ふわっと、馬酔木の葉も雪化粧の朝だった。
馬酔木と言えば、奈良公園の一角、春日大社に近い“ささやきの小径”だろうか。
両脇に古木が生い茂り、頭上には愛らしい提灯の花が咲き競う、二人連れには恰好なロマンチックな小路。
昨年初めて手に入れた馬酔木の鉢植え。綺麗に咲いて欲しいと、せっかくの薄化粧だけれど、払い落としてやった。冷たかろう~。
橘曙覧の言う「たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花咲ける見る時」。やがては融けてなくなる、ほんの数時間の美しさを愛でる思いと似通うものがある。
と、雪を風流の楽しみとするのは温暖地の人だ。
雪国の人にとって雪は苦痛そのもの、そうした生活の実録に越後の文人鈴木牧之の「北越雪譜」があるのを知る。家の造作をはじめ、種々の工夫を要し「万事雪を禦(ふせ)ぐを専らとし、財を費やし力を尽くす事、紙筆に記しがたし」。一年のうち、「雪中に在ること凡そ八ヶ月」、「全く雪に蟄(こも)るは半年なり」、と。
「雪蟄」(せつちつ)は、「雪蟄 ゆきこもり」と読まれる章立てになっている。
そのご苦労、辛さ苦しさは実感し切れないのが実際だけれど、気持だけは寄せていたいと思う。