京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 句巡りは実地で

2011年11月27日 | 日々の暮らしの中で


車で出れば通る道はほぼ決まってしまうが、小回りの利く自転車でなら好き勝手に道を選びながら、目的地までたどり着ける楽しさがある。マイカーの一時停車は随時可能だ。筋すじで異なる表情に触れ、かぶらのむっとしたにおいがこもる畑沿いに出ると、すぐき菜の収穫に追われる家族総出の姿があった。小学生の息子さん二人も混じった畑仕事だ。

   踏み過ぐ一渓(いっけい)紅錦(こうきん)の雲
      東福寺の通天橋から見下ろす紅葉は紅の錦の雲がたなびくようだと詠む頼山陽。

   山林のもみぢにあそべ鹿の苑(その)
      鏡湖池に臨む金閣の背後に広がる境内の樹木、さらには天神丘や左大文字の山林と紅葉も
      多く、風景の素晴らしい鹿苑寺が詠まれている。

   柿主やこずえはちかきあらし山 
      向井去来の閑居地・落柿舎だ。嵐山も色づいてきたと聞く。

「我はけふ三年坂につまづきて… 」、決して私事ではない。狂歌だという一首。石段と石畳の道の観光名所三年坂は産寧坂と記されるが、清水寺に向かう途中でつまづいたか。舞台から眺める紅葉は…。

どこと言って出かけてもいないこの時季、坂井輝久氏の『句巡り』を案内に名所を訪ね歩いていた。が、机の上だけではやはりもったいない。今週末には見頃を迎えるという。師走の紅葉、寒さ対策でころっころになっても転ぶことなどないように気をつけて、楽しまなくちゃ。

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 『九十歳。生きる喜び 学ぶ楽しみ』

2011年11月25日 | こんな本も読んでみた


友人達が「お帰り会」を設けてくれたので、久しぶりに揃い心置きなくしゃべって食べて飲んでのランチを楽しんだ。話題をもっぱら孫のJessieやTylerのことに向けてくれる心遣いに嬉しく感謝しながら、飲み過ぎてしまったような気がする。

お互いこれからのことに希望を語り、力を合わせもしようと再確認の楽しさだ。測り知れない未来が開けている乙女のようにピーチクパーチクと、だが着実に前を見据えた同好の上昇志向に与らせてもらえると訳もなく力が湧いてくる。

相談したかのように差し出された3冊の本。
あせっても、どう柔軟体操をしてみたところで出ては来ない気力だった。どうしたことか。何か気持がモヤモヤとしたままの自分を見透かされているような気さえしてくる。持つべきものは友、「友持ち」のありがたさだ。心を揺すぶられる友とのひと時が力を与えてくれている。

八十八歳で江戸文化歴史検定を受けた話。勉強の途中で三時間もののTV番組を観てしまったらしいが、最高齢の合格者ということで表彰されたという。高齢者放送大学で、若々しく生きる六つの提言をしたら感想文が届いた。93歳、72歳の男子学生、80歳の女学生… の感想を紹介しながら、それに対する清川さんの受け止め方がなんとも素敵だ。昭和13年奈良女高師入学、江戸時代俳文の初講義での恩師との出会いの文章は、私自身の記憶をも手繰り寄せ気持が重なっていく。

【年をとったから、といって、自分をあきらめず、思い捨てず、できるだけ、明るみに心を切り替えて、生きていきたい、と心から思う】とある。 

135年前の今日は福沢諭吉が『学問のススメ』第17編を出版した日で、これですべて全17編が出揃ったことになったのだという。気が付いてみれば、金曜日の大安でもあった。知的好奇心やおしゃれ心は失うことなく豊かに過ごしたいものだ。
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 「生かされていく道」

2011年11月23日 | 展覧会


寒さのせいだけではないと思う。夏からいっきに晩秋という環境の変化が大きくて帰国後どことなく心がしっくりしないままだった。忍び寄ってくる寒さを前に、夏の名残りの後始末からさっさと冬支度をせねばと過ごしていた。
楽しみにしていた石蕗の花は、長い一本だけ伸びた柄の先に咲き終わってしまっていた。花芽をつけた柄がじんわりと伸び上がっていくさまが好きだったのだけれど。師走にずれ込みそうな紅葉狩りだが、自然の織りなす豊かな風景は身辺に溢れている。

報恩講が始まった東本願寺に参拝した。法話をいただき、「中村久子展 生きる力を求めて」で壮絶な人生ドラマを拝見してきた。

           

