京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 いただき物で

2010年10月29日 | 日々の暮らしの中で
                

因幡国(今の鳥取県)のなんやらの入道とかいう者に娘がいた。娘の顔かたちが美しいと聞き及んで何人もの男性が結婚の申し込みをしたということだが、この娘、「ただ栗のみ食ひて」少しも米の類を食べなかった。
そこで親は、「かかる異様のもの、人に見ゆべきにあらず」、このような娘を嫁がせることなどはできないといって結婚を許さなかった。 

というだけの、栗しか食べない変わった女性の話の一段が鎌倉時代の『徒然草』に載っている。栗は縄文時代にさかのぼって食べられていたことがわかっているようだが、火も使われ出して焼いたり茹でたり、彼らも同じように食べていたのだろうか。すりつぶして粉にしたのか?

        

この時期ならではで、頂き物をした。渋皮付きの栗蒸しようかん、大きいほうが私のぶん。ペロッといただいてしまって、もうひと切れ…。一方は甘露煮を練り込んだだけの羊羹。
甘さ控えめ、おいしこと! 新栗の形が粒のまま生かされているのが嬉しい。

                     

あと一口欲しいな… と思うところでやめる、これが難しい。
大概は、食べ過ぎちゃった~、少々ムッとして終わることになる。

   どこから見上げても電線が邪魔をする狭い空間。明日の天気は雨模様だけれど…。
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 ご無沙汰明けに 

2010年10月27日 | 日々の暮らしの中で
            

ハロウィンとは何ぞな もし~
  と言うほどに私の知識はなく、縁もない。
  大きなかぼちゃを繰り抜いて、中にはローソクを灯す。
  なにやら大きな白いかぼちゃも使われるとか。
いったい何のためにぞな もし~

ヨーロッパを起源とする民族行事。カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前の晩(10月31)に行われる、前夜祭をいうらしい。ふ~~ん。
家の周りを徘徊し人間に取り付こうとする悪霊たちを驚かし、追い払うために仮装するとある。なるほど…。 よく知らないままにこの歳まできたものだ。

最近はJessieの母親が外に出だし、自分が忙しいせいかちっとも連絡してこない。
ブログアップも滞り、娘はともかくJessieの様子がわからないことは淋しい限りだが、こちらからも特に用はなく、先送りでご無沙汰は続いていた。
もっとも、私自身も少しばかり彼らが念頭から消える日々を過ごしていた。

そんな中、突然送ってきたのが3枚の写真だった。キンディでのハロウィンの仮装、Jessieは魔女に。

              

鉤鼻の老婆が黒い三角帽、黒マント、のはずだがカラフルだった。
今年2月ブリスベン滞在時、ヌーサ国立公園に向かう途中に立ち寄ったAussie Worldのパブ。隣接の店先に魔女が何体もぶら下がっていたのを思い出し、久しぶりに当時の写真を開いてみることになった。


  最低気温は7・8度。
  少しばかり薄着の外出になって失敗した。冬物でもよいほどの寒さだった。
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 「雨やし こうてえな~」

2010年10月25日 | 催しごと
             

北野天神さんの縁日はしとしと雨の中だった。
大鳥居の手前から、参道、境内、寺域の東外側の道路にまでと、びっしり露店が立ち並ぶ。市内周辺に居住する外国人の姿が多く見られることは、この縁日の特徴だと聞いたことがある。

サツマイモを揚げて砂糖をまぶしたごっつい棒状が5本で300円、アッツアツを紙コップに入れてくれる。ここでのお楽しみだが、雨で座るところがなく植木市を見ながらの食べ歩きとなった。

「おねえさん、雨やし買(こ)うてえなあ~。なあ~、まけるでよ~。おねがい、こうてって」
漬物店々主の愉快な泣き落とし作戦? 同じ道を引き返してくると、やはり同じ声が聞こえてくる。
「ちょっとちょっと、なあ! こうてえなあ~! まけるでよ。安くするでこうてって。
ちょっとちょっとって!! なあ! あ~~あ! まけてやらんよ」とは!

「あっ、おねえさん、さっき会いましたなあ。こうてって~」と笑う。
こんなところで油売ってても言いのかなと思う、別の店先だった。

  

まだ昼過ぎだというのに品物を包みだし、古着をたたみかけている店もある。早くも今日の見切りをつけているのかもしれない。誰も足を止めそうにない店の奥で腕を組んだまま眠って動かない店主。横に寝そべった大タヌキが、通り往く人間を見上げている。
私を買うてかな~い? 

