引っ越し大名三千里 (ハルキ文庫) | |
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角川春樹事務所 |
・土橋章宏
江戸時代に松平直矩という大名がいた。徳川家康の次男結城秀康の直系に当たる名門なのだが、父が藩主の頃から、国替えによる引っ越しが生涯で7回にも及んだ。ついたあだ名が、「引っ越し大名」というありがたくも無いもの。この作品は、主に、彼の5回目の引っ越しにあたる播磨姫路藩から豊後日田藩への国替えの様子を描いたものだ。
現代でも引っ越しはなかなか大変だ。サラリーマンなど、辞令一枚でどこに飛ばされるか分からない。もっとも、サラリーマンなら、家族を残して自分だけ単身赴任という手もあるのだが、この時代の国替えは、大勢の家臣やその家族を引き連れていく必要がある。その費用だけでも莫大なものだ。この費用の捻出が大問題なわけである。もちろん、幕府は補助などしてくれない。自腹で捻出しないといけないのだ。
おまけに今回はもう一つ困ったことがある。姫路藩は15万石だが、日田藩は半分以下の7万石。減封である。要するに降格左遷だ。どうも親戚の越後高田藩が起こしたお家騒動で仲裁に当たったことのとばっちりらしい。収入が半分以下になるのだから、3000人余りもいる家臣を全員連れて行くわけにはいかない。大胆なリストラが必要となる。ところが間の悪いことに、これまで国替えを取り仕切ってきた板倉重蔵は先月既に亡くなっていた。
そこで、引っ越しの差配を押し付けられたのが、これまで書庫係をしていた片桐春之介。出世欲もなく、書庫に閉じこもって本だけ読んでいれば幸せという人物である。彼は、本名よりは、「かたつむり」という名で知られていた。
誰がやっても失敗するだろうと思われる、減封での国替えの「引っ越し奉行」を仰せつかった春之介だが、ここから、思いもよらなかった春之介の大活躍が始まる。減封ということで、家老の持ち物を容赦なく処分させたり、多くの家臣を帰農させたり、果ては、殿様の直矩にまで、かって色目をつかったことで目を付けられていた将軍綱吉寵愛の柳沢吉保(自分を責めていいのは将軍さまだけ)に対して、「責めより受けがいい」としなを作らせる始末。もう完全に開き直りである。この物語は、引きこもりに近かった春之介が、藩の一大事に当たって、とんでもない役目を無茶振りされて大きく成長する成長物語なのだろう。春之介の活躍ぶりはなかなか痛快だ。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。