京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

花園МVP

2017年01月30日 | HALL家の話

29日の日曜日、Tylerは花園でフットボールの試合があったようです。今日になって、「トライを3つ決めて、コーチからMVP賞をもらったよ」というメールが娘から入りました。

練習会場が家の近くだったとき、一家総出で練習を見に行ったことがありました。運のいいことにその日に、ミニゲームでトライするTylerの姿を見せてもらえたのでした。「ナイス、タイラー!」、と大きな声をかけてくれたのは同じチームの子のお父さん。本来は年少組なのですが、年長チームでプレイさせてもらっています。フットワークに始まり、基礎練習を重ねる5歳児です。

「コーチの言うようにしようと思ったんだけど、スペースがなくってできなかったの」。自分のプレイをこんなふうに振り返ったときがあって、考えながらしているんだ、と驚いたり喜んだりでした。身体の小さな子供たちを少し離れた場所から目で追いますから、我が子(孫)を見失ってしまうこともたびたび。コーチ陣も充実した大きなクラブです。父親に認めてもらいたくもあるのでしょうか。いいところを見てほしいのでしょう、頑張っています。

「ご褒美はいるでしょ!」という友人の言葉を思い出していました。ちょうど外出先でメールを受けたので、何にしようか思案し、書店に向かうことにしました。おもちゃはあふれています。仮面ライダーやジュウオウジャーを離れて、ここは絵本にしよう。母親に読んでもらえばいいのですから。これならTylerの大きな声も重なるに違いありません。決めました。

         

スポーツ、勝ち負けのあるものを、とテーマを決めての作品選びに、なかなか思うような一冊がなくっての選択です。どうかな…、気に入ってくれると思うんだけどな…。この余韻がまたいい。明日、送ります。
 
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「優れた読者」

2017年01月28日 | こんな本も読んでみた

「もし子供が『これを読んで』と本を持ってきたら、すべての仕事を投げ出して読んであげなさい。ここでは、それより大切な仕事は一つもありません」
これは、3年ほど前に東燃ゼネラル児童文化賞に決まった松岡亨子さんの言葉でした。「子供と本のことをよく知る大人が仲立ちさえしてやれば、こどもはみんな、優れた読者ですよ」

絵本の「そらまめくん」シリーズも好きなようで、寝る前には『そらまめくんのあたらしいベッド』」など3冊を抱えて「マミィちゃん、これ読んで」とせがむTyerの姿をいつも見ていました。ベイビー誕生後どうなったかな、とふっと思い出していました。寝る前の読み聞かせも減ったのではないでしょうか。もしそうなら、復活してほしいなあ…。
子供が本を読まなくなったのは、子供を取り巻く環境の変化にあると指摘する松岡さんです。「読書は本を読んだ後に空想したり、悲しい気持ちに浸ったりする時間も含めた“体験”であるべきなのに、今は忙しすぎて、ぼんやりする時間もないのでしょ」と。

環境と言えばです。クラスにある本は日本語で書かれたものばかり。友達が翻訳本を面白いと言って読んでいるので、その原書を買って内容を知るということがありました。Jessieにとって読書は今や英語でとなってしまっています。「面白い?」と聞いたとき、「うん」と言ってから「悲しいけどな」と反応が返ってきました。「読んでみる?」と聞かれたので丁重に遠慮したものでした。
読む本がないからと学校の図書室に英語の本3冊をリクエストしたら、早速に購入してくれたそうです。冬休み明けには3冊を返却のために持って出たのを見ていました。日本語での読書もできるくらいの力は期待していたのですが、教科書だけで精一杯なようです。

「よろず事足りぬがよい」と。事足りぬ不自由さのおかげで、リクエストという行為で本人を動かし、受け入れられた喜びも体験し、同時に、読書の楽しみも味わえることになったのです。ありがたいことに、環境が人を育ててくれています。

