京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

視力

2020年07月29日 | 日々の暮らしの中で

5年前に初めて眼鏡を作り、車の運転時と映画を見る時くらいしか使うことはなかったのだが、どうも視力の低下が気になる。
この数か月から半年のことだろうか、パソコン画面の文字がとにかく見ずらくなった。近距離で確認しなくてはならないこともある。離れてみるテレビ画面にも同じことが言えて、遠視もある。乱視も入っていたっけ。遠方の、周囲のぼんやり感も眼鏡をかければクッキリ!だったので、日常大きく不便を感じないまま徐々に眼鏡の度も合わなくなってきた。

15年前、洋裁をする針孔に糸が通りにくくて、左手に父の形見の拡大鏡と針とを持って、右手で持った糸で拡大された針孔をねらうなどしていたが不便極まりなくて、老眼鏡を作ったのだった。でも、読書に眼鏡は不要だったし、これまた使用頻度は極めて低いまま度が合わなくなってしまっている。まあ、こちらはひとまず据え置きだ。

どうしたんだろうとこぼしていると、眼科が先だろうという話になったが、眼鏡のレンズ交換を先にと眼鏡屋さん出向いてしまった。
「出来上がったら普段もなるべく眼鏡をかけるようにして、少し刺激を与えたほうがいいですよ」と言われる。刺激? 脳はまだ確かだけどねー。目の話!
やはり早いとこ眼科に行くことにしよう。
順序を間違えたかなという思いがチクンとわくが、病院嫌いはなかなか腰を上げられない。
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きれいでしょ~!

2020年07月27日 | 日々の暮らしの中で

黄色い花が放射状に広がったディルの花が咲いています。
支柱をするくらいで特別手もかけず伸ばしたまま、きれいな花を楽しんで切り花にしてもいるのですが、
その細かな葉の中に、少し低い丈のところで、こんな花が3つ、更に2つと咲き出していて嬉しい驚き! まだ蕾もあります。


きれいでしょう~!
でもなんの花だか、名前がわかりません。

プランターに一袋入りのミックス種をぞんざいに撒いたので、あれこれがごっちゃになって発芽しました。似た者同士で移植したのでしたが、ディルだけではなかったということでしょう…か? 
ほんときれいだわ~。 

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「悠々不休」

2020年07月25日 | 日々の暮らしの中で

母が病床にあって入院中、この世の最後に読んでいたのだろうと思われるのが『わたしの脇役人生』(沢村貞子)だった。
そして、同じく病院での身辺に置かれてあった文庫本の『私の台所』と、使いさしのテレホンカード1枚とを、母亡きあと私はもらい受けた。

        沢村貞子さんは東京浅草の下町生まれ。母は荻窪の地で生まれ育った。生前、特に沢村さんのファンだと聞いたことはない。カバー内側には著者の顔写真があって、首の傾げ方、あごのひき具合、どことなく母に重なって見え、(ああ、こんなふうな笑顔を浮かべる人だったな)と思わせてくれる。今の私よりも若い60代半ばで、しかも「いのちの灯が細くゆらめきかけている」ときに、この本を読んで何を思ったか。知る由もなく、また、読み終えていたのかどうかもわからない。

「…そろそろ寝ようか、おばあさん  そろそろ寝ましょか、おじいさん  …二人は八十歳」。
私たちも残りの日々をこんなふうに穏やかに暮らしたい、と綴られて終わっている。父にも母にもそういう時間を過ごしてほしかった、と思ってはみるが、人生がもう一度繰り返されることがあろうはずもない。二人の間に生を得た今日。母を思いながら何年ぶりかでこの本を手に取った。

激しい雨が降ったり止んだりの一日だった。雨上りの夕刻、ほんの短い時間だったが驚くほど空が一面に朱く染まった。
椿の実が色づいてきている。明日からまた一歩ずつ、本文にあった「悠々不休」という言葉をいただいて踏み出そうか。
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一時間の船路が

2020年07月22日 | 日々の暮らしの中で
知人から〈はがき随筆〉が舞い込んだ。


琵琶湖の水を京都へ引くために明治時代に建設された琵琶湖疎水。物資を運ぶ船で賑わったものの時代の流れとともに衰退し、1951年に船運は終了。しかし、2018年春、疎水を往来する観光船として「琵琶湖疎水船」が復活した。
今年はコロナの感染拡大に伴い4月8日以降運航は中止となったようだが、それ以前に乗船できたといって、京都の蹴上(けあげ)から山科を経由して滋賀県の三井寺へと向かう、一時間余りの船路の様子が記されていた。
そうして枠外に、私の作品を一気に読んだと認めてくれてあった。

梅雨明けを待つ日々の思いを綴って、梅雨が明ける前に届くようにと投函した。

郵便局への道すがら、寺の掲示板にこんな言葉があった。
  
  やれなかった
  やらなかった

  どっち
         相田みつを

もうすぐ誕生日を迎える…。そんなとき、ふと思いを裡に向かわせた。
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口伝のレシピ (ゴーヤの酢漬け)

2020年07月21日 | 日々の暮らしの中で
大阪で暮らす娘のところへ行くと、三歳児を連れて向かう先はおおかた近くの公園になります。
この公園の近くに住む方と親しく話をする機会が増えました。
娘は、畑で採れた野菜のおすそ分けに預かることもあり、孫たちには目をかけ声をかけてくれるなどあって、彼らも親しみを持っているようです。
会えばお礼の言葉に始まり、何でもないような話題でオシャベリです。

一昨年秋、いただいたゴーヤの漬物(?)がとても美味しくて、重ね重ねのお礼を口にしていました。と、娘にはゴーヤの種を、蒔いたらいいということでしょう、分けて下さっていたらしく、今年5月に入った頃、私に「蒔いた?」と聞かれました。だが、そんな気配はありません…。
作り方を聞いたところ、口伝で授かった次第です。

〈口伝のレシピ〉
①ゴーヤをスライスして、2回ほど水を変えて苦みを抜く。よく水切りしておく。


②氷砂糖250g、酢・薄口しょうゆ各200ccを合わせて煮溶かし、漬け汁を作る。
③冷めたら、ゴーヤを漬ける。   (数時間で食べることは可能)


ゴーヤ2本でしたが、すぐにしんなり。もう少し余裕ありそうです。漬け汁は再度使えるとか。
ゴーヤをもう1本足そうかしら。
教えられた通りにしてみました。同じ味が再現されるはずです…。



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梅雨明けを待ちながら

2020年07月17日 | 日々の暮らしの中で
ー また降ってますよ。
ー また雨ですか。

街に出ると、
ピンクの長靴をはいた3歳か4歳くらいの女の子が、前を行くお母さんに声をかけた。
「あー、また水たまりだあ。みずたまりがあるう」
振り向いたお母さんは、ゆっくりと、ただ「どうぞ。どうぞ」、って。
お母さんに何を求めていたのか、これで察しがついた。
小さなピンクの足元が、ピチャピチャと雨を踏んだ。


  「昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓木(ねぶ)の花…」  (紀郎女の歌より)
浄土宗の寺の境内に咲く合歓の花。夜は羽のような葉を閉じる。
これほど紅を濃くした花を見るのも珍しかった。そこはかとなくけぶるような花の風情を、この濃い目のピンクがいくらか損なっている気はする。
雨上がり、刷毛のような中でひと滴が光っていた。


梅雨明けを待ちながら未だ自粛肝心の思いで暮らしているが、九州豪雨で被害を受けた方々の片付けも思うに任せない様に胸が痛む。「たすけてほしい」、と耳にした。
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旅への切符

2020年07月15日 | 日々の暮らしの中で

久木綾子さんが亡くなられたことを知った朝。

作家デビューされたのが89歳とご高齢だったこともあり、どうされておられるのか、新刊の出版はあるのだろうかと時にはネットで検索してみることがあった。
NHkラジオで取り上げられた時点では知らずにおり、何かの機会かで知って『見残しの塔 周防国五重塔縁起』を読んだ。その後偶然、今は閉店してしまった四条通に面したジュンク堂で、2作目の『禊の塔 羽黒山五重塔仄聞』が入口入った正面の書架最上段の右端に置かれてあるのを見つけた。書店に行った何度目かで購入したのだったな…。そして平成29年7月になって、私を羽黒山五重塔へと導いてくれた。この機会をとらえるまで、とても長かった。

「どんな本でも連れてくる情報がある」「本を選ぶのは旅への切符を手にするようなものだ」(『モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語』)。読書も、読み終わりが始まりになると思うのだ。読んだことで、何かが始まる。素敵なメッセージではないだろうか。

        
スイス帰りの土産の種から、まさにビタミンカラーの花が咲いた。この明るさが嬉しい。
仏さまに…。
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「京都丸善ニテ 檸檬ヲ食ス」

2020年07月13日 | 日々の暮らしの中で

雨の中を「ひと・まち交流館」まで出た帰り道、そのまま真直ぐ北へ歩いて三条を下がったところにある商業施設BAL内の丸善に立ち寄ることにした。

―ある日、こんな日記を書いてみたいと思った。
  京都丸善ニテ
  檸檬ヲ食ス

葉室麟さんが、こんなふうに書き出している随筆を読んで、私も氏と同じように〈書棚を見てまわり、新潮文庫の『檸檬』を買〉った。氏はさらに〈表紙の黄色い檸檬のデザインが素敵だ〉と続けていた。
でも、ここで思った。表紙に見たデザインは氏と私とで同じものだろうか、と。今日私が買った文庫本は、丸善150周年記念となる限定復刻カバー(写真・左)となっている。

 

丸善創業は1869年。京都には明治5(1869)年に開設されて以後、移転、閉店があって、明治40年(1907)に三条通麩屋町に再開設された。梶井基次郎の『檸檬』に登場してくるのはこの店になる。その後、河原町蛸薬師に移転した。私はここの店を利用していた。そして、2005年に閉店、10年後現在の地に移ってオープンした。
昨年度、150周年を記念して文庫初版のカバ―デザインが復刻された。とすれば、2017年に亡くなられた氏が買われたのはまた違うデザインだったことになり、右側のものかもしれない。作品の中の「私」は、八百屋で黄金色に輝く檸檬を一個だけ買って丸善に入り、棚から取り出して積み重ねた画集の上に置いて外に出る。

31歳で亡くなった〈梶井を偲びつつ、店内で檸檬をかじってみてはどうだろうか〉という氏の思いが、冒頭の日記のいたずらだ。氏は併設のカフェに入って、紅茶とレモンケーキを注文。そして日記にこう書けそうだ、と呼応するように2行で認め、終わる。

学生時代に読んだだけの『檸檬』。短編小説だから、文庫本には20篇の作品が収められている。1編のために買うか?と迷ったのだが買ってしまった。「檸檬買ったのここ」。友人と寺町通を歩いていて、彼女が突然指さしたことがあった。ここ、というのは梶井がレモンを買ったという八百卯という店だが、知っていたので「うん、うん」と応じたのを思い出した。

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エビはエビでも

2020年07月11日 | 日々の暮らしの中で
雨に閉じ込められて家の中にいると、夕やみ迫ればあたりの暗さでわかるものの、朝も昼も薄暗い日など時間が動いていることなどについボンヤリになってしまう。今日もひどい雨に見舞われたが、午後から歩きに出られるだけ回復してきた。


先日5日にカブトエビを見た田んぼに行ってみようと思ったが、利用している公園の駐車場は予想した通り使用禁止で門が閉められていた。この浅く、やさしい川の流れは氾濫してしまったのだ。流木が見え、駐車場には溢れた水が浸かっていた。路上駐車をして、田んぼ探しはできない。どこだったか…、車で探したが見つけることができなかった。場所のイメージはちゃんとあるので、同じようにコースをとって歩けばわかるだろうと思う。ただ、家から歩くとなると、ちょっと遠いんだなあ…。

先日の写真と、2009年に撮った写真とを孫のところへ送信。プリントアウトしてもらった写真を学校へ持っていったところ、多くの子たちが知っていたという。先生も。ホンモノが見たい、というわけで母親と弟と、近所の友達とで、今日はカブトエビ探しに出かけたと言ってきた。
収穫はー。 



「エビ、エビ」とTylerの声が聞こえてくるが、「カブトエビ」ではなかった。彼は田んぼをのぞいたことはなかったのではないか。ホンモノを見せてやりたいものだ。
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人の心に落ちれば

2020年07月09日 | 日々の暮らしの中で
今朝は雷鳴を伴った強い雨の時間帯があったが、やがて上がっていった。


スイス帰りのミックスされた種をまいたところ、その中で最も多く芽を出しのがこれだったが、もわもわと茂った葉は、梅雨入り間もない頃の雨で一晩のうちに腐ったように溶けて全滅してしまった。
今、マメ科の英名・オルニトプスもやわらかに繁り、丈を伸ばしたディルには支柱を立てた。今にも花を咲かせようとしている。どちらも数本の芽生えだった。小さな白い花を咲かせているのもある。


蕾をつけているこれは、何の花だろうか。花が咲いてわかるかしら。どれについても知識がないのでネットが頼り。

ほんのちょっとした喜びごとが重なって、思わぬ方から連絡をいただいている。偶然だけれど、親しく言葉を交わしていたかつての文章仲間から突然のメールで、喜ばせてもらった。こちらは、タイヘンな今の状況を元気で過ごそう、と。

〈…文字で刻印されることで、その紙にひとの言葉が吹き込まれる。言葉を綴った人がいなくなってもその影が、紙の上に焼き付いている。生きているものはみなあとを残す。それも影のような頼りないものだけど〉。少し前に読んだ本にこんな一節があった。
そしてこんな一節も心に残っている。〈言葉って不思議よね。種のように長いあいだ眠っていても、人の心に落ちれば、また芽を出す〉。
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なるほどそうかもな、と

2020年07月05日 | 日々の暮らしの中で

2度ほどこの小さな流れが氾濫して、川べりでは黄菖蒲などが姿を消してしまったが、ヤブカンゾウが咲いているのに気づいた。ワスレグサの別名を持つ。

先週末の文章仲間との例会日は、全員が参加した懇親会付きだった。近づくにつれて断れるものなら断りたいという思いが膨らんでいったが、間際になっての申し出など迷惑な話だと思い直した。高齢の方が多い中では「最年少」。もし私から、なんてことが参加を不安にさせていたみたいだ。むろん自身の体調に変化はなく、例会に参加予定でいた。機嫌よく別れていながら、のちの気分が重いとは厄介なこと。

〈やりたいことを我慢させられる自粛の段階は終わった。これから必要なのは、自分のため、皆のためになるかどうかを考え行動する、自らを律する節制だ。そうした自己管理に満足を見いだす成熟が求められる〉、と朝刊で識者の意見に触れた。
コロナ感染拡大の中で身につけてきた生活態度、習慣を捨ててしまうことなく、行動への自己管理を提起している。なるほどと納得もし、気も晴れていくのだった。意外と神経質、生真面目な?自分に、てこずっている…。

雨は小休止、晴れ間が戻った。



♪ナマズの孫ではありません
 脚が、ほそーい脚が伸びている。大きな頭、ギョロッとした目がこちらを見ました。ナマズみたいに頭ばかりがやけに大きい。胴体?? ちょっと変な形、どうなってる…。やがてカエルの大合唱。

 ※ 7/6  この生きもの、「カブトエビ」だと今朝教えられました。
そう言えば…と、思い出したのです。ずうっと以前のことですが、田んぼで見かけたグロテスクなものが何なのかを、お尋ねしたとことがありました(’09.7.15の記事)。そのときに「カブトエビ」だと教えていただきながらすっかり記憶のかなた…。 小さなオタマジャクシ以外に、たくさんのカブトエビが写真に写っているのを改めて確かめました。
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「怠らで…」

2020年07月02日 | 日々の暮らしの中で
見上げた東南の雑木林の上でトンビが輪を描いていた。ひんやりとした爽やかな朝の空気を吸って、一日が始まる。


              怠らで咲いて上りしあふひかな   才麿

昔、葵と呼んでいたのはこの立葵のことで、長い期間にわたり下から順番に花を咲かせ、花を咲かせながら丈を伸ばす。このスクッとした立ち姿がお見事で、美しい。散歩道で見かけたタチアオイだが、何かの折に知った才麿の句が思いうかぶ。

4月、5月、6月と自由な外出もままならず、こもりがちな数か月を過ごしてきた。ストレスだと思えばストレスだが、家にいる時間を工夫次第でどのようにも使えるとなれば、思いもまた少し異なるものがあった。だが、毎日繰り返されるコロナウイルス関連の報道に、不安や恐れまで感じながらの自粛生活で、辛抱もいった日々だった。
7月になったからと言って、何がどう変わるでもない。ただ、はや1年の半分が過ぎたなあと思いながら、抜け道などない現実の中で辛抱しつつも自分の花を咲かす努力をしないとなあ、と考えた。刺激に鈍感になってるかもしれない。
頑張ろうなどというのではない。自分のしたいことを己のスタイルで積み上げる。それしかないのだし…。

蝉が鳴いていた。


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