ありとあらゆるものに値がつけられる。たくましい商魂だ。
「町で買えば3万円、ここだから8千円」の手提げかばん。

           足を延ばして千本釈迦堂  

大勢の中に埋もれてみれば、それなりにリラックスできることはある。
だから、たまにそうした機会を求めて外へ出ることにもなるようだ。
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 父逝って18年 

2010年10月22日 | 日々の暮らしの中で
会社から帰宅した父の顔に気難しさを見つけた晩は、「触らぬ神に…」で、6人家族でありながら口数少ない夕食のテーブルを囲んでいたのを思い出す。

13代目となる父は、残るものを整理して家の歴史をまとめることを生涯の務めとでも思いこんでいるような人だった。
お正月には6代目太兵衛さんの掛け軸を飾り、お飾りもする。父のあとに付いて、神棚から仏壇、太兵衛さんと順に手を合わていくのだ。小6の夏、父の言うままに書くだけの「〇〇家の歴史」を自由研究とした。

時代が変わりつつあるのを感じていたかも知れない。
「今はもう家・家と言う時代じゃない」とからかわれながら、結局、道半ばで不帰の人となった。さぞや心残りだったろうと思っているが、からかった張本人の末弟とはあの世でその後どんな話になっているのやら~。細かなことをしてるから命を縮めたのだよ、と?

我が家の食器棚の上に鎮座していたラジオもいつしか姿を消し、テレビが主流になっていった。プロ野球中継の放送終了時刻が近づくと、自ら小型のラジオを取りにあがる父。アンテナを伸ばし選局して備えるのも、自分の横でとりわけ熱心に聞き入る娘との楽しみのためではなかったのか。
今はさび付いて聞く事もできないトランジスター・ラジオだが、手放せないままにある。

いつも、いつまでも「ちゃん」付けで呼んだが、それも最後は目の前に娘がいてもわからず、娘の名は「お寺の奥さん」になってしまった。

「もっと電話ぐらいしてくれてもいいのに」と記されたもの…。
母亡き後の2年間、私とのつながりを待った心のうちを思うとき、つらいものもあるな。
18年が経った。月命日に父を想って。
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 秋、いろいろ - 祭りの前に

2010年10月21日 | 日々の暮らしの中で
             

平安時代から明治維新まで、時代考証に沿って再現した装束をまとった約二千人の行列は、
明日正午に京都御所の建礼門前を出発する。

今年もまた、「時代祭り」を控えた京都御苑の様子を覗いてみた。朝から時折雨がポツリポツリと落ちる一日だったが、招待者や観覧希望者のためのパイプ椅子がびっしりと並べられて、昨年と変わりなく準備も整えられてある。
がらんとした静けさが、かえって明日の賑わいを想像する余地を残してくれて、みやびな平安の神幸列などを玉砂利の道に思い描く楽しさも生じてくるような…。

衣装を新調したり補修したり、今年は525点で費用は750万円かかったといつかの新聞記事にあった。そうしたこともすべて、京都の伝統的な職人さんの技術を守り、産業の維持や発展へとつながるわけだ。
ろうけつ染めの絹地に草花や鳥をあしらい、清らかな美しさを醸し出すという新調の「上裳」(平安時代、桓武天皇を支えた百済王明信が腰から下にまとう)。1994年に作ったが、2年前の雨で傷んだため78万円かけて作り直したそうだ。

  

今年の龍馬さんは? 西郷ドンは?
行列を歩く訓練はできていないとか(していない、か)、単なるぞろぞろ歩きで、維新の志士のパワーも感じられないのは大いに見ていて物足りない。が、見所も多い行列、一度は…。

行列が到着する先、平安神宮には狂い咲きか、季節はずれの桜が咲いたという。
御苑内でも一輪の山吹の花に出会った。サクラの落葉も異常なほど進んでいる。
早くも初冬の光景。何事も機を違わば…。

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 足元から

2010年10月20日 | 日々の暮らしの中で
雲間がくれに何とか見上げた十五夜だった。
それに比べれば今夜の月はぼんやりとしているが、その姿を心待ちにしてしっかり眺めた十三夜のお月さん。窓を開けさえすれば、虫の音の澄んだ声が響き渡るし、小鳥のねぐらでのさえずりさえ耳にできる。静かな秋の夜、素足では冷たくなった。