①一冊の本に「まごまご」こだわるのをやめる。②大量の本、ときには映画や音楽までやたら手を広げる。③それらがお互いに引き合う④そして時いたると一瞬にして一つにつながる、つまりは凍る⑤それこそが「知識」というものなのである。
と、幸田露伴の読書を分析して見せてくれている津野海太郎(『百歳までの読書術』)。自分の読書もこの系譜に属すとして、「お祭り式読書法」と名付けて。

            
私も八方に広がる傾向はあるが、なかなか④⑤となると…。それに早いこと言えば乱読ですが、津野氏を真似て、「知識」までの論に力づけられておこう。乱読の一つ、しばらく前に好奇心からだけで古書市で買っておいた『比叡』(瀬戸内晴美)、ようやく読み終えたところです。

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「この世界の片隅に」

2017年01月25日 | 映画・観劇

「『この世界の片隅に』が今年度のキネマ旬報一位になりました。見てなかったら行きませんか」
こんなメールに誘われて、今日という日を待った。

友人は、昨年11月の毎日新聞掲載記事「失われた町の営み描き 原爆投下前の広島と呉」とした切り抜きをコピーしてきてくれていた。「全国60か所で始まった上映が、最近では200カ所と増えています」と言っていたのは10日ほど前だったから、現在ではさらに増えているのだろう。呉の地元ではロケ地を“巡礼”するファンもいるらしくて、ロケ地マップが作られているのだとか。それを親戚に頼んで送ってもらったと話す。今日で3回目になる友人は多弁で、やたら熱く語ってくれる。

彼女ほどには興奮しないが、じんわり受け止めていた。涙がこぼれることはなかった。
あの時代、主人公・すずの日常と大きく変わらないたくさんの日常があったことだろう。そのすべてを失う戦争の悲惨さを正面切って突きつけるものではない。時代を超えて、すずと共に作品の中を生きることで、そうか、なるほど、ありうるかもしれない、などとうなづけることもあるし、共感も生まれた。慈しみのあるぬくもりを感じさせてくれるラストだった、かな。

「一つの絵を描くために膨大な資料を集め、架空の街ではなくしっかり当時の生活を再現した」「何度も書き直した。プロが描く一枚の絵が記憶を喚起し、忘れていた思い出を話す人もいた」「一人一人のささやかな記憶を大切にすることで70年後の今に伝わる街の存在感を描き得た」、と記事にはある。「製作資金を市民から募ったところ、わずか8日で目標額2000万円に達した」そうだ。

すずがもし生きていたら91歳。父親の年代だと友人は言った。私も“あの日”広島にいたという叔父を思った。すずは決してお話の中だけの架空の人物ではなく、感情を共有できるし、身近な人に想像を重ねることもできる存在だろうか。





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「ふろふきの食べかた」

2017年01月23日 | 日々の暮らしの中で
          ふろふきの食べかた

       自分の手で、自分の
       一日をつかむ。
       新鮮な一日をつかむんだ。
       スがはいっていない一日だ。
       手にもってゆったりと重い
       いい大根のような一日がいい。

       それから、確かな包丁で
       一日をざっくりと厚く切るんだ。
       面とりをして、そして一日の
       見えない部分に隠し刃をする。
       火通りをよくしてやるんだ。

       そうして、深い鍋に放り込む。
       底に夢を敷いておいて、
       冷たい水をかぶるくらい差して、
       弱火でコトコト煮込んでゆく。
       自分の一日をやわらかに
       静かに暑く煮込んでゆくんだ。

       こころさむい時代だからなあ。
       自分の手で、自分の
       一日をふろふきにして
       熱く香ばしくして食べたいんだ。
       熱い器でゆず味噌で
       ふうふういって。

雪の舞う一日でした。今日は長田弘の「ふろふきの食べかた」という詩を、ふうふういって熱々をいただきました。
                                                   
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大寒の今日

2017年01月20日 | 日々の暮らしの中で

「冬の北びわこ周遊観光キャンペーン」のパンフレットや「ひな人形めぐり」の案内などが「滋賀県」と大きく印刷された封筒に入って送られてきている。時折取り出しては眺めてみているが、こんな寒いさなかに、と思うと興味はあっても足が向かないものばかり。
「2月5日・スノーシュー感動体験 冬の賤ヶ岳に登る」というコースは毎年人気だそうな。よく見ると健脚向きで歩程は約8キロとある。雪山を、とても無理。季節がよくなったらリフトを含めて登ってみたい。3月の、長浜から菅浦集落・竹生島へと渡るコースには気持ちが動いている。

