9月22日
朝目覚めると室内は15℃、外は10℃とさすがに寒い。
簡素な部屋ではあったけれど、ダブルベッドでも暖かい布団を友人と取り合うこともなく、よく寝られた。
また母屋へ行って朝食。
バターとチーズはおいしい。
シュコダルへ戻るバスの出発は10時半なので、それまで村の散歩。
谷間なので村にはまだ日が差さず、岩山の上だけがまぶしい。
昨日前を通った教会もまだ日陰になっていて、扉も開いていない。
石壁には1917年のプレートが見える。
駐車場近くまで歩いて、こぎれいなホテルのレストランでコーヒーを飲みながらしばしまったり。
写真を撮らなかったが泊まっていた宿とはだいぶ趣の違うしゃれたホテルで、こんな所に泊まっていたらまた印象も変わっていただろうと思う。ただしここは期待した「素朴な村」からはさらに遠い。
宿に戻る途中、この村で見かけた唯一の店を覗いてみる。
いろいろ加工食品が並んでいるが、残念ながら地元の食材や特産品などはない。
教会まで戻るとようやくここにも日が差してきた。
日曜なのでこれから礼拝があるのだろう、開いた扉から中を覗かせてもらうととても簡素。ここはアルバニアでは少数派のカトリックの教会だそうだ。
宿の部屋に戻って荷造りしながら外を見ると、一列になって歩く人たちの姿が。
ちょうどシュコダルからのバスが到着した時間、みんなブルーアイに向かうのだろう、昨日よりさらに混雑しそうだ。
宿のおじさんに車で駐車場まで送ってもらうと、昨日の運転手氏が顔を見ただけで「これに乗りなさい」とバスを指示する。他に東洋人などいないので名前をチェックする必要もないらしい。
10時半出発予定のバスは早く全員揃ったということで、10:15に満席で出発。
すぐに山登りに入ると谷底にテス村が見えるが、ものすごい勢いで観光客が増えているらしい村、5年後に来たらまたすっかり変わっているだろう。
昨日以上の晴天で山の景色も素晴らしいが
やって来る車の数も多くて、結構大きなバスまで来るのですれ違いが大変。この道も変わるだろうか。
2時間走った所でまた休憩。
カフェの向かいにはずらりと養蜂箱が並んで、ここでも蜂蜜が採れるらしい。
復路は往路とは違ってシュコダル湖の沿岸を走る。走ればとても大きな湖だと実感する。
出発から2時間半でシュコダルに到着。
これからティラナまで戻るが、ツアーを予約した時、車で帰りたいと言うとツアー会社のおじさんが、「僕がいるから大丈夫。60ユーロで手配してあげる」と言っていた。
そこでツアー会社に行くと扉が閉まって誰もいない。心配性の友人が「日曜でも大丈夫か」と確認したのに、ああ、またやられた感でいっぱい。
しかしいないものは仕方がない。
バスを降りた所にケバブの屋台があったので、今日のお昼はおじさんの焼くケバブサンド。
ケバブ3本にピクルス入りで150レク(約240円)だけれど、これはちょっと塩辛かった。
近くにはタクシーも待機していて、ティラナまでは80ユーロと言う。ツアー会社のおじさんが言っていた60ユーロと言うと「バスで行け」と言われたが、どこに着くかわからないのがいやなので75ユーロにせこく値切って交渉成立。するとおっちゃん運転手、すぐにスマホをよこして地図にホテルの住所を入力せよと言う。スマホアプリはまことに便利。
1時間半でティラナのホテルに無事帰還。
フロントのお姉さんに「おかえり」と迎えられて、
今度の部屋は最初よりちょっと広い。
ハプニングはあったがとにかく行きたかったテスに行けて良かった、ともうこのホテルが我が家のよう。
夕食は最初の晩の散歩で見つけた、ホテルのすぐ裏のレストランへ。
店の奥はツアーのシニアの皆さんに占拠されているのでちょっと不安になったが
お肉と豆の煮込みも、シーフード・パスタもとてもおいしくて、最初の晩のレストランの半額で済んだのだから大満足。
食後の腹ごなしにまた散歩に行くと、
近くの公園には錆びたバンカーが。
この周辺は共産党時代には党のエリートだけが住める特権的なエリアだったそうで、少し先にはホッジャの元邸宅もある。
が、これが意外にもすっきりとしたモダンな建築、これも娘が設計したのだろうか。
中にはなにもなく改装中のようで、これから何になるのだろう。
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9月21日 続き
なんとか宿の部屋に入れたのが11時、一息入れた11時半には出発して今回どうしても行きたかったブルーアイという池を目指す。
のどかな村でのんびりしたいところだが、成り行きで1泊しかできなくなってしまったのでしかたがない。
宿の親父さんに聞くとあまり英語が得意でないのか、「あっちの方向へ行け、片道8km、往復3時間ぐらい」とかなりアバウトな案内、適当に行くと同じところへ行くのだろう若い子たちがぽつり、ぽつりと見えるので付いて行く。
何の案内表示もなくて最初こそわかりずらかったが、あとは一本道。
