曇り、16度、70%
うずくまる、踞る、お腹でも壊してしゃがみ込んでいる様を連想するこの言葉、ずっとマイナーなイメージを持っていました。そんなうずくまるという言葉が、時折、私の頭の中でコロコロ舞うようになったのは、50代を前にした頃だったと思います。あるグラビアで見た壷がうずくまるという名前でした。古い信楽焼のその壷は、お百姓さんが物を貯蔵するのに使っていたものだそうです。裾はどっしり、確かにうずくまったような様子の壷です。後に、昔の茶人が花入に用いて、うずくまると名付けたのだとか。
ちょうど同じ頃、別の写真で同じ壷ではありませんが、やはりうずくまると名のある壷に一輪ホトトギスが生けられていました。うずくまった壷に地味なホトトギスの花です。その2枚の写真以来、うずくまるという信楽の壷が、コロコロ私の中を巡っています。
信楽の土ですし、元は民具ですから、素朴な壷です。さあ見てくださいなどと、声だかにするような物ではありません。実際の壷を見たことがないのでなんとも言えませんが、さほど大きな物ではないようです。かといって、手のひらに納まる物でもないようです。
今でも信楽焼には、うずくまると名のある壷を焼いているそうですが、ウェッブで見る限りは、花入のための壷に見えます。本来の貯蔵の目的のそれとは、趣が違います。
見出しの写真、モモさんがお風呂の後にうずくまっていました。このモモさんを見ながら、うずくまるって、身の丈を低くして、まるで大事な物を抱え込んでいるように思いました。
うずくまるという言葉のイメージが、信楽の壷にはじまってモモさんのこの姿で、すっかり変わったものになりました。いつか、どこかで、ばったりと古いうづくまる壷に出会いたいものです。