京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

アフロヘア―の阿弥陀さま

2021年11月30日 | 催しごと

見返り弥陀で名高い、もみじの名所永観堂。その総門をくぐったすぐ左手に智福院はあります。
「五却思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏像」が初公開されていた。

全国には17体ほどあるが、その数には含まれていないのだそうだ。こちらは檀家さんだけのお寺で、平素公開されてはいない。そのため知る人もなく、先代のご住職も知らずに?去られたとか…。御本尊は千体仏の光背を持つ阿弥陀如来像だが、お脇のすみっこにむき出しのお姿でずっと置かれていたのを、昨年お厨子が作られ納められ、と今回初公開に及ぶまでの経過を説明してくださる方がいた。

江戸時代のものという。「人々の幸せのために、長い年月を修行に修行を重ねた菩薩が、ようやくその修行を終えて阿弥陀如来になった。その瞬間の表情だそうです」と。高さ50センチ。髪は伸び放題で膨れ上がり、アフロヘア―のような螺髪に、やさしさを感じるお顔立ちは親しみやすくもある。左右、立ち位置を変えて見ることをすすめられた。どこを正面とするか、意見もあったらしい。ライトが右から当たっているので、左側からのお顔には、ひたすら長い年月を考え抜いた、しまった表情が見て取れる、気もするような…。


「五却」とは、どれほどの年月なのか。3年に1度天使がおりてきて、岩をなでる。撫でて撫でて撫でて、岩の姿が消えてなくなるまでの時間が「一却」。「五却」とは、想像しがたい、とてつもない時間の経過がある。お厨子の月の満ち欠けは、それを表現していると。

この機を逃すまい!と。よいものを拝観させていただいた。
あたたかな日中だったが、夜に入って雨が降り出し、風が時に戸を揺らしている。
いよいよ明日からは師走。
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5歳

2021年11月29日 | HALL家の話
孫のLukasが5歳になりました。

これまで週1回、母親と一緒にプレイグループに参加し、絵本を読んだり絵を描いたり、切ったり貼ったり。その様子をアルバムにしてくれて。



来年1月末からは幼稚園生です。
その前に、5歳になった今日から週2回キンディ(日本でいう保育園)に通い始めました。6月に帰国後は、「保育料高いしな」っと見送っていたのでしたが。二人の女の子がルーカスの面倒をあれこれ見てくれるらしいのですが、言葉などわからないことは日本語の先生に聞くという環境にあるようです。

兄のタイラーが使っていた大きなリュックを背負って、朝から大喜びで出たそうな。
 

姉のJessieも、日本にいる間に英語はすっかり忘れてしまってキンディへ。Tylerも然り。言葉は何とかなるものでしょう。

あちらでは気候の変わり目です。
一週間雨が続いたり、日中の蒸し暑さが、夜には肌寒さに変わったり。この雨季のような時季を抜けると「夏」到来…。


こちらでは一日見事な青空が広がりました。
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うらを見せおもてを見せて

2021年11月28日 | 日々の暮らしの中で

 〈みほとけにささげまつらん〉  南天が今年は見事に実をつけている

今年度の当番に当たる組のご門徒さん方々には、とりわけたくさんのご協力をいただき、無事二日にかけて報恩講を勤めさせていただいた。

お参りの方々はお元気そうに見える。
が、この1年を振り返っても、元気だけという暮らし向きではなかったはずだ。様々に心配や不安、悲しみ、患いごとなどなど、憂いで心晴れない一面を合わせ持ってお過ごしだったろう。表も裏もさらけ出して、仏さまに救いを求める? 他者には見せない、語らない? 生き方にはいろいろあるが、時には喜びをかみしめることもあればいい。

     うらを見せおもてを見せて散るもみじ   良寛

「人は誰しも弱いのだ。日々、心乱れ、悩み苦しむ」「順風満帆なときは何も考えず、当たり前と享受する。人の苦しみに気づかず、おのれを過信して傲慢になる。悲嘆にのたうち回って初めて気づく。人の痛みが我が痛みとなる。そうやって生きていくのが人間なのだ。それを心に刻み込んで受け入れていくしかない」
愚かな自分を知る。自覚せよ。
梓澤氏の描く空也の言葉が思いだされて…。



