京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

だぶだぶと老もすすりぬ

2022年12月30日 | 日々の暮らしの中で
    だぶだぶと老もすすりぬ晦日蕎麦    富安風生

「だぶだぶ」って…(笑) リアル? なまなましい?
何はさておき、元気に年越しできるありがたさ。


大晦日の夜に食べる年越し蕎麦は、細く長く、の縁起を担ぐというのに、孫娘は「蕎麦は嫌い。うちはうどんにして」が毎年のことだった。
「めんどくさい子やなあ」とつぶやくも、一人前はうどんに。一人違って、太く長くって、どんな気分よ。
あまり欲張ったことを言うもんじゃないわ。
…とからかってみても、彼女がいれば華やかに楽しい年越しになったことだろう。

学年末で休みになり、早ければ11月末には日本に行きたいと楽しみにしていたが、1年先送りとした。大阪の友人との再会を何よりも楽しみにしていたので、残念な気持ちは察している。
息子は機上の人…。「年末は…?」と尋ねたところ、「今 飛行機」ときた。ぽっかーん!

ああ、疲れた。腰がだるいわ。こぼしこぼし踏ん張って、あと一日!
「だぶだぶと老もすすりぬ晦日蕎麦」。自画像になりそうね。


ほの暗い内陣。南天の実もたわわに、あかりが灯っているようです。
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今生のいまが倖せ

2022年12月28日 | 日々の暮らしの中で
あと幾つ寝ると…? 今年の残りの日数を指折り数える日々を「数え日」と呼ぶようだけれど、新しい年を待つ気持ちよりも今を惜しむような、じぶんではどうしようもないところで過ぎ去る時の流れに、ちょっとしたいら立ちのようなものを感じてしまっている。
まあこれも年齢的なものかと片付けているが、ずっと心にかかってしまっていて…。


前登志夫さんは年越しを機に、どんなことを言われていただろうかと『吉野山河抄』を開いた。

「人は年齢を加えるにつれて、一年を送ることのむつかしさがわかってくる。歳月はわたしたちの思惑にかかわりもなく容赦なくどんどん過ぎて行くのであるが、自分の歳月をうまく送りこむのは本当はやさしいことではあるまい。
そのことは自分の帰るところがよくわからないということかもしれない」

この一節に考え込んだ。ややこしいことは考えないにこしたことないのだろうに、まったくもって厄介な性分。

歳晩の夕日を目にして「美しき女人のごとく夕日ありけり」と詠い、
「私の人生の本当の味わいもまた、この静かな日没からはじまる。
多くを学び、そして無心になるという、再生の旅を月並みな山の夕日に禱る。」

と結ばれる。
自分のもやもやは置いておいて、氏の言葉は、文章は、多くの場合にしみじみと心を落ち着かせてくれるものとなる。今、今年を振り返る余裕はないけれど、

  今生のいまが倖せ 除夜の鐘

と年を越さなくちゃな…。
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文字以外には担えない

2022年12月26日 | こんな本も読んでみた
書店員や出版営業の仕事にライトが当てられ、業界の知らなかった多くのことを垣間見た大崎梢作品だった。
「本屋って、儲からない、利益率が低く、経費ばかり、さばけなければバイトの時給も払えない」
廃業する街の小さな書店。倒産する出版社。

書店員のつくった一枚のポップから、全国的なベストセラーになったのが『白い犬とワルツを』だそうだが、小説内では、大型書店のフロアマネージャーの発案で、「輝け! ポップスターコンテスト」が開催された。

文庫本を扱う出版社の営業マンで、その店担当というのが参加資格となり、10人がエントリーした。
自社本から1冊、他社本から1冊、プッシュする本を選び、各自でポップを作製、平台に並べて売り上げを競うというもの。ただし、ポイントを競うのは他社本で、とっておきの1冊であること、みんなが忘れて埋もれてしまったような1冊を発掘する必要があった。
優れたポップで、販促、活気、売り上げに貢献したものがチャンピオンに。その賞品は、翌一か月間その人の会社の本に平台が提供される、というもの。
ここでも「謎解き」は仕込まれている。

これまで店頭でポップを読んで購入を決めたことはなく、さほど関心も持たずに来た。
「限られた売り場の中で、どの本にどのポジションを与えるかは書店員の采配にかかっている」と。ポップだけでなく、書店内を見歩く時の意識が変わるような気がする。

 

