京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 薄化粧

2012年01月30日 | 日々の暮らしの中で

ふわっと、馬酔木の葉も雪化粧の朝だった。

馬酔木と言えば、奈良公園の一角、春日大社に近い“ささやきの小径”だろうか。
両脇に古木が生い茂り、頭上には愛らしい提灯の花が咲き競う、二人連れには恰好なロマンチックな小路。
昨年初めて手に入れた馬酔木の鉢植え。綺麗に咲いて欲しいと、せっかくの薄化粧だけれど、払い落としてやった。冷たかろう~。
橘曙覧の言う「たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花咲ける見る時」。やがては融けてなくなる、ほんの数時間の美しさを愛でる思いと似通うものがある。
と、雪を風流の楽しみとするのは温暖地の人だ。

雪国の人にとって雪は苦痛そのもの、そうした生活の実録に越後の文人鈴木牧之の「北越雪譜」があるのを知る。家の造作をはじめ、種々の工夫を要し「万事雪を禦(ふせ)ぐを専らとし、財を費やし力を尽くす事、紙筆に記しがたし」。一年のうち、「雪中に在ること凡そ八ヶ月」、「全く雪に蟄(こも)るは半年なり」、と。
「雪蟄」(せつちつ)は、「雪蟄 ゆきこもり」と読まれる章立てになっている。

そのご苦労、辛さ苦しさは実感し切れないのが実際だけれど、気持だけは寄せていたいと思う。




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 これも日常

2012年01月28日 | 日々の暮らしの中で

今夜はNHKでドラマ「キルトの家」を見ていました。
と言っても、いつの間にか始まっていて…、つまり、居眠りをしていたようで… 。

特別なにをしたということもない日でしたが、「拍手」と言う言葉で一人連想ゲームをしておりました。とりあえずなんでもメモ書きです。
客席からの拍手が、桂吉朝さんへの「惜別の拍手」となってしまった高座を取り上げた小文を読んだ朝でした。こうした拍手にめぐり合わすことも、あるかもしれません。

読みたくて読んでるわけではない曽野綾子著『人生の旅路』。
 【人の(日本国民の)金を他国に貸して、どうなったかの報告書も手にしていない。… 私などにはとうてい理解できない。… 報告書などなければ、次の金など貸さないものだ。それが人間世界の常識だろう。…国家や大きな国際機関なら、報告書もなく、経理の監査ができなくても仕方がない、と思うのがおかしい。】
電車の中で思わず拍手したい気持になったことを、思い出しました。
なにやら、議事録がないという頭を傾げたくなる重大問題が生じています。「物事は記録せよ」と説かれた梅棹忠夫氏の言葉を突きつけたい思いがしますが…。
                 
午後、一時間歩きに出ました。時折時雨れる冷たく澄んだ空気の中で、体が、足取りも軽いと感じられるこの頃です。

特記すべきこともない暮らしのほうが多いのでしょうが、それでもよい一日でした。
少し疲れて、夜の居眠りでした。
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 「まなざしを変えてみよう」

2012年01月26日 | 講座・講演

「みすゞさんのまなざし」と題し、金子みすゞ記念館館長・矢崎節夫氏のお話を聞く機会に恵まれた。
簡単なメモ、箇条書きっぽく筋が通らぬ部分もあるかと思うのですが、心に残ったことを少し…。

仏教用語の「身口意(しんくい)」を引かれたお話があった。
「身」「口」「意」、「身体の働き」と「精神活動」との真ん中に位置する「言語活動」。言葉の大切さを説かれる。

汚い言葉を使えば、まず自分がそれを聞く。やがて心に積もって、発散される。けれど、美しい言葉で心を塗りなおすこともできるのです。言葉を削ると、思考も削られ、心も育たない。心は自然に育つのではなく、親(周囲の者)によって育てられるのです。

