3月3日 続き
朝食が軽かったので、ホテルに戻って一息入れたら早速お昼を求めて街中へ。
車の通る旧市街の外縁にも古い家が並んでいて
中庭のある大きな建物はシルク織物の販売工房。
やってきたのは「Hai」というこちらの店。地元民、外国人、入り乱れているができますものは2品にフレンチフライだけなので
この地域の名物だというミークアンとカオラウを1つづつ。これに付いてきた野菜をどっさり乗せて食べる。
ミークアンは黄色いきしめんのような平麺で少し甘いタレ。カオラウの方はちょっとざらついた舌触りのうどんで甘さのないタレ。自分の好みはツルっとしたミークアンかな。
自家製というヨーグルトは甘~い。
食後はまた旧市街を歩いてみると
相変わらずツアーのシクロ隊は通るが、日曜なのに前日とは打って変わって適度な人通り。
昨日だけが異常だったのか。
おかげで街並みもゆっくり楽しめて、土産物屋を覗くと
なぜかこの人が大人気。
チケットを使って入ったのはタン・キー旧家。
もうおなじみになった造りだけれど
2013年の洪水の写真があって、なるほど今朝ガイドが話していたのはこのことか、と納得。この旧家は何回もこんな災害に会いながら生き延びているのだろう。
16時になったら予約してあったホテルのスパへ。
今回はホテル・パッケージ特典で20%オフだったのでちょっとお高いこちらのマッサージを受けたが
最初に好みのオイルを選んで90分。結構パワフルなマッサージで、強いのが好みの友人も大満足。
さらにパッケージ特典にはカクテル1杯が付いていたので、暗くなってから川べりのレストランのテラスへ。
川風に吹かれながら眺めていると、目の前を派手な電飾のボートが次々に通る。大音量でカラオケに興じていたり、笑い声が聞こえたり。このテラスは最高だ。
と言いながら夕食はまたまた旧市街へ。
選んだのは外国人の多い「Morning Glory」という大きなレストラン。
店名であるMorning Glory = 空心菜のサラダはシャキシャキ。
揚げワンタンはなぜこれが名物なのかごく普通だったが、ホワイトローズは米粉の皮の中にエビや肉が入ってウマウマ。無事にホイアンど定番の名物料理を制覇。
川べりは今夜も屋台やランタンボートが出て華やか。
静かな路地を覗きながら、もう帰ろう。
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3月3日
今朝は5時に起床、まだ真っ暗な5時45分には玄関先に出る。
これからミーソン遺跡に行くのだが、昼間では暑くなりそうだし、それ以上に人のいない遺跡が見たいと思ってKK Dayで早朝ツアーを申し込んでおいたのだ。
時間通りに来てくれたバンには我々が一番乗り。
その後、旧市街の外の小さなホテルをぐるぐると回ってホイアンを出たのは1時間後。最終的には全部で6人になった。
ホイアンを出ると田んぼの続く景色になって、やがてちょっとした山が見えてくると1時間でミーソン遺跡の入り口に着いた。
時刻は7時だけれど遺跡はもう開いている。が、さすがにまだ車も1,2台しか来ていない。
ツアー代金には含まれていない入場チケットは15万ドン(約900円)。
ゲートをくぐり、かわいい園内カートで山道を5分ほど走って遺跡群へ。
カートを降りてからも少し歩いて、まずはガイド君から遺跡の説明を受ける。
ミーソン遺跡は2~15世紀ごろまで栄えたチャムパ王国のヒンドゥー宗教遺跡。背後に聖なる山があるということでこの場所が選ばれたらしいが、この日は少し霧雨も降るどんよりした曇り空で肌寒く、山は霧に隠れて全く見えない。
遺跡群は地図にあるようにいくつかに分かれているが、見どころは10,11世紀に作られたというグループB, C, D。
