京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 シャガの花

2012年04月29日 | 日々の暮らしの中で

廊下の窓を開けると目の前は、大き目の石組で築山っぽくしてあります。そのぐるりには、夏、何やら長いものがニョロニョロとくねり歩いているのを見たこともあるのですが、シャガの花が群生しています。嫁して初めて見る花でした。

蝋梅や柿の木の下など庭のあちこちでこの花が咲きます。やがて、雑草並みに毎年咲きだすのに気付きました。美しいと言えば美しい。切り花にしては見ても、やはりあまり好きになれない花です。

       譲ることのみ多き日々著莪(シャガ)の花     塙 義子

半日陰の地を好む植物だそうですが、清楚な花です。「譲ることのみ多き日々」も、我が子の成長とともにいつしか母は強し…。「母は強し」でしたが…、その上を行く母も健在なのでした。

築山の傍には灯篭の上部がなくなった古い小さな石篭のようなものがあります。これが石仏などでしたら、シャガの花が寄り添って風情も増すというところかもしれません。先日、熊野の山中でも見かけましたが、白く群生した姿は目を引きました。シャガの花は、やはり半、日陰の女?花?

今後、勢力を拡大し出すに違いない十薬がぼちぼち姿を見せ始めて、間もなく5月に…。
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 陽明文庫名宝展

2012年04月27日 | 展覧会

応仁の乱や戦国時代の動乱を経て、近衛家に伝えられる宝物十数万点を護り伝えてきた施設が陽明文庫である。その名宝展が京都国立博物館で開催されている。

お目当ての一つは国宝「御堂関白記」だった。道長自身の手によって書かれ、日本最古の日記だ。公的な記録だけでなく、娘が産気づいたという個人的なことにまで記録は及んでいる。下の写真はパンフレットに掲載された寛弘5(1008)年下巻の一部。

少し前のこと、偶然、岡田芳郎氏の著書で「御堂関白記」に関する記述が目にとまった。当時は、中国の暦の形式に従って漢字漢文の「具注暦(ぐちゅうれき)」という暦が、国家の公式の暦として毎年作られていたという。そこに余白を作らせ、それに日記を書きこむ上流貴族がいた。道長の日記もそのひとつだと言われていた。
  最上部には「日曜、月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、土曜」と、七曜が朱筆されている。西洋で使っていた曜日とぴたりと一致しているのだという。
「蜜」という字は「日曜日」の「日」を現わす。七曜が日本に伝来したのは古く、弘法大師が持ち帰った経典のなかに見られ紹介されるようになった。けれど、当時は曜日や週で生活はしておらず、あくまでも日の吉凶の占いに利用したらしい。

「蜜・日曜日は家づくりのほかは万事に吉であり、この日に生まれた人は知恵も豊かで、容姿も美しいが短命のおそれがある」
「月曜日は功徳屋出家すること、衣を断つこと、頭を洗うこと、爪を切ること、建築や引っ越しに吉。この日生まれた人は男女とも器量がよい」 ・・・
古い暦註の解説書に書かれているとのことだが、さて、あなたは何曜日のお生まれ? 

かな文字のいくつかは拾い読みもする。目を凝らして道長自筆の文字を追ってもみる。だが、テープによる解説は聞かないので、内容的な理解度は極めて低い。「熊野懐紙」、当時、貴族に流行していた金峯山参詣で、道長が埋めたという経筒、「中右記」「大手鑑」などには興味を持ったが、なんと言っても一度には消化不良だ。
国宝8件、重要文化財60件の全部が公開されている。貴重なものを間近で目にできるまたとない機会ではあった。たっぷり時間をかけて、体の芯まで冷えきってしまったが。


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 ランドセルしょって~

2012年04月24日 | HALL家の話

21日、Jessieの日本語補習校入学式が無事済みました。

  ランドセルの事など念頭になく過ごしていたところ、母親がインターネットで注文していました。
入学祝にもなりませんでしたが、着払いで届いた荷物に、プラスアルファを詰め込んでの再発送です。Jessieはランドセルを枕元において一緒に寝ていたそうです。
彼女はいつものリュックの代わりに、日本の「ランドセル」というバッグを通学用に選んだということになります。