子供に向かって、あなたは私の「宝」だと言っていますか? (自分が宝だと聞かされて育った子は、他人を大事に思える)
転んで痛い~と泣く子に、「痛くない!」「泣くな!」と言っているのでは?
子供が「おはようございます」と挨拶をしているのに、大人は「おはよう」と返事をしていませんか?
まなざしを下げなくては…。ここには“こだまさない”私達がいます。

「痛い」と言えば「痛いねえ」と受け止め寄り添い、痛さを半分にしてあげる。相手を受け入れ、認め、抱き締めること。「遊ぼ」と言えば「遊ぼ」と返す。“こだます”のです。
「あなたがいて私がいる」。「私」を「私」成らしめてくれる「あなた」の存在の大切さに気付き、自己中心・人間中心だったまなざしを「あなたと私」に変えてみましょう。
「優しい」とはどういうことか。「憂い」を持った人がいたら、隣にたって(「人」)寄り添うこと、こだますること、共に生きることです。


たくさんのことを問いかけられた。「金子みすゞ」についてどなたかにお話をうかがうのは今回が初めてだった。よい機会を与えられたと感謝している。

心がわくわくしていると、実年齢は下がるそうです。私の顔を見てくれるのは「あなた」なのですから、少しでも柔らかい表情を!…と。
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 泉鏡花の世界

2012年01月23日 | 映画・観劇

朝、いつまでも腰をあげることなく、テレビもつけっぱなし状態の日が多くなってしまったこの頃。そのせいで、今頃になってこの一週間、朝の連続ドラマ「カーネーション」を見ることになった。なんとまあテンポのよいしゃべりかと驚かされて…。大阪人はこんなに歯切れがよく、こ気味よいほどにポンポンとした物言いをするのだろうか。誰かをモデルにしたものなのかと尋ねるほどだった。

今朝ものんびりしていたら、映画に行こうとのお誘いがかかった。大抵は即答だ。けど今日は一瞬迷いが生じた。とても映画に行っている場合ではない、よなあ…。やらねばならないことができていない。今日明日でする予定だった… けどなあ… まあいいか~…。
結局、待ち合わせ時間を決めた。あたふたと支度して飛び出して、帰宅してみたら5時に近かった。

数日前、新聞で見かけたシネマ歌舞伎上映開始の案内を、大事に切り抜いておいた。泉鏡花作品『天守物語』(1月)、『海神別荘』(2月)、『高野聖』(3月)の三作が順次上映される。見逃す手はない。ちょっとタイミングが悪かったけれど、見たかったのだ。

幕は上がって
「餌は白露」「千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山(たんと)欲しがるのでございますよ」と侍女たちは「お天守の五重から釣を」している。言葉の美しさが感じられて心地よい。

「奇異妖変さながら魔所のように沙汰する天守」に住む異界の富姫(玉三郎)。
「美丈夫、秀でたる眉に勇壮の気満つ」る、凛々しい若き鷹匠・姫川図所之助に海老蔵さん。

「真の恋は心と心…」「千歳百歳(ちとせももとせ)にただ一度、たった一度の恋だのに」「あのお方を 私にくださいまし」富姫だ。
文章を読む以上に美しいセリフとなって繰り出される言葉が印象深かった。
人間は疑い深い、卑怯で臆病でわがままだ。昨日今日、今までもお互いに友と呼んだ人たちが、手の裏を返すように刃を向ける。鏡花は富姫にそんなことも言わせながら、やはり「幻想的な」と言う表現が一番似合うのか、終りよし・・・。

 恥ずかしそうに見える きまりの悪そうに見える が、やっぱり嬉しそうに見える 
 はっはっはっは 睦まじいな、若いもの

無性に焦りを感じるばかりで何も手につかない。こりゃあかんわ…。今夜は諦めて明日に勝負をかけて~、でよしとしよう。






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 初弘法へ

2012年01月21日 | 催しごと

その昔、平安京の南の果て、朱雀大路が九条大路に突き当たるところに羅城門があった。

「その羅城門(羅生門とも書く)を、思い切って再建したらどうか。候補地の一つとして、京都駅で下車して外へ出ると目の前、真正面に、朱塗りの青瓦の美しい羅城門が平安京さながらに堂々と立っている。大きさはもとの3~5倍、門をくぐって車が自由に往来できるようにする。日本映画が国際的に高い評価を得るようになったのは、映画「羅生門」のおかげなのだから、まず映画関係者の方々がその資金作りの努力されるのが順当であろうと思うが…、」
梅棹忠夫氏だ。昭和32年にNHKのラジオ番組で語られたらしい放送原稿が収録されている。

