京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

嵯峨嵐山の地の果てで

2023年09月02日 | 講座・講演
中古文学会関西部会の例会でピーター・J・マクミラン氏が「心ときめく古典の世界 - 外国人から見た日本古典文学」と題して講演され、会員以外に一般にも公開されると知り参加させていただいた。一度お姿拝見、お話を拝聴したい思いをかなえる機会を得た。


地元紙の月曜日には、氏による「不思議の国の和歌ワンダーランド 英語で読む百人一首」が連載されている。楽しみに拝読後は、とにかくこうして切り抜いて保存…。

わたしには5行分けの英訳より、そこに至る過程も含めて鑑賞の解説などが大変に興味深いのだった。時に辞書を引いて、和歌の英訳はただ“読む”(素通りも多くなってきていた)のだが、今日、氏は和歌の原文と英訳のものとを吟じて下さった。


英語が押韻、韻を踏んでいるのか!? 一行一行の音韻が、英語であるのにだ、余韻となって響き、鐘の音を聴いているようだった。
ただ読むのとはわけが違った。こうして詠うのか!と目が覚めた。

芭蕉の句には、例えば『伊勢物語』を下地にした句がある。「腕の見せどころ」と口にされた。
思えば『源氏物語』も『枕草子』も、『徒然草』だって、古今東西の言葉を引用している。
たくさんの本を読んで、「いい言葉を見つけ、それを引用していくのが随筆の根本にある」と川本三郎氏が言われることが、もっともだとうなづける。引用によって文章を作るのだ。

日本の古典文学を現代社会にどう生かすか。
発展途上国の留学生たちが日本の文学を学んだことで自国の文学に思いがいくようになった。それを世界に発信することで関心を持ってもらい、ひいては自国に招き寄せる。
ジャイカで講師を勤めるなか、彼らの発想は大きな喜びになったという。

西欧における美は普遍的なのに対して、日本の美は、いうなら“無常”だろう、他国には類を見ない様相の中に美を見いだすところに驚きを覚えられたと。アイルランドから日本に来られて30年。和歌こそ日本文学の原点と、自分の生きる道を見つけたと話された。
それは若い院生たちへのエールともなっていた。

これからのビジョンなどお聞きしながら、現代社会にどうなどとは今の自分に縁遠くはあるが、学生時代に「中古文学」にのめり込んだ自分が思い出されるし、それが私の文学への嗜好の端緒であり、今もって枯れずに脈々と流れ続けている。若かった自分を懐かしみ、とても楽しい時間を過ごした。



あのとき…。
もし卒業後すぐに社会に出ず大学院に進んでいたら、何か変わっていただろうか。しかし、思い描きようもないこと。
あの時別れた自分があって、今の自分がいる。ただ、いくつもの自分と別れてきている。
今日はそんな自分の一人と出会えたことになるのかもしれない。



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「古代歴史の魅力」

2023年01月22日 | 講座・講演
「古代歴史文化賞」記念シンポジウム参加希望がかなって、土曜日は友人と久しぶりの奈良行きだった。


「古代歴史文化賞」は、もう今年度で最後となるそうな。
創設は2013年。奈良県・島根県・三重県・和歌山県・宮崎県が連携し、古代歴史の魅力を多くの人にわかりやすく伝える書籍を選び表彰してきた、というものでした。

『顔の考古学―異形の精神史』(吉川弘文館)で第8回(これで最後)大賞を受賞された設楽博己氏が基調講演。
続いて、長谷寺に伝承されている豊山声明の公演です。長谷寺ご本尊原寸大の大きな画軸が出開帳。ありがたくも美しい仏教声楽、祈りの音楽でした。


奈良県は飛鳥・藤原の地の世界遺産登録を目指していて、この地の普遍的な価値をイコモス(外国人)にどう証明したらよいか、取組中だそうですが、
第3部のパネルディスカッションでは安部龍太郎氏がどのようなことを話されるか期待・・・。
天皇家の根幹に関わる地。海外からの影響を受け入れ、また進んで情報を収集しては常に更新して都づくりをしてきた地。
戦後の日本人のアメリカナイズには、この藤原京の人たちのDNAが流れているのではないかと感じている、と。

『平城京』を読み始めていたので、氏の発言も自分の興味関心で聞き取るばかり? (ああ、書いてあったな)と思い出しながら拝聴。
個人的には文学作品に戻って、当面は読み始めた『平城京』で作品世界を楽しみ、そうする中で古代史への意識も働けばいいかなという気ままな読書人です。

