京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 琵琶湖一周大周り

2013年09月27日 | こんなところ訪ねて

6月、滋賀県の大津港から船で「ぐるっとびわ湖島めぐり」(琵琶湖汽船)をしようと計画していたのですが、天候が悪く前日にキャンセルした事がありました。日を改めてという話に展開することはなく、代わりにもちあがったのが190円で琵琶湖一周をしようということでした。友人と3人、都合のあう日がようやくまとまって、この秋一番の冷え込みとなった今日、JRでぐるっと琵琶湖一周の旅を楽しんできました。

京都から大津までの一区間190円切符を買います。しかし、実際は大津へとコースをとるのではなく西側から湖西線で堅田や近江舞子を経ながら近江今津 - 近江塩津へと向かうことにしました。
近江今津で車両の切り離し作業を数分間待って出発。このまま終点まで乗り続けては福井県の敦賀に連れていかれますから、必ず近江塩津駅では降りなくてはなりません。降りた反対側ホームから今度は琵琶湖線に乗り換えて京都まで戻ります。

         
大津まで戻った時に一旦改札を出て改めて大津→京都間を買う手間を省くために、朝、往復切符を購入して乗車しました。

ぐるっとどちらから回ってもよいのですが、同じ区間を重複して乗ったり途中下車はできません。これが大周りのルールです。ただ、改札さえ出なければどこの駅で降りようと自由。
午前10時45分の新快速で京都駅を出発。近江塩津発12時05分の新快速で京都着は13時43分。3時間の旅でした。


素晴らしいお天気に恵まれました。対岸に何か所にも稲を刈り取ったあとを焼く煙があがっているのが見てとれます。稲刈りは大方すんでいるようです。余呉湖を見ながら持ち込んだお弁当を広げ、電車で食べるという喜びを分かち合い、お腹が膨れた友人はうとうと居眠りです。二人のおしゃべりがこもり歌になったとか…。

あまりにもスムーズに消化してしまって、あっという間でした。もっともっとゆっくり、湖西線は特にスローな旅がよいと思いました。
紅葉も雪の季節にもよさそうです。ただ、風が吹けば遅れたり止まってしまう事も多い湖西線ですから不安も…。


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「天上に咲く花」

2013年09月24日 | 日々の暮らしの中で


酒井大阿闍梨は大正15年(1926年)、大阪に生まれた。
親は事業に失敗し、長じては多くの戦友を亡くし、商売に失敗して全財産を無くし、かけがえのない妻に自殺をされた。決して順調ではない人生だったが、人生には何があるかわからない。
比叡山を訪れたことがきっかけで行者になられた。なってみれば、これまでの過去は行者になるための準備だったと考えるようになったと言われるそうだ。人生に無駄はない。生きる意味があり、生かされている。「人生におちこぼれなし」。

どんな一日であっても、今日の自分は今日で終わり、明日はまた新しい自分。どこで断ち切られても、自分の一生だったといえる今日の一日でありたい。

「一生涯の計画を立てて進めばよい」 では、一生涯の計画とは何だろう。
人間は誰でもいつかは死ぬ。その命は限られており時間と共に命は擦り減っている。その命のある間の計画を立てるというのは、「希望を持つ」ということではないか、と。
もう駄目だと思うほかないような境遇にあっても、その先には光があるという希望。
目の前のはるかな道を進むしかないとき、意思と希望をもって、心の支えを感じながら進みたいものだ。大阿闍梨はその身をもって教えて下さっている。

何度も読んだ『ただ自然に』。 酒井雄哉大阿闍梨が亡くなられた。

        つきぬけて天上の紺曼殊沙華         山口誓子



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 名月や

2013年09月19日 | 日々の暮らしの中で
夕飯後、東の山の上に上がっている大きなお月さまを見ながら少しだけ歩いてきました。見事な名月です。陰草を宿にして鳴くコオロギの声が澄んで高く聞こえます。庭先でも長時間は風邪をひきそうなほど? 夜気は冷たくなりました。
     こほろぎも待ち喜ぶる名月に 椅子にかけ居て聞けど飽かぬかも


