京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 きれいなわけ

2010年07月30日 | 日々の暮らしの中で
「…お断り」「…持ち帰ろう」と、飼い主へのマナーを訴える張り紙をよく見かける。迷惑を被っている人が多いことの裏返しというわけだ。

愛犬と散歩を楽しむのも、一日のうちではわずかな時間でしかないだろうに。そんなときに外でしないように躾けることってできないのだろうか。飼ったことがないのでわからない。

幼い子には必ず外出前にトイレに行かせる。ああ、それでもすぐに「おしっこしたい」と言い出すJessieだった。「いましてきたばかりでしょ、我慢しなさい!」なんて無理を言われて、仕方がないからコンビニへ立ち寄ることもしばしばだった。
出るものところかまわず…、とは行かない人間と違って、家族同様と言われる愛犬でも、我が家の外ならお構いなしと考える人も多いの?

それほど目に付かない散歩道。きれいじゃないの、ポスターの効力なのか、マナーが向上しているのかもしれない。ビニール袋とシャベルなど持って歩いている人もよく見かける。公共道徳…、いいことだわ~。

ある朝、その後始末で道路の側溝に捨てていたお方を見かけた。
なあんだそうか、だから跡形もなく街はきれいなんだ。

この飼い主さんは、愛犬に注意されているんだろう。

このポスター、ちょっとおかしいくはないのかしら。
この犬のセリフに、というよりこの発想にかな? 少々ムッと不快感…。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 保田の海の家

2010年07月29日 | 日々の暮らしの中で
              '10.2.13

昨年88歳で亡くなった庄野潤三さんが、「この夏の思い出」に書いていた。

むかし、三人の子供が小さかったころ、私たちは夏休みが来ると、子供を連れて外房の太海(ふとみ)海岸へ行き、子供らを泳がせた。おかげさまで三人とも小学生のうちにいくらでも泳げるようになった。長女は中でもいちばん泳ぐのが好きで、…
  平成7年8月、77歳のときの文章になる。

このくだりを読みながら思い出す事があった。
私は反対の内房の保田(ほた)へ、毎年両親と姉弟の五人が一泊で出かけていた。やはり小学生のころだ。父の勤める会社が、社員やその家族のために“海の家”を提供していてくれた。

庄野さんは父より3歳年上だが10年以上も長生きされた。
「三人の子供」の年代は両家ほぼ同じだった。
庄野ワールドに描かれた平穏な日常のいとおしさや豊な味わい、今にしてそれがより深く感じられるようだ。思いがけなくもこうした夏の記憶がよみがえったけれど、自分が生きてきた「時代」をついそこに懐かしく重ねてしまう。

民宿から海は近かった。        
細い路地を歩けば目の前に海が見えてくる。足を砂だらけにして行き来したのだったと思う。

こちらの長女は、水泳はからっきしダメ。中学校時代の体育でプールの授業、まだ梅雨も明けない肌寒い日にも既に始まるが、この授業をどうサボルかだった。あれこれ理由をつけてほとんど見学していたはずだ。補習もなかったし、まあ~よかった。

書店でガイドブックを開いてみたが、保田のページは見当たらなかった。
ネットであれこれ…、千葉県安房郡鋸南町保田、だった。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 汗をかきかき・・・

2010年07月26日 | 日々の暮らしの中で
                   

瓦の照り返しがさぞや暑いことだろうと想像できる。
まだ少しの瓦が帯びも解かれずに境内に置いたままになっているが、完成は間近い。
足場をはずし、すっかりお化粧しなおした門で、お盆に帰省されたかたがたのお出迎えとなる。置かれた瓦に従来の重さは感じられず、どことなく軽量化した品質の違いが見て取れる。

どこへでも夫婦で仕事場に向かう瓦屋さん。さすが本堂の上には見かけないが、脇の玄関や平屋の庫裏の屋根なら女でも上がって作業される。この日は息子さんが一人。
指物師の息子は漫画家志望とかで東京暮らしを続けていたが、あきらめて帰郷し後を継いでいる。宮大工の息子は会社にお勤めで、我家の息子は…。                                                           

  

一株入れておいた本堂からの雨水受けの中でホテイアオイが咲いた。
そして先日、琵琶湖のハスの傍から頂戴してしまった3株をここに入れてあるのだ。仏さんが見ております、大事にしますので許されて~!