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日本シリーズが面白い

2021年11月25日 | 日々の暮らしの中で
日本シリーズが面白い。

私は子供のころからジャイアンツのファンで、今もそれは変わらない。

かねてより、日本シリーズはシーズン通して1位の成績を残したチーム同士が戦ってこそ “真の日本一”が決まる、と思っているものだから、クライマックスシリーズには全く興味はない。
なので、今季3位だった巨人がクライマックスシリーズのファーストシリーズで2位の阪神と戦ったのだったか…。応援する気もなかったので、見ることもなかった。今年はその点、去年はどちらも最下位チームだったという話題もついて、最高の成績を収めたチーム同士という納得感がある。


どちらが勝ってもいい。どちらかと言えばセリーグだということでヤクルトに馴染みがあるぶん、肩入れしがちだが…。
8回裏。山田選手が3ランホームランを打って、5―5の同点に戻した。うっかりうっかり、なぜか、ヤクルトが勝った気分になってしまっていたら…。日本一の胴上げはお預けとなった。


どちらが勝ってもいい。楽しませてほしい。面白い試合を見せてほしい。
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木の葉雨の中を

2021年11月23日 | 日々の暮らしの中で
半月ほどいっきに季節が進んで、風があって冷たい一日だった。


木の葉が雨のように降ってくる。
アスファルトの上を吹き飛ばされて転がりゆくもの。散り積もる一葉となるもの。
雨上がりの湿り気と、散り敷かれた柔らかさを感じながら木の葉雨の中を歩いてみた午後。

無言で半日、お花を立てた。
「keiさんに任せて、〇〇さんは引っ込んだらどうや」と世話方さんに言わせるほど、任せちゃおけんとばかりに差配し続け、長生きの秘訣を身をもって示した義母。何のかんのと、ときに意地を張り合い共有してきた時間の長さがあるので、今となっては語る人のいない寂しさも大きい…のか。義母は、我が家が誇る文化財だったのかもしれないねぇ。なんてことを思いながら、半日が過ぎた。
南天の枝もたわわな赤い実が、小さな明かりをいくつも点している。


代代の女たちが、一代ずつ重ね継いで今に至る。その思いが支えとなり、滋養となっているのだろうか。
落ち葉の下からも、やがて新たなものの芽が吹く。
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寄り合うぬくみ

2021年11月21日 | 催しごと

浄土真宗の宗祖親鸞聖人の御祥月命日にお勤めされる法要、報恩講が今日から(~28)東本願寺で始まった。
初逮夜に参拝したが、少ないお参りだった。ライブ配信の視聴が多いのだろうか。御影堂内は隣との間隔をあけて椅子が配置され、きわめて風通しよし。

    親しさの膝を寄せ合う親鸞忌   加藤利尾

畳敷きに座って場所を詰め合い、窮屈な思いをすることもあるが、この、人との近さで、寄り合う縁にぬくみを感じてきたのだった。


聴く力のなさを棚に上げてだが、やはり閉め切った堂内の方が法話のせっかくの言葉に聞く者の気持ちも向かうし、たったひと言でも心に残せそうだ。擬講の大学生の話は、気も散漫だったが専門家ではないので話が難しく、筒抜けだった。
わかったつもりにならなくていい。わからない、ということを抱えながら歩むことの大切さ。繰り返し、繰り返し聞くのが、聞法。…ふと腑に落ちる時がくる。出会える時がある。

私の所でも報恩講前の仏具の磨きものは女性陣の協力ですでに終了している。一年の中で最も大切なお勤めだが、末寺なりにも規模を縮小して準備は進む。

  しわしわと老婆罷りぬ報恩講       村山 故郷
  こんにゃくの煮しめの艶や報恩講     井上 雪

腰を伸ばしながら「おおきに」、「おおきに」と口々に、満足顔でお帰りになるのだ。そうそう、こんにゃくの艶もよくよくわかる。ガンバルかね。
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「ほめられた報告」

