京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「おーきに~」、生きる喜びのために...

2008年07月31日 | 日々の暮らしの中で
シャーシャーシャーシャーシャーシャーシャーシャー…
限りなく、いっせいに降るように、蝉の歌声!「蝉しぐれ」。
今をわが世と短い寿命を謳歌している。
ファーブルの表現を借りるなら「セミは生きる喜びのために歌う」と言うことになるようだ。                               

鐘楼脇にある泰山木の根本、その地中には、数知れない蝉が眠っている。
夏も半ばを過ぎると、太い幹には地表近くから上に向かっておびただしい抜け殻がしがみついたままに残っています。
昼間、近所の子供たちが虫取り網を片手に、虫かごをさげてやってきます。
この小さな子たちが実際に蝉を捕まえることは容易ではありませんが、夏の恒例のシーンです。

お昼寝をして、あるいは、お気に入りの懐かしの時代劇ドラマなどを見たあと、ぶらっと立ち寄ってこられるおばあさんたち。
「おーきに~」と。
縁の階段に腰をおろし、ひとしきりおしゃべりしてから畑へ向かいます。
ナスにキュウリ、ピーマン・トマト…、収穫物でかごをいっぱいにしてまた立ち寄り、「あるか?」と。
喜んでいただく“おすそ分け”(いただきものが山のようになっているのですけれど)。
いっぷく後、夕飯の待つ我が家へと帰って行かれます。
この暑さの中、「これで今日一日を生かさしてもろた」、

「おーきに~」と。

暑さをぼやきながらも、こんな日常の繰り返しで夏が行きます。
シャーシャーシャーの声も控えめになり、軽い、カナカナカナの声は涼しげです。

  みん、みん、みん、みん、おうしいつくつく。
  かな、かな、かな、かな、おうしいつくつく。
          (「蝉の子守唄」より)
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ゴロゴロさんで思い出す

2008年07月28日 | 日々の暮らしの中で
「ゴロゴロさんが鳴ってるから、ちゃんとおへそをしまっておかないとられちゃうよ~」
「お空の上でけんかしてるのかな」

どんな根拠があったのか、こうした言葉を言われたり、また、子どもたちに言った記憶があります。急に雨が降り出すとき、涼しい風が吹き、ひやーっとすることがありますが、お腹を冷やさない用心でしょうか。わかりません。

昼前から空が暗くなり出しました。雷鳴が大きくなり、やがてどしゃぶりの雨に。
昨日も黒い雲がありましたが、風が吹き、枯れた落ち葉がカサカサと転がる久しぶりの“音”を楽しんでいたくらいです。
雷は午後7時近くまで続きました。こんなに長時間しかも激しくなり続けることはめったにありません。
真夏日続きで、程よい夕立かとの思いもどこへやら、“雨降り”の半日となり、さらには各地の被害に驚いた次第。
雨も上がり静かな夜になっています。

ピンクの小さめの自転車でしたから、小学校の3年生ぐらいだったでしょうか。
学校から帰った後、どこかへ遊びに出かけた娘。
ゴロゴロとなり出したのでいずれ帰ってくるだろうと、雨の降り出しだけを気にしながら玄関先で様子を見ていました。
帰ってきました!
ものすごい勢いで自転車で門の下まで乗りつけ、そこに放り出してくるかと思いましたが、なんとちゃんとスタンドも下ろして固定していました。
泣きもせず無言ですが、形相がちがいます。
駆け込んできます。察しました!怖かったのです。
私の姿に気がつくと、ただただものすごい力でしがみついてきたのでした。
「おかえりー」といった声が届いたかどうか…。

怖くて怖くて!怖さにおののきながら、ただただ必死に家に向かって自転車をこいでいたに違いありません。
その小さな胸の内を思い遣ると、懐かしさを通り越しジーンとした熱いものを感じる「あの日」です。

ひやーっとした風と共に、急激な気温の変化に不思議とコンコン咳込んだりする弱さのある子でした。しかも人一倍怖がりの子で。
異国で暮らしながら、スケールの大きな雨の降りように驚き、雷様のダイナミックな大喧嘩に耳をふさぐのは、あの頃のままのようです。

静かで涼しい夜になりました。

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共食はコミュニケーションの一つ

2008年07月27日 | 日々の暮らしの中で
マザーテレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心」との言葉を紹介されて、比叡山仏教文化講座で渡辺和子さんが講演された記事を目にした。「他人への無関心」を問題視されて。(京都新聞 7月27日付)