     これからは通常の学校がない土曜日に、この補習校へ通います。1年生は20名(男子6名)の1クラスだけ。
最近は、自分からは進んで日本語の本を読むことがなかったらしい。それが珍しく、国語の教科書を音読していたとかで、「興味を持ってくれるといいんだけど…」といった母親の思いが伝わってきました。

間もなく3カ月になろうとする進級先の学校ですが、先生の質問を最後まで聞かないうちに、あるいは、問題を読み終わらないうちに「わかった!」とばかりに回答する姿が見受けられるとか。そりゃあ当然間違えているわけです。せっかちな、バタバタとした落ち着きのなさ、容易に想像できます。Jessie、落ち着いてよ~!!

そうした子が、8月頃にある「サイエンスコンぺティション」(科学コンペ)に参加したいという希望を表明したとのことです。なんでもやりたがる子!? じっくりと何かに取り組むことができるのやら…。「何かアイディアがほしい」とはJessieではなく、その母親が私に言ってくるのでした。そんなん聞かれたって困ります…。

「あー、やっかいなこっちゃ」と、母親は頭を抱えております。
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 しっとりとやわらかな春

2012年04月22日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
目覚めも上々、すっくり起き上がって窓を開けた。黒い雲がかかっていたが、雨は上がっていた。家を出る頃には明るさも感じられ、雨は免れそうな予感でいっぱいになる。
21日、牛馬童子口から牛馬童子像を経て近露王子ー比曾原王子ー継桜王子ーとがの木茶屋ー野中の清水―中川王子ー小広王子へと、8.5kmの古道を辿った。


京都の城南宮で5日~10日のお籠りで潔斎したあと、先達がホラ貝を吹きながら熊野へと出発した。かつての御幸では、800人ほどの一行が2mの間隔で歩いたそうだから、1600mから2000mに及ぶ白装束の行列の想像は今なら相当に異形なものとして映る。先達としての定家の苦労は読み知れるが、徒歩で詣でる女官達の悲鳴も聞こえてきそうだ。

 

定家が、西行も一遍も芭蕉も歩いた道の上を、自分も歩いているのだ。雨でないに越したことはないが、もうどちらでもいいような…、残り僅かになった行程だから大切に歩こうと思っていた。一歩一歩踏みしめて歩こうと思った。長かったが、ようやくここまで来て念願の一つだった牛馬童子の姿との対面がかなった。訪れる人の足元に小さく…。悲劇の若者がこんな人気の少ない山中に佇んだままというのも、なにやら物悲しさが上乗せされそうだ。

 
 
「秀衡桜」が咲いているのか、すでに葉桜か、楽しみだった。むろん「伝説」上の秀衡桜だが、ヒノキに桜を継いだものだという。
見事な幹は折れ曲がっていた。台風でやられたという。が、その脇から4代目の細い幹が枝葉を広げていた。


山桜の淡さ、八重の濃いピンク、カエデの新緑、スイセンがみられレンギョウに、山つつじも鮮やかだ。昨年の4月には、きらめく海の美しさに酔うほどだったし、桜も満開で青空のもと見事な春を満喫した。今回は霧雨も午後から加わってか、柔らかな春の色合いを楽しめる、ひっそりと清かな空気に包まれていた。吹き抜ける風がどこまでも心地よい。異性を求めているというウグイスの鳴き声に耳を傾け、雨に煙る幾重もの山並に感動しながら、何度もシャッターを押していた。

14473歩、素敵な風景に出会えた一日となった。
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 一歩を継ぐ