途中に家も一軒あるぐらい、かなりスリリングな橋を渡ったりもしたが、アップダウンはあまりなく、木陰に入ったり日なたに出たり。
秋なのであまり花は見えないが、途中ところどころで小さなシクラメンのような群落も見えた。
谷底を川が流れていて、これがきれいなブルー。川原で水遊びをしている子たちもいる。
気温は20℃ほどだが、日差しが強いので水に入りたくなるのもよくわかる。
出発して1時間半でカフェがあったので、ここでランチ。
あまり食べたいものもなくてフライドポテトを頼んだが、これはいまいち。
ここを出て川を渡るとNderlysajという村に入る。ここまでで6km。
実はテス村からここまでは自動車道が通っていて、車で来ることもできる。
しかし大きな駐車場から先2km強は誰でも歩かなければならい。
道はすぐ上りになって、下を見ると駐車場脇でも水がグリーンでとてもきれい。
しかしこの先は岩がゴロゴロしてずっと上り。狭い道に人はいっぱいで、ここまでよりずっときつい。
やがて飲み物を売る店が一軒現れて、ここからやっと下り。「Welcome to Blue Eye」の看板が見えて少し行くと
小さな橋の下をブルーというよりエメラルドグリーンの川が流れていて、これはきれい!
橋の下は少し深くなっているらしく、ここから飛び降りて泳いでいる子もいる。
しかし水辺に降りて手を入れてみるとすごく冷たくて、10秒も入れていられない。水温は10℃以下だろう、飛び込んだ子たちもすぐに上がってくる。
ここまで駐車場から1時間、きれいな水辺で30分ほど遊んで引き返したが、テスを離れてからとんでもないことを発見してしまった。
看板があり、橋から飛び込む子たちがいたのでてっきりここがブルーアイだと思い込んでいたのだが、実はここからさらに先に小さな滝のある池があって、そここそがブルーアイだったのだ。
同行の友人はまだ先に行く人たちに気が付いたが、何もなさそうだと思って引き返したとのこと。
ここを再訪することはなさそうだし、もったいないことをしたと悔やまれる。
が、この時はそんなこととはつゆしらず、まだ続々とやって来る人たちとすれ違いながら来た道を戻る。
駐車場に降りる手前に広い岩場があって、行きには寄らなかったので行ってみると
岩の間を水が流れて、滝になって落ちている。なかなかの迫力でここも面白い。
帰りは45分で戻って来たが、さすがに上り下りで疲れてしまった。
すると駐車場にはテス村行きの乗り合いタクシーが待っていて、一人5ユーロというのでこれで帰ることにする。
乗客がいっぱいになるまで30分ほど待ったが
狭くてもきれいな舗装道路を走って、15分で朝着いた駐車場に到着。
周りの山には夕陽があたり、影がどんどん伸びている。
ここから宿までの途中にはコンビニのような店が一軒だけ、そして村のシンボルのような小さな教会があるが
道筋を一本間違えたせいもあって30分もかかってしまい、帰り着いたのは17時。
村にはレストランもなさそうなので夕食付きをお願いしておいたところ、食事は母屋とも言うべき予約を受けた宿で19時から。
メニューはピラフにサラダ、夏野菜の炒め物にメインはあまり肉の付いていないフライドチキン。我々でも物足りないと思うほど料理が少なくて、チーズとフライドポテトでおなかを満たした感じ。村の食事にはちょっと期待していたので、これにはがっかり。売れ残りには理由があるということか。
同じテーブルに着いたのは若いドイツ人カップル2組。片方はキャンピングカーで来ていて、もう片方の学生のような二人はヴァルボナ村から一山越えるトレッキングをしてきたとのこと。
みんな口を揃えて「まだあまり観光化されていないと聞いて、ラストチャンスと思って来たのに、予想と違った」と我々と同じような感想。ドイツ人でさえそうなのか。
食事を終えて外に出ると真っ暗、寒かった。
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9月21日
宿泊していたホテルの前は各地へのバスの発着場になっている。
朝6:45に昨日予約を入れた旅行会社の前に行くと運転手が現れ、ホテルの前に停まったミニバスに案内された。
待っているうちに次々に乗客が乗り込んできて、15人ほどで満席になって7:20に出発。
シュコダルの郊外は広い畑の景色だが、北へ向かうにつれて高い岩山が見えてきて
道はやがてヘアピンカーブの連続になってぐんぐん標高を上げて行く。少し前の旅行記など読むとここは大変な悪路とあるが、車一台分の幅しかない細い道ながら舗装はちゃんとされていて、道路状況は大幅に改善されている様子。
出発から2時間ほどでバンガローやカフェのある峠で休憩。
ここの標高が1700mほどもあって、外に出ると空気が冷たいが
すばらしい景色。下に見える谷から上がって来たのだ。
ここから道は下りになってまたグネグネと下りて行く。
次第に緑が増えて行き、岩山に囲まれた村が見えたと思ったらそこが目指すテス村、標高700m。