瓦屋さんが汗を流す姿を見ながら、バケツで水を足すなどしてカンカン照りの中をうろうろと過ごした…。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 初めて歩く新しい道…

2010年07月25日 | 日々の暮らしの中で
            

また一つ歳を重ねて、初めて歩く新しい人生の扉を開けた。

肩肘張らずにしたいことをして、淡々と心豊に日々の暮らしを重ねていけたらいい。
夢、そして旺盛な好奇心を捨てることなく、埋もれることなくできることをしていこう。
せっかくこの世に生きて、できるならいくつもの人生を共に歩んでみたいものだ。

今夕、電話口の向こうでJessieが「Happy Birthday」 を歌ってくれた。ありがとさん。
届いたプレゼントは、セロテープできっちり包んであって、中から取り出すまでに随分とじらされ、あけてビックリ! このピンクの紙に書かれた絵はなんでしょう。



この日を向かえ生きる感謝の思いを父と母に届けたい。
お祝いの言葉をいただける友がいる喜びも感じている。身に余る光栄、幸せに酔うのが一瞬で消えてしまいませんように。ひとつ頬をつねって…。
胸の中に入り込む風が心地よい。

向き合った細かな葉を寄せ合い、やがてぴったり重ねるとその葉先を垂れて眠るという、ねむの花。やわらかなお化粧の刷毛に、ひと刷け紅をのせたようにして上を向いて開いていたねむの花。
早寝早起きの木のようだ。今夜は早めに夢の国への案内を乞おうかな。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 念力で…

2010年07月23日 | 日々の暮らしの中で
       
      念力のゆるめば死ぬる大暑かな   村上鬼城

吸う空気の暑いこと!
上から下からの熱気地獄に身を置いて、午後2時半の陽射しを避けてひたすら歩く。
よりによってこんな時間に、アホじゃないかと自らを笑いながら日傘の陰で汗だくだ…。日に日に体力消耗、弱っていきそうな気配。

「炎昼」という季語を知った。街中でまさかの自然発火などはごめん蒙りたいが、頭の中は発火しそう…、暑い。暑い暑いと言うも聞くも飽き飽きするけれど、暑いものは暑い。

23日がピークと見られる、とある。予報は「予報」だから、… それでも当てにしよう。
今日のこのひとやま乗り越えて、「立秋」まで15日間!!


    秋風にたなびく雲の絶え間より
           もれいづる月の影のさやけさ     左京太夫顕輔

少しは涼しい空気を吸って、ここ一番乗り切るのだ~。 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 蛇頂石

2010年07月22日 | 日々の暮らしの中で
              

「家宝」とはまた随分大きく出たが、いかにも父らしい。おまけに「禁持出」としてある。
何にでもこう書き添える癖があった。
実家に伝わる大切なものが、いつから、どうして私の手元にあるのか、不思議なことにそのいきさつにはまったく記憶がない。物持ちがよい娘、と単純に私を信用していた父だ。紛失の可能性も一番薄いと思ったかもしれない。

私の知る限り、すでに縦半分に割れていたが、これは「蛇頂石」といって、人造石らしい。
まだ幼かった弟が蜂に刺された時があった。その傷口に、濡らしたこの石を割れた左右をきちんと合わせて当て、絆創膏で止めていたと思う。虫刺されでひどく地腫れしたときなども父はこの石を当ててくれた。

         

蛇頂石が、毒を吸ってくれるようだ。
どのくらいの経過を見てだったか…、石をはずして水の入った湯飲み茶碗に沈める。石からは面白いようにプクプクと泡が出てくるのだが、それを家族6人が興味深げに頭をそろえて覗き込んでいた。笑いを誘われる懐かしい少女時代、あ~、もう大昔の話。

我家のばあ様が、ムカデに刺された!と言って大騒ぎになった日、あの時、出し惜しみしたわけではあるまいな…、と今思い出している。多分まだ石は手元にはなかったのだ。隠しておいたわけではない。あっても蛇頂石では手に負えなかっただろう。病院へ飛んで行った。

しかし、この石も宝の持ち腐れもいいところで、効果を試す機会も失われてしまったまま、出番がない。せっかくだから、夏のアウトドアーには携行したほうがいいのかもしれない。
今は製造法も定かではなく、手に入らない珍しいものではあるようだ…。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 Jessie~、あたまじゃくしが!