昼間“青いダイヤ”を求めて、実はもう一か所見つけておいた場所へ向かいました。
まあるいどんぐりがたくさん落ちていて、傍にはクリクリとカールした帽子もいっぱい。折れた枝葉が散乱し、根こそぎ倒れた木もあります。クヌギです。
そんな中にクサギを無事発見。さすが“ダイヤ”を頂戴するのは大変な作業です。まだみどりいろの若い実も半々にまじっており、今日の収穫はわずかでした。
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 秋日和に…

2013年09月17日 | 日々の暮らしの中で
雲ひとつありません。何事もなかったかのように朝から青い空が広がる素晴らしい秋日和になりました。

 
                          →
    秋さらば移しもせむと見つけおくクサギの花を誰れか荒さむ
って感じで、見る影もなくなぎ倒されてしまい、実を摘むこともできなくなってしまいました。青いダイヤがなりかけていたので残念です。

野球少年たちの声が響いていたグランド。JessieやTylerが走り回るに格好のグランドでは、大木が根っこを天に向けて横倒し、流れてきたと思われる木や草が散乱して、人影もありません。そのすぐはたを流れる川が氾濫していたのです。水がつかったままのところもあって、全体泥びかりしていました。浅瀬では、夏休みに親子連れが楽しそうでした。普段は、川底の小石に陽の映える流れなのです。

木々の葉は風に引きちぎられたのか。風景が変わっているのを感じます。野生動物保護と記した車が止まり、アンテナの角度を変えつつ移動して歩く人がいました。


萩の花を秋の印と一番に挙げる人は多いものの、尾花の穂先も萩に肩を並べる秋の風情の一つ。風に激しく揺れ動くさまは趣を一変させるでしょうが、今日この日の姿は、おしゃべりに笑い声さえ混じるか、やさしい揺らぎです…。
台風一過。すべてはこれからです…。










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 先人の思い…

2013年09月14日 | 展覧会

「極楽へのいざない ―練り供養をめぐる美術― 」(9・7-10・20)が龍谷ミュージアムで開催されている。友人とお昼を共にした後、陽かげを求めて汗を拭き拭き西本願寺前まで。京都市内は35度を超える猛暑となった昨日、暑かったこと!

日本最古の着ぐるみ? 岡山県弘法寺に伝わる「被り仏」(上の写真、右に)が展示されている。足元から頭を入れてすっぽりかぶって阿弥陀仏に化身だ。内側には紐があって、左右それぞれの肩にかけて背負う仕組みが図示されていた。ちょうど腹部にあいた穴から外が覗けるらしい。かぶることも立っているときでさえ、両脇からの介助者がいる。
上映されたビデオによると、行者がホラ貝を吹いて先導し、面をつけ、きらびやかな衣装まとった菩薩などがあとに続き、極楽に見立てた本堂からこの世の娑婆に見立てた場所までの往復を練り歩く。この世の往生者に見立てた小さな像を、極楽へと連れ帰るのである。練り供養とはそうした行事であるという。
臨終に際して、極楽浄土から阿弥陀如来とその一行がお迎えに来て下さる。そうした「のぞまれた臨終のかたち」が演じられ、また、浄土への憧れは数多くの来迎図に現わされいるということだろう。

最も印象に残ったのが、この春、訪れたことのある滋賀県坂本市の西教寺所蔵の「山越し来迎図」だった。山の頂に大きな阿弥陀仏が姿を現している。肩から上の姿だけだが、それがやけに大きい。かつて見たことがなく心に残って、あれこれひも解いてみていたところ、南家藤原郎女を主人公にした『死者の書』(折口信夫著 中公文庫)に戻ることもできた。一読した折、メモをとりながらだったので関連する描写を確かめるのも容易だった。
              
 【彼岸中日、秋分の夕。・・・ 夕闇はそろそろ、かぶさって来て居るのに、山すそのひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝い てゐた。ここからよく見える二上の頂は、広く、赤々と夕映えである。 ・・・ 男嶽と女嶽との間になだれをなした大きな曲線・・・、山 の間に充満して居た夕闇は、光に照らされて、紫だって動きはじめた。 ・・・ 肌、肩、脇、胸、豊かな姿が、山の尾上の松原の上に現れ た。・・・ しづかに、しづかに雲はおりて来る。・・・ 】 
「色身の幻」 「… 幾人の人々が、同時に見た、白日夢の類かも知れぬ」と物語は終わっていく。

