京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

うずくまる鳥

2018年10月30日 | 日々の暮らしの中で

慌てて、上げた左足の置き所をずらした。道路端にじっとうずくまっている鳥がいたのだ。

鳩!? ほどには大きくない。鳩ではないとすぐに思った。ふっくら丸くなったまま、人間がそばで覗き込んでも動く気配がないなんて、どこか具合が悪いのかしら。車に引かれなければいいがと思って通り過ぎた。と、そこに軽トラックがやってきた。振り返って見守ったが動くことはなかった。
ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、これくらいしか鳥の名前は出てこない。深い緑の色味を帯びて見えたのだが、黒褐色でもなければ灰褐色でもなく、青灰色とみるのが近いとすれば…。帰り道にはいなかったから飛び去ったのであればいいが。

      「もずが枯れ木で」(作詞サトウハチロー)   
   (一)
   百舌が枯木で 鳴いている
   俺らは藁を 叩いてる
   綿挽き車は おばあさん
   コットン水車も 廻ってる

   (二)
   みんな去年と 同じだよ
   けれども足りねえ ものがある
   兄(あん)さの薪割る 音がねえ
   バッサリ薪割る 音がねえ

呑んだ後、必ずこの歌を歌っていた鹿児島県出身の元先輩同僚がいた。一語一語に感情移入したような歌いぶりだったような。どんな思い入れがあったのか。私は歌詞も内容もしっかり知らないままに、3年間なんとなくいつもしみじみと聴いていたものだ。
ふっと思い出すことになって、今日Youtubeで聴いてみた。心に刻まれていた歌詞もある。
何年か前にお会いしたが、校長職を最後に退職されていた。同学年に配属され、仕事帰りにちょっと一杯なんてことも多く、休日には数人でよくハイキングにも行った。一羽の鳥の存在が、懐かしく一人の人の歌声をよみがえらせてくれた。          
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命日を縁に

2018年10月27日 | こんなところ訪ねて

昨日は父の祥月命日で、東本願寺にお参りをした。
亡くなって27年。生きていれば、101歳に。故人とはやはり命日を縁として、自分の日々を振り返ることになる。

40歳の前後で母、父となくした。私は「私」の存在は両親に帰結する?というほどの狭い思いをとても強くもっているからなのか、心の拠り所を失い、この世で一人宙ぶらりんといった淋しい感覚を味わっていた。最後は父母のもとに帰りたい、という願いを未だに抱いているし…。

あの頃は、賜った縁の中で、こんなはずではなかったと日々揺れ動いてばかりいた。かと言って不平をこぼすことはなかったと思う。そして、内々のことを外にこぼすことなどはできなかったし、まして遠く離れて暮らす両親には心配をかけまいという一心だった。
そこで「足るを知る」ことができていたらよかったのだろうが、言わない代わりに内に鬱屈するものを抱え込んでいくという感じだったか…。言葉にしていたら意識下のものを浮かび上がらせたかもしれないのに、そうした機会も失っていたようだ。
自分の思いに固執しながら安定を求めていても解決にはならない。深く根は下ろせないのだ。

心配をかける人がいなくなった。40代は両親の死を経て、少しづつ自身の再生に心を向ける日々を獲得していったような時期だったかな…。
写真を前に、おとうさんって呼んでみた。供養になるかしら。

       

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「がんばるわなんて言うなよ」

2018年10月24日 | 日々の暮らしの中で
昨夕からの雨に恵まれた翌日、秋の日差しが戻った。


午前中は書き物に時間を割いて、午後2時ごろから外歩きに出た。
温かなベンチでカマキリは川の流れを静観か。その足元で、蟻が小さくて白いものをくわえ冬の備えに奔走中みたいだった。草むらのコオロギの声が川の流れにかき消される。
秋の一番ゆったりした時間帯、賀茂川の流れを見ながらしばし休憩することにした。桜の紅葉が進んでいるが堤に花は多くない。


     がんばるわなんて言うなよ草の花    

坪内稔典さんにこんな句がある。

目立たない、出しゃばらない、大言壮語しない。
小さな花に心を注ぎ、こんなことを書き記して何の意味があるのかわからないけれど、例えばこのブログだけでも振り返ってみると、この年月を生きたのだと気付かされる。あれこれ思って言葉を書き留めてきた年月がここにある。
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のちの月、ののち

2018年10月22日 | 日々の暮らしの中で
1年に2、3回、朝起きた時点で頭が痛いということがある。夜中に目が覚めて、頭が痛いなあと思いながら眠り直すのだが、寝て起きても治っていない。
薬を飲もうにもむかむかするので飲めず、起きていられないので結局また眠ろうと横になる。機をみて鎮痛剤を内服…。
このむかつきを伴う頭痛のときは、翌日、翌々日ぐらいまで気分の悪さはあとを引く。昼間は不調だが、日が暮れてくると気分も良くなってくるのはどういうわけか。


昨夜は十三夜だった。別名「のちの月」だが見逃した。真円に満たない。少しだけ欠けている月を愛でるというのはいかにもこの時季の風情なのかも。
では、今日は「のちのちの月」とでも言うのだろうか。
23日、〈月の出は16時46分。月齢14.0〉と新聞にあったが、1時間遅れの17時46分、ぼんやり朧なまあるい月が上がっていた。まだ満月ではない?
午後10時半、月は煌々と光を放っている。
明日の朝は私の頭も冴えていることを願って眠りにつこう…。

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遊び心

2018年10月19日 | こんなところ訪ねて

醍醐寺の五重塔は951年に完成した京都府下最古の木造建築物になります。
先日読んだ『屋根屋』(村田喜代子)に 醍醐寺が登場してきました。

〈三位の昌深という僧による落書きが京都の「醍醐寺の五重塔の上、相輪の所に釘で引っかいて彫り込んである〉
 屋根屋の永瀬は「私」にこう教えます。
「京都三条センバ屋与助の娘 天下第一の美人也」
 僧・昌深が一人の女性への恋情を屋根の一番上の相輪の所に書き残した、というお話です。

あの反り返った屋根の先端で、姿を消して透明人間になった永瀬が孤独に物を思っている…かもしれない…、ような思いで塔を見上げてみたり…。
やたら寺の大屋根に目が行き、無人の大船に乗った永瀬屋根屋を思うことがあるから、どうしましょ。


 醍醐寺総門の屋根にある鬼瓦。永瀬の顔は鬼瓦によく似て見えたようだ。
瓦の落書きは実際に発見されている。瓦職人の遊び心か「自分の存在を残す記念」なのか。

現実と夢とがもつれてしまうのは小説の中の「私」だけとは限らない。妄想と妄念、思いがかなわない中に生きているのが私たち?

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秋、醍醐寺に花見とは

2018年10月18日 | こんなところ訪ねて
伏見区の醍醐寺。春は醍醐寺の桜会。醍醐寺の花見行列の主人公は秀吉ですが…。

この秋に、醍醐の花見とは〈水晶の蓮の蕾〉でした。その中に、金色に輝く5.5cmの阿弥陀如来像が入っている、というものでした。
蓮の台座から生える茎を模した筒の上に、蓮華の蕾の形の水晶があり、その中に阿弥陀如来の小像が納められているのです。総高36cmです。

体の表面には金箔が貼ってあり、水晶をくり抜いた中に納められていたため、製作当時(鎌倉時代前期)のままの輝きを残しているようです。
ガラスの屈折が考慮されていて、実際の像は水晶を通してみる姿よりも幾分大きくふっくらとつくられているのです。しかも、このようにガラスを精巧にくり抜き、磨く技術は鎌倉期にはなかったとのことで、相当に質の良い水晶であろう、と。
朱色の唇。その左上に、小さくまるく朱が飛んでいるのが拡大写真でわかります。なんと、「仏師の筆の誤り」だそうな。

この〈茎〉にあたる筒は、茎の先に付けて水晶の中に納めた像が動かないように、長さも、細工もそれぞれに工夫を施した5本の細木を寄せ合わせて作られているのです。寄木細工のように組まれる図解があり、仏師の知恵に「なるほどーっ」とためいきばかり。
この仕組みを解明するには時を有したそうです。私はそれをただ簡単に、すごいなあ~と深く感嘆するばかりです。

 

何度も立ち位置を変えては衣のたたみ方、足元、衣紋、体の線、お顔と拝見。くり抜いた水晶の美しさ、たった5,5cmの優れた作りの像に見とれてきました。良いものを見せていただきました。

久しぶりの醍醐寺でした。「醍醐寺の五重塔の相輪のところに落書きがある」。先日読み終えた『屋根屋』(村田喜代子)での話です。受付の女生としばし歓談…。
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秋の花見も…

2018年10月15日 | こんなところ訪ねて
映画「モリのいる場所」を観ようと、上映開始時間が午後2時5分なので1時間前にチケット売り場で待ち合わせたところ、残席は5席だと言われた。最悪の場合は最前列で首を上げて観なくてはならない。とても我慢できそうになくて今日はあきらめることにした。朝、一旦チケットだけ買いに来てもらうのがいい、と言われる。亡くなられた樹木希林さんが出演されているという話題性もあるのだろう。

せっかく大阪から出てきた友でもあり、秋の花見に誘ってみた。
準絶滅危惧種に指定されているフジバカマ。その育成に努める「源氏藤袴会」によって開催されている「藤袴祭」に期待してのことだったのだが、会期は昨日までだった。幸い、まだ境内や道筋には鉢植えが並んでいた。


西國第十九番札所、革堂(こうどう)行願寺(中京区)を訪ね、本堂では本尊の千手観音像が公開され、内陣からの拝観が可能だった。

                                 下御霊神社
                                   
友人曰く、「もさもさしてる」フジバカマ。春の花見の華麗さはないが、秋の七草の一つをゆっくりと…、ではあったが、どれも中途半端で、どこか物足りず…、ちぐはぐに終わってしまった。さんざんだった。疲れた。

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『屋根屋』

2018年10月14日 | こんな本も読んでみた

「私」は、雨漏りする屋根の修理を工務店に依頼した。やってきたのが屋根屋・永瀬だった。永瀬は、かつて寺社建築専門に、寺の屋根に上がっていた。個人営業になってから、代金未払いで資金繰りができないなど苦労が重なり心療内科にかかっていた。そこの医師の勧めで夢日記をつけ始め10年になる。夢を作り上げ、好きなところに行けるという永瀬の話に引かれた「私」は、いい夢を自在に見る方法を教わる。「寝る前に心に思うと、見れるようになります。」

二人の屋根に寄せる想念がまぼろしを生み出した。どこにもない場所。身体はなく、魂だけがある世界。
「奥さんと私と、どっちが先に着くかわかりまっせんが、向こうの屋根で落ち合いましょう。夢のドッキングですたい。」
こんなことができたら楽しいことだろう。どなたかが言った「異床同夢」の言葉が浮かぶ。

寺の大屋根の上へ、五重塔の屋根の端っこへ。普通の人間は立ち入れない禁断の場所へ。フランスへも、大聖堂を見に連夜の夢の旅行だ。、
寺の屋根は人間の住む箱のフタとはおもむきが異なる。広くて大きい船に似ている。軒がゆったりと反り返った大船は、人も動物も西方浄土へ向かうようだ。鬼面の鬼瓦くらいが見送っている。

「夢は脳の重要な排泄物」と永瀬。、今がつらいと、実体のない過去や明日へ、夢の中へと逃げようとする。小さな期待を託すからだろう。それだって、必死に生きようとすることの表れだと言える。それでもやはり、生きるなら、今をしっかり生きなくっちゃならないと思えていくことだろう。そこに意味がある、…のでは。

この話、どう落ち着くのかと、最終章へ。「私」には鬼瓦に似て見えた屋根屋さんは…。法隆寺にあった落書きが書き換えられていた。…夢の中。
「人の住んでいる屋根というものは、温かですけんね。温いとですよ。屋根に人肌のぬくもりがあります」と言っていた永瀬だから、人様の家の屋根の上でカタリ、カタリと瓦を葺いているのだろうか。
家は平安な世界のシンボル。この小さい箱が人間世界の無事平穏の象徴なのだ。それが崩れずにあることが、なんでもない当たり前のことなのにすごい奇蹟のように思えてきて、「私」が涙する描写があった。

不思議な体験をし、夢に遊んだ。読後、自分でひと味加えて整える、そんな余地があるのがいい。単行本が出てすでに4年。いつかいつかと思いながら、ようやく読み終えた。
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堅田という地に…

2018年10月10日 | こんなところ訪ねて

滋賀県大津市堅田にある、臨済宗大徳寺派、海門山満月寺 浮御堂。西暦995年頃、源信僧都(往生要集」の著者)が湖中に一宇を建立。自ら一千体の阿弥陀仏を刻み、千体仏堂と称し、湖上通船の安全と衆生済度を発願したことに始まるという。
7年前の7月にも訪れているが、普段はお堂は開いていても、お厨子は閉じられ御前立が安置されている。この時期だけの公開(9月~11月の各1日から10日)とあって、ご本尊の阿弥陀如来像を拝観した。

東に向かって湖上に突き出たお堂。向かいに近江富士と称される三上山が、北へと目を移して長命寺山、さらにはデンと居座る伊吹山、…かすんでいるが山容が遠望できる。


信仰と鑑賞の問題について、「信仰のない者が仏像を美術品のように扱うのは間違っている」と述べた亀井勝一郎の考えを正論だとしながらも、「昔の人のような心を持てと言われてもムリなので鑑賞する以外に仏に近づく道はない」と白洲正子さんは記している。見ることによって受ける感動が、仏を感得する喜びと、そんなに違うはずはない、と言って。

ただ、「仏を感得する」ことそのものがまた厄介な感覚ではないのだろうかと思わされるが、少し前、新聞記事で目にした『仏像と日本人』を著した碧海寿広氏の示唆は馴染みやすかった。「それぞれの興味関心や美意識で向き合い、より自由に独自の感情や宗教的な経験を創造してい」けばよいと言われる。「知識をはさまずに、自らの身体に依拠して仏像の真価をつかもうとした」白洲さんに学ぶところ大…。


堅田には琵琶湖の海上権を掌握していた強力な門徒集団があり、京都を追われた蓮如上人が一時身を寄せた光徳寺が近い。上人に忠誠を尽した漁師の堅田源右衛門、源兵衛夫子の像があり、源兵衛の御首級(みしるし)が安置されているらしい。真宗大谷派の寺の本堂、縁、境内、慣れ親しんだ空気に包まれる感じが嬉しい。
「されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。」御文の中でも大きな衝撃を受けた一文だった。…雑業を捨てて弥陀の救いにあずかれ…、と。

三島由紀夫の『絹と明察』、城山三郎の『一歩の距離』の文学碑と、湖族の資料館とを見逃してしまった。来月、出直そう、か。落ちてくる雨を気にしすぎたかもしれない。

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ティーンエイジャー

2018年10月03日 | HALL家の話
「サーティーンだから、これからはティーンエイージャー」

2日、誕生日を迎えて13歳になった孫娘Jessie。
十代。「ティーンエイージャー」の言葉の響きが13歳の少女に大人っぽさを添わせる。

誕生日に浮かれてもおれず、木曜が中間テスト1週間前だとか。ちょっとアルコールの入った私に、数学の宿題プリントを持ってくるものだからたまらない。比例式を立てるものだった。
「うちの担当は英語でな、わからないところは教え合うんやけど英語は簡単でな、みんなもわかってるから教えることないの」と笑う。夜も11時を回り、「明日、友達に聞くわ」と数学のプリントをしまった。

今朝、持ち上げるのも大変な重量のリュックを背負い、部活の朝練で早出だった。ゆうに30分は歩かなくてはならない。かける言葉は「車に気を付けて」、と。



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