京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 ほのかに…は好き?嫌い?

2010年11月30日 | 日々の暮らしの中で
            
「あんたが嫌い」ではなく「AさんもよろしおすがBさんもよろしおす」
「違う」は「違うやろか」
「東京で店舗を開いてみませんか。採算は取れるはずです」と話を持ちかけられて、
「また…」・「考えさせて…」と返事をされたら、それはYesか?Noか? (Noです)

京言葉の特徴には、角が立つ言い方をしない、ぼかし、はっきりさせずあいまいさを残したままにしておくといったことがある。洗練された大人の文化で、千年の都で育まれてきた知恵や処世術だそうだ。9月、「ファジー」という語で京都文化の特色を論じるのをうかがった。

もともと語彙が少ない日本語は、物や事の関係をはっきりさせるより、ほのかに言いかすめながら暗示するほうが向いている。物語や和歌・俳句、省略の多い昔の手紙など、いずれもそうした性質の上で誕生し成熟したもの。それも久しく「京都」で、そのように練り上げられてきたのだ… と。 (秦恒平氏のことばを引用されて)

電車内で騒ぐ子をみて、「やかましい!」と言うところを「元気なお子さんやこと」
表面的にはほめながらくさす。「若い人はどんなお着物を着はっても似合うから、よろしおすな」 暗に、この場にはふさわしくない着物だと伝える。持って回った言い方、嫌味、表裏があって怖い、とも感じる?

  
「いけず石」、狭い四つ角や三叉路、曲がり角でよく目に入る。
「こんなところに大きな石を置いて、邪魔だな」と思うほうですか?「(車の運転も)ぶつからないように気をつけて」と受け止められますか。

ほのかに言いかすめながら暗示する。含蓄に富み、まろやかな人間関係を演出するのと違うやろか。 違う!? 嫌い!? 私にはようわからんけれどね…
  
                    (小林良正さんの「ほほえみ地蔵」)
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 人生に風が吹く…

2010年11月29日 | 日々の暮らしの中で
               

大きな枯葉がかさかさと音を立てて足元に舞う。北風の大掃除といったところだろうが、意思でもあるかのように赤や黄・緑の落ち葉が道路わきに寄り添い集まる。
高野川下流からの風が吹きつける枯尾花、赤くからんだ蔦紅葉。なかなかの風情だ。

こんなしみじみと趣き深い季節に、母親を残して逝ってしまった若い命。37歳、長男だった。あーあ、はかない命!やりきれない…

      

風は自然界だけでなく社会にも吹く。人生にも吹く。
風は誰にでも吹くもの。そして、風向きは突然に変わることもある。変わるには理由がある。だから風の流れを読むことは大事なことだ。…こんなことをいつか読んだなと思い出している。

人生を渡って行くのも大変だ…。
せめて、せめて心だけは、強い風に舞いながらでも沈まず、吹き飛ばされずにいたいね。
この世は悪いことばかりじゃないよ、Uさん。
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 サンタさんから手紙が…

2010年11月26日 | 日々の暮らしの中で
           

イルミネーション一つとっても、街のクリスマスムードの華やかさとは縁のない日を過ごしているのを感じる。味気ない、とも言える。世の中の流れに乗り遅れているとも言えそうだ…。娘からなんやら送って欲しいと頼まれていながら、面倒な気がして後回しが続いているし。それも内心では、クリスマスにまとめて贈ろうかと言い訳しているのだ。もう来週には師走…。

「サンタさんから手紙が届くよ」ってご存知? 
                 
は~~るか昔、確かに娘にもサンタさんからカードが届けられた。
1979年の国際児童年から始まって今年で32年目と言うから、たぶん同じ申し込み先だったろう。小学校の低学年までの子どもを対象に、「サンタクロースの家」運営事務局が申し込みの受付をしていることがわかった。締め切りは12月10日。
クリスマスカードやミニ絵本などの4点セット、費用は子ども一人に付き400円とある。

小さな親切、楽しみは右へならえでみんなでゲット!? これでいきましょう~。
私はオーストラリアにも送ってくれるのか、明日にでも電話で聞いてみようっと~。
せめてこのくらいは楽しみながら、Jessieにはもひとつ何かプレゼントを贈ろう。


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 おかあさん

2010年11月25日 | 日々の暮らしの中で
「親孝行のことが書いてある本で、死ぬまでに(と、言ってました)しておくことが、これとこれとっていうふうに書いてある本」

こう言って店員に捜してもらってる40代ぐらいの女性がいた。わかるわけないだろうと思ってそれとなく様子を窺っていると、「せめて出版社がわかるといいのですが」と聞こえてきた。そりゃあそうだろう。この手の本は多いんだなあ…。
それにしても、そんな本があるのか?

