蕗やタンポポに仏性がある? 悟りを開く!?
思いだせないことがあってノートをめくっていたら、長田弘さんの著書を読んで書き留めておいたページに、一茶のこの一節があった。
【長々の月日、雪の下にしのびたる蕗・蒲公のたぐひ、やをら春吹風の時を得て、雪間雪間をうれしげに首さしのべて、此世の明り見るやいなや、ぽつりとつみ切らるゝ。草の身になりなば、鷹丸法師の親のごとくかなしざらめや。草木国土悉皆成仏とかや。かれらも仏性得たるものになん】
「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)―草木も国土も悉く皆成仏する。人間と自然の境目がない? あらゆるものに同じ命を見る日本人の感性、精神性としてよく取り上げられるこの言葉。 実は仏教経典にはないのだそうな。
「涅槃経」には「一切衆生悉有仏性」の言葉があるそうで、衆生は“有情”とも訳され、有情は仏性・心の働きをを持つものをいう。“非情”は持たないもので、草木や石などが入る。
となると、山や川や草や木や石が悟りを開くなどということはないはずだ。
ところが、〈非情である草木、石ころが、それ独自で発心、修行をする〉と主張した僧がいたというから、えーっつ! なんで?どうやって!?と尋ねたい。その疑問を解き明かしてくれる本があるというわけ…。トンボも修行する?
読めば「宗教的知性が鍛錬できる」と釈徹宗氏は言われる。ややこしや…ニガテ。さてどうする。