シュコダルを出てから3時間で着いたが、駐車場は車でいっぱい、周りには瀟洒な山小屋風の宿がたくさん立ち並んで、想像していた素朴でのどかな山村とはまったく違う雰囲気。
同乗して来た乗客たちはそれぞれの宿へ散って行くが、こちらはどっちへ行けばいいのかもわからずにぼーっとしているとバスの運転手から別の車に引き渡された。
車で村の中を走り、しばらく行くとこぎれいな家が見えてここだと降ろされた。
なかなか良さそうな宿だ、と玄関まで行くと、出てきた宿の娘は不審顔。予約は入っていないし今日は満室だと言うので予約票を見せて旅行社に連絡してもらうと、予約は別の親せきの家だと言う。
しばらく待ってこちらのお父さんの車でまた送ってもらう。
テス村は川沿いに細長い村で、結局予約されていたのは村のほぼ外れ。しかも予約を受けた宿もいっぱいで、その2軒ほど手前の家になんとか一部屋あったとのこと。
案内されたのはこの家の2階で
小さな部屋にダブルベッドが一つに小さなテーブルがあるだけ。どうもここは最近作ったばかりの部屋のようで壁などきれいだが、部屋の隅にカーテンがかかっているその向こうにあるべき洗面所はまだなく、トイレは階段の下まで行かなければならない。
ベストシーズンの週末で、本当に村中の宿が埋まっているらしい。
なんだかいろいろと予想していたのとは随分ちがうが
窓からの眺めは素敵だ。
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9月20日
ホテルの朝食会場は大きなホテルらしい宴会場。
とは言えビュッフェの内容はパッとしない。
食べていると次々と東洋人がやってきたが、どうやら香港か台湾からのツアー客らしい。
さて、今日からは2泊3日でその名もおどろおどろしい「呪われた山」と呼ばれる山岳地にあるテスと言う村に現地ツアーで行く、はずだった。
Viatorというツアー紹介サイトで見つけ、お金を振り込んでピックアップのホテルも連絡してあったのだが、前日になっても迎えに来る時間の連絡がない。そのうち連絡してくるだろうと呑気にしていたこちらも悪いが、あわててメールを入れたり、電話をしても全く通じない。結局一方的にキャンセルされた形になってしまった。
Viatorの名誉のために付け加えれば、ヘルプデスクのチャットは親切だったし、連絡が付かなかったということですぐに返金はされた。現地ツアーの責任ではあるが、この辺り、まだ観光が本格化したばかりできちんとしていないのだろうか。
さて、申し込んだツアーは来なかったが、せっかくここまで来たのだからテスには行きたい。
昨日街を歩いた時に小さな旅行会社がたくさんあり、どこでもテスへのツアーを売り物にしているのを確認していたので、せめて1泊のツアーを申し込むことにした。
とは言えまだ早くて営業を開始していないので、ちょっと周辺を散歩。
ホテルの前の交差点はなにやら通行止めにして子供たちがいっぱい。どうもスポーツのイベントらしく、テコンドーの胴着を着た子供たちが可愛い。
昨晩ライトアップされていた市庁舎は昼間見るとだいぶくたびれた外観だけれど、その前の公園はきれい。
こちらも何かのお役所。アルバニアの旗と共にEUの旗が見えるのは現在加入を申請中だから。とは言え東欧でも最貧国の一つ、簡単には認められそうにない。
やっと営業開始したので、表通りに面したこちらで申し込んでみた。
すると当初予定よりだいぶ安く上がることがわかったが、直前、しかも週末なので宿の空きがないらしい。
デスクのお姉さん、20軒ほども電話をかけまくってくれて、なんとか一部屋確保。あとはこの旅行社を信用するしかない。
ツアーの出発は明朝、なので今日は一日空いてしまった。
シュコダルの見どころはお城のようなので交差点にあったインフォメーションで聞いてみると「地図?そんなものない。この前の道をまっすぐ行くだけよ。片道3.5キロ」とにべもない。
そこで言われた通り大通りを歩いて行くと
広い歩道に面して庶民的なお店がぎっしり。なぜか間口のひどく狭い店が多い。
やがていかにも共産主義時代のものらしいアパートが増えてきて、その前に市場を発見。
時間が遅かったのか、買い物客はほとんどいなかったが
野菜や肉の他にナッツ類やオリーブがいっぱいで、トルコの市場を思い出す。
やがて町の入り口のわけわからんモニュメントが見えて、ここから脇道に入ると目の前に丘の上の城が見えてきた。
周りには野生のザクロの木がいっぱい。この国はいたるところザクロだらけなのだ。
石畳の坂道を上がって行くと駐車場とチケット売り場があって、入場料は500レク。
さらに急な坂を上がって城門をくぐる。
ここはロザファ城と言って、はじめイリリア人によって紀元前4世紀ごろに築かれた要塞がその後もスラブ、ビザンチン、ベネチア、オスマントルコと主を変えながら維持されて来たらしい。
中は3.6haもあって広く、入ってすぐの展望台から周りを見ると
目の前を緑色のブナ川が流れ、その向こうに見える大きな湖はバルカン半島最大のシュコダル湖。
大汗かいて上って来たので、風が気持ちいい!