この朱雀大路を隔てて官立寺院が二つあって、それが左京の東寺と右京の西寺(今は碑のみ)であった。
「東寺」は「’トおじ」か「と’オじ」なのかと、京都駅から近鉄電車に乗ってからは聞き耳を立てていたが、車内放送は「トおじ」だった。京都人は「とオじ」と「オ」にアクセントを置くと耳にしていたが、私と同じ「トおじ」派だった。「次はトおじに止まります」

 
朝は上がっていた雨だが、京都駅に着く頃からまたポツリポツリと始まって、最後まで傘をしまうことはなかった。今日はお大師さまの日、それも一年の最初なので初弘法と言われる大きな縁日が開催された東寺。一年の健康を願ってまずは参拝の後、ぶらぶらと見歩いた。

「これどこの国のものですか?」と若い女性が問いかけたが、首をかしげただけの店主。「わかりませんのォ」 やり取りを聞いていた。
「そこらのものは千円でいい」「今の断捨離で…」と聞こえてきた。買い取った不用品を値段をつけて売っているという感じだ。お土産ででも買ったか色褪せたコケシ、バラになった雛人形。値段を聞かれて、「それ?それは、…3000円!」なんて調子で言われると、それが妥当なのか否か疑わしく思えてしまう。だから買えないのかもしれない。

私はいつもこうして人の姿を覗き見ては密かに愉しんでいるだけのようだ。
「今日はさっぱりや!」 怒ったようにぼやく女性の声がした。

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 お金を使わない日

2012年01月20日 | 日々の暮らしの中で
 

「無買日」というのがあるという。
カナダのアーティストらによって創設された、ずばり、物を「買わない日」ということだ。過剰な商業主義への否定的な主張。日頃の行き過ぎた買い物習慣を見直して、この日一日はお金を使わないで過ごそうという趣旨のものらしい。これが物を減らすことに驚くほど役立つといった人もいる。

自分にはそういう日が以前からあることに気づいていた。結果的にそうだったわけだが、今では意識的に実行することもあるくらいだ。
物を増やさないためにというより、ただ単にお金を使わないで済ませてみようと。
当然買い物はしない。あるもので食事の工夫すればよい。突発的に必要品が出たとしても極力明日に回して、とにかく今日一日は買い物をしないと決めて暮らす。ただ、必要不可欠なもの、例えばトイレットペーパーだったりしたら? これはもう諦めるしかないだろう、挑戦を。

外出での交通費も含むので、電車やバスの運賃を払えない。外食、コーヒータイムなどもちろんアウト。となると、行動範囲は狭くなりそうだが、遠出せずとも済むならそれもよし。私の場合、車でなら足だけは伸ばせる。ガソリン代??給油しなければいいの。
ああ~、あんまりみみっちいことを言い出すと嫌気もさすが、愉しんでやってみたらいいのではないのか。

買いだめ品もほとんどなく、もともと物が溢れかえっている状態ではないので、暮らしをすっきり片付けようという狙いは自分にはない。
お金を使わずにどう暮らせるか、たまには試してみると、割りと簡単にできることにきづかされると思う。

「無買週間」こうなると… ちょっとね… 。
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 お先にどうぞ

2012年01月18日 | 日々の暮らしの中で

昼の時間が延びてきていて、夕方にカーテンを閉める時間もわずかに遅くなってきた。縮こまった背筋も思わず伸びるほど、朝から日差しのせいで明るい。あ~、春は来るな、と実感させられる一日だった。