比叡山根本中堂の前に立って笑う母の写真。父母が揃って出かけた最後の旅行の一日になった。子供達も一緒に琵琶湖で外輪船ミシガンに乗って、湖東三山を巡ったり楽しく遊んで、アルコールも少々口にしていた。
元気に帰宅したはずだったのに、既にその頃は手の施しようがないまでに症状は悪化していたことになる。手術後1年3ヶ月、平成二年に亡くなった。
何度も東京を往復し病院に顔を見に行ったものだ。最期を看取って傍にいられた。
今日は母の命日。

「おかあさん」って呼んでみる。いい響き~。

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 「進化の日」だけど・・・

2010年11月24日 | 日々の暮らしの中で
理科の授業は生物も地学・化学・物理も、赤点を取らぬ程度に切り抜けてきただけあって、ろくな知識を持ち合わせない。さすがにダーウィンの顔写真は浮かんでくるが、「進化論」となるとその説明などはお手上げだ。
今日は「進化の日」とある。「種の起源」を出版した日だとか。

進化どころか、加齢によるこの身の健康面での後退、退化の不安のほうが今は大きな関心だ。
疲れやすくなった、無理が効かなくなったなどは齢相応だと思うが、風邪をひきやすいとか胃腸の調子が悪い、ストレスがたまる、肌が荒れやすい…、などといった症状は、な~~んか、ぼんやりしているせいも手伝ってか、さほど後退を嘆く実感は少ない。
って、 私は意外と元気、丈夫で長持ちしている?

免疫力を維持、さらには高めて、病気になりにくい体を守ることが健康のカギ、その強い見方が植物性乳酸菌だという。
漬物、味噌、醤油、…、中でも、京都のしば漬けから見つかったプロテクト乳酸菌は、人の免疫力を上げる強い働きがあるそうな。
数年前には、すぐき漬けからもなんやら菌とかが発見されたはずだ。

よいと聞いてもなかなか自分のスタイルを変えることは少なかった。でも、今日は肩が凝って詰まる。目までおかしい、頭も変だ…。
こういう日には、こんなことしてはいられないと思うのだ。明日からはさっそくに「すぐき漬け」「しば漬け」とのお付き合いを深め、熊野行きに備えようか。

               ( 自動車の時代に大八車で。どこから?どこへ…)
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 冬が来る前に~ 

2010年11月22日 | 日々の暮らしの中で
       

今日は二十四節気の一つ「小雪」。野山に雪がちらつき、北風で木の葉が散るようになる頃、と説明される。まだ少しの余裕は感じるが、早晩、底冷えの厳しさを味わうことになる。 

平安の昔、仕切りの少ない寝殿造の住居での寒さはいかばかりだったことか。よく寒さを耐え、生きていたものだと思うが、そんな昔から、今風に言うなら?レイヤードスタイル、重ね着のファッションが冬こそのファッションとして、センスの見せ所だったことは充分に考えられそうだ。着物そのものが布団になるほどの防寒の意識。
十二単の重ね着は実際にあったようだ。

十二単を10枚、20枚と着込んで飾りたて、お化粧し、最後の仕上げにお歯黒をつける。
衣装の自慢をし合い、すっかり着付けてしまうと、立てずに崩れ込む。着膨れて小山の揺るぎ出したごとく…。
男性には「仰々しい」、いくらなんでも聞いたことがないと苦々しくとがめられる始末だった。
『栄花物語』に記された、大宴会に出る女房達の盛装の様子の描写からだが、田辺聖子さんが“これが女というものなのよ”という著者の気負いを汲んで語られている。