「大きな街の大きなチェーン店ばかり残ると、本屋は、そこに足を運ぶ人だけのものになる。
できるだけ身近に、歩いたり自転車に乗ったりすれば行けるような日常のそばになければ、人は本も本屋も忘れてしまう。
本屋を知らずに育つ子どもが増えて、ますます本屋ばなれが進む」

でも! でも、だ。
「想像し、分析し、総合する知性は文字以外には担えない。
ものを考えたり、書いたりという欲望がある限り、本は作られる」(『読書と日本人』)
津野海太郎さんの言葉が心強い。

『本バスめぐりん』のひとしずくを受け止められたことが嬉しい。ここから始まった。
今年の収穫の一つを、息子に話してみよう。
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降れ降れこゆき

2022年12月23日 | 日々の暮らしの中で
今朝、ツワブキのような大きな葉には、一面を覆うだけの雪化粧が見られた。

馬場あき子さんの「雪」と題したエッセイが好きで、思い出したように読み返すことがある。
「冬の心は、いつも、どこかなつかしげに雪を待っている。……
吹雪・粉雪・みぞれ雪・春の淡雪・牡丹雪 ―、どのことばも美しく、どこか雪に呼びさまされる生の悲しみが潜んでいるようだ。」
と始まる。

文中、黒川能に触れている箇所がある。
山形県鶴岡市黒川にある春日神社の神事能として、五百年以上にわたり氏子さんたちによって演じられ守り伝えられている。神への奉仕と奉納の形をとり、一般の人々の目を遠ざけてきたようだ。

2017年の夏、羽黒山五重塔を拝見したくて出羽三山を巡るツアーに参加し、黒川能が野外で演じられる「水焰の能」を鑑賞する機会があった。
あのときガイドさんは、「防寒対策をして2月の山形へ、ぜひどうぞ」と、予約制で拝見も可能だという話をされていた。けど、極寒の折にとてもとても…。
雪中に建つ五重塔の一見も、かなわぬ夢とわかっていながら繰り返し思い描く。

新緑の映える候には瑠璃光寺(『見残しの塔』)も訪れたいと思い続け、今やふくらんだ夢ははじけそう。久木綾子つながりね。

年の瀬に思い出すこと、架ける夢。

「降れ降れこゆき――」。


寒かった! 背中がぞくぞく、外を歩けば耳が痛く、頭も痛くなりそうな一日だった。
木の北側に雪が残る午後。


 ♪ 津軽には七つの雪が降る
   こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 
   みず雪 かた雪 春待つ氷雪

     大雪の被害に見舞われた地域の方々には心よりお見舞い申し上げます。
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垢を落としましょう

2022年12月21日 | 日々の暮らしの中で

「 赴けば参りつかねどまづ見ゆる東寺の塔の尊かりけり」と詠んだのは浅井了意。
東寺では毎月21日に市が立つ。一年最後の今日は終い弘法と呼ばれ、正月用品や花などを買い求める人でごった返したに違いない。

東本願寺(お西も)では昨日、畳をたたいて一年のほこりを払う「おすす払い」が終わった。
「一年の心の煤を払はばや」と子規の句にある。
その昔、寺の掲示板にあった「毎日お風呂に入るなら、心の垢も落としましょう」という言葉を中学3年生に紹介したところ、「ほんまやなあ」と発した子がいた。しゅうぞうクンだった。感心しきりといったひと言。
息子より二つ上だったかな。すす払いの時季になると、「心の垢」を決まって思いだす。


そして26日は息子の誕生日。心ばかりのものを贈った。
私の誕生日に彼からメッセージが届いた。「当日に間に合わないんだけど、もうちょっと待っててー」とも添えてあって、でもそれから5カ月になろうとして、まだ届かない。いいんよ、別に。
お互い、夏場も師走もいろいろ忙しい。


昭和13年 12月21日 曇-雨
「冬の雨らしくない雨である。どうしてことしはこんなにぬくいのだろう。(中略)
今日は誰も来てくれなかった。誰をも訪ねてゆかなかった。もくもくとしてしめやかな一日だった。
ノーマネーそしてノーアルコールの一日でもあった。…
・愚を守る
・貧乏に落ち着く
・無能無力に安んずる
・おのれにかへる  」

11月に其中庵から湯田の風来居に移っている。思いが鬱するのか、寂しげで、悔やんだり、懐かしんだり、不眠を嘆き、執着のいろいろを記し…、と年が暮れゆく山頭火。
読んでいても気分が重く、なんか哀しいねえ…。
中古書店で3冊だけ買い求めてみたが、お返ししよう。自分は山頭火にさほど関心がないということだろうと考えた。
そんな類の本を取り出しては、また戻し。

新年へ、年の瀬の行事を一つずつこなして…。
                     (小林良正さんのほほえみ地蔵)
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国を滅ぼしますよ

2022年12月19日 | 映画・観劇
京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館は全国のシベリア抑留体験者らの寄付を受けて1988年に開館され、抑留や引き揚げの歴史を紹介している。2015年、その関係資料570点がユネスコの世界記憶遺産に登録された。

手作りのマージャンパイ。白樺の皮に、端正な文字で書き綴られている短歌や随想、移動記録。

 

「身につけた教養や文化が精神を支えた」、「楽しみを見いだす心は、過酷な状況を耐え抜く生きる力になったのだろう」と分析、語られる学芸員・長嶺さんの言葉を読んだことがあった(‘21.1月の記事)。
ちょうど今朝の新聞コラムは、記念館で展示中の「残っていることが奇跡的な資料」だと言われる新収蔵品に見入る若者がいることに触れて始まっていた。
そして、記事の中で映画「ラーゲリより愛をこめて」が公開中であるのを思いださせてもらい、見に行こう!となったわけだ。

 

どんな環境にあっても希望を捨てずに生きることを仲間に家族に記憶させた一人の人間、二宮クン演じる山本幡男氏の半生。死期迫る病床にあって、真っ黒な爪の汚れが目についた。
敗戦から12年。日ソ国交が回復してようやく帰国の道が開けるまで、過酷な日々を共に耐えた仲間が、遺書を彼の家族のもとに届ける。
文字を書き残すことはスパイ行為とされた環境で。「白樺日誌」などはどのようにして残されたのだろう。

帰りに原作の『収容所から来た遺書』(辺見ジュン)を購入。映画の余韻が落ち着いたあと、読んでみようと思って。

半藤一利氏がこんなことを書いていた。
〈(日本国を)小人国と書いたことを怒る人がいるかもしれない。われら日本人はそんな弱虫にあらず、誇りをとり戻せ、断固戦争できる「ふつうの大国」にして、国民一つになって内憂外患を吹っ飛ばせっと。
でも、わが日本国は地政学から厳密にみると、とても戦争なんてできない国と思うんですがね。大国主義は国を滅ぼしますよ。
歴史は所詮人間のつくるもの、人間の質が変わらなければ同んなじことが…。芭蕉のいう「不易」がここにあるようである。〉(「小人国の内憂外患」『歴史のくずかご』収 )
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いやになることなく努める

2022年12月15日 | 日々の暮らしの中で
つつましい日常生活の中にも充実感はある。
パラッと開いた『漢語日暦』(興膳宏)の、12月の章に言葉はあった。
『論語』述而篇の一章にある孔子の言葉を引いて。


月に一度、子や孫にもあたる年代の人たちと出会い、世代を超えて文章仲間が集う。
楽しみに待つには、合評を得るために自分の作品を仕上げておくという前提をクリアーしておきたいのだけれど、それができなくて(書けなくて)、ひと月スルーということも、まあ、たまには生じてしまう。

今年最後の例会後、この1年の互いの努力をたたえ合おうと、ささやかな懇親会を開く。
互いにどう結び付けばよいのか、考えさせてもらうことは多いが、きっと何かを生み出していると信じている。

時節柄プレゼント交換をとなっていて、北風が冷たい日になったが、3人で待ち合わせて四条へ出た。
金額の上限を決め、お金はかけずに気持ちを包むことを約束してある。思いの品を三様に手に入れて、あとは目的のないお喋りが待っていた。


〈才不才は生まれつきのことであるから、人の力ではどうしようもない。しかし大抵は、不才の人といっても怠らずに努力し続けさえすれば、それなりの功はある。学び方には、そう深くこだわる必要のないものだ。結局のところ、学問においては長い年月、いやになることなく励み努めることが肝要だ〉
本居宣長さんが言っていたのを思い出す。不才でも努力次第ということであれば、私でも…。
努力の日々にも充実感はあるものよ。
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私の粘りどころ

2022年12月13日 | 日々の暮らしの中で

これっきゃないクリスマスグッズ。
母の手術、入院を見舞いに実家に戻ったとき、病院帰りにまだ小学生だった子供たちへの土産にと新御茶ノ水駅付近の店で買い求めた。
毎年思い出すタイミングはバラバラでも、これしかないだけに一年に一度、そっと身近に飾り置いている。