2012年04月20日 | 日々の暮らしの中で
明日は熊野行きの第13回目、牛馬童子口から小広王子まで約8.5㎞の行程を歩く。

第65代、花山天皇の在位はわずか1年10カ月。最愛の女御、藤原忯子(しし)を失い、世をはかなむ19歳の帝の傷心につけこんでまるめこんだのが58歳の藤原兼家だった。帝の仏門の師である厳久、兼家の子の道兼、陰陽博士の安倍晴明を言い含め、仏門に入って冥福を祈るようにそそのかしたという。帝は謀られたとも知らずに出家をしてしまった。

           
天皇の座を追われた花山院は、わずかな随従と共にわびしく熊野御幸へと旅立つ。そして千里浜まで来たときに病にかかり、石を枕に伏したと語られている。
       旅の空夜半のけむりとのぼりなば 
               蜑(あま)のもしほ火たくかとや見む
自分がこの地で果て火葬されたとしても、その煙を前の天皇の遺体を焼く煙だとは誰も思いはすまい… そんな歌意になる。

千里の浜を歩き、歌碑に出会ったのは1年前、青空に桜も美しい4月2日の事だった。
やはり19歳だった有馬皇子の故事に思いを馳せ、梅畑の中を通りながら千里の浜へと向かった。ウミガメの産卵地でさざれ石を拾った。海の貝を供えるので貝王子とも呼ばれる千里王子に、花山院の歌碑があったのだった。
念願かなってようやく明日対面、牛馬にまたがった高さ50cmほどの石仏の牛馬童子は、そんな花山法皇の熊野御幸の姿だと伝えている。

熊野街道の要所、宿場町として栄えた近露の里。さらに、終着の「小広」王子を目指す坂の道は、「吼比狼(こびろ)」と書いた峠で、熊野の千匹狼が深夜このあたりで一斉に吼えたてるところから名付けられたとか。

この地では藤原秀衡の伝説も残っている。熊野三山を巡った帰途に立ち寄ると、路傍に突き立てておいた桜の杖が見事に根付き、爛満の花を咲き誇らせていたという。秀衡桜は咲いているだろうか。秀衡は強烈な熊野信者で幾度か参詣を重ねているらしい。

神坂次郎著『藤原定家の熊野御幸』を参考に知識を仕込んで…。 雨も上がっている。明日をまずクリアー。そしたらまた一歩本宮に近づくわけです~。
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 「人待つ心」

2012年04月19日 | こんな本も読んでみた


      朝顔を蒔きて人待つ心あり   中村汀女

「花種蒔く・朝顔蒔く」という季語がある。寒さが去った春の彼岸前後に蒔く、とある。気温20度くらいに落ち着いた頃がよいとか憶えているのだけれど、もうそろそろだろうか。早くから、忘れないようにと昨年に収穫したタネの入った密封容器を目につくところに出しておいた。

ところがだ。玄侑宗久氏の芥川賞受賞作『中陰の花』(文春文庫)と併録された『朝顔の音』を読んで、ふと迷いが生じてしまった。

夜中に耳にする朝顔の葉ずれの「音」、葉に当たる賑やかな「雨音」。朝顔の野性的なまでの逞しい成長が発散する放縦な「エネルギー」に、主人公が抱く不気味さ。産後すぐ死なせたわが子にまつわる記憶。封印していた記憶や曖昧なままにしている記憶の甦り。
ある晩、朝顔の茂みから、「か細く高い音」が聞こえてくるのを感じた主人公は、狂ったように朝顔に襲いかかり両手で苗を引き抜き、伸びた蔓を引き下ろしてしまった。「蔓が延びる音」、絡み合った「蔓どうしのきしむ音」、だがそれは、「生まれる前の子供の声」の認識につながった朝顔の「音」だった。ラストに見せた彼女の涙にどうしようもない孤独を与えているような…。

霊媒師による「霊(たま)おろし」の手法が挿入されている。古代の巫女による宗教的な儀礼・神憑りでの言動、言うなら語り部を登場させているところが興味深い。

亡き弟につながる朝顔の開花に、3歳だったJessieの甲高い歓声が響いた夏の朝があった。今年の開花にどのような物語が生まれるやら。それを思えば、今年も、この「タネ」の語り部的存在としては、命の継承をすべきなのかもしれない。
なんと言っても、この花は“夢見花”なのだから。
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 春の眠り