中心となるのはシヴァ神の神殿。
中に入ることができるが、中央に置かれていたシヴァリンガは博物館に持って行かれてしまい、ヨニだけが残る。
周りには他のシヴァリンガや首を落とされた石像、倒れた石柱なども並べられているが、見どころは神殿の壁に残る彫像。
保存状態がよくないがカンボジアのアンコール遺跡の彫刻とよく似ている。
ミニ博物館のように彫刻が並べられた建物に入ればそれが一層よくわかる。
アンコールワットは12世紀のものだから、こちらの方が時代は先だ。
象の彫刻があったり、馬の鞍のような形の屋根はチェンナイ郊外のマハーバリプラムで見たものに似ていたり、ヒンドゥー文化の広がりを実感。
それもあってか、この遺跡の発掘、修復にはインドが深く関わっているようだ。
主な建物の案内をしたら後は自由行動、その後は他のグループの建物を見ながら出口へ向かうが
一部復元されたものを除いては遺跡群の損傷は激しくて
ここなどほとんどただのレンガの山。
というのもここはベトナム戦争中に爆撃されていて
ガイドが「アメリカのシヴァリンガ」と呼ぶ砲弾があったり、爆撃のクレーターが残っていたり。
なんでこんな所を、と思うが、北ベトナムの解放軍が遺跡を本拠地としていたのだとか。
ベトナム戦争もしかし幸いなことに歴史になった。
またカートに乗って入り口ゲートに戻ったのは9時。
すると続々と見学者が押し寄せていて、我が同胞の姿もいっぱい。海外の観光地でこんなに日本人の姿を見るのは久しぶりだ。
来た道を戻ると田んぼの上の空が晴れてきた。
ガイド君によるとホイアン周辺は貧しい農家ばかりで、それが世界遺産になって観光業が栄えたおかげで暮らし向きがとても良くなったのだとか。
ついでに観光客が多いのはいつかと聞くと、「一年中」。秋には雨が多くて洪水になったりもするが、観光客の姿は消えないのだそうだ。
帰路の途中、ちょっとした町のカフェでツアーに含まれている朝食。
バインミーはパンが軽くてあっという間にお腹の中に。後はベトナムコーヒーを飲みながらツアー参加者とおしゃべりするが、それほど若くない同行者たちはそれぞれ一人旅ながら、偶然にも二人がメルボルン、二人がモントリオールから来ていて、みんな半年以上かけてアジアを旅しているとか。カナダの公務員は10年だか20年だか勤めると一年ぐらいの有給休暇がもらえるらしい。
またホテルをぐるぐる回って、我々が宿泊先に着いたのが11時。
朝起きるのはちょっと辛かったが、静かな早朝ツアーは正解だった。
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3月2日 続き
部屋でゴロゴロしているうちに暗くなり、7時を過ぎたので夕食を摂ろうとまた旧市街へ。
Google Mapで評判の良さそうな店を探し、やってきたのは市場の脇のMadame Hienという店。
旧家を改装した店の雰囲気が良く、お店のスタッフもとても感じがいい。
飲み物に久しぶりにココナッツをオーダーすると突き出しにシャーベットが出てきたのが珍しい。
春巻きの盛り合わせを頼むと生やら揚げたのやら5種類、アンチョビーの唐揚げもおいしい。
牛肉と野菜の煮込みはなじみある甘辛醤油味、炒飯は具沢山でおなかいっぱい。
それでは腹ごなしに散歩をしてから戻ろう、と昼間は大混雑だった通りを歩いてみると
騒がしかった団体は消え、チープな土産物屋も閉まって、まだ営業中の店の明かりが美しく見える。
そしてホイアンと言えば、のランタン。
派手過ぎず、エキゾチックでいい雰囲気。
昼間はあまりの人出にうんざりしてがっかりしたホイアンだったが、静かになった夜に歩いてみれば印象がまったく違う。日帰りなどにしなくてよかった!