半月ぶりにやって来たウォーキングコース。すっかり葉を落とした細い枝々の先に、赤みを帯びた小さな芽がスクッと勢いづいている木がある。こんなところにドウダンツツジがあったのかと、今更ながらに気がついた。ところどころのベンチでは日向ぼっこをしている。風はない。足取りも軽く、4周クリアーをめざしてスタート。

すぐ後ろで足音が聞こえていた。気付いてからしばらくになるが、間隔は変わらないのだろうか。と、並んだ。追い抜いていくではないの!
フードをすっぽり被っていたが、女性だとわかった。両手を大きく振り、膝をしっかり伸ばして、歩幅が大きい。歩くお尻がプリップリッとしてるところからして、若いな!? フォームは、まるで軍人さんのパレード並みだ。あのね、登りは少し歩幅を小さくね~。

追いつかない悔しさが、あれこれつぶやきに変えるのかもしれない。音楽など聴きながら、もったいないなあ~。鳥が鳴いているわ。魚が跳ねてる。水鳥が水面を飛び立っていく。道を踏みしめて歩く足音も、木々の梢が揺れ、空気の流れる気配…、なんにも聞こえないでしょうに~。

闊歩する姿が遠ざかると、そうした人のことなどどうでもよくなった。
いまだ修行が足りません。平静さを失わないようにしなくては!?
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 都大路を駆け抜ける

2012年01月15日 | 催しごと
                          3区を走る中学生
都大路を駆け抜けるランナーを間近に見た多くの若い子供達が、いつしか自分の目標として夢を育んでいく。そんな素晴らしい機会に恵まれる京の地で、第30回全国女子駅伝が開催された。

昨年は雪が残る厳しい寒さだったが、初めて沿道での応援を体験した。願わくばテレビ中継の画面に入り込みたいという下心もあった。その当たりに関して言えば、チャンスがあれば…程度に収まっていたが、やはりもう一度沿道に!と言う思いは強かった。

風を切り、目の前を通り過ぎる女性ランナーの息遣いがしっかり聞き取れる。タスキに手をかけ手渡す仲間を見据えて走る、その最後の力をふりしぼる声が耳に届くと自然と心熱くなるのだった。

                          アンカーが待つ第8中継所手前で
トップにいようと、必死に追い上げるチームであろうと変わりはない。一人ひとりに声援を送りたくなるのは、沿道に立っているという興奮からも倍増するかもしれない。無論今まではテレビ観戦だったし、充分に進行形で心もウルウルして見ていたものだった。でもね、感動ははっきりとひと味違うのに気付かされのだ。応援の楽しさを実感している。生のドラマに魅せられて大きな大きな拍手を目いっぱい送った。

どれだけ多くの支えを得て一人ひとりの選手がこの大きな晴れ舞台に登場してくることか。家族はもとより、脚本、監督、チームとしての共演者、照明係りに小道具さん、沿道の観衆までもが一体となってこの日を支えるわけだ…。そして名所旧跡、歴史を感じさせるこの京の町並みの力も。

今日の幕は下りたが、また来年の新たな舞台に期待したい。素敵な楽しい一日をありがとう~。


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 ドラマ「とんび」

2012年01月14日 | 日々の暮らしの中で

重松清原作のテレビドラマ「とんび」を二週にわたって観ていた。

2009年に息子が帰省したとき読んでいたのだが、それを一年後に私が読んだ。彼が「感動する」と漏らしていたからだった。時代背景も家族の形態も異なるが、ヤスさん28歳、同年代ではあった。ひと悶着あって我が家の息子も進学で東京に出た。
どうしてこの一冊を手に取ったのかを聞くことはなかった。父と息子…、ただひと言漏らした感想がすべてなのだけれど…。
このお正月に、『とんび』がこうしてドラマ化される話をしたが、そのときは、「小説だとおもうけど、涙が出るな」と言葉が返ってきた。