4時半終了。日差しはなくなり、雪でも降りそうな冷気。
西大寺駅を過ぎた車窓から、はるか生駒の山並みなのか? 茜色に染まった空の広がり、日常目にできない視界の広さを楽しんでいた。
収穫は何だったかなあ、ふと考える…。
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9:1より 6:4

2019年12月23日 | 講座・講演

聴講券が届き昨日22日、龍谷大学大宮学舎140周年記念シンポジウム開催の会場に出かけた。
大学院で奈良仏教史を専門にされていた澤田瞳子さん。でも、資料を集め読みこむのに9割、残る1割のところで結論を導く研究者には自分は向かなかった。そうではなく、資料から興味のタネを見つけると6割のところで結論に向かってはしごをかけて妄想し、…ことがあっただろう、あったはずだ、と想像力を発揮するタイプだとお話で、それが歴史小説家に転向された経緯のようでもあった。

歴史小説はエンターテイメントだから「ああ、面白かった」と読み終えてくれたらよい。その後に、例えば仏師・定朝をもっと知りたいと新書本や専門書に手を伸ばしてもらえるなら、やったー!の嬉しさだと。
「物語りの読みどころは?」の問いかけに、「どうたたむか、落とすか。広げ、まとめる、決着の仕方に心ひかれる」「史実の絡め方に気づかされて面白い」と話された。歴史を知っていると楽しい読みが広がり、こういうことが言えるのだと印象に残った。
作品世界に入り込み、あたかもそれが史実のように錯覚する。いえ、史実云々など念頭にはないのだ。どっぷりつかって登場人物に感情移入し、一緒に同時代を生きる。読者にしたら、そんな本との出会いこそ貴重な体験である。

「歴史は今を考える立脚点になっている」「人生の喜びは伏線回収にあるかもしれませんね」「今の物語はあらすじで構成され、細部を省きわかり易くまとめてしまっている。史実をプラスすることが要る」とか「人が共有できる知性が落ちている」など数々の指摘があった。
自分の考えを明確に示される、その歯切れの良いこと。若くて自信に満ちていた。根底に専門分野が、強い分野があるということは誰にとってもひとつの強みだろう。

     昨年読んだ『与楽の飯 東大寺造仏所 炊屋私記』に話が及んで、ちょっとわくわくっと身を乗り出してはみたが、ほんの1分ほどだったか…。『穢土荘厳』(杉本苑子)でも描かれる大仏造立の舞台。役夫たちを賄う炊事場での人の心の温かさの描写はある。作品の視点は違えど、歴史の狭間に、変わらぬものがあるということかしら…。

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自信は慢心

2019年09月14日 | 講座・講演

今日は昨夜よりも輝いて満月が上がっている。暑さが戻って、涼しさも一日喜びで終わったが、山の上方、ネオンの輝きが目に入らない闇の中に見る月はくっきりと際立つ。最高に素敵な演出だ。



中外日報社の宗教文化講座に参加し、「山修行の果(はて)とは -山からの教訓-」と題した聖護院門跡門主・宮城泰年氏のお話を聞いた。
聖護院は本山修験宗総本山で、山伏の寺。山修行という肉体の訓練を通して心を鍛え、法力、験力を身につける道が修験道であり、自然の声を聞き、匂いをかぎ、ひたすら歩くという単純な世界に心は次第に研ぎ澄まされていく、とお話に。
1931年生まれ88歳におなりだが、1時間半の講演にもすくっと姿勢よく立ち続けられるのはさすがだと思えた。 昭和13年、13歳の冬に得度。僧侶の道も一生の世界、ならば最短で社会を見ようと大学卒業後は4年間新聞記者として働いたそうだ。

修行距離が約100キロに及ぶという「大峰奥駈修行」の行程に触れ、熊野本宮から吉野までの大峰山脈に設けられた75の霊所をたどる「靡(なび)き道」は先達が歩いて歩いて、何百年とかけて作った道であった。 そこに自分が新しい道を作ろうと試みたときがある。50歳のときと言われたか…。自分ならできると思ったそうだ。
ところが、45度ほどの斜面を転げ落ちた。途中、眼鏡と腕時計を残しながら身体は投げ出され二股の木に引っかかった。自信は慢心でしかなかった。自信は慢心に発している、と話された。 生きていたから「精進していたから命拾いをした」と言われても、死んでいたら「精進が足りなかった」となるのだろう。