2010年07月20日 | 日々の暮らしの中で
          

図書点訳を再開して1ヶ月あまり。一冊を分担しての点訳に関わりながら、プライベート点訳として単行本を並行させている。打ち合わせで大津にまで出向いたので、琵琶湖岸沿いを走って、ぜひとも行ってみたかった場所へと足を伸ばした。

      
  奥には近江富士の山容               幾重にも重なる山並みが…

Jessie!“あたまじゃくし”がいーっぱい!   
写真見てね。見渡す限りのハスの花、覚えているかなあ?
今年もやっぱりお花のところからパン!パン!って弾ける音がするのよね… 
あれは何の音なんかしらねえ。
ねじれてピンクのお花が咲いていたでしょ、たくさんあったのに1本もなしよ。
もらって帰ろうと思っていたのに残念でした~。

草津市立水生植物公園みずの森。
歩いているだけで背中をスーッと汗が一筋流れ落ちる、かんかん照りの今日。
日ごろ目にすることができないこうした開放的な光景。ここは「夏」が似合う場所だと実感。
暑さが苦にならない、そんな思いは久しぶりに味わったみたいだ。たまにはこうした空気を吸わないとね…。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 二千円札の運命

2010年07月19日 | 日々の暮らしの中で
        

いつまでも暮れない夕方、西の空を染める赤みがかったオレンジ色の大気が、夕飯作りを急ぐお勝手の窓にも映えて、そのまま屋内を染めている。白いお月さんが出ていた。
夕焼けが明日も晴天であるのを約束している。あ~、さぞや暑かろう。

       海の日を畳の上で養生す     矢島昭子

真夏日となった今日、これが一番、というところだった。

ジメジメとした鬱陶しさから逃れたくて梅雨明けを待ち望むのだが、開けてみればいつもこれ。「暑さに体が慣れていない」と、繰り返し熱中症対策を呼びかける声が聞こえてくる。
逃げ出すところもなく、屋内にても熱中症では笑い事ではない。

2000年7月19日、二千円札デビュー。
日銀が42年ぶりに新額面の紙幣を発行。年度中に10億枚を予定していたとある。いつ手元に回ってくるのかと初めの興味も次第に薄れてしまった頃、レジのおつりに混じっていた。このあと偶然手に入れた貴重な1枚を永久保存よろしく保管している。使い勝手の良し悪しも体験しないままに。

自分らしさを追い過ぎだ。二千円札の存在意義はどこに? 固執し、価値観の幼さや脆さは棚上げにする。悪いことには、どこか引き出しの隅にでも閉じ込められたりしてしまう。
自分探しなどやめて、早期完全リタイアがのぞましかろう。実際、もう姿を見ない。

畳の上で見た夢、仕事探しの人であふれている…。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「告白」の次は「…密告」

2010年07月16日 | 日々の暮らしの中で
赤ちゃんのときに、百人一首の赤染衛門の札をかじった。そのことが筆名の「赤染」の由来だそうだが、宇治在住の赤染晶子さんが「乙女の密告」で芥川賞を受賞された。

朝日新聞に掲載される「文学界」「群像」「新潮」…の月案内の広告を切り抜くのを趣味とする我が家の特待生。言わば、人の趣味のおかげで、赤染さんの名を文学界新人賞受賞時に知ることができたことを思い出す。2004年のことになる。

現在、京都新聞の文芸欄に、歌人、俳人・児童文学者、作家など様々な肩書きの方々の交代による連載で、「季節のエッセー」がある。そこで最も楽しみに拝読している。必ず笑えるからだが、文章の歯切れのよさは好きだ。

漱石の「笑い」の影響を受け、笑いの好みは吉本よりも藤山寛美、文体は幸田文の影響だと自己分析される、35歳。

芥川賞と言えば、純文学の新人賞だが、デビューしてもう6年ほどになるお方…。
選考委員の数が多いために雑多な候補作品、委員の顔ぶれが変わらない、などといった問題視も見逃せないような。これで作家としてのステータスが上がり売り上げが伸び、ベストセラーの道??? 商業的であってかまわないという賞のようだし。
だけど昨年の「ポトスライムの舟」、娘の友達の友達の津村紀久子さん著、な~~んかなぁ。

“影の町”京都を必ず小説の舞台にしていると言う赤染さんの小説、まだ読んだことがないのだった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 当てにしなくても…

2010年07月15日 | 日々の暮らしの中で
「中学校の教員になって丸八年。今月いっぱいで教員を辞めます。…」担任は、1年B組の生徒に向かって話し出す。「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです」自ら知った娘の死の真相を語っていく。『告白』。

「読んだ?」「まだ」「なあんや。感想が聞きたい思て」「今日から読むわ!」(ごまかせへんなあ…)

「セレンディピティ(serendipity)」、この言葉を知ったのは岡部伊都子さんの著書を購入したのがきっかけだった。「当てにしなかった良いものを偶然発見する能力」のことを言うようだ。「何か探しものをしていたら偶然さらによいものを見つける」、棚ボタとは少し違うのだろう。