反対側にも川が蛇行していて、周りは畑の広がるのどかな風景。
城内に残っている建物は少ないが、予備知識もなく訪れたここは広々として期待以上。
一番奥のカフェでアイスクリームを買って一休み。
帰りも歩くが、車の多い大通りをまた戻るのはつまらない、とグーグル先生を頼りに裏道を行くことにする。
こちらは石壁の一般家屋が続く静かな通り。
途中、城の上から見えた銀色のモスクの脇を通るが、ここはまだ建築中。
どこの家も庭に果樹が植えられていて
気が付いただけでもオリーブ、イチジク、リンゴにブドウ、キーウィを植えている家もあった。
しかし圧倒的に多いのはザクロ、そして柿の木が多いのにも驚く。
途中、かなりの急坂を上ることになってびびったけれど、そこを降りると平坦な住宅地になってホッ。
ここを歩いていると遊んでいた小学生ぐらいの男の子たちに声を掛けられた。「イタリア語しゃべれる?」というのはイタリア語がかなり通用するのだろう。
日本から来たんだよ、なんて話していると、一人のリーダーっぽい子が大きなザクロを差し出した。少し食べて返そうとするとみんなでノー、ノー、持って行けと言ってくれる。
このザクロが甘酸っぱくてすごくおいしく、かわいい子たちだったので写真を撮らせてと言ったがダメと断られてしまった。
あとで大人と話していたのは「変な外国人にザクロを恵んでやった」とでも言っていたのだろうか。
町の中心部に近づくにつれて一軒家はアパートに変わる。
学校が多くて、この辺りの女学生は保守的なイスラム・スタイル。
出発点まで戻るとモスクの前には屋台が出て週末らしい雰囲気。カフェで頼んだ生絞りオレンジジュースがおいしい!
この後はホテルでゆっくり休んで、夕食は昨晩ははずしたのでコル・イドロメノ通りではない方へ行く。
入ったのはにぎわっていたこちらの店。外国人が多いようだったが
凝ったサラダも、アルメニア料理のコンビプレートもとてもおいしかった。これで二人で1,680レク(約2,700円)だからとてもリーズナブル。
思いがけずシュコダルで一日過ごすことになってしまったが、怪我の功名、楽しい一日だった。
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ヤムの会メンバー、スクムビットさん、Trintrinさんからお誘いをいただいて、勝手知ったる佐倉へ遠足。
まず向かったのは佐倉の誇る(?)謎のイラン料理屋、サダフ。
先日家族とランチをしようと向かったらなんと平日なのに駐車場がいっぱいで入れなかった。
そこで12時少し前に行くとさすがに駐車はできたがすでに多くの車。
中に入ると以前からの通り、南アジア系とおぼしき男性客が目立つが、半分は日本人客、しかも近所のマダムらしき中高年の女性客が二人、三人とグループで来ていて、いや~、この店も地元にしっかり定着したわ、と感慨深い。
本日はランチバイキング、1400円なりをオーダーしてお料理を取りに行くと
たっぷりのサラダにピラフが2種類、チキンカレーとうれしや大きな骨がゴロゴロした羊肉の煮込みがある。
それ以上にうれしいのが横の保温ケース。
ナンとともにおこげがある!イランに旅行した時、イランのご飯はいかにおこげを美しく作れるかがポイントだとガイドさんのお宅で家庭料理をいただきながら教わった。イラン人、本当におこげが好きなんだ。
骨付きの羊はホロホロと崩れるほどよく煮込まれ、小さな米粒のピラフにチキンカレーも優しい味でうま~い。
お会計の時に隣のスーパーを覗くと以前は見なかったお料理のレトルトパックがあって
イングレリストを見ると「肉15%」としか書いていないのがなんだか豪快。
この店、今年で開店10周年を迎えるそうで、こんな辺鄙な場所でよく頑張っている。また来なきゃ。
レストラン サダフ
お腹を満たしたところで次に向かったのはこれも佐倉のはずれにある川村美術館。
大日本インキの創業家のコレクションを展示する美術館として開館からすでに34年経ったそうだが、今年の年末で無期限の休館を発表。しからば最後にもう一度ご自慢のレンブラントを拝んでおこう、と今回の遠足となったのだが、敷地内には平日だというのに今まで見たことのないほど多くの来館者。そのため来年の3月まで閉館を延ばしたというのだから皮肉なものだ。
ここが閉館したらお宝のレンブラントはともかく、この巨大なフランク・ステラとかどうなるのだろう。
空は今にも崩れそうだが、最後にこれも佐倉市自慢(笑)のふるさと広場にご案内。
