京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「内気の象徴・孤独な隠者」

2018年02月27日 | 日々の暮らしの中で
ここのところ、春を迎えたような陽気が続いている。三月下旬の気温だというから、おにぎりとお茶を持って車で少しだけ北へ行ってみることにした。雨が降らないので鴨川の水量は減っている。駐車場近くの流れは浅瀬で、陽は川底の石を照らし川面が映える。グランドでは女性のソフトボールチームが威勢のいい声を上げていた。



平日ののどかな風景に、散歩道を変えて歩いた。北山杉の林にはよく陽が入っている。切り倒された無数の木はどうするのだろう。東屋のベンチに腰かけていると、セグロセキレイを三羽見かけた。長くて細い脚だこと。逃げるどころか、近くを跳ねて歩いている。

散歩から帰ると、知人からの絵手紙が舞い込んでいた。内裏雛の絵に、肘の手術成功の喜びがうかがえる。彼女の連れ合いさんは点訳に携わっているが、そのPC入力ができないほどに指先まで腫れ上がってきたと聞いていた。ボランティアは黙ってすればいいと口癖のように言う。80歳に近いがグループの中心にいて若輩者の声に、問いに静かに耳を澄ませてくれている人の存在が心強い。年代を超えたお付き合いから学び、渡していくことは多くて、素敵な関係だ。

「茂みに隠れて鳴くツグミは、西洋では内気の象徴で、孤独な隠者にも擬せられる。しかし、春告げ鳥のうちでももっとも美しい声をもち、そのさえずりによって人々に恋心を芽生えさせるという」と佐伯一麦さんが書いていたのを思い出させてくれた。リハビリからの復帰が楽しみ、楽しみ。

 



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梅にも春

2018年02月25日 | こんなところ訪ねて
学問の神様は東京にもおはしまして、一度だけ湯島天神にお参りしたことがある。大学受験を迎えた年、父は長期で海外出張が決まっており、私の受験日にも合格発表日にも家を留守にしなくてはならなかった。その出張前の或る日、父は私を天神さんへと誘ったのだった。

  
              梅咲くや白くも濃くも大自在  移竹

北野天満宮は天満大自在天神・北野聖廟と呼ばれた。毎月25日には市が立つ。そこに今月は梅花祭開催の華やぎがあった。早咲き、遅咲きと、梅はぱっといっときに咲いて散る桜と違って、つぎつぎ咲いていく。タネから育つので開花の時期も違うし、驚くほど典雅な呼び名が木々につけられていてゆかしい。それぞれに風情、佇まいを持つようだ。

「梅にも春」で、ほころび始めた。「もう少しだね」など言葉を交わしながら、満開の頃はどれだけ華やかに咲き匂うことかと気持ちもあたたかい。今楽しむは、まさに未生の美。 
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情熱的で力強く…

2018年02月23日 | 展覧会

便利なキーワード3つ。「情熱的な色彩」・「力強くうねる筆致」・「日本好き」、これらの言葉から想像できる画家と言えば、ゴッホでしょう。
幾つか見知った絵があるという程度ですので、日曜美術館(NHK)の放送を聴いたり、新聞紙上でのゴッホ展関連記事を読んで少しオベンキョーしました。
開催中の【ゴッホ展 巡りゆく日本の夢】(1/20 ― 3/4 京都国立近代美術館)にそのうち行ってみようと思っていたからです。それがいつのまにか「まあ、いいか?」となって最終日が見えてきてしまいました。「やっぱり、もういいかな」、そんな思いでいると「割引カード(注・100円だけ)があるから行きませんか」と友人からが声がかかって、「ありがとう、行きたかったのよ」と即答。弾みがついて、双方の都合を確認して即決でした。この友とは、それぞれの日々の暮らしの中に求める波長が触れ合えるのか、興味の対象は違っていても刺激し合える大切な関係です。