当麻の邑。中将姫伝説。日本人の信仰、西方浄土…。改めて、いつか再び二上山を仰ぎ見たいという思いがふくらむ。秋彼岸近し。
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 空の高さを知る

2013年09月11日 | 日々の暮らしの中で

     「くずの葉をたたくとパンとおもしろい」
新聞に掲載されていた小学校4年生、もも代さんの句。坪内稔典さんの選評に補足されていたことで、その遊び方を知りました。親指と人さし指で輪を作り、その輪の中へクズの葉を押しこみ、上から手のひらでたたいてみました。なるほど!「パンッ!!」と大きな音がしました。葉が割れるというよりは、葉に穴が開いたという感じ止まりでしたが。

このあたりの賀茂川の河原は、四方八方にツルを伸ばして生い茂ったクズの山です。幹に巻きついてしまえば寸部のゆるみも感じられない強さです。あんなに締められたら、ですが、ちょっともらいたい執着力です。
私もひとつ頬にパン!と、か~あるく気合を入れてカエルのジャンプです。どこに身を置いても何に打ち込んでみても、所詮は自分次第。でも、今は秋。我が身可愛いさ、新たな刺激が欲しくてふらっと飛び出してみるのもよさそうです。

      
化粧刷毛で紅を刷いたようなきれいな花が空を向いて咲いていました。ネムノキです。石垣りんさんが、ベランダで喬木のネムノキの苗木を鉢植えにしたときのことを書いていました。それを読んで以来、私も「夢の花」。真似しいの私、鉢で育てられるものかと、種の入ったサヤを持ちかえってみました。

空の高さを知るカエルさん、ねむの花を見上げながら、果たしてどれほどジャンプできるのやら…。





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 秋の空

2013年09月09日 | 日々の暮らしの中で
  「秋の空が青く美しいという
  ただそれだけで
  何かしらいいことがありそうなそんな気のする
  そんなときはないか
    …… 」              (「ある日ある時」 黒田三郎)


きれいな青空に雲がぷわぷわと、木陰の風もひんやり、さわやかなよい一日でした。

雲が西へとゆっくり流れる空。「秋空に澄んだ人の眼を感じる」とはすごい感覚だなと思いながら、言われてみるとそんな気さえしてくるから不思議。この天高くから見つめる眼は、清澄な大気の中でもぞもぞと動き回る小さな人間の姿など何もかも見通されているのかもしれない。

そんな中、京都コンサートホールへと向かった。ここで11月1日、「古典の日フォーラム2013」が開催される。そのチケットが午前10時から販売開始となるため、朝から行列ができていた。電話での予約も可能だが、一斉に申し込みが殺到する回線に運よく割り込むには、ひたすら我慢の子を強いられる。「行った方が早い」とは、行列の中からしばしば聞こえてくる言葉だった。座席も指定して3枚購入。
まだ先のことではあるが、やがて訪れる豆台風にも間がある時で、ゆっくり楽しい時間が過ごせそうだと安心している。

プログラムの中には、女優・浅野温子さんの「よみ語り」が組まれていた。『古事記』や日本の古典を題材として、全国の神社を舞台に2003年から活動を続けられているのだとかで、楽しみな一つです。
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 「TOKYO  2020」

2013年09月08日 | 日々の暮らしの中で

 
 「TOKYO 1964」 電光掲示板に描かれた五輪のマークの両サイド下には小さくこうあります。

中学生だった私は、サッカー観戦のチケットを獲得。どういういきさつでだったかを、よく覚えていません。各クラスに何枚かづつ割り当てられていて、くじ引きなどしたのだと思います。当時はサッカーなどまるっきり無関心でしたから、誰かに譲ってしまいました。

この時、選手として出場した川渕三郎氏(サッカーJリーグ初代チェアマン)が、当時を振り返って語っています。サッカー競技の人気はまだまだ薄かったようで、東京オリンピックを契機にして、日本サッカーのスタートとなったことがわかります。私が杉山・釜本両選手のファンになったのはもうしばらく後のこと。中学時代の私は、プロ野球を父とテレビ観戦するのが好きで、巨人ファンでした。テレビ中継が途中で終わってしまう時には、父は二階へ小型ラジオをとりにはしる。二人で耳をそばだてて…、その横で母がコックリコックリ居眠りなど。