靴下を買うことを忘れてしまった。足元を固めたと思ったものの、早々にほころびが出たような。
雨の中の熊野古道、「紀伊路・中辺路を語り部と歩く」だった10月3日。どうにか歩き通せたことで、第2回目に気持ちを向けてみたくなっている。
黙っていよう、プレッシャーがかかるし…、のつもりがそうでいられなくなった。話題にさせていただいて、力をいただいたほうがいい。リュックが重くならない程度に…、と気持ちも変わってきた。
「登山靴でなくともウォーキングシューズでないほうがいい」と言われ、トレッキングシューズなるものを購入。値が高ければいいというものでもなく、自分の足にフィットするものが一番というアドバイスをもとに。

前回の終着地、藤白神社で特別に安全祈願とお守り授与があるそうな。
11月6日はここがスタートに。万葉の悲劇の有馬皇子の墓を過ぎると、紀伊路第一の難所という「藤白坂」を登っていく。1.6キロを途中休憩を挟んで40分、海抜30m?ほどの墓から200数十mまで登りつめたところが塔下王子。ここの「御所の芝」からの眺めは熊野路第一の美景なのだとか。あ~、ここで昼食だ。
25分ほど下って、みかん畑の中を歩き、もう一つの難所「拝ノ峠」、さらに蕪坂塔下王子まで登って、下って下って歩いて歩いて… 紀伊宮原へ。で、終着。 あ~~…。

往時の熊野詣を体感できる、らしい。沿道はみかんの産地。真っ青だったみかんが食べごろで、売られているのだろうか。
歩行距離12.3キロ、歩行時間は4時間10分。  あ~~…。

よし!と小さな声で…、気楽にガンバロー。今夜の月に願をかけた。お地蔵さんの力も味方につけて、歩いてみたい。
                       (小林良正さんの「ほほえみ地蔵」から)

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 秋、いろいろ - 色づいて

2010年10月18日 | 日々の暮らしの中で
Good Monday!  というところ。よい日になりそうな朝だった。

午前中、ちらけっぱなしの部屋を片付けてから、楽しく過ごした友人との時間を振り返りながら、手紙を書いて過ごした。

あした、思いもかけない明日はやってくる。良き訪れ、良き出会いもあるはず。
一つひとつの出会いが、自分をより大きくする日となるなら、手を伸ばして掴み取りたい。
どちらかといえば淡白な性質だ。あまりにあっさりし過ぎずに、この先一途に理想を追いましょか…。

日暮れはすぐにやってくる。温かなうちに少し自転車に乗ってみようと思った。
冬の寒さに自転車は厳しく、夏は日に焼ける。一年前には乗れたのだから、心配ないだろう。
  
  ♪サイクリング、サイクリング、ヤホー ヤホー
とまあ、そんな軽快さとは無縁のママチャリによる安全運転第一主義。
埃をかぶって空気が抜けていたが、きれいにしておいたところだ。どこへ行こうかな、用がないから、わざわざ遠回りをしてお使いに。バランスをとるために両腕は緊張の連続でしかない。それでも歩かずに進むのだから、慣れたら少しは快感だった。少しづつ距離でも延ばしてみようか。

「歩行の技術や服装 ハイキングに学ぼう」新聞の小見出しが目に留まった。
歩行に技術があるのか!?  自転車に乗っている場合ではないのか?
…「山の歩き方と動植物」と読めてきた。 … なあんだ。

風のように、心優しく柔軟に、悠々人生のんびりサイクリング、ヤホ~~ッ。

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 やっぱりいないのか・・・

2010年10月17日 | 日々の暮らしの中で
             

木々の実が色づき、日に日に色あいを増す。枝をしならせた柿の木の、鮮やかな色彩の葉には思わず目を近づけてみたい。一つひとつ、秋の装いが身の回りを包み出す頃。この行楽の秋を楽しまないでなんとしよう。…なのだけれど。

目的もなく散歩するのもいい。けれど、少し代わり映えのある場所、風景を求めてとなれば車か電車かバスか…の移動になる。神社仏閣ばかり見ていなくてもいいのに、どんなに場所を変えても、なんやしらんそうしたものに行き当たる街が京都のようだ。

幼い子供でもそれなりに楽しみを見つけて遊んで来た。あそこへ、ここへと描いた計画もお流れだ。明日、関空で感動の対面を果たすシーンを想定、駆け寄ってくる(はず)のJessieと抱き合って、思わずしりもちか? としていたのに~。

