳

2015年04月21日 | 日々の暮らしの中で
朱印集めが目的ではありません。
けれど、お参りする機会があったら朱印をいただいてみよう。そう思っただけです。

   古寺、名刹のある場所には、不思議なエネルギーがある。
   それを体で感じ、新しい命を悠久の歴史に思う「百寺巡礼」の旅に出た。
   いま、私の新たな旅が始まる。
                       五木寛之

「『百寺巡礼』文庫化にあたって」こうあり、また「百寺巡礼の旅の初めに」と題しては、「何かを学ぶためではない、何かを感じるだけでいいのだ」と記されている。
「日本の寺のある土地には、人の生命をいきいきと活性化し、大きな深いものを感じさせる見えない力が存在していると感じる。その場所に立ち、一瞬の時間を体験するだけでいいのだ、と思う。」

と言うわけで、私は朱印帳を買い求めました。
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 宅配で

2015年04月18日 | HALL家の話


「段ボール箱におばあちゃんが入っていたらいいのになあ」
小包を送ったことを娘にメールで連絡したら、Jessieがこう言ってたよと返信があった。
できればいいのにね~。箱入りで、オーストラリアまで行けるものなら運んでほしいわ。昨日、荷物が着いて「ありがとう」と賑やかな電話の声が届いた。


鬼を苦手としていたTylerだったので、ビックリさせてみようと手元にあった土鈴を包装し袋に入れて、更にリボンをかけて“プレゼント”。
「タイラーの行くとこ行くとこ持ち歩いて置いとくわ」と母親が言えば、「おにこわくないのよ」 ってTyler。なんでも親の言う通りにはならない、ってことかな。これは25歳の時、職場の仲間で金沢から能登方面へ旅行して買った土鈴。タイル張りの床に放り投げでもされたら間違いなく割れてしまう。Tylerくん、壊さんといてほしいわ~。

今日は、Jessieが土曜日だけ通う日本語補習校の始業式。Tylerから「がんばってべんきょーしーや」と励まされて、やっと4年生の勉強が始まります。

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 折々の風情

2015年04月12日 | こんなところ訪ねて

北大路通りから南に入り、白川疏水に沿って少し下がった場所に、「銀月アパートメント」はありました。
枝垂れ桜が美しいこの古い建物は「アパート」ではなく「アパートメント」と名のつくこだわりです。


形の異なるたくさんの窓。カーテンも様々で、窓辺にも何かが置かれていたり、電気がついている部屋、窓のあいた部屋もありで、現在も使われているようです。垣の向こうからはたくさんの若い男性の話し声が聞こえ、大きな笑い声が上がっていました。人の住む気配濃厚な場所を、不躾にのぞき込むわけにはいかず、それでもほんの少しだけ、入り口に近づかせていただきました。と、玄関入った左側の部屋のドアが開いて、人が出入りしました!
外観は古さを感じるものの、部屋は住人の工夫できっと使いかってよい“城”になっているのかと想像。戦前からのものらしく、入居は予約待ちの人気なのだとか…??

私の旅の友だった古い『イラストマップ京都』(昭和48年第5版発行 市民書房 京都)を引っ張り出してみると、「このあたり学者が多数住んでいる」と説明がありました。川のせせらぎを聞きながら歩くこの道、来年はぜひ花の盛りに訪れてみたい。
今話題の“エリカ様”ならぬ本家のエリカ様が、映画「クローズド・ノート」撮影のためにここを訪れたようです。


このあとは哲学の道へ。既に桜は散り始めていますが、銀閣寺に向かう道はこのありさま。
法然院境内と「拝観拒絶」とある安楽院を門前からだけ拝観後、戻ることに。人に疲れ、歩き疲れ。腰かけてバスを待つ15分ばかりがありがたかったこと。

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 雨の中を

2015年04月10日 | 日々の暮らしの中で

郵便局まで、傘をさして出かけました。
本当はウォーキングに出ようと思い立ったところに、雨が降ってきてしまったのです。傘をさしてまでは歩きたくない。それで郵便局まで、せめて歩くことにしたのでした。
身体は軽く、足の運びが非常にリズミカルです。雨の湿度が幸いするなんてことがあるのでしょうか。軽快! 用事を済ませてこのまま家に戻ってしまうのが惜しくなり、雨の中を歩きまわったのです。結局、1時間半近く、しっかりウォーキングしてしまいました。こんな日もあるさ、ってところです。



娘のところへ送る荷造りが進みました。
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 スミレの花

2015年04月08日 | 日々の暮らしの中で

「(ゆるやかな)山路を登りながら、こう考えた」。
「智に働けば」取るべからず。「情に棹させば流されて」ちょっとだけいただきたい。思慮分別をかざせば窮屈だ。
足元に少しずつ群生しているスミレを見つけた。その可愛さに魅かれて、心の煩いに負けることになってしまった。家に持ち帰り、小さな鉢に植えた。
   