こんな苦労をしないですむ、「着る毛布」があるのを知った。「スランケット」と言って、通常の毛布よりは生地は薄めで軽い。袖付きで腕が自由に動かせるために機能性が高く好評らしい。
少々着膨れた達磨ファッションも、部屋着に毛布で身を包むのも暖かそうで幸せそうだ。
  
 わが息子、ちゃんと暖かくして休んでいますか…。
        幼い頃のお気に入り~

着膨れる前に、いま少し、山を望みつつ散り行く紅葉、流れ行く季節を愛で、惜しみながらぶらぶらと歩くのもいいかも知れない。心が温かくなるような気がしてくる。


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 散紅葉・ちりもみじ

2010年11月21日 | こんなところ訪ねて
  

「今年は赤い」と耳にする。2002年に次ぐモミジの当たり年だそうだ。確かに赤い。
夏の猛暑と近頃の朝晩の冷え込みで、ピークも早め、そんな色づき具合の観光名所もある。

午前中の時間は、控える行事ごとの段取りをつけることに費やされて終わった。
このまま家に、ではもったいない。昨日に続き今日も恰好な紅葉狩りのお日和になった。
混み合う観光地は敬遠したい…、そこで、先日、京都文化論の講座で紹介された「他言無用の寺」を訪ねてみようと決めた。

板書された地図だけを念頭に、わかると思い込んでいた。が、実際はその道しるべともなる石碑がわからずで、本日は大失敗!予想以上の距離も感じた。他言無用と願う、寺側の意思のバリアー、近づけないのだろうか?

後水尾上皇が造営した山荘・修学院離宮の背面一帯は、歴史的風土地区の山里が開けている。宮内庁管轄だ。

                 

   

離宮の茶室を拝領し修復した禅華院の山門、解脱山(山号)に散紅葉、まことに魅せられる風情だ。

紅く染まった野山に分け入り、その精気を身に取り込みながら、季節の移ろいを楽しむという紅葉狩り。 
『Beautiful Japan』 
「季節を愛でる心・その季節ごとに人を思う心・目には見えないものを感じる心」、日本の美の特質として川端氏が挙げられている。
    
       今日も結構歩いてしまった。…熊野が晴れますように。



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  足も腰もこれで

2010年11月18日 | こんなところ訪ねて
     

敵の襲来に備えるならイスの様式は都合がよい。すぐに立ち上がれるからだ。敵がなくなり平和になって、日本には正座(あぐら)の生活スタイルが普及していった、と言うのは本当だろうか。

痛いと感じる感覚さえ薄れたまま、立ち上がりはしたが足首からくにゃぁ~~、体をしっかり踏ん張れずに総崩れ、大失態なんてことは何度か記憶にある。
正座にしびれはつき物だ。滞っていた血流が、立ち上がることで回復したとたんに悪玉が心臓や脳に向かって一気に流れでもしたら…、大変なことだと言った医者がいるとかいないとか。

およそ畳に座ることなど縁遠かった者が、足を曲げる時間が増えたことで、膝はもちろん足首にまで支障を来たした。慣れぬ生活ゆえで我慢に我慢が続いたが、痛みに耐えかねて病院で受診する羽目になったのは、はるか昔。

脚は第2の心臓、人の構えや姿勢にも関わる腰は体の中枢部だ。幸い、足腰の疲れにも回復機能は正常値内で働いてくれている。
歩く人はぼけない、歩かない人はぼけてから歩く。のだ?そうだから、無理は禁物だが、せいぜい歩くことにしよう。

          

京都御苑の西側、烏丸通りに面して和気清麻呂公を祭る護王神社がある。都から九州の宇佐八幡宮へ向かう途中、災難にあわれた際にどこからともなく300頭もの猪が現れて、道中の無事をお護りしたという。不思議にも公が悩んでいた足萎えが治ったという故事にちなみ、足腰の健康保持、怪我病気の回復にご利益があると信仰されている。拝殿の前には狛犬ではなく「狛いのしし」が建つ。

          

3回目の熊野古道歩きも申し込み、料金も払い込んだ。お守りもいただいた。これで大丈夫!!かな?