春のチューリップフェスタが結構有名になっているが、秋には同じ敷地でコスモスフェスタを開催。フェスタは3日前に終わっているが、今年は暑さで開花が遅れたとのことなので、まだ花は残っているだろうと行ってみたのだが、なんと早々とコスモスを片付けて更地になっていた。
コスモスは唐突に現れる風車の周りにしょぼしょぼと咲いているだけだったけれど、まだ汗ばむ気温の中、印旛沼の風に吹かれて佐倉の遠足は終了。
スクムビットさん、Trintrinさん、お付き合いありがとうございました。
また謎のイラン料理屋のランチ、食べに行きましょう。
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9月19日 続き
クルヤからはさらに北のシュコダルへ。
途中から雷雨になってしまったが、きれいな高速道路を通って2時間半で到着。
ホテルに到着したら運転手氏とはここで一度お別れ。
翌日から3日間は現地ツアーを予約してあるのだ。
シュコダルでの宿は街のど真ん中にあるHotel Rozafa。今回の旅で唯一の大型ホテルだけれどかなり年季が入っていそう。
小さなベランダからは瓦屋根の街並みが見える。
お昼もだいぶ回ってお腹が空いたのでランチを食べに行こうと外へ。
シュコダルはアルバニア第4の都市だそうで、ホテルの前の大通りは車の往来が激しい。
道沿いに歩いて行くとKinemaと書かれたオレンジ色の目立つ建物があったが、今は映画館ではなさそう。
こぎれいなカフェがあったのでブレクという野菜やチーズの入ったパイをいただく。
これはトルコ由来の料理だろう、注文すると感じのいいおじさんがちゃんと温めてくれて、パイ皮はサクサク、思った以上にお腹いっぱいになった。
ホテルの前まで戻ると交差点にはここにもマザー・テレサ。その向かいには大きなモスクがあり、その前のコル・イドロメノ通りは歩行者天国になっている。
道の両側には店やレストランが並び、雨が上がって通りの中央にはカフェのテーブルが出ている。
2階建てのカラフルな建物が並ぶこの通りは20世紀の初め、ここがオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったのでオーストリア風に作られているらしい。
通りの建物の向こうには教会の鐘楼が見えたのでそちらに行ってみる。
すると外は塗り直し中なのか足場が組まれているけれど、扉が開いていたので中を覗かせていただくとここは正教の教会。
ここの鐘楼の先にはカトリック教会の鐘楼も見え、さらにすぐ近くに大通りに面したモスク。
多宗教が混在するバルカンらしい景色だが、この町ではティラナではまったく見なかったスカーフ姿の女性や、長いスカートの女学生たちも見かけた。
ホテルに戻って一休みして、暗くなってからの夕食はレストランが並んでいたコル・イドロメノ通りへ。
雨が上がったためか、夜は昼間よりも人出が多い。
メニューに食べたかったものがあったのでこちらの店へ。
レモンと卵のスープはこの辺り、北部のメニューだそうで、もったりしたポタージュが酸っぱくて珍しい味。ただしこの店はレストランというよりバーで、ここを選んだのは失敗。
食後はもう少し散歩しようと交差点から反対側へ行ってみると
大きな公園の前のライトアップされた建物は市庁舎らしく、その先にはレモンイエローのモスクもあった。
夜でも子供が遊び、散歩する人の多い町の治安は良さそうだ。
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9月19日
朝食の後、チェックアウトをしてスーツケースをフロントの愛想のいいお姉さんに預ける。
他で3泊した後、またここに戻ってくるからだ。
9時に予定していた通り、迎えの車が来る。
ドライバーはエグロンさんという40代のおじさん。旅行会社には英語ドライバーをお願いしていたが、来てくれたのは運転もできるプロのガイドさん。英語とイタリア語、国境近くに住んでいるのでギリシャ語もある程度できるらしい。
今日まず向かうのはティラナから南東30kmの所にあるクルヤ。空港からさほど離れていないのだが、道が妙なルーティングになっていて1時間半もかかった。
正面の山の中腹に見えるのがクルヤの町。
その山に上がる手前にはフシェ・クルヤというごく普通の町があるのだが、なぜかここにはジョージ・W・ブッシュと名付けられたカフェがある。
他にも同じ名前のパン屋が2軒もあって、町のどこかには銅像まであるとか。
なんでも2007年にブッシュがアルバニアに来た時、なぜかこの何もない小さな町にやって来た。以来この町の名誉市民(笑)になったのだそうだが、「なんでこんな所に来たのか、誰にも分らない」のだそうだ。
