曇り、25度、71%
昭和50年、1975年に入った頃から、きっと日本の経済は成長期から安定期に入ったのではないでしょうか?その頃、私は高校を卒業して、東京に出ました。今ほどではないにせよ、情報という物がそれ以前より多く共有されるようになります。テレビや雑誌での視覚から入ってくる情報です。日本で初めてのブランド時代、つまりヴィトンやグッチなどが流行った時代に私は学生時代を送ります。もちろん、私もそういう物に興味はありましたが、それ以上に、ダンスクのお鍋や北欧の白木の家具に惹かれました。自分が育った家の環境よりも、本で読んだり映画で見た西欧社会の生活に憧れます。考えてみれば、北欧もアメリカもイタリアですらいっぱひとからげに西欧と思っていたほど、まだ無知な私でした。
結婚しても子供を育てるのが精一杯、金銭的にも精神的にも余裕なんて微塵もない生活です。結婚して初めての犬を飼うか飼わないか決めかねている時に、幼稚園の息子に明日お友達を招くのと”てつ”[犬の名前]を飼うのとどっちがいい?と尋ねたほどです。お友達を呼ぶのにおやつの準備がいります、犬を飼うためには首輪から鎖が必要でした。
そんな生活ですから、身の回りの物にはお金をかけることは出来ません。セーターなどは全て手編みでした。でも、好きな物しか身の回りにおいていませんでした。お金がかからず少ない好きな物、今考えると、お金がない生活はとてもすっきりといいものです。
その頃買った物で、食器などだんだん目が肥えて来てひとにあげたりした物が多い中、未だに使い続けている物が幾つかあります。白木のバターナイフもそのひとつです。
北欧から来た物とかではありません。東京の自由が丘のピーコックストアーの家庭用品売り場で、200円ほどで買った物です。軽くて柔らかくて、やさしいカーブをしています。
この30数年、何度引っ越しをして来たでしょうか?初めから2本しか買いませんでした。海を超えてここ香港までずっと一緒にやって来てくれました。
シルバ−のバターナイフも今では持っています。シルバ−の物は使って洗えば、すぐに引き出しになおすことが出来ます。ところが、こちらの白木は完全に乾くまでは、オーブンのそばやコンロの側に出したままです。透明な塗りがかかっていない分、かびには気を使います。
昨年末仕事を辞めて以来、ちょっとした昼過ぎの時間に、こんなバターナイフを手に取って見ることが多くなりました。