2012年04月17日 | 日々の暮らしの中で

最近は夜の外出、9時に近い帰宅などめったにないので、昨夜は本当に稀なそうした一日になった。朝の目覚めが悪い。外は上天気だったが、しばらくぐずぐず過ごしてしまった。布団を干して、掃除に取り掛かるのは遅かった。

本日から京都国立博物館で「王朝文化の華~陽明文庫名宝展」が開催される。初日に行くには気が進まなかったから、日を変えてということにした。
陽明文庫は宮廷貴族だった近衛家に伝えられてきた収蔵品で、典籍、古文書、美術品など国宝8件、重要文化財60件を含む140件が公開されるとある。近衛家は藤原道長らが先祖に当たり、29代目当主・元首相の近衛文麿によって1938(昭和13)年に「陽明文庫」が建てられた。道長自筆の「御堂関白記」、「この世をば我がよとぞ思う…」と栄華を極めた道長とはどんな男なのか、中古文学への入り口にあった関心事の一つだったものだ。近々行ってみたいと思っている。

午後からは小一時間ほど体を動かしに出た。
穏やかな眠りを覚ます着信音~! あらまあ~っ、と気づけば5時になろうとしていた。
またもや居眠りなど…。

春爛漫、その陰にはこんな小さく地味な花もある。名前まで「シジミバナ」と。
よく見るとシジミのむき身にそっくりだ。いろいろだから楽しいな。


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 花見

2012年04月14日 | 日々の暮らしの中で


日本画家の森田りえ子さんによると、宮沢賢冶はソメイヨシノを「なんだか蛙の卵のような気がする」と表したのだとか。
こぼれ散ることもなく満々と、まさに今真っ盛りと咲き満ちているようだった。
          ゆさゆさと大枝揺るる桜かな   村上鬼城

桜の季節の巡り来るのを待ちわびたが、寺社の境内、学校に個人宅に、街の公園にと、身の回りにも桜があふれだした。鴨川も賀茂川も高野川沿いも見事な桜並木だ。もう至る所、どこででも桜を眺める場所があることに気づかされる。ただ、何か物足りないものがあるとすれば、やはりあのかわいい歓声、楽しい感性だ。

今年もやはり円山公園のブルーシート問題は報道された。3年前にJessieを連れて出かけたが、今年は長楽寺への参拝途中に少し園内を通ってきた。
ブルーシートは、毎朝夕公園内を見回って持ち主不明の20枚ほどを回収しているそうだ。が、即また新しいシートが敷かれ、いたちごっこが続いているという。1か月ほど敷きっぱしにして、交代に場所抑えの者がやってくる学生グループもあるらしい。桜の根への悪影響が心配されていた。ふらっと公園内に入ってもゆったり花見を楽しめない。とりわけ人出の多い場所に、鬱陶しいシートの占拠は即刻何とかしてほしいものだ。

桜はご神格とされた頃、古くは桜の真下では無作法なことはしなかったという。森田さんいわく、「花を愛でるというより、にぎやかなレジャー」と、「イベント」化したワイワイ呑んで騒ぐ花見の集団のためには、それなりの一角を設けたらよいのだ。木から離れて花見を楽しむ形にしたらいい。「異常な光景」という苦情が絶えないというが、もっともだ。よほどでなければ行く気はしない。

              
様々な風情を求め、新しい出会いを見つけたい。もちろん、お気に入りの場所だってある。
風に乗って小さな花びらが舞い出した。爛満と咲いて早くも移ろいゆく。どんな楽しみ方をするにしても、桜の開花を待ち焦がれる心情は私たちに共通の思いのようだ。
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 桜満開の中で

2012年04月12日 | 日々の暮らしの中で

    Everywhere the cherry blossoms are in full bloom.

