京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 池に耳あり、コイも亀も

2014年05月29日 | 日々の暮らしの中で
これほどの緑に囲まれた池のぐるりを歩いていても、掛けられた温度計は31度をさしていました。
暑くなって、ウォーキングにもちっとも気が入りません。運動不足の感ありで、思い腰を上げました。気合を入れて、ほんの少し…、2キロ弱ほど歩いて、休憩。その後もずっと休憩してしまいました。

池に張り出して建つ休憩所に、顔見知りらしい人たちが一人、また一人と集まってきて、男性ばかりの雑談が始まりました。
じっと座っていると眠気を催す心地よさですのに、ガヤガヤ大騒ぎ。でもなかなか面白くて、知らん顔して聞いておりました。
片手を挨拶代わりに挙げて、男性が足早に脇を通り過ぎました。ウォーキング中です。私も一度すれ違っていて、見覚えのある人…。まだ歩いていたのです。
  「Mさんは毎日2万歩ほど歩くんやて。今1万800歩やてよ」
  「あの人あんでしんどーないの」  
  「しんどーないで歩いてはるんやろ」
  「糖尿かなんかで歩いてるんやろか」
  「なにもない」
  「仕事ないだけ」

わしは69や61やと、年齢の話になりました。
と、話題転換です。「わしが今住んでるのは2番目の女や」「ここを歩いている人やった。いつもニコニコしててな、ちょっと話しかけたら…。月に1回は一緒に旅行に行ってたわ。今じゃ、どっこもいかへんでー!って女が居座ってしもた。一人の方が気楽やったろうかと思うことある」、のだそーな。
「金の切れ目が縁の切れ目いうなあ」「最初から縁もないで~」に一同大笑い。

「さっきのMさんはな、3度結婚してはるんやで」
と、わざわざ付け足す人がいて、おかし! 男性も集まれば軽い調子で噂話に花が咲くのですね。



高架橋の下に鹿がいるのを見つけました。木の葉を食べています。人の往来もある場所に1頭で現れました。周囲は駐車場が広がり、運動公園ですので、今日は大勢の学生がテニスをしていました。無事帰ったでしょうか。 「鹿の子」なら夏の季語になるようですが…。

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 期待に添う

2014年05月23日 | 日々の暮らしの中で

「苦菜秀(くさいひいず)」、草木の成長も進む時季です。
いずれ移植すればよいと思って、手元に残っていた種を二粒をまいてみました。窓辺において観察。発芽までには大きな差が出ました。こちらは駄目なのかなと思っていたところ、今朝ふと見ると、な~んとなんと、この状態です。

「小さなヨーグルトのあきパックにアサガオの種をまいておきました。頭に土を乗せて(笑)芽が出てきたところに遭遇。記念撮影をした朝でした」

「アサガオをあのヨーグルトのパックに!? 芽を出しそうなの!?!? ちょっとかわいそうな気もしますね~」
 (芽が出てきたって言ったでしょ!)

「は~い、そうですよ♪ 4つくっついたあの小さな容器の一つにです。2つだけどね。も一つの方は既に双葉を大きく広げ3枚目がちょびっと!!
まだ下を向いてますがにょきにょき。土を払いのけるのもまもなくでしょうね。かわゆいこと♪♪」


 (パソコンに収めた朝の写真を携帯で撮って添付。みてもらいましょう~。)
「こんな感じです。ねっ、よくわかるでしょ!?」

「お~お~、わかるわかる。よ~く見えました~。花いじりって気持ちいいでしょ」

思い思われ、期待に応えてくれて目を覚ました命。これからが出番です。このエネルギーに感動。私は種をまき、水をやるだけなのですが、不思議と親身なものがあります。どんな「朝の顔」をみせてくれるのでしょう。
なんとなく嬉しい日でした。

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 道草を食いながら

2014年05月21日 | 日々の暮らしの中で

義母の初七日から七日七日のお勤めをして、まもなく四十九日を迎える。そこに至るまでに…と、ちょっとした文章をまとめようとしていた。「。。。。。」と仮題も付けられて。もちろん、毎日それにかかりっきりということではなかった。
切り口などあれこれ工夫しなければ、他人の姑の話など「あっ、そう」で終わってしまいかねない。
削って削って身を細らせ、それでいて骨太で繊細に、しかも潤いのある思いを込めて…。感傷などという安っぽいっものは省いてみよう。などと、目指すところだけは高く掲げている。できもしないのにだ。この努力の過程が尊い、ということにして。この先1週間ほどは時間の猶予があるから、まだまだ推敲せねばならないし、課題も残る。けれど今日は少しいい気分。