インターネットや携帯メールなど、人の顔が見えない、実感も希薄なコミュニケーションの現代の風潮に、大きな指摘だと感じます。
人と人とのかかわりが希薄な中では、人を思いやる、温かな心などは育ちにくいことでしょう。
自然や動物に心を寄せ、映画・音楽に、読書にと、様々な文化に触れながら、感動したり共感することが心を育て、それが生命力を培うとさえ言えると思うのです。

「まっとうなスポーツ少年」のイメージで、ハニカミ王子の石川遼選手が人気です。
「まっとうな普通」と言うのは「ひととして」という規範を厳しく律するところに保たれてくる姿なので、実は大変なことであるという。そうでしょう...。

イチロー選手から「がばいばあちゃん」に至るまで、多種多様なヒーローに共通するものとして、「自己を超越する力」と「共感する力」を挙げています(『現代ヒーロー学 11』京都新聞)。決して一握りの天才だけでなく誰もが育み輝かせることのできる力として。

現代の困難は一人で背負うには重すぎる。だから周りにいる普通の人が、個々に発揮する力と力をつなぐ、個と個をつなぐ絆こそが明日への希望になるだろうと言うのです。

狭い小さな枠から目をあげて、自分の周りの人にもっと目を向けてみたいものだ。

派手ではないが心の目には見える妙なる光を放つ「凄い人」がいるという。
浄土真宗では『妙好人みょうこうにん』というようだ。
世俗の泥沼に咲く「白蓮華」を意味するとして、無名で学問のない人でありながら信心の境地ではすぐれて高い所に達した人たちをいい、市井の篤信者だ。
こういう人から学ぶことだ。

人間は共感と、類人猿にはまだ確認されていない「共食」をすることで、人間独自の社会性を獲得したそうな。共食とは、他人とともに食べるという一つのコミュニケーション。

人は一人では生きられない、人に無関心であってはいられないはずです。
人とつながることをもっと大切に考えて、自分が言葉を発してみたいものです。
近くの人に、近況報告?、ご無沙汰の方に暑中見舞いのはがきもいいですよね。

会食の場も持って、うんと交流を図るのもいいですね。

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こんな日はお昼寝を

2008年07月25日 | 日々の暮らしの中で
河原町通りにある書店にでかけた帰り道、草木も眠る、“午後2時”の静けさ。

いつもの道筋、賑やかな子供たちの声もない。
お昼寝だろうか。

風の通り道を求め、ごろりと横になる。
子どもを寝せようと一緒に横になって、ひと眠りしたのは親だけだったという、笑えるような懐かしさ。
体にまとわりついてくる幼い子が、疲れて?眠りに落ちるまでじっと我慢のお母さん。
「ねんね、ねんね」なんて言う声が聞こえてきそうです。

じゃれあうような時間を共に過ごすのも、生涯のうちのほんの“ひとこま”です。
言い知れぬ懐かしさとともに、感慨深く思い出すのは年月がたったからでしょう。

地下鉄のホームで、ベビーカーに座ったまま、激しく泣き続ける子。車内でもそれは続いていて…。
両手に荷物を提げ、抱っこひもで寝入った赤ちゃんを連れたお母さん。
子は真っ赤な顔して、首が後ろにのけぞっていて…。
幼い子にこの暑さはさぞかしこたえることだろう。
早く涼しいところで、体を自由にしてあげてと思わずにはいられない光景でした。

『京、25日連続真夏日』
見出しの文字に汗のしずくがかかっています。
市内は正午前に、35.4度。

      金魚の昼寝
  赤いべべ着た、
  可愛い金魚。
  御眼々をさませば
  御馳走するぞ。

  赤い金魚は
  あぶくを一つ。
  昼寝うとうと
  夢からさめた。
 
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石も木も光る

2008年07月24日 | こんなところ訪ねて
大暑に入って、気まぐれも高じ、ものずきにも午後の京都御苑に立ち寄る。
木漏れ日さえ避けようとベンチを選び、座った。

日を受けて透きとおる、青いもみじの葉が美しい。
蝉しぐれ、夏の風物のひとつとして、シャーシャーと聞こえくる響きが楽しくもある。
木陰の涼しさは、炎暑の下でご馳走だ。

汗がひき、風に涼しさを感じられるまでになって眠気さえ感じてくる憩い人の前を、埃をあげて車が通って行く。
御苑管理の車だ。行ったり来たり、そのたびに砂利みちの埃が舞い上がる。
カラスが鳴き、子雀が数知らずどこからともなく集まってくる。
   雀の子そこのけそこのけ……、車が通るよ、危ないよ~。