息子のアキラが入社試験で書いた「父の噓」と題した作文。自分はお前らのふるさとだ、最後に帰ってくる場所だという父親ヤスさんの言葉。
やはり涙が出たわ…。 
息子が父と過ごした日々…。はやく父親になってほしいなあ、なんて思うのだ。
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 一年生になるから

2012年01月13日 | 日々の暮らしの中で

気分転換を兼ねて少し車を走らせて遠出した。Jessieのお祝いの品探しが最大の目的なのだが、思いつかないままに…。車を止めて琵琶湖の風に吹かれ、遠く比良の山並みを眺めた。

「湖に張り出している橋の先に浮御堂があり、その欄干にもたれて遠山耿介は暮れてゆく琵琶湖を眺めていた」
辻井喬著の『比良の青春』という短編がある。その冒頭だ。昨年の「文学界」2月号で初めて氏の作品に触れた。本名は堤精二。『負けんとき』の主人公一柳満喜子の家庭環境に負けず劣らず、精二氏の父親には5人のお妾さんがいて、5男2女をと…。
浮御堂のある堅田は対岸だが、ここからは少し位置もずれて距離がある。

今月末にはJessieも「小学校一年生」になる。
♪いちねんせ~に なったら~ などという日本的な晴れがましさもなく、プレップからの「進級」程度でしか捉えられていないようだ。だが、離れてはいても小学校入学は一つの大きな喜びごと。何かお祝いをしたいと思うのだが、決めあぐねている。

           
             小さく見えるが、中身の倍以上もありそうな大きな袋~

で、肝心のものは後回しになって、予定外に服の一枚二枚三枚…につい手が出てしまった。
孫のものとは言え、普段は決してむやみに買うことはない。
今でしか買えないという事情もあって、季節的に特別、なの。
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 夢の続きを

2012年01月10日 | 日々の暮らしの中で

「Tylerが寝返りをした!」「なんか歩きたそうやわ」

そんな話を娘から聞かされた今日、まあ、何の脈絡もないのだけれど、私も重い腰を上げなくてはいけないと思った。そして、2月18日に実施される熊野古道を歩く11回目に参加の申し込みを済ませた。これでいよいよだ。

本来ならこの1月をもって完歩の予定だったが、ずれが生じた。
新しく出会う人たちと残る4回を完歩に向けて辿る。2月・3月・4月、そして最終の5月には1泊ののち熊野本宮大社参拝でゴールだ。

長年の願いだったのだから、悔いを残すのも惜しい。まだ、今年なら何とか体力も持ちこたえそうだ。
健脚ぞろいの中にいて、「あ~つかれた~」のひと言を飲み込むようにして何ごともない素振りでバスに乗り込む。ドッカと腰を下ろせば、あとは爆睡の帰途につくのが毎回だった。

でも、立松和平さんは言われるのだ。
「道は一歩一歩あるくものである / 心を凝らして泥を踏みしめていけば / 路傍の花や小さな虫の世界も見える / ゆき交う人と感情を共有することも…」と。初めての体験で楽しさも満ち溢れていたことを思い出そう。夢の続きに向かって…。
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 「負けんときや」

2012年01月09日 | こんな本も読んでみた

玉岡かおる著『負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々』(上巻)を、時どき居眠り付きで読書三昧に過ごした成人の日でした。

「滋賀県近江八幡市」にある「メンソレータム」で知られる「近江兄弟社」「ヴォーリズ」と聞けば多少の知識はある。だが、このアメリカ人の建築家ウイリアム・メルレ・ヴォーリズの妻、満喜子さんの生涯については知るところではなかった。
播州小野藩の最後の大名の娘として生まれた一柳満喜子(1884~1966)の、夫を支え教育に情熱を注いだ生涯が描かれる。

満喜子15歳、小野藩の元江戸屋敷の「我が家」から当時の女子最高学府とされる女子高等師範学校に通い、新任教師の津田梅子との出会いの場面から始まっていく。富や地位があっても満たされることがない満喜子に、生き甲斐は感じられない。自分の思いを殺し、自ら何も求めることをしないではないか。幼馴染との恋もなくし、傷心のまま明治42年25歳の夏、一歩を踏み出して一人アメリカ遊学に発った。