2021年11月19日 | HALL家の話
空手や柔道にレスリングやボクシング等が融合した「マーシャル アーツ」(和訳すると「武芸」)というスポーツ、総合格闘技があるようでして、その元世界チャンピョンが経営するジムに、孫のLukasは9月から週2回、通っているのです。もちろん4歳で最年少。

そのうち(兄の)Tylerはぼこぼこにされるやろ、って母親と笑っていたところ、最近、兄の方もキックボクシングだけを練習に通い出しました。


英語にもう少し自信がついたら、とチームプレーでもあるラグビーは敬遠している最中。体育の先生の誘いでテニスを始め、以来、朝練から熱心に参加していることを聞いています。キックボクシングを始めたと聞いて間もないところに、この15日から、今度はスイミングのレッスンを開始。
小学校に外部のコーチが来て教えてくれるのだそうです。きれいなフォームで泳ぐのを見て、「ナチュラル アビリティよ! これから頑張りなさい」とほめられたのだとか。まあ、「持って生まれた才能よ。才能があるわ」ってところ?

「僕だって!!」

あちらでは、子供たち一人ひとりが、折に触れてなんらかの形で褒められる、認められる言葉を浴びることが多いと感じます。やる気に火をつけるのが上手な教師が多いのでしょうか。

初回でレッスンを見守っていた母親は、我が子が褒められれば当然嬉しい。夜、「さすが! 私のNDAまちがいないわ」って。「うん。ボールをおでこで受けようとした?母親だからね。さすがのDNAだわよ」ほんと、よく言うわ、なんですけど、「嬉しいね。スポーツ万能だわ」と相乗り。「とりあえず、ほめられた報告ね。おやすみ」って。

身内の会話ならいざ知らず、外部に向けてはいかがな話題かとは思うのですが、オーストラリアに住まいを戻し、まだまだ不十分な会話力ながらも、様々な影響を受けて、たくましく成長している姿と読み取っていただければ幸いです。
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修学院あたり

2021年11月17日 | こんなところ訪ねて
洛北にある詩仙堂から曼殊院へ、曼殊院から修学院方面へとたどる道は、25の春から好きな道の一つになっている。見上げれば比叡山が間近で、振り返れば京の街を、はるか向こうに西山の連峰をも望むことができる。農地も広がるし、紅葉も美しい静かな里。なのに、散策する人の姿が少ないのは嬉しいこと。

先日9日に亡くなられた寂聴さんは、昭和48年11月14日に出離された後、寂庵の建築予定が遅れていたことで1年余りは、この修学院の山が家の裏すぐに迫る、北高野の仮寓に住んでいたとか。この界隈の閑静な美しさは忘れられない。曼殊院から林丘寺、修学院と続く丘陵は、晴れ晴れとした清閑さに満ちている、と書かれている。

曼殊院(門跡寺院)参道へのかかりは鮮やかな紅葉が進んでいた。この右手、武田製薬の敷地が広がる。

息も弾む坂道を上って、白壁に映える紅葉を堪能して、拝観せずに駐車場の奥から比叡山登山口のある方向に出ることにした。
神戸から来て、滋賀県の坂本から比叡山に登り、雲母坂を下りてきたという人と言葉を交わしたあと、登山道ではなく、音羽川沿いのアスファルト道を上ってみた。その先の行き止まりに、「ヤマザクラ」の札をつけた木が1本。

来年の桜の季節に、忘れずにお会いしましょう。

右手に、門を閉ざした林丘寺がみえてきた。枯草がフェンスに絡みついている。
  


その地続きには、出入り口は開放され軽トラも関係者も出入りして作業しているが、入ることが禁じられた宮内庁の山、農地が広がる。この辺りは『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台地だ。
修学院離宮に向かう道筋の禅華院のもみじが美しく日に映えていた。


〈寂庵から京の街を眼下に一望するような雄大な風景を自分のものとして暮らしてから、内向沈潜するべきはずの自分の出離後の生活が、一向に内省的に向かず、むしろ前以上に生き生きと活動的に動き続けるのを感じる〉と書かれたのを読んで、面白いと思った。そういうことはあるかもしれないと。
「風景が人間をあやつることもあるのではないだろうか」と書かれていた。

小春日に、日記も簡を極めけり、…とはならなかった。
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映画「Tomboy」

2021年11月16日 | 映画・観劇
2年は会わずにきた友人と、彼女の妹さんとで映画の約束の日だった。京都に出てくるというので四条烏丸で待ち合わせる。上映の前に食事を共にし、再会を喜ばせてもらった。孫を連れて万博公園内の映画館に行ったのはいつだったかな。ましてや自分の選択で見る映画となると…??