こんな美しい季節に痛ましい事故が起きた。

金閣寺、銀閣寺、哲学の道、二条城・・・どこも桜が満開でたくさんの人で混み合っている、そんな話題を英会話の中で楽しんで1時間20分。終わって外に出て、四条通の交差点を北に渡ったところで頭上から小さくメロディが聞こえてくるのに気付いた。ちょうど1時、からくり時計が回り始めたのだった。

  
四条通に交差する堺町通の北西角、頭上にあるからくり時計。2時間に1回、時間になると上部の囲いの中から長刀鉾が降りてくる仕組みになっている。祇園囃子のメロディーが流れ、人形も動いて回転する。

四条烏丸に近いここからだと、東に向かって四条大橋まで行くにも少し時間がかかる。橋を渡ると南座だが、そこを越えた先、祇園での大事故だった。その時間、3人で反対方向に向かい、地下へ入った頃だったろうか…。表の騒ぎには全く気付くことはなかった。

お天気にも恵まれた午後1時過ぎ、どれほどの人で込み合っていたかは想像に難くない。
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 ちぐはぐな

2012年04月10日 | 日々の暮らしの中で
今朝、頭の中の意識が目覚めると、何時だろうかなど瞬時思ったが、目を閉じたままじっとしていた。それにしても、目が覚めるという感覚ってあるなあ…。
目を開けようという意思が働くことはないままにじっとしていたのだが、これまた目は自然と開くものだ。目が開く、というその自然な流れを感じていた。

こんな感じ?と思って朝から思い出したのは折口信夫著『死者の書』の世界だった。
天武天皇の第三皇子・大津皇子は時の政治権力のもつれから処刑され、奈良葛城にある二上山に葬られた。100年ほど経ってか、皇子の霊が墓の中で目覚めてくるところから始まる。
「彼の人の眠りは、徐(しづ)かに覚めて行った。… した した した。 耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たヾ凍りつくやうな闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて来る。膝が、肘が、徐ろに埋れていた感覚を取り戻して来るらしく、…」

當麻寺、中将姫伝説、二上山、奈良の都には大伴家持や恵美押勝が姿を現わし、道鏡の面影がちらつくなど、魅力ある1冊で、わけあって最近読み返していたせいだ。こんな時代に興味があればこその書かもしれないが、とても面白い。

目が開いた。それからはじっと天井を見つめたまま、浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂と宇治の平等院鳳凰堂、それぞれの佇まいを思い描いていた。じーっとずっと、この両方の「浄土の世界」を庶民側で遠くから阿弥陀仏を拝する光景を俯瞰してでもいるように見ている自分がいた。変な時間だったが、ちゃんと目覚めて意識して考えていたのだから夢ではない。

 
ころっと話題は変わるが、二日遊んでしまったし、今日は家で絵本の点訳を進めていた。慎重にミスないように、貼ったら二度とはがれない。それでも小さな失敗が出る。あわてなくてもいいのに、何故か少し曲がってしまうとか…。
シールに点字を打ち込んで、はがした透明の側を絵本の文字の上に貼っていくことになる。友人の声かけをいただき参加し出したばかりだ。

少しへんてこりんな朝を迎えたのは、雨の前だからだろうか。しっかり外で体を動かして午後は気分爽快~。
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 お堂がお厨子

2012年04月09日 | こんなところ訪ねて

近鉄奈良駅から急行バスで25分ほどかかる当尾(とうの)の里にある浄瑠璃寺は、静かに優しいたたずまいだった。ここは京都府の最も南部に位置しているのだが、奈良の文化圏に入ったような感覚だ。お天気が良いうちにと二日続きで遊んでしまった。
バスを降りれば近い。骨董屋さんかと見まがう店の先からは、右に馬酔木の花、左には白やピンクの木蓮が咲きほころぶ細い参道が続き、その先には山門が目に入っている。

 
まず太陽が昇る東にある三重塔で薬師如来に手を合わせ、その場で振り返って池越しに本堂内の阿弥陀仏を拝すのが本来の礼拝の仕方だと記されていた。その通りにした。阿弥陀仏を西に向かって拝めるように、お堂は東に向けてある。したがって、ここでもお彼岸の中日には陽はこのお堂の裏手へと沈んでいく。宇治の平等院鳳凰堂も池を挟んで同じ仕組みで、庶民は遠くから金色に輝く阿弥陀様を拝していたに違いない。


