曇り、15度、80%
40代の半ば頃まで、恥ずかしいくらいに欲しいものが一杯ありました。しかも、身につけるものではありません。欲しいのは、鍋や釜や食器の類いです。ところが、50を超すと不思議なくらいに欲しいものが無くなってしまいました。これまた清々したものです。
昨年の暮れ、迎える年に何か新しいものをとふと思い立ちました。何が欲しいというのでなく、何か新しいもの。しょうゆ差しでなくても良かったのです。しょうゆ差しは、赤い塗りのものがとても気に入っています。でも、ちょっと、いつもの自分の選択とは違う、何か新しい物を求めることにしました。
このしょうゆ差し、 とても小さな京焼きです。取っ手を含めても高さが7センチにも足りません。描かれているのは、春の野の草です。ゼンマイ、ツクシ、ナズナなど。乾山の映しですが、本歌は、確かもう少し大きな汁次だったように記憶します。
ものを買う動機は、何でしょうね。必要にかられて買わなければならないものもあります。不必要なものを買う、自己満足以外にありません。 買い物の言い訳をしてもはじまりませんが、強いて、このしょうゆ差しを求めた理由はと聞かれたら、この春草の絵以外に何もありません。江戸時代、乾山が作った器の数々、私は形よりその絵付けに惹かれます。すーっと思うままに描かれたもの。今見ても、斬新なほどにデザイン化されたものもあります。本歌などは到底手も届きませんから、せめて、写しのものを手元に置いてみたかったのです。毎日見ていたら、何か教えてくれそうな小さなしょうゆ差しです。