細く浅い、小さな流れに、パシャパシャと水しぶきをあげて裸の子供たちが走り回っている。こんなところで…。
園児ぐらいの子供たちと母親の、ちょっとした集団。
梅林の下にビニールシートを敷き並べ、涼を求めて。
蛤御門を背にして東を見れば、来月には点火される東山の「大文字」が眺められる。


砂利の照り返しもまぶしい。
    石も木も眼に光る暑さかな   去来

「大暑」の節気、「極暑」と言うも、字づらはまさに「酷暑」である。
もうすでに酷暑、暑さも極み?。
本当の暑さは、最高気温の更新はまだこれからだけれど、もう充分なのに。
気を抜けば、暑さにやられる。立ち向かう?そんな~~~。なすすべは…。

    念力のゆるめば死ぬる大暑かな   村上鬼城

こんな句、目にしただけでも気が萎えそうだわ….。また明日も暑いんだろうな。

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元気が一番

2008年07月23日 | HALL家の話
  「アロ~ハ~」「ハ~~ィ、アロハロハ~」
  「ジェシー、おかあさん。はよー、で―へんのー?」
  「なんやのー、さっきは喜んでたのに~」
  (あかんわ、受話器向けると向こうむくわ)
  「で-へんのー?」
  「どこか行くの?ジェシー、どこいくの!?」
 「ショッピング」
   (どうしたの?―― 鞄に袋とかいっぱい詰めてる)
ここひと月ほど電話もなかったが、久しぶりに午後4時前のことだった。特に用があるわけではない。20分ほど話して、「じゃあまたね。風邪引かないように、気をつけて」

キンディ(保育園?)でのこと。
先生に日本語で話しかけてしまったが、わからないのでキョトンとしているのを見て、すぐ英語で言い直すということがあったという。
ちゃんと両言語をわかって使っているんだ!ってことで驚かれたらしい。
2歳9か月が過ぎた幼い子ですが、習得の過程からすれば自然のことなのでしょう。
先生でなくとも、驚きでしたが。
「この子がここにいるのは私たちの楽しみだわ」と、嬉しい言葉をいただいたという。

バレー、ジャズダンスのレッスンに行き出したそうな。楽しく体を動かして、ってところですか。
案外活動的かと感じています、ダディ似でしょう。トランポリンもバランスよく飛び跳ねて。
 体を動かすことは脳の発達にもよいのです。
 元気なことが何よりなのです。
 健康な体に、健全なこころも加味されて、“美しい”女の子に育って行くのです。
  

糸巻き巻き糸巻き巻き ひいてひいて トントントン を歌っている
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日常の中の非日常か

2008年07月21日 | 日々の暮らしの中で
満面の笑みで、「やぁ~~~」と、若い娘のような?声をあげ、手のひらと手のひらを合わせて、「元気だった~?」。
こうして、いつも再会を喜びあうことから始まります。

明日、KOZUねえさんと待ち合わせ、大阪へ。
四条、阪急乗り場の改札口で午後1時。

今回、6月7日から『「ゲキ×シネ」2008ツアー』として始まった5作品の最後の作品、「朧の森に棲む鬼」の上映があります。
“新感線×染五郎”の舞台をシネマで。
この作品に関しては、昨年10月、京都の映画館で上映していたのですが、ちょうど娘たちが来ており見逃してしまいました。
待ちに待ったチャンスです。

こう暑いと、ちょっと億劫にもなるところですが、なんのなんの、1ヶ月も前からの、KOZUねえさんとの約束の日。

俳句や書をたしなまれます。お芝居が好き。落語も好きですね。
音楽も…、何枚もCDにしてわけていただきました。
様々な講演に耳を傾けて。

本当に情感豊かな、素敵な女性です。
最近は少しお会いできる回数が減っていますが、そういう友からでしか得られないような、自分発見の機会が潜んでいます。
得難い友に出会えていることを感じています。

いっぱいおしゃべりしましょう。
帰りが遅くなりそうです。



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雲 湧いて

2008年07月20日 | 日々の暮らしの中で

強くじりじりとした厳しい陽射しが注がれる。
比叡山の上にも、白く、むくむくとした雄大ないくつもの雲。

木陰になったベンチに腰を下ろし、南の空をみあげると…、
「マミィちゃ~ん」って呼んで駆け寄る、“姫ちゃん”がそこに。
  
  本当だ、まさに夏の空は大きな落書き帳
    夏空へ雲のらくがき奔放に   (富安風生)