トゥボン川のほとりに出ると川にはランタンを灯した手漕ぎボートにお客さんがいっぱい。
対岸にはナイトマーケットが出ているらしく、明るくて大賑わい。
岸辺では水に浮かべる灯篭を売っているが、長い柄のついた籠に入れて下ろすのが面白い。
ホテルに戻ると前庭の大きな木にもランタンが灯され、池からは牛が鳴いているようなカエルの鳴き声が響き渡っていた。
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3月27日
中棚荘のチェックアウトは11時だけれど、ちょっと早めの10時半にタクシーを呼んでもらう。
前日とは打って変わった素晴らしいお天気だけれど、これから街歩きをするのにあの坂を上がるのはいやだ。
駅のロッカーに荷物を預けて、まずは赤坂を上がって与良町を目指す。
するとこれが写真ではわからないが結構な急坂。さっきのタクシーの運転手さんが「小諸は坂なんです」と言っていたのはこういうことか、と納得。
坂を上がって突き当たる大きな道が越後と江戸を結んだ北国街道。
交差点から右手に折れると与良町だが
この辺りはあまり写真映えする旧家は残っていない感じ。
そこで交差点に戻って、今度は左手に折れてしばらく行くと、お味噌の工場が見えてきた。
こちらで作られている山吹味噌、偶然にも現在家で使っていた。門の上の立派な看板は江戸中期のものだとか。
この先、街道が折れて緩やかな下り坂になると本町と呼ばれるエリアで、この周辺にはきれいに修復保存された旧家がいっぱい。
素晴らしいのは多くの家が今もちゃんと普通の民家として住まわれていることで、外見は昔のまま、中はピザ屋やメキシコ料理店なんて所もある。
家の奥に立派な蔵がある家も多くて、そこが店や住まいになっている家もあれば
この蔵は英語教室。
途中にほんまち町屋館という施設があったので入ってみると、元はお味噌屋さんだったというお屋敷。
まだお雛様が飾られていたが、その上に下がっていた鶴の吊るし雛がきれい。
家の造りを見せてもらってから裏庭に出ると
素敵なテラスになっている。
坂を下ってお城に近くなるにつれて
家が大きくなる。
こちらは脇本陣だった所。
今は旅館とカフェになっているが、水曜日にはお休みの店が多くて残念。
ここから少し先には重文指定されている本陣問屋場があるが、現在修復中で見られず。
さらに線路脇の公園内に本陣の御殿だけ移築されているが
この中は現在はイタリアンレストラン。
これも重文の大手門を見たら北国街道の散歩は終わり。
何か地元の物はないか、と街の中心に戻ってスーパーに入ってみると
さすが、お味噌の品ぞろえがすごい。
持って帰れるような物はそれほどなかったが、くるみ製品が多いのも面白くて
左下は桜エビとくるみを甘~く和えたもの。
ついでにこちらは戸倉で仕入れたあんずもの。
あんず姫は初めて買ったが、最中の中にあんずゼリーが入ってすごくおいしい!
しかし小諸まで来るとあんずのお菓子は見なくなってしまうので、買っておいてよかった。
時間は1時を回って、それでは最後におそばを食べて帰ろう、と駅の高架橋を渡って小諸城址の懐古園の三の門へ。
と言っても城跡には入らず、横の有名なそば屋、草笛本店に行ってみたのだが
席待ちのお客さんが一杯で、30分は待つだろうとのこと。
そこで街中に引き返し、「笊蕎麦 刻」というお店へ。
小さなお店を店主が1人で切り盛りしているが
ざると田舎蕎麦の二色盛りがすばらしかった。
ざるは細くて白い更科系、田舎蕎麦の方は太くて、すするのではなくよく噛まないと食べられないほど。
自分の好みは細い方だけれど、どちらも今回の旅で一番のおそば。
予定通り、とはいかなかったけれど、今回も楽しい温泉旅だった。
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3月26日
この日は朝から土砂降り。
その上強い風も吹いて、10時少し前にホテルをチェックアウトして千曲川を渡ると傘が壊れそうなほど。
万葉超音波温泉で一風呂浴びて
戸倉駅まで歩くとあちこちびしょぬれになってしまった。
戸倉駅からは小諸駅まで40分。
ちょうどお昼で、普通ならお蕎麦でも食べに行きたい所だがひどい雨なので街歩きもできない。