本堂には九体の阿弥陀如来が納められている。この九体阿弥陀堂は平安時代後期の建立で残る唯一のものだそうだが、お堂全体が九体の阿弥陀様のためのお厨子として作られているということだ。これは古いお堂に共通とした考え方で、初めから人が入ることは想定してはいないのだ。本堂の大きさに比べると内部が狭い。やはり本来は、外から拝むお堂ということになるようだ。


受付でいただいた栞にあった堂内の九体阿弥陀如来像の写真だが、中央頭一つ高い阿弥陀中尊像の左手にお厨子が見えている。この時期、特別に開かれて吉祥天女立像が参拝できるとあって訪ねて行った。
柱が並んでおりちょうどその間に阿弥陀様が一体、一体納まっておられる。阿弥陀様の正面にはそれぞれに障子戸が一組ずつ、外側には板戸が一対ずつ取り付けられている。

堂内の気配は外から感じる思いとはかけ離れている。人気も少なくまことに好ましい、大好きな場所のひとつ。願わくば…、日が暮れて堂内にお灯りがともった時、蔀戸があけられれば、前の池に九体阿弥陀如来像の姿が映る、とか聞くその光景を目にしたいものだ。
電線に邪魔されながらも、西に沈む鮮やかなオレンジ色の太陽を目にした帰り道だった。
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  「試みに看よ…」

2012年04月08日 | こんなところ訪ねて

「近江名所句巡り」で坂井輝久氏が紹介されている長楽寺。
円山公園東南の奥にあるが、これまで足を運んだことがなかった。朝からのお花見日和を予感させる日差しに恵まれた今日、古稀を迎えた友人がいる。軽めの食事とおしゃべりで過ごし、ここへの散策を盛り込んだ。     

当時の観光案内書のようなものだろう、「花洛名勝図会」が「洛東第一の風景」とうたう長楽寺(市・東山区)。この由緒ある寺は、もともとは円山公園の大部分を含む広大な寺域をもっていたのだという。隣の大谷本廟建設の際、幕命により境地内を割かれ、明治に入って境内の大半が円山公園に編入されたと説明している。古くから多くの優れた文人墨客によって詩や歌に詠われている地。西行も修行し平家物語とのゆかりも深い。八歳で入水した安徳天皇の母であり清盛の娘・徳子は1185年5月1日この寺で出家し、のちに大原寂光院に移り住んでいる。

    「試みに看よ紫闕金城(しけつきんじょう)の景」

           

桜の季節は、墓地からの眺めは絶品で、眼下に円山公園の花が広がり、その向こうに市街地を一望する。紫闕金城(しけつきんじょう)とは、禁裏御所のある都の事。表出の一句は、詩人中島棕隠(そういん)の詩の一句で、あたかも「香雲艶雪」のような桜の間から見えると詠み続けているという。

頼山陽が遺言により眠っている傍に小さくビュー・ポイントが開けていた。ブルーシートの広がりが見える。マイクを通した歌声が響く。円山公園の賑わいは間近かだった。待ちに待った桜の開花とこの陽気だ、静けさも何もあったものではない。

   木屋町通高瀬川沿い 

桜の花が咲きだしても、どこへと言って気持ちが動かないこともある。別にどこも行かなくてもいいのだ。ふとした外出で目にした美しさだけで十分贅沢な気分に浸れることはある。かと言って、あんまりこもりがちでももったいない。次はどこ行こ…。

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 絵本で楽しむ…

2012年04月05日 | 日々の暮らしの中で
           
先生の自己紹介から始まった「絵本で楽しむ英会話」、継続して講座を受けている方々に混じって1時間20分、出席者は12名だった。まさか最初に当たるとは思ってもいなかったが、自己紹介はあり得ることとしてざっと考えてはおいた。もちろん、二人の孫のことだ。Hall家に触れることで、なぜ私がこの場にいるかを伝えたかった。彼らとの接点無くして私と英会話はつながらない。

