ガス、19度、96%
小学生の頃です。鉛筆を1ダース箱買いすると、1本1本に名前を入れてくれるサービスがありました。小学の入学祝いにもらった友人がいてとても羨ましく欲しく思いました。母親の手書きでない自分の名前がついたものは、何やら誇らしく感じます。
振り返って見ると、自分の名前の入ったものをもらったことは今までにたった一度。主人が築地の杉本で包丁に私の名前を入れてもらって贈ってくれました。誕生日でも何でもないときのプレゼント、30数年前のことですが嬉しいやら、まだ料理なんて何にも出来なかった頃ですから包丁に気負いをもらいました。
先日頂戴したもの、桐箱の大きさから小風呂敷きかなと検討を付けて蓋をとりました。あっと、息を呑んだのは言うまでもありません。ご祝儀用のお袱紗です。無地の紅鬱金に染め抜かれた私の名前。嬉しいの一言です。
嬉しいと思う以上に実は恥ずかしいとも思いました。私はご祝儀用のお袱紗をここ数年来、母のお袱紗を使っていました。 一字違いですが、この対の角には、実家の家紋が染められています。孫のお宮参りのときもこの母のものを携えていました。主人に早く自分のを作りなさいと言われていたのに、日本に帰っても染物屋さんに足を運ぶ時間がありません。そのうちにと思っていました。そんなこと誰にも話したことがありません。まるで、私の隙間を突かれてような贈り物です。
母のお袱紗の赤白橡の色は私の好きな色ではありません。藤衣色などといわれるやや寂しい色目です。頂いたお袱紗の色は、金鬱金、浅支子とでもいいたいような凛とした張りのある色目です。素敵な色を選んでくださいました。
お風呂式を贈り物にとは考えますが、名前を染め抜くには前々からの時間の配慮もあることです。並々ならぬお心配りです。
頂戴して有頂天な私は、喜びごとに着ていくものを描きます。あの服のときもあの着物を着てもこのお袱紗ならピッタリだわとか、あのバックにそっと忍ばせておくと出すときのコントラストがいいわとか。女ですから、いい気なものです。
名前入りのお袱紗、一生ものです。今からの残りの私の時間と一緒に歩んでもらいます。ありがとうございました。