その先から山を上がって行くと新しいアパートなどの建つ新市街があって、その向こうに見えるのが旧市街とクルヤ城。
旧市街のはずれの駐車場からまずはお城に上がって行く。
クルヤ城は5,6世紀からこの地に存在していたという古いお城。ただし現在のこの立派な建物は新しく
1980年代にスカンデルベク博物館として作られたもの。設計者はティラナのピラミッドと同じ、ホッジャの娘だそうな。
中に入るとまずはギリシャ、ローマ時代の展示が少しあって、バルカン半島のこの辺りに住んでいたイリリア人という名前を初めて知る。ローマ帝国時代には吸収されてしまった民族だそうだが、ローマ字は使いながら周りのどの言語とも違うというアルバニア語はイリリア語由来ではないかとされているらしい。
しかしこの博物館の主役は名前の通りスカンデルベク。
1443年にオスマントルコの軍人だったスカンデルベクが故郷を侵略しようとしたトルコ帝国に反旗を翻し、この城を中心に40数年間独立を保ったことが大きな壁画になっている。
中央にあるのはスカンデルベクの山羊の頭のカブトのレプリカ。上階には15世紀ごろの部屋を再現した展示もあるが、実際の遺物などはないので壁にずらりと様々な肖像画が並んでいるだけ。
ということでこの城の最大の見ものはテラスからの景色。
あいにくの曇り空ではあるけれど
左手の遠くにはティラナが見え、右手の新市街の向こうにはわずかだがアドリア海も見える。
城から下りたら旧市街にあるバザールをひやかす。
古い石畳の両側にトルコ時代からの軒の低い建物が並び、国旗柄のTシャツやら民芸品やらの土産物が並ぶ。
中の地味な一軒でフェルトのスリッパを売っていたので、この冬用に一足お買い上げ、20€。
店のおばちゃんに写真を撮らせて、と言ったら恥ずかしがってこの表情。
観光地の土産物屋でもアルバニア人は押しつけがましくなくていい感じだ。
見学1時間半で次へ移動する。
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映画ブログのすねこすりさんがあふれる愛でこの映画を語っているのに刺激されて、久しぶりに映画館に足を運んでしまった。
「リトル・ダンサー」 Billy Elliot
やって来たのは恵比寿ガーデンシネマ。
この映画館に入ったのは2度目だろうか。小さいけれど椅子がフカフカで座り心地よし。
「リトル・ダンサー」は2000年の作品。以前に見たことがあるが映画館に足を運んだ覚えはないのでおそらく機内で見たのだろう。24年も前の割に結構よく覚えているのはそれだけ印象が強かった証拠。
舞台はイギリスの炭鉱町。「フル・モンティ」とかうらぶれた炭鉱町の話は珍しくはなくて、これは階級差のあるイギリスで労働者階級を描くのに一番わかりやすいからではないだろうか。なにしろアクセント一つで出身地どころか階級までわかってしまう国、そこから抜け出すのがいかに難しいか。
主人公は12才、典型的炭鉱労働者の父からボクシングを習うことを強制されているが、ひょんなことから覗いたバレエのレッスンに興味を惹かれてこっそり習い始める。
この主人公を演じているジェイミー・ベル、ダンスの経験があるので選ばれたのだろうが、ほぼ全編出ずっぱりで踊りまくり、感情を爆発させて大活躍。
ひどく幼く見えたり、かと思うと妙に大人っぽい表情になったり、そういう年ごろなのだろう、まさに子供から大人への過渡期の一瞬。撮影中に背も伸びたのではないかと思われる節もあり、いろいろな意味でぐんぐん成長していたのだろう。
今回再見して驚いたのはこんなにダンス場面が多かったかということ。ビリーの感情が音楽に合わせてダンスで表現されるのだから、これは主人公が歌わないだけでまんまミュージカル。
監督は演劇畑の出身だそうだが、ダンス場面はカメラワークやカット割りで見事に映画の表現になっている。
役者はBBCのミステリーでよく被害者の家族(笑)など演じているお父さんをはじめ、認知症っぽいおばあちゃんもいいのだが、今回一番印象に残ったのはバレエの先生。
町でこそ中流だがぱっとしない田舎町、亭主ともおそらくうまく行っていなくて娘の将来も知れている。
教えている女の子たちもどうせものにはならないとわかっている所へ有望な男の子が転がり込んでくる。
将来のない炭鉱からなんとか抜け出させてやりたいとがんばる先生。しかしビリーが最後の挨拶に来ると過去など振り返るな、前だけ見ろ、とばかり素っ気ない対応。
大げさでない表現でこういうことをすべて伝えてしまう脚本や役者がさすがの上手さ。
20数年ぶりに見てもまったく古さを感じさせない映画、見に行ってよかった!