幸い駅前が停車場ガーデンなるちょっとした公園になっていて、中にカフェがあるので入ってみる。
片側は工芸品や園芸品なども売っているおしゃれなお店。
予定よりがっつり食べてしまったがおいしかった。
駅から今夜の宿までは徒歩20分のはず。これも歩くつもりだったが雨と寒さに負けて駅前からタクシー。すると思いがけずすごい坂を下って、これは帰りも大変そう。
中棚荘に着いたのは13時。
これは翌朝撮ったが、玄関前にはサンドアーティストによるアマビエ様が。もう半ば崩れかけているのはもうお役目終了ということだろうか。
チェックインは14時からなのでさすがにまだ早い。部屋の用意をしてもらっている間、ロビーの暖炉で温まらせていただく。
大きな額に入っているのは島崎藤村の肖像画で、本棚にも藤村の本がいっぱい。
というのも藤村は小諸で学校の先生をしていた時代、この宿によく来ていたとか。長野ではよく藤村先生に遭遇するが、先生どれだけ温泉が好きだったのやら。しかし藤村の本は一つも読んだことがない。
大きな窓の外には咲き残る梅だろうか、ヤマガラやシジュウカラが来ている。
13時半になって部屋に案内していただく。
フロントのある棟からは渡り廊下を通った平成館の2階。
8畳の部屋にはもう布団が敷かれ、こたつがあるのがうれしい。
意外なのは浴衣の上に羽織る半纏。これがなんとモンベルのダウンで、旅館で遭遇したのは初めてだけれど、軽くて暖かくて、これはいい。
冷えた体を温めるべく、早速お風呂へ向かう。
浴室への扉は部屋から階段を一つ降りたすぐの所にあるが、ここからは石段を50段以上も上がらなければならない。
途中には源泉の飲泉所もあるが、これを過ぎると男湯、女湯はさらに上に上がる。
ようやく女湯に到着して中に入ると
広い畳敷きの脱衣場の先は仕切りもない浴室になっていて、天井の木組みも立派。
浴槽には冬の間はリンゴが浮かべられて、これは藤村にちなんで「初恋りんご風呂」と名付けられている。浴槽の底には藍色の石が敷き詰められ、そこに赤いリンゴがうかぶ様がとても上品。
アルカリ性単純温泉の癖のないお湯は源泉が38℃とぬるめなので循環加温され、内湯では消毒もされている。
が、露天のうたせ湯は源泉そのまま。飲泉所で飲んでみるとわずかに硫黄の卵味が感じられて、この静かなお風呂はいつまでも入っていられる。
ゆったりしているうちに18時になったので、玄関を出て隣の大正館へ。
藤村の泊まった部屋もある旧館、今も客室があるが食事もすべてこちら。他にもお客さんはいるはずなのだがとても静か。
今回は信州の食文化プランというのをお願いしておいたところ
木の芽和えの先付けに始まって、ねっとりととてもおいしい信州サーモンの昆布締め。
鰆には黄色い菜種餡がかけられ、ホタルイカの酢の物は下に敷かれたキャベツもおいしい。
道明寺の上に載せられた甘鯛が春らしいが、驚いたのは天ぷら。なんと佐久鯉の薄い切り身が桜の葉と揚げられていて、これが川魚とは思えないほど臭みもなくおいしい。なんでも最近は鯉の養殖技術が向上して、お刺身で食べることもあるのだとか。
さらに信州らしいのは鍋のおにかけそば。昔の農家で囲炉裏にかけた鍋に手の空いた者がそばを入れて食べたものだそうだが、竹の子やキノコがいっぱい入ったお鍋の出汁もおいしくて完食。
おかげで自家で育てているというお米のアサリご飯は入らなくなってしまった所、お夜食に、とおにぎりにしてくれた。夜食も入らないのでこれはそのまま持ち帰り。
その代わりプルプルのわらび餅はしっかりいただいた。
翌朝はお部屋も変わって
リンゴジュースで始まる朝食も手のかけられたおかずにとろろご飯がおいしくて完食。
食後は腹ごなしに外に出てみると、大正館は思いがけず洋風の造り。
庭の狸の蓑ももうすぐ取れるだろう。
こちらは泊まった部屋のある平成館。その前の庭にはなぜか山羊が飼われている。
玄関前から坂を上がって道路に出るとお向かいに「初恋ポスト」と看板の出ているポストがあったが、何の変哲もない丸型ポストなのは残念。
すぐ脇は小諸城址の懐古園だが、目の前は普通の田んぼや民家の並ぶ里山の風景。
何かが突出しているわけではないが、すべてが上品で穏やかな中棚荘は素敵な宿だった。
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