〈江戸後期の浮世絵師が西洋遠近法を極端に吸収した。それを再び、西洋の近代画家が受容する、という循環。日本の美術に出会ったゴッホは、浮世絵を夢中で模写して色彩や構図を学び、たくさんの傑作が描かれた。そして彼の死後30年近く経って、そのゴッホに憧れた日本人の画家をはじめとする文化人が現地を巡礼する〉などとの専門家の解説を読み、本物を目の前にした贅沢な空気に触れました。

ときどきはしっかり立ちどまり、見えにくい解説の文字を読み取って、得ていた情報とすり合わせては「なるほど!」「なるほどねー」と、影響やつながりをわかったつもりになる。「花魁」の鮮烈さ! 柔らかなタッチ、やさしさを感じる目線のものには安息を感じ、「蝶とけし」なども意外に好きだと感じたり。
「ポプラ林の中の二人」を描いた翌月に自ら命を絶っているわけですが、昨年11月末に視た油絵が動くというアニメーションでの映画「ゴッホ 最後の手紙」ではこのあたりの謎を探っていました。


21日に入館者数が10万人を超えたと新聞で報道されました、10万人目の方は以前から関心があったとか。私にはそれがなく、百聞は一見に何とやらのにわか関心でした。

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早春の草花

2018年02月21日 | こんなところ訪ねて
暑ければ夕涼みに、寒い季節には暖を取りに、思い思いに寄って来られます。おさるさんのようにひと固まりになってストーブに手をかざし、他愛ない会話がはずみます。独りでいるよりはお喋りをしたいのです。連れ合いさんの介護の話、オリンピックの話。ヨガの話。
昼食後、府立植物園で開催中の早春の草花展までご近所さんも混じってぷらり散策に出ることになりました。長さ100mの特設会場に、200種1万株と言われる春の草花が満開でした。


綺麗やね~、かわいいね~とぐらいしか言葉が出ない私は、誰よりも早く出口に着いてしまいました。色鮮やかで、美しく配置されひとつひとつとても綺麗ですが、どうも私にはそれ以上のものはありませんでした。

ただ、これまで写真でしか見たことがなかったセツブンソウとヒトリシズカをこの目で見られたことは収穫です。動植物はカタカナ書きとなりますが、「ヒトリシズカ」とカタカナで書かれるとちょっと鋭角的な感触。「ひとりしずか」、うーん、イメージが膨らみ、柔らかなやさしい心地がします。「一人静」、文字を見ての通りでイメージが絞り込まれます。4枚の葉に囲まれて、花穂をすっと伸ばした姿。楚々とした美しさに名は体を表すの感。


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恋の面影を探ると

2018年02月20日 | 講座・講演
吉田兼好が『徒然草』を執筆してから亡くなるまでの20数年の間、散文を一つも書かなかったのははなぜだろう。
この疑問が発端となって光田和伸先生が出された答えは、「『徒然草』は兼好が愛した女性との思い出を書き残したくて書いたものだ」というものでした。ただ、結婚(の約束をしていても)できなかった女性のことを当時の社会で男が書くことは世間体もあって許されなかったので、8つの短編を綴って多くの話の中に紛れ込ませた。筋を通せば、見えてくるものもある、とおっしゃいます。今日の講座でのテーマは、その8編の短編を並べ替えてみることで、兼好の恋の面影を探る、兼好自身の恋愛体験の告白を読み取るという試みでした。


先ずは、「雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、…」と書き起こされている31段から。要件があって女性に出した手紙の返事には、(こんなに美しく積もった雪を、あなたはどんなふうに見ていますか、とひと言も聞いてくれないなんて、なんやの)とありました。〈雪の積もった日〉には二人共通の思い出があるらしい、と気をまわして解釈してみる。どこかに書かれているはずだと探したところ、それは105段にあった。

というわけで105段は、「北の星陰に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、…」と始まり、女性の部屋に近い御堂の廊の長押に尻をかけて、ただただお話をすることを楽しんでいる(「物語す」)様子が描かれていた。知り合って間もない、初逢瀬といったところの場面。(だって、もっと親しくなったら?? 寝物語でしょ? ちなみに、近代になって結婚しなかった女性のことを書いた初めての作品は田山花袋の『布団』のようです。)