映画館だけでなく、恵比寿のガーデンプレイスに行ったのもすごく久しぶりで、もうお上りさん状態。
北海道のよつ葉乳業のショップなどできていて、思わずアイスクリームを持ち帰り。
ドライアイスと保冷バッグも無料で付けてくれるサービスの良さ。
今度はバターを買いに行こう。
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9月18日 続き
城壁沿いの遊歩道から少し北へ入るとアルバニアの負の遺産を代表するものが見えてきた。
ホッジャの独裁時代、周りの国すべてを敵として国防のためにと国中に掩蔽壕を作らせた。その数、75万基というのだからパラノイアというしかない。
大きさは様々だそうだが、中でも大きな核シェルターとして作られたものの一つが今は観光施設になっている。
バンクアート2と名付けられたここは観光名所の少ないティラナなので各国からのツーリストで大賑わい。
受付には「過去を忘れる者はそれを再体験することになる」という警句が。
入場料は一人9ユーロとお高いが、60歳以上は5ユーロに割引になって助かる。
中に入ると狭い廊下が縦横に繋がり、その両側に小さな部屋がいくつも作られている。
当然窓などはなく、まるで刑務所のようだが、小部屋の展示のほとんどはアルバニア独立と同時に設立された国家憲兵隊の歴史。これが共産党独裁下で大変な権力を持ったわけで
盗聴道具の数々などマンガのようだが、もちろん笑い事ではない。この後、各地を回るうちにわかってきたが、この国で今でも一番憎まれているのは長い支配だったオスマントルコでも世界大戦の敵国でもなく、共産党政権なのだ。
思ったよりも大きくて息が詰まりそうな地下シェルターから出るとほっとする。
周りにはかわいい建物がいっぱいあるが
これらは実はお役所。その真ん中だから大きな核シェルターが作られたのだろう。
ここからまたちょっと行くと時計塔が見えてくる。
1822年のオスマントルコ時代に作られた塔の高さは35m。1970年までティラナにはこの塔より高い建物はなかったのだそうだ。
その隣には時計塔を建てたエセム・ベイ・パシャのモスクがある。
小さいけれど外も中もとてもきれいなモスクでうっとり。
18世紀末に建てられ、2021年にトルコの援助で修復されたとか。
時計塔の周りには今や高いビルがどんどん建って、インターコンチの黄色いビルも目立つが
その前に広がっているのが大きなスカンデルベク広場。
片隅には名前の由来、アルバニアをオスマントルコからわずか40年ながら独立させたスカンデルベクの銅像が立つ。たったの40年でも国の英雄なのだから、この国がいかに他国に侵略され続けたかがわかる。
広場の反対側には国立博物館があるが、残念ながら改修工事で閉鎖中。
こちら側には劇場や図書館が入る建物があって、中に書店があったので覗いてみると、英訳された日本の漫画がずらり。ここまで浸透しているとは、今更ながらすごい。
午後になると日差しが強くて暑くなってきたので、この後はお茶をしながらホテルで休憩。
暗くなってから夕食に出るが、遠出も面倒なのでホテルのすぐ隣のレストランへ。
するとここが思いがけずおしゃれな店で、天井からはなぜかクラゲが下がっていたりもするが
魚の出汁がよく出たスープやパスタなどおいしくて一安心。
二人でシェアして一人2000レク(約3200円)だったが、実は今回の旅でここが一番高かったのだからヨーロッパとしては確かに食事が安い。
食後は腹ごなしに散歩に出ると、ピラミッドに照明がつき、満月が上ってきれい。
中はカラフルな箱が積み重なる造りになっていて、今はITオフィスなどが入っているのだそうだ。
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9月18日
夜中に到着したティラナでのホテルは市中心部にあるKotoni Hotel。
大通りからは奥まった所にある家族経営らしい小さなホテルで、昨晩は到着早々、すぐにぐっすり眠り込んでしまった。
アルバニアのホテルはどこも宿泊費に朝食が含まれている。