刻々とその形を変えながら流れゆく、雲をながめていた記憶がある。
雲にも命があるような、夏のエネルギーそのもの。

本日、37.4度を記録した。汗がにじむ。汗が流れる。

蝉の声が心地よく一息つかせてくれる頃、暑かった一日は暮れてゆきます。

      蝉の子守歌   (島崎藤村 大正14年 )
ねんねんよ。おころりよ。ころ、ころ、ころ、ころ、おころりよ。
ねんねんよ。おころりよ。おうしいつくつく、ねんねしな。
ねんねんよ。おころりよ。みん、みん、みん、みん、ねんねしな。
ねんねんよ。おころりよ。かな、かな、かな、かな、ねんねしな。
ねんねんよ。おころりよ。めんめがさめたら、なにあげよ。
おっぱい、おっぱい、おいしいおっぱい。いい児の坊やのおいしいおっぱい。
おあがり、おあがり、おうしいつくつく。坊やのおっぱい、おうしいつくつく。
みん、みん、みん、みん、おうしいつくつく。かな、かな、かな、かな、おうしいつくつく。
坊やはいい児だ。ねんねしな。

毎回ながら、どんなメロディで歌うのでしょうか。
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やい 蛙  お前だってはだかだ

2008年07月19日 | 日々の暮らしの中で
       はだか    若山牧水 「金の船」大正9年
    裏の田圃(たんぼ)で
    水いたずらをしていたら
    蛙が一疋
    草のかげから ぴょんと出て
    はだかだ はだかだと鳴いた
    やい 蛙
    お前だってはだかだ

童謡として収められていますが、いったいどのようなメロディが付いているのでしょう。

アルファベットのY字型に、左からの“賀茂川”と、右側からの高野川が合流し“鴨川”となって河原町通りの東側を流れていきます。
合流する出町柳付近は、公園化された“三角地帯”。昼間は水遊び、夜は花火をと、これからの季節賑やかな場所です。
飛び石が設けられていて両岸を自由に往来できます。
川で興じる歓声が、橋の上のバスの中にまで届いてきそうな光景でした。

たんぼで、草の葉っぱでも浮かべて流していたのでしょうか。
それとも、何か動くものを見つけたのかしら。
暑さを凌ぐのに、裸は一番かも知れません。
かわいい、子供の丸裸…、ではないかもしれませんが。

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鈴虫松虫、かぶとむし

2008年07月18日 | 日々の暮らしの中で
    す、むし
    十五夜のゆふ
    に宮おはしては
    たまひつ、念珠
    あまきみたち二
    つるとてならす
    のけはいなとき
    いとなみにいそ
    るにれいのわ
    いとしけく

 「源氏物語絵巻」第三十八帖「鈴虫」の詞書きの冒頭の断片。
「十五夜の月がまだ姿を見せていない夕暮れに、仏の御前に宮がおいでになり(略)虫がとてもしげく鳴く夕暮れですね」

この断片が二千円札の裏に印刷されているということで、改めて取り出して見ました。

平安時代の文学では、今の「鈴虫」はまつむしと呼ばれ、「松虫」はすずむしと呼ばれていたというのが定説になっているとか。
時代によっても諸説あるようですから、どうなのか…。

     ♪♪むしの声
    あれ松虫が鳴いている 
      チンチロ チンチロ チンチロ リン
    あれ鈴虫も鳴き出した
      リンリン リンリン リーンリン
    秋の夜長を鳴き通す 
    ああ面白い虫の声

でしたか…

いずれにしましても、千年も前の人たちも、秋の夜長、虫の声に耳を傾け物思いにふけっていたのでしょう。
人間の営みは変わることなく、また虫の声も変わってはいないのでしょうか。

今日、ショッピングセンターでの事。
「エレファスゾウカブト」と言う名のカブトムシが一匹、透明の容器に入って売られていました。
見たこともない大きさで、思わず覗き込んでしまいました。そう、7、8センチはあったでしょうか。
メス。なんと29800円ですって。

近所の方が、何匹もとってきたからと、まだ幼い息子に届けてくださることがありました。おがくずや適当な木も入った大きな入れ物で。
しかし、なぜかあまり関心を示さずじまい。
指先でつまみ上げる?こともできず、娘は逃げ回る有様。
お世話するのは、いつもオバアサンでした。

