![]() | 雑草はなぜそこに生えているのか (ちくまプリマー新書) |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |
・稲垣栄洋
昨年父が亡くなったので、時々実家の管理に帰っている。実家管理のうち一番手を取られるのが除草である。なにしろちょっと見ない間に雑草が生い茂っているのだ。抜いても抜いても生えてくる。除草剤を撒いても一時しのぎにしかならない。世の中に雑草というものが無ければ、私の心は、どんなに安らぐだろう。
本書には、雑草をなくす方法というのが記されている。これが、意外かつ気の長い方法で、「雑草をとらないこと」だという。雑草を取らなければ、植生が遷移して森になるから、他の植物との競争に弱い雑草は生えることができないのだという。田畑を森にしてどうするんだと思わないでもないが、雑草が繁栄できる環境に人間は欠かせないのである。
言い換えれば、「雑草」というのは、人間の作り出した環境に適応して生きてきた植物なのだ。雑草たちには、生き延びるための色々な仕組みが備わっている。例えば、休眠、光要求性、虫に花粉を運んでもらうための仕組みなど。本書にはそれらについて丁寧に説明されている。
雑草のキーワードは多様性。遺伝的に多様であることこそ彼らの生き残り戦略なのである。たかが雑草、されど雑草とでも言おうか。一例を挙げると、ゴルフ場に生えているスズメノカタビラという植物は、ラフ、フェアウェイ、グリーンで芝刈りで刈り取られないように、穂の高さを変えているという。同じ条件で栽培すると、元々生えていた場所の穂の高さになるという。つまりは、遺伝的多様性の結果なのだ。
雑草とは人間にとって邪魔なだけの存在なのだろうか。本書に書かれているエマーソンという人の言葉を紹介してみよう。「雑草とは、いまだその価値を見出されていない植物である」(p178)。雑草の持つ様々な特性をうまく利用すれば役に立つのである。
雑草と呼ばれるものは、いろいろと生存のための戦略を持っている。考えてみれは、物言わぬ植物にこのような性質がそなわっているのは不思議だと言わざるを得ない。本書は、そんな身近の自然の不思議さ面白さを教えてくれる。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。