人の一生は一筋縄ではない。誰にでも唐突で予想外のことが訪れるし、思いもかけない出会いがある。
「負けんときや、おマキさん」
「あのな、勝とうとしたらあかんのどす。大阪は勝たへんのが華。相手を勝たしてなんぼが商売どす。けどな、負けへんのどす。絶対自分に負けんと立っとるのどす」
満喜子傷心の時、兄嫁の母・廣岡浅子がかけたことばは生涯の指針となったという。

この続きを楽しみに、明日には下巻を買いに行かなくては。

 
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 「封印された実話」… 

2012年01月07日 | 映画・観劇


映画、王兵(ワン・ビン)監督の作品「無言歌」を見た。

文化大革命の隠された悲劇。
1956年、毛沢東が、未来を思い自由にいきいきと発言することを歓迎すると言ったその数ヵ月後、「反右派闘争」と称する弾圧が始まった。思惑を越え、党支配の正当性にまで及ぶ批判が噴出したとある。55万人と言われる右派分子とされた人々が送られた再教育収容所。ゴビ砂漠の収容所では、農場作りの強制労働に従事させられ、食料さえも飢饉続きでほとんど当たらない。

スクリーンには、極限の状況を生き抜いた人々の尊厳のために… と言った言葉が示された。
そうした彼らによる証言や証拠からも、この時代の未曾有の悲劇の根底には圧政、恐怖、組織的暴力があったことが実証されるとしている。今なお名誉回復がなされてはいない人たちがいるのだという。    (…パンフレットを参照しながら)

食料が底をつき、その代用のものを探しに外へ出た。ポスターのこの男性は、厳しい寒さの中這いつくばりながら枯れ草をちぎり、砂埃を払い胸のポケットにしまっているのだ。「それでも、人を想う」…。

息が詰まる。肩に力が入ってしまうのをほぐしながら見た。自分がどんな年代を過ごしていたかと考えあわせていた。
中国本土での上映は禁じられているそうだ。
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 昇り龍…

2012年01月06日 | 日々の暮らしの中で
大きく風はらみ、ぐんぐん大空へ昇りゆく・・・ ああ~、私は凧の話をしたいのではありません。 


                      
今年の干支とはささやかな関わりのある山号です。「龍○山」 (↑Jessieの頭)
高く美しく舞い上がる、そんな力を与えてはくれないものだろうか…。どうも停滞気味だ。


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 穏やかに三が日が…

2012年01月03日 | 日々の暮らしの中で

「これあげる」と言って、帰りしなに息子から手渡されたかわいい箱。帰ると言う日まで忘れていたのだろうか。なに…?
「おいしいよ」と、ただそれだけだった。

入っていた案内書から、真っ白い粉糖に包まれて、くるみがたっぷり入ったクッキーだとわかった。
西光亭さんの商品は、「芸能人ご用達お土産ランキング」2位のものがあったり、「はなまるマーケット」で紹介されたりと人気らしい。このくるみのクッキーは「贈って喜ばれるスイーツランキング」1位に選ばれたという。な~るほど、息子が好きそうな話題だ。

年末年始を一緒に過ごした息子が昼前の新幹線で帰るので、改札口まで送ることにした。「ありがとう」と言うから「うん。身体に気をつけてね」と声をかけて、後姿を見送っていた。去っていく。このまま行ってしまうかな?振り向くかな?と考えながら、立っていた。やはり、振り返った。手を高く大きく振って、送り出した。

「親」、親はいくつになっても「木の上に立ち、子を見守っている」つもりでも、いつしか親子関係にも変化が…。そうは言っても、まだ木に上ろうと思えば上れそうだけれどね??

              
どれどれ…と一つ頂戴したところ、むせって白い粉がパソコンに!! …欲深に独り占めを図ったせいだ。粉にまかれて、よくわからんお味でした。甘い。

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