      (烏丸通り、東に御苑を見て。昨日から御所の一般公開が始まっている)
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 「日本は変えられんぜよ~」

2010年11月15日 | 催しごと
              

龍馬は慶長2年の8月末、越前藩士下山尚と面会し、松平春嶽の力で大政奉還を実現されたいと述べたという。山下尚は、その時の龍馬の風貌を「雄偉」「閑雅」「晴朗」と言う言葉で文書に書き残しているそうだ。
スマートでかっこいい、品格あり上品、言葉は爽やかだ…と。

資料外、根拠のないところからの龍馬像造りが多い。そうNHK大河ドラマを評する歴史家先生のフォーラム「坂本龍馬と幕末の京都」で、知識ばかりを詰め込んで帰ったのが春先だった。

気が弱くて怒られてばかりいる龍馬が、母の死をきっかけに強くなろうと決意する、そんな第1回目だったが、子役に注目が集まる始まりでもあった。
あと40日の龍馬の命、既にドラマはここまで進んできて間もなく終焉を迎える。
短い人生を駆け抜けて行くなかで、すべて人から学んだことを「船中八策」の根底に据えていることに感動したものだ。

「命を狙われるくらいのことをせんじゃったら、日本は変えられんぜよ…」 ニコッ
 これがええですね~      (まことに… )

午後、海援隊京都本部となった酢屋で開催中の「龍馬追悼展」(11/13~11/30)に出かけた。龍馬誕生日であり命日でもある。

  

昭和3年、酢屋が天井を剥いだところ「異国船渡来日記」「海援隊日誌」が発見されたそうだ。寺田屋事件後、わかったことを毎日毎日記録し続けてあると言う。〇日、××死亡。
〇日、△△死亡。襲ったもの3名。…
陸奥陽之助、長岡謙吉ら志士は龍馬の敵討ちと称し天満屋襲撃するが失敗する。酢屋の天井裏に隠し残されてきた「海援隊日誌」は、「涙痕帖」と名付けられてあった。
亡くなる3日前、酢屋にいたことと思われる。
出格子の前は高瀬川の五之舟入だった。2階の格子の向こう10畳ほどの間に龍馬は座っていた…。外を見、時にピストルの試し撃ちなどもして。

龍馬の魅力をたっぷり味わってきた。そして、決して彼個人だけの面白さではない幕末史も感じてドラマを見ている。

  
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 晩秋の温かみ

2010年11月14日 | こんなところ訪ねて
             曼殊院門跡

何が災いしたか、朝から頭がぼんやりする。世も黄砂騒動、はるかな地からの飛来物で視界がモヤモヤとスッキリしない不快さがある。
昼までボーッと回復に努め、外へ出てみることにした。

観光地だらけのこの地にあって、ぶらっと向かう先は大体いつも同じ。どういうわけか新地開拓にはあらかじめの思い入れが必要になる。おまけに共に歩く人がいない気ままな一人ぶらつき。

ところがだ、ぶらぶら・とぼとぼ歩いていると、なにやら心温かくなる気がするのだから不思議だ。日曜日、シーズンとあって人出は多い。ましてや一乗寺は人気のスポット、狭い道に車の往来も激しい。
真っ赤に色づいた自然の大きな懐に抱かれて、晩秋の冷気ならぬ、穏やかな温かみが胸中に広がるのだ。きっと、あの人もこの人も…。

  

ふと思う。共感は、優しさ、ぬくもり…、こうしたものは、与えられるものではなく、自らの内に生まれてくるものに違いない。共に泣き、笑い・悩む、何かを共有し共に生きることで生まれてくるものなのだ。

「対話は一方通行ではない。双方で行うもの」とスーチンさんも言う。

「まっこと楽しみじゃ~」とは、龍馬の姉・乙女ねえやんだった。
少し先を楽しみに生きて行けたら、幸せじゃね~。

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 やっぱり夢は持ち続け…

2010年11月12日 | 日々の暮らしの中で
  My about 2-year-long dream has come true, a month ago.

  Let’s keep on dreaming and work hard make our dreams come true!

