雪、2度、67%
先週土曜日の午後、家で倒れているのが見つかった義母は、救急車で病院に運ばれ大腿骨頸部骨折と診断されました。救急室のレントゲンを見た私は10数年前、私の実の母が同じところを骨折したことを思いだしました。祝日を挟んでいましたので担当医との面談は、火曜日にありました。面談の席で私がこの手術を実の母で経験していることを知った医師は、手術には心配はないけれどもと前置きをして話が続きました。
手術後、母の歩行能力が骨折前より良くなることはまずあり得ません。リハビリの後退院となった後のことです。つまり母が退院後どこで生活をするのかという問題が出て来ます。古い段差の多い家での一人暮らしは無理だろうという医師の見解でした。
救急車で運ばれ「大腿骨頸部骨折」のレントゲン写真を見て以来、私が一番懸念していたのもこの一つのことです。退院後の義母の住まい。私の母もそうだったように、自分の家を離れたくないと思います。施設への入居を念頭にケアをお願いしている方たちへの協力を頼みました。まだ時間がありますが、先に先に手を打つべきだと母の時の経験が教えてくれます。
2年前の暮れ、義母はエスカレーターから転倒し肩の骨を折りました。手術後、一人生活の中、昨年のお盆には道で転倒手首を腫らしました。この時は病院に行きたがらず家で安静にして治しました。度重なります。携帯を常に持ち歩くように言いますが、充電器に入ったままです。安全センターの申し込みをしたのは昨年の11月、早速取り付けていただきました。 このほかの子機があり、子機は常に胸にぶら下げていた方がいいよと話していましたが、 買い物バックにつけられたままでした。結局、携帯も安全センターへのブザーも使われることなく、今回の事故です。
年齢相応の認知度ですが、入院後変なことを言うようになりました。「真奈さん、牛肉を食べたろう?」冷凍庫には上等な牛肉が入っています。義母の好物です。この言葉を聞いた時、寝たままだとたとえ数日でも認知度が進むことを実感します。牛肉と大きなエビは義母経由で義姉に渡しました。
入院後、身の回りのものを調えました。病院によっては飲み水の供給がないところもあります。致し方なくペットボトルの大きいものを買って行きました。ストローで飲めば良さそうですが手術前は身体を起こすことができません。数年前、母の時用意したのは「寝飲み」でした。「寝飲み」を母の枕元に置いた時の妙にさみしい思いが思い出されます。義母には可愛いものを見つけました。しっかり蓋が閉まります。寝ていてもこぼれる心配がありません。寝飲みの殺風景な様子とは違います。
今日の午後には麻酔から覚めると思います。今後のことは私からでなく、主人から時間をかけて話してもらうつもりです。昨日から福岡は風と雪が強くなりました。義母の手術が無事に終わることを祈っています。