この六巻は山頭火が小郡(現山口市小郡)の其中庵で暮らしていた昭和9年(1934)3月21日~同年7月25日までの日記である。あいかわらず酒と句作の日々である。
△私は毎日これだけ食べる(不幸にしてこれだけ飲みます!)。
米 四合、三椀づゝ三回
酒 (マヽ)合、昼酌 壱回(以下略)(五月十九日)
いや、一応僧籍にある者が酒飲むなよ。
湯屋で感じた事、――
男湯と女湯とを仕切るドアがあけつぱなしになつてゐたので、私は見るともなく、女の裸体を見た(山頭火はスケベイだぞ)、そしてちつとも魅力を感じなかつた、むしろ醜悪の念さへ感じた(これは必ずしも私がすでに性慾をなくしてゐるからばかりではない)、そこにうづくまつて、そして立つてゐた二人の女、一人は若い妻君で、ブヨ/\ふくれてゐた、もう一人は女給でもあらうか、顔には多少の若い美しさがあつたが、肉体そのものはかたくいぢけてゐた、若い女性がその裸体を以ても男性を動かし得ないとしたならば、彼女は女性として第一歩に於て落第してゐる、――私は気の毒に堪へなかつた、脱衣場の花瓶に挿された芍薬の紅白二枝の方がどんなにより強く私を動かしたらう!(私はまだ雑草のよさを味ふと同様に、女の肉体を観ることが出来ない、修行未熟ですね)(五月十九日)
これだけ好きなことを詳しく書けるなら、ガン見していたということだろう。そんなに文句があるのなら見なければいいと思うのだが・・・ ほんと、この未熟者め!!と喝を入れたい。
僅か4カ月の日記であるが、山頭火の酒と縁が切れない生活(切ろうと言う意思もない)や、生きていくのに、何かと理屈をつけて自分に意味づけをしている姿が垣間見える。しかし、これだけ人の厄介になっているということは、時代もあったのだろうが、山頭火自身の性格的なものもあったのだろう。どう考えても生活破綻者なのだが、色々な人に支えられて暮していたことが察せられる。
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