自伝的恋愛小説・8編の始まりは105段。次に31段がきて、それから1年ほどが巡る間のこととして37段と続く。知り合って間もない頃の様子を思い浮かべ、都の女性の所作を〈よき人〉と思う兼好がいる。この交際がいつか終わるかもしれないという思いを男に見せている女の姿を読み取って…。女性が発病したことが読める36段、…と読み進めていったのでした。和歌の文学の約束事が挿入されている部分の読み取りかたは興味深く、楽しくもちょっと切ない恋愛ドラマは進行中。葬儀を済ませ、兼好の出家までの過程が次回のお楽しみです。

 


京都御苑の梅はいかにと立ち寄ってみる前に、蘆山寺(写真・上)をのぞきました。下の写真は寺の南隣の紫式部邸宅跡。式部も御苑内を歩いて御所へと出勤したようですよ。式部はこの地で育ち、結婚生活を送り、『源氏物語』を執筆した、と。梅は早咲きの1本だけが開花していましたが、まだまだです。
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眠れぬ夜に

2018年02月17日 | 日々の暮らしの中で
日付が変わってから横になり、よせばいいのに1時間ほど本を読んで、眠りました。目が覚めて時計を見たら午前3時です。充分寝たような気分の良さですが、この寒いさなかに起きるには早すぎる。もう少し眠ろうと半時間ほどじたばたしますもダメで、結局はまた本を読みだすという始末でした。それでも少しうとうとっとしたのかしら…。

眠れない夜のために、いろいろな試みがあるようです。
例えば『源氏物語』の巻名を順にとなえてみる、天皇の名前をそらんじる、さらには百人一首を「あいうえお」順に思いだしたりする、なんてことまで…? 
眠れないときは何をしても眠れなくって、そのときが来るのを待つしかありません。が、イライラしてくることがあります。そこで、とりあえず気持ちを静める効用があると思われるおまじないがあるそうです。五五七七なので短歌ではありません。夜中にこの文言が思い浮かんだら、一度試してみましょうか。

    モシャシャのシャ シャシャモシャシャ、モシャシャなければ、シャシャもシャもなし


ガードレールで大根と赤かぶが川風にさらされてました。


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「グレイテスト・ショーマン」

2018年02月16日 | 映画・観劇
ミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」の上映が開始されるので見に行く予定にしていた。相手の不機嫌は見て見ぬふり・・。


19世紀に活躍したアメリカのエンターテイナー、P・T・バーナムの成功が描かれている物語。
偏見、差別を受け、社会から、家族からも排除される弱者たち。彼らはバーナムによって人生の楽しみを教えられ、♪this is me this is me this is me~ と歌い踊る。アイディアで勝負し、全財産を失うが、その仲間たちに背を押され再起、家族との幸せを取りもどし、成功への道を歩み出す。アメリカらしいストーリだが、最後にテロップで流れたバーナムの言葉、「優れた芸術は人生に楽しみを与えてくれる」を心に残して…。

「一切皆苦」、苦しみばかりのこの世、憂きこと多いこの世にあって、心に安らぎや潤いを与えてくれ、心の豊かさを演出してくれるものに藝術、文化がある、と言ってくれている。人生を装飾する楽しみのタネはたくさん持っていたい、と思うのでした。
「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」。
どなたかが言ってました。-花の命はけっこう長くって、楽しいことはてんこ盛り-って。この心もち、素敵だなと思います。
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「花をたてまつる」

2018年02月14日 | こんな本も読んでみた

「小さな蕾のひとつひとつの、ほころぶということが、天地の祝福を受けている時刻のようにおもえる」
この10日に亡くなられた石牟礼道子さんの『花をたてまつる』を読み返していて、こんな表現に出会いました。

「水俣病」、この言葉は四大公害病の一つとして学校の授業で習いました。試験のための暗記事項であることにとどまったまま、『苦海浄土』を読んだのは刊行から20年も経った頃でしたから、随分と遅かった。

