曇り、24度、87%
私が、深圳に足繁く行かなくなったのはモモさんがやって来たからです。この10年、中国は大きく変わりました。中国人が観光や買い物で香港にやって来ます。日本でもさんざん言われている通り、中国人観光客のマナーは最低です。30年近く昔の香港人のそれよりひどいとまで思います。その中国人を見るにつけ、私は段々中国の人がイヤになっていました。ここ香港の人たちですら、中国人の観光客を歓迎しないのです。小さな日の丸の旗を持った日本人が世界中に団体旅行で行っていたあの様子とは、全く違います。イヤな気持ちは、私に中国に行く気を失せさせていました。
日本にいれば、国境を越えるということは、飛行機、船に乗ってに限ります。日本を出国して、しばらく乗り物に乗り、他所の国に入国するのです。ヨーロッパや南北アメリカのように、陸路、他の国に行くことが出来ません。ですから、降り立った他所の土地が空気も違う、光の色までも違って感じるのは当たり前のことです。ところが、たった境界線を越えただけで、吹く風の重さまで違って感じるのが、国境を越えることだと、今回初めて感じました。
深圳に入った翌朝、主人は自分が深圳に泊まった翌朝散歩をするコースを案内してくれます。ホテルの前から続く街路樹の木陰を歩きます。一体何処まで続くのかと思うほどに長い歩道です。土曜の朝、会社も3連休(昨日は、清明節、中国のお彼岸に当たります。)に入ります。人通りは少ないのですが、ジョギングをしている人と出会います。日本や香港のジョガーのような派手な出立ちではありません。普通のシャツとジャージで走っている姿が、好ましい。朝も早いのに、道を掃除するおばさんたちは働いています。 まだ、リヤカーで、町中のゴミ箱のゴミを集めています。昔と変わらないなあ。忙しない中国の一面は、こうしたのんびりとした一面の裏側です。
主人がいつも行くという大きな公園、 太極拳をする人の姿が見られます。これは中華圏を旅すると、朝、必ず目にする光景ですが、香港と大きく違う所は、このスペースです。人々の向こうにこんもり見えているのが、街路樹です。
こんな建物が山頂に見えています。
公園の入り口のお土産物屋さんです。プラスチックのこんなおもちゃを中国の子供たちは喜んで使っているのかな、と訝しく思います。見出し写真は、この店の横に置いてあった、子供用の乗り物です。日本では、殆ど姿を消しましたね。この虎さんに、孫を乗せてやりたいと思いました。
乳母車を押して散歩する人を見ました。とてもびっくりしたのです。中国で乳母車を見たことはありませんでした。香港人が乳母車を使い始めたのも最近のことです。 しかも、素晴らしくカッコいい。
早朝の広い公園では、思い思いのことをしています。 このおじさん、水を含ませた自家製の長い筆で、石畳に漢詩を書いています。
この字を書く呼吸といい、達筆なのは言うまでもありません。そして、陽が上ると、この字は空気の中に消えてなくなるのです。
一輪車のようなものを胸に抱えてるおじさんがいました。よく見ると丈夫な細いロープが付いています。そのロープの先の先、
青い空に米粒みたいに凧が揚がっていました。
中国の都市の中で、住民の平均年齢が一番若いのはここ深圳です。周りの町から、深圳を目指して仕事を探しに若者が集まってきます。日本同様高齢化社会が進む中国の中では、活気のある都市の一つです。
この大きな公園の中、時折私のスマホにWi-Fiが入ります。でも、携帯も持たない人がいるのでしょうか、 町中には公衆電話が見られます。このブース、裏にももう一つ電話が付いています。
私は、ポストが好きで旅行に行くとポストを撮ります。相変わらずの、中国グリーンのポストですが、 少し昔より細めで、装飾が施されています。
香港、基本、広東語を話します。国境を越えたこの深圳の町は、広東省ですが話し言葉は北京語です。そして深圳よりまだ北の広東省の省都、広州では、広東語が話されています。国境を越えたこの町は、若い中国人の憧れの都市でもあるそうです。
一日ほどの滞在でした。帰って来て2日が経ちました。私の中で、イヤだった中国が少しずつ動き始めました。
この話、まだまだ続きます。