京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 信行寺の天井絵 / 「京都非公開文化財特別公開」

2015年10月30日 | 催しごと

10時頃には京都駅に着くからバスで行く、と友は言った。「東大路通を北にね」「バス停は東山仁王門」と繰り返し念を押し、10時半頃に落ち合おうと約束をした。「降りたところはお寺の塀沿いだからすぐわかるでしょう」。

10時過ぎに着いた私は、混みあう門前で「10時45分になったら並んで下さい」と書かれた整理券を2枚受け取った。約束の時間までには間がある。周辺をぶらっとしてみたものの、どこといって関心もなく…。
と、10時11分「七条大宮を過ぎました」とメールが入った。 大宮って!!?
10時30分を回っても連絡がない。やっぱり! それにしたって…。
10時50分「運転手さんに聞いたらまだ30分かかるって言うの。でもこのバスで行くからって言ってます」。彼女は10時過ぎにはバスに乗っているのだ。

反対方向だというのがなんともまずい。西に進んで北に。北大路バスターミナルを経て東大路通を南に下がってくる…。ぐるーっと大周りして…。11時20分、バスを降りたもののどこだかわからないという。目と鼻の先だ…。
10分後、行列で混みあう門前でやっと姿を見つけた。何だ~!? この一日の始まりは…。
東西南北全く分からずにいるとこうなる。にしても、一時間近くも乗っていて「間違えちゃったんかしら」とは、ホンマどうなってんのだ~。

         
ずいぶん待たされたけれど、待っている間に予定外に一つ多く、円形光背に3000を超える化仏が飾られた西方寺の阿弥陀如来座像を拝観させていただいてきた。
そろって信行寺さん本堂の外陣に描かれた若冲の天井絵を拝見。劣化を防ぐために寺は細心の注意を払って保存してきた貴重な文化財の公開であり、最初で最後の公開になるかもしれない。彼女に声をかけてもらわなかったら、おそらく自分では足を運ぶことはなかっただろう。


昼食後は、一般公開が始まった京都御所へ。秋晴れの一日。あれこれの顛末、これも何かの縁。すべては「ごえん」と思っておこうかしら…。

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 ゆっくり確実に

2015年10月26日 | 日々の暮らしの中で

朝さむっ! 夜寒! 火恋し。
もう少しの間は着込んでガマン。日中は秋日和です。ぽかぽかしたおひさまの下で、飽きもせず飛行機雲を眺めていて居眠りが出そうになるほどでした。午前中はぼうっと空を見ていたような…。そんな時間が一区切りの良い気分転換になって、今日の儲け物。一旦空っぽにして、更新です。今度はどんな方向に進めようか。

  【なにごとも じわじわがよろし
   季節の移ろいゆくがごとし】
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 ひととき一緒に

2015年10月23日 | HALL家の話
 

「4歳だからかっこよくしてるの」
最近は、水でぬらした櫛で、髪をセットしていることがあるのだそうです。
母親がちょっかいを出すと、「さわらんといて!」って。鏡の前でだいぶ真剣な様子です。
かと思えば、杓文字をマイク変わりに何やら歌を歌っているとかで、これもまた4歳児。

子どもの明るいこの表情こそ、遠くから見守っているだけの者には心強く感じることです。
「子と親は 同い歳」、ですか…。

全く違う日常を生きているHall家の4人。時折娘から送られてくる写真に映る“異文化”には、降ってわいたような心和む喜びがあります。
なんの期待もない日々、と言うほどではないけれど、来年は行ってみようかなと心を揺り動かす、そんな力があります。
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千日回峰行「堂入り」満行   / みほとけの山

2015年10月21日 | 日々の暮らしの中で

ずっと心にかかっていた「堂入り」された行者さんのこと。帰宅して急いで夕刊を開きました。「満行」の文字にこみあげる喜び…。

今日は再度、大津歴史博物館に「比叡山 みほとけの山」を拝見しに出かけました。
前回、最初からこってりと時間をかけて堪能しすぎ?て、後半の3分の1はさささっと…。おまけに新聞で5回に渡って学芸員さんによる比叡山の仏教文化が解説されたのを拝読。そうなればやはりもう一度、と思ったわけです。

歴史博物館の正面からは琵琶湖が眺められるのですが今日も全体に靄がかかったような状態です。雨も降らずに気温も高く、空気中のちりなどがとどまったままだから、もやってみえるのだと天気予報で耳にしましたが。

  


友人が一緒でした。近江神宮までは2駅先、行ってみることにしました。祭神は大津京を開き、日本で初めて漏刻(水時計)を作った天智天皇。昭和15年創建だそうです。近江づくりと言われる新しい神社建築様式とか。本殿・中門・拝殿が棟続きになっていて、回廊で結ばれていて…。あまりの立派さにただびっくり! 驚かされました。
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 秋明のころ

2015年10月19日 | 日々の暮らしの中で

秋晴れの一日。すっきりと晴れ渡ったが、夏日となるほどの気温の上がりよう。爽やかと言っていいのかどうか…。
10月30日から11月3日まで、若冲の天上画が信行寺さんで公開される。先日、奈良に住む友人からそれを紹介した新聞記事の切り抜きを差し出された。「行かない??」という暗黙のお誘いだったかな? 後日約束を交わし、ようやく日を決めた。

この絵のことは偶然だったが、見ていたテレビ番組で取り上げられたことで知った。本堂の戸の開け閉めでさえも風の流れが絵に悪影響を与える、といった気の使いようで、今回初公開になるはずだ。東大路通に面した門前を車では頻繁に通るが、そのような素晴らしいものを保存されているとは知らずにいた。
絵画好きの友人のこと、開催中の琳派展にお連れしようかと思ったが混雑が懸念される。それならと提案したのが京都御所の一般公開。まだ入ったことがないとのことで興味も湧いてか即決。セットで秋の一日を楽しめそうだ。

実は30日からは、東寺の講堂内に安置されている「立体曼陀羅」の仏像群が公開される。背後から拝観できるとあって個人的にはこちらに惹かれていた。一般公開を初めて以来50年で初めての試みだとある。公開期間がずっと長いので、ゆっくり訪ねてみればよい。それに30日からは秋の古本まつりも始まりまして~。嬉しい秋の深まりになるといいなあ、と…。
それまでに、やるべきことを形にしてしまいたい。そしてもうひと月かけて…と心づもりだけは怠りない。


比叡山を望む。8年ぶりだという「堂入り」の行者さんに思いがいく。


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 千日回峰行「堂入り」 

2015年10月15日 | 日々の暮らしの中で
  
                                        10.15 夕刊

「回峰行は満行した日数によって、身につけられるものが変わって来る。素足に草履ばきという姿から、三百日以降は足袋を許され、また、それまで手に持っていた未敷蓮華(みふれんげ)の笠もこの日から被ることが許される。
 護法の杖の携帯を許されるのは五百日満行してからだ。一度、杖を持つともう離せなくなり、なくてはならないものになるという。長さ二メートル、最大直径四センチの単なる棒ではなく、まさに行を共にする相棒となる。」
                   『ただ自然に 比叡山・千日回峰行 酒井雄哉 画賛集』より
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 一乗寺界隈を    / 「堂入り」記事

2015年10月14日 | 日々の暮らしの中で
比叡山とのつながりをどこかで感じるこの頃ですが、13日に千日回峰行で最大の難関と伝え聞く「堂入り」をされたという行者さんのことが朝刊で取り上げられていました。7年かけて行われる千日回峰行。700日を終えた行者さんが9日間お堂にこもる行は「明王堂参籠」と呼ばれ、この間は不動真言を十万回唱え、断食断水、不眠不臥、「生き葬式」とも呼ばれるそうです。無事満行すれば、21日未明に出堂です。
白装束は死に装束です。個人的には、『比叡山・千日回峰行 酒井雄哉 画賛集』でその厳しさと阿闍梨さんの人となりに触れただけですが、釜掘さんの9日間の満行を念じて…。

比叡山延暦寺の里坊は琵琶湖側の大津坂本に50以上あり、京都側にも一乗寺、修学院、黒谷、青蓮院、三千院、妙法院等々、至る所にあったようです。長い歴史の間に名前や宗派、役割まで変わってきているものの、かつてはみな延暦寺の山内寺院だと。


今日は、友人と一乗寺界隈を散策しようということになり、一乗寺下がり松のバス停で待ち合わせでした。北向きと南向きで、大した差もなく降り立ち合流、詩仙堂へ。

紅葉シーズンにはひと月は悠に早く、平日でもあって静かな時間が御馳走でした。丁稚羊羹を買って帰りました。大好き!
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 歩くこと

2015年10月12日 | 日々の暮らしの中で

スポーツ庁から2014年度の体力・運動能力の調査結果が公表され、朝刊で「70代後半体力また伸びた」の見出しで掲載されていた。

運動を「ほとんど毎日する」男性の73・9%、女性の60.5%が「休まないで1時間以上歩ける」と回答している。
高齢者と括っているのは65~79歳だと思うが、1時間以上休まずに歩ける人がそんなにいるのかと、実は正直驚いた。「ほとんど毎日運動する」ってのも、だけど。

ウォーキングが盛んだ。
天台宗、比叡山の修験行の回峰行は、歩くことが自己開発の修行であることの冠たるもの、だとか。

    【たよりない足で
     この世の一日を歩く】



 
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 「比叡山 みほとけの山」

2015年10月10日 | 展覧会

伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建立したのは788年のこと。
「山内には平安仏教の根本道場として多くの堂舎や山坊が林立し、膨大な数の仏像や仏画が造られ安置されていた。さらに広範囲にわたる山麓にも里坊や関連寺院が多く建立され、全体として巨大な霊山を形成した」
「お膝元の坂本・仰木・堅田、京都側の大原や八瀬、一乗寺にもゆかりの仏像や資料が多く伝来している」
大津市歴史博物館での企画展「比叡山 みほとけの山」の開催が始まった。仏像、仏画、叡山文庫の古文書や絵図など比叡山の仏教文化を一度この目で、と足を運んでみた。初公開のものが多いとあるが、個人的にはどれもが初めてではないだろうか。

遠く近く京都側から眺める比叡山は一見穏やかだが、比叡山には「3地獄」があるという。― 東塔 無動寺は回峰地獄(千日回峰行)、西塔 浄土院は掃除地獄(12年籠山…じっとしていると湿気が体に悪いので、体を動かすために山中を落葉一つなく掃き清める)、横川の北は看経地獄カンキンジゴク(3年 午前3時に起床し6、7時間経を読む)の3つ。
マイナス20度を超える寒さは厳しく、沸かした湯もすぐに凍ってしまう。皿に水を入れると雪印に凍る。そこに酒を入れると凍らないので、酔わない程度に酒で体を温めてよいのだそうな。酒は桑落と呼ぶ等々、ある講座を受講中に聞いたことがあった。

       「比叡山は健康地とは言えない」「60歳を過ぎたものは天台座主の許しを得、ふもとの坂本に下りて里坊に住むという風ができた」など、『街道をゆく16 叡山の諸道』で司馬遼太郎も書いている。近世以降は、座主も坂本の滋賀院御殿に住むようになって、坂本が叡山の首都のような形になった、とも。
三塔十六谷、比叡山全図など細かな図に目を凝らしていると目が、頭がくらくらするほどだったが、いかに貴重な資料かがうなずける。

日々眺め、近くにあってほとんど知らないお山の文化。一度拝観したところで何もわからないよな…。でも、一見に如かずって言うしね。

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 「来ぬかぁ 来ぬかぁ」に…

2015年10月08日 | 催しごと

中京区にある黄檗宗 医徳山薬師院で織田信長公ゆかりの来ぬか薬師如来像が1年に1度開扉されると知って、「来ぬかぁ 来ぬかぁ~」の声に引き寄せられるご縁をいただき参拝した。

「略縁起」によれば、【桓武天皇の御代782年、伝教大師(最澄)が16歳のときに彫られた七尊の薬師仏のうちの一仏が本尊で、延暦寺の根本中堂本堂と二体のみが現存している。
後白河院の世になって天下に疫病が流行り多くの死者が出た年、院主の夢にお告げがあった。一切の病苦の衆生 我の前に来たらば 諸病ことごとく除くべきに 「来也・来也(こぬか・こぬか)」と言われた。感涙し広く触れたところ、聞き知った遠国からの参詣人は群衆をなし、疫病諸病はたちまち平癒。みな白寿まで長生きしたのだそうな。そこで「来也薬師(こぬかやくし)」と称するようになる。
信長が美濃国の斉藤道三より伝来したこの如来像を京のこの地に移したものだと書かれてある。広かった境内は蛤御門の変でことごとく灰燼となり、明治22年に縮小して再興された】