自分たちの苦しみを聞いてくれと、一家全滅、一族全滅で生き残ってる患者さんたちが東京に行きました。が、無視され、ボロ人間か何かのように、汚れもんという感じで相手にされず埒があかない。教養も学識もあるチッソの高級役人に、「あんたたちは人間の心がわからんとじゃなあ」と哀しい顔つきになって、愕きを深くしていく前後の描写があります。(1984年「村のお寺」『花をたてまつる』収)

石牟礼さんは自戒を込めて、書いておられます。
近代人には文字も必要不可欠で、知識も要る。が、本などをたくさん読むと、かえって人間に対する想像力が貧困になる、と。自分の読んだ本で翻訳して、自分の都合のよいように、自分の身丈に合ったように、自分の世界の中で人さまを読んでしまう。自分の考えの類型の中にはめこんで、自分の考えの枠の中にはめ込んで考えないとすまなくなる。
人間の生ま身を知識の切れ端でもって量り、既成の考え方で考えようとしているのに、はっと気づくことがある。自分が破れなきゃ、殻をぬがなきゃならないなあ、と自戒として常に思っている、と。

「人さまのこともわかって、人さまの心もよくわかって、自分もわかってもらわんと寂しかねぇ」

〈一輪の花の力を念じて合掌す〉 -- 「花を奉るの辞 熊本県無量山真宗寺御遠忌のために」より
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三千院大根焚き

2018年02月11日 | こんなところ訪ねて
連休を利用して大坂から孫娘が一人でやってくることになりました。来る前から、「どこ行く?」と聞いてきます。うーん、そう言われましてもね…。考えてしまいましたが、大原三千院で「幸せを呼ぶ初午大根焚き」が12日まであるのがわかり、行ってみることにしました。融け残った雪がそこここに。ぬかるんだ道を歩くのが懐かしい感触でした。
  
               大根焚き控えの釜が湯気を噴き


「ジェシも今年は中学生でしょ。これをいただいて一年間病気をしないで健康に過ごさなくちゃね」などと言葉を交わすうちに、マヒしたような指先の冷たさもほぐれていきます。「おかわりお願いします」、の声が聞こえてきました。

 

学生時代、毎年12月下旬になると所属していた研究会で「源氏万葉旅行」が催されました。教授、院生に学生とで『源氏物語』ゆかりの地を巡る4、5日の旅でした。ここ大原を訪れたのは2回生のとき。門前の茶店で炬燵で暖を取っての昼食でしたが、この日が私の炬燵初体験だったかもしれません。
小雨どき、寂光院への道を歩くのに先輩のIさんが傘を差しかけてくれました。時折立ちどまっては傘をはずし、耳に入ってくる音が違うことに気づかせてくれたのです。

記憶をたどり返しながら孫娘に話してみますものの、さっさと前を行ってしまいます。「みたらし団子食べよう?」って誘ってきました。

                                           (上記の句、どなたの句でしたか)
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「しろたへのお酒の粕」

2018年02月07日 | 日々の暮らしの中で
スッキリした青空が広がり屋内からの眺めは暖かそうですが、風が冷たい一日でした。こんもり膨れ上がった土を返してみれば、針のような長い霜柱。


こんな日は、と粕汁を。材料を整え鍋を火にかける、合間合間に残る酒粕をぷっくらこんがり炙ります。その熱々をあふあふと食べながら、友人とメールの交換でした。というのは…。京都新聞の紙面には「京都文藝」欄があり、「詩歌の本棚」と題して新刊評が各分野ごとに掲載されます。今回は歌集で、歌人の真中朋久氏が担当。取り上げられた5人の中に奈良市在住のUさんの名があったからでした。第二歌集『刳船』の中から4首が紹介され鑑賞の短文が寄せられていました。

・朝の森木漏れ日の斑を全身にまとふ幼は仔鹿のごとし

・落ち葉積む森の下かげ刳船(くりふね)の象(かたち)に窪む鹿の寝床は

ある日の早朝、Uさんは散歩中に奈良公園の片隅で鹿の赤ちゃんを発見したそうです。抱き上げ安全な場所に移してやりたい気持ちを抑え、管理事務所に連絡し事後を託した、と。野生の世界、人間が手を貸してはいけないと知っていたのです。奈良公園の鹿の保護活動にも参加する人でした。歌からUさんのエッセイにあったシーンが思い起こされて、印象深く残った2首です。このUさん、あのUさんに違いないとほぼ確信しながら、同じ奈良に住む友人に下の名前を確かめてみたくなったのでした。かつて共通の仲間でもあったUさんです。が、友人は「懐かしい」とだけで盛り上がりませんでした。
     
     しろたへのお酒の粕をこんがりと炙りて身体をあたためにけり    山崎方代

〈作者は生前は「ほうだいさん」と呼ばれて親しまれていた。戦争で視力を失い、生還したが結婚はせず、鎌倉瑞泉寺のほとりに侘び住んで、歌とお酒を友としてひょうひょうとした人生を過ごした。「しろたへの」という美しい形容と、「お酒の粕」という表現の中に、不如意を敢えて楽しむような哀しみがにじんでいる〉とは馬場あき子さん。(『歌の彩事記』)。炙った酒粕の熱々をちぎって食べた庶民の食文化を、「人間的な温かみのようにも、洒落た風雅のようにも、独特な、大人の表情をもって存在していた」とも書かれてましたけど…。「酒粕を炙って食べてます」と送信しても「楽しんで」ってだけだった。
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さて、賞品は?

2018年02月05日 | 日々の暮らしの中で

梅の木です。まだまだこんなに小さくて硬い蕾です。陽ざしは充分だったのでウォーキングに出たものの、風が冷たくて閉口しました。

昔は教養と言えば主に文学で、その中心は和歌でした。
『小倉百人一首』は、和歌の勉強を兼ねた遊びとして、広く親しまれ、学問にあまり縁のない人でも、百人一首ぐらいは知っているという時代は長かったのです。
誰もが知っているから「いろは歌」同様、いろいろな言葉遊びの下敷きにも使われ、百人一首を福引に使った例もあるそうです。

   ありあけのつれなく見えし別れより
       あかつきばかり憂きものはなし

という壬生忠岑の歌がありますが、では、
この「ありあけのつれなく見えし別れより」の札を引いた人の賞品は何だったでしょう~。
(本当は、誰もが知っているのですから上の句だけの札だったと思います)
いかが?

 
※※「ありあけのつれなく見えし別れより」の札を引いた人の賞品は石鹸でした。そのこころは、
          ↓
    「あかつきばかり憂きものはなし」
      あかつき- 暁、垢付き -ほど憂きものはない、ですので、
        垢を落とすための石鹸が賞品だったようです。
   
  

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春の始まりの日

2018年02月04日 | 日々の暮らしの中で
春のような日差しに誘われて、…というか、きょうは立春。季を分ける「節分」というつなぎ目で新しい年の神さまにうまく入れ替わり、我が家も無事春を迎えた。春の始まりの日であるから、「春のような」はおかしいのか。いずれにしても朝から光は明るく温みを感じる。

なると きんときーぃ いしやき~~~いもっ! 
なると きんときーぃ いしやき~~~いもっ!
なると きんときーぃ いしやき~~~いもっ!

軽トラックが大音量で流しながら、ウォーキング中の私の横を追い越して行った。同じ口調で「いしやき~~~いもっ」と繰り返し真似をし、「いもっ!」と追加のサービスをしたりして、勝手に面白がる楽しい時間に遭遇。ついでに、「金時豆炊いたわよー」って言ってやりたいところ。
お正月からこっち黒豆を2回と金時豆と、家にいる時間が多い日には、前の晩から準備しておいた豆をことことことこと火にかけて、ちょっとした書き物や読書などして過ごしたりしていた。

前方の道路わきに軽トラックは止まった。運転手はと見るとお兄さんはスマホをいじっていた。「なると きんときーぃ いしやき~~~いもっ! なると きんときーぃ いしやき~~~いもっ!」って、スピーカーはがなり続ける。たまらないほどの大音量だが、家の中まで届けようと思えば仕方ないか。お客さん待ちのトラック、いい匂いがしてきた。金時芋を買ってストーブで焼こうかしら。アルミホイルで包んで、ほくほくです。

春を迎えた途端に、数年に一度とかの大寒波襲来とは。明日からまたしばらくは身を縮こませることになりそうですね。



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須賀神社の懸想文売り

2018年02月02日 | 催しごと

左京区にある須賀神社境内に、烏帽子に水干姿の男が二人。顔に白い覆面をして、肩には梅の枝を載せ、参拝者の求めで「懸想文」と書かれたお札を授けています。一年のうち今日明日の二日間、節分祭にだけ現れる「懸想文売り」です。懸想文とはラブレターのこと。

【その昔、金に窮した貴族が小遣い稼ぎで読み書きのできない庶民に恋文を代筆したのが起源とか。覆面は素性を隠すためだ。広辞苑では、江戸時代に犬神人(いぬじじん)が売り歩いたとある。犬神人は中世には八坂神社に所属し、雑役や祇園際の警護などを担った人々だ。時は流れ、文は縁結びのお守りとなって同神社に伝わる】。いつの年だったか、新聞で紹介されていた記事よればこういうことです。


延宝4年(1676)刊の『日次紀事』に記されてもいるのです。
「…赤布を著し、白布を以て頭面を覆ひ、わずかに両眼を露見して、紙符を市中に売る、これを懸想文という、俗間男女これを買て、男女相思する所の良縁を祈る、…」と。梅の枝に恋文をつけて売り歩くと、若い娘が飛び出してきたとか。かつて「都の祝福芸能者たち」と題した講座で聞いたことがありました。江戸の後期には復活し、明治になくなった恋文売りが、ここ須賀神社に伝わっているのです。また、節分のときに齢の数だけの豆と賽銭を紙で包んで道に落としておく(厄落とし)と、人の厄をはらって歩く役目を果たす者もいたそうな。

    懸想文売りに懸想してみても     西野文代

「その年の懸想文売りは匂うように美しかった。おもてをつつむ白絹のあわいからのぞく切れ長の目。それは、男であるということを忘れさせるほどの艶があった」と西野さんは綴られていました(『おはいりやして』)。これを読んで、ぜひ一度と思っていたのです。もちろん良縁を願って。そのついでにしかと…。


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春の先触れ

2018年02月01日 | 日々の暮らしの中で
朝は細かな細かな、霰のような雪が降っていました。今日から2月。まだまだ厳しい寒さに震えながらも春の気配を感じとったりして、もう一歩も二歩も季節がぐんっと進むのを楽しみに待っているのです。

昨年、花期が終わって掘り上げておいた球根を、ついうっかり土にもどすのを忘れていました。秋も深まった11月初旬、さすがに遅過ぎるだろうと諦めていたところ、「まだ大丈夫だから、すぐに!」と教えられ、大急ぎで植えたオーソニガラム・ウンべラタムとチューリップでした。
いきなり冷え冷えとした土の中に埋められては地上の寒風さえも寒かろうにと、冷え込みそうな日は茣蓙で覆いまでして気をかけて、その甲斐はありました。無事にどちらも土の中からその先端をのぞかせたのです。ほっ! この感覚、何やら温かな気持ちで満たされます。

   

「春は空からさうして土から微かに動く」という一節が長塚節の小説『土』にあることを知ったのは、ある書展からの帰り道でした。その後、書家の榊莫山さんが漢字の「土」の書き方について独特な思いを持つのを知ります。かたい土の表面を突き破って芽生え、成長する力のほとばしり。これはバクザン先生のお説のように、「土」の字の2画目は下から上への要領で突き上げるようにして書くのがふさわしいと共感します。こんな小さな芽を見るにつけても、春は隣。


昨日、左京区西寺町通にある大蓮寺さんにロウバイの花を見に出かけました。この見事なほころび。ほのかな香り。
春よ来い、は~やくこい。

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