つまり、生死は仏云々ではなく縁のもので、たまたま助かってこうして生きているのだ、と。「えにしですな」 また、修行の途中で講仲間の一人が姿を消したことがあった。「あの人には良くこういうことがある」という仲間の話が先入観となり、捜索が遅れてしまい8日後に首をつって死んでいるのを発見した。人の言葉にとらわれず、もっと早く探していたらと反省したと…。 伝統を守り、先達を敬う心を問い直し、山伏法度を守らねばならない修行の道での失敗談も、私たちによき教訓を与えてくれているのを思った。

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心豊かに…?

2019年05月19日 | 講座・講演

「仏教学とはなにか」
そんな大きなテーマでお話を聞くことが自分の何になるのか?と、少しばかり出渋らせる思いが湧いた。けど、事前に申し込み済みだったし…。

宇宙にはたくさんの星が輝いているのにどうして暗いのか…。佐々木閑先生は工学部ご出身、物理学のお話からだった。
「古来不変の宇宙法則」の信念は、宇宙の膨張が確認され、ビッグバン宇宙論の登場により崩れていった。
物理学に始まり、あらゆる自然科学、哲学も人文科学の諸分野もすべて、歴史学の一種となった。宗教も、然り…。

仏教も本質となる「釈迦の言葉」を、後の人たちが様々に解釈を示し、周辺は異なった見解で大きく膨らんだ。宗派によって、また同一宗派内であっても、それぞれに元とする「経」が異なる。いつ、どこで、誰の手により、どのようなプロセスを経て現在形になったのか。
仏教学は、「釈迦の言葉」として承認されている聖語・聖典の言葉の正しい理解を探求することを目的に、解体される科学的思考の世界になっている。

こうしたことは仏教の価値を損なっていると思われる現代社会の諸問題を見出し、それらへの対処の方法を探るという手順へと続く。研究の成果は直接、現在の仏教の在り方に影響を与え、出家修行者の日常生活にも重要な関わりを持ってくる。仏教世界に混乱を招くだけと批判もされるだろうが、しかし、…と還暦も過ぎたこれからの研究生活に思いを向けられる言葉で結ばれた。

日常にどう取り込めるお話なのか追い直してみたが…。ただ一つ、心に留めておこうと思ったことある。
消滅、消え去った者(小宗派、組織とか)を軽んじ貶める悪口がある。例えば、自殺者を「心が弱かったから」と口にする人がいるが、裏を返せば、自分は心が強いと表明することばである。反論できない者たちが自分の隣に座っていると想像し、心を汲んでモノを言おう。【歴史学の本義は、消え去った者たちへの慈悲の表出である】と。学問に限らない…。 

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「親鸞ファン」

2019年02月25日 | 講座・講演

  
「親鸞ファン」と講題に表現されたのは釈撤宗氏(聞き手)だったそうですが、コピーライター・糸井重里さんのお話を聞いてみたくて西本願寺の聞法会館へ。10時半開演のため10時に着けばと出かけましたら、すでに長蛇の列。開場後は詰めて詰めて、詰め合った大広間。

信者ではなく「親鸞ファン」。けれど限りなく近い感覚で、親鸞への思慕、憧憬の念がおありなのだそうだ。
今のこうした親鸞への気持ちは、例えば祖母から話を聞くとか、小耳にはさんだとか、関心のある仏像や寺を訪ね参拝する、などしてきた日常から、いつしか育まれていったものだおっしゃる。交流のあった吉本隆明氏も、親鸞との関わりのきっかけを「家が浄土真宗だったから」と言われたとのこと。

言葉に触れ、教えを学び、ぎりぎりのところまで近づいたとき、この先のことは、わからないけれど身をゆだねることができる、見えない世界とつながれる、と最後に思い切って崖からジャンプできる人を信仰心があると人と言えるだろう。かなり「宗教的才能がある人です」とは釈氏。ここに「信者」とそうではない人との差をみることができる。


いろいろ抱えながら生きなければならない人たちの思いをどこまで広く応援できるだろうか。一部の出家者のためではなく、在家での広がりは大事だ。
everyone(誰でも)の立場で救いとる親鸞。何か特別な修行を課すでもなく、ただお念仏をと説く。「こんな自分でもいいのか!?」という思いは、花を咲かせる最後の小さなタネ(糸井)である。親鸞は、そういう思いの人をも救いあげてきた。

現代人は、自分の苦しみに合う道具はないか?と求めるが、むしろ、不安定な言葉から自分の内面を掘り下げ、どれだけ心をのばしていけるかが問われてくる。個々によって違う背景、環境。これ一つで効果があるという、インパクトある言葉はないが、今日一日に、よりよく関われるものが潜んでいる。
「ああこういうことか…」と加齢とともに親鸞に近づける、「思想家親鸞」の魅力を語られた糸井さんでした。

私の耳は、自分が聞きたいと思う言葉だけをからめとっていた、ということで、勝手に解釈し、摘まみ出した。それでも残しておこうと思って…。私の中では、「信じる」という感覚がいつもうすぼんやりしたまま…。隠しておきたいことなのかもしれないのだけれど。

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「この命、何に賭けるか」青山俊董尼僧

2018年09月16日 | 講座・講演

「人生は幸せを求めての旅です。何を幸せとするかによって人の人生は大きく変わります。たった一度の人生。今ここに、この一瞬をどう生きるか。今日一日をどう生きるか。――そして、この命、何に賭けるか…」。
話しだされた青山俊董尼僧。1933年愛知県一宮市に生まれ、5歳で仏門に。15歳で得度され、結婚との両立ができないものかと考えた時があったが、仏の道だけを選んで歩んでこられた。母親のお腹にいるとき曽祖父から「やがて出家するだろう」という言葉があったそうで、僧籍に幾人も入っている家であり、仏縁だと思われた、と。

昨日15日、しんらん交流会館(下京区)で開催された中外日報社主催の「宗教文化講座」に参加した。

人生は「選び」。「選び」には、限りなく選ばねばならない面と、性差、病もそうだが、授かりとしていただかねばならない面との両面がある。天地いっぱいに満ちあふれる仏の働きに気づかせてもらい、仏のモノサシに照らし、教えの光に照らしていただいて生きたい。
刑務所にいる死刑囚からの手紙に「せめて家族には許してもらいたいなどとは甘えだ」と返事を書いて遣ったことがあったと逸話を披露。置かれている場所はどこでもいい。そこでどう生きるかが問われることで、生かされている命の条件は全く同じなのだ。今はよくないと気づき、より「よく生きること」が人生の目的である。よく生きた、などとは驕り。たった一度の人生どう生きるか?何を賭けるか? 繰り返し問われる。

さまざまな個性をもつ雲水たちを選り好みせずに、なんとか彼岸までと思ったものの。実は我が身こそ渡されていたのであり、支えられ教えられ育てられていた気付きを歌に詠まれている。ある寺の宝物の幽霊画を見た時の、「嫁の目だな」と他人の欠点を見た凡夫がいれば、「自分はあんな目で嫁を見てたのかな」と懺悔(サンゲ)の老女もいた話に、私たちは周囲の誰でもが我が師として存在し、自分のお粗末さ加減に気づかされ、我が非に気づかせていただけることを説かれる。

  人間(ジンカン)の是非をばこえてひたぶるに君がみあとを慕いゆかばや
  驢をわたし馬をわたす橋にならばやと願えどもわたさるゝのみの吾にて  

たった一度の人生。幸せを求め、よく生きたいと願いつつ、どう生きるか。「この命、何に賭けるか」と、美しい笑顔から厳しい問いかけをいただく。また、私には著書や映像を通してのみだったお方だけに、この日、これぞ「面綬」の嬉しさをいただく。

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教えに学ぶ

2018年08月07日 | 講座・講演
夢枕獏さんの『おにのさうし』を読んで臨んだものの、お話は玄奘三蔵の旅をメインにしたものでした。玄奘がどの道を利用したかは未だに特定されていないとか。ご自身が最有力と考える氷河古道コースを歩いたときの写真を示されながら、旅の話を。そして、人はなぜ物語を必要とするかに及ぶのですが、…。肝心なところはどういうわけか記憶に残らずじまい。夜、宿坊で4人の相部屋の人に、今日のお話はどういうことだったのかと尋ねましたところ、「玄奘三蔵の後を追って旅をした、という話やない?」と一人が。単調な話しぶり、眠気との闘いでした。