で、久しぶりに散歩に出てみた。昨年は気付かなかった桐の花が散歩道に咲いていた。

             水滴が!
             よく見れば器量よし

ユキノシタが群生した道路わきの斜面は一面の苔で、水が枯れ葉の上に滴り落ちる音を楽しみながら一休み。昨夜の雨のせいか、わき水なのか。昨年以来、少しづつ奥へ奥へと山道を進んでいるが、いつも必ず途中で引き返す。たまに自家用車やダンプカーとすれ違うだけで人と出会うことがない山道は、やはり怖い。そんな道だからこそ、聞こえる「滴り」の音だったりするのだけれど。

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 今夜は森に眠る

2014年05月12日 | 日々の暮らしの中で

昨日昼過ぎ、息子が電話をしてきました。こんな時間に一体どうしたのかと思ったのですが、「母の日だと思って」と言います。思いがけないことでまたまたびっくり。「いつも遅くなってすみませんね。明日着くと思うから」と。口ぶりから、母の日のプレゼントを送ってくれたようでした。
以前にもなんのイベントでしたか、「遅くなったけどすぐに送るから」と言ったことがありました。それをもう3年は待っているのですが、いまだに届きません。それはそれ、楽しみに待つことにしました。

包みを開けるだけで良い香りが漂います。メッセージカードが添えられていました、説明までしてくれてあって…。
「ラルフローレンのディフューザーは玄関周りに置いて。3カ月は余裕で持つらしいよ。ディプティックのルームスプレーは寝る時にプシュッと。森の中にいるような感じの香りです。確かに落ち着いた香でした。深い眠りを誘う香り」

そして夕刻、「使ってみた好みで選んだから好きかどうかわかりませぬが」とメールが入りました。早速明けてスティックを挿したこと、今夜はプシュッとしてみることをお礼に添えました。

香料を袋に入れて部屋の柱や鴨居に掛ける「掛香」があります。
芳香を楽しみ、夏の暑さをはらうだけではなく、防虫効果もあるところから臭気除け、疫病邪気除けのためにも用いられたとか。歳時記に説明されています。いつもハンカチを重ねた間に匂袋を忍ばせて香りをうつしています。
日本古来の香とスティックから漂い出す匂いの違いを感じます。普段にはないにおいが漂ってきて、ああ極楽~ ??




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 「莟 花と開く」

2014年05月08日 | 日々の暮らしの中で

山の緑の量感が増してきました。
京都盆地の東になだらかに連なる山々、東山三十六峰ですが、その北の端が比叡山で南は稲荷山まで続きます。
高野川沿いの桜並木も今はご覧のように若葉が影を作っています。その後ろに比叡山です。この低めの山並みが、なんとも言えない安らぎを与えてくれるのです。


昨年はひとっつも咲かずじまいでしたが、今年はただいまそれはそれはもう花盛りでして、毎日嬉しくてたまりません。温かな日が差す頃に開花しています。それまでの蕾がまた可愛い。なんて花なのでしょう。

孫娘Jessieはオーストラリアの全国学力テスト「NAPLAN」を3年生で初体験しました。5日から3日間をかけて行われたとか。事前に予想問題などを解かせているようですから、そうまでして臨む学力テストの結果には学校間での意識が強いのでしょうか。テストを避けて通れないのは世の習い? にしてもテスト漬けの3日間はやれやれでしょう。

終わってみれば、どうだった!?となるのも親心。笑いが消えませんように…。


6日にご紹介しました「百万人の花は咲く」、ビデオが視聴された分の収益は東北大震災復興支援に当てられると聞いております。
もしよろしかったらぜひ…。
 



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 心意気高く

2014年05月06日 | 日々の暮らしの中で
2月17日、孫娘が通うブリスベンの日本語補習校で学ぶ子供たちによって「花は咲く」が収録され、その様子は3月18日のNHK BSの番組TOMORROW「世界に広がる“花は咲く”」の中で一部紹介されました。とても良い企画だったと思います。ただ、彼らの歌は番組全体の中ではわずかな時間でした。

この度、こちら「百万人の花は咲く」One Million People's FLOWERS WILL BLOOMで彼らの歌声をもう一度、今度は最後まで聴くことができるようになりました。「ビデオ」の2段目、左から2つ目のものがそうです。左端は父兄のようです。烏の声にまじって、きれいな鳥の鳴き声が耳に入ってきます。
画面中央より少し右側、その真ん中あたりで、頭にピンクの花を飾ってまぶしそうに歌っているJessieの姿をみることができます。子供たちがもう少し大きく映ればいいのに。もしお時間があれば、ぜひ一度…。