    むらさきに菫の花はひらくなり 人を思へば春はあけぼの   宮 柊二

古典の中の名句「春はあけぼの」を結句において、印象深い。


先日の参拝時、東本願寺境内には花御堂が設けられていました。八日の釈迦の生誕を祝うためのものです。中央に安置された誕生仏に甘茶をかけて祝う、「花まつり」です。潅仏会、仏生会ともいいます。
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 咲いて散る

2015年04月07日 | 日々の暮らしの中で
木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)、木花知流比売(このはなのちるひめ)、深淵水夜礼花神(ふかふちのみずやれはなのかみ)
これは、古事記に見られる花の系譜の神の名。


咲いて散る。花は桜ではないのかもしれないが、神の名には桜をイメージできる美しい趣がある。
手もかじかむ冷え込みだった。ろくに花見もしないうちに、何か足早に見頃は進んでしまった感があるのだが、散りしかれた風景も、花びらが吹雪のように散り乱れる様もなかなかの風情。


     さくらさくらさくら咲き始め咲き終わり何もなかったような公園     俵 万智

まだどこかで…と、別れは先送りしたい。
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 「現代的巡礼」

2015年04月06日 | 日々の暮らしの中で

義母を見送って1年。春の法要も終わった東本願寺に参拝することにした。阿弥陀堂は今年末完了の予定で修復が進んでいる。

「長崎でキリシタン発見」150年――今日の朝刊にこんな見出しのついた記事があった。
高校を卒業する時、恩師から『海鳴りの底から』(堀田善衛著)を読むように薦められたのを機に、『天草の雅歌』(辻邦生)、『深い河』(遠藤周作)など続けて読んだ時期があった。なぜ、この一冊を勧められたのかはわからないままだが、興味深く読んだことは間違いなし。ところが、大浦天主堂を訪れた証拠写真が残っているのに、詳しい記憶がまったく残っていないというのはどういうことだろう。

記事には【世界遺産登録が期待されているが、信仰と観光のバランスが問題になる。注目を集める聖地に、軽みを帯びた現代的な「巡礼」、「伝統宗教の信仰の枠組の外に出て、それぞれの思いを深めたり、『何か』を感じたりする巡礼的観光客」の増加で「信仰なき巡礼者」が群れをなすに違いない】といった内容のことが書かれていた。


面白く思い出したのは、瀬戸内寂聴さんの本で、趣味で朱印を集める人たちを「ワッペン巡礼」と言い、そういう人たちを逆縁衆生と呼ぶことがあると知ったことだった。(『仏のみち』) けれど、そうした信仰に無関心な逆縁衆生もワッペン巡礼を重ねているうち、いつの間にか巡礼の旅に魅せられ、自然に掌を合わすようになる。それこそ仏の慈悲だ、と言われた。
私も若い頃は「寺巡りが趣味です」など口にしていたし、文学と重ねながらせっせと京都・奈良を訪れては寺々を回っていた。一時期は、こうして朱印も旅の足跡として残していた。ワッペン巡礼だったわけだ。
寂聴さんも納経所にひしめく長蛇の列を冷たい目で見たことがあると書かれていたが、自分がしなくなってみると、時間の無駄だと感じてしまうことは私にもあった。

折しも観音巡りをしようか、などと思い始めていたところ。朱印帳でも買い求めますか…。
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 深い話を

2015年04月02日 | 日々の暮らしの中で
明日からしばらく続く天気予報を考えると、今日は逃してはならないと思えるほど絶好のお花見日和だった。のだけれど…、大阪行きの日でもあった。なので大阪へ行くことにした。少し早めに出て、大阪城公園でも散策できたらいいのだけれど、なんといっても一人では心細くて断念。


奈良から参加している友と二人で淀屋橋駅まで、いつもと違う川べりの道を選んで歩いた帰り道。出会った桜の風景はこれだけだった。それでも地下鉄構内では右と左に別れるのを先送りして、いつものように1時間は立ち話でおしゃべりの花を咲かすことになった。

今日の合評作品の中に彼女の作品も含まれていた。「朝からなんかユーウツだったのよ」って…。出された意見への意見を求められたり、意見を交換すればするほど深まるものがあって、本当に伝えたかったものが充分書ききれていないと確認してみたり…。自分のことは棚に上げてでもあれこれ互いに言い合える。なんて深い立ち話なんだろうねと笑い、次回の再会を約し、手を振り合ってサヨーナラをする。
多くの人が行き交うわりに邪魔にもならず? あっという間の1時間がとても楽しい。
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