英語に触れる機会など普段は全くというほどない。だからこそ敢えてそんな場を探してみた。さまざまな表現を知り語彙が増えるならそれは大きなプラスになる。「洋書絵本は、楽しみながら英語に慣れるための格好の教材になる」と。この講座に心が動いた理由と言えそうだ。

単語の意味は辞書的なもので終わらない。絵を見て、地図を見て、先生のリードで会話しながらイメージを広げ、話題も表現も膨らんでいく。最後に声をそろえて音読したが、注意すべき読みの指導も入って緊張の初日だった。また来週。 

  
Tylerは離乳食が始まっている。間もなく7カ月、なんでもカミカミで2mmほどの白い歯が生えかけているようだ。それにしても、なんかよう肥えてはりますなあ。この顔、笑ってやってください。

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 うらうらに…

2012年04月04日 | 日々の暮らしの中で

桜と入学式はセットになりそうだろうか。京都の開花は例年とは1週間から10日遅れているということだ。ホトケノザが広がる畑地にモンシロチョウが飛んでいるのを見かけた今日は、二十四節気で言うところの「清明」にあたった。
【春うららかに山河草木が光輝き、万物清明の季節。蝶が舞う花の盛りを迎え、雁は北へ帰る頃。寒暖の差から水蒸気が発生し、昼は霞み、夜は朧月に】と。

         うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しもひとりし思へば  大伴家持

それまでは必要としなかった携帯電話を持ち始めたのは、娘が進学のために東京に出たあとだった。よく家もあけたし夕刻からは仕事に出ていたので、娘も不自由に思ったのだろう。「持てば?」という感じでだけ言い残していた。持つことで、すぐに連絡が取り合えるという安心感は大きかったはずだ。だが、明るい春を迎えているのに、娘の姿が家から消えた空虚感に襲われていた。

その頃、この歌が思い浮かんでいたのだと思う。以来ずっと、アドレスの一部に拝借した一語を組み込んでいるのだ。14年間、機種を変えアドレスの一部を変えることがあっても、この一語だけは使い続けている。時の経過とともに、今ではこの語が気に入っているというだけのことになった。

今宵、空には月が浮かんでいる…・
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 期間限定

2012年04月03日 | 日々の暮らしの中で
花だよりが届き出す。春季特別拝観や秘仏開帳などの情報ももたらされる。
ぜひとも足を運んでみたいところがたくさんある。そのたびに鉄道の路線図を広げたり観光案内の本を取り出しては、場所を確かめ行き方を調べる。その周辺に関心が広がれば、どう回ろうものかとコースを描く始末だ。地図の上には様々な神社仏閣が浮かび上がり、道々には思い出の花も咲く。

一定期間に限って、普段は閉ざしたままの厨子の扉を開け、寺の秘仏の参拝を許す「開帳」。これが、春の季語であることは知らないでいた。

               開帳や大きな頬の観世音    阿波野青畝


大和高取出身の作者は、少年期から耳が遠かったらしい。ふくよかなお顔の「大きな頬」、壺坂寺の十一面千手観音菩薩坐像だろうか。
ここでは、通常非公開の秘仏・子島荒神像が、制作されて290年来初めて一般公開されるとある。

隠口の初瀬、牡丹の美しい時季に長谷寺も訪ねたい。浄瑠璃寺に吉祥天女立像はぜひお訪ねしなくては。そして今一度の法華寺と海竜王子か。美しい十一面観音と相対したいものだ。
飽きることなくページを繰り続ける「秘宝・秘仏特別開帳」のガイドの世界。「奈良は仏」、そう言われた不退寺の老僧の言葉が蘇る。
問題はいつ行けるかだ。決めたら即実行…、有るのみ…。

荒れ狂った春の嵐が嘘のように、静けさを取り戻した。
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