日本の妖怪文化を研究される小松和彦さん。「本来は見えないはずの妖怪を、絵にしようとした努力から日本の妖怪文化の豊かさが生まれた」と説かれます。『おにのさうし』を読んだ私には多少なりとも関心が持てましたが、「人間の想像力が生み出した文化の中で、最も優れた傑作」も、何かしっくりこない妖怪文化と文学ではありました。『化け物の進化』という寺田虎彦のエッセイ(岩波文庫)を知る。


人と違う独自の考えを持つことが周囲と相容れなくて、人には自分を語らない、見せないで過ごした、引きこもった日々があったことを語り出された宮本亜門さん。交通事故で大怪我を負ったこと、母親の死、そうした体験がやがて人生観を変えた。あらゆるいのちを受け入れ、和の文化を好むようになっていく中で、世界に向けて「ニッポンを演出する」ことに工夫を凝らし活動する今を、お話に。生きよう! と声は弾み、さすがに人を引き付け飽きさせない時間でした。
大地真央さんは、今までの女優生活での出会いや経験、これからの更なる挑戦など。問われたことに応じる形での講演形式に期待は裏切られた。せめて一曲? ほんのさわりだけでも歌声を聞かせてほしかった。

プロ野球中日に入団後、初ヒットは3年後、初ホームランは5年後とか。本能のまま、人の言うことには一切耳を貸さずに来て、挫折も自暴自棄も味わうという山あり谷ありの野球人生。星野、野村監督との出会いなど振り返って、「三度のクビから現役27年間」の演題で山崎武司さん。面白く、聞き入った。
3歳年長の山本昌投手に一緒に野球をやめようと持ち掛けたとき、「自分にはまだ伸びしろがある」という言葉が返ってきたという。自分にはその思いがなかったと明かされた。それはそれとして、この昌投手の言葉が、私には今回のすべてを通して最も印象深く心に残った気がする。

「宗派を問わず、仏教の根幹は縁起による」と高野山真言宗教学部長さんのお話にもあった。無量無数の因縁によって私が成り立っている。人との出会いも、ひとつの出逢いが他の出逢いを呼び、また他の出逢いが追ってくる。巡り合い響き合い、重なり合う、ちょうど寂聴さんが聴かれたあの風鐸の連鎖する「妙音」のようか…。また、遺言を残そうとする人は多いが、この世に残していけるのは心だけです、ともお話に。

毎夜、同室の人と高野の空に火星と金星を見上げて一日を終えていた。
学んでときにこれを習う、という。聴きっぱなしで終わるのか、血肉としていけるのか。「まだ伸びしろはある」に励まされる思いがします。
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「見えないモノのエネルギー」

2018年08月07日 | 講座・講演
高野山の入り口にそびえ、一山の総門である大門を訪れた二日目(4日)の朝の気温は20.1度。肌寒かったが、いつ以来かとその感覚を楽しんだ。
五時半、前方に見えだした大門の二階部分南はしに朝陽が当たっているのがわかる。


自然と足は速くなる。後方、東の奥の院の方向から上がる太陽を、こうして西側に立って見たくってやってきた。


「高野山は見えないモノのエネルギーを感じやすい場所。風の音、水の音、木の音。月の力や日の力…」。宿泊した先の副住職さんは言われる。

京都府立大学で学ばれたという。娘さんも京都の大学に在籍中とか。若い素敵な梵妻さんからは「前にも一度お泊りでしたね」と声を掛けられ、3年前の春のことを覚えていて下さるという嬉しさを味わう。勿論、私も楽しみにしていたことをお伝えした。これが縁というものであり、人生の出逢いというものなのだろう。

日中は30度にも達し、強い日差しを浴びる。が、むっとした不快感はない。同室者と二人で女人堂まで、心地よい風の通り道を歩いた昼下がり。


以前うっかり素通りした蓮華定院。「六文銭」を見ながら、その玄関先をそっとのぞかせていただいた。真田家の菩提寺。九度山で過ごす真田信繁(幸村)がNHKの大河ドラマでも描かれた。



15時40分からの講演まで、今回こうして二人で山内見学を楽しんだ。霊宝館で観た、彫り物の涅槃図が興味深かった。動物もいるはずと目を凝らし、「あっ、猿がいる」「イノシシも」「蛇だわ」「カタツムリよ、これ」「猫はいる?」
猫が涅槃図を描く明朝さんのお手伝いをよくしたとかで、「お前も書いておいてやろう」と書き添えたという逸話を話してみた。