 言ってもせん無きことね。                           

1年2ヶ月間、片時も場所を譲ることなく、ずっとこの棚の片隅に置かれてきたJessieの糊。掬い取った指先の流れもそのままに、ホルマリンを全く使わないでいて腐らないというのりだから、たいした代物だ。
折り紙や包装紙をベタベタ張り合わせて一人悦に入る。機嫌のよい一人遊びだった。
「はい、プレゼント」は、ゴテゴテの、ねちゃねちゃ。それでもすべて、ありがとうの笑顔に。

こんなに遊び道具がそろう秋の好日、外遊びの楽しいときなのに、やっぱり姫子はいないのだねえ…。
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 秋、いろいろ・・・

2010年10月15日 | 日々の暮らしの中で
隣の見ず知らずの人が欠伸をした。うつるのかな?と思ってると欠伸が出た。

電車を降りて、エスカレーターに向かいたいのだが、一人がもたついていて後続が追突気味になる。渋滞の最後の車はハザードランプを点灯するように、高速道路では注意を呼びかけているが、駅では誰もそんなお行儀よく並んで渋滞などはしていられないようだ。この渋滞発生の原因を作り出した男性を勢いよくかわして、エスカレーターを昇って行く。
男性はその上り口で止まってしまっている。おばはんがちらり! 続くおばはんも、「はよう… ???」と言葉を浴びせて昇って行く。
ぼんやりしてるとおっかないご時勢だこと。

ところで、なぜこんなに多くの人が歩いて昇らなくてはならないのだろうと思うことがある。折角自動で上まで運んでくれるのに。
歩く人のために、右側を開けるのが暗黙の了解になっているようだが、それさえも塞いで立つ人がいるために時々トラブルがあるようだ。

昔、学校と家までの道が動けばいいのにと思った記憶が甦る。後年、動く歩道も出現したではないか。私は多くの場合に自力を使わない。振り返ってみると、ずいぶん早くからものぐさの様相は呈していたことになる。

帰り道、空き地になった一画の金網に、風船かずらが目に入った。
蔓をたぐって、頂戴することにした。秋に採ったタネを春に播けばよいらしいから、播いてみようか。
ちょっとの外出でいろいろなことを見た、秋の一日…。
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 見えないものが見える…

2010年10月14日 | 日々の暮らしの中で
「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」だったか、兼好法師が言っていた。雲に隠れていても、雲の向こうに満月があると思って見るのが人の情趣だと…。

淡いほのかな明かりの中に、美しさややわらかさを見出していく日本古来の美に対する感覚。雨が降り、霞や雲、霧やもやをかけて隠す。雪で辺りを覆い尽くす。そんな季節の現象への好みも、鮮明さや強烈な光を避ける美意識の表れで、ひとつのエレガンスだと読んだこともあった。何となくそんなことを思いながら聞いていた京都文化論。テーマは「未完(省略)の美」

      長谷川等伯「松林図屏風」
          緑や茶色が見える?平地?山地?

例えば絵画において、わからない細部を隠してしまうことでミスを防ごうとする合理性。水墨画のモノクロの世界に、無限の色彩を想像する心。どちらも日本人の精神性だという。

         雪舟「天橋立図」
       
隠して想像する心、見えないものが見えるという精神は、日本文化の特色だと伺った。
現象の奥にあって表に現れていない、足りないところを推し量り補う。これぞ日本人の「余情・余韻の美」と説明された。

隠されているからいっそう興味がわくって事がある。
なるほど「よろづ事足らぬがよし」とはドンピシャリ。物足りない、その不自由さを楽しむとは、なんて魅力的な!?

わかったようなわからんような…、眠くなりかけた。楽しい余談も少なくて、テンション低めだったのではない? 何度も同じ話しをされるが、前に聞きました!とも言えない。
これって話した?と聞かれたが…。
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 これ以上のことはないわ!

2010年10月11日 | 日々の暮らしの中で
汗ばむほどの陽射しにも、そわそわと、なにやらじっとしているのも落ち着かない。
毎日毎日なぜか中吉ばかりが出る運勢だし、浮かれ出すのはもっぱら春の陽気の頃かと思うのだけれど、ぶらぶら歩く人生にも、思わぬ縁や幸せとの出会いがあるのやも知れない…、なんて。これも、春ムードかな。
あー、いずれにしてもよいお天気だった。

今月18日は、娘とJessieが日本に戻る予定になっていた。が、あいにくの今回の腹痛・嘔吐から始まった入院騒動で、体力面の心配や定期健診もあることで先送りすることにした。
紅葉が始まるこれからの季節を一緒に遊び歩けると、楽しみにしていたが仕方がない。

顔がむくみ、点滴につながれて、どこか生気に欠く表情は痛々しかった。3キロほど体重が減ったという退院時、これで日本まではとても無理だろうと思わせた。

だが、持ち前の大きな声も戻ってきているようだ。顔のむくみは引き、シャンとした顔つきになった。

Nothing,better!  と言ってもいいのかな。
 これ以上のことはありません!