夏休みに入るため、商戦合戦でしょう。

かなり風情の異なる話です...
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あなたの弱さが好き

2008年07月17日 | 映画・観劇
「SHIROH」
島原の乱を題材にした劇団☆RX新感線のミュージカル。そのシネマ化の上映をみに大阪まで。

キリシタンや重税に苦しむ農民たち女子供含め、37000人が集結。逃亡者わずか20余人、たった一人の背信者(絵師 山田右衛門作 えもさく)を除けばみな殉教者として全滅したというのが“史実”であるらしい。

奇跡を起こす能力は失われているのに、聖人・神の子と流布される天草四郎(上川隆也)。そうした彼の苦悩が表現されていたが、山田寿庵(背信する絵師の娘 高橋由美子)が彼に向けて、

  ♪「あなたの弱さが好き」

といった言葉が印象的だった。素直な人間性を見たシーンだ。
随所にコミカルな一面が入り笑いを誘う。
一つの舞台を作り上げていくことの喜びがあふれているようで、親しみを感じるものだった。

ただ、宗教観、キリシタンの人たちの「信仰」と言うものには考えが及ばず、「殉教」という観念も実のところはいまひとつ。
ちょっとすっきりしない。そんな状態で記録するのもおこがましいが…。  (ゴメンナサイ)

1960-61年にかけて、「朝日ジャーナル」に連載されたという『海鳴りの底から』(堀田善衛著)。同題材での歴史小説です。
手元にある変色しかけた新潮文庫、はるか昔に恩師の勧めで手に取ったもの。その後、遠藤周作著『沈黙』・『深い河』・『「深い河」をさぐる』、やがては『生き上手 死に上手』などへと続く流れとなった第一作目でした。

当時のキリシタンの人々の信仰には、日本の仏教の死生観が根底にあった…とか。???

リピーター割引があり、半券提示で当日券2500円が500円引きでした。頭の中がモヤモヤなので、マイナス500がちょうどいい結果です。
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“くずきり” を心に秘めながら

2008年07月15日 | 日々の暮らしの中で
この暑い暑い昼日中、友人と祇園祭のせめてもの雰囲気を楽しもう?ということになりました。

御池通りから入って室町通りを南下、四条通りを東に進み八坂神社でお参りして帰ろうという長~い行程。
“暑いときは暑さを楽しんで”、そんな風流なことばかり言ってられませんでしたが。
駒形提灯に入ったそれぞれの紋を見ながら…

繊維関係の会社が多い室町通りは山が4基、そして菊水鉾と並び、露店も多い。
各山鉾に深い知識があるでもなく、説明書を見ながらです。中国や日本の伝説、謡曲にちなんだ山。懸装品には、ベルギー製のコブラン織り、中国伝来品(明の時代の逸品があるという)があるかと思えば、前田青邨、丸山応挙・長谷川等伯などの名も見受けられる。

「よろしーおすなあ」と言う老婦人の声の先には、ご夫婦で浴衣を召された老カップルの姿がありました。  「....身に沁むばかり藍浴衣」
歩みは遅々としたもの。提灯にあかりがともるころには更なる人出でしょう。けれど、この暑さにもかかわらず沢山の人です!
まさか地下を歩こうともいえず、ビル入り口のひんやりした空気で一息つき、またブラブラ、ブラブラと東へ東へ。
途中、厄除けちまきと“メールうちわ”を購入。

私的にはもう充分でしたが(ひそかに一人計画を立て)、八坂さんでお参りを済ませ、「鍵善」に引っ張り込むことにしました。
くず切りがとってもおいしいのです。黒蜜をつけて。おいしかったこと!!
   葛切を食べて賢くなりしかな  (今井 杏太郎)   さて!?

宵宵宵宮の昨夜。夕立ちがありました。
宵宵宮の今宵。夕刻やはり雷鳴とともにかなりの雨。昨日よりは涼しさを感じます。
むろん夕立までには帰宅しました。

うちわにはメッセージを添えて、JAYのもとへ送りましょう。







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「北大路駅」は

2008年07月12日 | 日々の暮らしの中で
歌枕に、地下鉄烏丸線の「北大路駅」がある。
1990年、同志社大2年だった梅内美華子さんの作品を目にした。

    階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅

改札を出れば、真っ直ぐに地上へと続く、広くて長い階段になっている。
私はもっぱら、横にあるエレベーター利用派だが。
あの長い階段を、二段跳びで上がっていくとは!若さであろう。