フロントの脇にある小さな朝食場所にはチーズの入ったパイの類が何種類もあり
甘いケーキ類がふんだんにあるのはイタリアの影響だろうか。
しっかり朝食をいただいたら、2日がかりでやっと到着したティラナの散策開始。
大通りに出るとこの周辺は官庁街らしく、道も立派。
歩いてすぐの所にあるのが通称「ティラナ・ピラミッド」。
1960年代から1985年の死去まで独裁を敷き、アルバニアを鎖国してしまったエンヴェル・ホッジャ廟として建築家の娘が設計したもの。国が解放されてからしばらくは廃墟になっていたらしいが、今は観光名所になっていて
外の階段を上がることができるのでもちろん上る。なかなかハードな上りだが、てっぺんに上がれば
市内中心部が一望。
近くに山が連なっているのもよくわかる。
足元には土産物屋やカフェになっているカラフルな建物が散らばり、外のアパートなども面白い外装。
周りにはクレーンがいくつも見えて、どうやらティラナは現在建設ラッシュのようだが、奇抜なデザインのビルがあちこちに見える。
ピラミッドを降りるとすぐ近くを細い川が流れている。
ラナ川は市中心部を横断するが、はっきり言って汚いドブ川。
これを渡ったすぐの所にカトリック教会があったので入ってみる。
アルバニアはホッジャの時代、無宗教国家と称してすべての宗教施設を破壊したり封鎖したりしてしまった。
このShen Pali (St. Paul) Cathedralは解放後の2002年に完成した新しい聖堂なので内部もとてもモダン。
礎石をアルバニアを訪問したヨハネ・パウロ二世が置いたということでステンドグラスにも姿が見えるが
こちらのスターはマザー・テレサ。現在の北マケドニア生まれだが、アルバニア系だったということでこの国でも人気があるらしい。
この教会のすぐ脇にはティラナ城の跡があるが残っているのは石壁の一部だけ。
トプタニ家という有力貴族がこの一帯を支配していたらしいが、中は現在はショップやおしゃれなバーになっている。
城跡を出るとすぐ脇に大きなモスクが見えた。
こちらも新しそうだが中には入れず。
聞くと現在のアルバニアは7割がイスラム教徒、残りがアルバニア正教とカトリックとのこと。ただし無宗教時代の影響か、ムスリムでも縛りはかなりゆるそうだ。
この辺りで現地通貨を入手しておこう、と近くで見つけた両替所へ。
たまたま入ったこちらのレートがとても良くて1€が110レク近くになったが、他を見ると102レク程度。
街中ではどこでもユーロがそのまま使えて、その場合は100レク=1€で計算するので簡単。
コインもそのまま使えるが、100レクのコインは1€コインにそっくり。
このお金を持って城壁の向かいに立つトプタニと名付けられたショッピングモールへ。
平日の午前なのでお客は少ないが、ブランドショップなども入った高級モール。
最上階はレストラン街になっていて、窓からは新しいビルの間に古いお屋敷も見える。すでに廃墟になっているようだが、立派なお屋敷が壊されてしまうとしたらもったいない。
レストランの中におなじみKFCとバーガーキングがあったので値段を確認してみた。
するとKFCのバーガーが510レク、ワッパーが550レク。現在は1€が約160円なので、これで計算するとそれぞれ800円以上で日本よりずっと高い。今は円安なのでこうなるが、コロナ前は1レクが1円ちょっとだったとか。それでも日本の方が安いのだからやはり日本の物価が安すぎるのかも。
地下にはスーパーもあるので下見をしてみると、ここは日本で言えば紀伊国屋のような高級店、輸入品ばかりでなんでもお高い。
そんな中に日本食材が結構豊富に並んでいるのにはびっくり。
ホテルの近くには食べ放題の寿司屋もあったが、これはこちらとしてはかなりの高級店のよう。
モールの前、城壁沿いは歩行者天国になっていてレストランが並ぶ。
ここでも屋外の席が人気のようで、気温は25℃前後、湿度も低いので日陰が実に気持ちいい。
バスを改造した土産物屋などもある中、屋台で焼き栗ならぬ焼きくるみを発見。
おいしかった。
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