矢田峠越えでも海抜100メートルまで、下りながら伊太祁曽神社までの約3.6kmを1時間あまりで歩いたことになる。昼休みなどと言うほどの休憩もなく、後半がスタート。
右下に柿の葉寿司、お腹をいっぱいにして
みかん畑と別れ、周囲の田に彼岸花が咲き乱れる山里の風景に目を奪われながら、着いた先は、武内神社だった。仁徳天皇まで5代の天皇に300年近く仕えたとされる、昔の一円札のモデルだった武内宿禰を祭る。
キャベツの葉だとか、きれいに植えつけられた畑。これから収穫を迎えるイチジク園。
池に落ちる雨粒を見遣り、遠景を楽しむ余裕もまだ残っている。不思議だ、不思議と雨が苦にならない。
先頭集団の先頭は若い夫婦、彼らが引っ張るようなペースだから、どうしても遅れがちな父(大正生まれ)娘組。遅れる上におしゃべりしながら写真を撮ってのマイペース。
休憩、説明場所、信号待ちなど以外に立ち止まることがない中、唯一、二人を待つことでストップがかかる。
「四つ石だって!大きなお地蔵さんね」
語り部さん「えっ、ありました?説明しようと思っていたのに行き過ぎました~」って。
彼女は、県道からそれて左の峠道へと入るためにコンクリートで固めた急な箇所をほんの少し上がりきるのに失敗。黄色いカッパを着て、左に説明用の資料が入ったクリアーケースと布の提げ袋、右手で傘を持つ。後ろ向きに滑り降りるのを如何ともしがたいのだろう、止めてあげた。
と、横からも一人、男性が後ろ向きに立ったままでバックして行った。雨で滑るのだ。矢田峠入り口を前にしてのことだったが、時折のハプニングはあるものだな。
少しづつ雨の降りようもきつくなる。
汐見峠、峠とは名ばかりだが、車の往来も激しく足元は雨が流れる路面が続く。右手に海が見えるというが見えない。安政の大地震による大津波の時、村人を高台へと呼び上げて命を救ったと伝えられる呼び上げ地蔵の祠。この頃受けた説明の多くは雨と共に流されて記憶に乏しい。民のために尽くした徳本さんの話などもどこか上の空だった。
ただ二度と歩くことはないだろう道、せめて風景だけでも心に残してと欲を出す。
ゴロゴロと鳴り出し雨脚が一層強まる。引っ張られるようにぐんぐん歩く。さすがに足の疲れを感じ出していたが、格式の高い五体王子の一つ、第2回目の出発点であり本日の終着地藤白神社、とにもかくにも無事到着!! ♪歩き通しましたよ~
【歴代上皇、法王が100回に及ぶ熊野御幸のたびに必ず休泊され、神前で和歌会(わかえ)、白拍子、里神楽(獅子舞)、相撲等特別な催事(法楽)が行われた】と説明がある。
バスへと向かう 足元には…
昼食時以外に腰を下ろすこともなく、定点での説明と休憩、最後はそれさえカットで先を急いだ。どちらかといえば強行軍ではないのだろうか。「きれいねー」と言葉を発するものの、足も気持ちも即、前へと向けざるを得ない。どんどん進むのだ。
同年輩か少し先輩かとお見受けする健脚ぞろい。まったく足はどうもないとおっしゃる。
月末は伊勢路、来月初めに西国街道を歩くと車内の後ろから聞こえてきた。振り向くと、文庫本を広げている。笑顔の優しさが印象的だった女性だが、恐れ入りました!