 痛いところ、悪い所を触ってもらって、ご加持。中国語での読経も含め、黄檗宗の賑やかな読経の要素は初めて耳にした。
「人の言葉に素直に耳を傾けられる心が大事」「未来の自分を描きたければ、今の自分を見つめてみること。過去の自分を振り返れば、今の自分がいる。過去にも未来にも、あるのは今の自分…」。本山からの和尚さん、こんなことを話されたかな。
 そして今日は、2年間の修業を経て新しく住職につかれた若い和尚さんのご挨拶があった。30年前、父親がこの寺に来た時には屋根瓦は落ち本堂の床も抜けた、ひどく荒廃した状態だったとか。ここまでになって、3年前に父親が他界。後を継ぐべく本山の門前で5日間頭を下げ続け、ようやく禅の世界に入ることが許されのだとか。初対面の印象は、なかなか気持ちのいいご住職だった。

1時間半ほどのちご開扉、本堂内へ。両脇には日光・月光菩薩、御本尊は親指の爪の先ほどの大きさだと聞かされて、…眼鏡もなくって、…息災を願ってただ合掌。
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 「蚯蚓鳴く」?

2015年10月06日 | 日々の暮らしの中で

夕刻も4時を過ぎて、西日の木漏れ日がモミジを透かし映える山道を急いだ。足元の草むらにひそむ虫も鳴き声を増し、澄んだ声が沁み込んでくる。車の音もなく、風が冷たい。

静かな夜だ。ミミズの鳴き声が聞こえるなんてことはありえないだろうけれど…。
  【みみずは泥の中で
   何にも引っかからず
   するするとうごく
   修行しているんだと話してた】    そうか…。

実家に戻って8月に出産した姪っ子。3カ月余りを実家で過ごして、先週末に赤ちゃんと共に兵庫県の新居に帰ってきたという電話をもらった。
明日は、公民館で開催される若いママさん対象の集まりに参加しようと思っていると話していた。
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 「九転十起生」のヒロイン

2015年10月02日 | 展覧会

久しぶりにNHK連続テレビ小説「あさが来た」を楽しみに見ている。30分ぐらいあってもいいのにな、と思いながら。15分という小刻みな時間で毎日見るには、こちらに期待感がなければ、まったく見る気もしない。2014年の「花子とアン」以来だ。「ゲゲゲの女房」が2010年、2012年には「梅ちゃん先生」を見ていたようだ。こうしてみると、ほとんど見ていないのがわかる。

「あさが来た」のヒロインのモデルとなる広岡浅子という女性を知ったのは、2011年に『負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々 上下』(玉岡かおる)を読んだことがきっかけだった。
 満喜子15歳。当時の女子最高学府とされる女子高等師範学校に通い、新任教師の津田梅子との出会いの場面から始まっていく。富や地位があっても満たされることがない満喜子だったが、アメリカに留学して帰国後に建築家ウイリアム・ヴォ―リズと出会い、やがて結婚。満喜子の兄嫁の母親が広岡浅子という関係で、満喜子傷心の時にかけてくれたことばが生涯の指針となったとあった。
「負けんときや、おマキさん」 「あのな、勝とうとしたらあかんのどす。大阪は勝たへんのが華。相手を勝たしてなんぼが商売どす。けどな、負けへんのどす。絶対自分に負けんと立っとるのどす」。この言葉が忘れられずに「広岡浅子」の名は記憶された。


昨日、大阪へ行った帰りに、同方向に帰る仲間と大同生命大阪本社で開催中の特別展「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」を見に立ち寄った。たくさんの資料をいただいたが、目と鼻の先にあるデザインの美しい建物がその会場だったとは。
女性の社会的地位の向上のために専念しながら度々口にしていた言葉が、「個人の目先の欲望のためではなく、社会全体のために必要なことを使命として持とう」だったとか。「一人ひとりが社会のために為すべきことに、男女の別など存在しない」という思いで。

これはまだまだずっと先の展開。まずは、学問好きのお転婆娘が大阪の豪商に嫁ぐまで、どんなドラマに・・・。

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