なんてことを、ちょっと英作文をしてみたくなった。

夢が叶って、再び新しく時間が流れ始めたわけでもないのだろうけれど、
いつもの日常の繰り返しに、新しい時間を組み込んでそれなりの濃さで時間は巡っていくようだ。

  【東の空が朝の光に明けてくるとき、まっさらな新しい日が始まります。
  暗いうちに何があろうとも、また昨日からの持ち越しの何があろうとも、
  そういうときこそ、ひとはこの新しい一日に新たな希望を懸ける。】

良き訪れ、良き出会いを求めたい…。
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 紅葉シーズンに 

2010年11月11日 | 日々の暮らしの中で
厳しい朝の冷え込みだった。午前6時で例年より5度低い3・7度とか、初霜が降りたところがあったという。
日中は久しぶりに暖かな日差しが戻り、肩の凝りもほぐれるようだった。

紅葉の季節を迎え、この中・下旬から12月初めにかけては観光客であふれかえる京都。
147万人の人口の地に年間4700万人の観光客が訪れるというが、観光客誘致に5000万人構想が練られていることは新聞でも伝えられている。

拝観料は払うけれど、… けれど?… コンビニでマクドでお弁当を買って、どこかに腰を下ろして…。街に、飲食店、料理屋さんになかなかお金が落ちない、と嘆き、構想に反対する声もチラリ。
そんな嘆きの御仁が真如堂の真っ赤な紅葉を讃えていた。おまけに拝観料もかからない。
ここからぶらぶら歩いて近い金戒光明寺が、今年はJRの「そうだ京都に行こう」のポスターに採用されているという。この一帯、今年はどっと参拝客が増えることだろう。

観光寺ではないので静かに紅葉を楽しめるいいところがある。
入り口に、①出入り自由 ②(入ったら)閉めて下さい ③サルに注意  とだけ案内がある。そして、満喫してお帰りの際、出口には「他言無用」と記されている、のだそうな。
踏み荒らされることを案じてだ。

カラー修正されたポスターやガイドブックに惑わされたくはない。押し寄せる人波の中で茶と黄の紅葉を見てきれい~とするか、静かなひと時に何かを思ってみることもいいのか…。

「一」は「多」よりも多くを語る。 
「よろづ事足らぬがよし」
 物足りない不自由さを足れりとして楽しむ、としたら…。
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 熊野古道は「ふるみち・触る道」

2010年11月07日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
「今回のコースを歩いた人は、もう14回(全コース)歩いたも同然です」とは、添乗員さんの言葉だった。

海南市の藤白神社から有田市の紀伊宮原駅までの12.3kmを4時間10分で歩く第2回目は、
藤白坂・拝ノ峠と二つの峠を越える険しい道が続き最も難関な行程となるようだった。
歴代上皇・法皇の熊野御幸は延べ100回に及び、必ず藤白王子に宿泊され特別な催事が行われたという。

  クスノキの巨木 

その熊野九十九王子中、最も格式の高い五躰王子の一つ、熊野聖域の入り口であった藤白神社で、宮司による安全祈願ののち出立のお守りをいただいた。この者たちに楽しい旅を授けたまへ~ …と。
熊野本宮大社の阿弥陀如来、その右に熊野神宮の薬師如来、左には熊野那智山の千手観音、三体の本地仏を祀り、神仏混合だ。

熊野「古道」は、熊野「ふるみち」・「触る道」であった。
神に・行き交う人に・気に、霊気に触れながら歩く道なのだ。神々が宿っているのだという意識、敬虔な気持ちを抱いて歩いて欲しい。
なるほど!! 神主さんのこの言葉に目の覚める思いがした。熊野を歩くことのすべてが語られ、心には大きな思いを託された気がした。

古来、行き倒れにもなりかねないほどの困難を極めた信仰の道。万が一のときに備え、人は襟元に一文銭を縫いこんだという。菩提を弔ってもらえるように…。
神仏のご加護を得ようと祈りつつ歩いた道であったのだろう。

  

山の上まで広がるみかん畑。石が転がり丸太で階段が組まれた落ち葉積もる野道、時に鬱蒼とした竹藪を抜け、長い長い上り坂が続く藤白坂。
一丁・109mごとに祀られている丁石地蔵の可愛さに癒され、眼下の深い緑に心を洗い、海を遠望しては深呼吸。