先月上京の折、『私の日本語雑記』(仲井久夫著)を買って帰ることを考えていた。八重洲ブックセンターへ向かった。新刊間もない本ですぐに探せたが、偶然にもその隣に置かれていた本が『神谷美恵子コレクション 生きがいについて』だった。ハンセン病患者の方々と真摯に向き合ってこられた人生を知って日も浅い。もう少し知りたいと思いながら…。ページを繰ってみて、2冊をレジへ。

「人は誰しも…、生命の残された年月の長さについてほとんど深く考えることもしないで日常を過ごしている」
時に重い緊張感で息が詰まるようで、心の臓のドキドキが響く。自分に問う、そんな場面なのだ。何の裏づけもなく偶然でしかないが、何かが呼び寄せてくれた1冊。幸運を招き寄せる力は、潜んでいたと思いたい。こちらを一休み。

押し付けられぎみに読み始めた『告白』。何が潜んでいるやら。
当てにしてなくても、読んでみないことには。

               (写真:昨年は祇園祭にもぶらぶらと…)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 命あっても…

2010年07月12日 | 日々の暮らしの中で
              
        (JR式マグレブ 愛・地球博での展示 ネットより拝借)


東京―名古屋間が40分で結ばれる“予定”は17年後の2027年、その先さらに大阪までの開業となると35年後の2045年とされている。
東京―大阪間が67分で結ばれるという試算。
何のことかといえば、時速500キロメートルで走行する超電導磁気浮上式リニアモーターカーで、東京と大阪を結ぶ「リニア中央新幹線」のお話。

そのルートには京都への乗り入れが想定されていない。
都市格の維持・向上、発展、観光振興計画推進のためには「京都ルート」の実現が望まれるというわけだが、実現しない場合には利便性の高いアクセスの確保に向けて、更に積極的に活動していく…。

                       

とは、ただ市議会のQ/Aに目が留まっただけのことだ。

35年後!? なにやら自分の「命」を極めて現実的に考えてしまった。こうした先を考えることが苦手だ。達観できず、どちらかといえば「生」にしがみつきたくなる愚かさ。乗ってみたいと思うわけでもない。ホバークラフトに初めて乗った20代の頃、酔いそうになったことを思い出す。関係ないかな…。その前に命が、ではないか!
なんかイヤな話を読んでしまったなあ~。

ガラス窓をたたきつける激しい雨が降り続き、朝から暗くなりがちな部屋で…。見なかったことにしておこう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 勝手な言い分

2010年07月09日 | こんな本も読んでみた
はっきり意思表示できなくて、断りの言葉を言い出せないまま、読みたくもなかった本を手渡されてしまった。隣で話を聞いていて、正直なところ時間がもったいない、読むなら映画で見るわと、心の中では思っていた。わずかな成り行きの違いで、いつものように、黙って首を振っての「読まない」の意思表示では済ませられなかった。

第6回(2009年度)本屋大賞受賞作品、湊かなえ著『告白』。映画化されて上映中でもある。小耳に挟むストーリーだが、気は向かない。困ったことになった。

第一回(2004年度)の『博士の愛した数式』『クライマーズ・ハイ』、第2回の『明日の記憶』、第3回の『名もなき毒』、第6回の『悼む人』と、これまで受賞作やノミネート作品に映画や本で触れたものがあるのに気付いた。

そもそも本屋大賞とは、【「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本」をキャッチコピーにし、選考資格者が「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)員のみ」という点が、他の文学賞と大きく異なる点だ】とWikipediaでは説明している。さらには、【文学性の強い作品よりエンタテイメントに徹した作品が受賞・ノミネートすることが多い】ともある。

『告白』は受賞時既にベストセラー、今年度の『天地明察』も受賞時8万部、現在38万部を超えたそうだ。本屋さんが、最初から売ろうと思っての一層の宣伝興行かと思われても仕方がない。日の当たらない良書を選ぼうとしたもともとの意味合いは薄れてしまっている?そうした作戦に乗るまいと意地を張るわけではないのだが、いくら「売りたい!」、買って! 読んで!と奨められてもね…。

自称“貧乏作家”さんはおっしゃる。良書の中でも宣伝によって売れる・売れないの格差は広がる。その売れない良書への目配りを期待したい…と。
多様に発掘、紹介してほしいものだ。そうすれば、私が黙って首を縦に振る回数も増えるかもしれないのだから。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 七月七日 ・・ 「京の七夕」