夢枕獏さんの陰陽師シリーズの中から一冊を読んできたというこの方。文学散歩の興味も重なり、やけに盛り上がった時間を過ごした。



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「天来の妙音」

2018年08月06日 | 講座・講演

高野山、東の奥の院に対する西の聖域「壇上」の根本大塔は、コンクリート製でどっしりとした安定感がある。
一階の屋根の上に白塗りの亀腹をのせ、その上に円い欄干を巡らせて、二階の屋根をのせ、更に九輪の宝珠が天上に聳えている。朱色に白い亀腹が目立つせいか、けばけばしさで何度見ても馴染めず違和感を覚える。それでも内陣は好きで、2泊3日の滞在中に毎日一回は拝観した。

第94回目となる高野山夏季大学の日程のすべてが終了後、新大阪行きの直行バスが出るまでの時間を利用してやってきた。日中は30度にもなったが、この日は心地よい風が感じられた。

木立が影をつくるベンチに腰を下ろし、大塔を前に仰いでいたとき。思わず耳を澄ませた。そう、あの風鐸が鳴ったのだ。鳴った気がした。そうに違いない。明らかに金属音で、金蔵音にして軽やかな重みのある音色をひとつ、耳にした。空耳か。思いこみ、幻聴か。
聴きたい聴きたいと、ここに来る目的の一つにもなっていたものだから、空耳かもしれない。ところが、一つどころか、二たび、三たび、その響きを耳にした。風鐸が鳴ったのだ(と思いたい)。歩いていては聞き逃していたことだろう。

風鐸は屋根の四隅に、そして、宝珠から屋根の四隅にかけて張られた鉄線にも幾つかの風鐸が下がっている。地上で感じるよりは幾分か強めの風が、風鐸を揺らしてくれたのだろう。

雪が30㎝を超えて積もった高野山の壇上を訪れた寂聴さんは、「信じられないような清らな音を振りこぼしている」鐘の音を耳にし、著書で「天来の妙音」と表現されていた。いくつもの音が重なり合って爽やかな節をつくって、虚空にこだましながら広がり散ってゆく、と。聴きたい。私の一念、通じたか…。聞こえた! 聞こえた! 確かに聞こえた!と耳をそばだてていた私とは大違いだが、「天来の妙音」を耳に残して帰途についたのだった。
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恋の面影を探ると

2018年02月20日 | 講座・講演
吉田兼好が『徒然草』を執筆してから亡くなるまでの20数年の間、散文を一つも書かなかったのははなぜだろう。
この疑問が発端となって光田和伸先生が出された答えは、「『徒然草』は兼好が愛した女性との思い出を書き残したくて書いたものだ」というものでした。ただ、結婚(の約束をしていても)できなかった女性のことを当時の社会で男が書くことは世間体もあって許されなかったので、8つの短編を綴って多くの話の中に紛れ込ませた。筋を通せば、見えてくるものもある、とおっしゃいます。今日の講座でのテーマは、その8編の短編を並べ替えてみることで、兼好の恋の面影を探る、兼好自身の恋愛体験の告白を読み取るという試みでした。


先ずは、「雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、…」と書き起こされている31段から。要件があって女性に出した手紙の返事には、(こんなに美しく積もった雪を、あなたはどんなふうに見ていますか、とひと言も聞いてくれないなんて、なんやの)とありました。〈雪の積もった日〉には二人共通の思い出があるらしい、と気をまわして解釈してみる。どこかに書かれているはずだと探したところ、それは105段にあった。

というわけで105段は、「北の星陰に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、…」と始まり、女性の部屋に近い御堂の廊の長押に尻をかけて、ただただお話をすることを楽しんでいる(「物語す」)様子が描かれていた。知り合って間もない、初逢瀬といったところの場面。(だって、もっと親しくなったら?? 寝物語でしょ? ちなみに、近代になって結婚しなかった女性のことを書いた初めての作品は田山花袋の『布団』のようです。)

自伝的恋愛小説・8編の始まりは105段。次に31段がきて、それから1年ほどが巡る間のこととして37段と続く。知り合って間もない頃の様子を思い浮かべ、都の女性の所作を〈よき人〉と思う兼好がいる。この交際がいつか終わるかもしれないという思いを男に見せている女の姿を読み取って…。女性が発病したことが読める36段、…と読み進めていったのでした。和歌の文学の約束事が挿入されている部分の読み取りかたは興味深く、楽しくもちょっと切ない恋愛ドラマは進行中。葬儀を済ませ、兼好の出家までの過程が次回のお楽しみです。

 


京都御苑の梅はいかにと立ち寄ってみる前に、蘆山寺(写真・上)をのぞきました。下の写真は寺の南隣の紫式部邸宅跡。式部も御苑内を歩いて御所へと出勤したようですよ。式部はこの地で育ち、結婚生活を送り、『源氏物語』を執筆した、と。梅は早咲きの1本だけが開花していましたが、まだまだです。
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年末に一つ、

2017年12月19日 | 講座・講演

昨年までの『奥のほそ道』に続き、「『徒然草』その真実」の講義を担当してくださる光田和伸先生は、短歌をご専門とされます。今日は、連歌がどのような文化を作ったか。兼好はそれをどう受け入れたか、といった視点からお話がありました。

もともと「片歌」の倍のものだった「短歌」。心通わすために、一つを半分ずつ受け持つことが日本の文化だった、とお話です。言葉の意味をずらし、解釈を変えて、一緒に歌う。連歌の楽しさ面白さを説かれる先生は終始にこやかでした。
ただ、兼好は連歌を文芸として評価していなかった。時代の新しいものに目は向かず、「なぜ流行るのだろう」と考えることがなかったあたりに、兼好の限界があると思う。(兼好の死後10年ほどで現代の文化の原型ともなる室町文化が花開くわけですが)兼好は新文化が誕生することの予感も持ってはいない。――と。

武家文化が強くなり、上方の奥行きのる表現に疎かった東人が素直に読んでしまったことなどもあって、無常観の文学という強い思い込みがある『徒然草』。ですが、「一つずつでは見えないが、恋愛体験の告白と思える段が互いに支え合ったときに、恋の面影が現れる」「『徒然草』は、そんな連歌の手法を散文に応用した最初の例だった」とのお説。1月の休講後、いよいよ「書けない恋を書く」のテーマに入る。その前にと、今日はこの連歌の手法に触れて下さった、のか。何層にもなる兼好の考えの深さ…。やはり興味深い作品です。

(孫のTylerからうつったのか)少々風邪気味でしたが、昨日は京都での文章仲間からの誘いを受けて懇親会的な良い時間を過ごさせてもらいました。
考えあぐねていても一歩踏み出せず、自分のスタイルを貫けばいいことかな…と思うに至り、来年の春からという約束で加わることに決めたことがあります。年末の一つの思い切りに、少しばかり余韻を引きずっています。時間は作って、過ごそうと思うのです。

                            烏丸今出川にある同志社大学の校舎が夕日を受けて。
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11月1日、「古典の祭典」

2017年11月01日 | 講座・講演

源氏物語千年紀を記念して京都で2008年に11月1日が「古典の日」と宣言されました。「古典の日に関する法律」が制定され、今年は5周年に当たります。今年は「古典の日フォーラム」ではなく、「古典の祭典」と銘打った京都アスニーでの催しに参加してみることにしました。

第一部:管弦と舞楽の特別講演「平安の調べ」
     大正5年に創立された京都で最も古い雅楽団体・「平安雅楽会」により管弦「越天楽」や舞楽「青海波」「蘭陵王」の披露。
第二部:「古典を遊ぶ 芸能の世界~香ることば・舞うことば」
     香道志野流若宗匠の蜂谷宗苾氏、 能楽師ワキ方で連歌研究者でもある有松遼一氏は語りと謡の実演を交え、講演。最後は有斐閣弘道館の濱崎加奈子氏が加わって「ことば」のイメージを鼎談、といった構成でした。

〈香りを聞く。「聞く」は「かぐ」という意味を含み、もう一度聞き直すことはできない一期一会の香りとの出会い。香木を割って、古今集・新古今和歌集からことばを採って命名する。形のない香りに名を与えることで、ことばがつながっていく。能の詞章も連歌とクロスするものがある〉。

〈和歌も連歌も(能も)、文字で読んで言葉の意味を追うものではありません。ライブで、人と人が集う座があって、耳から聞いたことば(聞き取った言葉)が、心の奥のほうに入っていく、…その「間」に、立ち上がってくることばの色、温度、手触りとか匂い、座に通う息遣いをキャッチし、つなげ、ことばのイメージを広げて遊ぶのです。〉
お話の中の言葉をつないでつないで、このように心に残りました。「香ることば、舞うことば」、何となく一人合点して帰路につきました。つるべ落としの夕暮れ。空にはのちの月が美しく。
      
     

書店に立ち寄り購入したのは石牟礼道子さんの『花びら供養』。やはり読んでみたくって。読書の秋…。

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言葉は心の足音

2017年07月18日 | 講座・講演

「言葉は心の脈拍である」、と記したのは亀井勝一郎だったか。
柔軟な、静かなる知性に浸れる〈ひとこと、ふたこと…〉のブログの世界を今日も楽しみに訪問してから、午後からの『徒然草』講座出席のための準備を始めた。

テキストには岩波文庫の『徒然草』を紹介されているが、学生時代からの手垢がついた日本古典文学大系『方丈記徒然草』を持参して使っている。何ら不便もなく、今にして再びページを繰ることができるのが嬉しく、気持ちも入るから不思議。

今日のテーマは「『正気』という埒」。
195段、162段。こうした内容は教科書にも載らないので、『徒然草』の理解が一面でのとらえ方になってしまう。高校生にも読んでほしいもので、文章として美しいものだ、と見解を示された。144段の明恵上人の得難い特異な世界観と、236段の知識で世界を構成する聖海上人の話の対比は面白い。
熱い熱い筆致の134段。…だが、こうして人は何もしないで恥多き人生を終わっていくのだ…と肯定する。

人はいつ死ぬかわからない。それなのにどうして平気で暮らしているのだろう。こうした考えを「狂気」とみると、その反対が「正気」ということに。
人には誰もがこうなっていく可能性があるのだ、と老いを迎える人の心を見つめ、包み込むまなざしで冷静に書き留めている。兼好は人の心の姿への関心が強く、人の心を理解し寄り添おうとする人間だったようだ。

「声高にものを言う人の顔が美しくあろうはずがない。声静かに語るほうが美しいのである」とは、どなたが言われたのだったか…。

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92歳の鞍馬寺貫主さん

2017年06月14日 | 講座・講演


“男社会の”仏教教団の中で、40年以上も前から管長としてトップに就任し、古刹と周囲の山を守ってこられた鞍馬寺貫主(す)の信楽香仁さん。大正13年生まれですので、92歳でいらっしゃる。今日は鞍馬寺で「すべての生命かがやく羅網の世界」というテーマで貫主さんのお話をうかがう機会に恵まれました。
お話は、立たれたままで30分ほどでしたでしょうか。お参りのどなたかがいたわるような言葉をかけますと、「皆さんのように座ってるほうが大変だと思いますよ。平気です」とお答えで、座には笑いが。


水色の幕が張られているのは、20日に行われる「竹伐り会式」のための舞台作りです。
この本殿金堂に参拝。あげてくださった般若心経の始まりと終わりに、それぞれ柏手が2拍ずつ打たれたことでびっくり。
鞍馬寺は平安時代に延暦寺の末寺になっているのですが、鞍馬は古神道、山岳信仰、天台、真言、浄土と、様々な教えが詰まった場所だそうで、その特徴を生かそうと、1949年に天台宗の所属を離れ「鞍馬仏教」という新しい宗派を立てたとのことです。般若心経に柏手は、〈鞍馬らしさ〉の表れの一つなのでしょうか。「月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強く」。心の磨きが足りません…。

いただいた散華に記された言葉。
「花束をもって 多くの華鬘(けまん)を作るがごとく 人として生まれなば 多くの善きことをなすべし」
「『われに影響することなからん』とて 善を軽んずるな 水の点滴はよく水瓶をも満たすなり 少しずつ積みても賢者善に満つ」
「この世において 怨は怨によりて静まることなし 怨を捨ててこそ静まるなれ これ不変の真理なり」
「物事は意(こころ)よりおこり 意を主とし 意よりなる 清らかなる意をもって語り行う時は 楽しみ これに随う 影のものにそいて離れざるがご とし」
「深く静かで穏やかなる湖水のごとく 賢者は真理を聞きて静かなり」

今年はとりわけ緑が豊かに茂っているのだそうです。何度も深呼吸しながら、命のみなもととなる「元気」をお山にいただいてきました。集合場所がケーブルカー乗り場だったこともあって、楽して登らせてもらいました。とはいえ、山上に横づけではありません。息が切れるほどの階段のきつさでした。帰りは九十九折りを知り合った方とおしゃべりしながら…。

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