京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

キャンプ

2016年06月29日 | HALL家の話
 

孫娘のJessieは今日から2泊3日でキャンプに参加しています。場所は兵庫県のハチ高原。

荷物を早くから整えながら、キャンプのための「しおり」も表紙がよれよれになるほど開いて楽しみにしていました。それを見ながら、この梅雨時に行われる行事がどうも気になるばかりです。雨続き、何があるかわからない中で小学生のキャンプは心配です。
雨中の山登りなどあるのでしょうか。キャンプファイアーを囲んだ楽しい時間は持てるでしょうか。

今朝7時、電話で言葉を交わして送りました。「気を付けてね。楽しんできて」と言うと「はい」って。
7月1日、両親がこの日から不在になるため、学校までの迎えは変わって私に託されています。荷物が多いのでお迎えをという学校側からの案内もあってのこと。Tylerの幼稚園の迎えも済ませてから、小学校まで一緒に行くことになりそうです。

両親? 彼らは記念日だからと、二人で旅行にひとっ飛び。日曜日には戻るのでそれまで留守を守って、孫を守って、大阪で二日間を3人で過ごすことになります。大変だわ、どこ行こうかしら…。と言って大阪はさっぱりですが、家にじっとはしていないでしょう。それこそ大変な騒々しさが予想されます。
「楽しかった~」、そんな言葉が聞けるのを待ちます。
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『火花』を読まずして

2016年06月27日 | こんな本も読んでみた
平積みされていた『夜を乗り越える』(又吉直樹)。
『火花』で芥川賞受賞後、なんどか彼の話を聞く機会が増えた。受賞以前から知っていたし、彼の雰囲気は嫌いではなかった。タレントやスポーツ選手、芸能人…が記したものはこれまで一度も買ったことはなかったのに、今回店頭で見かけて読んでみたいと即決だった。漫才の芸風?も知らず、また、『火花』をいまだに読んでもいないのだけれど。

「なぜ本を読むのか?」と帯にはあるが、どんな読書をされてきたのかを知りたいと思った。太宰が好き、とは知られている。
「芸人でありながら臆病な僕の人格」とあった。
誰ともキャッチボールができずにいたが、本に出会い助けられ、救われた。学生時代には近代文学を多く読んだが、人間の苦悩をとことん突き詰めている部分にひかれたという。そうして他人と、自分の付き合い方を知っていった。自身の葛藤や内面のどうしようもない感情をどう消化していくか、ということを本に求めたのだそうだ。

何度も何度も繰り返し読んでいるのがすごい。「いつ読んでも違う味がする」。
『雨の裾』(古井由吉)を読んでいて、なかなかページが進まなかった体験が私にはある。難しい…と思った。
「それは、本がパラパラめくれるものだと思っているからだと思います」「わからない言葉は辞書を引けばいい。言葉をひとつづつ解体しながら理解する。そういう読書の楽しみもあります」。又吉さんも古井さんの作品を多く読んでおられ、こう言われている。
 。。その通りかな。そうします。もう一度読んでみたいと思っているのです。

「本を読んでもらいたいと思うんです」「読書によって知識、思考、視点を増やしながら、自分の人生と照らし合わせ実感を持ち、自分の考えを深めてゆくことができる」。また、書き手の立場から、古井由吉さんとの対談で得た言葉によって、自分の方法の不安が納得に変わっていった嬉しさが語られていた。
評論家ではないから、あくまで読書の対象として…、と、これまで読んでこられた数多くの作品がどう心に食い込んだか、どんな言葉に救われたかなど丁寧に語られていて、楽しんだ。好感を持って読んだし、多くを教えられた。

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無知を棚に上げてはいけない

2016年06月23日 | 日々の暮らしの中で

 わが国で行われている仏教各宗のほとんどは大乗仏教と言われる仏教である。理論と理性によってすべてが解決されるとした原初の仏教は、大乗経典の誕生によって「思議」から「不思議」への転換が起こった。それによって仏教の性格も祈りや礼拝の側面を強めてゆくことになった。果たして大乗仏教とは何か、伝統的な教団仏教と何が異なるのか…。
〈大乗仏教の不思議な世界〉を大テーマに3回目となる今日は、般若経の2回目で「すべては空か有か」という内容の講義でした。

大乗仏教の哲学のもとになった経典が般若経です。大乗仏教の基本的な観念は縁起説だとかつて学んだことはありましたが、今日の資料ではこう説明されています。【縁起という概念が空という概念に他ならない。それは一切が原因に基づいて仮構されていることを意味し、それがブッダの説いた中道に他ならない】

それが…、
【「それ故に、すべては空でなく、空でなくもないと規定される。有であるから、無であるから、そして有であるからである。そしてそれがブッダの説いた中道に他ならない」】
【「空でなく」とは、空性と虚妄なる部分が存在するという点ですべては空でない。「空でなくもない」とは、二つのもの、つまり所取・能取が存在しないという点ですべては空でなくもない。「有であるから」とは、…】

こうした資料の表現になると、自身の無知、なんにもわかっていないという土台が問題なのですが、さっぱりです。格闘するように読まなければならず、読んだとて内容的にちんぷんかんぷん。頭が追いつきません。楽しくない、と放り出していい? 知りたいと思っての参加でしたが、早くもギブあっぷっぷ。次回のテーマは「維摩経ー維摩のつたえたかったこと」とあります。
あ~あ。曇りのち晴れ、脳内すっきりさせなくては。
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まめに、元気に

2016年06月21日 | 日々の暮らしの中で

ここのところ毎週末を大阪か京都で孫と過ごすことが続いています。金曜日の学校が引けてから母親と一緒にこちらへ来宅することもあって、あれよあれよという間に平日の4日、5日は過ぎていってしまうのです。新たに家族の中に生まれた流れです。今はこの流れに乗って、それでも無為に流されることなく…。そう思うとかえって日々大切にというところに行き着きます。

Jessieは徒歩で通学しています。オーストラリアではずっと車での送り迎えでしたから、今、級友とおしゃべりしながら歩く道も、一人のときも、道すがらはまだまだ新鮮さのある日々でしょうか。Tylerも幼稚園に母親と徒歩で登園しています。居住する市のラグビースクールに入会し、4歳児のチームで初めて試合にも出場。自分でボールを蹴って、拾いに走って、トラ~イ。ときに一人タックル?? そんなTylerにとっては、チームプレーを覚えていく楽しみな体験が待っているわけです。

         
今日は光田和伸先生の『おくの細道』の講義で酒田から象潟を辿った。
「江山水陸の風光数を尽くして、今象潟に方寸を責む。」に始まる格調高い文章の心地よさ。母の七回忌、その追善の思いを文中に読み取り、美濃の国の商人とある「低耳(ていじ)」の登場が興味深かった。低耳は岐阜の人。ただの商人ではない。幕府中枢の老中を出す家柄の戸田家の人間である。曾良を上司に、芭蕉の幕府隠密説を根底に講義される先生によれば、尾花沢までは水戸に情報が集められたが、ここからは大垣に集められる。その引き継ぎのためにやってきたのだと指摘された。

終了後はいつものように京都御苑を抜けてから、護王神社に立ち寄ってみた。
「みなづきの夏越しの祓する人は 千歳のいのち のぶといふなり」。神様のお力で半年間の汚れを祓い、残り半年間の無病息災を祈願する。厄除けの知恵。少し早いが、ちのわをくぐってお賽銭をあげ手を合わせた。まめで元気に夏を乗り越えられますように…。
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衣替え

2016年06月01日 | 日々の暮らしの中で

何をしゃべっているんやろか。何を考えているんだろう。何も聴こえてはきません。「人知らざるもよし 我は亀なり」、なんてか。

今日から6月。半年分のたまった心の煤も落として衣替え。今年の持ち時間はあと半分。年頭に何を思ったのだったかと思ってみるが…。草取りをして、今日は家での休養日にあてた。ちょろっとウォーキングして。

そう言えばと思い出す「草むしり」。「根っこから抜かないからすぐ生える」と私の仕事ぶりを見て義母が言っていた。
嫁いで間もない秋の夕暮れ時、境内の草をむしり?取っていた。砂利があるから根から抜けるのに…。今なら、確かにと思い出して笑いが伴う。当時は草取りなどほとんどしたことなく、鎌で根元をカイカイとして引き抜くコツもやがて覚えたことだった。なんせ、日曜日に畑仕事をしている人を見かけると、日曜日まで働くのかと口にする世間知らずだったのだから。
年月が少しは何かを育んでくれているのかしらん。

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