2010年07月07日 | 日々の暮らしの中で
        

「かくて、七月七日になりぬ。・・・」
賀茂川の川辺に桟敷を設け、七夕の節句のものを食べ、「君達御髪すましはてて」後、琴を奏して七夕に奉り、歌会などが行われた様子が描かれている。(『宇津保物語』・平安中期)
江戸時代、七夕は五節句の一つとなり、竹に願い事を書いた短冊をつけての星祭が盛んになったといえるようだ。

「万葉集」以前からすでに、天の二つの星が昨年別れて以来再会するという晩、この日を待って寝られない思いや、暁の別れのつらさなど自分の思いを重ねて詠んだ歌も多い。いつの時代にも共通した恋する人の思いは、はるかないにしえ人の存在を身近に引き寄せることになるだろう。

午後には猛烈な夕立があったおかげで、涼しい晩を迎えている。
天の川は無数の星の集団。この銀河系を“天の道”と見ていた古代神話もあるようだ。様々な伝説を生む壮大な天空のロマン、今夜の二人は会えているのだろうか…。

この葉書き(3枚セット)に「願い事」を書いて投函すると、五山の送り火などで京の夏の夜空に届けてくれるという。いかがでしょう…
「京の七夕」http://www/kyoto-tanabata.jp/
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 せんなき一日

2010年07月06日 | 日々の暮らしの中で
             

つくづくイヤになりました…。
昨日とうって変わって朝から気力が湧かない。かったるい。いっそ雨ならいいのに晴れまくり。本当に苦楽は対か。今日頑張ればあとが楽チンか、その保証はないのだから何もしいて重い腰を上げることもない。どうあっても動きたくないのだから詮無きこと。そう決め込んだ。

京都弁を話すでもない、関西弁たっぷりにも気後れする、関東弁に様々な要素がミックスして「へんだよ」と言われる、言うなら言語世界の落ちこぼれが取り出したのが、何冊かため込んだ田辺聖子さんの著書。あまり読まないのは大阪弁の世界・テンポに波長が合わなかったりするからなのに…。ただ、何度拾いなおしても、本を持つ手の力は急激に抜けてしまう。

「人生の意義は、まあ、いろいろあろうけれど、自分が何回、笑顔になったか、ヒトの笑顔をどれ程見たかで、充実度がはかられる、そんなところがある。」
上機嫌はいちばんだとして、こうあった。むっつり『… 女はごろり』で過ごした本日、ますますもって失格!

         

来年から学校のJessie。日本で言えば幼稚園年長組に当たる“プレップ”(preparatory school)というものらしい。検討中の一つだというスクールの体験入学に参加した話を聞いた。王冠、ネックレス、カイトなどの手作りや、平均台、トンネル・トランポリンなどの身体的な活動まで含んだ1時間半。
そこでママ友ができランチを共にして、週末の約束をするとか…。交流の輪が広がる、大いに結構。遊ぶことをよく楽しむ人たちだ…。

賑やかなのがいいな…  (ポソッ)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 一本の茎の上に… 

2010年07月05日 | 日々の暮らしの中で
                               

雨続きでうっかり見忘れていたホテイアオイ。

熱帯アメリカ原産の多年生水草とある。何とか冬を越せないものかと思っていたが、オーストラリアから帰ってきて見れば、真っ茶茶。枯れた?腐った? 捨てることにした。
春先に、新たな株を買ってきた。早く咲いてね、とポッコリしたお腹を撫でながら肥料をやるでもない、眺めるだけにもかかわらず、ちゃんと応えて喜ばせてくれるとは。

嬉しいホテイアオイの初咲き。思えば思われる。なるほど、布袋さんは弥勒菩薩の化身とか、世の先を見通す力をお持ちだそうだが、人の心もわかっていてくださるということに。

「人間の顔は、一本の茎の上に咲き出た一瞬の花」…と茨木のり子さん。
硬い蕾もあれば初々しさもあり、今真っ盛りから散りかけに、もはやカラカラの実…。ただ、その様相だけではなく出自のはるかさに心を動かされている。
 人間も植物とさして変わりはしない。
 風や鳥に運ばれてきた種子のように、あちこち転々として散らばり、咲き出て、また風に 運ばれて…。 長い歳月のあいだに混じりあい構成されて日本列島で咲いている…。
 
     夕刻:左の花に残る蕾。新たな明日への一つと…

帰化植物となったホテイアオイ。一本の茎の上に六弁花が群がり開く。
この顔立ちに、透けるような肌。梅雨の晴れ間に、清涼な空気が漂う朝。
「お花が咲いた~」 今年はあのJessieの声が聞こえない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする