邪馬台国をとらえなおす (講談社現代新書) | |
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講談社 |
・大塚初重
中国の三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」。2世紀後半から、3世紀中頃にかけて、女王卑弥呼が支配した幻の国。それは、果たしてどこにあったのか。
我が国の古代史の中でこれほど多くの人を引き付けたテーマはないだろう。特に知られているのは、大和説と九州説だが、その他にも多くの説があり、まさに百家争鳴の状態である。
本書は、発掘考古学の視点から、邪馬台国の謎に迫ろうとするものだ。発掘考古学とは、モノを基礎に据えて、型式学と層位学の方法論で過去を探っていく学問である。ここで、型式学とは、出土物を特徴ごとに分類するもので、層位学とは、遺物を含む層の積み重なりの順序などで年代の新旧を探っていくものだという。なお、著者は1926年生まれの明治大名誉教授で考古学界の重鎮ともいえる人である。
邪馬台国の時代は、従来は弥生後期だと考えられてきたが、最近の考古学の研究成果からは、古墳出現期であると考えられるようになってきている。そして、この時期にヤマトの地に突然現れたのが、箸墓古墳を中心とする纏向遺跡である。それでは、この箸墓こそ卑弥呼の墓なのか。事はそう単純にはいかない。まだまだ、邪馬台国論争には数々の謎があり、当分決着はつかないだろう。
魏志倭人伝には、卑弥呼が魏帝から百枚の鏡を与えられたという。この百枚の鏡とは前漢鏡なのか、後漢鏡なのか、三角縁神獣鏡なのか、それとも画紋帯神獣鏡なのか?これが、候補地推定に大きな役割をすることは確かだが、卑弥呼が贈られた鏡と見られていた三角縁神獣鏡は、既に五百面程度見つかっており、数が多すぎる。また、中国や朝鮮半島からは、鏡はもちろん、鋳型さえも出ていないという大きな弱みもある。
また、魏志倭人伝には、倭人は鉄の鏃を使うとあるようだ。鉄器は九州からの出土が圧倒的に多い。これが九州説の根拠の一つでもあるようだ。鉄器は、弥生後期には、関東まで普及しており、奈良は、湿った土地で、鉄が残りにくい環境だったというだけかもしれないらしい。
私自身の考えを言えば、魏志倭人伝をいくらこねくり回しても、そこから正解が導ける可能性はほぼ0に近いのではないかと思う。当時の文書がどれだけ正確性があるのか分からないし、書かれている内容も、明らかに南方の風俗を表しており、これがヤマトの地だといわれてもかなりの違和感がある。
シュリーマンはギリシア神話に出てくるトロイの実在を信じ、それを実際に発掘してみせた。邪馬台国も同じだろう。どのように理屈を積み重ねても文献史学だけではだめなのだ。地道な考古学的な発見があってこそ、邪馬台国の真実が私達の前に現れてくるのではないだろうか。本書はこれまでともすれば空想や妄想によって語られてきた邪馬台国像に、考古学の観点から新たな光を当てるものといえよう。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。