10歳の少年っぽい、ボーイッシュな少女(「Tomboy」)ロールは、引っ越し先で近隣の子供たちにミカエルと名乗って遊び仲間に加わる。男の子でありたかったのか…、よくわからなくもあった。
妹をウザイと言った子相手に取っ組み合いの喧嘩をする。それを機に、母親にワンピースを着せられ、仲間には女の子だったことが知れていく。
少年のようにふるまうが全てはうまくいかない。「どこか別の所に行きたい」と父親に漏らすが、引っ越しの多い暮らしがどういう理由からだったのかもわからなかった。母親は娘がミカエルと名乗って少年のふりをしていることを本当に知らずに来たのか。5歳の妹は知っている。

ラスト。遊び仲間で唯一の女の子に、ロールという自分の名前を名乗ることができた。少し笑みが浮かんでいたと思う。わかってもらおうと努力しても、理解が得られないでいる孤独とはまだ少し違うような気もする。ロールのロールとしての日々がここから始まるのだろうか。夏の終わり。明日から学校が始まるという日だった。

孫娘が生まれたとき訪れていた家の庭に現れた、オオトカゲ?リザード


ビックリしている私に、娘の夫は、いつものことのような顔で「彼の名はトムだ」と言ったのを思い出していた。

映画のタイトルは「Tomboy」。ボーイッシュ。おてんば娘。おきゃん。
ちょっと娘にLINEで訊ねてみた。 Who put the “tom” in “tomboy”?
Tomboyには“攻撃的”の意味も含み持つ、と娘。そうか…、“男みたい”と言う言葉がある…。よく言って“おてんば”…、Tomの名の意味はボーイ…。
娘がネットからいくつか関連のページを示してくれたが、あとで辞書引き引き読んでみることにしよう。

思わぬところに関心が向いたが、なあんとなくわかったような、そうでもないような…。映画と同じような気分のまま…。

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流れにまかせて

2021年11月14日 | こんなところ訪ねて
平安の昔には、宇治川の両側に貴族たちが別荘や荘園を持っていた、と。川を挟んで彼岸と此岸。一帯には阿弥陀如来信仰が広まっていたと思われるところだ。


’20年の2月に澤田瞳子さんの『満つる月の如し』を読んで平等院鳳凰堂を訪れたが、立松和平氏の『道元禅師』に挫折したまま今回、宇治川畔に道元ゆかりの興聖寺(こうしょうじ)を訊ねてみた。
折しも新聞では京滋の紅葉ガイドに紹介され、9日に亡くなられた寂聴さん関連の記事があふれ、「宇治十帖」などが浮かんでくるところで、思い立っての宇治行きだった。興聖寺山門までの琴坂の紅葉が時季には美しいと伝え聞いていた。風はあるが日差したっぷりの明るさに誘われて。


法堂で、「どうぞ中へ」と案内があっても誰も…。もったいないこと。道元禅師自らが彫られたという本尊釈迦牟尼仏に参拝し、相対していると後方から声をかけてくれたボランティアさん。ここは、道元禅師が深草の地に建てた寺を、淀藩主・永井尚政が1649年にこの地に再興したのだと説明してくれる。

宇治上神社を経て、やめておこうというのに源氏物語ミュージアムに立ち寄ることにもなった。



「しょむないなあ」「うん…。でも、入門者には良いガイドじゃない?」など言葉を交わしつつ帰途に就いた。大人600円。立寄る先々で、ちりも積もれば…。私は2度目だったし、決してお安くはない。…と、こんなことにとらわれているのでは、なんだかなあ…。情けなくもあるな。
川を挟んで彼岸と此岸を周遊する人たちも多いのか、結構な人出だった。