孫二人を連れて、5日に竹生島を目指した。近江塩津行き電車に乗って、長浜駅まで余裕をもって出向いた。お弁当を買って船の中で食べようと楽しみにしながら。ところがこの日、前日までとは打って変わって北風が強く、12時45分の便は出航が取りやめになってしまった。は~るばるきたのに~~、仕方がない。弁財天のおはす島、“マダムアイランド”と命名してJessieは楽しみにしていたが、一方のTylerは「船に乗らなくてああよかった」とわけのわからないことを言う。「帰ろう帰ろう」と。どこまできたと思っているのやら。

肌を刺すような、雪が降る前の厳しい寒さを体感しながら北国街道に沿って散策したり店内をのぞいて暖をとるなどして過ごし、豊公園に行ってみないかという私の提案は軽くいなされ帰途についた。再度、今度は今津港からの便で竹生島に行くのも手だなと思い、いつにしようかと楽しんでいる。

『湖北の光』の壽岳章子の文章に惹かれ、素晴らしく風情ある絵(沢田重隆)に見惚れつつ、できればたとえ一泊でも宿を取ってなどと夢を見ていた。
  【とにもかくにも、高月なども含めて木之元-余呉とつながった一帯はほんとうに心静まるよき土地である。北国街道という糸で連ねた真珠の首飾り   にも似て、それぞれの可憐でおだやかな光を内部に秘めた魅力は言葉に尽くしがたい】
  【ほとんど満月の白銀の光は、大空にも湖面にもきらめき渡っていた】
  【ありがとうありがとうひとり呟きながら小一時間、私は椅子に腰かけて眺めたりもの思ったりした。死んだ親たちのこともおのずから思い出され    た。七十年の私の歳月もおのずと浮かび出た。祈りにも似て、私は凝然と座りつづけていた】

金曜日。仏滅大寒。
今日はアマゾンで5冊もの本を注文した。午後から出かけた先の書店でも新たに2冊購入。一度には珍しいことだが、またこの一年、どんな本にどれだけ出会えることだろう。
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雪大文字

2017年01月17日 | 日々の暮らしの中で

朝方は昨夜からの雪もかなり積もっていましたが、日差しも出始めて、雪解けの水が道路の端を歩く頭にぽっつん!

今日は、光田和伸先生の『おくの細道』の補講日でした。
140日ほど費やした旅の費用は、今に換算して約300-500万円ほど。それを負担したスポンサーは、水戸藩3に対して大垣藩が7かとお話でした。ゴールは大垣です。曾良は伊達藩の内情を調べるという仕事も終えて、体調の回復を待って一足先に大垣へ。曾良と分かれた芭蕉は加賀から越前の国に入り、今日は永平寺、福井、敦賀と旅してきました。旅の真実に迫る講座のゴールももうすぐです。

てんこ盛りを嫌い、最小限のもので読者に提供する工夫。無駄を省く。しかし、潤いが無くならないように歌枕など多く引用した漢文調の文体がテンポよくて、その意味ではとても気に入った段でした。和漢の数多い文学作品を背景にしたり、引用の豊かさなど、素晴らしい教養人なのだと改めて痛感する芭蕉です。


終了後は京都御苑を蛤御門へと抜けるように歩いてみました。雪大文字を見てみたかったからです。     

          雪大文字に千切りを炊く匂い      

西野文代さんにこんな一句があります。厳しく冷え込む雪の日の夕餉のおかずなのでしょうか。狭い路地(?)のどこからか切り干し大根を炊く、あの独特な匂いが漂ってくると想像するのも、つつましやかでも温かな生活が好ましいです。