今年はクリスマスプレゼントを贈るのはちょっとごめんしてもらうことにして、その代わり、自分のために何冊か欲しい本をまとめて買い求めることにした。

まずは、これまで小説ばかりを追ったが、好きでありながらなぜか難解さが立ちはだかる古井由吉作品。
小説のほかには『文学の淵を渡る』で二人の対談を読んで以来になるが、
津野海太郎さんが『最後の読書』の中で引用していた一節に親しみを覚えてエッセー集『楽天の日々』と、講演録、エッセイ、芥川賞選評が収められた『書く、読む、生きる』とを。


大江氏は言われていた。「古井さんの作品は明快で難解だという風に思っています。文学は言葉で書かれる。僕たちは,言葉の塊に向かっていく。その道筋が難解でも、ついに明快に、確実に、ある言葉にたどり着くことができれば、愉快な気がする。明快な言葉がどうして難解になるかというと、言葉がその人自身の形を持っているからだと思います。(後略)」

講演録の中に見つけた興味を引く言葉。
「私の小説は多くの場合、少し随想のような部分から始まります。そこからなんとか小説を浮かび上がらせようとする。……この随想風な部分は『渡り』や『渡し』というようなもので、そこで小説の中にいささかの展開の出るのをじっと待つのです。ここが作家としての私の粘りどころでもある…」(『書く、読む、…』)

『塞王の楯』も含め、これらへの投資は新たな年の楽しみのための準備です。
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あかるく のびよと

2022年12月11日 | 日々の暮らしの中で

東本願寺の南側の堀で、枯蓮が風にあおられてぷうらぷら。
茎から離れずに残る大小の傘が、頭だけをフリフリしてみせる姿は、ついつい長居の楽しさです。風が止めば、ぴくりともしない静寂の時が訪れます。

杉本秀太郎さんは『花ごよみ』の中で、茎折れした枯蓮は、「夏の蓮田を知っている目にはことのほかわびしく、すさんだものに映じる」「けれども…、記号的なおもしろさ、抽象絵画に勝るとも劣らぬ感興をおぼえる」などと書いておられ、



また、夏場の「蓮の花、蓮の浮き葉、蓮池を見たり思ったりしているときに、仏教圏の国に育ったわれわれが生死について何も考えていないということはない」とも記し、
明治8(1875)年12月10日、85歳の生涯を閉じた太田垣蓮月尼の辞世の歌を添えられた。、
   「ねがはくばのちの蓮(はちす)の花のうえにくもらぬ月を見るよしもがな」


学年末を迎え長い休暇に入った孫たち。


来年1月からは小学校1年生になるLukas。音楽会で手話を交えて歌っている「ジングルベル」ですが、なんとまあ、合唱部に入りたいと言い出したとか。歌う楽しさに目覚めたのでしょうか。
スポーツ以外に示された好奇心に、
   
 「 あかるく のびよと
   つよく のびよと
   たくましく のびよと 」

エールを送りたくなります。
廃園となっていた地元の幼稚園(小学校も)の歌をよみがえらせたWさん。ブログを通じ、教えていただいたばかりの歌の歌詞から一節をさっそく拝借して。
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どんなふうに本と暮らす

2022年12月09日 | こんな本も読んでみた
『名残りの花』(澤田瞳子)、『花下に舞う』(あさのあつこ)の読後の思いの収めどころを作りつつ、『最後の読書』(津野海太郎)の読み飛ばしていた章を埋めた
齢を重ねるごとに、人はどんなふうに本と暮らしているのだろう。記憶力や視力の低下という現実問題を抱え、それでも読書があるのは。
「知る楽しみ」が私自身にも自分の喜びとしてあるからだと共感した。


明治と改まり何もかもが、人の心まで変わってしまった時節に、27年の幽閉を経て戻った鳥居胖庵、77歳。
取り残された「不幸を嘆き、人のせいにし、世を妬んだって、現実は何一つ変わらない」。
「人は決して、新しさのみを糧に生きるわけではありません」と苦難でありながら能役者を目指す若者がいる。
胖庵は彼に眩しさを感じつつ、世間の推移に左右されず、守りたいと思うものを捨てずに己の道を精進して生き抜けと見守る。
「生きていかねばならぬのだ」。己を曲げない。それは心を閉ざして生きることとは異なる。

退屈で退屈で、わくわくと、知的興奮に駆られるなどとんとないまま…。
それが最終章になり一変した。
作者は何を伝えようとしているのか。意図するものを感受したいと、耐えたな、今回。


風に吹き寄せられ、散り積もった落ち葉は、根っこを覆い、温め、土に還る。
それは、「ページが1枚ずつ重なって本となり、読んだ人の心を温め、滋養となっていくのと同じだ」(『モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語』)。 ー 知るよろこび、がある。
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今日のひと日をよろこびて