気に入りの道、曼殊院の参道の紅葉はいかに、と頭をかすめる…。
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口から六体

2021年11月11日 | 日々の暮らしの中で

質素な膝までしかない衣をまとい、脛を出し、素足に草鞋ばき。そして、胸に打ち鉦(かね)をかけ、右手にそれをたたく撞木(しゅもく)を持ち、左手に鹿の角をつけた杖を突いて歩く姿。その半ば開けた口から、6体の小さな阿弥陀仏を出現させている。
ああ、写真で見たことがあると思い当たるでしょうか。

6体は、この方が不断に唱えていた6字の名号、「南無阿弥陀仏」の具象化だとされている。「枝仏」と呼ばれることをこのたび初めて知ったのですが、このお方、どなたでしょう。もうお分かりでしょう。
念仏修行に明け暮れ、大伽藍に住まず、美麗な法衣も身につけず、行乞して(托鉢して)弥陀の救いを説いて回った市の聖。 ―空也です。

立像の写真とともに、授業で習った程度には記憶にあります。
六波羅蜜寺所蔵の空也上人立像。先月下旬、東本願寺にお参りしたあと足を延ばし拝観してきました。隣には大きな堂々たる平清盛の座像も。ああ、これもまた懐かしく記憶にありました。20代に一度拝観して以来ですから、本当に久々。枯れ木のような上人像でした。

       
10月半ばに訪れた書店で『捨ててこそ 空也』(梓澤 要)がこちらを見ていまして? こうした作品があることも,作者すら知らずにいて、それでいて一気に読んでみたいと気持ちは動いて。澤田瞳子さんの『輝山』を読み進めていたが、どうにも我慢できず2冊を手に取りだしました。しかし、いかにももったいない。自分には合わない読書法だ。で、澤田さん、一旦ストップごめんなさい、です。

空也は醍醐天皇の第五皇子と言われる。また一説には、仁明帝の孫とも言われ、いずれにしても高い身分の出自のようで、梓澤氏は醍醐帝の子説をとっている。母親に片脚をつかまれ高殿の縁から放り投げられ、左肘がねじれたままに。母への恐怖(母を捨てた父への嫌悪?)。 今、15歳に成長した五宮を追っている。作者が女性だと知って驚いたのは、つい先日だった。

空也って、どのような一生を送ったのか。これは小説だけど、知りたいと思って…。

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平安時代の内裏跡

2021年11月09日 | 日々の暮らしの中で
あたたかな朝を迎えたが、昼からはぐっと冷え込むようになった。冷たい風に帽子を飛ばされそうになりながら、小一時間歩いた。


朝刊の一面に、平安時代の内裏の跡が初めて見つかったという記事が載った。皇后らが住んだ登華殿と弘徽殿の遺構とのことだ。
見つかった建物の柱穴5基は、794年の遷都当初のものとみられ、地面を掘って柱をそのまま据える、掘立柱という縄文時代からの伝統的な建築様式だったと伝えていた。これまで礎石建ちと理解されてきたのだという。

技術の継承も、新たな発見も、どちらもすごいなあと思う。そして「枕草紙」「源氏物語」につながることなのだが、…うん?? ちょっと自分の反応が鈍くなっているのを感じる。
学生時代には中古の文学に強い関心を持って臨んでいたが、すっかり黄ばんで、小さな小さな文字の文庫本『平安朝の生活と文学』(池田亀鑑)などわずかを手元に残して、多くの学術書、書物は手放した。あの頃の情熱みたいなものはもうない。でも純粋に文学を楽しむことへと様変わりしたのだ、…と考えておこう。

ムラサキシキブの実が、道路わきの茂みに残っていた。


     冷たしや式部の名持つ実のむらさき   長谷川かな女

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前方に未開発の人生が

2021年11月07日 | 日々の暮らしの中で

嫁いで家に収まり、よそさんとのお付き合いをしていく中で、「おため」「おため返し」の言葉や習慣が初めて自分の日常についてきた。後年、名残りの心なんてことに思いを致すようになったのも、ここに端を発してるのだと思う。余裕ができて、やさしく書かれた仏教書などを手にするようになって、残心とか余情残心の言葉を知ることになった。