凍傷がもとで特発性脱疽になり3歳のとき両手両足を失うが、母親の厳しい躾と祖母のやさしい導きで努力と独学を重ね、字を書き、縫い物や編み物も独特の方法でこなすことも修得された。42歳で『歎異抄』と出会い、やがては執筆や講演活動、施設の慰問なども開始し生きる力と光を多くの人に与え続けた一生だったことが説明されている。

深い苦悩…、どんなにか苦労されたことだろうなどと思いは馳せるが、言語を絶する苦難の中で生き抜かれた生涯だ。とても生半可な言葉で共感を語れない。ではあっても、その身になれないながらじっと語られた言葉を味わっているとこみ上げてくる悲しさもあるし、深い慈しみのぬくもりさえ感じられてきて胸打たれるのだった。命を生き切ることの意味って…??

「おもうようにならぬと泣きわめき かんしゃくを起こす私を 御念仏称えながら 
    なだめつ すかしつ 育ててくださった 春のような ばば様」
「どんなところにも 生かされていく道はございます」
「人生に絶望なし いかなる人生にも 決して絶望はない」

苦労話さえ人と比較し自分のほうがと自慢する、臨終を察した104歳の実母の言葉も引きながらの法話であったが、人生の修行は最後の最後まで続きそうだ。そうすることで一人一作品の仕上げに近づけるのだろうか。

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 ウォーキング&リーディング

2011年11月17日 | HALL家滞在記
                      = G'Day Mate from Brisban Ⅱ =


Tyler is walking …??  Jessieの撮影で

暑くなってきた。10月30日の晩にひどい雷雨があったが、それ以来雨も降らずで、Tylerは日に多ければ3、4回のお風呂であせも対策をしている。
少々の水遣りなど焼け石に水、とうとうホースでの散水を始めたけれどJessieの水浴びというおまけつきだ。掘り起こしてみると粘土質のような、それでいて石もごろごろ、肝心の大地にはなかなか水が浸まない。陽も落ちかける頃、蝉の鳴き声がほっと安堵の思いで耳にできる。当地には多いらしいコオロギの演奏会もたけなわに、ようやく静寂さが…と落ち着きたいが、夜は夜でTylerの泣き声はもちろん、Jessieの就寝前のあれこれと実際はゆっくり一息つく間もない日は続いた。

おまけに最近はプシュッ!!カンカンカン!ドン!!と大工仕事の音が響く。眠るTylerの両手が時折驚いたようにびくびくと掲げられる。このゾーン一帯には空き地などないが、なぜか何年も過ぎて隣の敷地に家が建つことになった。暑さのため、午後も3時ごろには仕事も終えて引き上げる替わりに朝は早い。

 
      塀越しに

登校前、JessieがTylerに宿題の本を出して読み聞かせが始まった。小さな弟に向かって話しかける姿が多くなってきた。
いつのまにかカメラを取り出してJessieが撮影に駆けつけたのは、ようやく先日2ヶ月が過ぎたばかりのTylerの歩行訓練?? させているのはもちろん父親、「sumou」の言葉さえ飛び出すが、フットボールプレイヤーにするにはそこまでか!? 何をしだすやらだが、大笑いのひとコマとなった。
仕事で不在だったダディが戻り、賑やかさが嬉しい…、一番嬉しいのはJessieかも知れないのに、父親に対してはにかみが感じられる。そんなこんなも、あさっては帰国の途に…。
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 いよいよ

2011年11月12日 | HALL家滞在記
                      = G'Day Mate from Brisban Ⅱ =


     右へ3・4分歩いてHall家へ

朝日が雲間から顔を出す頃、ウォーキングに出かけた。遊歩道一周10分ほどのコースで5周、鈍った体は一日で筋肉の痛みを訴え出す。疲れのせいか目覚めは一時間遅れ、回数も減らして切り上げたのが二日目だった。足の重さは、ランダーバードへ向かう坂道を登るのがやっとこさなほどで息が切れた。不調だ。何事も一足飛びにはいくまい…、ここでめげてはならないのだが、めげそうだ。

いつもとは逆に時計回りで歩いてみると、見える風景画が違うことに気づいた。足元の小さな花から池の向こうの家並みまで、目にする光景は新鮮だ。ゆっくりと、道草しながらでもあるいてみようか。重き荷は背負いたくないしなあ…。