「よっこいしょーーー、よっこいしょーーーー!  どっこいしょーーー!」
 って、(『おおきなかぶ』を)でっかい声で読んでおりまする。

娘から嬉しい知らせが届いた。

心置きなく秋を満喫しよう。



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 風が運ぶ

2010年10月10日 | 日々の暮らしの中で
             

  雲の上には 青い空が いっぱいに 広がっている

傘を差しながら読んだ寺の掲示板だった。
お天気も回復した。すれ違いざまには人とぶつかるほどに混み合うこの連休の街。
京都駅烏丸中央改札口の西側の階段は、4階から10階まで続く大階段で171段。
そして、さらにその上が大空広場と呼ばれ、南北の展望がいい。
伊勢丹の11階までエレベーターで一気に上がり、そこから外へ出ることにした。各フロアーと大階段は結ばれている。吹奏楽の演奏が催されていて、人は階段に腰掛け、思い思いに過ごしている。

   

勿論吹き抜け、頭の上は大空だから風が通り抜ける。
旅行中の人もいるだろう。家族・友人での買い物、レジャーか観光か、一人ひと休み、様々な目的でこの街にいて、たまたまここに居合わす人たちの上を風が吹く。何を運んでいるのだろう。心地よさ、互いの信頼感か、相手を思い、心の通うひと時を共有させてくれているのかもしれない。
あしたの風は? あさっての風は?? 何を運んでくれるのかな…。

珍しい、今夜は白い雲がぷかぷかと浮き、星がひとつ、強い輝きを放っている。
この空の上にも青い空が広がっているのだ。
秋晴れに、心安らぐ快い風が吹くことだろう。
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 大胆かつ細密な…

2010年10月09日 | 展覧会
       木版画「三十三間堂」

「刀で木を切る快感」、木を切る線のシャープな強さにひかれた、と語る記事を読んだことがあった。
木版画での表現を得意とされる木田安彦氏が、そのスタイルを確立したという「三十三間堂」。大丸ミュージアムKYOTOで開催中の『木田安彦の世界「三十三間堂」展』をのぞいた。

      

三十三間堂の木版画を始め、板絵・ガラス絵・水墨画に襖絵など様々な三十三間堂が紹介されていた。竹を半分に割って、その一節ひと節を一間分に見立てて書き込んだもの。大きな板の木目が、そのまま水墨の十一面千手観音のお顔から全体に美しい線となって生かされたもの。襖絵の大胆な構図。一方で、細密な彫り込みに目を近づけて線を確かめて見る。

そのはるか昔の夏休み、厚さ2cmほどの桜の木の板に、ひまわりと弟(少年)二人を描き、彫刻刀でレリーフにし色付けしたことがあった。父親がそばにいたのを記憶している。長いこと部屋に飾ってあったが、そういえばあれはどうしただろう…。どういうわけか、いろいろ派生しては昔の忘れていたことを思い出すこの頃だ。


    北側に京都国立博物館                 三条大橋から南を

よい機会だからと、先に三十三間堂を拝観することで友人と約束していた。
京阪七条駅を地上に上がると、雨は強まりおまけに風までが!
こんな日に人はいるのかと思いきや、線香の煙が立ち込めた薄暗い堂内は1001体(4-5体は修理・貸し出し中)のご本尊と参拝者でいっぱいだった。ゆうに30年は経ての再訪。

またもや雨の一日を過ごした。
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 ささやかな近場の文化

2010年10月07日 | 日々の暮らしの中で
             

気温15度、快晴の朝。予報では27度まで上がるというが、秋晴れだ。

秋の行楽シーズンを迎える。連休もある。おまけに、京都市立の小学校は2学期制で秋休みなるものがある。
政府の観光立国推進本部とかが、旅行やレジャーの需要の掘り起こしや混雑緩和を目的に休暇分散化を検討している、とは聞いたことがあったような。今日から平日を含め順次5~7連休に入る市の4校が、その連休の過ごし方を調べる実証実験に協力するのだという。