いつだったか今まだ辿れていないが、多くの場で話をされ、たくさんの方の心を癒し、ご自身研鑽や体験を積まれ思考を重ねられておいでの仏教者が、かつて「残心余情」という言葉でお話くださった日があった。

長い年月を経ても、信心とか阿弥陀様が…と話題にするどころか口にもできないでいるのに、知り得た言葉に安易に乗ってまとめてしまおうとしたかのような浅はかさ。しかも余情残心が「残心余情」にすり替わって…。心に、頭にすっと浮かんだのは、一度うかがったこちらの言葉だったのに、何のためらいもなく…。
本を読んでも、自分の身に引き寄せて考えなくてはただの知識どまりだということ、重く考え込んだ5001日目の晩でした。ご指摘がなかったら気づかぬままに通り過ぎるところでした。

 

「人生は自分の後方でなく、前方に全部未開発で残っている」と伊藤整氏。今までずっと身辺に添えてき来た〈名残を惜しみ、余韻をとどめつつ〉の思いを大切に、綴っていきたい。

              (ひと足ずつ上を目指す、4歳児のロッククライミング)
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余情残心の5000日

2021年11月05日 | 日々の暮らしの中で

何に心を留め、影響され、考えつつ過ごしてきたか。書かない、書けなかった、大ごとも些細なこともある。過ぎてみれば、自分の楽しみごとを楽しんだ多くの時間がここにあります。


5000という区切りの良い数字だが、ことさらな感慨はない。2008年2月末日に書き始めてから今日に至る5000日ぶん(13年8カ月余り)の道ができたわけだ。道は、なるほど歩いた後ろについてきた。
たくさんの方が黙って立寄ってくださる。のぞいてやろうと、そのお気持ちに感謝しております。ブログではないページから、もう何年と顔を出してくださる方々もおいでだ。本当なら会話して、言葉の向こうに想像力を働かせたいという気持ちがありますが、追いかけたりは致しませんから。ありがとうございます。

  明日ありと思ふ心のあだ桜夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは    親鸞

明日はないかもしれないのだ。長さではなく深さ。誰の評価でもなく、自分自身が充実したと思える人生なら最良だろう。後悔のない人生などないと思っている。悔やまれることは多々あるが、それでも、今日一日を大切にしていくことしか道はない。
しつこく、暑くるしくないように。名残りの心をとどめていきたい。「余情残心」。

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黙して語らず

2021年11月03日 | 日々の暮らしの中で
黙して語らず。るーちい君のスタイルを貫いた。

 

就学(幼稚園)までに打つことになっている予防注射の種類が、日本とオーストラリアでは異なっている。
4歳で受けているはずのものが受けられていないということで、昨日、2回の接種をしてきたという。水疱瘡、はしか、風疹だったかな、3種類だとか。

もう一つは、西洋人が集団生活でかかりやすい病気があるとかで、その予防接種となった。シドニーで若い子が亡くなった例があるらしい。

接種記録もあることだしと娘に訊ね直しましたところ、A・C・W・Y群髄膜炎菌感染症の予防接種だとわかりました。

今月末には5歳の誕生日を迎え、来年1月から幼稚園に通います。集団生活を始める前に、すべきことはしておかないと。それにしてもいっぺんにとは気の毒な。
 (5日追記)

今夕、「10月5日に出された小型包装物航空便(BOOKSのみ)が受け付けられなくて戻ってきました」と郵便局からの電話を受けた。
船便より一足先に届けたいと思って、2kgまでの制限内で文庫本12冊を送ったのだった。ひと月近く経つ。もうそろそろかなと思い始めた頃になって,。

この間、何便がオーストラリアへ飛んだのだろうか。「減便になっていますので、なんとか乗せようと留め置いて努力してくれたみたいですけど、乗せられなかったようです」という説明だ。小さな包装物ひとつ、どこにでもつっ込めるサイズなんだけどね…、とは個人の言い分になる。全国からで荷数も多いだろうと理解はするが、ああそうなんですかとは、すんなり受けがたかった。
「たくさん戻ってきてまして」、と。でも、がっかり!!。


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