 
Hall家でもクリスマスツリーの飾り付けを始めた。お風呂上りの裸で見守るtylerに「見てごらんTyler、…」と、Jessieの話しかける声が弾む。今年はどれだけのプレゼントがこのツリーの下に置かれることだろう。


いよいよ来週末…
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 せめて鼻歌で応じ

2011年11月10日 | HALL家滞在記
                      = G'Day Mate from Brisban Ⅱ =

           

♪ジングルベルの歌を口ずさみ始めたJessie。鼻歌まじりの英語で彼女のあとを続けてみると「どうして知ってるの!?」ときた。どうして知ってるかって?そりゃあ知ってるわぁ~。知らんかったと思ってますのかいな~。

ショッピングセンターのフードコート一角にあるクリマスツリーが目を楽しませてくれる。
10月に入ってまもなく、クリスマス関連のグッズは商品棚にずらりと陳列され出した。その早さには少々驚かされたものだった。今では手にとって品定め、買い求める人も多い。

クリスマスと言っても、我が子が幼かった頃以来、特別な関心も縁も薄れた行事の一つとなってしまっている。今ではせいぜいプレゼントを買う楽しみが残されている程度だろうか。日本で聴くジングルベルの曲は師走へのあわただしさをかきたてるばかり、という無粋さ…。


軽く食事しながらエスカレーターを眺めていた。カートと日本では呼んでいるトローリーいっぱいに買い込んだ荷もごっそり乗せたままに駐車場へ、ベビーカーもたたんだり前後どちらかを持ち上げたりと苦労の必要もない。このスロープ状になった動く歩道の便利さはいいなと思いながら見つめていた。

単に広いスペースがあるからできること、で片付けられるものだろうか。
さまざまなところで見受けられ、実感できる配慮された優しさが社会を構築していくような… 気も…。文化の違いも根底にありそうだが。
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 ピースフルな

2011年11月07日 | HALL家滞在記
                      = G'Day Mate from Brisban Ⅱ =

              
        
 

環境に配慮した生活設計「パーマカルチャー」を推奨するシティファームの敷地内で、毎週日曜日(午前6時~10時30分)に開催されるオーガニックマーケット。朝5時起きはまだ肌寒いほどだったが、一応日焼け対策をして帽子も用意の上で出かけてみた。

この広い木陰は大きな魅力。安い野菜や果物を買い求めたり、談笑しながら口を動かす人たちも多く、ゆったりした朝の時間が流れている。大根や茄子にほうれん草、にんにくの芽、そしてバナナとりんご、卵など、どれもどこででも買えそうな物ばかりだが、買って、ベンチでの一休み。雰囲気を味わう程度での仲間入りだった。

 
 

マーケットから帰宅してもまだまだたっぷり時間がある日曜日。近くの池まで亀にパンをやりに行きたいというJessieは残して、一人でやってきたここは、彼女が生まれた頃に住んでいた家から近かったこともあって、お気に入りの散歩コースだった。
マーケットにも近い、交通量の多い道路からほんの少し入っただけの場所だが、ほとんど別天地。目の前を鳥が飛び交い、梢で羽ばたくその影は地に映る。砂浴びにしきりに降りてもくる。オーストラリアへ来れば必ずここに足を伸ばすが、鳥の声だけが響く静かで美しい小さな森だ。

買いもの袋を提げて日傘をさす女性が小道を通りかかった。森への入り口付近ですれ違った人だったが、日傘というのも極めて珍しい。

   京都生まれのNICCO
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 本を読む 

2011年11月04日 | HALL家滞在記
                      =G'Day Mate from Brisban Ⅱ =


   週末以外は個々のレベルに応じて毎日一冊リーディングの宿題が出されている。
   そのほかにも長期的な試みで課題図書があるJessie.

日本から何冊かの本を持参して来たが、その読書中に出会った種田山頭火の『鉢の子』を読みたくて利用した図書館が「青空文庫」だった。今回はずいぶんと利用させてもらっっている。

日本語の活字に飢えているというか「読むこと」を渇望する日々が続く。
芽生えたばかりの新しい命の育みを目前にしながら、山頭火の『鉢の子』へと思いが飛ぶ。この意識の揺れ幅の大きさも確かに事実のことで、我ながら愉快でおかしな現象と思えている。

何かを読書に求めるのではない、ただ「本を読むこと」それ自体を楽しんだと言えそうだ。蔵書を眺めると大変に興味が湧く作品作家が多く、今後も足しげく通いそうな図書館であることは間違いない。
少し目が疲れることが悩みだが、脳を働かせることは全身の健康に密接な関係があるとのことだ。本を読む者はいのち長しと。

この地に暮らす日本人にとって、日本の書籍を手に入れることは難しい。読書は不自由だと思うが…、読まないのだろうか、必要性も感じないのか… と、余計なお世話ながら常々気になっていることの一つではある。 
 
インターネットの電子図書館「青空文庫」
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 夏の災害に備え?