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2017年01月13日 | 日々の暮らしの中で

昨年9月、Tylerの誕生日にチューリップの球根10個を贈りました。
それからひと月ほどが経つころ。だあれも手を付けずにそのまんま袋に入れて放置してあったので、結局私が植えることになりました。Tylerの手を“借り”ながら、プランター2個を使って埋めたのでした。そして如雨露で水やりをしてもらうまでが彼の役割分担でした。

プランターはJessieの部屋側のベランダに置きました。芽が出ているのを発見したのも私でした。嬉しくて嬉しくて、すぐにTylerを呼びました。「1、2、3、4、5」と一緒に数えて、彼は弾んだ声で言いました。「3つ芽が出てるなあ」って。なんやて!? 今は7つの芽が出ています。

凍てつくような土の中にあって、けなげに土をかき分けた緑色の芽。チューリップはチューリップとしての命を力強く生きているのだなあ、と感動します。木下利玄にこのような歌があります。

     牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置の確かさ

春になって、「チューリップ」という花の形を成したとき、この命は5歳児に何かを教えてくれるのでしょうか。何を感じ取ってくれるのか、楽しみにしてみます。

         Lukasも順調です。
                                          (どちらの写真も1月8日のもの)

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ただひとり生まれしゆえに 九条武子

2017年01月11日 | 展覧会

西本願寺第21世大谷光尊師の次女として生まれ、やがて男爵・九條良致(よしむね)と結婚した九条武子。没後90年にあたり、龍谷大龍谷ミュージアムで特集展示「追慕抄 九條武子」が始まりました。

長谷川時雨は、「美人とは何よりもまず内面の放つ精神美」と認識し「いかなる階級からも真珠を見出してゆこう」と、多くの美人伝を綴ってきたようです。『評伝 長谷川時雨』(岩橋邦枝)を読んだことがありましたが、そんな彼女をして、「人間は悲しい。率直に言えば、それだけでつきる。九條武子と表題をかいたままで、幾日もなんにも書けない。白いダリアが一輪、目に浮かんできて、いつまでたっても、一字もかけない」と書き出させたそうです。このことは松岡正剛氏が書いておられます。
内面の美に加え、見た目の美しさも素晴らしい。フェイスラインの美しいこと。

真宗婦人会の総裁代理として各地を巡教し、女子教育にも尽力。東京・築地別院で関東大震災に見舞われながら、被災者や遺児、女性のためにと支援活動を続け、1928年2月7日、敗血症のために42歳で亡くなりました。

2歳年上の柳原白蓮との交流もあって、美貌のツーショット写真が展示されていました。大正10年、別府の伝右衛門別邸に白蓮を訪ねたときでしょうか。
     〈やわらかき 湯気に身をおく われもよし
           今宵おぼろの 月影もよし〉 

歌集「無憂華」「金鈴」「薫染」「白孔雀」の装丁も美しい。装丁は美しいのですが、収められた歌は…。

    百人(ももたり)のわれにそしりの火はふるも
         ひとりの人の涙にぞ足る    

    ただひとり生まれしゆえにひとりただ 
         死ねとしいふや落ちてゆく日は

〈慈善活動に込められた、み仏のこころ〉とあります。
ちょうどミュージアムの向かいにある西本願寺では、御正忌報恩講法要が務まっています。本願寺さんの報恩講に参拝するのは初めてのことでした。
法話をいただき、西洋音楽的な和声を伴った器楽が添えられた宗祖讃仰作法(音楽法要)では、頂礼文や正信念佛偈、恩徳讃(おんどくさん)などを唱和しました。恩徳讃はあらかじめ何度も練習でした。
  
   如来大悲の恩徳は
   身を粉(こ)にしても報ずべし
   師主知識の恩徳も
   ほねをくだきても謝すべし

恩徳讃を唱えながら心に染むものがありました。そして、今日は新しい体験をひとつしました。楽しい毎日は自分で作る、こんな言葉が心にかかっているところでした。よい一年にしていきたいものです。
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