開会式の入場門で控えていて、会場から湧きあがるどよめきと歓声を耳にした瞬間というのは、一挙に胸を熱くする感動の瞬間だった、とも川渕氏は言われています。大きなうねりを作った一声をウワーッ!と父もあげたに違いない。どういうわけか、父は会社の仲間とこの開会式にスタンドに座っていたのです。感動一人占め、家族を誘ってなどという話は一言もなかった…。ただこうして写真だけ、私のアルバムに残してくれてあるのです。

    
2020年のオリンピックは東京開催が決定しました。7年後、この子たちは9歳と15歳、小学生と中学生になっています。
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 街の匂い

2013年09月05日 | 映画・観劇
映画をみ終え、地上に出たところが四条烏丸の南西角。信号待ちをしながら、また歩きだしてから、街の匂いがすっかり変わっているのを感じていた。縦横に通りを吹き抜けていく風が心地よい。背中に浴びる陽が、ピンポイントでブラウスを通して肌に焼きつく強さであっても、確かな季節の移ろいが感じられる。流れる空気には一瞬の冷やかさが含まれていた。


「クロワッサンで朝食を」をみてきた。85歳になるジャンヌ・モロー演じるフリーダ、自由奔放に生きてきたがゆえに周囲とは軋轢が生じ、老いても歯に衣着せない物言いはまことに辛辣だ。パリの高級アパートでひとり暮らしていても、親しく心通わす相手がいないことには観ていて孤独さがつのってくる。家政婦としてやってきたアンヌにやがては心を開いていく…のだろうか。
息子ほど年が離れたステファンをずっと心の支えにし、愛した思い出を大事にしているフリーダ。

自分に視線を向けてもらおうと常に自分の魅力を磨いているのがフランス人女性だと、昔、何かで読んだことがある。
フリーダには、自分がいつも主役。その場で一番美しい女性であるかのような振る舞いも、周囲の人間の思惑などお構いなし。それでも、アンナと二人でお洒落をして、愛しいステファンのいるカフェに出向く彼女は素敵だった。そんな彼女に「いつもあなたを中心に世界は回らない」と言ったステファンの言葉は、まさにズバリなのだが、残酷だ。彼女は不快さをむき出しにしていた。

このまま孤独なさびしい老女で終わって終うのか…。アンナに心を寄せる姿が描かれていく。「ここはあなたの家よ」、この言葉に二人のそれからを予感し託したい。フリーダには演じる女優の実年齢がそのまま出ているが、少しも嫌みではない。

エッフェル塔を前に、パリの街に訪れた朝焼けが美しかった。
ステファンに寄り添って眠るフリーダがとても安らかに見えた。素直だな…とも。
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 野分吹く頃

2013年09月02日 | 日々の暮らしの中で
   「今朝九月草樹みづから目覚め居て」           (中村草田男)

気分新たに9月をスタートさせたかったけれど、昨日も今日もあいにくの空模様。珍しく雨の朝だった。小止みになるのもつかの間で、叩きつけるような激しい降りが繰り返された一日。


           東西にある太い雨樋は、それぞれの天水桶に。ここがあふれると…
境内北側は洪水…。本堂周辺には、樋(とい)からの雨水を直接側溝に流す仕組みができていないのが問題なのである。大屋根からのぶんも、今日ほどの降りとなると溢れかえってしまう。時代遅れもいいところか。

夕方、好奇心を抑えきれずに川の様子を覗きに行ってみた。


雨が上がった昨日の午後。修学院周離宮に続くこの一帯は景観保護もあってか宮内庁の管理地で、立ち入り禁止の札が出ている。イノシシの被害を防ぐために道路沿いには鉄の門扉が設けられているのだが、開放されていて人の姿はなかった。ではちょっとだけ、数歩、失礼をば…、と、そこへ軽トラがやってきて門の中で止まった。
“「豊葦原の瑞穂の国」 豊かに実る稲の恵み”。美しい風景だ。今日の雨でどうなったことやら、また見に行かなくてはならない?

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