私と「北大路駅」のつながりは伯母だ。
京都駅から「北大路駅」まで地下鉄できて、そこから4番、あるいは14、54…って言っていたか…、のバスに乗るよう教えられた。本数も待ち人も少ない乗り場のベンチで心細く目当てのバスを待っていた。ここがまだ地下鉄の終点だった頃。
京都駅からバスでなら、こ一時間。ここで乗り換えたところで大差なかったわけだ。電車が早い、便利という伯母の思い込みのために。
タクシーに乗れば、必ず「あそこの赤いとんがり帽子の手前を右に入って下さい」と頼んで。

何度、いったい何度こうやって伯母の家に寄せてもらったことだろう。
幼いころは夏休みを過ごし、学生時代は京都旅行の宿として。結婚後は実家代わりの息抜き場に。

昨年12月高齢で亡くなった。おじはとうにいない。
主はなく、門は閉じられたまま。ふと、家は、庭はどうなっているだろうと思うのだが、思ってみても仕方がない。
ところが今日は、突然伯母が呼んだのか、全くの予定外だったが、疎水べりを思わず左折!
家の前に車をつけた…。あれから7か月ほどが経っている。

「北大路駅」が歌枕であることの印象が強く、なぜか思い出に向かってしまったようだ。

あの世、彼岸にいる“おばちゃん”、「死んだら生まれ故郷に帰りたい」と随分と口にしていたけれど、…悲願で終わってしまいましたね。
そちらは賑やかで、94年の人生を語るには話題も尽きることないでしょう?
こちらの岸にいる私は、もう一人、彼岸に送った人の新盆を迎えようとしています。

主はいないけれど、長年眺めた玄関脇の百日紅の花をもう一度訪ねてみたいと思っています。

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「動く美術館」も身近な所で楽しんで

2008年07月10日 | 日々の暮らしの中で

華麗な懸想品で飾られる、その内側は.........。

山鉾建てが始まりました。
路上で職人さんたちが組み続けている、函谷(かんこ)鉾に近づいてみました。
釘を使わずに縄で組む、この技法は「縄がらみ」というそうです。

   

老舗の長久堂さんでは、季節に見合って、いつも素敵な「工芸菓子」が飾られています。楽しませていただき覗き込んでいます。今日は思い切って写真を撮らせていただきました。
鑑賞用ですから、お干菓子の材料で作られています。
織物などでも工夫して細工しているとのことでした。

偶然にも今日はもうひとつの、今度は“パン製”の長刀鉾に出会いました。
「色がつけてあるから食べられません」と、誰かが...。そりゃあそうですよねえ。
大丸店の入口に飾られていた、ドンクさんのものです。

    

左が長久堂さんの長刀鉾です。

街中の路上で、目の前で、日ごとの“変貌”が楽しめますから、葵祭・時代祭と違い活気をもろに感じます。
さまざまな形で楽しみ、協賛し、お祭りが盛り上がります。

梅雨空を吹き払い、夏本番...となっていくのでしょう。

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私って、まだつぼみなの?

2008年07月09日 | こんなところ訪ねて
「こんな昼下がりに暑いでしょうに~?」という私の声をしり目に、バスを途中下車。大徳寺に立ち寄ることにしました。近くてもなかなか機会がありません。 本坊はじめ、普段は、数多い塔頭もほとんどは非公開です。広い境内、石畳の上を歩きながら耳を澄ませば、確かに!あれは蝉の声でした。
時折、雲が日射しを遮ってくれますので、いっそう吹き抜ける風は心地よく、清涼剤となってくれます。                        細川忠興の妻、細川がラシャ夫人の墓がある高桐院への参道です。苔むし、竹藪が囲い、松に、モミジの青葉が美しく静かな別天地のようです。                  細川家の菩提寺、額縁入りの一枚の絵を見るごとき感覚の門前です。 高校の修学旅行できた大仙院。来年創建500年を迎えるに当たり本堂の屋根が修理中。枯山水のお庭に足組みができている状態でした。 枯山水の趣など味わうこともできず、ここのパンフレットの英文をそのまま利用して、旅行後の英語の宿題を仕上げた思い出があります。あのセンセイ、ちゃんと見たのかしら…。 ここの和尚さんのお言葉が壁に【五十六十は花なら蕾 / 七十八十は働き盛り/ 九十でお迎えが来たら/ 百まで待てと追い返せ】 和尚さん、にこやかなお顔で近くに座って折られました。 ここは禅寺、なるほど…。
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