  

  

休憩を挟み40分も登って塔下(とうげ:まだ峠という和製の漢字がなかったために塔下を用いている)王子に着。標高250mに達していないだろうか。なんとも楽しい胸突き八丁、だったかも知れない。
     

裏手に上り御所の芝から眺めた万葉集にも歌われた景勝地、和歌の浦。景観は「国民共通の財産」と位置づけられた地だ。
  和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ 葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る  山辺赤人

ようやく登りつめながら下り、王子跡をいくつも過ぎてもう一つの難所、拝ノ峠にある蕪坂塔下王子を目指す。
今度は風車の見える♪あの山越えて~。舗装された超!急坂、足首は45度になっているのではないか?

  

黙々と一歩!また一歩!と足を踏み出して上る。さすがに汗をかいた。
77歳の語り部さんを前にして「えらい~」とは言い難い。

  

標高は320mぐらいだろうか、いつの間にかに登りつめた。上れば下りる。風車を背にして膝に痛みを感じながら急坂を下る。なぜか足並み揃った今日の仲間、笑い声が上がる気持ちよささえ伴う。再会を約して…。

現地でバスを降り、再び乗り込むまでの一日、万歩計は20539歩を示していた。
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 旅は道づれ

2010年11月05日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
目覚まし時計がなかった時代、早起きが苦手な人はどうしていたのだろうか。
約束の時間に間に合わない、などということもあったのではないか。

  ほのぼのと明石の浦の朝霧に
        島かくれ行く船をしぞ思ふ

(ほのぼのと明石の浦の朝霧のなか、島の陰に消えてゆくあなたの乗った舟のことが思われる)
『古今和歌集』にある作者不詳の歌。
三回唱えて寝ると望みの時間に目が覚めるそうな…
今夜はしっかり唱えて試してみよう。むろん、目覚まし時計も併用だが。

京都駅7時15分集合。
旅は道連れ?? 一日ぴったり身につけて、数えてみるとしよう。

明日は晴れ、紅葉狩り日和とか。
熊野での一日が大いに楽しめますように~。
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 秋深し…

2010年11月04日 | 日々の暮らしの中で
             

朝から上天気。
すっかり葉を落とした木の上に青い空が広がっていた。思いっきり両手を広げ明るい空をみかたにつけた姿は、晴ればれと誇らしげだ。
太陽の光を浴びた木々の彩りも際立ってきた。

  

あさって、六日に履く靴の足慣らしも順調、全く問題はない。当日の天気も期待できそうだ。あとは恰好だけ。秋の夕暮れの冷え込みにどの程度で備えをしたらよいものかと、あれこれと考えている。

熊野古道を歩いた先人の足跡を踏みしめながら、見知らぬ土地の風景に出会うことへの昂揚感。
真っ青だったみかんは食べごろかもしれない、紅葉も楽しめるだろう。藤白坂への胸突き八丁、ただ落ち葉を踏む足音だけが聞こえるという鬱蒼とした竹林、長い上り坂のあとに目にする熊野第一の美景とは!? 峠までは一丁(109m)ごとに丁石地蔵が祀られているようだ。

なにやら心弾むものがある。体力や気力に依る所は大きいが、歩き通せた達成感や満足感は、更に次回へとつながるだろう。「旅」と言うほどの重みやつらさは抱え込まずに、足で稼ぐ豊な喜びの日帰り旅行、とでもしておこうか。
峠の山中に駕籠かきさんが待機していてくれるのも夢がある? 甘いあまい…か。

真面目にこつこつ働くことの嫌いな怠け者・弥次郎兵衛と、よく気がつく働き者だったが店の金を使い込んで奉公先を追い出された北八の二人連れは、借金をすべて踏み倒し朝の暗いうちにお伊勢参りにと長屋を立った。江戸を逃げ出したのだ。
旅の恥はかき捨て、気にもせず、行き当たりばったりで過ごす道中の面白さ…。

ウォーキング・ツアーなので気ままな自由行動はないが、毎月の生活のアクセントとしてみたいものだ。
 
                      海の向こうへひとっ飛び… したい、かな
 
  
                     
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