行楽地は空いているかも知れないが、果たして親の休みが取れるのか、家族内の調整は、経済的な問題は…。課題も多いことだろう。そして、今夏実施のアンケートでは68パーセントの人が「メリットは特にない」との回答だったとある。

豊な「文化」が身の回りにあふれる地に暮らす子どもたち。
お金をかけるばかりではない。親が仕事でいなくても、地域で、近場で、子供達がより豊な満足感で過ごせるための受け皿がたくさんあったらオモシロイだろううなあ、などとふと思ったりもする。わかってもわからなくとも、地域の文化に触れる意味は大きそうだけれど。

今はよその子も一緒くたになって遊びに出たりし合うことは少ないのだろうか…。
家族単位が中心なのか。地域で育てあう、そんな試みは楽しいと思うが余裕は生まれてこないのかな。

           

いずれにしてよい天気だった。秋空の下、色づく銀杏もあれば金木犀の香があたりを包み始めてきた。
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 熊野古道、雨中の歩み(2)

2010年10月05日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
矢田峠越えでも海抜100メートルまで、下りながら伊太祁曽神社までの約3.6kmを1時間あまりで歩いたことになる。昼休みなどと言うほどの休憩もなく、後半がスタート。

            右下に柿の葉寿司、お腹をいっぱいにして

みかん畑と別れ、周囲の田に彼岸花が咲き乱れる山里の風景に目を奪われながら、着いた先は、武内神社だった。仁徳天皇まで5代の天皇に300年近く仕えたとされる、昔の一円札のモデルだった武内宿禰を祭る。
キャベツの葉だとか、きれいに植えつけられた畑。これから収穫を迎えるイチジク園。
池に落ちる雨粒を見遣り、遠景を楽しむ余裕もまだ残っている。不思議だ、不思議と雨が苦にならない。

                 

先頭集団の先頭は若い夫婦、彼らが引っ張るようなペースだから、どうしても遅れがちな父(大正生まれ)娘組。遅れる上におしゃべりしながら写真を撮ってのマイペース。
休憩、説明場所、信号待ちなど以外に立ち止まることがない中、唯一、二人を待つことでストップがかかる。

「四つ石だって!大きなお地蔵さんね」
語り部さん「えっ、ありました?説明しようと思っていたのに行き過ぎました~」って。
彼女は、県道からそれて左の峠道へと入るためにコンクリートで固めた急な箇所をほんの少し上がりきるのに失敗。黄色いカッパを着て、左に説明用の資料が入ったクリアーケースと布の提げ袋、右手で傘を持つ。後ろ向きに滑り降りるのを如何ともしがたいのだろう、止めてあげた。
と、横からも一人、男性が後ろ向きに立ったままでバックして行った。雨で滑るのだ。矢田峠入り口を前にしてのことだったが、時折のハプニングはあるものだな。

少しづつ雨の降りようもきつくなる。
汐見峠、峠とは名ばかりだが、車の往来も激しく足元は雨が流れる路面が続く。右手に海が見えるというが見えない。安政の大地震による大津波の時、村人を高台へと呼び上げて命を救ったと伝えられる呼び上げ地蔵の祠。この頃受けた説明の多くは雨と共に流されて記憶に乏しい。民のために尽くした徳本さんの話などもどこか上の空だった。

ただ二度と歩くことはないだろう道、せめて風景だけでも心に残してと欲を出す。
ゴロゴロと鳴り出し雨脚が一層強まる。引っ張られるようにぐんぐん歩く。さすがに足の疲れを感じ出していたが、格式の高い五体王子の一つ、第2回目の出発点であり本日の終着地藤白神社、とにもかくにも無事到着!! ♪歩き通しましたよ~

   

【歴代上皇、法王が100回に及ぶ熊野御幸のたびに必ず休泊され、神前で和歌会(わかえ)、白拍子、里神楽(獅子舞)、相撲等特別な催事(法楽)が行われた】と説明がある。

     
        バスへと向かう                 足元には…

昼食時以外に腰を下ろすこともなく、定点での説明と休憩、最後はそれさえカットで先を急いだ。どちらかといえば強行軍ではないのだろうか。「きれいねー」と言葉を発するものの、足も気持ちも即、前へと向けざるを得ない。どんどん進むのだ。

同年輩か少し先輩かとお見受けする健脚ぞろい。まったく足はどうもないとおっしゃる。
月末は伊勢路、来月初めに西国街道を歩くと車内の後ろから聞こえてきた。振り向くと、文庫本を広げている。笑顔の優しさが印象的だった女性だが、恐れ入りました!
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