2022年12月06日 | こんなところ訪ねて
生きている者の都合でといっては申し訳ないようだが、弟の祥月命日を前にして今日、東本願寺にお参りすることにした。
東・西の本願寺とも拝観料を払う必要はなく、門は拝観時間内いつでも解放されている。

蛤御門の変で焼失した東本願寺の御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂の再建が始まったのが1879年。全国から献納される巨木の運搬中、木材の重さに耐えかねてロープが切れるという事故が各地で相次いだという。



そこで工夫されたのが、女性の髪の毛と麻をより合わせて編んだロープだった。「毛綱」と呼ばれ、ガラスケースの中でとぐろを巻いて渡り廊下に展示されている。初めて写真を撮らせていただいた。

西へ堀川通まで足を延ばして、
西本願寺の夕べに一人来て、弟を思う(なあんって)。日当たりながら散る銀杏の中に…。



樹齢400年にもなる御影堂前の木(上)と阿弥陀堂側のものと。

12月1日夕刻、突然倒れたまま意識が戻ることなく8日の朝早くに逝ってしまった。
脳幹出血だった。
華やかに、しっとりとした銀杏落ち葉。み仏に手を合わせ、今日のひと日を喜ばせていただく。
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焚火のぬくみも

2022年12月04日 | 日々の暮らしの中で

かき集めておいた松葉や枯れ葉を境内の隅で焚くようなことは、かつては季節を問うことなく行ってきた。思い出せば、ぱちぱちとはぜる音が聞こえ、煙のにおいさえ脳天に抜けるようだ…。

大晦日には除夜の鐘を撞く鐘楼脇で、松葉や柴、薪を運んでおいて焚火で暖をとった。そのぐるりに寄りあう人たちの身体を甘酒やお酒がより温め、いっときのお喋りのあと、よき年を願う言葉を交わし、顔ぶれが変わって行く。人と人が近かった。


『土を喰う日々―わが精進十二カ月』のなかの「十二月の章」で、水上勉さんは書かれていた。
馬鈴薯を丸ごとよく洗って、銀紙に包んで焚火の中にさし入れ、「忘れた頃」まで火灰の中へひそませる。塩を振るかバターをぬるかしてスプーンで食べる。
「おお、この美味さよ。たかがじゃがいもと、いわれるものが、まことにデリケートに舌を酔わせる」と。
そして石を3つならべ即席のくどを作り、ヤカンをかけて徳利を入れて…。酒は進み、腹はふくれて、冬の寒い夕暮れが時を忘れるくらいに楽しい、と綴られる。

「火掻棒持つより焚火守となる」 稲畑汀子。
そう、火掻棒を持って、火の守番よろしい格好の人が一人はいたものだ。


もう焚火の光景は見られないのかもしれない。煙ったいなんて声は聞いたことがなかったが、環境汚染となると何も言えない。
「焚火」という季語も消えていくのかしら。
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一つの勝利に酔って

2022年12月02日 | 日々の暮らしの中で
「やっと」11月が終わったという思いは、毎年のように感じている。
一年の締めに向かうまでの、ここしばらく、自分の楽しみごとのためにも時間を使うとしよう。

サッカーワールドカップ、対スペイン戦で勝利。嬉しい、嬉しい。一つの勝利を日本中が歓喜する。そんな様子をテレビで見ては、やっぱり嬉しく喜び合いたい。野球とはまた違った力がある。
私の気分も、一日盛り上がったんじゃないかなあ。こんなこと、前はいつあっただろうか。

 

我が家では息子が小学校4年生からサッカークラブに加入した。大学受験を控えて仲間は数人抜けたが、高校3年の最期まで続け、両立に精を出す姿を見守った。やめるも続けるも、すべて彼の選択だった。結果、ベスト4に届かず、彼のサッカー人生は終わった。ゲーム終了の瞬間は、いまでも眼裏に残る。

書店でたまたま見つけて数冊買って帰ったのが『オフサイド』だった。これを機に数冊ずつ買い足し、全巻が揃う。読者は息子と私。
彼の机の上には数冊が無造作に置かれ、ページを開いたまま伏せた一冊があったのを覚えている。試合の前夜、読んでいたのだろう。
もうはるか昔…。それでいて年数ほどの開きを感じないで思い出す。


外は寒かったけど、心はあったかで、この勝利に酔うように過ごして十分な一日だった。
次戦も頼みます。
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