2011年11月03日 | HALL家滞在記
                      = G'Day Mate from Brisban Ⅱ =



昨年12月から今年の2月にかけて、クイーンズランド州では大洪水と超大型サイクロンによる未曾有ともいえる災害に見舞われていた。大洪水では州面積の4分の3が被災地となり、そのあとに州東北部を襲った超巨大サイクロン「ヤシ」は、サトウキビ・バナナなど農業、鉱業、観光業に大打撃を与えていること、日本でも耳にした出来事であった。

気象専門家の話だという話を読むことがあった。それによると、オーストラリアの気候は歴史的に大干ばつのあと大抵洪水を起こすというパターンを繰り返してきているのだそうだ。昨年の干ばつはそれ以前に続いた期間からすればさほど奇抜なものではなかったものの、今夏は激しい嵐の発生が懸念されていると言う。大気が不安定になる11月は要注意の月で強風や雹(ひょう)による被害にも備えよとある。そして、洪水、嵐や雹以上にブッシュファイア(山火事)の被害が心配されていた。

                
先月25日に蒔いたゴーヤの種が芽を出してきた。学校から戻って、朝にはなかった芽を3つ発見したJessieの甲高い声は響いた。
種を蒔く物さえなくての容器だったが芽が出た。これに気をよくしてか、母親は同時期に買ったオクラと韮の種をいつの間にか自分で水につけるという変わりようだが、蒔くのは誰だろう???
Hall家の今夏、乾燥にもめげず雨や雹に叩かれても負けないゴーヤやオクラ・韮の自給自足はできるだろうか。当面は柔らかな芽が鳥についばまれないことを願いたい。

    
「ゴーヤのたねをまきました。みずをやったらめがでました。それからねぎ(葱)もうめました。しそ(紫蘇)のしたでみどりのがおおきくなってのびてます。でもジェシーはねぎがきらいです!…って明日日記に書くわ」と、Jessieは言いました



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 Nanaおばあちゃん

2011年11月02日 | HALL家滞在記
                      = G'Day Mate from Brisban Ⅱ =

「メルボルンカップがあるから見においで」

Nanaおばあちゃんのお宅へお邪魔することになった昨日。
おばあちゃんの息子が二人、娘とその息子のガールフレンド、そしておじいちゃんとが賑やかに迎え入れてくれた。おばあちゃんの隣に座る頃になると、いつの間にか男性の姿は消えていて…。
幾度も心臓手術を繰り返しているおじいちゃんはコンピューターを前にしていた。そうしていることも辛いほどなのかもしれない。夜はベッドに体を休めるよりもソファで横になるほうが苦しさはましなのだとか。なかなか紳士的なおじいちゃんは84歳に。

Nanaは82歳。何かしゃべるごとに横から私の腕に暖かな手を伸ばして触れ、軽くとんとんしながら楽しそうに笑う。さばけた、おおらかな陽気さを覗かせている。たくさんの子どもがいて、後年は皆自分の近くに帰ってきていることを幸せに感じている。


カメラに向かいすばやくズルッ!とこうして体の位置をずらしてポーズ。撮り終えてみればTylerが反対向きだったことに気づき慌てて抱えなおしてさらにもう一枚だった。

よく聞かれることの一つに「オーストラリアは好きか?」という問いがある。もちろん昨日も「Yes」と答える。ただ、今さらこちらに住みたいとは思うことはない。やはり短期滞在で楽しむことで十分だ。娘や孫がいるのに?というふうだったけれど。日本にいれば脱出したいと思うことがあっても、やはり日本がよい。英語力がないことも事実だが、そればかりではないことを語ったとして理解できるだろうか…。言わずにおこう。

帰るまでにもう一度訪ねることを約束。おばあちゃんはどっかりとソファに腰を下ろした。まもなく好きなテレビ番組が始まることを息子が告げたからだった。


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