これは、高校時代の記憶だ。私が高校の頃は、芸術の科目は、美術、音楽、書道の中から選択するのが普通だった。しかし、私が入学した高校は、田舎の小さな学校だったため、1年は音楽、2年は書道と決められてしまっていたのだ。実は、3つの中で、一番好きだったのは、美術であり、他の2つは苦手意識があった。選択肢がないことは入学して初めて知ったのだが、私が卒業した後は選択できるようになったということなので、どうしてもっと早くやってくれなかったのだろうと今でも思う。
実は私は自慢ではないが音痴である。だから、今でもカラオケは大嫌いだ。もちろん学校の頃も音楽の成績はあまり良くなかった。しかし中学の頃は筆記テストはできたし、歌うのはだめだが、音楽耳の方は普通にあったので、まあまあの成績だった。
しかし、高校の音楽のY教師は最悪だった。理由は不明だが、私を目の敵にするのだ。それもエキセントリックで常軌を逸していた。たまたま忘れ物をすると、自分をバカにしていかにもわざと忘れたようなことを言って大騒ぎする。実際大した忘れ物でもなかったのだが。音痴なので、歌の音程が外れるのは致し方ないのだが、物凄いいやみを言う。極めつけは、成績に、学年で最低点を付けられたことだ。実技は少しくらい悪くとも、学科の方はまあまあできているはずなので最低点まで付けられる覚えはなかった。他の教科では、よく睡魔に襲われることもあるのだが、音楽の時間はさすがにそんなこともない。今の学生のように授業中に騒いだりとかケータイばかりいじっていた(そもそもケータイなんて無い時代だった)ような覚えもない。極めてまじめな受講態度だったので、なぜあんなに目の敵にされたのかは今でも分からない。思い当たるとすれば、私が美少年で、向こうが汚げなオヤジだということで、もしかするとジェラシーだったのかも。まあ、先方の頭のネジが外れていたのだろうが。
これで、私は音楽の教師に対してもネガティブなイメージを持つようになった。
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