海の向こうは平日でした。Tylerが言う「ジェシ、がっこー」で、図らずも気付かされたといった具合。久しぶりの生声も日本語の精度?を増したようです。だいぶはっきり聞きとれるようになって思わず笑いがこぼれます。「なにしてんの?なにしてんの?」って聞かれてもねー、「べーつにー」…。

 
子供の日、端午の節句も終わりました。この頃はさっぱり屋根より高い鯉のぼりを見かけません。
「出世の魚といへる鯉を幟(のぼり)につけるのは東都の風俗といへり」、江戸に限ると『東都歳時記』にあるようです。そこでか、『年中行事大成』では「武士にとっての「出世」は、公家文化が根付く京の町には受け入れられにくい。早良親王の出陣にちなんで端午の節句に武者人形を飾るようになった」という説を紹介しているとのこと。


それでも、風をはらんで大空に鯉が泳ぐあの雄大で爽快な光景をTylerにはぜひ見せてやりたいものです。端午の節句は男の節句。やはり、心意気高く豪勢に!といった気持ちです。よろこぶことでしょう。
名神高速道路の京都東インター入り口にかかるあたりでみることができました。良いものです。
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 「香少女」

2014年05月04日 | 日々の暮らしの中で

「つつじの花 香少女(にほへをとめ)  桜花 栄少女(さかえをとめ)」
万葉時代には桜と一対にして、少女の美しさにたとえられていたツツジ。「香」の字で表現した「にほふ」ということばの美しさ。そこに馥郁とした含羞の気分を感じ取った馬場あき子さんのエッセイがある。
曼殊院にも今を盛りと「匂やかな乙女の花」があたりを染めていた。青紅葉の美しさに見ほれながらの散歩は爽やかで、心は満たされた。


兼好法師が、「若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と詠嘆した季節がやってきた。

季節から受ける感じの深さは秋が一番だと人が言うのも、一応もっともなことなのだがとして、「今一(ひと)きは心も浮き立つものは、春の気色にこそあめれ」と綴っている。
そして、移り変わる季節のそれぞれに、まつわる思いの捨てがたいことは多く、そのひとつひとつがまことに趣深いと語る『徒然草』第19段は「折節の移りかはるこそ、ものごとに哀れなれ」で始まる。
日本人の根本を流れる自然観は、今も昔も変わらない感覚であることが素晴らしい。消えてなくなることはないと言い切っても、よいのだろうか。

一年中で最もさわやかで「香しい」季節になった。春も深みの深み、今日は立夏の一日前。


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 「春の空ふと見あげて…」

2014年05月02日 | 日々の暮らしの中で

           「時の行方~序・春の空~」

        春の空ふと見あげて思った私の小ささを
        今日も在るがまま為すがまま赴くまま
        この胸、風に添えて

        雲を渡るは鳥の群れ   風に揺れるは花の弁(ひら)   
        月夜踊るはみだれ髪   水に映るは貴方の顔

        永久に響くは虫の声   寄せては返す波の詩
        空に宿るは星の影    白に染まるは貴方の夢 

        このまま 色とりどりの季節にただ身を任せ
        貴方に流れ着きたい 草花のように
         ・・・・・・
   
「空盤」と「雲盤」にわかれた2枚組のアルバム「森山尚太郎 傑作集2001~2005」が手元にある。いつ、どこで、どういったいきさつで手に入れたのだったか、もう忘れてしまた。春になると時々取り出して聴くことがあるが、好きなのはこの曲から始まる「空盤」の方。独特な世界に耳を傾けている。

今夜、NHK番組で男前の二人旅を観ていた。いいなあ~、男前のあの4人! それぞれに、キャラクターがいい。そして、月山と西表島へ向かう道中、現地での人との触れ合い、美しい豊かな自然も。そうした大きなものに試されている4人がいる。三線を引き唄う少女の前でこみ上げるものを感じていた姿も印象的だった。日常を離れた目の前に現れるものを取り込んで、感覚全開。旅は目新しさがいい。

我が家は家族そろって泊まりがけで旅行をしたことがない。出不精? 寺の勤めなどを口実に? そろったことがない。
中学生にもなると部活動が優先され、そろう機会は失われていき、そのうちには友人同士でとなって…。子供たちの予定のすき間に私が外へ連れ出して、お泊りという形だった。とにかく子供たちには外の世界を多く見せたい、そう思ったし、それもまた口実だったのかもしれないが、外へ出たくて仕方がない私だった。

カレンダーに続く赤い数字にむずむずさせられるが、予定もなく、息子の帰りを待っている。
 (写真は先月の末頃、買い物目的があって「ならまち」を散策した際のもの。興福寺の五重塔を遠望する風景が日常にあることが羨ましい)
   
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